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「介護福祉士」になった後の未来計画を立てる話

 「介護福祉士」になって

若い人の中には、福祉系の学校で経験を重ねて「介護福祉士」になる方もいるでしょう。

しかし、中高年の多くは介護施設などで実際に3年以上勤務して受験資格を満たし、「介護福祉士」の有資格者になるパターンではないでしょうか。

こみちの場合、最初に実務者研修という福祉系の学校に通って認定資格をいただきました。

そこを卒業した後、介護施設に勤務して国家試験に合格し有資格者になっています。

例えば、30代、40代、50代の方で、何か健康不安を感じるような出来事に遭遇した場合、若い頃とは異なる人生観になることがあります。

昨日、今日の次に「明日」ということが当たり前ではないと気づくからです。

こみちのように幸いにして大きな病いになっていない方の中には、まだまだ無理をしても健康でいられると思われる方もいるでしょう。

しかし、例えば介護施設を利用される高齢者との関わりは、自身にもいつか訪れる未来を教えてくれます。

老けることは「これまで欲張ったね」ということ。

だから「悔い」だけは残さない生き方をしなければいけないことを気付かされます。

あと20年とか30年とか。

若い人が考える将来とはまた異なり、中高年の我々は「今世」で「何をしたかったのか?」を考えるタイミングを迎えています。

もちろん絶対に考える必要があるということではありませんが、介護施設でお世話させてももらうと、それぞれの方に人生があって、ここに来るまでもいろんなことがあったはずで、彼らが同じ「おじさん」「おばあさん」ではありません。

つまり、個々には全く異なる人生ですが、時の流れによって迎えることになるステージには共通点もあって、我々中高年が自身の人生を振り返るタイミングだとするなら、彼らはもう少し先を進んでいます。

施設内で「お迎え」が来る方もいれば、家庭の事情で別の施設へと移られる方もいたりして、実際にこみちの担当ではなかった利用者の方が、わざわざ挨拶に来て「今までお世話なりました。これからもお元気で」と握手させていただいたことは強く印象に残る出来事です。

「ケアマネ」だけが選択肢ではない?

介護スタッフとして勤務してみると、施設を利用される高齢者と実際に対面し、お世話が始まります。

その方の性格や健康状態、何より「どう生きたいのか?」を踏まえて作られる「ケアプラン」は、我々スタッフにとって彼らとの接し方を決める手引きです。

そんな計画書を作成するのがケアマネで、現行の規定では介護福祉士取得後5年以上の経験を経て受験できます。

現時点で介護業界未経験の方であれば、最短でもケアマネになるまで8年掛かり、最初からケアマネを最終的な仕事と考えにはなかなか先の長い話かも知れません。

こみちの場合も、3年で取得できる介護福祉士と、それから5年が必要になるケアマネでは、目指す意欲に差がありました。

時は前後しますが、初めて介護の仕事を知る機会になった実務者研修を受講していた時に、講師を勤めていた方々は偶然にもみんな元ケアマネで、そこから施設運営側に回ったり、保育士、理美容士、看護士などへと進まれたり、様々な経緯を経て「講師」をなられています。

ケアマネとして勤務されなかった理由は様々だと思いますが、例えば在宅で通いながら施設を利用される高齢者のケアプランを一人のケアマネが担当するのは最大で35名で、毎日、一人の利用者宅を回っても1ヶ月では回り切れないことになります。

それだけ体力も気も使う仕事だということが想像できるでしょう。

さらに、施設内でケアマネとして働く場合は、100名まで担当でき、しかもこみちが勤務していた時のケアマネはケアマネ業務の他に、介護スタッフとしても現場に立ち、夜勤までされています。

通常業務の他、スタッフ間のトラブルなどにも関わることがある施設ケアマネもまた、体力も気力も求められる仕事でしょう。

介護業界では人材を求めている?

未経験の方も、介護福祉士の方も介護業界では人材を求めています。

それだけ利用される方が増えて、今いるスタッフだけでは大変だからです。

年齢や経験不問で仕事を始められることが多く、中高年の方にとって仕事探しで検討して欲しい業界でもあります。

また、単に仕事探しという視点ではなく、自身の未来を考えるためにも介護スタッフとして働くことが意義あるものになると思うからです。

親しい知人を失ったという経験から学ぶこと

 中高年と呼ばれる年代になったからこそ

結論から言ってしまえば、「悔いなく生きよう」ということです。

親しい方を失い、「今日はもういないんだなぁ」と思ってしまいます。

介護施設で働いていた時も、年間で考えると何度か同じような経験があって、こみちの人生観においても大きな影響を与えてくれました。

親子以上に歳の離れた方々のお世話をさせてもらい、その中で彼らの人柄にも触れることができて、例えば当時の思い出話を聞かせてもらったときは、今の暮らしがそんな過去の頑張りがあっての話なのだと思いながら、でも当時の生き生きと活躍されていた頃にも触れられた気がして、もしも世代を超えて出会うことができたなら、もっと早く巡り会えたらとも思いました。

ある男性利用者の場合は特にそうで、大正や昭和の初期に生まれた彼は、貿易の仕事をするために海外を渡航されたと言います。

「外国語は話せたんですか?」

「いや、全く。でも行こうと思ったんだ」

「大変でしたか?」

「アハハ。どうだったかなぁ。思い出はたくさんあるよ」

「また聞かせてくださいね」

その後、彼とは約3年、こみちがその施設で働いている間、ずっと担当になり、話を聞かせてもらいながら、でも少しずつ体も表情も少なくなっている現実にも気付かされます。

介護施設にも医師や看護師がいたりしますが、本格的な治療ができる体制ではありません。

生命や健康を著しく損なうような時は、施設を出て提携された病院などへ運ばれます。

中には、手続きや家族など、いろんな事情で介護施設を退所されてしまい、その後のことは一介護士には分からないことも多いのですが、中には再び介護施設に戻って来られる方もいて、懐かしい表情に触れられて嬉しく感じることもありました。

そんな経験をさせてくれたのが、こみちの介護士時代の話です。

そして、今回は知り合いの方が旅たちました。

出会った頃から既にデイサービスを利用されていた方で、コロナの影響もあったみたいであまり体調が良かったという感じではなかったそうです。

約3年という時間は、それだけ人と会うことも遠ざけていましたから。

「実はウチの父親が…」

そんな話を聞いた時、「そうだったんですね」と言うのが精一杯でした。

タイミングは別ですが、やっぱりお迎えは誰にもでも訪れるもので、その時までに気になっていることは行動に起こしておきたいもの。

我慢や計画もありますが、特に中高年にもなるといきなり何もできなくなることだって起こり得ます。

介護施設でいつも話を聞かせてくれた方は、「まだ若いんだ。何でもできる」といつも励ましてくれました。

「もうオッサンです」

「人生を楽しめ」

「嗚呼、ハイ」

もう目があまり開かなくて、話し掛ける時に習慣で肩や腕に触れさせてもらっていたのですが、少し俯いたままそう優しく声を掛けてくれることにどれだけ救われたでしょうか。

中高年の方で、仕事探しを考えている人がいたら、いろんな条件もあるとは思いますが、介護士という仕事をぜひ体験して欲しいと思います。

それはお金で手に入る経験ではなく、自分がやがて迎える遠い未来に向かって生きて行く道しるべになるからです。

彼との出会いはもちろん、女性の中にもいろいろと話すことができた人はたくさんいて、こみちにとって介護士時代は大きな財産になっています。

そして冒頭でも触れましたが、「悔いなく生きる」ということです。


介護士の仕事を理解していますか?

 中高年におすすめしたい介護士の仕事

介護士と言っても、勤務する介護施設によってかなり仕事内容が異なります。

初めて介護士として働くのであれば、特養ホームや老健、デイサービスなどがおすすめです。

その理由は、先輩介護士と一緒に働けるので、初任者研修などでは学ぶことが難しい「現場力」が身につくからです。

先ずは、現場で3年以上勤務し、国家資格でもある介護福祉士の資格取得を目指しましょう。

介護福祉士の資格試験は毎年1月末の日曜日に実施されます。

その合格の目安は、全125問の出題に6割以上の正解が求められますが、心配は必要ありません。

現場経験を3年以上積み重ねれば、それだけで既に5割前後の問題に正解できるからです。

つまり、残り1割から2割分をどう上乗せできるかがポイントになります。

例えば、特養ホームなどに勤務すると、日常の勤務で医師や看護師と密に仕事をする機会は多くないかもしれません。

つまり、利用者に対して医療従事者が何をどう関わるのか知ることも少ないでしょう。

一方で、病院内の介護スタッフとして働くような場合、日頃から医師、看護師の仕事を見聞きできるので、医療と介護の連携や役割の違いをより実感しやすいでしょう。

介護福祉士の試験に関しては、一部医療に関する内容が問われます。

しかしながら、医師や看護師に求められる知識を追ってしまうと、知識量が膨大なのでそれこそ学習効率が低下します。

試験で求められる意図を理解し、介護サービスの前提として問われる「医療」なのだと考えましょう。

このように、勤務した介護施設によっては、問われる試験内容と重ならない部分もあるので、そこを重点的に補うだけでも、残り1割から2割を賄えるはずです。

介護福祉士になると、そこからさらに経験を重ねて、ケアマネジャーという資格にも挑戦できます。

ケアマネとも言われますが、介護スタッフが利用者と関わりさまざまなサービスを提供しますが、そのサービス内容を「計画(ケアプラン)」としてまとめるのが主な役割です。

その人の性格や心身状態、家族の支援など、実際には施設入所された方々もいろんな背景を持っていて、それは機会的に判断できるものではありません。

そこで、先ずは現場経験を重ねて介護福祉士となり、さらに今度はどのような介護サービスが求められるのかを意識し、ケアマネになることで、今度は利用者とその周辺の事情を踏まえた役割へと移行します。

中には、ケアマネだけを業務とする人もいれば、ケアマネを続けながら現場スタッフとしても働く人がいます。

未経験からスタートし、ケアマネになるまでは最低でも8年以上の時間を要します。

介護福祉士になるのに3年、そこからケアマネの任命資格を得るのに5年が必要だからです。

親の介護を経験して

こみちは今後のためにも両親との同居を始めました。

実際に同居すると、互いの生活スピードがあまりに違っていて、ストレスが溜まります。

日に何度も「なぜ?」と思うようなことが起こり、それは子どもに対する感覚とは異なります。

できなくても仕方ないと思うことがなかなか難しいからです。

育ててくれた「親」を、「できなくても仕方ない」と見切れない部分があります。

例えば、父親は時々トイレの便座を濡らしてしまいます。

母親は同じ物を何度も買って来たり、間違いでも繰り返してしまいます。

それを指摘しても、一方的に言い訳が始まるので、本当に必要なこと以外は自由に任せます。

そうしなければ、こちらの精神が参ってしまうからです。

ある意味では、介護士として働く時以上に、こだわりが出てしまうので、程よい距離感が保てません。

中高年の人には

ぜひ、介護士として働いて欲しいと思います。

どっぷりと関わらないにしても、介護施設の業務を知ることで、自身が老いた時のイメージができるからです。

やはり健康が大切だと感じるでしょうし、仕事を続けることの効果にも理解ができるはずです。

そんな意識で、介護スタッフという働き方を候補に入れてはいかがでしょうか。



両親の介護をすることになったら

 「介護」って何だろう?

介護福祉士でもあるこみちが考える「介護」とは、「人生を考えること」です。

「人生」というと重く感じますが、平たく言えば「どう生きるか?」ということ。

両親の介護で考えるべきポイントは、同居するのか否か。

そして、最終的に「介護施設に入る」か否かです。

一般的な話をすると、要介護3以上認定されたら「介護施設」を検討しましょう。

要介護3とは、「トイレが一人でできるか?」という段階です。

つまり、要介護3、要介護4、5と進むにつれて、できないことが増えて、トイレから入浴、着替え、起きる寝ると、人の生活の大部分に関わる段階で、それを家族だけで支えることはおすすめできません。

本人、家族の心身が不健康になりやすいからです。

冒頭で、「施設に入るか?」という話をしましたが、「入るか?」ではなく「入ってもらう」というのが本音です。

しかし、問題があるとするなら経済的な負担で、介護施設を入居という形で利用する場合、月額込み込みで10万円〜というのが相場になっていて、家から近いとか要望が増えると金額も20数万円まで跳ね上がります。

例えば関東圏で都内の介護施設を利用するのは、土地代もあって高額になりやすいでしょう。

栃木県や群馬県など、東京から離れるほど、利用代金も安くなります。

しかし、家族が頻繁に訪れることが難しく、「入所する」とは新たな生活を選ぶという覚悟が必要です。

両親の介護が気になる方がチェックするポイント

まだ同居していない場合、両親の介護がどれくらい必要かは、家の様子でも分かります。

まず、老いて来ると家の中が雑然とします。

物を見えるところに置きたがるので、ごちゃごちゃした印象です。

家の隅々までしっかりと整頓され、掃除されているのかもポイントでしょう。

視力が衰えて来ることで、カビなどがあっても気にならないことも多く、トイレの臭いがキツかったり、汚れていることにも無頓着になるからです。

できているという意識が両親にはある

注意として、老いたからと言って「できていない」とは両親も思っていません。

なので、「ダメ」を連発しても口うるさいとしか思われません。

方法を相談するというスタンスで取り組み、さらに解決が難しい場合には「同居」の検討が浮上します。

こみちの家でも、両親は今までと同じ生活は維持できていますが、新たに片付けをする、いつもはしない場所の掃除をするとなると、もう自分たちではできません。

それが一軒家の場合、庭などの管理を含めて、生活をコンパクトにする準備が求められるでしょう。

「使っていない物を処分する」ということが、今の70代以降の方々は苦手というケースも多く、それを理解して断捨離するまでが一苦労です。

こみちの場合、まず両親だけでは片付いていません。

ある意味、両親が居なくなった時に一気に処分するという選択肢もありますが、業者を使う場合には50万円以上のコストになることを理解しておくべきです。

現役世代の方々は、働いていてそんな時間が割けないと思ってしまうかもしれませんが、入院や介護などが始まると、10万円単位でお金が必要になるので、そのあたりも理解して準備しましょう。

「そろそろ片付けしよう!」

「面倒くさい」

こみちの家では、そんな会話が当たり前です。

誰のためなのか?という部分で、老いてくると本当にレスポンスが下がります。

でも、「ダメでしょ!」「ちゃんとして!」と怒ってはいけません。

そんな両親とどう向き合えばいいのか、究極的には現役世代がコントロールするしか無いからです。

まとめ

同居をするのか。

介護施設を利用するのか。

このポイントをしっかりと理解しておきましょう。

お金の問題に加えて、時間までも奪われるのが介護です。

別居の時なら、時々でよかったのに、同居すると三度の食事から掃除洗濯と、何かと自由が奪われます。

そこで、両親に介護が必要になる前に、話し合いをしておきましょう。

介護施設に入ることやその費用などを話題にしておくことで、お互いの負担も軽減できます。

そして、不安を感じた時は、両親が住んでいる地域の役所(福祉課など)に相談しましょう。

具体的に分からない場合でも、「どんなサービスが利用できるのか?」という振り方で担当者から説明を受けます。

そうすると、公的な介護サービスを受ける手順なども聞けて、自分自身もどんなことを考え準備したらいいのか分かってきます。



それ卑屈!?でも「人間の真理」でしょう?

 介護士に向いている人材とは?

どんな職業であっても、しっかりニーズを見出せば需要は見つかります。

ただ現実的に、モデルや歌手になれるのは、業界にあまり関心がない我々が想像するような条件があって、それを満たしていると夢が叶いやすいのも事実でしょう。

クリエイターの中にも、適正や条件があって、トップクリエイターになれるのは「大衆性」に目を向けることができた人だったりします。

これも日ごろからクリエイターになりたいと思わない人は感じ難いことですが、「自身の世界観」とか「独自性」が強すぎると「プロ」にはなれますが「トップ」にはなれないのです。

実際に、ミュージシャンの音楽性がメジャーになって変化し、熱烈なファンの中には初期の音楽性が好きだという人がいたりするのも、「大衆性」が関係していると思います。

では、介護士に向いている人ってどんな人でしょうか。

こみち自身、考え方や人生のステージの違いで、双方にメリットが見出せる関係が存在することを理解しているつもりですが、総じてプラマイ「0」という認識です。

意識として、苦労や面倒を感じていなくても、肉体的精神的に「負荷」をかけないと、「うま味」を作ることはできません。

つまり、3分で作れる料理には3分の価値があって、2時間の料理には2時間分の価値があるということです。

もう少し触れると、プロの料理人は2時間掛けた価値を見出せますが、こみちのような素人が作る場合、時間と出来が一致せず、掛けた労力の大半を無駄にします。

世間ではこの段階を「見習い」とか「半人前」と呼びますが、「一人前」になってから初めて価値観見出せる段階になることも理解するべきでしょう。

3分の料理をイメージした時に、「レンチンで作れる料理」を想像する人もいれば、既に下ごしらえしてある食材が準備されていて、それを使ってどう仕上げるのかを3分で済ませるのとでは結果が異なります。

この違いが見習いと一人前の差でもあります。

つまり、介護士向いている人とは、業務で行う一連の作業を人並みにできるところから判断されるということです。

「一週間で大体の作業ができる」ということで、適正など分かりません。

理解が遅いから早いかよりも、他人から見て「一人前」と認められた後に、どんな信念で介護業界と関わるのかの内容で「適正の有無」が分かるのです。

こみちは介護福祉士の有資格者です。

介護福祉士は国家資格の一つで、医師や看護師などと比較すると取得は簡単ですが、実務経験から取得を目指す場合、3年以上の在籍と540日以上の勤務実績が必須になります。

つまり、有能な人でも3年を費やさないと取得できない点で、介護福祉士の資格は人を選びます。

初任者研修のように早ければ2ヶ月で取得できる「研修」と異なる部分でしょう。

心が優しいから介護士向いているという前に、3年間介護施設で働ける資質がなければ、「適正」を判断する段階にもならないということです。

介護業界の利益は介護報酬である税金がベースです。

制度上、頑張ってから増額されるというものではありません。

つまり、「良い介護」を掲げた時に、時間や手間を費やしても、その大半が「サービス精神」の範疇です。

だとしたら、一回で済むことは一回で済ませないと、それを二度と三度に分けては余分なコストになってしまいます。

芋洗いのように、高齢者を次々に入浴させる介護を見て、「もっとゆっくり入浴させてあげたい」と考えることが経験者の中にいないのは、その分の人件費を捻出できないからです。

言い換えれば、より良い介護サービスを考える人は、介護の方法ではなく、異業種でもいいので介護事業に充てられる「資金源」を見つけることです。

ある意味、異業種で得た利益の中から、社会福祉事業として介護事業を運営するような人でなければ、そもそも介護サービスを向上させられる立場にはいません。

では、こみちのような一般人に限ったとして、どんな人が介護士に向いているでしょうか。

それはズバリ、「相手の自尊心」を大切にできる人です。

自分がした方が早くてキレイでも、相手に説明し時間を費やしてでも「達成感」や「満足感」を満たせるようにサブに回れる人です。

何度も同じことをしてしまう高齢者も少なくありません。

でもそこで怒ってしまう気持ちも理解できますが、それでは介護にはなりません。

自身の仕事を半分の時間で終えて、その空き時間でそんな高齢者にどれだけ「満足感」を与えられるかが介護だと思います。

それはつまり、自身の能力をフルパワーで発揮しなければいけないことでもあり、介護士が疲労してしまう原因でもあります。

つまり、そうしても精神的に疲れを解消できるメンタルが必須です。

介護業界が難しい業務だと思う理由として、異業種での利益確保や人材育成のコストが大きいことも挙げられます。

なぜなら、本当に介護士ができる人は、異業種でもっと稼げるポテンシャルがあるからです。

相手に満足感を与えられるので、営業職などでその能力が活かせるでしょう。

また、介護業務では歌やダンスなどもあり、少し意識を変えればYouTube などもできるはずです。

でもあえて「介護士」という選択をするのは、誰かに「役立つ仕事」として考えるからでしょう。


「夢」や「希望」を見つけたいけれど

 なぜ人は生きるのか?

中高年と呼ばれる年齢まで生きて、「人生」とはどんなものなのかがわかって来た。

10代や20代の頃に悩んでいた中で、もっとこだわるべき問題もあったが、悩む必要などなかったことも多い。

「若さ」は意識しなければ年々失われるもので、一度失ってしまうとかなり取り戻すのは大変だ。

事実、中高年になってしまうと、「お金」や「努力」をいくら注いだとしても20代の若さには戻れない。

つまり、「若さ」という源は、できる限り保っておいた方がいい。

では「若さ」とは何だろうか。

思うに「若さ」は「希望に突き進む力」だと言える。

夢や希望、つまり「何のために生きているのか?」に自分なりの答えが見つかっていない人はそれだけ早く「若さ」を喪失しているとも考えられる。

将来、どんな職業に就けばいいのか。どんな未来を描けばいいのかとまだ若い人の中にははっきりとした答えが見つかっていないこともあるだろう。

少しつまらない話をすると、中高年になった段階で、未来と呼べる道筋は誰だろうとそう変わりはなくなる。

つまり、10代、20代、30代、そして40代の途中までだからこそ「夢」や「希望」について考えるわけで、そもそも答えが見つからなかったとしても「ある年齢」まで来るともう悩むこともできなくなってしまう。

遠回しな言い方をしたが、「夢や希望の答えが見つかること」ではなく、「夢や希望で悩めること」が若い人に許された特権ということだ。

「答えが見つからない」という悩みでいいのも若い人だからで、逆を言えば「〇〇になりたい」という答えが正解か不正解かはもっと後の話なのだ。

中高年になると「〇〇になりたい」とは言わず、「〇〇になった」と表現する。

夢や希望としてではなく、現実として叶えるもので、憧れだけで話ものではなくなるのだ。

理由はとても簡単で、若い人とは異なり、中高年には時間が無い。

夢や希望という意味で想像していても、その内身体もさらに自由が利かなくなって、動きたくても動くことができない原因が増える。

「生きる」とは自身が叶えたい夢や希望について進むことができる期間とそれが若さの喪失で難しくなって、思い出や経験、さらに後の時代を生きる人に何か少しでも残すことだと思う。

なぜ生きるのか分からないなら、もっと若い人たちのために働くことだ。

自分で答えを見つけられないなら、誰かのために支えとして生きることも大切になる。

才能や素質があっても、その時点ではまだ芽が出ない人もいる。

そんな若い人に手を差し出せることができたら、自身が生まれた意味も生きる理由もはっきりと分かるだろう。

ではそのために何をするべきか。

もしも誰かを助けるために猛勉強して医者になったという人がいたら、その人は生まれてきた意味を見つけたと言える。

でもそんな優秀な人ばかりではないし、こみちのように中高年になっても何者にもなれないという人だっているはずだ。

だとしても、何かするべきことはある。

それを考えることが「生きる」理由だろう。

介護士として働いた経験から得たもの

介護士として高齢者の支援をしたこともあるこみちは、それこそたくさんの高齢者と出会うことができて、彼らの人生の終盤に関わらせてもらえた。

それこそいろんな人と出会えたが、その中でももう少し違い年代に知り合えたらと思えた男性がいた。

彼の生き方や性格、身の回りのお世話をさせてもらう中で、その人柄に触れて、自身もこんな風にみんなから愛される人になりたいと思った。

だからと言って、八方美人なのではない。

どこか憎めない人柄で、さらにユーモアや退き際まで絶妙なのだ。

彼と最期の別れを経験し、いろんなことを思い出した。

でも言えるのは、もしも生きてなければそんな彼にも会えなかっただろう。

人はいつか迎えが来るわけで、だとしたら悩まずに進んでみればいい。

できるなら目標は達成したいけれど、できなくても「生きている」ことで次がある。

「何のために生きているんだろう?」

「何のために働いているんだろう?」

いろんな悩みは誰にだってある。

でも悩んでいるだけなら、みんなと同じでも、一歩を踏み出して行動に移せたら、それで誰かが救われることだってある。

どこかでそんな一歩を踏み出した姿に気づき、さらにその人も一歩を引き出すきっかけにもなるからだ。

自分自身で明確な答えが出せなくても、進んで行くことで次の人の目安になれる。

「苦労ばかりの人生ですね」と言われたなら、その分だけ周りの人が救われたとも言える。

苦労や挫折、失敗をしたことで、誰かが救われると考えたら、悩みながらも生き抜く姿に大きな意味があるだろう。

99%は上手くいかない。

でも1%は何か変化している。

結局、それが人生の本質だと思うし、幸せを感じたることでもあるのだろう。

「認知症」は恐るものなのか?

 中高年の気づき「認知症」を疑う!?

最近、物忘れが酷くなったと感じることはないだろうか。

こみち自身は、「戸締まりしただろうか?」「火の元は閉めただろうか?」と、不安になって再確認することが増えた。

考え事をして家に入り、「車の鍵って閉めたか?」とまた戻ることもある。

確かに記憶力が低下し、特に高齢者の特徴でもある「両立」が段々と不得手になっていると感じるが、それはまだ「加齢」の段階だろう。

40代くらいから感じ始める加齢の特徴は、精神的なストレスに弱くなることだろう。

いわゆる精神障害だけでなく、感情をコントロールしたり、集中力をキープしたりと、気持ちを目的や目標に合わせて保つことが辛いと感じ始める。

例えばこみち自身、好きな絵を描く時でも、集中力を維持する時間が長くなると、身体に強いストレスが掛かる。

爪を噛んだり、手で身体を摩ったり、髪を触ったりする。

以前はそんなことをしなかったし、割と集中力はあった方だ。

でも、そこはもう中高年。

「したいこと」が分かっていても、そこに意識を集中させることが苦しいと感じる。

「認知症」を知っていますか?

介護福祉士のこみちが知る限りで言うと、「認知症」は脳の機能障害だ。

つまり、「心」という部分が変化したわけではなくて、「脳」と介して伝わる情報が別のものになってしまうこと。

だから「今は何時?」と思って時計を見た時、まず「時計」そのものがどこにあるのかから始まる。

さらに言えば、「時計」は見つけたとしても、「時刻を読める」かはまた別問題。

アナログの時計なら、長針と短針の位置で時刻を読み取る。

でも、その読み取り方を忘れたり、数字が理解できなくなっていると、残念ながら時刻は分からない。

きっと最初の頃は、「私には時刻が読めない」というよりも、「あの時計、何だか変だ」と思うだろう。

実際、認知症の高齢者は、トイレの場所が分からなくなるし、トイレに入ってもズボンを脱ぐことができない。

理由はとてもシンプルで、「何をすれば良いのか?」の答えに戸惑ってしまうからだ。

壁に向かって用を足してしまう。ゴミ箱に跨ってしてしまうということもあったが、本人としては少し疑問を感じつつも、「トイレってここだったか?」という認識なのだろう。

「それはティッシュの箱です。ケーキじゃないですよ!」

「エエ!? 違うの?」

嘘みたいに思うかもしれませんが、「箱に入ったケーキ」がかつての暮らしと密接だった人は、ティッシュの箱をケーキの箱と誤認することがありました。

「違いますよ」と伝えれば、「間違えた」と笑ってくれる人もいれば、「嘘だ! 独り占めするつもりでしょ!」と疑う人もいます。

笑ってくれたら、なぜ間違えたのかを根掘り葉掘り質問するより、こみちは軽く流してしまいます。

ただ疑われた時には、実際にティッシュの箱の中を確認してもらい、「ケーキ、入ってないでしょう?」と見てもらいます。

「本当に無いね」と状況を理解してもらえれば、笑ってくれた人と同じで、もう流して次に移ります。

でも「じゃ、ケーキはどこなの?」という話になったら、改めてケーキについて質問します。

「ケーキは何個あったの?」「誰かにもらったの?」

そもそもあるはず無いケーキですが、「ケーキなんてありません」と伝えても、そこにズレがあるのが認知症なので、どんな風に理解しているのかを確認する意味でも、雑談の中で質問を折り込みます。

記憶している認識が曖昧だと感じた時は、「もしかして、これから持って来るんじゃない?」という流れもあります。

つまり、現時点では「ここには無い」と納得できますし、本人としても情報に整理ができるからです。

認知症の種類によっては…

被害妄想に結びつきやすい場合、少しの対応のミスをきっかけに本人を激しく怒らせてしまいます。

「おはよう」と伝えたとしても、「いつまで寝ているの!」と聞こえたら誰だって嫌な気分になるでしょう。

「いい天気ですね!」とカーテンを開けようものなら、「勝手にしないで!」とさらに怒らせてしまうのです。

暴言や暴力行為が激しく、家族では応じきれない時は介護施設を利用するといいでしょう。

介護施設にはいろんな経緯で認知症になった方々がいて、介護士はそんな彼らといつも一緒にいます。

「もう帰る」と言い出す人には「あれ木曜日ですよ。息子さんの塾は休みの日じゃないですか?」と本人が帰ると言い出した原因を踏まえた問い掛けから始めます。

それでも落ち着かないので、「そうだ! 息子さん、会社の帰りに顔を出すから待っていてって言ってました。来るまで待ってましょう」

とさらにここに居る理由を共有します。

このように、認知症になると、情報のくみ取り方が変わってしまいます。

しかし本人の性格や感情の反応が変わる訳ではありません。

つまり、本人にすれば「今はどんな状況なんだ?」という感じになるのです。

なので接するときは、何より本人目線で接することが大切。

興味深い経験としては、こちらが心から伝えた気持ちが届き、「危ないでしょ!」と言った時に「ごめん」と真剣に言ってくれたりします。

その時、本人の頭の中では何が危ないのかを理解したのではなく、「助けてくれた」という状況を察して言ったのでしょう。


介護における「自立支援」とは何か?

 「自立支援」とは何か?

心も身体も、機能的にも意識的にも不自由を感じることなく自在に使える状況なら、その人は自分の意思で生活環境を選択できるでしょう。

しかし、例えばこみちのように心を壊した経験があると、強くストレスが掛かりそうなタイミングを察した時に頭が混乱し冷静な判断ができなくなってしまいます。

感覚的には、時間の経過が段々と早くなって決断を迫られる状況の中で、焦らずに最後まで判断し続けるというようなストレスが起こります。

「もうできない!」と一瞬でも思って判断を怠れば、次々と迫るストレスに負けてしまい、落ち着けるまで機能停止になってしまいます。

厄介なのは、一度でも「破綻」を経験すると、その時の状況が意識下に残っているので、強くストレスが掛かる状況で判断をし続けていても、「もうダメだろう」「自分は失敗したんだ」と足を引っ張るような感覚が加わり、以前よりも遥かに「破綻」しやすくなってしまうことです。

潜在的な「感覚」や「意識」「記憶」を拭う方法があれば、それこそ破綻した体験を封印できるかも知れませんが、それができなければ以前よりもマージンをとって強いストレスを避けた生活が必要になります。

でも日常生活は普通におくれるので、周りから見れば遊んでいるだけとか、楽なことしかしないとか、そんな印象を受けるかも知れません。

しかし、逆を言えば、そんな生活環境をあえて作り出し、これ以上心を壊さないように生きているというのが実情です。

これは精神的な「不具合」の話ですが、手足にマヒなどがあったりして自由に動かせないというストレスを抱えて生きている方もいるでしょう。

それこそ、完全に自由自在な人を探す方が難しく、誰もが程度こそ違いますが何らかの不便と付き合いながら生きています。

つまり、「自立支援」という考え方は、右手がダメなら左手で、他の指は動かないけれど親指は動くというように、その人が自由にコントロールできることをベースに、何をどう環境や人の支援を受けて、より自由自在に生きられるのかを考えることになるでしょうか。

介護における「自立支援」とは何か?

介護における場合、多くは老化現象を発端とした機能低下によって従来の生活が維持できないことで問題となります。

これまでの介護士経験を含めると、「熟考する」「細かなことを続ける」「時間に合わせて行動する」など、心に強いストレスを伴う行動が苦手になります。

ある意味、認知症も脳の機能障害を伴うとは言え同様な症状で、「忘れること」で自分の負担を軽くしたいと身体が行っているとも言えるからです。

しかし、「時計を見ても時間が分からない」や「ご飯を食べたことも覚えていない」となると、その人だけでは生活を維持することは難しいでしょう。

そうなると「介護」が必要になります。

そして問題となるのは「自立支援」の考え方をどう反映させるべきかなのですが、「自分らしく」という意味で、その人に選択してもらったり、方法を尋ねたりすることで、実現したいと考えます。

しかし、そもそもそれぞれの選択肢の違いや質問内容に答えられない状況になっていた場合、どんな方法で「自立支援」を実現すればいいでしょうか。

現役の介護士時代、研修や勉強会という形で専門家や大先輩からの経験を聞いてきましたが、「高齢者とは〇〇なので」というようなストーリーが根底にあるケースが多く、未だに理解できない高齢者の意識を「どう汲み取るべきか?」と方法について語った人に出会ったことがありません。

概念的なことは言えても、人はそれぞれの人生観を持っていて、それこそ豪華な食事を何よりの生き甲斐にしていた人と、裕福故に豪華な食事が当たり前だった人とでは同じ「豪華な食事」でも意味が違うでしょう。

つまり、個人のこだわりを聞き出す役割を介護では「ケアマネ」や「社会福祉士」などの有資格者が行いますが、彼らだって社長経験や職人経験、主婦や子育て経験など、人生全てを知っている訳ではありません。

資格取得に伴い、各項目を指針に沿って学んだに過ぎないからです。

逆を言えば、そうすることでしか、「介護」を現実的に始められないとも言えます。

もしもその部分を行程すると、その流れから「自立支援」も定義するしかなくなります。

「高齢者の暮らしとは〇〇だ」という指針を決めることです。

現場の介護士は、そんな指針に沿って介護サービスを提供しています。

朝になると「起きる時間ですよ」と声を掛けて回るのも、時間の認識が低下した利用者にはありがたいサービスでしょう。

一方で、もう少し寝ていたいという生活をして来た人にも起きるように声掛けします。

有料老人ホームのような施設を除けば、「もう少し」に対する融通が限定的なのも介護施設という指針に沿って機能している故に避けられないのは仕方ありません。

介護士として働いていると、「自立支援」に取り組もうという働き方がありますが、そもそもルールありきで始まった自立支援の矛盾に現場は割り切らなければなりません。

介護士の中にその矛盾を過剰な労働で補おうとして疲れてしまう人がいますが、そもそもルールありきで始まったことを考えると、介護士としては100%を意識し過ぎないことも大切で、その時どきでできることをすれば十分だと思うべきなのです。

中高年の逆転 「地道な毎日と強みを育てる」意識を持つ!

 仕事を時間給で評価しない!?

例えば東京都内や神奈川県の最低賃金は約1040円。

つまり、時給1000円という求人はできません。

ちなみに、千葉県や埼玉県では約950円から。

「時給1000円」という金額は、昔とは違って、もう高額な報酬ではありません。

しかし、時間給600円代だった頃を知るこみちには、時給1000円は高嶺の花の金額です。

例えば介護士として働く場合、都内の介護施設で1200円くらいから募集があります。

ただ、入浴介助などは1時間の作業でも精神的にも肉体的にも疲労するので、正直なところ時給1200円くらいなら、異業種で1000円の方が気楽に感じます。

介護系の仕事はやりがいもありますが、身動きができない利用者の身体をストレッチャーと呼ばれる移動式のベッドに乗せて、頭から足先まで洗い、キズや肌疾患などの対応などを考えると、介護士としてやるべき仕事はかなり責任重大です。

こみちが勤務していた施設では、少数の利用者を担当する部署と大勢の利用者を大勢のスタッフで担当する部署に分かれていましたが、少数の場合には利用者を浴室に誘導し身体を洗ってまた居室に戻るまで基本一人の介護士が完了させます。

一方、大勢の利用者を担当する部署では、誘導するグループ、着衣の着脱グループ、浴室で洗浄するグループといくつかの役割に分かれて行われます。

未経験者やまだ経験が浅い介護士は、大勢のスタッフがいるグループで段階的に経験した方がいいでしょうし、早く入浴介助をマスターしたい人は全て任せてもらえる少数の担当になった方がいいでしょう。

こみちの場合、上司からの勧めで入浴介助を担当するようになりました。

その時点で、衣類の着脱や排泄介助、全身の清拭などを経験済みだったので、入浴介助では主に洗髪が加わった感じです。

介護施設によっては、自力で入浴できる利用者しかいない場合や、こみちのように要介護5という寝たきり状態の利用者を担当する場合など、入浴介助と言っても作業内容は差があります。

特に心身の強張りや麻痺と伴う利用者、ペースメーカーなどを装着している利用者など、一般的な入浴介助以上に注意しなければいけないケースもあります。

こみちは幸いにも入浴介助で事故などはありませんが、聞いた話ではストレッチャーからの転落や入浴中の挟み込みなど、ちょっとした気の緩みで大きな事故が発生します。

しっかりした技術者に対して、介護士を評価するようにしなければ、やはり時間給1200円では割に合わない業務だと感じます。

それでも、介護士の仕事ができれば、年齢を問わず雇用が期待できますし、収入源を確保する意味では有益です。

中高年の場合、安定した仕事を確保しつつ、利益率の高い仕事を開拓して行くことで、将来的にも長く働ける仕事を得られるでしょう。

介護士という仕事を経験してみるのは、無駄ではありません。

中高年の闇 「思いやり」はどこから生まれるのか?

 それって「発達障害」なの?

「発達障害」とは、身体的な側面よりも精神的な側面での「成長」が滞っている状況を指します。

介護士の視点から説明すると、脳の成長が通常の成長と比較して異なる状態があり、例えば年齢から判断して想定される注意力や学習姿勢、言葉の発し方などに「差」が見られます。

具体的には、「この場面でそれをするの?」と周りが感じてしまう状況は、本人にとっては特別なことではなくても、周りからは少し違和感に感じてしまったということで、その言動の理由や根底を探すと「発達障害」という心理的な要因が疑われるという話です。

この記事を書きながら、実はこみち自身、「あいみょん」さんの「マリーゴールド」という曲を聴いたいました。

その歌詞に「もう離れないでと泣きそうなキミが…」という部分があるのですが、介護士的には「依存性」が思いつきます。

これは「発達障害」と診断されない人でも、程度問題として持っている特徴でもあって、「惚れやすい」とか「すぐに相手を好きになってしまう」とか、「いつもそばにいて欲しい」とか、恋愛では情熱的なフレーズですが、それが起こってしまう要因は「脳の性質」と大きく関わっているとも言えます。

「思いやり」がどこから生まれるのか?

子ども時代、親や周囲の人から「優しさ」をしっかりと与えられていない人は、大人になって「思いやり」が持てないのでしょうか。

「優しさ」も学習なのだと考えれば、それを教わっていないのなら、できなくても仕方ないでしょう。

しかし、実家にいる時にはなかった習慣や生活スタイルが社会人になって一人暮らしを始めて身についたという経験があるように、「学習」は子どもの時だけのものではありません。

大人になっても、一般的に想定される行動が取れない場合、それは「発達障害」が関わっているのではないかと疑うことができます。

誰かに料理を作る。

普段なら、それを受け取った人は「1」嬉しく思います。

一方で、何か特別な状況、例えば誕生日とか、疲れている日とか、頑張ったと褒めて欲しい時など、受け取る側の心理状態が普段と異なる時に、同じ「優しさ」だったとしても受け取り方が変化します。

つまり、「転びそうになった相手にそっと手を伸ばして支えた」という行為は、思いやりを感じやすい状況なのです。

意図的にそんな場面で、あざとく「優しさ」を演出するのもどうかと思いますが、疲れているから「お風呂を沸かして用意する」というような行動には「思いやり」があるでしょう。

一方で、発達障害が見られる人の場合、誰かが誰かのために用意した料理を、勝手に食べていたりします。

「どうして食べたの?」と責めても、「一口だけだ」というような返答があるでしょう。

「思いやり」は行動から発生した「心理的なもの」なので、「一口」かどうかではなく、相手のために用意したものなのです。

しかし、理解が不足していると、「まだ残っている」という物質的な面で理解され、時に指摘された意図がわかりません。

時々、「なぜそれを?」という状況を目にしますが、その人にとってはわざとではなく、「状況」を察することができないだけかもしれません。

現役介護士の皆さん 「常識」を正面から考えたことがありますか?

 「介護」の原点を考えるために

介護福祉士になったこみちが思う「介護」の姿は、「特別」なことではありません。

だからこそ、「「当たり前」や「常識」が同じなのか?」が問われるのです。

現場スタッフの担うべきスケジュールは、ほとんどぼんやりしている時間はありません。

むしろ、追われながらこなさなければいけないストレスを抱えて働いています。

その中で、わざわざ利用者の要望に応える「一歩」は、スタッフの自己責任的な扱いになります。

責任負いたくない。ダメだと評価されたくない。

そんな介護士は、「一歩」を踏み出すことはありません。

言い換えれば、施設側で設定したスケジュールに従い、任務を果たすことが「介護」なっているのです。

介護の仕事を始めると、寄り添いや自立支援など、本来なら基本的な介護知識が前提となることを飛び越えて、「理想」を先に教えられます。

事実、経験の浅いスタッフの中には、利用者と雑談することを「介護」と勘違いして、スケジュールに書かれた業務を放棄している人も見かけます。

ある意味、それをするために「ノルマ」を素早くこなせる技術力を介護士として身につけなければいけないのです。

「ノルマ」とは、安全性や不快感など、人と人が関わる仕事なので、「介護とは何か?」を何度も考えてみることがベースになります。

例えば、移乗や体位変換をとっても、利用者側の気持ちになってみると、ただテクニック的なことだけでは「上手い」とは言えません。

「何となく苦手だなぁ」と感じている介護士が担当になったら、利用者としては少し気分もよくはないでしょう。

例えばその時、介護士側も「してあげている」という気持ちがあれば、一瞬、利用者の不快な表情に寄り添うことはせず、「いい身分だ」と利用者のことを否定的に捉えたりしないでしょうか。

理想を言えば、介護士になる人は、「介護をしたいと思っている人」がするべきです。

しかし、中高年から仕事を探してみると、採用される仕事はどうしても限られてしまい、介護の他、いくつかの業務になることが定番です。

そんな経験を経たとしても、働き始めた介護士の中には「働かせてもらっている」という意識よりも先に「してあげている」という感情になります。

なぜか?

理由は簡単で、人は「同類」とか「自分が少し上」ということに敏感な生き物だからです。

料理人が、客に出せる料理を作れたら、それこそ自分の意識に反して謙らなくても、仕事として収入を得られるでしょう。

それが「一人前」になるということで、人生のより豊かにしたいなら20代の中盤くらいには到達したい心境です。

思うに、日本には「目上の人を立てる」という習慣があります。

一方で中高年になると年下の上司も珍しいことではありません。

扱いとしては年齢から優遇されることも増えますが、反面、年齢を問わず「一人前」が当たり前になるのも事実です。

介護士の給料が上がらない要因は、介護が「日常」を扱うからでしょう。

特別な技術には報酬も出す根拠が見つかりますが、誰にでもできることなのにそこに対価を払うのはどうしてもスッキリとはしません。

しかし冒頭にも触れましたが、介護士の常識や当たり前と利用者のそれは同じではありません。

つまり、その擦り合わせは「特別なこと」なのです。

事実、人によって心地よいテンポは異なります。

気になることと気にならないことも違います。

それこそ最大公約数で作業をすると、スケジュールをこなすことはできません。

どこまでを重視し、どこを省くのかとその時々で判断するには、全てを知っていなければできないことなのです。

それができる人を介護の「一人前」と呼ぶとするなら、誰もがしていることだとしても「当たり前」と考えるべきではありません。

しかし、介護士に限らず、「なぜ生まれたのか?」や「なぜ寿命があるのか?」と正面から考える人は少数派でしょう。

考えたことはあっても、自身の考えを構築することに過ぎず、生きる中で他人を理解し、「人」そのものを観察して、答えを導き出した人となると、さらに限られます。

しかし、介護をするには、その擦り合わせが大切で、介護福祉士になったからこそ言えますが、異業種で一人前になる方が考えるべき項目が限定されているのでおすすめです。

にも関わらず介護の仕事が、年齢や経験を問わないのでしょうか。

実は、採用こそされても辞めてしまう人も多く、言い換えれば、事前にどんなに意欲を確かめても現場で本当に動けるかはやってみないと分からないからです。


「介護」は何がどう「大変」なのか?

 「汚い」から大変なのではない!?

介護士を未経験から始めたこみちですが、当時のイメージは「介護=オムツ交換」でした。

他人の排泄物を処理するということが、自分にはできないことと認識していましたし、初めて現場で見た時は後退りしてしまうほどでした。

そんなこみちでも、場数を踏めばできるようになりました。

それこそ勤務の度に毎回10名くらいをこなしていけば、利用者と会話をしながら作業できるようになります。

じゃ、何が「介護」で大変なのでしょう。

ズバリ、「理想」と「現実」のズレです。

高齢者になっても、それまでの生活があるので、「理想」があります。

例えば、風呂から出て衣類を着る時、「理想は3分以内」という経験値が残っています。

しかし、立つことができない利用者の場合、介護士一人で着衣するには、横たわってもらうしかありません。

二人で介助するには、タイミングも合わせなければいけません。

「遅い!」「寒い!」

利用者は理想があるので、不満を漏らします。

急いでいてもなかなか上手くできないのは介護士も同じで、利用者に急かされて余計にストレスを感じます。

「じゃ、自分で着てください!」

と言えればいいのですが、そうもいきません。

つまり、遠くには譲れない「理想」があって、でも現実はそれに向かって進んではいない。

高齢になるとあまり先まで考えられなくなって、介護士の立場からすると早くしたいなら「そこは我慢して欲しい」と思うタイミングがあります。

でも、「トイレ」とか「手を洗いたい」とか、介護士にすると「今?」という時に言い出します。

お風呂場に来て、今から入浴という場面で、「オシッコしたい」と言い出されると、トイレに行ってからのサポートは理解できていても、風呂の担当者がその場を離れられない状況が出てきます。

でも、他に頼めなければ、トイレに連れて行く他はありません。

「なんで今なの?」

とストレスを溜めてしまいますが、それが介護の大変さでしょう。

1、2、3。

あとは4と5。

そう思ったら、「1をお願い」と言われる。

「もう終わりましたよ!」

「終わっていない!!」

そんなやり取りが何度も起こります。

利用者にすれば、例えば認知やこだわりから、自身で状況を正確に把握できないことがあります。

つまり、言葉で説明しても理解できないのです。

入浴が終わり、身体を拭いて更衣場所に戻ろうとした時に「風呂は?」と言い出すとその後が大変です。

戻ることを拒絶し、風呂場で騒ぎ立てるという利用者もいるからです。

その声に反応すると、他の利用者も感情が不安定になるので、介護士は数倍神経を使います。

言葉では通うじない相手に、でもスケジュールはどんどん迫っている。

高圧的な態度にならないように、その場を収めるのも介護士の力量です。

感覚的には、同じことを2度3度する覚悟が、意外とできません。

やっと終わったとか、終わりが見えてもう少しだと思った時に、それを全部ひっくり返されることもあるのが「介護」です。

でもそうなってしまうのは、利用者が悪いのではありません。

「加齢」による症状として、「理想」と「現実」の差が上手く掴めなくなるのです。

例えば、「電話しておいて」と高齢者に頼んでも、数日後にまだできていないということが頻繁に起こります。

「何でしていないの?」と問ういても、「電話するしかないの?」と電話を掛けることそのものを問題視していたりします。

つまり、理由はともかく「電話する」ということができないのです。

受話器を持つことができないのではなく、「電話しなければいけない理由」を理解できません。

でもこのような状況はとても日常的で、「ゴミを捨てたの?」と言っても「何曜日だっけ?」と一歩も二歩も前に話に戻っています。

「朝も言ったでしょう?」と怒っても、状況を理解できていないので「怒られた」とか「嫌味を言われた」という記憶になり、それでは相手を毛嫌いするばかりです。

感情をグッと堪えて、「ゴミ捨てしようよ!?」と笑顔で話し掛けることができないと、介護は上手くいきません。

その意味では、介護は忍耐力なのかもしれません。


最低限の介護サービスが提供できていない!?

 介護業界の人手不足って何だ!?

未経験から介護業界に入り、3年を経て「基本」の大切さに気づいた。

それこそ、イラスト制作やプログラミングの仕事をするよりも、介護の仕事は「基本」が見え難い。

例えば、オムツ交換を習得したいのなら、最初に見学でもいいので実際の現場を見ることだろう。

そうすれば、オムツ交換でどんなことが起こっているのか肌で感じられるし、それを見て自分には無理だと思ったら、介護の仕事を早く見切ることができる。

今、こみちと同じスタッフの中で、2割くらいの人は全ての仕事が許可されていない。

中には、話し相手とお茶くみだけというスタッフもいて、オムツ交換は難しいだろうと教えることもしていない。

ただ、そんなスタッフが増えてしまっても、現場の負担は残されたスタッフ担うので、正直なところ出勤する時にスタッフが何名いるのかではなく、動けるスタッフが入っているかが気になる。

今日、一人の常勤スタッフが急きょ休みとなり、現場にこみちともう一人のスタッフが主力となった。

しかし、そのスタッフもある利用者から拒否が出ていて、同じ仕事でもできないことが出て来る。

拒否された理由はとても簡単で、利用者が嫌がることを無許可で強行したからだ。

そして拒否されて改めるというのではなく、できないからと振る体制ができている。

正直、今日のような働き方では、施設の信用を損ねてしまうだろう。

今日は事故などは起きなかったが、それでもいつかは誰かが事故を起こすだろう。

思うに、そんな状況なら訓練された派遣スタッフを雇うべきで、その間に人材育成に本腰を入れることだ。

個別ケアに努めるユニット型は、限られた人数の利用者に対し、幅広い業務を行う介護士が担当することで成り立つ。

オムツ交換や食事介助、入浴介助などは基本的ケアで、その個人に合わせて寄り添うことがポイントになるだろう。

その意味では、例えば大部屋などを管理する大所帯の施設なら、それぞれの専門スタッフを特化して準備することも不可能ではない。

例えば、まだ慣れない間はお茶配りやトイレへの誘導を中心に担当し、食事介助からオムツ交換、入浴介助へと業務を広げていけばいい。

その意味では、精神疾患を患う利用者に対応することもあるユニット型では、より踏み込んだ心の理解が不可欠になる。

例えば、そんなユニット型介護で、何か説明もしないで介護士が利用者をコントロールするようになってしまうと、もうユニット型を名乗る理由がなくなる。

実際、食事の時間に一人の介護士が、複数名の食事介助と口腔ケア、トイレ誘導やベッドへの誘導を30分で10名分を担当するのは難しいのではないだろうか。

現役の介護士なら分かると思うが、裏ワザというものがあって、それこそスピード最優先で辻褄合わせをする介護もある。

その時は人員の関係で仕方なかったという説明もできるが、入所している利用者にすれば、1日は1日で、どんな1日も粗末にされるべきではない。

最近、ある夜勤者の後、利用者のオムツが粗末な付け方になっている。

正しくつけられていないので、ズボンを脱がせようとすると、それだけでオムツも一緒にずり落ちてしまう。

そればかりか、中心線がズレているために、左右が均等ではないままに装着されていたりして、それだけ適切な介護サービスが提供されていないと感じる。

しっかりとした教育システムがなければ、ある一部の介護士は成長できるかもしれないが、残りのスタッフは十分な技術が身につかないことで、担当を避けたり、任せることができなかったりする状況が生まれる。

その意味では、介護業界の人手不足も、しっかりとした教育システムが確立できていない裏返しではないだろうか。

そして、一定水準以上のスキルが認められたスタッフの報酬は、見習い期間の時とはしっかり区分して欲しい。

それにしても、今勤務している介護施設で学ぶことも少なくなった。

より踏み込んだ介護サービスを体験したいのであれば、サービスに自信を持っている施設を探してもいいだろう。

現役介護士が紹介する効率的な「介護施設」の探し方

先ずは条件を整理するところから

介護施設選びで困る理由は、考えるや事前に知っておくべきことがたくさんあること。

そこで、初めてでも簡単に介護施設を探すポイントを紹介します。

とは言っても、先ずは条件の確認として「介護認定を受けていること」とその判定で「要介護1から5」のいずれに該当していることが必須です。

また、預貯金や年金の支給額から、月額10万円程度をねん出できるかも調べておきましょう。

介護施設で最も大切なこととは?

例えば、まだまだ自宅での生活が可能なレベルなら、要介護も要支援を含めて1または2くらいではないでしょうか。

これは個人的な目安ですが、要介護3以上になったら施設入所を検討するべきです。

感覚としては、移動手段が車いすになる健康状態で、トイレが一人で使えるかどうかのラインです。

というのも、高齢者が転倒して怖いのは、足の骨を折り、完治までベッドで寝たきりが続くこと。

そうなってしまうと筋力低下も重なり、殆どが車いす生活でオムツ着用になるからです。

オムツを使う理由は、ある程度介護者の負担を考えての部分も多く、特にトイレを使っていた人がオムツになって多いのは「トイレに行きたい」ということでしょう。

在宅でも施設でも、そんな要望を受けて、トイレに誘導して用を足すことが続くと介護者の負担はかなり厳しいものです。

しかし、オムツ慣れしてもらおうとするあまり、トイレに連れて行かない習慣が続ければ、確実に認知は進みます。

オムツになれば、自ずと食事意欲も軽減し、自然と体力や意欲が低下していくという傾向になります。

その時には要介護も4や5の段階で、健康寿命という意味では厳しい状況です。

つまり、オムツにしないことがとてもポイントで、車いすでもしっかりとトイレは使うという生活を長く維持するべきです。

しかしながら、施設の外観や設備を見るだけでは、トイレ誘導をしてくれることまで分かりません。

つまり、施設選びはどれだけオムツを使わずに外れるかが重要です。

特に夜間帯だけで、日中はリハパンを使うなど、生活の中で少しでもADLやQOLを向上させる手間をかけているかに尽きます。

現役介護士のこみちがおすすめしたい介護施設

在宅での生活を送っている人で、少し足腰に不安を感じ始めたなら、デイサービスではなく、デイケアに分類されるリハビリにも積極的に対応してくれる施設を探すこと。

また、入所を希望される方なら、老人介護保健施設(老健)と呼ばれる施設から探しましょう。

一般的には老健は3ヶ月しか入れないとか、在宅復帰を目指した施設と考えられていますが、現状としては2年以上も施設で継続して入所されている方も少なくありません。

それは同じ老健でも、それぞれの施設が目指す介護スタイルがあって、ある施設では3ヶ月以内に在宅復帰を掲げたり、また特養待ちのニーズに合わせた施設になっていたりします。

というのも、特養はどこも100名近くが入所を待っているような状況で、長く施設では3年以上も待たされることだってあります。

その理由は、同じようなサービスを提供する有料老人ホームが特養と比べて高額な傾向にあるからです。

それこそ、有料老人ホームの場合、月額20万円以上のところもあって、収入面で問題ない世帯ならそれだけ手厚いサービスが受けられます。

先に紹介したオムツ慣れの部分でも、できる限りトイレ誘導にも応じてくれるでしょう。

その点で言えば、特養はずっと住めることがウリとなり、在宅復帰を目指したリハビリやトイレ誘導をこまめに行うことよりも、安全安心に暮らせる日常を提供してくれます。

そのように考えと、一般的には介護が必要となったら、探すべきは老健なのです。

希望したい老健を絞り込むためには?

サービス内容にある程度の好感を持てたなら、居室のタイプに着目します。

月額の利用代金を10万円から15万円くらい掛けられるなら、ユニットの料金を調べてみても良いはずです。

介護の形態から、4人部屋などの複数名で利用する居室に比べて高額ですが、利用者が気さくに声かけしやすいのもユニットです。

一方で、四人部屋などの居室なら、月額利用代金が10万円以下というケースもあって、厳しい予算でねん出する場合には、相部屋を申し込みましょう。

少し古い施設の場合には従来型個室というタイプもありますが、ユニットととの違いは介護スタイルです。

ユニットが10名くらいの利用者をチームとして支えるのに対し、従来型個室ではあくまでも部屋が一人部屋というだけで、介護スタイルとしては四人部屋と変わりません。

大切な家族を施設に預けることになるので、どこまで予算を掛けられるかがポイントですし、家族の健康状態や認知度の進み具合とを踏まえて、どこまでの手厚さが必要なのかを検討しましょう。

それこそ、3度の食事や週数回の入浴、オムツ交換など最低限の介護で十分なら、四人部屋などの複数名で利用する居室を完備した老健がおすすめです。

例えば、ナースコールを自身で押せないとか、寝返りやベッドから車いすへの乗り移りが困難な状況で割り切れるなら、金額が抑えられる複数人部屋でも十分です。

しかし、プライベートな空間やテレビなどの趣味を誰にも邪魔されずに楽しみたいと思えるくらいなら、ユニット介護を提供している施設が便利です。

ユニット型の老健でも、中には月額利用代金20万円以上の施設もあります。

そして、意外なポイントが継続して入所している期間の確認でしょう。

というのも、老健は在宅復帰を目指したケアを得意とし、早い段階で在宅復帰に進む施設もあれば、数年以上も在籍できる施設もあるからです。

施設を直接見学する際に、案内してくれるスタッフに入所期間を確認してもいいでしょう。

というのも、長く施設生活が続けば、どうして介護度は上がってしまいます。

そこで、リハビリを通じて在宅復帰し、また様子を見て施設へと戻るという行き来を通じた介護スタイルを行う老健も多いからです。

一方で、特養待ちの施設として位置づけられ、老健ながら多くの利用者が年単位で利用しているような施設もあります。

在宅復帰して世話できるかどうかで、施設の方針と合っているか検討しましょう。



これから「介護士」を始めるために

 「介護士」とは何か?

介護士の仕事を説明するのは、意外と大変です。

なぜなら、その仕事は広範囲だからです。

そこで、看護師、社会福祉士、ケアマネ、理学・作業療法士の仕事を簡単に触れていきます。

日常生活を営む誰もが、老化や病いなどでその生活が困難になることがあります。

そんな時には、医学の力を借りることもあるでしょう。

医学といえば、医師を思い浮かべますが、治療が終わると多くは看護師が処置を代行します。

資格による権限という意味では、看護師が直接的に診察し、その後の処置を独断で行うことは認められていません。

あくまでも、医師による指示を受けて、看護師は動けるのです。

介護施設では、利用者やその家族と向き合う「相談員」として働く社会福祉士も、実際の介護現場で勤務しているとは限りません。

言い換えれば、現場スタッフがどんな支援を行なっているのか、現場に顔出して見ることはできても、本当の意味で寄り添う姿を知っている訳ではないからです。

そして、施設に在中している理学・作業療法士は、定期的に利用者の心身を専門知識を駆使して維持や向上に努めます。

では、「介護士」の仕事って何でしょうか。

すばりいうなら、ケアマネが利用者をはじめ、そこに関わる医師や看護師、社会福祉士等々の専門家の総意から計画を立てて、その内容に従って行う「支援全般」となるでしょう。

話し相手もそうなら、お風呂にも入るのも手伝います。

レクリエーションの時には、一緒にデュエットもしますし、ダンスの相手役にもなります。

料理もしますし、一緒に洗濯物を干して畳んだりもします。

なぜか?

それらが、利用者の日常生活で、施設とは言え、在宅で感じてきた「自分らしい暮らし」を感じて欲しいからでしょう。

言い換えれば、介護士として働きたいなら、最初から気負わないこと。

できないことを心配するよりも、できることや得意なことが何か役に立たないかと考えてみることです。

楽器演奏や、社交ダンス、詩吟や俳句、もちろん歌でも構いません。

それを通じて、「生活」を感じることができれば、利用者にとって「生きがい」になります。

とは言えおすすめは「介護職員初任者研修」を受けておく!?

通学制でも、約2ヶ月くらいで学ぶ、介護士系の基本研修が、「初任者研修」です。

座学に加えて、実習もあり、施設で働く時に必要な基本が学べるコースです。

「初任者研修」の上位研修が「実務者研修」ですが、実は実習面ではほとんど学ぶ内容に差はありません。

あるのは、「なぜその支援を行うのか?」という理由を考える「深さ」になります。

というのも、初任者研修も実務者研修もケアマネが立てた計画に従って、利用者支援を行います。

言い換えれば、計画に記載された内容を踏まえて、実際にどんな支援を行うのかが問われます。

そこで、実務者研修では研修中にもケアマネが立てる「計画書」作成を学びます。

どんな支援を行うべきかを経てから、実際の支援に移行します。

一方で初任者研修の場合には計画書ありきで、支援を考えることから始まります。

両者の差は、「なぜ?」に対する答えが異なると言えるでしょう。

とは言え、介護士として働くなら「初任者研修」を学び、実際に働いてみることでしょう。

こみちの場合はたまたま実務者研修を受けてしまいましたが、それによって「介護支援」そのものを多く考えることができました。

しかし、実習面での違いがほとんどないので、初任者研修だけの人でも職場では生き生きと働く人もたくさんいます。

一方で、実務者研修を終えた人は、3年以上の現場経験をクリアし、国家試験を受ける流れになります。

この先も施設で働くなら、初任者研修だけでも十分でしょう。

必要に感じたら、実務者研修を受ければいいと思います。

一方で、実務者研修から介護福祉士になると、施設勤務以外の道もひらかれるので、選択肢が増えるでしょう。

まず働きたいなら、初任者研修を受けてみるのがいいはずです。

「介護士」という仕事を深掘りしてみたら!?

 中高年の人が「介護士」を選ぶ背景

20代や30代ではなく、40代以降の方が介護士を仕事として選ぶ背景には、年齢不問の採用されやすさばかりではありません。

実際、今の60代は我々中高年と変わりませんし、むしろアクティブな人が目立ちます。

感覚としては70代の前半、人によっては中後半なっても人生を楽しんでいる人を見かけます。

一方で高齢者になると老化現象も増えてきます。

特に、男性の場合には出不精になったり、頑固さが現れる人も増えたりします。

病いや特別な状況にない限り、老化現象によって顕著に老いていく時にはパターンがあって、活動量が減ってくると認知も進行するように思います。

その意味では家族でもいいのですが、できるだけいろんな立場の人と短時間で良いので接することができる環境をできるだけ維持することが健康的に暮らせるポイントでしょう。

つまり、男性の場合には女性と比べて活動量が一気に低下しやすいので、「長く続けられる仕事」を早目に見つけておくことも大切です。

介護士という仕事は本当に様々な関わり方ができる仕事で、中高年のうちに基本的な作業を習得していれば、週に一度でも社会とつながるきっかけができます。

男性の場合、定年後は年金でのんびりと考える人もいるでしょう。

本音を言えば、投資などの方が効率的に稼げるのも事実です。

しかし注意したいのは社会との関わりが減ってしまうと、人は段々と決まったことはできても、イレギュラーなことを避けるようになり、気づけば五年前、十年前と比べて暮らし方がワンパターン化してしまう傾向があります。

一度、生活が変わってしまった後で、例えば社会的な交流を始めることができる人は男性よりも女性の方が得意で、体操教室や趣味の集まりなどを見つけて参加できるのも女性の方が多いようです。

中高年を迎えたこみち世代の特に男性は、「仕事」を持ち続けることを考えて、60歳を迎えたいものです。

中高年で介護士になって分かること

過去におじいちゃんやおばあちゃんと暮らしたことがある人なら想像できると思いますが、高齢者と言っても何か人間的に変化することはありません。

老化現象によって、歩くことが困難になれば、趣味だったゴルフに行く回数が減り、場合によっては散歩だけとか、公園のベンチまで行ってそこで日向ぼっこするというように身体のコンディションに合わせて、生活が変化するだけのことです。

事実、介護施設を利用している高齢者の多くが、施設の利用料金や家族の負担を理解して、施設で暮らしていたりします。

つまり、施設が過ごしやすいとか、料理が美味しいとか、介護士が親切で優しいとか口にするのも、自身がどうして施設に身を寄せているのかを理解した上でのことなのです。

当たり前ですが、施設で暮らすよりも自宅で暮らしたいのが本音で、でもそうすることが困難なことも分かった上で施設を使っています。

さらに言えば、老化現象が進めば、そんなことを考えることも減り、目の前の暮らしに追われるようになるのかもしれません。

そして、あるタイミングで食事を摂ることにも苦労したり、身体が拒否反応を示したりして、数日から一ヶ月くらいベッド上で寝たきりの状態が続きます。

その後は、「お迎え」を待って天命を全うすることになるのです。

80代以降になると、そのお迎えが訪れるタイミングも予測不可能で、「最近笑顔が少ないね」と感じていた利用者が、急に寝たきりになることも珍しくありません。

「人生とは何か?」

小難しい哲学としてではなく、介護施設で見る人の最期は概ね同じような過程を経ていると感じます。

つまり、中高年になった我々にとっては、これから迎える「老後」をどう過ごすべきかを問われているので、例えば100億円稼いだけれど健康も失ったのでは本末転倒なことも理解できるでしょう。

コロナ禍ではありますが、若い頃に訪ねた海外の地をもう一度見てみたいのなら、それが叶うような人生プランを今からしっかりと計画するべきです。

同様に、欲しい車や会っておきたい人など、老後になって難しくなるであろうことを前倒しして考えるのもこの時期の大切な課題です。

中高年で介護士を選ぶメリット

自身の老後を考える意味で、介護士の仕事はおすすめです。

しかし、現段階での介護士を取り巻く環境は、異業種と比べて充実しているとは思えません。

なぜなら、介護士が扱いのは、生活が困難になった人の「大変な部分」を支えることだからです。

トイレに行くことも、10分おきに繰り返せば、若い人でも大変でしょう。

しかも、高齢者になると立ち上がるのも大変ですし、時間も掛かります。

転倒予防を考えると、万が一に備えて支えなければいけません。

つまり、介護士という現場仕事を選んだら、大変な作業しかありません。

もしも効率的に作業したいと思うなら、介護士を辞めるべきです。

しかしながら、実際の施設ではいろんな介護士がいて、トイレに行く回数やサービスを提供する時刻を事務的に管理したがる人もいます。

理由は簡単で、四六時中利用者に合わせてしまうと体力に自信があっても介護士の身が持たないからです。

中高年の課題でもある「継続できること」が、介護士にも求められます。

つまり、体力的に配慮したい人がいる理由は、このまま利用者に合わせてしまうと肉体的にも精神的にも壊れてしまうと感じるからです。

そこで、施設側による環境改善や人員の増加など、継続可能な環境を工夫しなければいけません。

こみちの個人的な考えとしては、体力も知識も充実した30代が主体となって施設を動かし、そのサポートを20代や中高年の我々が支えるくらいが理想です。

当然、メインとなる30代の介護士により高額な報酬を支払い、それを目指した20代にも手厚いサポートをするべきでしょう。

一方で、業界で長く働いてきたベテランの年配介護士は得意な分野で活躍を願い、我々のように中高年から未経験で参入した方は、基本作業を習得し、そこからさらに自身の経験や個性をいかに介護現場で反映できるか試行錯誤できるといいはずです。

本来ならプロの歌手でもなければ、歌を歌って稼ぐことはできませんが、介護士なら利用者と一緒にカラオケをすることも仕事になります。

同様に、オヤツを作ったり、スポーツや楽器演奏なども仕事にできるのも介護士という仕事の面白い部分です。

生活に関わることなら、アイデア次第でどんなことも活かせるので、中高年から未経験で参入した場合でも、多趣味な人や何か特技を持つ人なら馴染みやすいでしょう。



介護士の「音痴」の直し方

 音痴のこみちだからこそ分かること

音痴なこみちは、サラリーマン時代から打上げにつきものの「カラオケ」が苦手でした。

理由は小学生時代に遡るのですが、担任の先生から「歌うな!」と音楽の授業中に指摘されて以来、人まで歌うことができなくなったのです。

でも、「歌」というか「音楽」は好きで、当時家に置いてあった父のギターを勝手に持ち出してジャラジャラと弾いたのもそんな理由からでしょう。

しかし、中高時代に流行った「バンド」にも興味は持たず、もっぱら音楽は聴く専門でした。

介護士になると

介護士として施設で働く場合、デイサービスを早々に候補から外したのは、単純に歌や体操を人前でさせられると聞いたからです。

「人前で歌えるはずなどない!」

実はオムツ交換と同じくらい、「カラオケ」の有無が介護士として働く時の条件に含まれていました。

「カラオケはあるけど、歌わなくてもいい」と聞いて入職したものの、初めてのカラオケレクリエーションは「あの打ち上げの時のカラオケ」そのものでした。

ただ、こみちが音痴であることや、人前では歌いたくないと周囲に言いふらしていたので、「今度は、こみちね!」と無茶振りさせることはありません。

さらに、毎回裏方役でもカラオケレクリエーションに関わることが増え、耳で聞いた「演歌」も頭の中で浮かぶようになっていました。

さらに、ギターの練習を始めたのは、まだ前職の会社に勤務していた頃で、毎日、少しでもギターを抱えて爪弾くことを続けたこともあって、「音が合っている」という感覚が分かるようになったのです。

日常業務の中で

介護士として働くと、何かと利用者に向かって声を出す機会も増えます。

小さな声では聞き取れないので、ある程度のボリュームで話そうとしているうちに、「腹式呼吸」の要領も体感できました。

すべてのことが段々と「歌を歌う」準備となり、ある時からカラオケに合わせて歌うことに抵抗感がなくなりました。

同時に、YouTube には本人や歌が上手い人のカバーなどがアップされている他、カラオケもあって、一人で練習することができます。

「どんな風に最初の音を合わせるのか?」

音痴のこみちは、「キー」が分からなくなり、音が上に下にと乱高下してしまいます。

そこで、単純にギターで弦一本を弾いた時のように、「音階」として音を感じるようにしたのです。

どうしてもできない時は、本人の歌に合わせて、まずは音程だけを合わせるつもりで耳に集中します。

それがある程度掴めたら、今度は歌詞をリズムに合わせて当てはめる練習に切り替えます。

そして最後に、本人と口真似をして、カラオケでも歌ってみます。

おすすめは「童謡」

ギターの時も、「童謡」を使って練習していました。

リズムがゆっくりなので、音程を合わせやすく、音域も広くないので初心者でも歌いやすいはずです。

「さくらさくら」や「うみ」、「赤とんぼ」、「ゆきやこんこん」などがおすすめです。

男性であれば「月の砂漠」なども歌いやすいでしょう。

ただ、童謡に比べて、一音を長く伸ばす歌い方なので、「腹式呼吸」をマスターしていると楽に歌えます。

練習方法としては、同じ音程で、音の強さも変えないで、いわゆる「ロングトーン」を繰り返しましょう。

さらに、合わせられなくてもいいので、ピアノのアプリなどを使って、ドから始まる1オクターブを真似てしましょう。

約8っ個の音階を使えるだけで、どうにか人並みに歌えるレパートリーが格段に増えます。

高齢者もよく知っている曲としては、「高校3年生」とか、「青い山脈」などを練習するといいでしょう。

こみちが難しいと思う曲

たくさんあるのですべてを紹介することはできませんが、例えば「ミスチル」の曲や「ゆず」の曲、「チャゲアス」の曲などは全般に大変です。

ミスチルで言うと、「HANABI」が挙げられます。

改めて聞いてみると、童謡の時に比べて音程や音の長さがまたたまに変化します。

それだけ瞬時に合わせて行かないと、曲としてズレてしまいます。

つまり、音痴になるのです。

克服する方法としては、オリジナルを繰り返し聴いて「曲」を覚えてしまうことでしょう。

そして、口パクでリズム感がズレていないかを確認し、カラオケで試してみるという流れになります。

もちろん曲は知っていたのですが、歌うために知っていると言うレベルではなかったので、今は繰り返し耳にして頭の中で曲が鳴っている状況を作ろうとしています。

もう一曲紹介すると、平井堅の「瞳をとじて」でしょう。

この曲はとにかく音域が広い。

歌い出しの「朝目覚める度に…」はとてもゆっくりですが、音程にほとんど幅がありません。

つまり、しっかりと曲を覚えていないと「同じ音」で歌ってしまう失敗をします。

細かな抑揚に気づき、それが分かると曲の難しさがより明確に感じ取れます。

そしてサビとなる「瞳をとじて、君を描くよ」に差し掛かることには、この高音に喉がついてきません。

頭で想像している音とは異なる音程の音や擦れて音にならないでしょう。

カラオケレクリエーションとは何か?

ここまで「歌」を見直してみて、カラオケを上手に歌える人もこみちのように上手く歌えない人も、「プロセス」を理解することで「カラオケレクリエーション」の質は向上します。

プロのように上手いことがすべてではなく、曲ごとにある課題を理解できれば、選曲も歌いやすいものから始めて、喉が慣れてきた頃に少しずつ「難しい曲」も織り交ぜます。

そうする中で、利用者もあの曲のこの部分が上手く歌えなかったと気づけるでしょう。

次回は上手く歌えるように個人練習をしてもいいし、またみんなと一緒に歌いやすい曲を中心に歌ってもいいのです。

高音が出ない理由にも興味が湧き、歌う時の姿勢や喉の締め付け方など、改善するべきポイントに気づきます。

こんなトライアウトが、利用者のレクリエーションに大切な「生きる喜び」に通じるのでしょう。

そんな風に思うようになって、最近の こみちは相変わらず音痴のままですが、歌を楽しめるようになりました。

皆さんもお試しあれ。

いやぁ〜、正直言って「介護士」ってどうよ!?

「介護士」だけは選ぶな!?

中高年の方が仕事探しを始めて、「面接」までなかなか行きつかないと言う経験はないでしょうか。

こみちの場合は、その前段階、「どんな職業を選んだらいいの?」でつまづきました。

生活費を稼がなければと言う切実な問題を抱えながら、気持ちばかり焦ってしまい、求職中の一週間があっという間だったことを覚えています。

自分にはどんな仕事が合っているのだろうか。

そんなことを考えても時間ばかりが過ぎてしまい、生き方を完全に見失ってしまったのです。

その頃、こみちはライターの仕事だけで食べていきたいと考えていて、でも思うようには仕事を貰えないばかりか、単価が上がらないことも重なり、なんとか生活はできても余裕がない状況で、就活を始めるしかありませんでした。

「書きたいなら全てが経験」

そんな風に考えて、こみちは介護士と言う働き方を選びます。

その頃、まだハローワークに通っていて、「ライターの仕事を探しています」というような相談もたくさんしました。

そして、「介護士の研修を無料で受けられるんでしょうか?」と質問し、職業訓練の存在を知りました。

しかも研修を受けている間は、前職の収入額に応じた報酬を受けられます。

つまり、学びながらお金ももらえたのです。

通常、実務者研修というと、受講料は数万円から10万円ほど。

もしも、その金額を支払って学ぶのなら、きっと介護士という仕事は選んでいないでしょう。

運良く職業訓練という形で、学ぶことができたのも大きいかったです。

コロナ禍もあって、職業訓練のコースも休止中になっているものもあったりします。

しかし、そんな機会が巡って来たことで、こみちが介護士としてデビューしました。

一年経った頃から

介護士として働けることで、不安な夜を過ごすことはなくなりました。

しかし、余裕ができたかというと、そんなことはありません。

なぜなら、介護士の基本給は15万円とかも驚く金額ではないのです。

そこに、資格給、夜勤の特別手当を加えても、まだ18万円だったりします。

介護士の仕事は、とにかく時間を拘束されます。

中高年がこの先も安心して続けられる働き方とは言えないでしょう。

まして、ベースアップもほとんどなく、自然と夜勤を多くしないとこれ以上は稼げないの分かるのです。

楽しい仕事という部分もありますが、稼げる職業ではありません。


音痴な介護士が音楽レクリエーションを成功させる意義とは?

 高齢者介護を抜本的に誤解していないか?

現役の介護士なら、勤務している施設で利用者を対象としたレクリエーションがあると思います。

簡単なところでは、体操や歌などを行うのではないでしょうか。

誰にでもできる方法を考えるなら、歌や体操をYouTube などから引っ張って来てしまうことでしょう。

探せば高齢者向けの歌や体操はたくさん見つかります。

そこで「便利な時代だ」と感じたら要注意。

高齢者介護を誤解しているかもしれません。

しかしながら、実はもっと注意したいのは、「老害」になっているベテラン介護士の振る舞いです。

こみちの職場にもいるのですが、歌や体操に慣れがあるので、利用者に対して無意識に「押し付け」があります。

「さぁ、歌ってください」と、強制的に歌わせようとしてしまうのです。

もともと、こみちは音痴なので人前で歌うのが苦手でした。

実は介護士になったことで、音痴克服の秘密特訓をして、以前よりも少しだけ上手くなりました。

と言うのも、ギターを演奏するので、音を耳で聞くことはできました。

しかし、自身の声をしっかりと音程に当てることができません。

特に音痴やリズム感のズレた人がいると、その歌声に馴染んでしまいます。

カラオケなら歌えるのに、アカペラでは歌えないタイプなのです。

面白いのは、介護士になってこうが好む歌を覚えて、段々と利用者と一緒に歌えるようになりました。

中には一緒に歌えて楽しいと言ってくれたり、レクリエーションの後も楽しげに鼻歌を歌ってくれたりと、リラックスや気分転換としても効果を発揮しています。

一方で、老害ではないかと感じるベテラン介護士がレクリエーションをした時に、利用者がほとんど歌わないことに気付きました。

何より笑顔ではなく、愛想笑いをしていたからです。

つまり、ベテラン介護士の面子に合わせてくれていたんです。

一方で、こみちが行う時に気をつけているのは、「音痴でも歌っていい」と言う姿勢です。

練習はしますが、以前のこみちの歌声など迷惑行為に他なりません。

音声付きのカラオケを使って、場を持たせていました。

それでも繰り返し歌っていると、ある時から音が取れてきました。

つまり、イメージしている音を出せるようになったのです。

今では、いろんな利用者の間を巡りながら一緒に楽しく歌っています。

歌っていなかった利用者が、口パクでもしてくれたら嬉しく感じます。

何よりそうやって歌ううちに、歌えるようになるでしょう。

でも、実はそれが介護なのだと思うのです。

高齢者だから、こんなものと決めつけるのではなく、介護士の成長こそが生きる刺激にもなります。

つまり、介護士が出来ることを、押し付けるのではありません。

一緒に成長できるのが理想です。

司会を任された時に、参加者たちが一丸になるのは簡単ではありません。

でも、下手でもみんなで楽しめます。

逆にパターン化した方法を続けるだけでは、利用者の表情も冴えません。

何より歌を覚えない介護士が担当するのでは、期待は持てないでしょう。

音楽を楽しもうとしている姿がないと、利用者だって面白くありません。

ちょっとした違いですが、でもこの意識って大きな違いです。


中高年にとって目指すべき「理想的な介護職」とは

 未経験から始めて分かったこと

転職やリストラなどの理由で職を失った中高年が、次の仕事を探すのは簡単ではありません。

特に、正社員として雇用されるとなると職種も限られてきます。

その限られた職種の一つが介護士になります。

しかし、やりがいがある仕事ではありますが、肉体的にも精神的にも厳しい面があり、報酬という面でも異業種同様とはなりません。

ただ、中高年でも比較的採用されやすいことが利点で、実際、こみちが勤務している施設でも60代や70代の人がたくさん働いています。

中高年で仕事探しをしている人が、これから10年が経過して60代や70代になった時を考えると、今からの仕事選びがどれほど重要かは想像できるでしょう。

例えば、安いと言われる介護士を嫌って、別のもっと割のいい仕事を見つけてたとしても、60代になってからでは介護士として働く場合でも大変さは倍増します。

つまり、本気で成りたい職業が決まっているならまた別の話ですが、リストラや急な転職などで仕事を早く見つけたいと考えるなら、採用されやすい介護士は魅力的です。

介護士を副業的に活用する!?

こみちが推奨する介護士の働き方は、2パターンあります。

1つ目が、それこそ常勤スタッフとして、月に8休や7休のペースで働くスタイルです。

簡単に言えば、週休2日のサラリーマン時代と変わらない労働で、ただ介護士の場合には夜勤帯や早出、遅出と通常勤務以外にも様々な時間帯があって、ライフスタイルをコントロールするのが大変です。

目安としては、そこまでガッツリと働いて、年収350万円くらいなので、中高年の方々の認識では少なく感じるのではないでしょうか。

もちろんボーナス込みの金額なので、月収では20万円を少し超えるくらいです。

つまり、ガッツリと介護士一本でガッツリと満足な金額を稼ぎ出すのは難しいでしょう。

そこで、介護士という職を保険的に使い、正社員となる常勤スタッフではなく、休日や勤務時間帯を選びやすいパートスタッフや、派遣スタッフを選ぶのです。

というのも、パートや派遣スタッフを選んで最もデメリットになるのが、賞与や昇給の部分でしょう。

だいたい賞与4ヶ月分と言われた時に、月収×4ヶ月を想像しがちですが、多くは基本給×4ヶ月です。

月収とは、基本給にさまざまな手当が加算されていて、例えば月収20万円の場合でも基本給は15万円くらいに設定されていたりします。

つまり月収換算なら20万円の場合には4ヶ月分なら80万円ですが、基本給ベースなら60万円になります。

これが、4ヶ月分ではなく、2ヶ月分と短くなれば、さらに振り込まれる金額は減ってしまいます。

そう考えると、拘束される時間帯が増える常勤採用を諦めて、自由に働けるパートや、時間が決まっている派遣スタッフを選ぶことで、副業化することも可能です。

そう考えるに至った理由は、30代ならまだしも、50代や60代で夜勤も早朝もと言われるままに生活リズムを変えて働けないと思ったからです。

もちろん、50代や60代でも夜勤をこなすスタッフはたくさんいます。

例えば、20代や30代から働き続けて来て、年収がそれなりにアップしているなら中高年でも継続するメリットはあるでしょう。

しかし、中高年からの採用となると、すべてこなして月給20万円。手取りで16万円となると、正社員の利点って何だろうかと感じます。

パートスタッフでも社会保険には加入できますし、その意味では賞与とベースアップがどれだけ期待できるかがポイントです。

こみちがパートスタッフにした理由

こみちはパートスタッフにしたことで、夜勤帯勤務から解放されました。

16時間の拘束は、実質的には18時間超えもあるほどの激務です。

夜勤手当というものがあって、施設によって異なりますが、5000円とか7000円とか、給料とは別に支給されます。

もっとも、深夜や夜間勤務の場合、法律で加算が義務づけられているので、「手当無し」ということは認められていません。

いずれにしても、夜勤明けのフラフラ状態で帰宅することを経験すれば、手当欲しさにいつまで粘れるのかと考えたりもします。

これがまだ30代や、遅くても40代前半なら、頑張れるかもしれません。

しかし、中高年から転職して、慣れない仕事で長時間労働をこなしてをこの先も10年続けられるとは思えませんでした。

だったら、介護士を副業として、もう一つ別の仕事を見つけて、必要に応じてそのバランスを変えれば良いの考えたのです。

ポイントは「介護福祉士」の条件を満たすこと

介護士としての報酬は、勤務年数以上に所持している資格が重要です。

だいたいの目安として、介護福祉士は、実務者研修修了者(介護福祉士の受験資格を持ちながらまだ試験には合格していない人を含む)の時間給で50円くらい差があります。

つまり、月収換算で1万円くらいの差になるでしょうか。

さらに初任者研修とを比べてば、さらに50円くらいの差なので、月額で2万円違うことになります。

逆に、初任者研修で働き始めて、月収換算で1万円のベースアップを果たすことは不可能かもしれません。

あるとすれば、パートから常勤採用となり、夜勤勤務の回数を増やすことでしょう。

もちろん、介護福祉士の資格者が同じことをすれば、さらに2万円上乗せされるので、長く介護士として働くなら「介護福祉士」になることが大切です。

介護福祉士として働くことで、派遣スタッフとして採用される際も時間給の上乗せが期待できますし、採用してくれる可能性も高まり、より安定した就労ができます。

そこで、常勤採用やパート採用を問わず、先ずはトータル3年以上の勤務を週4日ペース以上で継続しましょう。

そして、介護福祉士の資格を得たら、その後はガッツリでも副業でも自分の希望で選べば良いのです。