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一度拗れた人間関係って

 いつもの場所にガムの箱が

キッチンで料理中、最後に片栗粉でトロミをと思い食器棚の一角置いてあるボトルを取ろうとしたら、そこにはガムの箱が。

どこに移動されたのかと辺りを探すと奥に突っ込んでありました。

  • ガムをどうしても目立つ所に置きたかった?
  • 嫌がらせ?
  • 片栗粉を使っていると知らない?

夕方、料理をしている頃

大体、その頃に母親が帰宅します。

コソコソと買って来た物を冷蔵庫に入れるんです。

昨日まで野菜室は、3束あったサラダ菜の最後を無理矢理使って、やっと消化した所。

夕方も、かぼちゃを煮て、ピーマン、シメジ、玉ねぎとキャベツ、高頻度で買い続ける食材を少しずつ減らすのですが、夜に野菜室を覗くと新たにピーマンとシメジ、キャベツの他、またサラダ菜の束が2つ、さらに白菜と増えています。

物があることが豊かさなのか、サラダ菜の束1つを使うだけでも家族4人分の野菜は十分なので、今ある野菜を消費するにはどう頑張っても5日から1週間は掛かります。

こみちとしてはジャガイモ料理が作りたい気分ですが、この状況では買い物もできず。ただでさえ作る気力が低下しているのに、同じ食材ばかりが買い続けられるとさらに嫌になってしまします。

「またサラダ菜だよ」

妻にそんな愚痴を言いました。

「仕方ないでしょ!」

キツめにそう言い返されます。

つまり、もうそこは言うなということ。

そう理解して、こみちも何も言いませんでした。

でも、サラダ菜で作った料理も、両親さえ食べずに捨ててたりもするのですが。

正直、サラダ菜は近所の友人から貰ったもの。

「食べる?」

家庭菜園で作った野菜らしく、断れない?、くれなくなる?声を掛けられると貰って来ます。

それは自由。

でも先週、サラダ菜を飛び石で食べたのを忘れたのでしょうか。

作っていてもまたこれかと思っていて、あと一回で終わると思ったのに、また増えているんです。

母親への信頼がないからこんなに苦しく感じるのでしょうか?

買ったり貰ったり、とりあえず野菜室に詰め込んだ同じ顔ぶれの野菜が、嫌がらせに思えます。

妻ももう愚痴を聞いてはくれませんし、父親は食べたいだけ食べて母親に大きな声で不満をぶつけているのが聞こえます。

実際、母親の立場になれば、父親のことや将来のことでストレスが掛かり、もういっぱいいっぱいなのでしょう。

こみちに対する嫌がらせというよりも、逆に無関心というか、野菜室に突っ込んだらそれで終わりという感じかも知れません。

もう作る担当を辞めたいです。

かぼちゃを煮たんですけど、少し味を外しました。意図的に。

なぜってこの前、自分でも満足できるくらい美味しくできたんです。

でもそうすると次の日にまたかぼちゃを買われて、その時も少し外して作りました。

でもまたすぐに買って来て、だからまた少し外したんです。

すると冷蔵庫に食べ切らずに残っていました。

不味くはないレベルですが、めちゃくちゃ美味しいほどではない。

ああ意地悪じゃないですよ。

でもそうしないと、毎日のようにかぼちゃを買ってくるので、処理し切れないくなるなるんです。

愚痴を聞いてくれてありがとうございます。


今さらな話「社会で数学の公式は使わない?」という話

 学生時代の勉強が意味するもの

「楽して儲けたい!」と思ったことはありませんか?

上手い儲け話なんて無い?と妙に大人ぶっていませんか?

原価90円で仕入れた物を100円で売っていたら、必ず10円儲かります。

厳密には営業利益が差し引かれますが。

そこで、原価を10円、売り値を500円にできれば、もっと儲かると思いませんか?

でも実は儲かる話ってそんな理屈ではありません。

例えばですよ。例えば赤信号でも止まらなくていい車を売ることができたら、通常よりも倍の価格で売れると思いませんか?

しかも、客の方から売って欲しいと言って来るので、価格はさらに上乗せできます。

絶対に解けない氷とか。

そう不老長寿なんで物があったら、儲かって仕方がないでしょう。

何が言いたいのかというと、既にある物で儲けるなら利益を増やすことが鉄則です。

でも、今まではできないとされていたことができるようになったら、そこにはとんでもない金額が動きます。

話を学生時代の勉強に戻すと、勉強に励んだ結果、有名な大学に合格できたとしましょう。

それで何が変わるでしょうか?

「キミ、〇〇大学の学生なんだ? 支店長も同じ大学だよ」

もうそれだけで一気に距離が縮められます。

しかも、それは貴方が生きている限りずっと続くミラクルな武器です。

もしもそんな武器がないと、特に誰ということもなく配属されて、そこで頑張って結果を出し、上司に認められて、さらにその上の上司。

それから数年経過して部長クラスに仕事ぶりが認められたら、同期の中で少しいい待遇があるかも知れません。

能力はそう変わらないんです。

でも学生時代にそのミラクルの価値に気づいて努力すると、やっぱり楽できることって確かに存在します。

これって赤信号でも止まらなくていい車と同じくらい凄いことなんですよ。

偏差値ばかりではダメだという考えも確かにそうです。

実際に入学してからも英会話教育に力を入れているという大学も多いですよね。

そんな教育方針を否定している訳ではなく、言いたいのは「ミラクルとして使える」という視点を持つことも大切だという話。

「ハイ、大学生です!」

そう言っても、相手が「支店長と同じ大学だね!」になってくれないと、言った価値は半減します。

「そうか、私と同じ大学だね。学食のAランチ、まだ390円なの?」

実際にいくらなのかが大切ではないこと分かりますよね?

でもそんな会話ができることに大きな意味と、今後のチャンスが格段に変わることも事実です。

特に先輩や上司がその会社や社会で重要なポストに就いている方なら。

つまり、学生時代の公式をなんで覚えるのか?

その答えって社会に出て使うかどうかではありません。

思考力としては役立ちますが、それ以外に社会で自由とチャンスが得られるプラチナチケットになり得る「投資」です。

二次方程式を理解できなくても、生きることはできます。

でもそこで何を求められて、どう考えることが必要なのかに気づけたら、社会人になって未知の状況でもしかしてこうすることが正解かも知れないというアイデアが出て来るかも知れません。

まして上司や先輩に同じ大学出身者なら、聞きやすいですし。

勉強が苦手ならそんな武器を目指さないで、それこそ手に職をつけて、安い原材料でも上手く見栄えのするテクニックで魅力的なサービスや商品を作ればいいんです。

それはそれでとても大切ですし。

ただ世の中には、共通言語みたいなチケットがあって、学生時代の努力がその人の一生を守ることにもなる効率のいい手段でもあります。


なぜ両親と合わないのか?

 今朝のこと

今朝も食事を作るためにキッチンにいました。

食器棚の調理料を置いたスペース。

そこに母親が置いたと思われる風邪薬の箱が乗せてあります。

多分、母親の解釈はこうです。

よく使うから見えやすいところに置いておきたい。

でも普通、調味料の上に置きますか?

調味料を取る時、毎回その風邪薬の箱を横におくの?

確かに風邪をひいたら、その箱を手にすることもしばらくはあるでしょう。

調味料も絶対に毎回使うとも言えません。

だから置いてもいい?

置くメリットと置かないデメリット、一瞬でも頭に浮かばないのかなぁというのがこみちの気持ちです。

実はこれ、いろんな場面で思う共通点です。

ピーマンを連日買って来る。買うのはいいんです。

でも誰が料理するの?誰がそんなに毎食、ピーマンを食べたいの?

ピーマンを処理するために、さらに別の食材を買って来て、料理しなければいけない手間を想像できないのかぁと思うんです。

自分で作って食べるつもりならいいですよ。

好きにしてもらえば。

何にしても結局はこちら側で始末するからこそ、その買い物って意味あるの?なぜそこに置くの?という理解し難いことが多いんです。

でも冒頭で触れたように、母親はきっと便利だからとか、役立つと思ってとか、それをそうする理由はとてもシンプルなのでしょう。

それによって今まで調和していた物までおかしくなっても、仕方がないと思えるのでしょう。

「へぇ、買って来たんだ!便利そうだね!」

むしろ母親はそう褒めて欲しいのかもしれません。

今朝、当たり前に薬箱を重ねてしまうのを見て、重ねたら下の物がどうなるか?までは想像できないのでしょう。

昨日のこと

昨日父親がデイサービスに行きました。

普段父親が使う場所を掃除するなら正にこのチャンスです。

でも母親は父親を送り出し、すぐに出掛けてしまいます。

そして夕方になって帰宅し、「掃除しなきゃあ」と言っています。

老いると記憶力が低下する。

もうそれはここ数年で分かったこと。

じゃあ、カレンダーに「掃除」と書いて、毎日何をしなければいけないかメモればいいだけです。

でもそれをしません。そして、できなかったことを何度も口にして、本来なら終わった作業を一人で大変なことにしています。

もちろん、そもそもで言えば、父親が掃除すればいい話ですよ。

母親だってやりたくないのもわかります。

でも誰もしないでいいのかというと、誰かがやっぱりしなければいけません。

薬箱を簡単に重ねてしまうように、母親はこのタイミングでこれはしなければいけないとかしてはいけないという判断ができません。

思いついたらする。でもメモまではしない。

できなかったら、またずっと口にし続ける。

だったらやればいいのに。

でも言うだけでしないから、仕事が遅くなってしまいます。

ぱっと見、母親って凄く頑張って見えます。

動きっぱなし。

でもよくよく見れば、同じことを行ったり来たりするだけです。

何で一個取ってまた取りに戻るの?

できなければ明日すればいい。

そんな風に若い頃から自身のやり方を振り返って来なかったのでしょう。

「もう何歳だと思っているの?」とか言いますが、それ年齢ではなく性格ですよ。

若い頃もできていなかった。または遅くまで頑張って結果、できていた。

でも効率も段取りも決めないので、時間だけは掛かります。

そして、年老いてスピードも落ちた。

だから見ていると何で?と思うことを何度も繰り返しています。

こだわりが強いのかと思っていましたが、逆で何も考えていないだけでしょう。

調味料の上に置いたら、こみち、邪魔に思うだろうなぁとも想像しなかったんでしょう。

そこに全く違和感を覚えない相手に、それは違うんじゃない?と言っても、やはり理解できませんよね。

感覚の違いというか、想像力の違いなのでしょう。


昼間の失禁 「オレだってしたくてしているんじゃない!」って

 また失禁です。

母親に言われて「オレだって」と反論する父親。

「オレだって」だけで終われるから父親は変われないんでしょうね。

そして変わろうとしないで生きて来た。

リビングにできたアンモニア臭。

汚れた下着。

父親が床を拭くわけでも、洗濯機を回すのでもない。

「迷惑かけてごめん」ではなく「したくてしているんじゃない」。

父親らしい正論です。

でもそれで世の中が回らないから、この家は疲弊している。

母親も大変だけど、まだそれだけで済んでいるから精神が崩壊しない。

これで毎食の料理や細々した事務作業まで担えば、もう背負い切れずに気持ちが折れてしまうだろう。

折れないようにフォローする。

でも自己愛が強い二人は、それには気づけないし、気づこうとはしない。

だから今日も生きているんだと思う。

メンタルが壊れて、気力がゼロになったことがあるこみちには、その辛さは誰もが乗り越えられるとは思わないし、こみちだってまだ完全に復活はできていないし、今後もそれと付き合って生きるしかない。

弱い人間とか強い人間とかいうけど、壊れたら簡単には復活できない。

弱い人間だから早めにフォローするのも分かるけど、強くても壊したら同じ結果になるのも分かって欲しい。

母親のため息も分かるよ。でも、それだけじゃない状況なのも知って欲しいと思う時がある。

背負い切れないだろうから、フォローし続けるんだけど。


夜中に起きて洗い物をする生活って

 最近、両親とは一緒に食べなくなった

自己愛が共に強い両親。

得するか損するかだけに敏感だ。

理屈は通じない。その感情だけで生きている。

今、ふと目が覚めた。

「何時? 何する時間?」

まだ寝ぼけている頭ではすぐに状況が飲み込めない。

「そっか、洗い物。まだだった…」


両親と別々の食事をするようになって、洗い物も別々。

でも最後のゴミ捨てや排水口の掃除は最後に使うこみちの仕事。

たとえ母親が掃除していたとしても、最後に起きて掃除しなければ生ゴミがそのままになってしまう。

以前ね。母親が「もう排水口も掃除してある!」と掃除し始めたこみちに怒鳴って来ました。

でもよく考えて欲しい。

母親が排水口を掃除したとしても、まだこみちたちは食器も洗えていない。

そして洗えばやっぱり排水口にゴミが溜まる。

それは?またしてくれるの?

結局、母親が掃除したというのは、あくまでも事実としてしたに過ぎなくて、母親たちがキッチンを空けるまで待っているこみちは、自分たちの食器も洗わずに待っている。

その事実をすっぽかし、排水口だけを洗ったとか訴えて来てもどうすることもできない。

結局、母親たちの行動って、正しいかどうかではなく、パターンになっているだけ。

それで上手く行っているならいいけど、そうではない部分は放置されている。

「できないんだけど?」

母親はよくそう言う。

ワンパターンで処理できないと、そう言う。

100のことをワンパターンで90ずつ処理すれば、いつか必ずできない時が来る。

それを覚悟するか、100以上を常に処理するか。

どちらかしかない。

今、両親の生き方って、90や80で生きている。

自己愛の強い両親は、その90や80を「している」と思って生きている。

できない、しなくなった部分は全く見ていない。

以前はそんな取り残された部分を心配して、先回りして対処していたけれど、それをすればするだけこちらの負担が増えるし、頑張ったところで何か見返りがある訳でもない。

なぜなら両親は自己愛しかないから。

正直、この生活も疲れた。

働く時にイメージしたい「時給」という対価

 時給いくらなら満足ですか?

例えば時給が3000円ならどうでしょうか?

そんな上手い仕事ってあるの?ですよね。

こみちも知りません。

でも世間にはそんな高額な仕事もあるはずです。

ではなぜ、一般的な価格ではなく、そんな高額を企業が提示するのでしょうか?

例えば宅建士って、確か不動産を取り引きする時に必要になる資格ですよね。

士業としてチャレンジしたくなる資格かもしれません。

でもポイントは、その資格がないと「ビジネスできない」というルールがあります。

つまりやりたいです!という希望や意気込みだけではできないからこそ、有資格者に付加価値がつくというパターンです。

もう少し別の例なら、深夜料金ってありますよね?通常よりも割増になるルールです。

企業と労働者の合意だとしても、その超過分を支払わないことはルール違反になり企業側が罰せられるんですね。

行政指導ってヤツです。

みんなが起きている日中ではなく、早朝や深夜に働くことは働く人も大変なので、少し割増になるんですね。

時給ではなく、歩合制という方法。

誰でも同じ時間働けば同じ給料ではなく、成果に対して報酬を支払うパターンです。

ある作業は確かに誰にでもできる。でもそれを早く行うことが難しいのに、自身は割と素早くできるという時。

時給で働くよりも、歩合制にした方が給料も上がったりします。

もちろん逆パターンもありますが。

そう考えると、ポイントは誰も簡単にできます!という仕事は時給で働いた方がよくて、誰にでもできない仕事でも自分は好きで簡単にできてしまうような時は歩合制だと稼げるはずです。

また同じ時給制でも、企業は最低賃金があるので、誰でも雇えば一定の金額を支払わなければいけません。

つまり、仕事が不得意な人は守られて、仕事ができる人が補う形になっているんですね。

なんで一緒の時給なんだろう?そう思ったりしませんか?

それって時給制の良いところと悪いところの象徴のようなパターンです。

だから、好きなことや得意なこと、しかも他の人が面倒や困難に感じる勉強や経験などがある仕事で見つけられると、それは天職になる仕事かもしれません。

料理が好き。おしゃべりが好き。

それも天職を見つけるキーワードになり得ます。

あとは、好きという気持ちを他の人から見て、大変そう真似できないと思える仕事にできるかです。

和気藹々とおしゃべり。

これもすごい能力ですが、その場をどうにか持たせるだけなら割と多くの人が自分も頑張ってみようと思うかもしれません。

でも、おしゃべりしてサービスを提供するとなれば、また話も違います。

この人だから信用して買ってもいいと思ってもらうには、単におしゃべりが好きだけではないからです。

そう考えると、時間給で働くなら、自身が興味のある、でも全くしない業界の方が面白いかもしれませんね。

未経験なので、即戦力ではないし、でも経験する中で成長し、しかもしっかり時間給でもらえるので。

中高年の仕事探し やりたい仕事ってありますか?

 仕事を探して思った正直な気持ち

お金のために働く覚悟なんだということ。

当たり前だよ!と思われた方も多いのではないでしょうか?

でも意外とそうではないこともあります。

中高年で年齢だけで仕事を探すと、行き着くのは介護か警備か清掃か。

それらの仕事が簡単ではないのに、その仕事が増えます。

一方で、店員になって店先に立ち、接客したいのかというとそれもあまり思いません。

ですがそんな仕事を望んでももう採用されないでしょう。

みなさんって、イコールラブというグループをご存知ですか?

こみち、最近までよく知りませんでした。

指原莉乃さんがプロディースされたグループなんですね。

その話を少しします。

みなさんってアイドルとか推していますか?

こみち、絵を描くようになって乃木坂46を知り、youtubeなども観ます。

マーケティングや経済という興味を持って、アイドルに触れると結構面白いんです。

単純に言えば、どう魅力ある商品に仕立てるか?

でね、アイドルという存在を恋人や自身の娘のように思って応援するってこともあると思うんです。

でもイコールラブをプロディースされた指原莉乃さんって、youtube 動画の再生回数が短期間でめちゃくちゃ回っています。

例えば昔ならテレビに出たりすると売れっ子の歌手みたいに感じしませんでした?

でも、もうテレビを観ている時間って減って、スマホで自分が好きなコンテンツを観る時代ですよね。

そうなった時に、youtube で多くの再生回数が得られるって、例えばアイドルとして売れているバロメーターだけではなく、メンバーが使うファッションやコスメなども企業とタイアップできたりするビジネスになって行くんですよね。

そして何より、アイドルを恋人ではなく、等身大の自分自身の憧れととらえて、推したくなるという手法が斬新です。

つまり、アイドルだから笑っているのではなく、まるで鏡に写った理想の自分みたいな感覚で、努力する姿や頑張ったけど成果がなかったという悔しさも全て包み隠さずに見せられることで、自分も頑張ってみようと勇気づけられるアイドルなら、これはまた従来のイメージとは違いますが、とても必要とされるスタイルではないかと思うんです。

キレイや可愛い子を見て、癒されるのもアイドルですが、自分磨きして頑張る鏡の向こうにいるアイドルもまたありですよね。

もしもそんな意図で作られたグループだとしたら、指原莉乃さんって今の時代をしっかり分析されて、上手くビジネスとしても成立させる名プロデューサーだなぁと思います。

つまりね。

中高年になって仕事を探すと、昔みたいにやりたいなぁと思う仕事ってなかなか見つかりません。

年齢で考えるとその人がどんなことができて、どんな風に切り開いて行くのかも相手(企業)は想像できないから。

だから自分は何ができて、どんな関わりから仕事へと変換させたいのか?そのためにどんな手順やアプローチがあるのか?ってアイドルの運営と同じで自己プロデュースしないと始まりません。

そこの意識がないと、思うようには生きられないんだなぁという話でした。

例えば乃木坂46で歌が上手い、ダンスが上手い人っています。

でもあれだけの大人数なので、全員が同じタイプではないし、魅力の出し方も違うはずです。

急にトークを頑張り始めたとか、収録で一歩前に出るようになったとか、工夫を始める様を見て、その頑張りに気づいた時にこみちも頑張ろうと思えます。

みなさんはどうでしょうか?

子どもが親を介護する現実

 40代くらいに何が起こるのか?

子どもが40代になると、実際、再就職も簡単ではなくなります。

それが正社員ではなくパートだったとしても。

待遇面での差が大きく、できるなら正社員での採用と望むかもしれませんが、能力の水準だけではなく、若い世代とのバランスを考えても現実的に困難になる要素はやはり多いのです。

パート採用の場合、やはり年収で見ればどうしても低賃金になることが多いのですが、中高年の就活はやはり大変なことに変わりません。

しかし、一方では親の介護が始まるので、介護離職を選ぶ現実も避けられないことです。

例えば高齢者を施設で全面に預かってもらうとすると、月20万円は必要です。

親の年金額がそれ超えていれば、施設入所という選択肢もありますが、それが難しい場合には離職しても子どもが親の年金で暮らしながら介護するという現実も珍しくありません。

こみち家を見て

親を見て思うのですが、まだまだ介護の大変さを分かっていない気がします。

さっきも母親はもらった野菜を冷蔵庫の野菜室に入れました。

そうすれば、いつかこみちが献立を考えて、その野菜も上手く処理してくれるのです。

何でもそこに入れておけば、あとはもう考えなくてもいい。

不足があれば、買い足してくれるので、在庫切れの心配さえ必要ありません。

どうですか?

料理をしなくてもいい。洗い物もしなくてもいい。

それだけでどれだけの時間が節約できて、体力や精神を温存できるでしょう。

しかも母親は、今日もまたスーパーで父親と二人で食べるおかずをこっそり買っています。

それだけ無駄遣いしても、当たり前に晩ごはんを提供されるのですから、月末でもお金の心配などしなくてもいいでしょう。

それがどれだけ気持ちを楽にするか。

例えば、買い物も料理も親だけでするとなれば、帰宅してキッチンにたち、そこからご飯を作ることになります。

簡単な調理でも30分。少し手が込んだ内容なら1時間もすぐです。

そして、後片付け。

朝と夕方だけでも、毎日数時間が変わるでしょう。

やっぱり、母親たちは介護や老後を何も分かっていないし、受け止めてもいないでしょう。

よく年を取りたくないと口にしますが、動かなくなることではなく、動かないのに頑張るしかないことが大きなダメージです。

逃げられない。

立ち向かうしかない。

そう思った時に、やっぱり両親は幸せだと思います。

何事もなく、過ごせるので。


意外と70代になっても「老後」をイメージできない!?

 母親が父親に「私だって仕事を辞めたい!」と言っていましたが

もう十年以上も前、父親がもう働かずに家にいると言い出しました。

それで母親に「それでやって行けるの?」と質問しました。

「迷惑は掛けない!」と言ったので、「その言葉、忘れないでよ」と念押しして両親の選択に指摘はしませんでした。

その後、母親の失敗があって、こみちは「悪いことをしたら、謝るのが人間だよ。ヘラヘラして誤魔化すのは相手に失礼だよ」と指摘しました。

それでも母親は「ごめんなさい」とは言いませんでした。

ずっと言い訳を続けたのです。

こみちはそんな母親を失望していません。

むしろかっこいいと思います。

だからこそ、最後まで泣き言は言って欲しくないんです。

自分で自分の意思で選んだ人生なので、その良い時も悪い時も、自分が選んだんだと誇りに思って欲しいんです。

でも今、母親は父親に、いやこみちにも聞こえると分かっていながら、「もう仕事を辞めたいよ!」と口にします。

でもあの時、父親がもう働かないと言い出した時に、こみちが言いたかったことは、母親が外で働くなら、父親は家事をしなければ継続できるという事実を伝えたかったんです。

たくさん働いたとでも思っているのかは分かりませんが、老いてくると時間が掛かります。

それはもう最初からわかっていることで、だから節約だって考えなければいけないんです。

でも今の今まで、好きなだけお菓子を買って、誰かのアドバイスにも耳を貸すことなく自由に生きたんだから、急に誰かの助けを期待しないで欲しいんです。

例えば仕事を辞めて収入が減ったとして、その分は誰が負担するのでしょうか?

家にいるとしても、もう料理もまともにできない両親が、今さら家事の何ができるでしょうか。

責めているんじゃないんです。

そうなるから相談しようと言ったあの時、両親は「迷惑を掛けないから大丈夫だ!」と啖呵を切ったんです。

その啖呵は、覚悟でなければいけません。

その場の雰囲気で調子よく言っただけの言葉では、なおさら周りが迷惑です。

もう自分で食べることくらいしかできない父親なので、家事を分担することもできないでしょう。

かと言って、母親も何かできるのかって考えると、そう多くはありません。

買い物だって怪しいですし、まして元々料理もできないタイプなので、復帰するとしても両親は両親でして欲しいくらいです。

しかも今朝、昨日こみちが作った夕飯はそのまま残っています。

それは今でも母親が買い物で父親と二人で食べるおかずを密かに買っているんです。

その理由は、母親のポジションを守るために今でもおかずを買うことが止められないからです。

自分ではもう作れないから、でもこみちに作ってもらうだけでは主婦としてのポジションが失われると思ってなのか、そうやっておかずを買って食べるんです。

それってある意味で、両親が二人で頑張る生き方の答えだと思います。

だからこみちに頼らずに自分たちで賄うから作らなくていいと言ってくれたら嬉しいです。

でもポジションだけは失いたくない。

だから今でも作らなくていいとは言いません。

でも作っても食べないという行為を平気でするんです。

それでどうやって仕事を辞めるつもりなのか。

不思議でなりません。

家でも続けられる仕事にシフトするなら分かります。

その準備期間としてこの十年を使っていたなら、応援もできます。

実際にはできなかったとしても、その姿は家族としても支えようと思える一因です。

でも母親は違う。

ずっと頭を下げないで生きたんです。

それを急に「家族だから支えて当たり前」と言い出すような醜態は晒さないで欲しいです。

十数年前、老いるとどうなるかを考えいいキッカケがありました。

その時に父親はある意味で家族の驚きを押し切って仕事を辞めました。

正直、何も準備しないで老後を不自由なく暮らすなんてできるはずがありません。

そして起きて来た母親が今さっき沸かしたお湯をまた沸かしています。

沸かすことができる。だから沸かす。

気持ちは分かるけど、同じことをしても意味がないんです。

逆に自分のこととしてするなら沸かさなくても大丈夫だよと言ってくれたら、こみちの家事は一つ減らせるのですが。

結局は保険があって、できなくても大丈夫と分かったことをまたやり直しているだけになっています。

母親、大丈夫?

やっているポーズだけでは、生きていけないんだよ。

介護中の優しさはどう失われてしまうのか?

 同じこと何度も繰り返す辛さ

介護の辛さって、同じことを何度も繰り返すことに似ています。

例えば買い物をして、帰り道に買い忘れに気づいた瞬間、「マジか!」と自分に思うことでしょう。

それで店まで戻り、よかったと思って帰宅する。

靴を脱ぐ時になって、鞄の中に投函するつもりだった手紙があったと思い出す。

せっかく帰宅したし、今日はもういいと諦めるか、やっぱりと思い直してまた家を出る。

そんな感覚が介護なんです。

しかも、自分のミスではない場合も多いので、どんなに繰り返すことになっても笑顔で「大丈夫ですよ!」と心から言える。

それが介護の優しさです。

人って、責任を背負い過ぎるとそのストレスから精神が不安定になったりします。

ですがすぐに怒り出して、「何でまた失敗するの!」というのも違います。

でもこれは経験則ですが、すぐに破綻する人もいれば、見た目とは違ってどこまでも優しさ持ち続けられたりとこればかりは始まってみないと分かりません。

母親が介護する時

母親が父親を介護する時、特に最近は口が出ます。

「いい迷惑だ!」とか「最悪だ」とか。

父親は寝たきりではありません。

立つことも歩くこともできます。

ですが、一切の手伝いもしませんし、3食を用意してもらって、そこから好きな物だけを食べています。

もちろん片付けもしませんから、洗い物も、その食器を拭いたりしまったりも家族任せです。

それを「いい迷惑だ!」と思う気持ちは、こみちも理解できます。

母親の口から出る言葉がキツいのも分からなくはありません。

ただ、父親は母親がいつも優先した大切な人だったはず。

ですが介護になって、母親は少しずつ変わりました。

多分、敏感な父親は口では言いませんが、自分の世話を家族が段々とイヤに感じていると。

とは言え、父親は変わりません。どんなに期待しても、家事をしようという気持ちは持っていません。

やっぱり、当たり前に用意されて、食べるだけの人です。

しかも「嗚呼、もう少しご飯減らして」と、ご飯を茶碗に盛るのさえ自分では動きません。

怠け者といえばそうなるでしょう。

でも、父親もまたどこか大人の発達障害的な部分があって、普通なら耐えられない状況で、平気で居られる部分もあります。

母親は今日、またピーマンを買って来ました。

元々、15個くらいあったので、20個くらいになりました。

もしかすると、また明日、ピーマンを買ってしまうかもしれません。

でももうどんなに繰り返し説明しても、母親には家に沢山ピーマンがあることを覚えられないのです。

それを同様に、これだけは守ってねというルールも、一つとして守れません。

それで嫌になる人がいても仕方がないことです。

母親も父親も、自分の価値観では動けます。

でも、これをしたら相手が悲しむとは想像できません。

父親に言ってしまう気持ちも分からなくはないんです。

でも、言ってしまった自分を反省することは忘れていはいけないと思うんです。

なぜって、やはり自分もいつか介護される側になるからです。

介護って大変だ。そう思うと同時に、自分が介護される側になったら、家族がこの思いで介護するのかとは想像して欲しいんです。

愚痴を言うなとは思っていません。

ですが、余裕がなくてつい言ってしまった後で、それは自身のこととして反省するべきだと思うんです。


母親が仕事辞めるとどうなるか?

 母親が家にいると

家の家事が全く進みません。

今は時刻も午後。

まだ朝から始めた洗濯機が終わっていません。

なぜ遅いのかというと、夕方までに終わればいいというペースで仕事をしているようです。

そして、今はキッチンでまた別のことを始めました。

冷蔵庫を開けたり閉めたり。

で何か作るのかというと、料理という料理はしません。

でも主婦だった名残りなのか、作っている雰囲気を出したいのか、それでまた1時間が費やされ、終わっている洗濯機の中では洗濯物が残っています。

中身をカゴに移し、別の場所でゆっくり干せばいいですが、洗濯機から一枚ずつ取り出して干すので、終わるまで洗濯機が使えません。

そして今日は父親が入浴する日。

もう一人でササっと入れないので、それで2時間は浴室が塞がります。

このままだと夕方まで浴室も洗面所も洗濯機も使えないことになります。

でもこれがたまたま母親が家にいる時のテンポ。

仕事を完全に辞めて家にいることになれば、一気に家事が進まないことになるでしょう。

考えただけでも、頭がクラクラします。


なぜ母親はフォローされても感謝しないのか?

 それは昨日のこと

夕方、こみちがご飯を作っていました。

リビングにはテレビの前で寝込んだ父親がいます。

母親が父親の部屋を掃除機で掃除し、終わってリビングに現れました。

「部屋の掃除して、洗濯ものでしょう? 嗚呼、疲れた」

父親が労ってくれないので、母親は父親に向かって何度も同じ話を繰り返しています。

そして「こんな歳になって掃除している人はいない!」と言ったのです。

掃除をしないという感覚

たまたまだったかもしれません。

でもその言葉を耳にして、母親はもう座っているだけで何もかもしてもらえる父親にどこか憧れているのかもと思ってしまいました。

もう母親は自分たちの洗濯ものはしていても、それ以外、特にノルマはありません。

買い物も無いものをチェックして買うのではなく、スーパーで好きな惣菜を買っているのような感じです。

掃除機もそう。

確かにスイッチを入れてブラシを動かして掃除をしていますが、ゴミが溜まって交換することもありません。

使うだけです。

そう考えると、家事の根本的な面倒な部分ってもうしていないんです。

掃除機だって完璧じゃなくても自分の判断でいつももやめられる。

そんな状況です。

にも関わらず、「掃除などしている人は…」と口から出てしまう。

言い方を変えれば、自分は頑張っている方だと思っているのでしょう。

そうだから、「いつもゴミ捨てありがとう」も「トイレ掃除助かる」も、「ご飯を作ってくれたありがとう」も言わないでしょう。

むしろ自分も頑張っている側。

何なら父親にみたいに、全部してもらう側が当たり前になっているのかもしれません。

まだ料理しているこみちの前で、「掃除して疲れた」という母親を見て、父親と二人暮らしなら、全部しなければいけない状況だったとは想像しないのでしょう。

相変わらず、決め事を守ることもできない母親なので、いつも向きや置き方がルールとは違います。

そこに置かないで!と言いても、やっぱりそこに置きっぱなしです。

それを片付けても、できていないからとは思わないようで、フォローされているという感覚がありません。

できていない自覚がない相手って、意外と面倒です。

口だけは出ますから。

もう母親は、不足した食材に気づいて買って来てくれません。

買って来るのは、決まった食材だけなんです。

またピーマン?

そんな買い物。

やっぱりダメでした! ピーマンは増殖し続けています!

 毎日のように買って来るピーマンです

あまりに消費するのが限界だったので、一度放置してみることに。

野菜室を開ければ、大袋のピーマンがあるので、それを見たら流石に買って来ないだろうと。

でも結果は予想とは違って、またピーマンを買って来ます。

しかもキャベツにレタス、かぼちゃ、大量のネギ、じゃがいもなどなど。

とても一週間で消費できる量ではありません。

何より、それとは別に両親は弁当とかも買っていますから。

結局、どうしたってダメなんですよ。

頑張って消費すれば余計に買って来るし、放置しても買って来る。

結局は買って来るんです。

だから、精神的にストレスに感じる必要はなくて、使いたい時に使うくらいでもう良いとしませんか。

料理する方は、あれこれと調理方法を考えなければいけませんが、買う方はカゴに入れるだけなんです。

しかもお金だってなくなれば、無心されることになる訳ですし。

でも何でそんなにピーマンなんでしょうね。

買って来て野菜室を開けた時に、「あったジャン!」とは思わないでしょうか。

思っても忘れてしまうんでしょうね。

放置する癖も全然直せませんし、何でもやりっぱなしです。

コップ1つ、テーブルに置いておく。

そんな中途半端なことがいろんな場所で起こります。

妙に並べ方にこだわってみたり。

よく分かりません。

実は今日、以前に予約した訪問者が来ます!

数日前から、「木曜日だからね。時間は〇〇時だよ」と再三、母親に伝えました。

「大丈夫。分かっている」と答える母親。

でもどうでしょうか?

今朝になって「仕事、休みでしょう? 代わってくれない?」と言い出します。

「何で?あんなに言ったでしょう?」と。

すると自身の薬がなくなるので、病院に行きたいと言うのです。

でもおかしくないですか。

しかもギリギリでできないって言い出すの。

社会人なら一番信用をなくす行為です。

予定を変更するとか、訪問時間を変えてもらうとか、先にするべきことがあるはずです。

そう言うところが老化とは関係なく、抜けている所ですよね。

迷惑になることでも平気なの。

そして、アイクリームを買って来るって根回しだけはするんです。

「買ったから食べて!」

もう怖くて何も食べられません。

結局、増えたピーマンを頑張って消費しないことに

 野菜室に溢れたピーマン

このままじゃ、ピーマンが腐ってしまうかも。

そんなことを考えて、買って来たら急いで使うようにして来ましたが、結果、それだと毎日にようにピーマンが増えてしまいます。

そこで、大袋の10個が入ったピーマンをあえて消費しないで放置することにしました。

次の日、また買って来たらどうしようか?とも思いましたが、流石に買って来ることはありません。

その翌日も。

なんか、北風と太陽みたいな話で、こちらが頑張るから相手も張り合って来ます。

だから放置すると興味を失い買って来なくなるのでしょう。

とは言え、ピーマンではなくなっただけで、他の食材が増えているのは相変わらずですが。

それでもいいだと思います。

あまり深く考えることではなさそうです。

気づいて欲しいとか、配慮して欲しいと思ってもそれが届くことはありません。

買いたい時には買って来ると言うスタンスなので、あれこれと考え悩んでも何も変わらないんです。

だから、料理する時にあれば使うし、あっても使わない時は放置する。

それでいいんだと思いました。

頑張る介護だから疲れる。

頑張らない介護にすれば、それなりにできるものなんです。

結果的ですが。

なぜ、ピーマンは無限に野菜室で増殖できたのか?

 今朝も10個以上に増えている!?

先に断っておきますが、ホラーではありません。

また、最新の農業技術の話でもありません。

これは、こみちの母親が、毎日、ピーマンを欠かさず買い続けている物語です。

一昨日、ピーマンを一気に6個消費させて、それまで続いていたピーマンの在庫が全て野菜室からなくなりました。

「とは言って、次の日にまた買っていたりして」

独り言のように呟き、翌日、野菜室にピーマンが増えていないことを見て、「やっと、止まったか!」と思っていました。

翌日、そう今朝、「昨日はなかったけど、もう買っていたりして」と野菜室を覗きます。

すると奥の方にビニール袋に包まれたピーマンが3個見つかりました。

「嗚呼、ダメかぁ〜」

でも今朝、その3個をすぐにつかえば、母親もすぐに食卓に出されてしまうと気づいてくれるのではないかと思いました。

それでその3個を一度、野菜室から取り出して、ウインナーと一緒に炒めてしまおうかと考えたりします。

「あとは…」

野菜室には、まだ残りがあるのに、キャベツが追加されていて、人参もきゅうりもまた増えています。

意外ときゅうりはサラダにしか使わないので、どう消費させるか考えながら野菜室の奥に目をやりました。

「これ、ピーマンじゃん!」

そう大きな袋が奥に隠れていて、ピーマンがざっと8個から10個入っています。

その時にピンと来ました。

昨日は買っていないと思っていましたが、夜にこっそり入れたのでしょう。

買っていたんです。

もう一週間くらい連続して、ピーマンを欠かさず買い続けています。

明日も母親はピーマンを買ってしまうのでしょうか?

買わなくていいと伝えても、母親は買い物をします。

スーパーではベテラン主婦の雰囲気で、お買い得をカゴに入れるのでしょう。

「嗚呼、ピーマンがお買い得!」

そして、明日もまた。

ここまで来ると、もう認知低下が始まっているとしか説明できません。

毎日、そんなにピーマンが食べたくなるのでしょうか?


介護が目指す「自立支援」とは何か?

 「できること」を助ける介護であるために

例えば「食べる」ことしかできない人。

そんな人は、買い物ができない、料理ができない、洗い物ができない。そしてそもそも買うお金がない。

できない部分を支えるのが介護です。

ではそれらをカバーするだけが介護なのかという話。

何を言いたいのかというと、買い物や料理、洗い物を誰かがした時に、その労力や時間は全て介護として無償化するのか、その代償としてその人にできることを別の形で担わせるのかということ。

というのも、買い物ができないと言っても、車を運転できないからなのか、歩けないからなのか、もう少し理由を細かく見ると何かできない理由があります。

なので、できないとしても、買い物を一緒に行き、杖をついて歩いてもらうなどの方法だって無いわけではありません。

逆を言えば、介護する側も全て任された方が絶対に簡単で、逆に部分的に相手のできる部分を残すには、準備や段取りが複雑になります。

買い物するだけなら簡単ですが、ゆっくりしか歩けない、長くは歩けない人を連れて行くなら、同じ買い物でも段取りが全く異なるからです。

つまり、自立支援の難しいところは、その人らしさをどこまで支えるのかでしょう。

食べるしかできないなら、それ以外を支援する方がずっと簡単で、逆にまだできるかもしれない部分を少しでも探して、残して行くことが介護を難しくします。


母親も認知症っぽい気がする

 いわゆるまだらな父親と

一見すると会話もできています。

今日の高校野球、どっちが勝ったのか理解しているので。

でも父親で言えば、時間の感覚がとても疎く、いつも同じことを決まった時間にできません。

そして、母親、そんなできない父親を見ても、時間と状況で何がどうできていないか分かっていない気がします。

「今日も疲れた」

そんなことを言いながら、お茶を飲んでいたりしますが、こみちにすれば「今、何時?何をしないといけないのかなぁ?」と思ってしまいます。

というのも、夕飯を作り始める夕方、父親がダイニングテーブルを陣取り、荷物を広げています。

もう父親が時間を見てそれが迷惑になっていると理解するのは難しく、でもそれを見て母親も違和感に思わないことに少し愕然としました。

気持ちとしては「お父さん、時間だよ」そんな言葉が出てくると思っていました。

でも「お父さんもお茶飲む?」と。

父親もそうなら母親も同様で、お互いにボケ始めているので、変なことにもう気付けないようです。


今朝はサラダだけを用意して

 昨夜、冷蔵庫を見て

好意的に事態を捉えると、母親の買い物も朝食作りの緩和かも知れません。

でも、朝から作りたてではない既製品の唐揚げを食べたいでしょうか?

これが10代の息子ならそうかも知れません。でもいい年になった両親が介護のフェーズに入った家族には合わないでしょう。

少しコストが掛かりますが、やっぱり味噌汁と焼き魚などがおすすめです。

でも作るのは今のところこみちなので、生魚が冷蔵庫に毎回用意されていても、確かに夕方と同じレベルでは大変です。

それで出した結論は、グリーンサラダ。

あとは母親の方で好きなようにおかずをプラスして食べてもらうことにしました。

今朝、改めて冷蔵庫見ると、これまた市販のおにぎりまで買ってありました。

最近、母親はインスタントラーメンやトマト、沢庵を切るくらいしか料理をしません。

昨夜はそんな状況も考慮して悩んでいたのですが、今朝は急に吹っ切れてしまい、どうフォローするべきかではなく、とりあえず基本だけをこなして、あとはアレンジしてもらうことを思いつきました。

それでいいんじゃないかと思います。

でも、ちょっと疑問。

毎晩、両親用の白米を確保しておきます。

にも関わらず、出来合いのちらし寿司を買って食べたようです。

買うのもいいです。食べるのもいいです。

でも何も言わなければ、そのキープした白米が残りますよね。

それは?

って感じなんです。

しかも、よくよく見ればおにぎりまで買ってある。

今日、両親だけなら朝昼晩を食べる分くらい惣菜などで賄えるくらいあります。

昼はおまかせなので、夜も用意しなくてもいいと言うか、また買って食べるだろうとも思うんです。

そもそもなぜ作るのかって、食費を抑えて貯蓄に回そうと言う計画です。

でも今は、二重になっているだけでなく、こみちが作ると言う時間的な無駄すらあります。

今もしめじとピーマンが増えていて、きっと思いつきでニンジャがプラスされて…。

でも、野菜の買い方も無くなったから買うではなく、その時の気分で買っているのか、店でピーマンが安いとどこに行っても買ってしまうので、結果的に何袋にもなってしまうのでしょう。

例えばこれ、両親だけでやりくりするとなったら、やっぱり厳しいでしょうし、ほぼ毎回、出来合いの弁当や惣菜を食べることになるでしょう。

今は作る人がいる。そこにプラスだから、思いつきで買って食べることができますが、自分たちで用意するしかないとなれば、今みたいにいきなりちらし寿司を買って食べることもできないでしょう。

逆に、こみちだってふと思ったものを買って食べたいです。

でも冷蔵庫には…と思うので、結果的にピーマンを消費できる料理は?と言う思考になっているだけ。

どうしよう?と不安から入るから悩んでしまうので、朝は「グリーンサラダ」と決めればいいだけです。

「あとは自由にどうぞ!」にすれば、悩む必要もなくなります。

でもそれだけ、母親も老けたんでしょうね。

主婦としてのポジションを失いたくない。

だから、父親には買い物をして食事の準備もできる妻でいたいのでしょう。

それに父親も本当に今のコストなど理解できていないでしょうし、母親が今まで通り買ってくれば、家は問題なく回っていると疑いもしないでしょうし。

数字を見せてももうピンと来ないでしょうから、もう少しの間は両親で好きに頑張ってもらうことにします。

言っても今のスタイルが5年も続くとは思えないですし。

その頃には父親もさらに介護度が進み、施設に入るかどうかを考える時期で、もしかしたら母親にも介護が始まってしまうかも知れません。

「買い物できる」。それだけまだまだ現役だと言うことでしょう。

さっき冷蔵庫を見てため息でした…

 夕方のこと

夕飯を作り終えて、しばらくした時、両親が食事を済ませてました。

テーブルにはこみちが作ったおかず以外に、唐揚げなどスーパーで購入した出来合い品が何品も。

しかもちらし寿司を両親二人は食べたようで、ご飯が少なかったのでわざわざ自分だけパスタ麺を茹でて簡単に味付けしたもので済ませたのにと思うと、ため息しか出ません。

言ってくれたら作らないのに、それを言ってくれないままに自分たちでこっそり別の料理を食べている。

そして、それが食費を増やし、家族全体の支出を膨らませていることが意味することも考えていないことにストレスを感じます。

父親も母親の買い物したものを見て、「こんなに買ってお金は大丈夫なのか?」とも思っていないのでしょう。

どうなっているのか、そう思えて仕方ありません。

年金額や収入を考えて、最終的には介護などの費用が不足する。

でもその時は今の浪費のことも過去になっている。

両親を見ていて、言っても理解できず、言わなければその場しのぎのお金を使い果たしてしまう。

こみちが調整して上手く回せば回すほど、それで上手く行っていると思うようで、全く望んでいる方向には進んでくれません。

あれだけ出来合い品を買い込んでいるなら、もう両親はそうやって自分たちで食べればいいと思うのです。

安い物を買うので消費期限も今日までと言うものが多く、結局は翌日急いで食べるしかないことになり、買い物して来てもらうよりも食費をお金でもらいたいのですが、母親は自分で買うことにこだわります。

この前、父親のリハパンをネットで購入して、それを伝えましたが、お金は払ってくれませんでした。

そして、その分で大量の惣菜を買ってくる。

母親の気持ちはどうなっているのでしょうか?

どこを節約して、どこに浪費しているのか?

誰得な行為なのかと思ってしまいますが、母親にすれば自分ままだまだ現役だと言うつもりなのでしょう。

好きにすればいいのに。

でも、完全に離れてはやって行けないので、同じ食材も忘れずに買ってくる。

しめじとピーマン、ハム。

そんなに毎回、買い物しなくてもいいのに。

高齢者介護でポイントになる「認知機能低下」とは?

 認知機能低下→認知症ではない?

認知機能が低下したら「それは認知症かもしれない」と考えてしまうのは、介護を勉強した人のあるあるかもしれません。

というのも、認知症も軽視できない問題ですが、実は在宅介護などで別の大きな問題になるからです。

こみちは要介護認定を受ける父親と少し最近の行動がそんな父親の一年前を追っているように見える母親を暮らしています。

父親のことは今回は省き、母親のことに触れたいと思います。

先日、失禁する父親のために使用するリハパンとパットをネットで購入しました。

それを両親のどちらかが受け取ってくれて、玄関に大きな紙袋が3つありました。

「宅配来てたよ」

帰宅した時に母親に教えられて「嗚呼、リハパンとパットをネットで注文したんだ」と伝えました。

それに対し母親は「よく分からないけど…」そう言ってその場を離れていきます。

みなさんは、その反応をどう感じるでしょうか?

唐突に言われて、「分からなかった」と本当に思いましたか?

これ、先月も同じ反応でした。

そして決まってその翌日に菓子パンを1つ買って来て「食べていいよ」と言うことも実は同じ反応です。

こみちとしては、母親の心理をこんな風に解釈しています。

先ず、購入したリハパンやパットを使うのは父親だと理解していること。そして、1ヶ月分をまとめ買いするとそれなりにまとまった金額になること。代金を支払わないことに少し後ろめたさもあるけれど、「払うよ」と言うとそれなりの出費になること。

その結果、菓子パンを買って来たんだと思うんです。

と言うのも、母親は先月も同じことを言いました。

「ネットで買った方が安いの?」と。

こみちのように母親の行動に疑問を持つ人なら、「ネットと店舗とでどちらが安いのか?」って実は次の段階で出る会話だと気づくでしょう。

母親はもう代金を請求されないと分かった時にそんな質問をして、全く無関心でもなく、深く関わって代金を請求されることもない距離で話題を振ったのです。

高齢になり認知機能が低下すると言うのは、単純なもの忘れをイメージしてはいけません。

認知機能低下とは、自身が不利や損になるを巧みに回避する癖が強くなる行動にもなります。

「初めて聞いた」とか「分からない」。

母親は割とそんなフレーズの言葉を使います。

そして、「そんな好き勝手していたら、介護が必要になっても手助けしないからね」と伝えた時に「ごめん」ではなく「介護してくれなくても結構です!」と言い切ります。

でも考えてもみてください。

父親のリハパンやパット、既に誰が在庫をみて購入していますか?

本来なら母親がそれを管理していてもおかしい話ではありません。

そして、「それを人に任せていること」の部分が認知機能低下しています。

なので母親は助けられていることに対して認知が低下し、「自分はできている」を思い込んで譲りません。

言ったことを忘れてしまう状況を指すのではなく、事実を歪んで解釈していることに気づかなくなることが認知機能低下でもあるのです。

それこそ何度も伝えても、服薬を1回分でまとめた袋を元の場所とは違う所にまとめてしまうのも、どこに置けば誰にも分かりやすいとは理解できず、自分で決めた方法でならまとめることができます。

なので、こうしてくれたら次の人もスムーズだと言う方法ではできないので、時に全てやり直すことになるような状況にも気づきません。

そして、やり直されると、時に嫌味なことをされたとさえ思うようです。

それは自分は頑張ったのに、わざわざやり直すなんて酷いことをすると言う理解になるからでしょう。

もしもこの仮説が正しいなら、母親の認知機能低下は既に始まっていて、もの忘れのような単純な反応ではなく、事実をそのまま理解できないようになっていると言えるのです。

「ネットで買ってくれてありがとう」と言うと母親は後ろめたい気持ちになるのでしょう。

その代わりに「菓子パンを買ったから食べな!」なら自分のプライドも保てて、しかもリハパンやパット代を支払うよりも安価で損しません。

今朝の朝食を作る時、冷蔵庫にマカロニサラダやつくねの惣菜など、多くの品物が買い込んでありました。

得したお金をそんな形で消費し、父親や自分が食べるものも一緒に買う。

いつも同じ行動をする母親の心理は、多分こんな風に動いたからではないかと察します。

認知機能低下した高齢者介護で難しいのは、お金の管理も認知機能低下で変わってしまうことでしょう。

与えれば与えるだけ、自分なりに役立つ方法で買い物をして来ます。

全く無駄ではありませんが、リハパンの代金もネットを使って数百円でも安いと思うからです。

でも実際には、その代金はこちらで支払い。さらに母親がまた何か別のものを買ってしまう。

結果的に節約ではなく、上乗せされた浪費行動なのですが、母親基準ではそれが辻褄の合う行為になっています。

思うと父親も完全な認知ではないので「オレの使うリハパンって誰が買っているんだ?」と母親に聞いても不思議ではありません。

でも父親はそれを質問しませんし、「請求してくれ」とも言いません。

「お金を渡すから〇〇を買って来て」と言う時も、その買い物で時間や手間を使うことは全くイメージできなくて、代金だけを聞き「払うよ」と言います。

「そりゃそうだろう」と言う反応になりそうですが、不思議と父親も母親もそんな時の反応は同じです。

自分には段階とできないことが増えて、家族がそれを介護してくれている。

そんな風には理解できないことになっているんです。