100人の卵たち
何の世界でも構わない。
新人と呼ばれる人が100人集まって、最初は特に関係も優劣もなかったのに、三日も経てば段々とポジションが決まって行く。
その中で、「出世」を掴むのは1人か2人。
じゃあ残りの人は何を学ぶのか。
今の時代は個性やキャラクターが求められると感じる。
でも、出世できる人はどんな世界でも構わないけれど、残りの人は何を問われてもそうできないのだから、別のことを考えるしかない。
出世できる人にとって、有益な人になるという方法もある。
コーチングやトレーナーとなって、知識や経験を活かせるようになり、「出世」できる人の役に立つのだ。
その意味では、お金の管理や仕事の管理、営業なども知識や経験を活かせるだろう。
資格取得という罠
資格取得には、大きな罠が潜んでいる。
それは、「この勉強をしているのは無駄ではない」という慰め。
難関資格を取得することは、とても大変なことだ。
でも、「出世」とは違う。
やはり「資格取得」後に選ばれることが重要だ。
つまり、「出世」できる人になれたかどうか。
というのも、念願叶って取得した資格でも、すでにその世界には「出世」した人がいる。
そして、出世できなくて、知識や技術を使ってサポートに回った人もいる。
彼らに大きな違いがある訳ではない。
ただ「出世」できたかどうか。
新卒の段階で、いきなり「出世」してしまった人は、それが当たり前だと思うし、まだその周りにいる人も「運」とか「タイミング」で決まっていると思うだろう。
しかし、そう思っていたら、五年後も十年後もそう思って生きているだろう。
そして外れた人の中で勘のいい人は、次のステージへと進む。
つまり社会人としての作法を学び、そこで出世を狙うのだ。
そして中には夢を掴む人もいるし、やっぱり外れてしまってサポート役に回る人もいる。
そうやって段々と社会の中で出世できる人とできない人が作られて行く。
出世した人が100点満点だとしたら、出世できなくてサポート役に回りしっかりと役立つことで90点くらいに満足を掴むことができる。
しかもその満足は努力次第でコントロールできる。
逆を言えば、「出世」できた人の近くにいて、まだ「出世」できると思い込んで歳を重ねてしまった時が怖い。
出世した人が守ってくれたらいいけれど、なぜ出世したのかわからない世界で、出世した人が転んでしまうこともある。
つまり、それがサポート役に回った人たちが、社会の仕組みを作りルール化して、「出世」の不思議な現象を排除した時だ。
努力や勤勉さが唯一の評価とした時、「出世」という摩訶不思議な現象を排除したくなるのだ。
「アイツはたまたま選ばれただけ」
「オレはずっと頑張って来たんだ!」
「出世」の正体
経済の世界で売上は、原価よりも高い売価で成り立つ。
原価計算も大切だし、売価の設定も知識や技術、経験が必要だ。
でも、いい商品なのに売れないということが起きる。
そしてもっと低品質なのに、売れてしまう商品がある。
つまりこれが「出世」という摩訶不思議な現象。
理屈ではどうすることもできないし、無理に押さえつけてしまうと急に世界は狭くてつまらなくなってしまう。
コロナ禍で、多くのエンタメが制限された時に、我々は不満を感じつつも日常を暮らして来た。
才能など無くても生きられるし、エンタメのような楽しさも最小限でいいと思えた。
でも、いざ旅行ができて、人とも自由に会えるという日常に戻った時に、一般人とは異なる「才能豊かな人」の活躍で救われることがある。
心が満たされたり、明日も頑張れるという経験だ。
つまり、すべての人が「出世」することはできない。
でも、それは役割であり、縁だと思う。
選ばれた時は物事がどんどん進んで行くし、上手く行かない時はやっぱり巡り合わせが違う。
大きい小さいの違いはあっても、人生には何度かのチャンスがあって、それを掴んだ時に「出世」できる。
そして、その準備をしていなければ、残念だがチャンスを逃してしまう。
どこにチャンスが待っているのかわからないから、やっぱり「出世」は縁なんだろうなぁと思う。