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「AI」の進化は止められない!そんな中で目指すべき場所とは?

ミスをしない『AI』の強さ

医療現場はもちろん、エンターテイメントの分野までも『AI』が我々の常識を覆すことでしょう。

その要因は、ミスをしないこと。

人間の場合、疲れや気の緩いで、小さなミスをしてしまいます。

しかしながら、精度が上がってしまえば、もうミスをしないAIの特性は、医療のような現場で欠かせないものです。

一方で、エンターテイメントに関しても、例えば視聴者が望むような「結末」を理解してしまえば、そこに行き着くまでの展開をさらに深掘りすることで、人間が苦労して考えるストーリーとは視点の異なる斬新な物語ができるかもしれません。

ちょっと想像すると、そんなAIに人間が対抗しても勝ち目はありません。

法的トラブルに関しても

何かトラブルが起こった時に、その内容をAIに判断してもらうと、勝算から賠償額まで、すぐに答えてくれることでしょう。

根拠となる法令や、それに関わる判例などをもとに、訴状の書き方から裁判の進め方までAIが明確に示してくれるとするなら、何年も苦労して取得したであろう「弁護士資格」もその立場が危ぶまれます。

弁護士資格にそれがあり得る訳ですから、司法書士や行政書士などの資格にも影響があるでしょう。

というのも、例えば司法書士が得意とする土地建物の登記についても、単なる手順を示してくれるだけではなく、具体的に仕事の細かな進め方まで提案し、さらに実際の進捗状況を報告すれば、その後の展開や、訴訟上の戦略の変更まで判断してくれるかもしれません。

なぜこのようなことが起こるのかというと、自由に生きられる人間も社会的な立場の中で暮らしているので、社会を構成する法律や慣習などからは影響を受け続けます。

つまり、「法律なんて関係ない!」とはいかないので、どんな生き方を選んだとしても、要所ごとに「通過」するポイントがあります。

そのポイントをAIが牛耳ることになれば、人間が能力的にAIに敵わない時代になれば、もう社会構造でも覆さない限りAIの判断から逃れることはできません。

そんな時代に生きる我々が考えるべきこと

「人間の世話をする」ような仕事は、AIにとって変わることはないでしょう。

だからと言って、「介護」ということではありません。

というのも、介護の仕事で、入浴や排せつの支援は欠かせないものですが、それらも機械化で補える可能性があります。

AIの頭脳を持った人型ロボットのような登場で、人間にしかできない「温もり」のある関わり方さえ、もう人間以上に卒なくこなせるからです。

つまり、価値や将来性などで行動する必要がなくなり、場合によっては「考える」ことさえも必要なくなる時代になるかもしれません。

遠い未来には、人間の役割は今よりもずっと少なくなって、生まれた時から介護施設で暮らすような社会になるかもしれません。

その頃の人間は、それこそ利益からも無縁で、三度の食事と入浴、寝る場所が約束されています。

そんな時代になると、AIによって人間の人口もコントロールされて、種を保存させるに必要な人口になり、代わりに労働や勉強からも解放されるという訳です。

あながち、そんな未来図は妄想の話ではなく、起こり得る話だと思っています。

ということは、我々がこれから「何をするべきなのか?」という答えは、今の暮らしから未来の暮らしまでの過渡期をどう生きるのかということになります。

ある意味で、youtube で趣味を扱ったチャンネルがたくさん運営されていますが、まさにその活動は過渡期に適した経済活動です。

何も役立つことが必須ではなく、何となく理由はないけれど、気になって立ち寄ってもらえることなら、活動しては十分です。

いつも家庭菜園のことばかりとか、サンドイッチを色々作っているとか、何を扱っているのかよりも、ふと立ち寄る気持ちになってもらえたらいいのです。

過渡期を過ぎると社会構造が一変すると思うので、それまでの期間はそれこそ好きなことを全力で頑張ることでしょう。

上手いか下手かよりも、どんな生活でどんな気持ちになって暮らしているのかが重要になります。

なぜなら、「正解」はAIが担うからです。

我々はたとえくだらないことでも、何かの役に立たなかったとしても、人間同士が感じる「共感」になっていたらいいのです。

でもこの「普通」が意外と難しく、なぜなら人間は目的があると生きられますが、理由もなく生きることが得意ではないからです。

くだらない理由を考えることは簡単なのですが、くだらないことでも継続することは簡単ではありません。

自分にとって、何をしているならずっとできることなのか考えてみましょう。

そこから、これからの生きる方向性が見つかるかもしれません。

「成功」に近づくために注意するべきこと

 「失敗」と分かることは避ける

例えば頑張りたいと思っていることがあった時に、テレビやゲームを始めてしまうことってありますよね。

気分転換も必要ですし、頑張れるからこその集中力も大切です。

そこで、テレビやゲームが成功に近づくために役立っているのか考えて、本当に必要ならその時間は本気で楽しむことです。

中途半端にしないこと。

そして、「逃げ」だったら、ちょっとだけ考えてみてください。

こみちもそうなのですが、人生ってやっぱりそのパターンだと変えられません。

しばらくして、「また頑張ろう!」と思い立ち、また「逃げる」の繰り返し。

それで老いてしまう人生もありますが、変えたと思うなら「今、頑張る」しかありません。

簡単な「成功」は残っていない

宝くじの一等が当たれば、それだけで人生大逆転です。

しかし、簡単に挑戦できる方法はそれだけ「当たり」も少ないですし、望んでいるような「成功」はほとんど残っていません。

同じように考えて、同じように簡単な挑戦に手を出しても、選ばれる可能性はかなり少ないでしょう。

「儲け話」や「成功の手順」は、世にたくさんありますが、多くの人が結果を出せていないのは実際には簡単ではないとか、若しくは既に「成功」できなくなっているだと思うのです。

「成功」とは何かを考える

「お金持ち」になる人は、人脈も広くなっています。

いろんな情報やチャンスが多いからこそ、お金持ちになれたからでしょう。

ということは、付き合いも増えます。

当然ですが出費も手間も掛かります。

それこそ、宝くじで一等が当たるような「お金」だけがポンと入ってくるような「成功」なら、そんな煩わしい関係はありませんが、「今の生活」のままでもあります。

つまり、今まで結果が出せなかった生活を変えることもできないまま、「成功」だけが舞い込んだ形です。

そこから成功者としての生活に切り替えられれば結果は変わりますが、本人が同じならそれこそ資金を切り崩すだけになってしまうかもしれません。

欲しいものをお金で買う。

それを繰り返すだけでは、いずれ資金も底をつくという訳です。

思うのですが、同じ金額でも他とは少し違う価値を生み出せたら、そこには「利益」があるかもしれません。

お金はもちろん、時間や努力、情報が必要になる場合もあります。

お金がない時は、時間や努力、情報をしっかりと準備して成功を待つしかありません。

でもお金があっても、それだけではダメで、やはり時間や努力を費やして培ったものに「利益」は生まれると思いたいです。

そうでなかったら、残された時間が虚しくなってしまいますし、努力さえも拒否されたら、何に励めばいいのでしょうか。

この年になってできることなど多くはありません。

チャンスがたくさんあるとも思っていないので、藁をも掴む思いでできることを真剣に繰り返している毎日です。

やってみたいこともまだたくさんありますが、どこまで辿りつけるかは分かりません。

でも、諦めてしまったら何も残らないので、信じてみるしかありません。


「一対一」から「一対無限」に!?

 レジ打ちのスペシャリスト

例えば、レジ打ちが他の人よりも速いエキスパートがいて、通常の半分の時間で終えられたとしましょう。

つまり、一般的な人が10人の接客をしている間に、20人分できてしまいます。

そしてそんなエキスパートな人の給料を査定する時に、どれだけの価値を認めることができるでしょうか。

例えば一般的な時間給を1000円としたら、2倍できるので2000円という考えもできます。

でもレジ打ちだけが速いなら、他の業務も含めて、1500円くらいが妥当と判断することもできます。

もしくは、処理速度は2倍ですが、貢献度は3倍だと判断して、3000円の時間給に設定することもできます。

そして、仮にいくらの時間給になったとしても、5年後、10年後、そのエキスパートの能力はさらに高く評価されるのか、到達されてしまうのかも考えてみると、個人的にはレジ打ち業務という作業そのものが、スキャナーで読み込み、精算まで一括してできるようになると思うのです。

レジ打ちのスペシャリストが生き残るには?

精算まで一括してできるシステムを導入するにしても、その設備投資は安くありません。

段々と増えて行く流れですが、しばらくはその能力は貴重です。

しかし、今後ずっと活躍するには、そのままのスキルでは厳しいので、視点の見直しが求められます。

例えば、レジ打ちのスペシャリストが、プログラム言語を習得し、システム開発のメンバーに加わったらどうでしょうか。

数ある商品をいかに効率的に読み込むことができのか、またサービスとしての質を維持できるのかを経験として活かせれば、その早打ち技術は新たな価値を生み出します。

また、新人教育のエキスパートになり、人材育成事業に進むということもあるでしょう。

ない袖は振れませんが、仮に時代によって変化して行くものであっても、そこには順番があるので、しっかりと生き残る道を探せば役立てるはずです。

一対一から一対無限

ある人の仕事が、接客業だったとしましょう。

扱う価格を問わず、接客中は多くの場合に一対一です。

つまり、ある人が1時間接客して、その対価は相手の一人分になります。

売上の3割が利益だとして、売上が1000円なら300円、10万円で3万円稼いだということです。

しかし、一対一の原則は変えられないので、レジ打ち業務のように速くするとしても限界があります。

そこで、接客業を一対一から一対無限に変えるのです。

方法は大きく二つあって、その一つがネット業務のようにシステム化することです。

もう一つが、販売員を取りまとめる立場になることです。

つまり、管理者やオーナーのような立場になって、個々の販売員の売上から自身の売上を築き方法です。

本当に大切な知識とは?

少し運動したいなぁと思った時に、近所をランニングするというのも、人によっては恥ずかしいことだったりします。

じゃあ、スポーツジムに行くかと思っても、家から準備して出掛けるのは面倒です。

一方で、コンビニに行くくらいの気楽さで、利用できるスポーツジムがあれば便利でしょう。

しかも24時間いつでも使えるなら。

一方で、経営者として考えるのは、スポーツジムで5分でもしっかりと動けば、かなり汗だくです。

運動を終えて、そのまま帰るのも気持ちいいものではありません、

かといって、シャワー室を設置するためには、上下水道やボイラーなどの設備、必然的に鍵の掛かるロッカーや更衣室が必要です。

運動器具を置くエリア以外に、それらの設備が必要になると、やはり従来からあるスポーツジム同様のコストを見込まなければいけません。

その部分を常識として考えると、そのコストを賄うサービスに思考は移ります。

運動メニューの充実や専門知識を持ったスタッフの配置や育成。

考えるほど、コストが膨らみます。

では、「汗をかいてもシャワーは自宅でしてもらう!」と決めたらどうでしょうか。

女性客がふらっと来店して、一人で深夜に黙々と運動することってできるでしょうか。

まだ一人きりなら不安はありませんが、逆に男性客しかいない方が気になってしまうと思います。

ジムの広さにもよりますが、単純に24時間いつでも使えると言っても、専任スタッフがいないのは不安ですし、経験者からすると24時間ずっとスタッフを配置するのは人材不足を考えても避けたいでしょう。

何が言いたいのかというと、「完璧主義」になるとコストはかさみます。

利益が出なくなってしまいます。

これはレジ打ち業務とか接客業にも言えたことですが、「セオリー」のままでは厳しいのです。

だから、何を変えると価値が変わるのかを考えて、本気で運動したい客よりも、運動した気分になりたい客向けにサービスを展開しようと事業計画を立てるのです。

また、本格的なスポーツジムへの誘導としての展開も加えて、より運動効果を上げたい客には優先的にサービス提供するという方法もあるでしょう。

そして、そもそも地方自治体によっては、一回数百円程度の低価格でスポーツ器具などを自由に使える施設を設置していたりします。

それこそ、施設内に自販機で飲み物も買えるし、気軽に運動したい人にはおすすめの施設です。

つまり、同じようなサービスはあって、でもそれを知らなかったり、時間や曜日で使い難いと思う人がいて、そこに向けたサービスがヒットすれば、ビジネスとして成功します。

でも完璧ではありません。

だからこそ、売り方や宣伝の仕方が重要になります。

一対一ではなく、一対無限になる展開なのです。




「金運」はどうやれば上がるのか?という話

 初詣でおみくじを…

初詣に行きました。

実はその時にいつもとはちょっと違う感覚になりました。

というのも、今までなら「〇〇になりたい!」と願望ばかりを願っていました。

でも今年になって、「去年も元気に生きられてよかった」と思ったんです。

なぜって、自然災害も多いですし、年齢を考えれば病気やケガになる可能性も高くなっていて、ある意味で中高年は「生かされている」という意識がないといけないからです。

思い切り遊ぶなら悔いなく遊ぶ。働くなら真剣に仕事と向き合う。

そんな事を感じながら、時を過ごしたいと思いました。

おみくじで「大吉が出ること」以上に、初詣をして手を合わせられるという「今」にとても感謝しています。

「金運」を上げるには

ではなぜ「金運」を上げたいのでしょうか。

例えば10億円のお金を手にして、今まで我慢していた物欲を一気に解放させたら、もうそれ以上の暮らしはやってきません。

何なら、もう「努力する」という気持ちさえ失せてしまうでしょう。

お金を使い果たした時に、もう人格すら変わってしまっているので、そこからコツコツと働く生活に戻れるでしょうか。

そう考えると、安易に「金運」って上がらないようになっていると思うんです。

ではどんな時に「金運」が上がるのでしょうか。

それはきっと、「役に立つ」というキーワードに結びついた時でしょう。

「これができたら、みんなが喜んでくれる」ということなら、「お金」は最終的な目的ではなく、夢が叶う手段になります。

手に入れて使って終わりではなく、そこから夢が始まります。

きっとそんな流れができたら、「金運」も上がって来ると思うんです。

つまり、「金運」以外の努力をし尽くせば、あとは「金運」アップを願うだけ。

そこまで来たら、手を合わせてお願いしてもきっと話を聞いてくれると思うんです。

おみくじを引いて、例えば「凶」だったとしても、そこに「努力を尽くせ」と書かれてあれば、あと何が足りないのかも気づけます。

でもそんな過程もないままに「大吉」が出ても、それは「いい感じだよ」とやっぱり漠然と言われているに過ぎません。

何がどういい感じで、何が変わるのか?

まだまだそんな段階ではないので、きっとそんな風に声を掛けてくれたのでしょう。

夢を叶えて前に進みたいと思うなら、「多分ここを避けてはいけない」と思う面倒なことに気づくはずで、もしかすると今回は特に心配していることにならなかったとしても、それはまだ今の自分には荷が重くて回避してくれたのかもしれません。

何が起こっても、自身が納得できるくらい努力をし尽くしたら、あとはもう結果を待つだけです。

その時になって、初めて本当の結果が見えて、時にまだまだと跳ね除けられてしまうかもしれませんが、そのチャレンジを繰り返すことで先に進めるとも思います。

やはり、限られた「金運」を自分にも預けていいと思われるようにならないと、金運はやって来ません。

もう準備は万端ですか?

こみちはもう少し自分と向き合い、努力を重ねたいと思います。

昨年もいろんな意味でチャンスを与えてもらえ、少しずつですが成果を感じているので、今後も慢心しないで頑張りたいです。


webライターで生きるのは難しい!?という話

 数年前までなら

webライターという仕事は、それまでのライターとは別の職種として出会いました。

ライター仕事は、多くの場合、現地取材やインタビューのような「情報を仕入れる」ことから始まります。

あるお店の紹介記事を依頼されると、先ずは取材先に連絡をしてカメラ持参で聞き取りさせてもらいます。

「記事」とは、あくまでもそんな一連の流れから見つけられた結果であって、ライティングは「まとめ作業」に過ぎません。

当時、と言っても数十年も昔ですが、新人ライターでも400字詰め原稿用紙1枚の記事を書くと1000円くらいの報酬だったと思います。

一般的にwebライターでいう1文字換算の指標にすると2円以上です。

一方で、昨今のwebライターがどれだけの単価で仕事を受けているのでしょうか。

無名で未経験のライターの場合、時に1文字あたり0.2円前後というケースも珍しくありません。

仕事として一日中タイピングして、1日で打ち込める文字数はどれくらいでしょうか。

こみちなら3万文字くらい、つまり報酬額は6000円程度です。

しかも、全ての記事が「承認」されるとは限らないので、時に書いた文章がごっそりと稼ぎにならないこともあります。

それ故に、webライターとして成功するには、タイピングスピードと承認されるレベルの内容が求められました。

業界で「名前を売る」

それっぽい内容の記事を、どんなジャンルでも書ける器用なwebライターも少なくありません。

webライターとして活躍できる人なら、必須のスキルなのでしょう。

しかし特定のジャンルに絞ることで、より深い知識と考察から有益な記事が生まれます。

ネット上で集めた情報は、広く知るには適していても、実際には重さや大きさなど、目の当たりにしてみないと気づけないこともたくさんあって、ある意味でライターとしての個性が発揮できる部分です。

コンセプトから練り込んで作った商品は、無理矢理頭を捻らなくても、そこにしっかりとしたストーリーがあって、どこをどう売り出したいのかがとても明確です。

一方で、寄せた商品は、基準となる商品と比較することで価値が見えて来るので、売り込めるポイントがどうしても限られてしまいます。

動きさえすれば良いという商品ほど、それ以外の魅力を後付けすると、文章はどうしても安っぽく見えてしまいます。

これはライターとしての評価にも言えて、業界で「名を売る」ことで、相手からも期待され、ライター側もそれまでの経験や知識を提案でき、より良いものを作る関係が築けます。

「とにかく販促効果の高い記事にして欲しい!」

そんな唐突過ぎる依頼は、本来ならあり得ません。

なぜなら、手塩にかけて商品化したものほど、そこまでの苦労や発見も多く、開発者にインタビューでもしたものなら話が尽きないでしょう。

その全部を記事に載せられないので、「今回はどこを推していくのか?」という部分が記事ではポイントになります。

つまり、良い文章を書きたいと思っても、日本語としての正確さは勉強できるとしても、ライターとして活躍するには相手企業との信頼が不可欠です。

相互に経験や知識を持ち寄れることで、新たな発見に繋がると思うからです。

言えば、このライターの記事であれば、その記事の内容はこれくらい信用できると読者に認められることで、実は記事としての価値が決まります。

どこの誰がどんな目的で書いたのかさえ分からない記事では、仮に良いことがたくさん書いてあってもそのままでは読者も鵜呑みにはできません。

webライターという仕事は、ライティングで稼ぐことができますが、そこからもう一歩先に進むと一気にハードルが上がってしまいます。

そこには「専門性」とか「評価」が付いて回るからです。

個人的な見解ですが、どんな業界であっても、その業界に5年から10年くらいの経験がないと、表面的なことは分かってもその先にある「核心部分」まで到達できません。

こみちは介護福祉士の有資格者ですが、介護保険制度の簡単な説明はできても、業界が抱える共通の悩みや介護施設での現状を下調べもしないで紹介することはできません。

まして、介護士として働いたことも、介護に触れたこともないライターが記事を依頼されても、介護が本当にどう大変なのかを理解するにはそれなりの時間が必要です。

もしも依頼された文字数に合わせて時間内で書き上げるとするなら、その記事を読んだ読者にどんな有益さが期待できるでしょうか。

結局、webライターも従来のライターも行き着く所は同じで、そのライターにお願いすると、どんな視点で情報を集めて、それをどんな感じで記事にまとめてくれるかを業界で知ってもらうことでしょう。

話は脱線するけれど

こみち自身、ライティングではない仕事を請け負っています。

ここだけの話ですが、その仕事内容に関して、以前から改善点がいくつもあって、請負という立場の歯痒さを感じます。

もちろん、こみちの提案で改善できるとは限りませんし、同じようなことを既に試した結果なのかもしれません。

何が言いたいのかというと、ライターとして記事を書くという行為は、時に歯痒さや不甲斐ない気持ちとの葛藤でしょう。

その中で、求められる記事を書き続けることの難しさがあって、言い換えるとライター志望の全ての人に向いているとは限りませんし、もしかするとライターとしてではなく、その業界の一員として活躍できるタイプかもしれません。

どっしりと腰を据えて考えると、ライターという仕事がとても難しい仕事だと分かります。

物やサービスをどういう視点から見て、どう良さを伝えられるのか、でも時に個人としては魅力的に思えない内容ということも起こります。

「安い」でも本質的には満足度は低い。

安くて、パワフルで、持ち運びにも便利。

ありがちな言葉ばかりを並べてしまうことに、段々と書く気力が削がれます。

仕事だから疑問に思わないようにするか、それとも業界での評価を上げて、期待される仕事を目指すか。

でも、ライターに限らず、どんな職種でも同じような葛藤に中で頑張っています。

常々思いますが、一生涯を賭けて続けられる仕事に出会えたら、どれだけ幸せでしょう。

苦労だとしても、その経験がいつかどんな形でも活かされるでしょうから、厳しい努力も報われます。

でも、評価はおろか、仕事そのものがなくなってしまうような環境では、思うように未来ばかり考えてもいられません。

先ずは努力するだけの価値ある環境を探してみることでしょう。

多くの場合、そんな環境は競争率も高いもので、希望すれば叶う場所ではありません。

だからこそ、小さな規模や制限のある環境でも、そこで先ずはしっかりと結果や手ごたえを感じて、より良い経験にすることです。

特にwebライターに限っては、近年のAI技術の躍進により、もう人間では勝てないほどの高速なライティングが可能になっています。

つまりそれだけ、「無名」のライターでは勝ち目がなくて、業界内でしっかりと頼られる人材として認知されることでしょう。

そのためには、「書くこと」だけではなく、専門性やそれに類する経験を持って他のライターとの違いを見いだすことです。

ライターという職業が、この先も生き残るためには、「書くこと」に趣きを置くのではなく、「誰の記事なのか?」で勝負できることでしょう。




ガッチリマンデーで紹介されていた「note」というサービスを知って思うこと

 働き方の基本

「誰かのために役立つために」ということが働き方の基本だと思う。

家の中で身の回りの整理整頓としても、家族は喜んでくれるかもしれないけれど、それだけでは「働く」にはならない。

でも、「誰かの役に立つために」というフィルターをつけると、そんな些細な行為もビジネスへと展開できる。

例えば、整理整頓術。

「術」にして、そのノウハウとしてまとめることができれば、それはもう個人や家族だけのものではなく、もっと多くの人に役立つものへと変わる。

インテリアコーデ

整理整頓術があるなら、収納に長けたインテリアも役立つのではないか。

「おしゃれ」はかっこいいものという感性に訴えるものだけではなく、日々の暮らしをより豊かなにしてくれるアクセントとして考え、インテリアコーデを提案していく方法だ。

家族目を向けるなら、性別や年齢などで変化する生き方の心地よさ。

例えば高齢者が感じる悩みに特化し、その解消に向けたアイテムをまとめてみる。

ビンの蓋を開けづらいと感じるなどもよくある話で、そんな日常生活のちょっとした悩みをテーマとして広げるのだ。

なぜ会社員として働くのか?

朝、慌ただしく身支度をして、満員電車に揺られて職場へと急ぐ。

体もそうだが、心はもっと疲れていて、「休みたいなぁ」と葛藤しながら電車の窓から流れる景色を眺めている。

「そうだ。起業しよう!」

漠然と思い立ち、会社を辞める。

それがキッカケで、新しい生き方を手に入れる人もいるし、「会社員だった意味」に気づく人もいる。

冒頭に紹介した「誰かのために役立つ」ということ感性や興味は、同じことや似たことをしてもちょっとした違いで必要とされ、またされなかったりする。

例えば、集団面接の会場で、面接官を数日間ずっと続けていると、相手が座っただけである程度の結果が予測できるようになるだろう。

少なくとも、「採用」という結果を伝えるべき相手がどうかというは、割と簡単に見分けられてしまう。

完璧に一回の間違いもなくということではなく、「こんな仕草をする人は」という共通点がおおよその結果を予測させるからだ。

そこで、「人は見た目の10秒で決まる」と思って、ファッションに気を使っても、実は見分けているポイントが別にあれば、それだけでは解消されない。

何が言いたいのかというと、「どこをどう直せばいいのか?」という「核心部分」こそ大切なことで、何かを知って起業しても上手く行く人と行かない人が出てしまうのは、偶然のことではなくて、でもその改善策というのはできない人はずっとできないし、できるようになるまでに何年も掛かる。

会社員として働くとは、会社が提供してくれる「職場」を使って、「役立つことをする」ためにある。

起業するとどうやって役立つのかを考えなければいけないけれど、会社員ならそこを省けるのだ。

これが数年間、会社で経理部にいて、業務の流れを大体覚えたとしよう。

「この経験って役立つのではないか?」と思い、起業したいと夢が広がったとする。

でも忘れてはいけないことが、「場を提供されて働いていた」という会社員での立場だ。

これが独立してとなれば、提供されていた環境を自身で再構築しなければいけない。

これもさっきの話と同じで、「経理の経験」というのは近くにはいなくても、国内という単位で見れば何万人もが知っていて、きっと自分よりももっと詳しい人が1万人以上いる。

しかも、「知りたい」と思う人が「誰から聞きたいのか?」と考えた時に、「数年間の職場経験」にどれだけ価値を見出せるのかということ。

そこで「税理士資格を取得しよう」と思い立ち、それを特徴にできないかと考えても、それを既にしている人もたくさんいて、その中で結果を出した人と出せない人が選別される。

既に核心部分を知っているなら別だが、模索しながら探そうとするなら、最低でも5年、一般的には10年くらいの期間を考えて、会社員時代に必要そうな準備をしておくことだ。

先の経理という話なら、資格取得のような思いつきそうなポイントは着実にクリアしておきたい。

なぜなら、会社員という立場は、場を提供されていて、評価されやすい。

より深い知識、役立つ知識を身につけることで、社内でも評価されるかもしれない。

会社は辞めるだけの一択ではない!?

会社員か起業か?

そんな二択ではなくて、例えば会社を辞めた後もそれまで勤務した会社と縁を持つことはできる。

会社員時代に担当していた業務を退職後にも外部スタッフとして関わることができるからだ。

これまでが月収のような評価だとするなら、時間給や成果給という方法で勤務することができる。

独立してまだ十分に仕事を確保できない時に、確実に仕事を受けられるからとてもありがたい方法だろう。

それだって何年かの勤務を通じてできた信頼や実績の結果で、その価値は誰にも使えるものではなく、独立して新たに営業してよく分かる有り難さの1つだったりする。

さらに言えば、「会社を辞めます」と会社に伝えた時に、会社の経営者の多くは「辞めてもどこかで頑張って欲しい」と思うはずだ。

というのも、独立して働くことの難しさを肌身で知るし、経営者となってからも苦労は絶えない。

そして辞めて行く従業員がいた時に、辞めてしまう寂しさもあるが、それまで経験を活かして活躍して欲しいとも思うもの。

経理経験を捨てて、今度は製造業、さらにその次は飲食でと職を転々として、結果的に「場を与えられないと働けない人」になってしまわないことをどこかで願っているからだ。

会社員時代、「言われたことだけしてはいけない」と耳しなかっただろうか。

思いついたことを上司に提案して、あっさりと却下されてしまうかもしれない。

でも、世間に出て営業するよりも、相手はもっと近い存在で、そもそも話を聞いてくれるところから始まる。

この差は大きい。

そして、自身が提案したことが会社に採用されることで、「核心部分」に近づくことができる。

「独立してから何ができるのか?」ではなく、会社員時代からそれを見据えて働くことで、会社に残る選択も起業する選択も選べる立場になれる。

ガッチリマンデーで紹介されていた「note」というサービスを知って、面白いサービスだと思った反面、やはり問われているのは同じことに思える。

どの分野で記事を書くのかよりも、どう「核心部分」に寄せて書ける準備をして来たのかということ。

じゃあ始めようで、偶然に当たることはあっても、それを継続させるにはやはり準備があってこそだろう。

「だよなぁ」と思ってしまうこみちがいて、自分に何ができるのかをまた考えてみたりしている。

少し早いですが「2024年」の目標を立てる話

 「絵」と「ランニング」の話

2023年、特に力を注いだのは、絵とランニングの2つです。

絵に関しては、好きな東京03のコントシーンを中心に描いていて、テーマとしては似顔絵ではなく、喜怒哀楽が分かる表情まで表現すること。

「誰がここにいる」という絵から、「表情を浮かべた誰がいる」に変わると、表現できる範囲が格段に変化します。

そこで、特に表情の描写力アップに頑張って来ました。

一方でランニングの方は、初めて皇居を走ることができた他、60キロの距離を走り切ることもできて、念願だった「旅ラン」への一歩が踏み出せたと思います。

関東圏にお住まいの方であれば、山手線一周が約40キロ程度と言われているので、60キロの距離を走ることがどれくらいなのか想像できるでしょう。

2024年の目標

2023年に取り組んで来た絵とランニングをベースに、もう一歩踏み出したいと思います。

具体的には、「旅ラン」の動画撮影をすることで、最初は短い距離(約10キロ)から始めて、絵を描くことを活かしながら走る楽しみを伝えられるようなコンテンツを作りたいです。

また、ランニングではトップスピードを向上させるような練習が多くなっていたのですが、もう少しペースを落として(具体的にはキロ5分〜6分台)で50キロ、100キロの長い距離を走れるようにしたいです。

また、ランニング中の撮影方法や、シューズ選び、カメラ撮影などにも試行錯誤したいと思います。

未来の自分をどう描けばいいのか?

昭和生まれの世代にとって、平成、令和と時代が変化し、ライフスタイルも価値観も大きく変化したと感じるのではないでしょうか。

特に働き方に関しては顕著に思います。

このブログを立ち上げた目的は、「中高年の方が生涯続けられる仕事探し」です。

こみち自身は、介護士の有資格者ですが、中高年の方が「資格取得」という視点で仕事を探すなら「介護福祉士」は国家資格で有力候補ではないかと思います。

もちろん、時間給という意味では介護士と同等以上の異業種もたくさんあって、介護の資格が必須だとは感じません。

しかし、中高年の方が実際に仕事を探す時に、「自分はコレができる」という意味で言えるものがあるのとないのでは、その後の人生プランも変わります。

その意味でも、資格取得という方法は40代の内に、できれば50代までには必要そうな資格を取得したいものです。

というのも、介護福祉士の資格も、未経験からなら最低でも3年以上の実務経験(専門校なら2年)が必要で、資格試験のタイミングまで含めれば、かなり年数が掛かります。

これは他の資格にも言えて、例えば電気工事士の資格を取得しても、家屋の電気工事は高い所や狭い所での作業も多く、様々な状況で工事が進みます。

それをいきなり始めることは難しく、実際には数年の下積みが必要でしょうから、資格取得後にどこで現場経験を積むのかなど、似た悩みがあります。

その辺りの経験は、少しでも若い頃に済ませた方がよい筈です。

詳しくありませんが、警備員にもいろんな種類の資格があるみたいなので、外仕事を苦にしないのであれば、こみちなら考えてもいいと思う業界です。

また、ガソリンスタンドでは、危険物取扱者の資格も大切で、この辺の資格もおすすめです。

逆に、「税理士」よりも難関資格の取得は、未来予想図をしっかりと見据えて始めるべきで、中高年の方が3年、5年と貴重な時間を勉強だけに使うことはよくよく検討した方がいいと思います。

そういう意味でも、介護系や警備、危険物取扱者などは比較的使い勝手に優れた資格でしょう。

その上で、趣味や特技を通じて何か活動できればと思っていて、こみちの場合は絵とランニングでした。

コロナ禍の時期は、キャップ関連も人気でしたが、今はどうなんでしょうか。


師走を迎えるというのに、どう生きたらいいんだろう…

 季節は移ろいで行くけれど

いい感じに変化したこともあるけれど、総じてあまりいいことは起きていない。

請負先との距離感など、正にそんな感じがする。

「仕事とは何か?」と考えた時に、効率を考えるのはベースとなる業務が整ってからだと思う。

あまり具体的には書けないけれど、もっとしっかりとした部品を作ってくれたら完成度も上がるのにと思うことがある。

業務の流れ全体を管理する人がいないから部分的な話しかなくて、先日受け取った材料などはかなり酷いものだった。

なぜ酷くなってしまうのかというと、その材料は柔らかく傷つきやすい。

硬い紐で縛って長く放置すると、その跡が残ってしまい、その後に消えない傷になってしまう。

そもそも製造過程で気をつけるようなポイントではなく、扱っている材料がどのようなものなのかをそれぞれがもう少し知っていたら起こり得ないことだ。

傷ついた材料で作っても、歪みがあるとどこかでズレが生じ、最終的な完成度が落ちてしまう。

長期的には売上にも響くだろうし、その会社が儲からなくなれば、当然だが下請けのこみちにも仕事は振られなくなって行く。

不安材料を誰が担保するのか?

都内でアルバイトをすると、時給1000円は確実だろう。

一方で、1時間あたり1000円の利益を出すことは簡単ではない。

つまりバイトに応募し採用された時点で、その企業が「1000円の利益」を担保しなければいけない。

例えばこれが請負だった場合、注文内容が簡単な時も厄介な時も、請負った金額次第で損得が生まれる。

一見簡単な仕事でも、後からいろいろと文句を言われて、その対応に時間を割いてしまえば結果的に割のいい仕事ではなくなる。

つまり、仕事を振られる時点で「不安要素」を含んだまま、見切り発車で請負すると大体後で揉める。

「赤」で仕上げてという話が「青」になってしまえば、やり直すだけではなく、元の色を消すことから始めるので、2倍3倍の面倒くささになる。

いい仕事をして、どちらにとっても喜べる状況を作るにも、不安材料を誰が担保し、それをどの段階で処理するかが問われる。

正直なところ、そんな意識が互いに違い過ぎてしまうと、良い関係は築けないし、場合によっては悪影響にも繋がってしまう。

小銭が手に入るという旨味を捨てられずにいるけれど、仕事としてキープするべきものかと冷静に判断すると微妙にも思える。

2023年も師走を迎える時期が迫り、「どうしよう?」と決断できずにいるけれど、早急に結論を出さなければいけない「不安材料」だ。


信頼されてのことなのか?仕事の仕方が変わったという話

 請負業を始めて取引先からの提案で

働き方には、その労働力の提供方法によって呼び名が変わります。

「時間」を提供するのが「雇用契約」だとしたら、「成果」を提供するのが「請負契約」になります。

雇用契約の場合、雇い主と主従関係ができて、指揮命令に従うことでその「労働力」を提供し、代わりに労働に際した事故やアクシデントに対して雇用保険や労災保険などを適用することができます。

また就労から半年が経験すると有給休暇も支給されるので、休みの日に給料ももらえてしまう特典つきです。

その代わり、何時までに就社とか、休憩のタイミングは何時間置きなど、その会社のルールに合わせる努力も求められます。

職場の異動や勤務地の変更なども、雇用契約によっては従う必要があるかもしれません。

一方で「請負契約」の場合、成果物に対して報酬が支払われるというシンプルな内容です。

何年継続しても有給休暇はありません。

仕事中のケガや事故に対しても、労災保険が適用されることもありません。

主従関係ではなく、フラットな関係なので、契約を破棄され又はすれば、その時点で関係性は解消されてしまいます。

こみちが請負契約を選んでいる理由

選んでいる理由はとてもシンプルで、「何曜日何時から働く」という制約がないことです。

会社の出勤することが仕事ではないので、その日に都合が悪ければ別の日や別の時間に変えて作業することができます。

ただこみちの場合は、ある程度リズムが欲しいので、何曜日の何時から仕事を始めるという自分なりの制限を設けています。

請負契約ですが、自宅で作業するのではなく、契約先の作業場に行ってそこの機械なども使わせてもらっていました。

従業員の方々はその会社のスケジュールに合わせて、何時になると休憩し、お昼休みを取っていたのですが、こみちは請負契約なので、休憩しないで仕事を終わらせて早く帰ることもあれば、作業時間を遅らせて仕事することもありました。

「休み」という概念はなく、「体調不良で休みます」というような話にはなりません。

「成果」を提供できない時は「契約しない」だけなので、「〇〇日は伺えません」という話になります。

納期とか仕事の割り振りがあるので、当日のドタキャンはその後の関係性を考えて行うことになりますが…。

入館時のセキュリティカードを預かりました!

勤務先の作業場に入るには、いくつかのセキュリティーを解除しないと入れません。

請負契約だけなので、基本的にこみちは会社側の人間ではなく、会社の従業員がいる時間帯にお邪魔して仕事をするのが流れです。

まぁ、深夜に会社へ行くことはありませんし。

ところが、総務の方から「カード」を預かることになり、一瞬、どう言うことなのか理解できなかったのですが、つまりはそのカードで作業場に出入りできるようになります。

行くことはありませんが、例えば会社が休みで誰も従業員がいなくても、こみちはカードを使って中に入り、仕事をすることができてしまいます。

ある意味で信頼されているからこそですが、逆にこみち的には「信頼され過ぎ」にも感じます。

その内、仕事の発注によっては、会社のスケジュールとは無関係に、勝手に会社に行って仕事をするようになるのかも知れません。

サラリーマン時代、納期が3ヶ月後とかもあって、日々の作業量を自己管理しながら働いていたこともあるので、今のスタイルに特別の違和感も感じませんが、「納期とクオリティを守る」という暗黙のルールがあるので、納期日が台風の影響で外出できないような時でも、自分で予測して仕事を完結させることが求められます。



仕事を増やしたいのですが…という話

職種は気にしない!?

請負の仕事をしていますが、もう少し仕事量を増やしたくて、新たに別の仕事を始めたいなと模索しています。

絵とかイラストを描く仕事にも憧れますが、筆が遅いこみちは納期までに完成させるというプレッシャーがどうにも自信を持てません。

しかも、絵を描く作業って時給換算すると異業種よりも非効率で、例えば一枚の絵を描くだけで10時間以上掛かることも稀ではありません。

何より、納得したレベルまで描き込もうと思うと、時間はいくらでも使えてしまうので、10時間にプラス30時間ということだって可能なほどです。

なので、「絵を描く」ことを仕事にするのは難しく、「描いた絵をどう使うのか?」まで考えておかないと仕事にはできません。

かと言って、介護業界に戻れるかというとそれも簡単ではなくて、自分に何ができるだろうという悩みに直面します。

中高年のこみちにおすすめの仕事って?

こみちが思うおすすめの仕事とは、現時点で経験したことを「繰り返す」ことで完結できる作業です。

例えば、こみちは、絵を描くことが好きで、介護福祉士の資格者です。

人物画や風景画を描くことが好きですが、そこに芸術的価値や意味があるのかというと判断できません。

じゃあ、介護福祉士の資格があれば、無資格のスタッフよりも多少は待遇面も期待できるでしょう。

しかし、仕事がら、早朝や遅番、夜勤なども担当しなければいけないですし、日勤帯のみにするとしても、介護の現場は泡立たしいのが普通です。

なぜなら、介護される高齢者にとっては、いろいろとしてくれる方が嬉しくて、それは直接的に何かするとは限らなくても、裏方として仕事をしなくてもいいということにはなりません。

それだけに、「ここまででOK!」という限界は、職場や各スタッフで判断することになるので、場合によってはサービス残業などの時間外勤務が増えます。

つまり、時間給で50円とか100円高い設定でも、毎勤務、1時間前後の残業になると、資格の有無よりもどこまで頑張るのかがポイントになります。

当時、1時間までは超えませんでしたが、30分くらいは当たり前でした。

時間的にというよりも、現場の状況次第では「あがります」と言い難く、いつもそのタイミングがストレスでした。

仕事を覚えたら、それだけ状況もよく分かります。

だからこそ言い出せなくての繰り返しで、仕事としては嫌いではなくても、そこまでどっぷりと頑張れる気持ちがないと復職できないのも事実です。

別に楽して稼ぎたいと思っているのではありません。

知識や技術が必要なら、それに合わせて学ぶ覚悟はあります。

幸い、今の請負の仕事は、良い感じで信頼関係もできて、マイペースに作業できるので居心地も悪くありません。

ただ仕事量の面では、バラツキが多いので、もう少し安定していたり、作業量が読めると助かります。

その辺のバランスを考えると、たとえ1日だけの単発バイトであっても、巡り合わせがあってこそ始められるものです。

年内にもう一つ仕事を見つけたいと思います。

何かいい仕事、あったらいいのですが…。

「人生」を楽しく生きられていますか?

 こみちの場合

昨日、妻から体調はどうなのかと聞かれました。

妻自身はあまり自分のことを話すタイプではないので、もしかすると仕事で上手くいかないようなことがあるのかもしれません。

焦ります。

約4ヶ月前から始めたジョギング。

不安を感じる度に「汗を流すこと」で交して来たので、体の酸素循環を示す数値VO2 maxが始めた頃32だったものが50まで増加しました。

50という数値は、「12分でどれくらい走れるのか?」という指標で、確か2700メートルとか2800メートルくらい走破できると受けられます。

中高年で、50という数値は低くはありません。むしろかなり高い方でしょう。

その意味では、肉体的な健康はかなり向上していて、「働ける」だけの体力になっているはずです。

運動療法が精神疾患に有効と言われるのは、確かにそうだと思います。

不安になると走る。

やばい感じになるとまた走る。

ジョギングを始めた頃から、歩いてでも表に出て、1日20キロとか、30キロとか、長い時は8時間くらい走って歩いてを繰り返しました。

疲れて足が痛くて、もう一歩だって歩けないという状況になって、どれでも歩き続けている時に「生きている」という実感を感じていました。

当時は、普段ばきのスニーカーで出かけていたので、足の爪が靴に当たり続けたことで、爪が変質し真っ黒になるほどです。

今も黒いのは変わりませんが、むしろその痕跡が「生きている」に繋がっています。

ずっと続けて来たyoutube チャンネルも、応援してくれる方がいることに感謝ですが、何を描こうと悩みますし、伝えたいことが絵に表現できていないのもあって、思うように運営できていないのも事実です。

あまりに異質なチャンネルになっているので、こみちという人間性を理解してもらうことが難しいし、こみちの興味に共感させること稀で、登録者数が伸び悩むのは仕方ないことだと思います。

「嗚呼、減っている…」

youtube チャンネルを運営される方も一喜一憂されていると思いますが、こみちだってそうです。

今朝、いつものようにコメントとか入っているかなぁと管理画面を見ると、登録者数が減っていました。

でも、残念という感情はあっても、どこか受け止めているところもあって、離れてしまう人は仕方ないと思います。

むしろ、今でも登録をしてくれる方がいるなら、「絵を描く」ということで何かこみちらしいことができたらと思います。

人付き合いの苦手なこみちなので、チャンネル登録者数だけは多いなんてこと、有り得ないですから。

細々でいいと思っています。

こうして、偶然でも訪れる方がいて、「そうだなぁ」と自身の生活を振り返るキッカケになれたなら。

同年代の「早期退職」で気づく人生観の話

 「早期退職」制度

中高年と呼ばれるこみちの同年代が、早期退職制度を申請し、第二の人生を始めることになった。

中高年という年代を迎えても、自身がどんな分野に長けていて、強みにできるのかと悩んでいる人がいる一方で、サラリーマンとして20年、30年と会社の方針に沿って仕事を続けて来た人の中に、「早期退職制度」を利用し、まだまだ若いうちに第二の人生へと歩み出す。

それが唯一ではないが、例えば大学に再入学し、サラリーマン時代に忙しくて時間を割けなかったことを学ぶということもできる。

退職金を使って、憧れていた「店」を出すこともできる。

海外移住という選択もあるだろうか。

いずれにしても、「早期退職」制度を使うことで、まだまだ体が動く時期に新しい生き方を楽しむことができる。

「早期退職」で気づくこと

最も重要なのは、「正解」を見つけなかったとしても、サラリーマンとして働くことができるということ。

今、職探しや自分探しをしているこみちのような人は、「自分にどんな仕事が合うだろうか?」と考えて悩んでいる。

一方で、必ずしも合っていなくても、20代で入社した会社で勤め上げた人の中に、「早期退職」する人がいる。

決定的な違いは、「正解」と呼べる選択を見つけていなかったとしても、サラリーマンとして勤められるということだ。

職場の方針に、疑問や不満を感じ、時に将来性にまで疑いを持って、「自分の未来は自分で考えないとね!」と正解を探す方向に進んでしまうと、「人生とは何だったのか?」というとんでもなく大きな悩みに立ち向かわなくてはいけない。

しかし、確かに納得できないし、なぜそうなるのかという疑問もありながら、サラリーマンとして働き続ければ、そんな大きな悩みに答えを見出さなくても、退職金を受け取り円満に会社を辞めることができる。

そして、それまで我慢していた興味や趣味に生き甲斐を見つけることができる。

そこには正解という大きな壁はなく、自身が思うままに生きるという方法でしかない。

職探しをしているこみちが、「早期退職」の制度がどれだけありがたさに今気づいても、その方法を選べないけれど、「生きる意味」のような大きな悩みなど考える必要はなかったのだと知った。

なるほど。

コツコツと誠実に生きる強さって、社会から信頼されるし評価されるんだと気づく。

そう思わないだろうか?


「親の介護」施設派?在宅派?という話

 親のために自分の将来を…

介護福祉士でもあるこみちが思う未来の自分とは、あえて年齢で区切ると60歳、70歳が人生のターニングポイント。

もっと健康に自信がある人は、65歳、75歳かもしれません。

いずれにしても、2回のタイミングがあって、それは向上心持って働ける現役時代とその後に迎える活動できる時代です。

つまり、60歳くらいまでは健康も担保されて定職を持ち、労働力によって対価を得る経済活動もできる時期。

もっと言えば、夢や自身未来像を描ける期間です。

一方のその後に迎えることになる70歳という年齢は、現役時代(60歳まで)とは異なり、常に体を労りながらも自身の健康を少しでも長く保てるように生きる時代。

もちろん仕事ができる人はフルタイムではないかもしてないけれど、仕事が続けられるなら続けられるまで頑張ればいいと思います。

しかし、現役時代はバリバリと活動的だった人でも、それからの10年はいろんな意味で見直しが必要になる時期でもあって、仕事を続けるということの他に、やはり「終活」についても考えなくてはいけません。

60歳を過ぎて70歳までの(65歳から75歳ということも)10年は、これまでの人生を振り返ると共に、まとめの時期でもあって、例えば住み慣れた家で暮らし続けるとするなら、この先段々と老いを感じ日常生活に支障が生じた時には誰にその後を頼むことになるのかまでよく考えておかなければいけません。

例えば持ち家だったとしても、固定資産税や電気ガスなどのメンテナンスなど、時に大きな出費が必要で、自身で業者を依頼し、その窓口になることができるのかと考えた時に、やはり子どもなど信頼できる人が側にいてくれたらと思うでしょう。

しかし、子どもといっても、彼らもまた40代から50代くらいで、会社であれば定年まで10数年という頃で、自身の老後がより現実的に感じる年代です。

つまり、親の介護を担うことになって、その時期の10年を自身の老後よりも介護に費やしてしまうと、場合によっては現役時代をほとんど何も準備しないまま終えてしまうことにもなりかねません。

優しい心の持ち主なら、「親の介護は当たり前」と、自身の人生で最後の向上できる時期を介護中心に過ごしてしまう人もいるでしょう。

しかし、それは親にとっては嬉しくても、24時間、365日を奪うのではなく、この部分は親が頑張って、ここだけは支えて欲しいという話し合いが絶対に欠かせません。

その話し合いを意味あるものにするには、やはり親が60歳を迎えるまでに、先ずは自身の老後をぼんやりでも描いていなければ、70歳までに準備と思っても、実はそう思うようには身体も気力も続きません。

特に大きな荷物を処分したり、高い所や重い荷物を分類したり、終活に欠かせないこれまでの荷物をどう減らしていくのかという時に、もう手が出せなくなってしまいます。

例えばワンルームくらいに広さで、暮らしていたら、その荷物を特に分類することなく一括で業者に処分してもらうとしても、その費用は20万円とか30万円は用意しておきたいもの。

つまり、生活が大変で介護施設に入ることに決めたと言っても、今の生活に一度区切りをつけるのも無料ではできません。

別々に暮らしている子どもが、仕事の休みにわざわざ実家に戻り、親の荷物を一緒に整理するのは、思いの外、大変なことです。

子どものペースでするとしても容易ではないのに、ペースの違う親に確認しながら処分するのは大きなストレスを感じるでしょう。

だったら、同居しながらその準備を進めるにしても、年々老いていく親と残された課題が、子どもの立場としても自身の老後も気になったりして、やはりいくつもの焦りの原因ができてしまいます。

介護施設を選ぶとしても目安は都内で20万円以上

都内で暮らしている人が電車で1時間圏内の介護施設に入るとしても、直ぐに入所できるような施設を利用するなら月額20万円は必要です。

つまりその費用がねん出できないと、介護施設を選ぼうにも簡単ではなくなります。

60歳までどう働くのかという意味は、介護施設に入るにもそれだけの費用を蓄えているのかということです。

親がその年代をあまり深く考えずに終えて、70歳まで同じように生きてしまうと、年金額だけでは介護施設に入れないという事態も起こり得て、子どもの立場では自身の老後だけでなく、親の介護まで背負うことになるのです。

準備をしない親の場合、多くの面倒なことにも放置していることが考えられるので、介護での労力だけではなく、資金面でも補てんが求められるでしょう。

その意味では親の介護を施設でと考えるのか在宅なのかという選択肢も、60歳までを親がどう生きて来たのかで決まります。


幸せ、不幸せは気持ち次第!でも心地良い環境は意識して作りたいという話

 忙しくても稼げない人と楽なのに稼げてしまう人

今日、割と真剣に仕事をしました。

それも休憩無しで5時間ぶっ通し。

でも稼げた金額は、アルバイトの最低時給。

いわゆる軽作業に分類される仕事です。

例えば、そんなこみちたちを管理する人は、何をしていたでしょうか。

あくせくと慌ただしく働いていたわけではありません。

でも、こみちよりも単価は高く設定されています。

個人の潜在能力が報酬の単価に反映されるのではなく、需要と供給の関係で納得した人は仕事をもらい、納得しなければ仕事にはありつけません。

「自分の価値はこんなに低くない!」と思って、納得できる仕事が巡って来るまで待ち続けるのも人生の選択です。

また、価値など気にしないで、できそうな仕事があるとすぐに始めてみるという方法もあります。

どちらがいいのかではなく、生き方の違い。

中高年になって即戦力を期待される転職であるなら、楽して稼ごうと考えたらすぐに行き詰まります。

少なくとも働きぶりが社内的に定着するまでは頑張るしかないでしょう。

しかも、平社員という位置付けなら、やっぱり役職がもらえるくらいまでは「休み」よりも「仕事」や「成果」を気にするべき。

なぜなら、そうしないと「楽して稼げる」ポジションが巡って来ることはないからです。

今日、慌ただしく働いている時に、目の前で楽そうに働いている管理者を見て、正直、楽そうでいいなぁと思ってしまいました。

でも、その管理者になるには、正社員という採用に合格しなければいけませんし、どんなに楽をしているように見えても、現場の経験や知識を持っています。

つまり、そこまで頑張った結果、楽して働けるポジションを勝ち取ったのです。

忙しくても気ままに働けるという状況を自分らしいと思って幸せに感じることができます。

でも、稼げないことで不幸だと思う人もいるでしょう。

つまり、幸せ不幸せは、今の状況をどう感じるのかということ。

幸せにもなれますし、不幸せにもなれます。

でも心地良い環境は、自分だけが心地良いと思うだけでは作れません。

特に職場環境では。

転職してまた一番下から始めるのも大変ですが、先にない職場で我慢するのも考えものです。

なぜなら、頑張って意味があることならいいですが、多くの仕事というのは頑張るポジションの人と楽なポジションの人がいて、しかも稼ぐという意味では忙しさはあまり関係ありません。

だからこそ、専門性を作るということが重要で、中高年ならなおさら経験値を活かして仕事を見つけるべきです。

また、最前線で頑張るポジションよりも、流れから少し外れたポジションの方が自由ですし、負担もありません。

出世という意味では期待できないかもしれませんが、就職した会社の役員を目指している人は別ですが、程よく働いて稼ぐのであれば、報酬もしっかりと受けられて、あまり忙しくない職場に回してもらえたら楽でしょう。

つまり、今回の管理者は、こみちたちの面倒を見るのはそれなりに大変ですが、何もしないでも管理という仕事をしているので、楽に稼げます。


趣味だったとしても行き着く先は…という話

 ランニングを始めて3ヶ月

ほぼ毎日、距離こそバラバラながらランニングを生活の中に取り入れた。

普段走らない人には馴染みが薄いかも知れないが、ランニングをされる方であれば1キロをどれくらいの時間で走れるのか?」つまり「キロ何分?」という言葉が頻繁に使われる。

始めた当時は、だいたいキロ9分とか8分。

そこから少しずつ体が慣れて、キロ5分ペースでも走れるようになった。

1000メートルを5分だから、50メートルを15秒くらいで走っていることになる。

中高年の50メートルが、運動に馴染みがない人で8秒、9秒とするなら、キロ5分というスピードは割と練習次第で到達可能な目標だ。

しかし、youtube などを見ていると、キロ4分や3分30秒という目標を目指している方もいて、彼らの多くはフルマラソンで4時間や3時間以内を目指していたりする。

どこかで聞いた話では、趣味としてランニングされる方で4時間以内でフルマラソンを走り切れたら、上位30%くらいに入るそうだ。

もちろんこみちの実力はそんな所にはなくて、全体の90%とか95%をウロウロしている。

ビジネスとして考えると

「仕事探し」という視点で考えると、走ることでどんなメリットを与えられるのかが問われる。

中高年になって意識する健康管理にランニングの良さを結びつけるのだ。

別の言い方をするなら、走ることを理解し、資金提供してくれるような環境はどうしたら見つけられるだろう。

トップアスリートのようにスポンサーになってくれそうな会社を見つけることが現実的にできるだろうか。

例えばyoutubeを見ると、トップアスリートはファン向けに、トップアマチュアの方は市民ランナー向けにトレーニング方法などを紹介している。

キロ5分で走る方法とか、キロ4分で疲れない走り方など、市民ランナーが求める内容に合わせて、いろんなコンテンツがたくさん公開されている。

視点を変えると、トップアスリートが企業スポンサーを獲得し、競技に専念できる環境を作るように、トップアマチュアはレクチャーを武器に、魅力あるコンテンツ作りで広告収入を目指している。

自身のポテンシャルを客観的に理解し、市場のニーズに合わせてサービスを提供するという流れはランニング業界にも存在する。

では、平凡なランナーが稼ぐことはできないのだろうか。

それこそが中高年の仕事探しに思うポイントだろう。

中高年の仕事探し

「できないこと」を武器にしてみるのも方法だ。

上手いということでレクチャーするのではなく、下手から始めて成長する過程を共有するのだ。

何もランニングだけではなくて、初めての転職活動や料理など、なんでも構わない。

むしろ、それを探している人がどれくらいいるのかという部分だけが問題になるだろう。

残念な話をするなら、中高年になって若い人に勝てることは少ない。

未経験の業界であるなら、なおさらだろう。

つまり、正攻法で勝機を見出そうとしても、自身の努力が客観的に評価されるレベルにはなかなか到達しない。

だからこその逆転の発想で、「40歳からの」「60歳にもできる」というような年齢的な要素を前面に出して、その頑張りを共有してもらうような方法がおすすめだ。


生き抜く覚悟を決めた中高年の労働者に出会った話

 こみちはまだ覚悟していない!?

副業というべきか、本業と呼ぶべきかは別として、こみちには請負という形で仕事をもらっている取引先がある。

この前、仕事の出し方のことで話し合いがあって、こみちはそろそろ請負から手を引こうと考えていた。

単純に仕事そのものが嫌いになったというわけでは無いけれど、かと言ってこの先に何か進展があるとも言えない。

つまり、将来を考えるとそろそろ別の会社との出会いに進むべきだと思案していたからだ。

そんな中で、こみち同様に今の取引先の下請けをされている人に声を掛けられた。

「こみちさんですよね? 私、〇〇と言います」

そんな風にあいさつされたけど、〇〇という名前も2週間くらい前に耳したことがあったほどで、実はこみち、それまでどんな下請け業者がいるのか知らなかった。

知らなかったというよりも、知ろうとしなかったと言った方が正しいかも知れない。

別の業者がどれくらいの単価でどんな仕事を振ってもらっているのかを詮索してまで、会社との繋がりを強固にしたいとも思っていなかったからだ。

もちろん、いきなり名乗られた時も、「お世話になります」という言葉くらいで、それ以上は互いに何も言うことはなかった。

ただ、社内にいた社員が、その下請け業者に告げた言葉を聞いて、こみちとは全く異なるスタンスでその会社に深く関わっていることに気づかされた。

年齢はこみちよりも上だと思う。

まぁ見た目の感じだから同年代ということもあるけれど、年下だったら驚いてしまう。

だから、50代、いや60代ではないだろうか。

どんな仕事でも気にせずにもらいたいというなら、「何でもできます!」というスタンスで関わっていけばいい。

ただ、会社によっては損害が発生した時に法的な手段に出ることもあるから、こみちはあまり曖昧なまま仕事を何でも請けるのは気が引ける。

20代くらいで起業し、とにかく売上を稼ぎたいというギラギラした勢いにはなれない。

やはり、事前にうやむやにしたことでトラブルになって後味の悪いことになった時のことがどうしても頭に浮かんでしまう。

明るく気さくにあいさつしてくれたその業者も、多分株式会社ではなく、個人事業主という形で稼がれているのだろう。

つまり、雇用保険や労災保険に加入していない状況で、報酬と引き換えに労働力を提供していることになる。

例えば、納品物に瑕疵(欠陥)があった時に、その修復を誰がどこまで責任を持つのかなどは、請負で揉めるポイントだろう。

通常の作業で引き起こる瑕疵は元請の責任とし、加工段階での瑕疵については下請け業者の責任になるというような指針がないと、時に「このミス直してよ!」と指摘されて下請け業者は困惑することがあり得る。

「いやいや、受け取った時からありました! ウチのミスではなくて」

と言える下請け業者など滅多にいない。

パワーバランスを考えると「検討してみます」というような曖昧な対応をとって、さらに稼ぎにならない仕事を受けてしまうことがある。

もう一つ例を挙げると、個人事業主は労災保険に加入してしないから、納品物を運搬中に事故に巻き込まれても、取引先にその損害を請求することはできない。

もっと言えば、納品に掛かる時間やガソリン代も、最初の契約額に組み込まれているくらいだ。

だから、納品方法などもしっかりと確認しておかないと、思わぬ出費があったなんて笑い話にもならない。

そんな風に考えてしまうこみちだから、あいさつしてくれた下請け業者がこの後、新しい工場に移動すると聞いて、逆に頑張っているなとも思った。

移動時間やその交通費は会社から出してもらえるのだろうか。

雇用契約とは異なり、最低時給の担保も受けられない下請け業者は、気をつけないと取引先に良いように使われてしまう。

「〇〇さんがいて助かります!」という言葉を鵜呑みにして、何か役に立っていると思うのは自由だけれど、何か起こってからでは互いに遅い。

もちろん、冷酷な会社ばかりとは限らない。

下請け業者にも温かくアットホームな関係を築いてくれる会社だってあるだろう。

でも、特別な才能を活かしている人でもない限り、下請けという選択よりも社会保険なども受けられる正規雇用の方が絶対におすすめだ。

それは仕事ができている時は同じかも知れないけれど、事故や病気、加齢などで今までと同じように働けなくなった時に差があるからだ。

多分、めちゃくちゃいい人なんだと思う。

正しいことをしている限り、トラブルなどには巻き込まれないと思っているような。

でも、会社と個人がトラブルになると、体力的な面でも個人は苦労する。

宙に浮いた納品物の報酬は当然支払いを止められるだろうし、そこから訴訟にでもなれば、個人は生きて行くために別の所で働きながら対応にも追われるようになる。

休みの日が全て別の予定になって、次第に追い詰められてしまうのはどうしても個人の方だ。

だから、仕事そのものができるかどうかだけではなく、ある部分では少し距離も保たないと個人事業主は続けられない。

まして、一人で立ち回るような動き方では、大量の受注にも対応できないし、太いパイプを築いてもその効果が半減してしまう。

個人事業主同士の繋がりや一人親方ではなく会社組織にするくらいのことも見据えないと、下請けという立場は厳しい面が目立つ。

改めて、こみちには真似できないなぁと思ってしまった。

でも、「自分の生きる道はここだ!」と思って、頑張ろうとしている人もいるのも事実だ。


「中高年の仕事探し」は20代30代が大切って話

 結局のところ「今まで」が問われる!?

昨日、家で競馬番組を観ていました。

その時に、レースの解説をしている元ジョッキーの方が出演されていて、レース前の馬を見て調子を分析し解説してくれます。

これを言うと身も蓋もありませんが、レースに勝利する馬は、最後馬が走りたいかどうかだと思うです。

そうなるためにジョッキーがレース中は馬の感情や気持ちを上手にコントロールし、レース前まで遡るとトレーニングはヤル気を引き出せるメニューをどう組み合わせるのかになるでしょう。

とは言え、雨が嫌いな馬は、レース直前に降り出すと、それまでの雰囲気が一変してしまい、落ち着きを失ったり、嫌がる素振りを見せたりして、前評判のようには結果が出ないのかもと思ったりします。

しかし、毎回思うのは、元ジョッキーだった方が本命のレースに出走する馬やジョッキー、調教師の方たちを訪ねて、話や様子を実際に調査していることです。

競馬場も全国各地にあって、レースを予想するだけではなく、晴れた日などは芝生の上で子どもたちのはしゃぐ姿もあったりして、決しておじさんだけが集まる場所ではありません。

それだけ競馬に関わる人も沢山いて人気があるということです。

例えば、今からこみちがそんな競馬に関わる仕事を探そうと思っても、運良く競馬場の売店で人員の募集があれば夢が叶うかも知れません。

あと可能性があるとするなら、警備員や清掃員という職種でしょうか。

いずれにしても、どんな仕事を選んでも、未経験からというのはそれだけ応募する人も採用する人も縁が無いと始まらないはずです。

そのテレビ番組では、他にも外国人のジョッキーがレースに参加するにあたり、通訳者が同行していたりします。

スマホなどを使えば、簡単に翻訳できる時代ですが、まだまだ通訳者の役割は重要です。

もしも日本が好きで、競馬が好きで、その外国人ジョッキーのことも尊敬していている人が、語学を学び、日本で通訳者として働いていたらどうでしょうか。

仕事に上も下もないと思っていますが、単純にジョッキーとも話が出来て、これから騎乗する馬の様子も感じられて、自身の語学力を活かして働けるなら、それはとっても楽しい人生ではないかと思います。

でも、やっぱり中高年という年齢になってから気づいて、「仕事探し」を始めても、そんな仕事には残念ながら巡り会えません。

結局、20代や30代、もっと言えば10代の頃から自身の人生プランをどう考えていたのかがポイントで、何も〇〇業になるとまで決まっていなくても、通訳者になろうとか、イラストレーターになろうとか、ある分野に興味を感じて、コツコツと腕を磨いていたからこそ、見える景色があるように思います。

こみち自身に関しても、できることはそう多くありません。

短期間であれば、荷物の仕分けなど力仕事という選択肢もありますが、以前経験した時に腰を痛めましたし、その業界で働くならフォークリフトのような操業免許を取得した方がいいでしょう。

単価も高くなりますし、自身の身体も壊し難いと思うからです。

何も無いままの時は、今あるものしか頼れませんが、仕事をしながら自身にできることや、向いていそうなことを広げて、段々と働きやすい環境に変えることで、それこそ元ジョッキーや通訳者のようには行かないかもしれませんが、そうやって自分らしい仕事を見つけるのだと思います。

成功した人や夢を掴んだ人がしていたことの話

 プロの歌手と歌が上手い人の違い

例えば、歌に関して、プロと素人の差があるとするなら、それは「安定感」ではないだろうか。

同じ音を発するにしても、単純に機械的に音程が合っていれば良いということではない。

切なさを感じさせる歌詞を、明るく元気に歌ってしまえば、聞いている側はどこか違和感を抱え、歌声に浸ることができない。

また、別の言い方をするなら、丁寧に歌っているようにも思える。

しっかりと力強くという意味ではなく、むしろ丁寧で繊細にさえ感じる。

何かを求められた時に

成功する人や夢を掴んだ人は、何かを求められた時に、必ずある意味での完成を目指している。

「この曲を歌ってよ」と頼まれて、雰囲気で歌うのではなく、歌う時は1つのパッケージにするくらいの気持ちで真剣に歌い上げる。

それは時に周囲にはやり過ぎとかくどいと映るかも知れないが、やり切らないことをスマートと勘違いして手を抜いてしまうのではなく、そこが大切なチャンスと理解して結果を目指す。

こんな姿勢がある人は、結果的に注目される機会を作れているし、誰かから見ても心のどこかに印象として残るのではないだろうか。

夢を叶えるための最短距離とは?

例えば歌手になりたいと思う人はいて、その人は日ごろからボイトレなど歌に関する努力をしていたとしよう。

「歌ってみてよ」と頼まれるチャンスが巡って来たなら、きっとその努力は何もしていない時よりもずっと夢を掴めることになるだろう。

しかし、そうそう「歌ってみて」と頼まれることなどない。

つまり、夢を叶えるためにどれだけをしていてもチャンスが巡ってこないのだ。

だから歌手になりたい人ほど、もう一つ別の特技が不可欠になる。

例えばトーク力だったり、料理やDIYなど、「歌ってみてよ」と言われるその前を作ることだ。


多分これだけできると人生を変えられるという話

 結局、大切なことって

中高年になって、再就職や独立開業などに直面した時に、例えば資格取得という方法を考えがちです。

でも本当に大切なことは一つだけで、「気配り」ができることではないかと思います。

この「気配り」はとても幅の広い概念で、知識という側面も含めば、技術的な意味合いにも通じます。

つまり、資格取得も含みますが、ポイントは資格を取るということではなく、その資格によってどんなサービスを提案できるのかという部分が最も大切なのだということです。

宅建士の資格も簡単ではありません。

なのでその勉強が自身の生き甲斐や満足感になりがちですが、本当の勝負は不動産の仲介業者として何にこだわりどんな客を満足させたいのかという部分。

大手のオフィス移転案件を担当する人と、上京して都心部のワンルームを探している客層を担当するのでは求められるスキルはかなり差があるでしょう。

言い換えると「なんでもできる」ことよりも「これなら稼げる」ということにどう巡り会えるのかが課題で、フワッと満遍なく学ぶのではなく、どうすれば収益になるのかを常に考えるべきです。

そこがあってからの、自身のこだわりや向き不向きがあるからです。

つまり、気配りが不得手な人は、気配りとは何かを学ぶことから始める必要があります。

人との距離感やワードセンスにも言えますが、それらを間違えるとあとでどんなに策を練っていても、上手な気配りにはなりません。

もっと言うと、気配りは経験値だとも言い換えることができて、いろんな立場や状況を体験しているからこそ、相手の気持ちにも歩み寄れます。

ということは、中高年からの仕事探しで、上手くいく人と行かない人の違いは、それまでの生き方で何を学んだのかということでもあります。

常に自分主体でしか体験していなかった人は、それを他人が体験するとどうなのかを考えるべきですし、そもそもいろんな体験をしていなかった人は頭で考えて答えを出すよりもいろんな体験をして「気配り」とは何かを自分なりに見つけることでしょう。

その意味では、資格取得だけで人生を変えられる人もいますが、それが大切なのではなくて、もっと別の経験や方法が必要ということもあるでしょう。


「生涯の仕事」をどう見つければ良いのか。という話

 年収1000万円以上のサラリーマンだとしても

月収で80万円以上、さらに夏冬のボーナスも合わせたら、きっと年収1000万円を超えるサラリーマンでしょう。

もう少し具体的な数字を使うと、1日の利益が3万円以上は稼いでいる仕事でなけれ、難しい収入です。

Wordを使って、書類作成をする仕事を考えた時に、その操作方法も初級から中級、上級とありますが、現場目線が強くなり過ぎると上達することを仕事として考え、その書類作成でどれだけの利益を生み出せているのかを考えなくなってしまいます。

つまり、もう少し給料が高かったらと思うなら、その希望額の3倍の利益を会社に貢献できれば、「もう少し給料を上げてもらえませんか?」という話スムーズです。

ということは、職場での働き方がより制限されるアルバイトやパート雇用の場合、時間的な融通が正社員よりも有利なメリットは、当然ですが利益を上げるチャンスという意味では不利にもなりやすい傾向に。

つまり、明確にこの作業で貢献するできるという方法が確立していない段階では、社会人経験を広げる意味でも正社員として働くメリットはあるはずです。

「これだけ」とあらかじめ決められた作業しかしない働き方は、覚えてしまえば楽ですが、それ以上の発展性には乏しいので、結果的に報酬額が倍増する要素も少なくなってしまいます。

冒頭で年収1000万円のサラリーマンという話を持ち出しましたが、以前であれば大卒で有名な大手企業に入り、役職付きの30代を迎えられたら、それこそ到達不可能な話ではなかったはずです。

逆算的に言えば、それだけ各業界で筆頭に挙げられるような大企業に入れる学歴を得ることは、将来を約束される近道だったとも言えます。

「勉強は好きですか?」

好きか嫌いかではなく、ここで結果(有名な大学に合格する)を残せたら、それだけその後の人生をより明るいものにできたということです。

「だから、今は勉強した方がいい」というのが、社会人になってそのレールから外れてから気づいても難しく、もしかすると後からでは数倍の努力や運がないと同じ結果にはできないのかもしれません。

だからこそ、まだ学生の時に、「なぜ勉強するのか?」という理由を知っていたら、「勉強は好きですか?」という好き嫌いの話ではなくなったでしょう。

扱うものは業界によって様々だと思いますが、例えば年収1000万円のサラリーマンが1日あたり3万円稼いでいるなら、会社には10万円以上の利益を貢献しているはず。

8時間労働なら、1時間あたり10000円以上を稼げなければいけません。

つまり、ある店で一個500円の弁当を販売していて、一つ売れると100円の利益が見込めるとしましょう。

それで10000円を稼ぐには、1時間で100個売らなければいけません。

と考えた時に、一人で100個を捌けるだろうかという疑問が生まれます。

1個買う客が100人来てくれるよりも、10個単位で10人の客の方が接客は楽ですし、100個単位で納品することになっていたら、約束の時間に合わせて動けばいいので、より現実味があります。

あとは注目してもらえるメニューを考えるという流れでしょう。

ここでポイントは、本当に年収1000万円以上目指すのかということ。

それだけ高い目標を掲げるなら、自ずと利益を生み出せる仕事も限定されるからです。

個人では難しいとなれば、人を雇うことにもなります。

そうなると、結果として同じサラリーマンでも企業内で起業しているような立場になり、その働き方は個人事業主や会社の経営者と同じ目線になっているはずです。

つまり生涯の仕事を見つけたいなら、どれくらい利益が見込める仕事を探し、それができるための知識や技術を段階的に身につけることです。

もっと言えば、「自分に何ができるだろう?」と考える前に、「どんな方法で世間では稼いでいるのか?」を知ることです。

今までそんな風にいろんな職業や職種を調べて思ったのは、どの仕事でも簡単に稼ぐことはできません。

楽で稼げると思えるのは、それなりのデメリットがあるからです。

健康被害や事故の危険性などがより高けれれば、それだけ報酬も高目に設定されるでしょうし、専門性や独自性が高いとその希少性が認められて高額な報酬にも繋がります。

しかし、大半の仕事はその作業そのものでは利益を生み出せていません。

つまり、Wordで書類作成するという作業そのものが重要なのではなく、職場での意味や理由が見出せた時に初めて価値になるということ。

色カラフルな仕上げにするために、プラス1時間を使うのはあまり有効な働き方ではありませんし、今の立場や職場を失ったら、その後苦労する可能性もあります。

そうならないように、自分なりの仕事を見つけ、確立させることができると、それが自分を助けてくれる生涯の仕事になるでしょう。