親しい知人を失ったという経験から学ぶこと

 中高年と呼ばれる年代になったからこそ

結論から言ってしまえば、「悔いなく生きよう」ということです。

親しい方を失い、「今日はもういないんだなぁ」と思ってしまいます。

介護施設で働いていた時も、年間で考えると何度か同じような経験があって、こみちの人生観においても大きな影響を与えてくれました。

親子以上に歳の離れた方々のお世話をさせてもらい、その中で彼らの人柄にも触れることができて、例えば当時の思い出話を聞かせてもらったときは、今の暮らしがそんな過去の頑張りがあっての話なのだと思いながら、でも当時の生き生きと活躍されていた頃にも触れられた気がして、もしも世代を超えて出会うことができたなら、もっと早く巡り会えたらとも思いました。

ある男性利用者の場合は特にそうで、大正や昭和の初期に生まれた彼は、貿易の仕事をするために海外を渡航されたと言います。

「外国語は話せたんですか?」

「いや、全く。でも行こうと思ったんだ」

「大変でしたか?」

「アハハ。どうだったかなぁ。思い出はたくさんあるよ」

「また聞かせてくださいね」

その後、彼とは約3年、こみちがその施設で働いている間、ずっと担当になり、話を聞かせてもらいながら、でも少しずつ体も表情も少なくなっている現実にも気付かされます。

介護施設にも医師や看護師がいたりしますが、本格的な治療ができる体制ではありません。

生命や健康を著しく損なうような時は、施設を出て提携された病院などへ運ばれます。

中には、手続きや家族など、いろんな事情で介護施設を退所されてしまい、その後のことは一介護士には分からないことも多いのですが、中には再び介護施設に戻って来られる方もいて、懐かしい表情に触れられて嬉しく感じることもありました。

そんな経験をさせてくれたのが、こみちの介護士時代の話です。

そして、今回は知り合いの方が旅たちました。

出会った頃から既にデイサービスを利用されていた方で、コロナの影響もあったみたいであまり体調が良かったという感じではなかったそうです。

約3年という時間は、それだけ人と会うことも遠ざけていましたから。

「実はウチの父親が…」

そんな話を聞いた時、「そうだったんですね」と言うのが精一杯でした。

タイミングは別ですが、やっぱりお迎えは誰にもでも訪れるもので、その時までに気になっていることは行動に起こしておきたいもの。

我慢や計画もありますが、特に中高年にもなるといきなり何もできなくなることだって起こり得ます。

介護施設でいつも話を聞かせてくれた方は、「まだ若いんだ。何でもできる」といつも励ましてくれました。

「もうオッサンです」

「人生を楽しめ」

「嗚呼、ハイ」

もう目があまり開かなくて、話し掛ける時に習慣で肩や腕に触れさせてもらっていたのですが、少し俯いたままそう優しく声を掛けてくれることにどれだけ救われたでしょうか。

中高年の方で、仕事探しを考えている人がいたら、いろんな条件もあるとは思いますが、介護士という仕事をぜひ体験して欲しいと思います。

それはお金で手に入る経験ではなく、自分がやがて迎える遠い未来に向かって生きて行く道しるべになるからです。

彼との出会いはもちろん、女性の中にもいろいろと話すことができた人はたくさんいて、こみちにとって介護士時代は大きな財産になっています。

そして冒頭でも触れましたが、「悔いなく生きる」ということです。