何で生きるのか?
こみちが生きているのは、将来「妻の介護をするため」です。
だから、妻よりも最低1日長く生きなければなりません。
ある意味、その約束を果たすために今日も生きています。
生きるのが辛い
叶えたい夢もなくて、もう十分に満足できた人生でした。
良くも悪くも人生がどのようなものかも分かりましたし、もしも学生時代に戻ったとしても、時間が長くなっただけで、今よりも有意義な時間を過ごせるとも思えません。
生まれていろんな人と出会い、いい人生だったと感じます。
最近、乃木坂46のyoutube を観ているのですが、学生時代にアイドルに熱中したこともなくて、可愛いとかキレイとかそんな感情よりも、若い世代の方々が頑張っている姿を見ていると励まされたり癒されます。
でも、アイドルもずっと続けられるものではないようで、グループ活動をしつつも、自分も個性にも磨きをかけなければならず、また大学卒業などの岐路で活動を辞める人もいるようです。
キラキラして見える彼女たちでさえ、その時期は限られたもので、ある意味で凄いスピードで現実が過去へと変わります。
こみちの昔を思い出すと、ふと思い浮かぶことが幾つかありますが、それらも長い人生の一瞬でしかありません。
それ以外は、普段もう忘れてしまった時間です。
つまり、人生と言ってもその大半が「今」であり、残りが「過去」の思い出です。
良い思い出も悪い思い出も、過ぎ去ってしまうと「あんな時代もあった」と思い返すことしかできません。
だから、未来に思う「夢」ってもの凄く大切です。
なぜなら、今と過去だけの人生はあまりにシンプルだからです。
今はこうだけど、明日はきっと…。
そんな風に夢見るからこそ、生きられるのだと思うのです。
親の介護を始めて、例えば自分の時間や労力を費やして成り立つ幸福を求める両親といると、希望や夢が失われてしまうのがよく分かります。
努力しても、それが何か成果になることもなく、多くは無駄だったと思う結末ばかりになれば、頑張る気力も失せてしまいます。
介護が始まって、辛いなぁと感じるよりも、気力が失せて生きることが虚しく感じるようになりました。
与えられることが当たり前に感じる両親は、いろいろ上手く行っている幸せを当然としか感じていません。
昨晩も「窓開いているから」と言って母親は自室に戻ろうとしました。
だから、「あとで閉めて」と言ったんです。
開けている理由は換気なのですが、だとしても「開いているから」を受け入れると、あっちもこっちも中途半端なことを全部尻拭いしないといけなくなります。
できないことは仕方ないとしても、最初から人任せになってしまうと、それこそこみちはずっと両親のけつ拭きをし続ける人生になってしまいます。
考え過ぎないように、でも夢は持ち続けられるように、今日も生きたいと思います。