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「出世」は縁だと思う話

 100人の卵たち

何の世界でも構わない。

新人と呼ばれる人が100人集まって、最初は特に関係も優劣もなかったのに、三日も経てば段々とポジションが決まって行く。

その中で、「出世」を掴むのは1人か2人。

じゃあ残りの人は何を学ぶのか。

今の時代は個性やキャラクターが求められると感じる。

でも、出世できる人はどんな世界でも構わないけれど、残りの人は何を問われてもそうできないのだから、別のことを考えるしかない。

出世できる人にとって、有益な人になるという方法もある。

コーチングやトレーナーとなって、知識や経験を活かせるようになり、「出世」できる人の役に立つのだ。

その意味では、お金の管理や仕事の管理、営業なども知識や経験を活かせるだろう。

資格取得という罠

資格取得には、大きな罠が潜んでいる。

それは、「この勉強をしているのは無駄ではない」という慰め。

難関資格を取得することは、とても大変なことだ。

でも、「出世」とは違う。

やはり「資格取得」後に選ばれることが重要だ。

つまり、「出世」できる人になれたかどうか。

というのも、念願叶って取得した資格でも、すでにその世界には「出世」した人がいる。

そして、出世できなくて、知識や技術を使ってサポートに回った人もいる。

彼らに大きな違いがある訳ではない。

ただ「出世」できたかどうか。

新卒の段階で、いきなり「出世」してしまった人は、それが当たり前だと思うし、まだその周りにいる人も「運」とか「タイミング」で決まっていると思うだろう。

しかし、そう思っていたら、五年後も十年後もそう思って生きているだろう。

そして外れた人の中で勘のいい人は、次のステージへと進む。

つまり社会人としての作法を学び、そこで出世を狙うのだ。

そして中には夢を掴む人もいるし、やっぱり外れてしまってサポート役に回る人もいる。

そうやって段々と社会の中で出世できる人とできない人が作られて行く。

出世した人が100点満点だとしたら、出世できなくてサポート役に回りしっかりと役立つことで90点くらいに満足を掴むことができる。

しかもその満足は努力次第でコントロールできる。

逆を言えば、「出世」できた人の近くにいて、まだ「出世」できると思い込んで歳を重ねてしまった時が怖い。

出世した人が守ってくれたらいいけれど、なぜ出世したのかわからない世界で、出世した人が転んでしまうこともある。

つまり、それがサポート役に回った人たちが、社会の仕組みを作りルール化して、「出世」の不思議な現象を排除した時だ。

努力や勤勉さが唯一の評価とした時、「出世」という摩訶不思議な現象を排除したくなるのだ。

「アイツはたまたま選ばれただけ」

「オレはずっと頑張って来たんだ!」

「出世」の正体

経済の世界で売上は、原価よりも高い売価で成り立つ。

原価計算も大切だし、売価の設定も知識や技術、経験が必要だ。

でも、いい商品なのに売れないということが起きる。

そしてもっと低品質なのに、売れてしまう商品がある。

つまりこれが「出世」という摩訶不思議な現象。

理屈ではどうすることもできないし、無理に押さえつけてしまうと急に世界は狭くてつまらなくなってしまう。

コロナ禍で、多くのエンタメが制限された時に、我々は不満を感じつつも日常を暮らして来た。

才能など無くても生きられるし、エンタメのような楽しさも最小限でいいと思えた。

でも、いざ旅行ができて、人とも自由に会えるという日常に戻った時に、一般人とは異なる「才能豊かな人」の活躍で救われることがある。

心が満たされたり、明日も頑張れるという経験だ。

つまり、すべての人が「出世」することはできない。

でも、それは役割であり、縁だと思う。

選ばれた時は物事がどんどん進んで行くし、上手く行かない時はやっぱり巡り合わせが違う。

大きい小さいの違いはあっても、人生には何度かのチャンスがあって、それを掴んだ時に「出世」できる。

そして、その準備をしていなければ、残念だがチャンスを逃してしまう。

どこにチャンスが待っているのかわからないから、やっぱり「出世」は縁なんだろうなぁと思う。

「金運」はどうやれば上がるのか?という話

 初詣でおみくじを…

初詣に行きました。

実はその時にいつもとはちょっと違う感覚になりました。

というのも、今までなら「〇〇になりたい!」と願望ばかりを願っていました。

でも今年になって、「去年も元気に生きられてよかった」と思ったんです。

なぜって、自然災害も多いですし、年齢を考えれば病気やケガになる可能性も高くなっていて、ある意味で中高年は「生かされている」という意識がないといけないからです。

思い切り遊ぶなら悔いなく遊ぶ。働くなら真剣に仕事と向き合う。

そんな事を感じながら、時を過ごしたいと思いました。

おみくじで「大吉が出ること」以上に、初詣をして手を合わせられるという「今」にとても感謝しています。

「金運」を上げるには

ではなぜ「金運」を上げたいのでしょうか。

例えば10億円のお金を手にして、今まで我慢していた物欲を一気に解放させたら、もうそれ以上の暮らしはやってきません。

何なら、もう「努力する」という気持ちさえ失せてしまうでしょう。

お金を使い果たした時に、もう人格すら変わってしまっているので、そこからコツコツと働く生活に戻れるでしょうか。

そう考えると、安易に「金運」って上がらないようになっていると思うんです。

ではどんな時に「金運」が上がるのでしょうか。

それはきっと、「役に立つ」というキーワードに結びついた時でしょう。

「これができたら、みんなが喜んでくれる」ということなら、「お金」は最終的な目的ではなく、夢が叶う手段になります。

手に入れて使って終わりではなく、そこから夢が始まります。

きっとそんな流れができたら、「金運」も上がって来ると思うんです。

つまり、「金運」以外の努力をし尽くせば、あとは「金運」アップを願うだけ。

そこまで来たら、手を合わせてお願いしてもきっと話を聞いてくれると思うんです。

おみくじを引いて、例えば「凶」だったとしても、そこに「努力を尽くせ」と書かれてあれば、あと何が足りないのかも気づけます。

でもそんな過程もないままに「大吉」が出ても、それは「いい感じだよ」とやっぱり漠然と言われているに過ぎません。

何がどういい感じで、何が変わるのか?

まだまだそんな段階ではないので、きっとそんな風に声を掛けてくれたのでしょう。

夢を叶えて前に進みたいと思うなら、「多分ここを避けてはいけない」と思う面倒なことに気づくはずで、もしかすると今回は特に心配していることにならなかったとしても、それはまだ今の自分には荷が重くて回避してくれたのかもしれません。

何が起こっても、自身が納得できるくらい努力をし尽くしたら、あとはもう結果を待つだけです。

その時になって、初めて本当の結果が見えて、時にまだまだと跳ね除けられてしまうかもしれませんが、そのチャレンジを繰り返すことで先に進めるとも思います。

やはり、限られた「金運」を自分にも預けていいと思われるようにならないと、金運はやって来ません。

もう準備は万端ですか?

こみちはもう少し自分と向き合い、努力を重ねたいと思います。

昨年もいろんな意味でチャンスを与えてもらえ、少しずつですが成果を感じているので、今後も慢心しないで頑張りたいです。


50歳を迎えてからの生き方を考える話

 生きているという意味

もしかすると「生きていること」に何か意味があるのではないだろうか。

50歳を過ぎると、肉体的な衰えはもちろん、社会的にもゴールが見えて来る。

あれだけ会社での出世や業績、同僚との競争も段々と無意味に思えてしまう。

なぜなら、命が永年ではないし、定年後の人生を考えた時に、今までのまま生きていていいのかと考えてしまうからだ。

20代や30代のように、今の努力が後々に花を咲かせるということが想像できなくなった最近では、「今日」がとても大切に思えて、1年後、10年後は今日の延長線上にしか思えない。

アメリカの企業が、ゴーグルタイプの電子デバイスを発売するというニュースを見た。

つまり、パソコンをデスクに置いて扱うという従来の概念が変わるかもしれないという商品だ。

しかし、介護福祉士の有資格者でもあるこみちは、介護業界が一変するような商品ではないかとも思った。

つまり、ゴーグルを付けることで意識の疎通ができるなら、特別な装置がなくても言葉を話すない人や言語の違いによるコミュニケーションの壁を克服できると思ったからだ。

一見、寝ているように見える人でも、実は脳内では創作活動をしていて、その物語が作家として日の目を浴びることも起こり得る。

もっと言えば、時代を超えて、生きていた時代が重ならないのに、友人として信頼関係を築けたり、忘れることができないような思い出が作れたりするかもしれない。

もっともっと言えば、「人」という存在ではなくても、複合的に作り出された人造人間によって、孤独な老後を豊かにしてくれる時代が来るのかもしれない。

労働とは何か?

過去における労働は、貨幣を受け取る手段で、それが経済活動の一部になっていた。

しかし、機械によって多くの生産活動が行えるようになれば、人が働く意味は変わるだろう。

とは言え、仮想の未来ではなく、ふと目に入る木々と同じで、雨や風のような自然が彼らを生かしていて、彼らは降り注ぐ太陽を浴びて生きている。

つまり人間も生きている間は、太陽と共に生き続けるというだけのは話だ。

空腹は機械が作ってくれた「食事」で賄い、あとは特に何をするということもない。

テレビはai化されたタレントが流暢に笑い話を繰り返し、ai化された歌手が完璧な音階で歌うだろう。

プロになるために何かをするのではなく、「生きている」から我々は何かしている。

そんな時代になるのかもしれない。

我々が十代だった頃、例えば一流大学に合格すればバラ色の人生が待っていると思わなかっただろうか。

でもどうだろうか。

今の社会を見て、一流大学で学ぶことが全てではないと思うし、さっきも触れたがai が我々の生活の面倒なことを担ってしまう。

その中には「労働」も含まれて、趣味では得られなかった責任感や達成感まで奪ってしまう。

だからいつも、趣味として楽しむしかできなくて、できなくてもaiが「大丈夫ですよ」と優しく声を掛けてくれる。

でもこれって介護施設での介護士の振る舞いと似ていて、利用者にとって心地よいと思うか、どこか寂しいと思うか、意義と議論されていないように思う。

価値や達成感が認められる趣味を見つけるのは難しい。

意外と働くことってそれが見えやすいからだ。

50歳をす過ぎると、段々と社会から役割を失っていると感じる世代になり、これからどう生きるのかを改めて考えることが増えてきた。

人生の「成功者」とは何者なのかという話

 中高年の成功者たち

こみちと同年代、若しくはもう少し上の世代の成功者たちが、何かのキッカケでそれまでの信頼を失い、それを待っていた何者かによってさらに裏の顔を暴かれたりする。

そもそも「成功者」とは何をした人だろうか。

スポーツにおいて、例えばオリンピック選手が金メダルを取って、その後の人生が約束されるものだろうか。

もちろん、その競技に関わる人々の間では偉大な結果を残した人と認識されるとは思うけれど。

個人競技だとしても、監督やトレーナー、仲間の競技者など、多くの人との関わりがあって結果に到達しているはずで、全くの一人で大きな結果が残せるような競技はオリンピック種目にはないのではないだろうか。

つまり、世間的には「金メダルリスト」と思われる人物でも、その業界ではまた異なる評価があって、素晴らしい部分も苦手にしていたことも、全部含めてよく周知されていると思う。

では、確かにある選手が獲得した「メダル」でさえ、関係者のサポートがなければ成し遂げられなかったことだとするなら、「成功者」とは誰を指すのだろうか。

確かに選手としての才能があったのは事実だとしても、それだけでは結果に結びついていないとするなら、没頭できる環境やサポートが受けられることのあるなしによっては「成功者」が変わっていたとも考えられる。

最も、支援されたことまで含めて「才能」と呼ぶのかもしれないが…。

冒頭で触れた中高年の成功者たちに何が起こっているのかと考えた時に、確かに才能に秀でた人物ではあるけれど、どんなタイミングでもどんな環境だったとしても、今と変わらないだけの成功者になっていたのかは誰にも分からない話で、もしかすると同年代に惜しくも結果を残せないで去ってしまった人の中に「成功者」になれた人物がいたのかもしれない。

だからこそ、成功者がその成功の理由を忘れた時に、「驕り」が生まれるのではないだろうか。

「これくらいなら…」

確かに世の中は不思議なもので、努力しても結果にならないことが多いけれど、成功者のミスや失敗が一回でその失墜にはならないこともある。

一度作りあげられた「実績」とは、それだけ大きなもので、だから他の人の運命も変えられてしまう。

成功者になっていたら、どんなに豊かな生活ができていただろうか。

そんな風に思う時もあるけれど、でも成功者にはそれだけ大きな期待と役割があって、何らかタイミングで失墜してしまえば、今度は努力しても元のポジションに戻れなくて、でも成功者だったという目立ち方だけはいつまでも世間に残ったままで、淡々と目立たなく生きて来た人以上に、晩年は想像もしていなかった人生を送るのかもしれない。

夢があって、それに向かって毎日を頑張っている時の方が実は幸せで、成功者になって何不自由ない暮らしを手に入れてしまったら、そこに驕りはないかと律して生きることが求められる。

慢心したら、どこかで恩も忘れて、いつの間にか一人で大きくなったつまりで振る舞ってしまう。

誰もそんな振る舞いに注意もしてくれないから、段々と気づかない内に他人が遠ざかってしまう。

だからこそ、謙虚さを失ってからの失墜は、人生が一変するのだろう。



大人の助言は正しいのか? 自分の人生をどう生きるべきか

 才能は誰にでも無限にある!

才能はどんな人にもあって、それはその人だけの唯一のもの。

だから、自分を卑下する必要は全くありません。

絵を描くこととランニングに夢中なだけのこみちに言われても、また大人が分かったフリをして言っていると言われてしまうでしょう。

正直にいえば、卑下してもいいですし、しなくてもいいと思うんです。

ポイントは、今生きている自分の人生を「完成版」と考えるか「お試し版」と考えるのかです。

才能が誰にでもあって、それが無限の可能秘めているのは間違いないと思います。

しかしちょっと考えてみてください。

例えば、料理を作るのが物凄く上手な人がいて、飲食業界で働いていなかったら、その才能ってどれだけ発揮できるでしょうか。

もちろん、料理は生きることと密接なので、いろんな場面で活かされることなので、全くその才能を活かせないとは思いません。

しかし、才能は才能単体では活躍できなくて、その環境づくりがポイントです。

つまり、それぞれにある才能も、環境をどう作るのかで差になるということです。

なぜ、大人は同じことを言うのか?

例えば、勉強しろと大人は言います。

その目的や根拠、キッカケは違っていても、同じことを言います。

理由はとても簡単で、誰もが持ついろんな才能を発揮させるために「勉強」が簡単で効果的だったと長く生きる中で分かって来るからです。

才能は才能単体では役に立たず、環境づくりが大切だといいました。

しかしその環境づくりが、ものすごく運とかコネとか、お金とか年齢とか、タイミングによって当たり外れが出てしまいます。

同じ能力や才能でも、今日ならダメなのに、明日ならいいということが世間ではよく起こります。

しかし試験のような類いは、合格にあたいする得点を取れば誰もが合格と判断されます。

つまり、自分の頑張りでどうにでもなるということ。

でも世間で才能を開花させるには、自分だけではコントロールできないことがあまりにも多く、他人の成功談も役には立ちません。

そのことに大人は気づいて来るんです。

だから、若い人が大人の進める道を拒んでも、実はその大人も若い頃には同じように思っていて、自力で成功したいと思っていたはずです。

しかしながら、先にも言いましたが、努力や才能が認められるのは自分の力だけではありません。

そうだとするなら、先ずは社会の中で自分が安心できるポジションをキープして、その残りで趣味や生き甲斐を見つけても悪くないのではないかと思い始めます。

努力しても全く見向きもされない経験が続けば、そう思っても分かる話でしょう。

5年、10年、中にはいつか叶うと信じて努力や我慢を続けて、段々と老いて来た時に、ふと「若い頃に勉強しておけば」と漠然と思うのです。

勉強はした分だけ役立つますから。

もう一つ、努力や才能に賭けた人生は、どんどん若い世代にチャンスが移っていきます。

歳を重ねて来ると、続けることにも焦りが増して、もしも若いころに戻れるなら、別の生き方を選んでいたという人が増えて来ます。

人生は一回しかないから「完成版」ではなく、「お試し版」だと思って、上手く行かないことも全部楽しむつもりなら、夢に生きるという選択肢も悪くありません。

でも、目の前にある自販機でジュースを買いたいなと思っても、財布に余裕がなければ我慢するしかありません。

買ったから幸せということでもありませんが、それが小さな幸せというもので、大きな幸せは多くの犠牲を払うもの。

だから、夢や才能に賭けた人生は、自分で期限を決めて頑張ってみるのがオススメです。

3年だけとか30歳までとか、学生時代だけのように。

大人たちも、夢を諦めたかった訳ではなくて、歳を重ねて段々と当時の大人たちが言っていた言葉を使うようになったんです。

同じ職場で何十年も働くのって

退屈に思えるかもしれませんが、その「我慢」が才能なんです。

「誰にもできないこと」が、同じ職場に勤め続けることだったんです。

誰にもできないことって、実は逆なんですね。

自分にしかできないことを探すとは、一周まわると一番地味で堅実な生き方を続けることだったりします。

特にその生き方が社会からの信頼を得て、次の夢に繋がることがあるからです。


久しぶりの家族でクリスマスパーティー!?

 クリスマスだからと思ったけれど

最近、家族そろって夕飯を食べることもなくなっていた。

理由は簡単で一緒に食べても楽しくないから。

それくらい家族間の関係は冷え切っている。

でも、せっかくのクリスマスだからと食卓を囲んだ。

すぐに父親はみんなを待たずにテーブルの料理に手を伸ばす。

ああ、何も変わっていないと思ってしまう。

さらに母親の口から、「この料理、お父さんの奢りだから」と。

働いていない年金暮らしの父親が、数千円のお金を出してくれた。

これから介護が始まれば、お金以外にもいろんな労力が無制限に駆り出される。

一回切りの数千円。

母親がそう言った時に、父親も黙っていなくて「お金の話はするな」とでも言えばまだ理解しているんだと思える。

でもそれを否定もしないでいる父親と日々の生活費を誰が出しているのか理解して欲しい。

これまで実家として何十万円と大きな出費が必要になった時に、父親に支払いの意識を尋ねても無言を貫いて一円も出さなかった。

都合よく大黒柱だと担ぐのも、もういい加減にして欲しい。

母親にしても朝言っていた話はどこへやらで、夕方には話が変わっている。

「いいよね!?」

いつもと同じクリスマスパーティーで、そこに目新しいことも新たな夢もなかった。

ある意味、それだけ家族が煮詰まってしまっているということだろう。

むしろ、来年を迎えることがこんなにも心配なことはない。

『悪習』は治らない!?のかという話

 『悪習』は治らない!?

実は昨晩、母親が「腰でも痛めたら寝た切りになってしまう」と言い出しました。

脊柱管狭窄という背骨の病気を持つ母親なので、重い荷物を持つことに心配があるのかと耳を傾けたのです。

するとどうやら明日、灯油を20リットル、2本分父親が買って来るのですが、それを車から自宅の庭まで運ぶ段取りの話でした。

もしも父親が重い灯油の入ったポリタンクを運んで、腰でも痛めたら寝た切りになると心配する母親は、そんな大変な作業をさせたくないと家族の前で言ったのです。

重い灯油を買うのは大変だという話は数年前にもあって、それで首振りもできるスタンド式の電気ストーブを購入し、その年はリビングでも使っていました。

いつからかそのストーブは使われなくなり、いつからか石油ファンヒーターに戻ったのです。

その頃から多分、父親が灯油を買いに行って、タンクに無くなると補充してくれていたのでしょう。

こみちも使う時に空になったら、自動で止まるポンプを使ってタンクに灯油を入れています。

リビングにはエアコンもあるし、石油ファンヒーターでなければいけない理由はありません。

コストという面で比較すると、石油ファンヒーターの方が得なのかもしれませんが、週に一回でも車の給油ついでに灯油を買って来るのはなかなか大変です。

だからこそ、すぐに温まりたい時は電気ストーブを使い、長い時間はエアコンで補うということを話合って決めたのでした。

でも両親の理解は、トータルで継続しやすい方法ではなく、実際の出費を比べて『灯油』という選択肢を選んでいます。

そこまではこみちも自主性だと思うので、今まで何も言って来ませんでした。

「寝た切りになってしまう!」のは誰?

寝た切りになるかもしれないと心配しているのは、てっきり母親のことだと思って来ました。

しかし、どうやら父親のことだったみたいです。

両親にとって「灯油を買う」ということが、唯一の選択肢になっていて、例えば20リットルではなく18リットルにすれば、少しでも運ぶ時の重さが減らせます。

ところが、父親に言われせれば非効率だというのです。

でもできないならできる方法で考えるしかないし、そもそも灯油を買うことが無理なら、家の前まで専用車で回っている業者もいます。

もちろん少し割高ですが、家の庭先まで運んでくれるので、「灯油を買う」という目的は果たせます。

でも「損」はしたくない。

両親の目的は、こみちか妻に灯油を担当させたいのです。

そうすれば、父親は腰を痛めることもなく寝た切りにならないと。

じゃあ、女性である妻が重いタンクを運んで腰を痛めたら誰が責任を取ってくれるのでしょうか。

その辺りは両親もしたたかで、「こみち」を担当にしたいのでしょう。

そうだとしても、父親の場合、水仕事は赤切れになるからと基本的にNGで、どうにか自分の茶碗だけは洗っているようです。

米さえ研ぎません。

風呂場の掃除担当でしたが、それだって守っていなくて、妻や母親が時々しているのを見ます。

こみちにすれば、できるかどうかが問題ではなく、一方的に自分たちの主張だけは譲ろうとしない両親のやり方に不満があります。

その後、父親が灯油の担当を継続することになりました。

というか、こみちとしては譲れないですし、それこそ全面的な介護になった時を考えると、一方的な希望が叶わないことを今から理解しておくべきです。

そして、希望しても叶わないことに対して、自分たちが何をどう準備して行って行くのかを夫婦で話し合うことでしょう。

そんな手間を一切省いて、全て依存して来るから、こみちも簡単に承諾したくありません。

よく見れば見るほど、両親が先送りにしてことが見つかります。

灯油の件で派生したリビングのエアコンも、両親は一度も掃除したことがなく、使おうと思っても本体がホコリで汚れていました。

一年中、リビングを陣取り、朝から晩までテレビを観ている父親ですが、じゃあ自身のためにとエアコンの掃除をしているのかというとそうではありません。

介護がそれだけ始まっているというとそうなのですが、現実はどんなに歳を重ねても自分はまだまだ大丈夫という意識が抜けません。

それは、できるかどうかということだけではなく、事前にしっかりと予定を立てて準備するという習慣を持つことが問われているのですが、両親の場合はやはり気づかない間に制限された生き方の中で生きていて、でも以前までの暮らしから意識を変えることもできなくなっています。

正直、年金生活者になった父親は、どこかのタイミングで寝た切りになったとしても、それは家族としてどうすることも出来ません。

自宅で誰かがオムツ交換するのか、施設に行くのかという選択肢はあっても、生活の大半を父親は母親に依存している状況で、逆に母親に何か問題が起こった時の方が家族としては大変です。

現実として父親が母親の世話をすることは難しく、でも今の生活でもいろいろとすることでそんな状況にも対応できるようになるのですが、母親の考えは「父親が寝た切りになってしまう」ということを心配するあまり、父親に重いものを持たせたくないし、水仕事であかぎれしてしまうのも心配しているようです。

繰り返しになりますが、夫婦間で心配して寄り添うことは悪いことではないと思います。

互いに補って生きることも夫婦の目的だと思うからです。

でも、夫婦の理想を追うために、子どものその負担を負わせるとなると、ちょっとそれはよく考えるべきで、本当にどうしても避けられないことなのかという疑問が残ります。

アレもダメ。コレもダメ。

そう言い出せば、何事も危険や心配ごとはあります。

だからと言って、それを避けて生きることはできません。

まして、希望を貫こうとするあまり、家族での話し合いもしないで、一方的に義務化するのは親であってもちょっと違うのではないかと思うのです。



父親が薬を飲めずにもたもたしている

 昨晩のこと

先に食事を済ませた父親が、いつものようにリビングのテレビの前を陣取り、海外ドラマを観入っています。

音量がどうしても大きくなりがちで、こみちたち夫婦で食事をしていても、その音声は会話を遮るくらい目障りです。

何度も言っても、「過去の習慣を変えることができない」のが老いだと思っています。

「できなくなってしまった」ということの多くには、その前兆があって、改善は難しくても症状の悪化を遅らせる方法ならあったりするものです。

こみち自身は、朝のランニングを始めて約10ヶ月が経過しました。

今朝も5キロ走って来たのですが、その時の外気温は「0度」。

手袋をしていないと、指先がかなり冷たくなります。

今日から走ろうと思った人が、そんな外の寒さを知ったら、走るのを躊躇うかもしれません。

もう少し日が昇って、暖かくなってからと考えるでしょう。

つまり、何かする時に、そうやってできる時もありますが、逆に冷たい朝でも走るのか、もしくは走らないかという選択肢になることもあります。

高齢になると、できない理由を探すことは簡単です。

つまり、「仕方ない」と言い出せば、どんな習慣も変えることができません。

特にそれが先の見えないような悪習だったとしても。

父親は夜に飲むべき薬が分からなくなったようです。

事前に薬をもらって来ると、朝昼晩と薬を分けで置いて、その時々に服用しているのですが、混ざってしまったのか、10分経っても薬をイジるばかりで飲めずにいます。

その原因の1つが、テレビ番組を観ているからです。

テレビがついていると、画面を見ることにハマって、何もしなくなってしまいます。

時に母親に「茶碗くらい洗って」と言われて、「テレビを観ているんだ!」と怒り出すくらいの勢いです。

「テレビを観ている」ではなく、「テレビが観たいから後でも良いか?」と聞ければまだ違います。

でも、段々と時間的な認識が「今」だけになって、するかしないかという判断になりがちです。

明日はコレとアレをしなければいけない。

そんな生き方が今の父親にはできません。

まして当日に別の用事が増えたりすると、元々の予定を飛ばしてしまうこともあります。

「何でしていないの?」

それが家族みんなに影響するようなことでも、ことの重大さで判断できないので、するかしないでしか考えられません。

年末だと言うのに、父親の背中を見ているとため息しかありません。

「できないということ」ではなく、「何も変わってくれない」ということに辛くなってしまいます。


人付き合いが得意になれない

 得意になれなくてもいい

両親との同居を始めて、どれくらいの年月が経つだろうか。

理解したいと思った時期もあったけれど、もうそんな気持ちはなくなった。

今は距離をおいて、できるだけ関わらないで、それぞれが生きられたらと思うようになった。

「これだけはやめてほしい」

そんな願いさえ、1つも守ってくれない。

「なんでなの?」

関わりたくないと思ってからでも、嫌なことをされた時には、そんな風に理由を聞いたこともあった。

でも返って来るのは、いつも同じ。

母親はど天然だ。

こみちも天然だと人に言われるけれど、それが嫌で仕方ない。

なぜって、状況や立場を無視した行動をする母親を見て、本当に合わないから。

嫌なことだと教えても、母親なりの理由で全て行動する。

「使わないでと言ったよね!?」

「だってあるんだもん」

問いに対する答えになっていない。

こみちの問い掛けが何だったとしても、母親の返事は「あるんだもん」なのだ。

見えるところにある限り、手に取った限りは好きにする。

つまり、こちらの気持ちやお願いは受け入れてもらえない。

父親は短気な性格で、でも根っこは我慢強い。

忍耐力があるということではなく、誰かが嫌なことでも「やり遂げるしかない」という状況で、絶対に手を挙げられないタイプだ。

誰だって嫌に決まっているけれど、それをしないともっと後で面倒なことになると思うから、みんな渋々でも腰を上げる。

でもそんな時に、父親が助けてくれたという記憶は一切ない。

本当に苦しい時も、心の底から助けて欲しかった時も、父親は一度も動いてはくれなかった。

妻が両手いっぱいの荷物を提げて、家の玄関でつまづいて転んだことがあったらしい。

膝を擦りむいて、大きな声も出して、それはとても大変なことだったという。

何事かと父親が来て、たおれてた時に散乱した荷物が地面に散らばっていたのに、そのまま家に戻って行ったと。

妻は「大丈夫?」というひと言が欲しかったと振り返る。

転倒してそうだから、もっと必要な時だって父親は行動しないだろう。

こみち、そんな父親の行動を否定しているわけじゃない。

「人は一人なんだ」という考え方だってあると思うから。

でも、父親とは上手く寄り添えないと思うのは、「優しくされること」も断ろうとしないこと。

みんながそこに居て、一人食べるものがなくて、そんな状況で何か可哀想と食べ物を分けたとして、その後にお返しすることもしなければ、みんなから見える場所にいない努力もしない。

みんなも頑張って少ない食べ物を持っている時でさえ、何も持たずにそこでジッと座っている。

そんな時に母親は「可哀想でしょ!」といい、自分の食べ物ではなく、こみちたちの分さえ勝手に分け与えてしまう。

辛さはこみちたちも背負うのに、「良かったね」と父親に言うのは母親だ。

一日中テレビを見て、誰かが作った食事を当たり前のように食べる。

しかも遠慮する訳でもなく、時に一番先に食べ始めるのだから理解に苦しむ。


人を嫌いになる時

 好きか嫌いか

人を好きになるのも、嫌いになるのも似ている。

「〇〇さんをどう思いますか?」という時に考えて出した「好き」も「嫌い」も実はまだ本当の気持ちではない。

この先に何かあって、その人を全く違う目で見られるかもしれないからだ。

でも、こみちがここで話す「嫌いになる時」というのは、もっと揺るがない感情を超えて生理的に起こった状況を指す。

もう一度やり直すとか、話し合いで解決するとか、それはみんな感情の範囲で解決できることに過ぎない。

できることなら、同じ空間に居たくないし、姿や声も聞きたくない。

それくらいになってしまうと、やり直すことそのものがキツくて辛くて、気持ちが壊れるほど負担でしかない。

人生が80年だとして、人はこの世の一部を体験することしかできない。

好きなことや意味のあることだけを巡ったとしても、その全部を経験することは難しい。

だからこそ、映画や小説などを通じて、自分が選ばなかった人生に身を置き換えて、擬似体験することで学ぶのだと思う。

なのに、もう気持ちが離れて、向き合うことが重くなったことに、何年も何十年も時間を費やす意味ってあるだろうか。

いきなり嫌いになったのではない。

段々と嫌いな気持ち芽生えて、でも解決もできなくて、あるタイミングで感情の域を超えて「嫌い」になってしまった。

自分で考えている時は、「次回は笑顔で挨拶してみよう!」なんて思ったりもした。

でも、直面したら顔がこわばっている。

その場から一刻も早く逃げたい一心だ。

もう少し訳ないと思うけれど、こみちには荷が重過ぎた。

そして、もう向き合うことは難しい。

もう心を壊したくはないし、あそこから立ち直るまでにどれだけたくさんの涙を流したのか分からない。

「そうだったの?」

逆に今さら、気づいた振りをされても、それまでにも何度もシグナルを出して、話し合いをして解決したいとも思って来た。

でもそれらが全て無駄になり、もう策も尽きてこみちは落胆し、最後は心も壊した。

あの行き場もなく大変だった時に何もしてくれず、もう今になって近づいて来られても、それはもう勘弁してくださいとしか言えない。

「その存在を意識から消す」ことでしか解決できなかったから、嫌いになった。


老いていく家族

 叔母の入所する介護施設から

先日、叔母の入所している介護施設から連絡を受けた。

施設内を歩行中に転倒し、腕を骨折したという知らせだった。

その電話を父親が聞いたらしく、母親を通してこみちも知った。

介護士経験もあるこみちからすると、利用者の転倒を完全に防止することは残念ながら不可能だと思う。

幸いにして、こみちが勤務している時に転倒させて骨折させたという事故は起こさなかった。

でも、勤務中に転倒事故が起きたという話は何度か耳にしたことがある。

特にまだ自由に歩くことができる利用者の場合、その場でじっとしているのではないから、片時も目を離さないということは難しい。

高齢者の場合、転倒によって歩行が制限され日常的に車いすを使うことになると、そこに大きな問題が生じる。

早めに歩けるように促すことをしないと、そのまま歩行力が低下し、その後は歩けないことが起きる。

歩けなくなるとトイレにも行けなくなるから、オムツを使って介護を受けることになる。

行動範囲が狭まると、それに応じて記憶力や思考力も変化して、段階と活動力が落ちて行く。

実際、日常的に歩いていた利用者が、何かのタイミングで転倒し、骨折もして、ベッドでの生活が増えたケースで、そのまま寝たきりになってしまったということがあって、食事量も減り約1ヶ月程度の早さで亡くなってしまった。

それくらい、転倒事故というのは、骨折の有無だけでなく、それまでの生活を一変させてしまうきっかけになり得る。

無理だと思ってしまっているのか?

最近、両親を見ていて、以前と変わらないと思う部分と、ちょっと変わってしまったと感じる部分が見られる。

「思い込み」が行動を制限してしまうことがあって、例えば「油は体に悪い」と思っている母親は、冷凍のポテトを全く揚げなくなった。

その代わり、スーパーでフライを買って来る頻度が増していて、また自宅でも油を何度も使い回ししている。

先日も、皿に盛られたポテトが料理として出されて、一本食べたけれど「ん?」と思ってしまった。

母親から料理を全て奪うことはできない。

でも、折角作ってくれるなら、もう少し食べられるものであって欲しい。

事実、母親の手料理が食卓に出されて、そのまま何日も冷蔵庫に入ってしまうことは増えた。

母親だけのことではなくて、もっと範囲を広げると、父親は基本的に以前と変わらずテレビを見ているだけで、たまに思いついたように掃除機を掛けたりしている。

週に一回というペースでもないようで、やりたい時にやりたい場所だけ掃除しているような感じに見える。

例えば、父親がカレーライスを作れたら、週に一回でも夕飯を任せられる。

家族四人の4皿分だから、じゃがいも2、3個とにんじん、玉ねぎを適当に切って煮てしまえばあとはルーを溶かせばいい。

作業としては15分、煮る時間を合わせても1時間は掛からないだろう。

しかし、できるかどうかを考える以前に、父親は面倒だと思っているだろうし、何なら食べないと言い出すだろう。

でも全く食べないを貫くならいいけれど、その発言の根拠は「他にも食べものが冷蔵庫にある」という意識がそうさせている。

今さら、父親に料理しても欲しいと思っている訳ではなくて、むしろ家族関係がこれ以上に悪化しないように個々でも考えて欲しい。

しかし、両親にすれば「こみちは怒っている」とか、「理解してくれない」とか、自己肯定があって、そこから話が始まる。

ちょっと気になったのは、叔母の件で連絡を受けても、施設に面会しようという話がないことだ。

母親に至っては、「骨折しただけみたいで、手術は必要ないから良かった」で自己解決してしまっている。

コロナ禍という事情もあって、控えていたはずなのに、いざそれが落ち着いても行動する気配は見られない。

確かに、完全に治まっているとは言えないし、自身も介護施設を訪ねることを避けたい場所なのだろう。

三度の食事をする以外、特に役割も持たない父親などにしては、介護施設で暮らしても生活に何も違いは起こらない。

でも、母親から離れて暮らしたくはないだろうし、どんな状況であっても家族といたいと思っているのだろう。

もう12月も中盤で、これからクリスマスがあって大晦日、お正月と続く。

確かに叔母とは日ごろから関わっていた関係ではないけれど、父親にとっては大切な妹に変わりない。

自身が暖かい場所で、ケーキやお餅を食べている時に、妹の顔を思い出したりしないのだろうか。

こみちに相談し難いとしても、母親には本音を打ち明けることはできるだろうし、妻を通じて家族でスケジュールを立てることもできる。

車を出すことを気にする気持ちがあるなら、食事の一回くらい作って欲しいし、後悔するくらいなら頭を下げることになっても叔母の顔を見に行く人でいて欲しい。

「連れて行こうか?」

そんな段取りをこちらから提供しない限り、自分からは何も行動しない両親。

叔母に対してということではなく、その振る舞いが自身のこの先の介護にもなると分からないのだろうか。

「自分だけ」という部分ばかりが増えて、不満を言うか黙り込むことの繰り返しになっている両親といると、やはり気持ちは萎えてしまう。




webライターで生きるのは難しい!?という話

 数年前までなら

webライターという仕事は、それまでのライターとは別の職種として出会いました。

ライター仕事は、多くの場合、現地取材やインタビューのような「情報を仕入れる」ことから始まります。

あるお店の紹介記事を依頼されると、先ずは取材先に連絡をしてカメラ持参で聞き取りさせてもらいます。

「記事」とは、あくまでもそんな一連の流れから見つけられた結果であって、ライティングは「まとめ作業」に過ぎません。

当時、と言っても数十年も昔ですが、新人ライターでも400字詰め原稿用紙1枚の記事を書くと1000円くらいの報酬だったと思います。

一般的にwebライターでいう1文字換算の指標にすると2円以上です。

一方で、昨今のwebライターがどれだけの単価で仕事を受けているのでしょうか。

無名で未経験のライターの場合、時に1文字あたり0.2円前後というケースも珍しくありません。

仕事として一日中タイピングして、1日で打ち込める文字数はどれくらいでしょうか。

こみちなら3万文字くらい、つまり報酬額は6000円程度です。

しかも、全ての記事が「承認」されるとは限らないので、時に書いた文章がごっそりと稼ぎにならないこともあります。

それ故に、webライターとして成功するには、タイピングスピードと承認されるレベルの内容が求められました。

業界で「名前を売る」

それっぽい内容の記事を、どんなジャンルでも書ける器用なwebライターも少なくありません。

webライターとして活躍できる人なら、必須のスキルなのでしょう。

しかし特定のジャンルに絞ることで、より深い知識と考察から有益な記事が生まれます。

ネット上で集めた情報は、広く知るには適していても、実際には重さや大きさなど、目の当たりにしてみないと気づけないこともたくさんあって、ある意味でライターとしての個性が発揮できる部分です。

コンセプトから練り込んで作った商品は、無理矢理頭を捻らなくても、そこにしっかりとしたストーリーがあって、どこをどう売り出したいのかがとても明確です。

一方で、寄せた商品は、基準となる商品と比較することで価値が見えて来るので、売り込めるポイントがどうしても限られてしまいます。

動きさえすれば良いという商品ほど、それ以外の魅力を後付けすると、文章はどうしても安っぽく見えてしまいます。

これはライターとしての評価にも言えて、業界で「名を売る」ことで、相手からも期待され、ライター側もそれまでの経験や知識を提案でき、より良いものを作る関係が築けます。

「とにかく販促効果の高い記事にして欲しい!」

そんな唐突過ぎる依頼は、本来ならあり得ません。

なぜなら、手塩にかけて商品化したものほど、そこまでの苦労や発見も多く、開発者にインタビューでもしたものなら話が尽きないでしょう。

その全部を記事に載せられないので、「今回はどこを推していくのか?」という部分が記事ではポイントになります。

つまり、良い文章を書きたいと思っても、日本語としての正確さは勉強できるとしても、ライターとして活躍するには相手企業との信頼が不可欠です。

相互に経験や知識を持ち寄れることで、新たな発見に繋がると思うからです。

言えば、このライターの記事であれば、その記事の内容はこれくらい信用できると読者に認められることで、実は記事としての価値が決まります。

どこの誰がどんな目的で書いたのかさえ分からない記事では、仮に良いことがたくさん書いてあってもそのままでは読者も鵜呑みにはできません。

webライターという仕事は、ライティングで稼ぐことができますが、そこからもう一歩先に進むと一気にハードルが上がってしまいます。

そこには「専門性」とか「評価」が付いて回るからです。

個人的な見解ですが、どんな業界であっても、その業界に5年から10年くらいの経験がないと、表面的なことは分かってもその先にある「核心部分」まで到達できません。

こみちは介護福祉士の有資格者ですが、介護保険制度の簡単な説明はできても、業界が抱える共通の悩みや介護施設での現状を下調べもしないで紹介することはできません。

まして、介護士として働いたことも、介護に触れたこともないライターが記事を依頼されても、介護が本当にどう大変なのかを理解するにはそれなりの時間が必要です。

もしも依頼された文字数に合わせて時間内で書き上げるとするなら、その記事を読んだ読者にどんな有益さが期待できるでしょうか。

結局、webライターも従来のライターも行き着く所は同じで、そのライターにお願いすると、どんな視点で情報を集めて、それをどんな感じで記事にまとめてくれるかを業界で知ってもらうことでしょう。

話は脱線するけれど

こみち自身、ライティングではない仕事を請け負っています。

ここだけの話ですが、その仕事内容に関して、以前から改善点がいくつもあって、請負という立場の歯痒さを感じます。

もちろん、こみちの提案で改善できるとは限りませんし、同じようなことを既に試した結果なのかもしれません。

何が言いたいのかというと、ライターとして記事を書くという行為は、時に歯痒さや不甲斐ない気持ちとの葛藤でしょう。

その中で、求められる記事を書き続けることの難しさがあって、言い換えるとライター志望の全ての人に向いているとは限りませんし、もしかするとライターとしてではなく、その業界の一員として活躍できるタイプかもしれません。

どっしりと腰を据えて考えると、ライターという仕事がとても難しい仕事だと分かります。

物やサービスをどういう視点から見て、どう良さを伝えられるのか、でも時に個人としては魅力的に思えない内容ということも起こります。

「安い」でも本質的には満足度は低い。

安くて、パワフルで、持ち運びにも便利。

ありがちな言葉ばかりを並べてしまうことに、段々と書く気力が削がれます。

仕事だから疑問に思わないようにするか、それとも業界での評価を上げて、期待される仕事を目指すか。

でも、ライターに限らず、どんな職種でも同じような葛藤に中で頑張っています。

常々思いますが、一生涯を賭けて続けられる仕事に出会えたら、どれだけ幸せでしょう。

苦労だとしても、その経験がいつかどんな形でも活かされるでしょうから、厳しい努力も報われます。

でも、評価はおろか、仕事そのものがなくなってしまうような環境では、思うように未来ばかり考えてもいられません。

先ずは努力するだけの価値ある環境を探してみることでしょう。

多くの場合、そんな環境は競争率も高いもので、希望すれば叶う場所ではありません。

だからこそ、小さな規模や制限のある環境でも、そこで先ずはしっかりと結果や手ごたえを感じて、より良い経験にすることです。

特にwebライターに限っては、近年のAI技術の躍進により、もう人間では勝てないほどの高速なライティングが可能になっています。

つまりそれだけ、「無名」のライターでは勝ち目がなくて、業界内でしっかりと頼られる人材として認知されることでしょう。

そのためには、「書くこと」だけではなく、専門性やそれに類する経験を持って他のライターとの違いを見いだすことです。

ライターという職業が、この先も生き残るためには、「書くこと」に趣きを置くのではなく、「誰の記事なのか?」で勝負できることでしょう。




初めて作った麻婆豆腐の話

 「味覇」を使い始めて

昔から料理を作ることが苦ではありません。

なので、時間があるなら手間が関わらないレンチンではなく、材料を切って焼いたり煮たりすることも嫌いではないんです。

カレーライスや野菜炒め、唐揚げや焼き魚、煮魚も作ります。

最近では、チェダーチーズを使うカルボナーラ作りにハマって、短期間に数回、作って食べました。

ペペロンチーノなら冷凍品で美味しいものもありますが、残念ながらカルボナーラに関しては冷凍品が作ったものと同じくらいには感じたことがありません。

玉子料理と冷凍の相性がまだ良くないからだと思うのですが、そんな時も材料さえあればカルボナーラをいきなり作り始めることも珍しくない話です。

そんなこみちが今、特に気に入っているのが「味覇」という中華の調味料で、例えばその調味料を加えるだけで店で食べるような炒飯ができます。

また、味覇で中華スープも作れますが、とても簡単ですが美味しいです。

そして、甜麺醤と豆板醤、さらに味覇で初めて麻婆豆腐を一から作りました。

今までは豆腐を加えるだけで作れる丸美屋の商品を使っていましたが、レシピを調べると割と簡単に作れるみたいだったので、初めて作りました。

油をフライパンに敷き、豚ミンチを炒めて、さらにニンニクや豆板醤、甜麺醤、味覇などを加えて辛めの具を作ります。

そこに水を加えて一煮立ちしたらみじん切りしたネギを投入し軽く煮込みます。

そして、最後に豆腐を加え、片栗粉でとろみをつけると完成します。

正確に時間は計っていませんが、多分、15分とか20分くらいで作れたはずです。

それくらい簡単にできるので、機会があればぜひ一度、作ってみてはいかがでしょうか。

2023年も師走を迎えて

 もうそろそろいいのではないだろうか?

両親との同居は、誰もが想像するように簡単なことではない。

なぜなら、子供世代も世間的には大人として自立した立場で、もちろん両親はそれ以前から自立して生きていた。

日々の食事に関しても、簡単に惣菜や冷食で済ませて、浮いた時間で趣味などに費やす生き方があって、一方では食事こそしっかりと手の込んだものを口にしたいという生き方もある。

どちらが正しいということではなく、どう生きるのか、どう生きるために何にこだわり、それに向けた生き方を続けて来たのかということだろう。

父親や母親の生き方とこみちの望む生き方は全く違う。

でも、人は老いていくもの。助けられて生きるもの。

だと当然に思って生きるのはちょっと違う。

最近の高齢者はひと昔よりも若々しく、でも70代の10年間はとても大切な時期だと言える。

1つには、60代の生活と80代の生活はいろんな面でかなり違って来る。

60代はそれこそ40代からの生き方を続けることもできなくはない。

しかし、80代は70代の続きではなく、90代以降の生活の始まりでもある。

介護士時代、施設で関われた利用者たちも、70代はまだまだ若く、80代90代は個人によってその雰囲気が大きく変化する。

施設では90代や100歳を迎えても元気な人が多く、しかも笑顔に溢れていたりする。

しかし一方では、かつての生活スタイルではなく、施設の提案するスケジュールに沿って日々の暮らしがある。

食事も洗濯も、掃除もしなくていい。

買い物さえしなくていいから、目が覚めて身支度したら、時間をみて朝食を食べるという流れだ。

上げ膳据え膳で、食器洗いさえしなくていいから、食べた後はフロアでゆっくりとテレビを観ててもいいし、自室に戻って趣味に時間を費やしてもいい。

しかし、現実的な話をすれば、そんな施設での生活も、一般的には月額10万円前後必要で、今の住まいに近い施設を探すとなれば、都内なら20万円以上は用意したい。

年金にしろ、預貯金にしろ、経済的な準備がなければ、施設入所も選択肢には入らない。

もちろん、環境によっては国や自治体からの支援を受けることもできるけれど、そのハードルは低いものとは言えない。

両親共に80代を迎える時期が近づき、やはり気になるのはこの10年を過ごしたのかということ。

親の生き方を責めたいのではなく、こみち自身も決して行末が見据えてはいないからこそ、彼らには自身で生き方を考えて実行して欲しいと思って来た。

だからこそ、今年も師走を迎える時期になり、「もうそろそろいいんじゃないか?」と今の生活スタイルを無理して続けるのではなく、本当に必要なことが何で、無理なら手放すべきこともあるだろう。

あと3年、5年という時間がとても重要で、「準備期間」ではなく「残り時間」という認識で、それぞれが最後にしておきたいと思うことを成し遂げて欲しい。

生まれ故郷を訪ねてみたり、気になったいた場所や国に足を運んでみたりということができるのも、それだけ期限が迫っていて、その後は急速に日常生活の話ばかりになってしまうからだ。

三度の食事以外、あとはゆっくりと時間を過ごす。

たとえ施設にいなくても、誰もが自然とそんな暮らしになって来る。

今の生活のままというわけにはいかないんだよなぁ。

少し早いですが「2024年」の目標を立てる話

 「絵」と「ランニング」の話

2023年、特に力を注いだのは、絵とランニングの2つです。

絵に関しては、好きな東京03のコントシーンを中心に描いていて、テーマとしては似顔絵ではなく、喜怒哀楽が分かる表情まで表現すること。

「誰がここにいる」という絵から、「表情を浮かべた誰がいる」に変わると、表現できる範囲が格段に変化します。

そこで、特に表情の描写力アップに頑張って来ました。

一方でランニングの方は、初めて皇居を走ることができた他、60キロの距離を走り切ることもできて、念願だった「旅ラン」への一歩が踏み出せたと思います。

関東圏にお住まいの方であれば、山手線一周が約40キロ程度と言われているので、60キロの距離を走ることがどれくらいなのか想像できるでしょう。

2024年の目標

2023年に取り組んで来た絵とランニングをベースに、もう一歩踏み出したいと思います。

具体的には、「旅ラン」の動画撮影をすることで、最初は短い距離(約10キロ)から始めて、絵を描くことを活かしながら走る楽しみを伝えられるようなコンテンツを作りたいです。

また、ランニングではトップスピードを向上させるような練習が多くなっていたのですが、もう少しペースを落として(具体的にはキロ5分〜6分台)で50キロ、100キロの長い距離を走れるようにしたいです。

また、ランニング中の撮影方法や、シューズ選び、カメラ撮影などにも試行錯誤したいと思います。

未来の自分をどう描けばいいのか?

昭和生まれの世代にとって、平成、令和と時代が変化し、ライフスタイルも価値観も大きく変化したと感じるのではないでしょうか。

特に働き方に関しては顕著に思います。

このブログを立ち上げた目的は、「中高年の方が生涯続けられる仕事探し」です。

こみち自身は、介護士の有資格者ですが、中高年の方が「資格取得」という視点で仕事を探すなら「介護福祉士」は国家資格で有力候補ではないかと思います。

もちろん、時間給という意味では介護士と同等以上の異業種もたくさんあって、介護の資格が必須だとは感じません。

しかし、中高年の方が実際に仕事を探す時に、「自分はコレができる」という意味で言えるものがあるのとないのでは、その後の人生プランも変わります。

その意味でも、資格取得という方法は40代の内に、できれば50代までには必要そうな資格を取得したいものです。

というのも、介護福祉士の資格も、未経験からなら最低でも3年以上の実務経験(専門校なら2年)が必要で、資格試験のタイミングまで含めれば、かなり年数が掛かります。

これは他の資格にも言えて、例えば電気工事士の資格を取得しても、家屋の電気工事は高い所や狭い所での作業も多く、様々な状況で工事が進みます。

それをいきなり始めることは難しく、実際には数年の下積みが必要でしょうから、資格取得後にどこで現場経験を積むのかなど、似た悩みがあります。

その辺りの経験は、少しでも若い頃に済ませた方がよい筈です。

詳しくありませんが、警備員にもいろんな種類の資格があるみたいなので、外仕事を苦にしないのであれば、こみちなら考えてもいいと思う業界です。

また、ガソリンスタンドでは、危険物取扱者の資格も大切で、この辺の資格もおすすめです。

逆に、「税理士」よりも難関資格の取得は、未来予想図をしっかりと見据えて始めるべきで、中高年の方が3年、5年と貴重な時間を勉強だけに使うことはよくよく検討した方がいいと思います。

そういう意味でも、介護系や警備、危険物取扱者などは比較的使い勝手に優れた資格でしょう。

その上で、趣味や特技を通じて何か活動できればと思っていて、こみちの場合は絵とランニングでした。

コロナ禍の時期は、キャップ関連も人気でしたが、今はどうなんでしょうか。


「やさしいあくま」を読んで

 もしも「優しさ」に「犠牲」が伴うとして

あなたは、あなたのために優しくしますか。

それとも、誰かのために優しくありたいですか。

優しい気持ち

段々と老いて来る親と暮らしていると、「諦め」に直面します。

昨夜、母親が時間を掛けて晩御飯を作っていました。

でも父親はテレビをずっと観て手伝いません。

「手伝って欲しい」

母親はずっとその言葉が言えません。

そして、父親も母親に「手伝おうか?」とは言いません。

母親の作った晩御飯を父親も食べます。

だったら、「手伝う」ではなく「代わろうか」でもいいはずです。

言われなくても、自分から言えばいいだけのことです。

しかし、長く二人を見ていて気付いたのは、「助けて欲しい」気持ちでも「助けてあげたい」気持ちでもなくて、そうやって二人はずっと生きて来たということです。

優しい気持ちってどこにでもあるのに、形は無限に変化します。

やさしいあくま

立場や役割を最初から理解できたら、人はもっと賢く生きられたかもしれません。

でも、変わりたい気持ちや憧れがあって、人は時に自分とは別の姿に変わりたいと願います。

変えられるものもあるけれど、絶対に変えられないこともあって、遠い未来ではなく「今」を大切にするべき時があります。

しかしながら、その代償もあって、「今」だけに生きれば未来はどうなるのか分かりません。

上手くいっているようでも、実は多くの優しさに支えられていたりするからです。

自分のことだけを大切にして生きることも一つですが、誰かのために役立つ生き方はしたくてもできなくなってしまいます。

手際が悪くなって時間が掛かる母親の手料理。

これまでずっと料理とは無縁だった父親。

二人がいまさら歩み寄ったとしても、思い描くような解決策にはもうなりません。

声を掛けて手伝うかどうかではないのです。

やさしいあくまは、誰かのために自己犠牲になる物語。

切なくもありますが、「優しさ」に生きることができました。

でも本当に悲しいのは、「やさしいあくま」のように優しくできるタイミングも失い、さらに「優しさ」自体を理解できなくなってしまう時が来ることです。


師走を迎えるというのに、どう生きたらいいんだろう…

 季節は移ろいで行くけれど

いい感じに変化したこともあるけれど、総じてあまりいいことは起きていない。

請負先との距離感など、正にそんな感じがする。

「仕事とは何か?」と考えた時に、効率を考えるのはベースとなる業務が整ってからだと思う。

あまり具体的には書けないけれど、もっとしっかりとした部品を作ってくれたら完成度も上がるのにと思うことがある。

業務の流れ全体を管理する人がいないから部分的な話しかなくて、先日受け取った材料などはかなり酷いものだった。

なぜ酷くなってしまうのかというと、その材料は柔らかく傷つきやすい。

硬い紐で縛って長く放置すると、その跡が残ってしまい、その後に消えない傷になってしまう。

そもそも製造過程で気をつけるようなポイントではなく、扱っている材料がどのようなものなのかをそれぞれがもう少し知っていたら起こり得ないことだ。

傷ついた材料で作っても、歪みがあるとどこかでズレが生じ、最終的な完成度が落ちてしまう。

長期的には売上にも響くだろうし、その会社が儲からなくなれば、当然だが下請けのこみちにも仕事は振られなくなって行く。

不安材料を誰が担保するのか?

都内でアルバイトをすると、時給1000円は確実だろう。

一方で、1時間あたり1000円の利益を出すことは簡単ではない。

つまりバイトに応募し採用された時点で、その企業が「1000円の利益」を担保しなければいけない。

例えばこれが請負だった場合、注文内容が簡単な時も厄介な時も、請負った金額次第で損得が生まれる。

一見簡単な仕事でも、後からいろいろと文句を言われて、その対応に時間を割いてしまえば結果的に割のいい仕事ではなくなる。

つまり、仕事を振られる時点で「不安要素」を含んだまま、見切り発車で請負すると大体後で揉める。

「赤」で仕上げてという話が「青」になってしまえば、やり直すだけではなく、元の色を消すことから始めるので、2倍3倍の面倒くささになる。

いい仕事をして、どちらにとっても喜べる状況を作るにも、不安材料を誰が担保し、それをどの段階で処理するかが問われる。

正直なところ、そんな意識が互いに違い過ぎてしまうと、良い関係は築けないし、場合によっては悪影響にも繋がってしまう。

小銭が手に入るという旨味を捨てられずにいるけれど、仕事としてキープするべきものかと冷静に判断すると微妙にも思える。

2023年も師走を迎える時期が迫り、「どうしよう?」と決断できずにいるけれど、早急に結論を出さなければいけない「不安材料」だ。


『正しさ』を考える前に「目の前」を考える

 『正しさ』を求めるには準備が必要!?

何を持って「正しい」とするのかは別にして、「正しさ」が次の一歩に繋がることは信じていたい。

例えば、カレーを作る時に「カレールー」がないとそもそもカレーにはならない。

同じようなことが世間にもいっぱいあって、「次のステップ」に気づいているからこそ、現状の打破に焦ったりもする。

しかしながら、焦りとは裏腹に改善の見えないことも多く、そこにストレスを感じたり、自暴自棄になったりと信念を貫くことが難しいことに気づく。

今までを振り返って言えるのは、いきなり「正しさ」を求めないことだ。

つまり、理想だけを肯定しても、多くの場合は理想と現実が乖離してしまう。

そして、愚痴や投げやりな行動になってしまい、結局は自身も身動きが取れないまま停滞してしまう。

どうせダメになるのなら、「正しい」を追う前に「環境の改善」「準備」に目を向けてみよう。

完璧な球体のような理想ではなく、少し歪で尖った部分もある現状で、補われていない部分を準備に時間を掛けてフォローするのだ。

いい所はそのままでも評価されるし、結果にも繋がるから、焦って強みを誇示しなくても大丈夫。

つまり、「〇〇でなければ!」という考えは今は要らない。

「準備」が整えば

弱い部分、まだ十分に満たされていない部分に手を加えることは、いろんな意味で大変だ。

何より、旨味だけを摂取する人が出てくる。

でもそれを完全否定したら、自身が思う準備さえ整わないだろう。

極論を言えば、自身の一歩を求めるなら、その一方で納得できないことを丸ごと受け入れるしか方法はない。

それに「準備」さえ整えば、思っている理想に一気に近づけるし、夢が叶うということも起こる。

環境が変化したという実感を得て、さらに次の準備へと取り掛かろう。

周囲の環境が変われば、以前気になっていたいろんなことから解放されて、別の状況に変わっているだろう。

不満を我慢するだけではなく、かと言って不満を全面的に否定してもいけない。

「準備」さえできれば、次に進めると思って、理想のような「正しさ」よりも、目の前のことに目を向けて動いてみよう。

「老化」とは何か? 40歳を超えたら考えるべきこと

 「老化」現象とは何か?

高齢者がレジの支払いで、なかなか小銭を出せずにもたもたしてしまう場面を見ないだろうか。

「もたついてしまう」という行動は、処理速度に関係すると思うけれど、もう少し掘り下げれば「見えなくなっている」とも言える。

「見えない」とは、視覚的に認識しないこともあるが、同時に処理するべき時に片方だけや途中までということも含まれる。

高齢になってからのライフスタイルの見直し

現役時代を終えて、老後生活を迎えた時に、ライフスタイルを見直そうと思っても負担が大きい。

なぜなら、老化現象によって、変化に弱くなっていて、根本的な改善がとても苦手になるからだ。

つまり、人生観や生き甲斐のようなものを、老後になって作り出すのは難しく、現役時代に完結させていないことは、ほとんど後からカバーできないと思った方がいい。

趣味を楽しむにしても、趣味を探す所からでは難しいから、老後生活に入る五年くらい前には少しずつでも始めた方がいいだろう。

特に男性で、これまで料理などの家事を担っていなかった人は、最低でも米を炊いたり、目玉焼きを焼いたりくらいはマスターするべきだし、トイレやお風呂掃除、洗濯物を洗って干して畳むくらいは覚えておかないと、老後になってから部屋がぐちゃぐちゃになる。

片付けの基本は、出した元の場所にしまうということだけど、元の場所が整理されていなければやはり片付けは難しい。

「物を並べる」ことを片付けと誤解すれば、壁沿いに物が置かれて、確かに部屋の中央は何もないけれど、スッキリした生活環境とはちょっと異なる。

なぜなら、整理整頓のために棚や箱を買って、スッキリする環境づくりから見直すのはハードルも高い。

なぜそうなってしまうのかを考えると、例えば家具やインテリアの雑誌を手に取り、「おしゃれに暮らす」とはそもそもどんなことを指し、そのために何を学んで理解を深める必要があるのかという領域まで話が広がらない。

受動的な生活が染み付いてしまうと、食べる物も見るものも不具合に感じることもない。

毎日、何も変わらない生活は、同じ料理を食べ続けるくらい退屈だ。

「変わらないこと」が悪いのか?

質素で倹約した暮らしと「変わらない生活」は全く意味が違う。

例えば、玉子が1つあった時に、目玉焼きという選択肢しかなければ、「変わらない生活」になってしまう。

でも同じ目玉焼きでも、焼き方は様々だし、加えて別の食材も使えば料理名は無限に広がる。

これは整理整頓と同じで、現状の環境で考える前に、棚や箱などを買い揃え、並べるだけではなく、使いやすい収納に目を向けることだ。

何も考えず、適当に棚を買ってしまうと、実際に部屋に置くとサイズが合わなくて、収納しきれない物を脇に置くことになる。

結局は、整理整頓と同じで、料理でも掃除でも趣味でも、段々と考えることが狭くなれば、できることは減るし、中途半端になりやすい。

「変わらない生活」が悪いのではなく、「変わる必要がある生活」をしていることに注意したい。

誰かがフォローして維持できる生活は、一見すると問題ないように見える。

でも、さらに歳を重ねると変化に対応できないから、それこそフォローする量を増やすか、生活の質を落とすしかなくなってしまう。

40歳を迎えたら

社会人一年生は、学生生活を抜けて社会で生きることを学び始める。

半人前と呼ばれる期間を経て、一人前と呼ばれることになるけれど、一人前になるということは、何か責任や義務を果たせる存在という意味だけではなく、変化に対して新たに意識を持つことでもある。

つまり、一人前になったことで、その状況を肯定されたことになる。

しかしながら、段々と年月を経て高齢化すると、体力的にも気力的にも現役時代のようにはことが運ばない。

つまり、一人前として手に入れた物が、どんどん少なくなっていき、若い頃とは違う自分に気づいて来る。

減ったものを取り返すことも大切だけど、絶対に失ってはいけないものと、状況次第で手放しても仕方ないことを早い段階で分けられたら、加齢も怖くはない。

その意識が乏しいまま、老後に生活を大きく見直すことや、大切になる知識や経験、価値観を捨ててしまっても、新たに取り返すのは簡単ではない。

40歳を超えて、会社で責任あるポストを担っていたとしても、例えば会社の看板に助けられていたり、同僚や部下の支えで維持できた部分も多い。

じゃあ、自分だけで考えた時に、どれくらいのことができるだろうか。

それに応じられる知識や経験は身についただろうか。

料理で言う所の「手順」は割と仕事でも覚えられる。

しかし、レシピの開発や食材集めまで含むと、慣れたつもりの作業も実はよく知らない部分が見えてくる。

40歳を超えた頃から、一人前である自分を全面的に肯定するだけでなく、本当は何が分かっていてできるのかをもう一度見直しておきたい。

意外と営業マンの苦労や経理の知識など、仕事と言っても限られた部分だけしか知らないことも多いからだ。

特に老後、どう生きていたいのかを考えることで、現役世代の内に意識することも明確になる。

『月の商人』を読みました!

 「月の商人」を読んで

今、副業が当たり前になり、個人がいくつもの顔を持つことを強いられます。

「私は〇〇です!」

社会人であれば、職種や会社名を名乗ることで、自分は何者なのかを簡単に伝えられたでしょう。

「副業が当たり前になる」とは、全ての人が「商人」になる訳です。

「月の商人」は、正に今の時代に欠かせない一冊かもしれません。

読んでみて、とても良かったと思うのは、ロジックの話ではなく、実際の商人が何をどう考えているのかを知るキッカケになったこと。

80円で仕入れて、100円で売れば20円の利益が出る。

これはつまりロジカルな話です。

だから、儲けるためにはと考えた時に、安く仕入れるとか、たくさん販売する方法を気にしてしまいます。

しかし、「月の商人」ではそんな話にはなりません。

ここで簡単な答えを紹介するよりも、実際に手に取り読んで欲しいのですが、当たり前のことを当たり前に書いてくれています。

「それだけ?」

と思う人もいるでしょうが、読み進めるに従って、作者が伝えたい意図を段々と知り、軌道修正してくれます。

この当たり前過ぎることを見失ってしまうと、そのあとにどれだけ頑張っても「月の商人」にはなれません。

実はもう一冊、「星の商人」という同じ作家の本も読みましたが、今のタイミングで出会えてよかったです。

気になる方はぜひ一度手に取って読んでみてくださいね。

きっと、「もしかして…」と停滞している現状を打破できるキッカケに気づくかもしれませんよ。