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人生で大切なことは「〇〇」だと思った話

 「〇〇」とは何か?

背が高い人、低い人。頭がいい人、そうでもない人。

言い出せばいくらでも思い浮かぶでしょう。

背が高いも、170センチよりも180センチが高いですが、190センチが来ると低いと言われます。

つまり、どんな分野でも、No.1は一人であって、それ以外の人は必ず強味にできるものではありません。

しかし考えてみてください。

背が高い人がいつも目の前にいますか?

いない時だってあります。

つまり、その時は自分が「高い人」なんです。

でもこの考えって凄く大切だと思うんです。

例えば、東大に合格しても、自分よりも余裕で合格した人がいて、その人はやっぱり自分よりも頭がいいはずです。

でも今、目の前いますか?

つまり、自分が何者で、どこにいれば評価されやすいか?を知ることができたら、それが人生で最も大切なことだと思います。

これ以上頑張れないほどの努力をして、例えば司法試験に合格した。

それは凄く褒められることですが、やはり貴方よりも優秀で、頼りになる弁護士が世の中にはたくさんいます。

だから、努力することを優先するよりも、必要とされて輝ける居場所をさがし、そこで成長できた方が結局は生き残れるのです。

〇〇の資格を取って。〇〇の経験者になって。

それも確かに人生では大切ですが、その前に今の自分で何ができるかを考えましょう。

その上で、あと何を足せれば、今以上に活躍できるか。

多分人生はそうやって豊かにしていくのでしょう。

こみちはそのことに気づくのが遅かったです。

頑張って努力すればいつか評価してもらえる。

だから努力し続けよう!っと思っていました。

こみちは妻の生きる望みを繋げるために、絵を描くことを休止しています。

でも多分、こみちが一番自分を輝かせられるのは、絵を描くことの先にあると思います。

ですが、結果を出せていないし、今のままの生活を続けることも難しいので、苦渋の選択ですが急がば回れです。

もう師走も師走だというのに「仕事探し」で忙しいです!

 昨日も「indeed」で探していました!

そもそもこみちには他人に誇れるような得意がなくて、出来そうな仕事という視点で探していました。

これからキャリアを新たに築こうという野望もなくて、仕事はこれからも続けやすいものにどうめぐり合うのかと思っています。

明確な「鬱」ではありませんが、数年前にコロナ禍も関係しているのか、急に感情が出せていない状況になり、自分では気づいていなかったのですが妻に心配されたことがキッカケで療養とまでは言いませんが、人生の休暇を過ごしていました。

その時期に両親の老化も現れて、母親にお願いしていた家事を段々と担うことが増えました。

一方で、朝夕の食事、洗濯、掃除などを担うようになって、介護福祉士も取ったくらいなので、生活支援が嫌いではないのでしょう。

indeedで掃除関係で探すと、店舗の開店や閉店などの掃除の仕事がいろんな所で出ていて、仕事としては嫌ではないのですが、仕事の種類上、数時間ということも多くて月収としてその仕事だけで稼ぐには厳しいというのが本音です。

同じような関係で、マンションの管理人の仕事も候補にしているのですが、実は以前にも職場見学みたいなことをしていて、その時の印象があまり良くなくて、少しトラウマになっています。

あとは、農業関係。

デスクワークって屋内の冷暖房も効いた環境でいいのですが、デザインやWeb製作の仕事をしていた時にやはり運動不足があって、その点でも農業って仕事をしながら体を動かせるのが魅力です。

とは言え年末ということもあり、すぐに就活できないので、行けそうな職場を探しつつの年越しになります。

活動していたyoutube のお絵描きも休止にしていますが、やっぱり絵を描くことがしたいです。

お金がないという現実と、それでも両親は黙っておせち料理を通販で買ったらしく、そんなお金がどこから出せるのかと思うばかりです。

最近でも近くの方が階段で転び、頭を強く打って救急搬送されたり、別の方の家にも救急車が来ていたりと、この時期は何かといろいろあるので、両親はそれをどう思っているのかと心配になります。

金銭感覚も違いが大き過ぎて、そのために絵を続けたいという気持ちを封印して、両親の老後のために犠牲になるのもまだどこかで納得できていないんですよね。

両親も両親なりに努力しているなら分かりますが、全く生活スタイルもこだわりも犠牲にしない生き方を続けて、周りだけがあれこれと犠牲になるのもどうかと思うので。

今日は、妻も仕事が休みなので、今年の感謝も込みで神社に参拝してくる予定です。

絶望する前に在宅介護で考えること

 ミニトマトの話から

最近、母親の買い物はとても変です。

こみちがミニトマトを買って来た日、その夕方に母親もミニトマトを買って来ました。

まぁそれはタイミングもあったはずで、仕方がないでしょう。

問題はここからで、翌日にもミニトマトを買って来たんです。

実はこれ、ミニトマトだけの話ではなく、時に牛乳やシメジ、ピーマンなどなど、同じ物が二度三度と繰り返されます。

そして、今朝、家族分の朝食を作っていて思ったのが、そのトマトを両親が自分たち用に皿に入れて食べていたのですが、「ヘタ」を取っていなかったんです。

もちろん、食べる時に外せばいいのですが、一般的ヘタ周辺をよく洗って食べると思うので、食べる時に外すだけでは気になります。

こみちが朝食用として使う時、洗うのはもちろんですが、時に気になれば包丁でヘタ周辺の窪みを切り取ったりします。

農薬の残りやすい部分とも聞くので、少しでも健康になるなら、ひと手間掛けたいからです。

母親がヘタ周辺のことを知らないとは思えません。

むしろ、知っていてもしないことに不安を感じます。

正直に言えば、「洗って食べているのか?」と。

まぁ洗わずに食べてもすぐに健康被害が出るとも思いませんが、それはトマトのことだけではなく、例えば母親が完全に家にいる生活になった時に、昔のイメージほど家事ができるのだろうかとも思ってしまいます。

と言うのも、まともに料理を作らなくなったので、冷凍の炒飯をフライパンで炒めるくらいはできても、白米を使って自家製炒飯を作ることはもうできないからです。

言ってしまえば、魚を焼くことも煮ることもスキルとしてはできなくないでしょうが、手間として掛けられるのかというとかなり最近の様子を見る限り怪しく感じます。

本音を言えば、家事全てをこみちが担当した方がずっとやり易く、部分的に母親に期待すると時間的にもやりづらくなるのが見えています。

父親はいろいろ口を挟んできますが、結局は何もできない人。

母親はいろいろとしてくれるのですが、よく見ると不完全なことも多く、できないことをそのまま放置していることも少なくありません。

こみち自身を考えた時に、フルタイムで働く不安もありますが、そうなったら誰が食事や掃除、洗濯、買い物をするのでしょうか。

かと言って、それらをこみちがこなせたとしても、ずっと両親が生きている限り続けることはあまりにデメリットがあり過ぎるます。

ただ生きるためにこみち自身も老いていく。

その後、二人が居なくなって、例えば妻が居たとしても、こみちたち二人で老いが迫る暮らしを続けなければいけません。

その時に両親の介護だけを考えて今を生きるのはかなりその後の人生を苦しくさせます。

昨日の晩、こみちが家族分の洗い物をしていた時に、石油ファンヒーターの継続を促すチャイムが鳴りました。

大体そのタイミングでファンヒーターを使うのはやめて、エアコンの暖房に切り替えるのですが、それは父親だけがリビングでテレビを観ることになり、火事の予防もあってのことです。

だから、洗い物を止めずに、そのままファンヒーターが自動で消えるのを望んでいたんです。

「チッ!」

そう言ったのは父親でした。

でもこみちはもうそれに反応せずに洗い物を続けます。

寝転んでいた父親が継続のボタンを押したのですが、ただ何も考えずテレビを見ているだけの人のために、「押すね!」とはならないでしょう。

しかもエアコンに切り替えることにもなっているので。

つまり、「チッ!」と舌打ちするのは、それくらいしてくれたら良いのにという気持ちだと思います。

でも、その些細なことが生きていると無数にあるので、一個は些細でも「処理」して行くことがやはり負担なのです。

父親にとっては「継続ボタンを押す」それだけが今の生活の心配ごと。

でも他の家族は迫り来る老いに意気消沈しているのです。

その隔たりにももう父親は理解ができないくらいなので、そんな父親に家族が合わせ続けるのは無理があります。

今の暮らしをどう続けるかではなく、どう生き続けられる暮らしを見つかられるかなのです。


絵を仕事にしたかったですが

 来年からは生活を変えようと思います!

老いた両親を見ていて、最近急にできないことが目立って来ました。

きっと、以前のように戻ることはありませんし、今後は更に老いが進むでしょう。

して欲しいことを1ミリだって守ってくれないと不満を漏らしたこともありますが、今は自分たちの生き方さえも段々と怪しくなっていて、まともに考えると未来に明るさはありません。

絵を仕事に繋げたかったのは、クリエイターとしての可能性とかではなく、こみちにとってはそこだけしかなかったというのが正直な気持ちです。

それを一度休止にするのは、それだけ生活が切羽詰まり、その日の生活をやり過ごすことが難しいからです。

トイレで便座カバーを濡らしてしまう父親と、その濡れたことにも気づかない、気づいても取り替えない母親。

それを見ても、二人がどれだけADLが低下しているか察しがつくでしょう。

そのうち、父親は夜間でオムツを使うようになるでしょう。

母親もまだ簡単な料理ならできると思いますが、決まった時間に決まった人数分を必ず用意することは難しいかもしれません。

かと言って、同居して思いの外、母親が貯金できていなかったことを含めて、こみちが自分たちにために考えていたライフプランも大幅に修正しなければなりません。

「ありがとう」

「お願いします」

「感謝しています」

これらの言葉は、負けを意味するものではなく、生きて行くために身につけなければいけない言葉。

でも両親は結局、そんな言葉をこみちに言ってくれることもなく、老いて生活ができなくなっている状況です。

自業自得ではないか?

「そのままだと助けられないよ」

そんな言葉の内側には、身につけて欲しいというよりも、せめてそれだけは心得て欲しかったという気持ちです。

でもそれさえできない両親は、老いることでもうそれさえ考える力を失っています。

起きて冷蔵庫を開ける。

今日の食材に何が使えるのか?

そんなことももう考えていないでしょう。

習慣として扉を開けて、中を見て、閉じる。

何をするべきか。何が必要なのか。

もう母親には分かっていないんです。

「今日のお昼にマックを食べたんよ」

昨日、そう教えてくれましたが、今食べたいものを買うことしかできません。

ひと月の食費を計算している様子もなくて、すべてが結果です。

これで大きなトラブルでもあれば、完全に終わってしまう。

もう今は絵を仕事にしたいなぁとは言えなくなりました。

今日、仕事の打ち切りを告げられました!

 薄々は感じていたけれど

今日、仕事をして来ました。

この仕事は久しぶりで、正直、いつまで続けられるか微妙でした。

生涯、自分の仕事を探すなら、その仕事は受け手ではダメだと思います。

ここで言う受け手とは、自身が主体的ではない仕事との関わり方で、簡単に言えば相手が望む仕事をこなして、その対価を受け取る類いの仕事です。

絵を描く仕事でも、兎に角、枚数を描かされる仕事はとても大変です。

こみちの最高点が100だとして、80を求められ、しかも単価を抑えられてしまうととても条件の良い仕事ではなくなります。

今の時代、AIを使えば、ものすごいスピードで80点に相当するクオリティーを描いてしまいます。

もっと高得点かもしれません。

ただ、AIが全てのシーンを描けるのかと言うとそうでもないようで、怒っている人は描けても、悲しくて怒っている人や悲しくないのに怒っている人を正確に描き分けられる訳ではないみたいです。

例えば、全くセリフを無くして、演技だけで感情を伝える演出は、それこそトップレベルの演技力が求められるでしょう。

効果音やBGMによって、見ている情景を意図的に印象操作することで、演技を補うことができるからです。

つまり、セリフを完全に消して、それでもそこに流れている映像が何となく理解できると言うのは、相当に凄い演技力があるからです。

かなり話が脱線しましたが、仕事にも通じることに思います。

つまり、感情を伝えることもしない仕事を続けても、それはAIの得意分野であり、多くの人とも競争しなければいけない仕事です。

だから、価格を更に下げなければ仕事が回って来ません。

打ち切りされることになったのも、ある意味でそう言う話なのでしょう。

こみちの提示した価格の更に2割、3割引きで受ける人がいれば、仕事は奪われてしまいます。

価格を張り合って、同じに合わせても、そこに意味があるのか考えると、多分、その仕事との縁はなかったと考えるべきでしょう。

こみちが考えるのは、仕事を失ったことではなく、もう長く仕事を回してくれた取引先で、とてもよくしてくれたのも感謝ですが、そろそろ巣立ちの時かもしれません。

悲しいことでもありますが、今日も仕事をして楽しかったです。

ただ、もうその仕事は、今のこみちには合わなくなっていました。

感謝。感謝です。

中高年が仕事探しを始めて気づくこと

 昭和と平成、令和

昭和の後半、そして平成に変わった頃、ワードやエクセルを使えることがホワイトカラーのステイタスになっていました。

こみちの場合、パソコンでデザインの仕事をしていたので、Photoshopや Illustratorが使いこなれることが必須でしたし、それぞれのアプリがバージョンアップするとその解説本を買って勉強することも当たり前でした。

絵を描くことは学生時代からのことで、通勤中の電車での移動中、仕事で考える図案やデザインを小さなスケッチブックにペンで描いたりしたこともあります。

でも、誰もがスマホを持っていて、そのスマホでAIがデザインも作曲もしてくれるわけですから、当時の当たり前など昔話です。

一方、誰もが投資をするような時代になり、会社の利益がそこで働く従業員に還元されると同時に、株主への配当にも回されるようになったとも言えます。

それはつまり、与えられた仕事を全うすることで、昇進し、給料アップすると言う時代ではなくなりつつあるのかもしれません。

報酬や利益は、提供した価値の上乗せ分。

でも昔よりもその割合が変化し、頑張れば頑張っただけ還元されるのもではなく、利益の配分が報酬の他に、株主にも流れています。

もちろん、それは急に始まったことではなくて、昔からあったはずです。

ただポイントは、利益の恩恵を受けるには、その会社の従業員であるだけではなく、株主でもいいとなったことです。

日本は長く物価上昇に対して、賃金が追いついていないと言われていますが、会社が利益を還元する方法が変わったとも言えます。

例えば、海外に在住していても、投資資金があれば、国内の会社から利益の恩恵が受けられるようになった一方で、国内で働く労働者は十分な報酬を受け難くなったとも考えられるでしょう。

もしもそうだとするなら、従来のように会社で幅広い経験を積み、出世して責任あるポストに就き、その対価として報酬を得ると言う昭和の頃なら当たり前だった話も過去になったのかもしれません。

名の通った大学に入り、そのブランドを使って一流の会社に就職することが成功のセオリーだったとすると、時代背景が変化したことで、より結果が求められるようになったのでしょう。

つまり、医学部を出たら医者として活躍して、しっかり報酬を得ると言うことが仕組み的に難しくなれば、医学の知識を専門性として、どう活かせるかまで考えて従業員として稼ぐとは別のルートで収益を上げる工夫が求められます。

それは異業種にも言えて、専門スキルを見つければ将来も活躍できる時代が昭和だったとするなら、平成、令和に時代が変化して「専門性」の先が求められます。

例えば介護業界

高齢者の生活を支援する介護事業は、実際に働いて人の温かさを感じられる素晴らしい仕事です。

こみちもそんな高齢者との触れ合いが好きでしたし、その方々との会話でそれまで学ぶことができなかった経験もたくさんさせてもらいました。

それらは「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」と言う縁側でほのぼのしたやり取りだけではなく、70代、80代、90代と自身も同じ道を辿った時に人生をどう振り返ることになるのかを教えてくれます。

今、とても大切にしていることが、後々には全く価値がなくなるものもあれば、今は無価値に見えることでも、その後は人生を豊かにしてくれるものもあります。

特に、老いてからではやり直せないので、ずっと後悔して生きるのか、楽しく毎日を過ごせるのかは大きな差になるでしょう。

とは言え、介護士の報酬は異業種と比較しても、高待遇とは言えません。

その原因の一つが、効率化に向いていない事業ということもあるでしょう。

手間を省くと、提供されるサービスも低下しやすい。

なぜなら、左にある物を右に移動させることが仕事ではなく、移動させることに意味があるからです。

全ての作業がそうだとは言いませんが、手際よく熟すことだけでは満たされない部分が多く、でもそれをすると施設経営の利益を圧迫します。

結果的に、やり甲斐と報酬が結びつかない関係になりやすいのが介護事業だと思います。

仕事探しをする中で、介護業界に再就職も検討していましたが、待遇面で満たされていても、施設の評判を調べるともう一歩踏み出すことを躊躇う情報もあったりします。

また、紹介派遣の場合、高額時給を掲げていても、すぐに勤務先の施設との契約に切り替わり、就活を決めた理由が早々と奪われることもあります。

介護報酬を得て運営される介護事業だけに、相場を大きく上回る報酬は出せません。

つまり、介護の仕事で報酬を決め手にはできないとも言えます。

異業種の方が高額なことも多いですし、稼ぎというだけなら必ずしも介護業界がおすすめではないからです。

しかし、昭和からの変化を考えると、従来の考え方では仕事で安定した報酬を得るのは段々と厳しくなるので、稼ぐ方法をどう見つけられるかがやはり克服しなければいけない課題です。

お金でお金を稼ぐ時代になったと言えば分かりやすいでしょうか。

こみちチャンネルの運営

こみち、youtube でこみちチャンネルを運営しています。

絵を描いて、その制作過程を紹介するだけのチャンネルです。

高い反響が得られているとも言えませんが、活動を続けているのには理由があって、「絵を描く」楽さを活かせないかと思っているからです。

歌を歌うことや楽器を演奏することにも似ていますが、できたから何か意味があるということではなくて、でもできることで自身を発見したり、見え方や感じ方が変われば、その後の人生も変わって来ると思うんです。

例えば、旅先で素敵な景色に出会った時に、スマホでパシャリと撮影しても十分ですが、スケッチブックにささっと描いてみる。

意外とその時の気持ちって、スケッチブックを見返したりすると、鮮明に思い出せたりします。

向き合った時間だけ、思いを通わせただけ、そのことが違いなのかもしれませんが、一瞬で撮影した一枚よりも明らかに記憶に残ります。

つまり、「描くこと」は上手いか下手かにどうしても目が行きますが、そこが大切なのではなくて、描こうと思う中にある幸せが老いてからも大切な思い出になるということ。

その流れがあって、上手く描けることはよりピンポイントで残したい気持ちまで残せるようになるということのように思います。

今はまだそこまでの想いを運営するチャンネルで発揮できていませんが、そこまでお伝えできるようになれば、それは仕事として誰かに何かの価値を提供することにもなると思います。

それは、時代の変化を感じるからこその試みでもあって、会社で仕事をすることだけでは十分ではなくなる時代だからこそ、自分にできることを形にしていくチャレンジが求められるように感じます。

改めて思うこみちの仕事探し

 ここ数日のこと

あと数ヶ月で、ランニングを始めて3年が経過します。

走り始めたきっかけは、当時、メンタルを壊してしまい気力がなくなっていました。

家族から「大丈夫?」と声掛けられて、ハッとして動き出すような時があって、自分では意識できていない時間が度々ありました。

それが1分の話なのか、1時間なのか、どれだけぼんやりしていたのかも分かりませんでした。

そんな状況だったので、淡々と体を動かすことを始めたくて、最初は散歩、それから軽いジョギング、そしてランニングと運動量や強度を上げて来ました。

時間があると走りに行って、過去には20キロや30キロを時間を掛けて走ることもあって、クタクタになって疲れて寝てしまうことが心地よかったんです。

密かにランニングフォームをyoutube で調べて、見よう見まねで覚えたフォームに変えてからキロ4分ペースでもかなり楽に走れるようにもなりました。

それからキロ3分30秒ペースにもなったりして、運動そのものにかなり慣れたとも思います。

ですが、先週くらいから以前なら余裕だったキロ5分、6分のペースがキツく感じます。

フォームを覚えているので、少し気合いを入れれば、キロ4分ペースで走れることには変わりません。

ですが、キロ5分のペースで走って、もっと余裕でもおかしくないのに、ひどく疲れます。

1キロくらいで走るのをやめてしまうんです。

最近までは、最初の2キロをキロ5分くらいで流して、その次の2キロをキロ4分ペースで走り、最後の1キロはさらにペースアップすると言うような走り方が多かったのですが、今はそれどころではありません。

走り出しても、すぐに足が止まってしまいます。

息苦しいからでも、心拍数が異常に高くなったからでもなくて、走ることをやめたくなるんです。

ですが、ランニングの習慣をやめてしまうと、日常的なストレスで以前のように無気力に戻ってしまうでしょう。

だからランニングの習慣をやめたいとは思っていません。

でも走れないんです。

仕事探しをして、妻に「こんな仕事を見つけたんだよ」と話ます。

介護の夜勤専従の仕事ですが、少し遠いのが難点ですが、雰囲気も良さそうですしどうかと思ったんです。

「昔ならともかく。今のこみちでは無理じゃない?」

はっきりと言われて、ちょっと驚きました。

完全復活とは言いませんが、かなりメンタルは回復したと思っていたからです。

報酬額よりも、無理なく働ける職場の方が合っているのかもしれません。

もう少し良くなったつもりでしたが、どうなんでしょう?


職場を選ぶとしての介護施設

 親を預けたいと思えるか?

介護への再就職を検討し、希望にあった職場を探しています。

立地や勤務条件など、こみちの希望に近い職場を見つけました。

あとは実際に連絡をして、面接という話かと思ったのですが、運営会社の評判や職場の評価、何気なく調べてみると気になるコメントが見つかりました。

中でも「親を預けたくない」という家族が多かったこと。

以前勤務していた施設を調べても、そこまで気になるコメントはなかったのに、なぜにこんなに多いのかと。

介護業界

長いとは言えませんが、介護福祉士の資格も取った立場で思うのは、介護業界は利用者も働く人も簡単ではありません。

例えば、移乗。

車イスからベット、ベットから車イス。

歩行が困難な利用者を移動させる介護ですが、介護者が心得るポイントは幾つもあります。

それは自分自身の腰を守るためでもあり、介助される利用者の負担を減らすためでもあります。

知識として、言葉でどれだけ上手く説明できても、実際に移乗介助ができるのかは別の話です。

つまり、正しい方法を反復して練習しない限り、技術を習得出来ません。

自己流でしてしまうと、それで問題ない場合もありますが、後々になって腰を傷めたり、利用者をケガさせてしまうことがあります。

トラブルが起こって、そのままではダメだと気づいても、どう意識すれば良いのか分からないと、腰にサポーターを巻いて同じ方法で介助を続けている介護士を何人も見て来ました。

介護福祉士の資格は、基本的に知識の有無を問われます。

ですが、受験資格として、実務者研修を受けなければならず、「介護って何?」という答えを考える期間があります。

言ってしまえば、初任者研修だけでも働けます。

現場経験が長い介護士も多いです。

介護福祉士や実務者研修で得た知識や経験が現場ではほとんど役立たないように思うかも知れません。

ですが、「日々の介護」は現場だけを見ていても良いのですが、「介護とは何だ?」という疑問には介護福祉士で問われる知識や経験は無駄にはなりません。

と言うか、介護福祉士の受験対策って、「介護とは何か?」を理解しているかを問われる試験とも言えます。

具体的な内容は触れませんが、そのために必要なことを理解できていたら、合格できます。

何がここで言いたいのかと言うと、介護業界って「質」を保つのがとても大変です。

例えば全くの未経験者に介護の基本を教えるとしても、用具の使い方から受講生同士で行う介助の練習と進んでも、それは「介護とは何か?」の入り口に過ぎません。

あまり広げ過ぎても良くないですが、「生き方」にどう寄り添うのかと言うことなので、利用者やその家族の素直な気持ち、経済的な負担など、理想があって現実があって、だからこそこの辺りの介護支援が持続可能だろうと言う見極めが必要です。

それを導くのがケアマネのやり甲斐ですが、何十人もの利用者や家族からの要望に応えるだけの時間は無さそうです。

と言うのも、ケアマネだけで稼ぐのは難しく、こみちの勤務していた上司は他のスタッフと同様に夜勤もして、ケアマネの業務もこなして、とても忙しそうでした。

それでも素朴な疑問や悩みにも笑顔で応えてくれて、給料の多い少ないで選ぶ職種ではないと思います。

例えば、週1や2と言う勤務だとしても、短くからいい加減な介護でもいいとは思えません。

利用者との話や触れ合いが楽しかったのも事実ですが、それは娯楽としての楽しさではなくて、悩んだり考えさせられたりしながらも、出会えたことでこみち自身の人生にもいい影響があったを言う意味です。

「親を預けたくなかった」

コメントに寄せられた言葉の背景は分かりませんが、いろんな部分に問題点がありそうです。

まして、週数回の勤務だからこそ、そんな現場を選んで良いのかとも思い始めました。

家から近くて、条件も悪くない。

でも、利用者家族からはとても評判が悪い。

ちょっと立ち止まってしまいました。

慌ててこんなはずではなかったと後悔するよりも、もう少し探してみた方がいいと思います。

悪い言い方ですが、腰掛けな気持ちで再開する介護職なので、まだこみち自身が怒られて反省するような職場の方がいいです。

誰も得をしていない職場で、モヤモヤして働くのもなぁと思ってしまいました。

地道に生きること

 地道に生きること

最近、変わることがない両親との生活に疲れて来ました。

しかも少し油断すれば、コツコツと軌道修正した習慣も一瞬で元通りになってしまいます。

「何でそうなの?」

そんな話をしても、結局は何も通じないので、切り捨てられるなら切り捨ててしまいたいのですが、そうできない何かもあって、家族は崩壊したまま継続しています。

ところで、みなさんは「お金持ちになりたい」ですか?

上手い話があれば、一度は乗っかって、夢のような生活を手にしたいですか。

今にして思い返せば、父親世代には当たり前だった終身雇用という制度。

会社人間になるという不自由さはありますが、40年なら40年、勤め上げれば老後も心配なく暮らせる制度でした。

だからこそ、そんな制度がより充実した「大手」に入社することが大きな目標だったというです。

話は変わりますが、いろんなことを理屈を考えて眺めていると、あることに気づきました。

例えば、なぜ「儲かるのか」という話。

儲かるにはマストと呼べるルールがあって、それが「軌道に乗る」ということでしょう。

具体的に説明すると、めちゃくちゃ美味しい料理が作れても、儲かることには繋がりません。

つまり、土手で100mを計測し全速力で走って8秒だったとしても、それは世界記録にもならないという話と同じです。

組織や団体に関わることで、初めてしたいことが評価の対象になるのです。

さらに言えば、そんなコミュニティにも種類があって、傘下にどれだけ影響力があるのかも重要です。

終身雇用の話で大手が望まれた理由は、その傘下に多くの企業がいて、そこにもたくさんの従業員がいて、彼らの努力や頑張りをまとめて大手は預かれるポジションだからです。

つまり、個人で始めた小さな会社は、もっと影響力のあるグループに属することも大変です。

商品を製造し、販売するとしても、その場所を探すのも個人では限界があります。

もしグループに属することができて、そこで宣伝や紹介、提供する場を作ってもらえたら、どれだけ助かるでしょうか。

その有り難さに着目すると、「広告業」も化ける業界かもしれません。

とは言え、個人が今から参入しても勝ち目はないので、結局は異業種同様にグループに加わることが何よりも優先されるでしょう。

あるタイミングで収入が増えたと話す人がいて、その秘訣が軌道に乗る人たちとの繋がりを持つことでした。

お金が動いている場所にビジネスチャンスもあるということです。

というのもその理由はシンプルで、ビジネスになっているということはマーケットがあるということで、ニーズもあるので、それに応じることでビジネスチャンスがやって来ます。

もしも個人で、コツコツと頑張っているだけでは成果が出ないと思うなら、それらの行動が悪いのではなく、そもそもとしてビジネスチャンスに近づけていないことが大きな改善点でしょう。

一方でもう一つ考えるべきは、最近では大手でさえも安心ではないことが起こっています。

例えば、同じ類いの商品を製造販売する会社は世界各地にあって、業界二位と三位、四位がタッグを組めば、圧倒的に有利だったトップブランドでさえも追い抜けることがあり得ます。

個人ではどうにもならないことが、組織や団体に属することでビジネスチャンスが始まるように、企業間でも似たようなことが起こります。

言い換えると今の時代はもう「個人」の努力ではもうどうにもならないくらいの状況で、ビジネスを成功させるチャンスは「個人の人柄」に人気が出るようなケースくらいしか思いつきません。

小さな喫茶店で、コーヒーやケーキを提供している。

大金持ちにもなれないけれど、気ままに立ち寄ってくれる顧客がいて、楽しく商売できているというような状況が目指すべきゴールではないでしょうか。

自社よりも安価な店は周囲にもあって、でも潰れないくらいは客も来てくれることで経営できている。

現実的に考えるとそれを達成させるのもかなり難しい話でしょう。

そして、もう一つ全く異なる方法が、仕事として割り切って働くビジネスです。

広告業が儲かるかもしれないと紹介しました。

でも個人では難しい面もあります。

しかし、「案件」として依頼された商品を貴方が良さを伝えることで、報酬を受けるというビジネスです。

同じくらいの性能や品質の商品があって、多くの人が一斉に一方の良さをこぞって紹介していたら、一般のユーザーはどうしてもその商品を選んでしまわないでしょうか。

貴方が担当したことで商品を購入し、その良さを実感できたと報告を受けたら、紹介してよかったとやり甲斐を感じるでしょう。

しかし、問題は別の所で起こります。

広告の効果が一方的になれば、時にライバル企業の業績は下がります。

そして次第に開発や製造販売が鈍り、勢いが失われてしまいます。

もちろんそれは広告をした側の責任ではありません。

さらに広告をしても不適切な手段は使われていないでしょう。

ポイントは、時に「ビジネスチャンス」と思えた出会いですが、大きな集合体では、組織や団体の強みと同じで、もっと大きなものさえも動かしてしまうということ。

好きだった商品やサービスが、いつの間にかなくなってしまうということが起こります。

そして、仕事だからと割り切っていたつもりで続けていたつもりが、気づけば特定の商品しか選べなくなっていたりするのです。

安くてサービスもいいと紹介しただけなのに、その影響力で個人で経営されていた喫茶店が店を畳んでしまうことがやはりあるんです。

仕方ないと言えばそれまでですが、儲けるということだけを優先してしまうと結果的に生活は何か大切なものも変わってしまいます。

極端に大儲けすると、そこには歪さがあって、地道にコツコツしても何も起きなかったように、普通はそれくらいしか影響はありません。

だとすると、5倍にも10倍にも跳ね上がるビジネスは、その仕組みが大きな影響力を秘めているとも想像できます。

簡単に儲かる上手い話がないのは、それで成功してしまうと失われるものが大きいからです。

AI生成の時代に「イラストレーター」は生き残れるか?と言う話

 「イラストレーター」の仕事

意外な誤解があるとするなら、仕事としての「イラストレーター」は「製作」と同じくらい「ヒアリング」を大切にしています。

例えば、ポスター制作を仕事として請けた時に、「絵が描ける」と言うスキルは大前提だったりします。

つまり、方針が決まって製作するのは代表的な作業ですが、それはあくまでも「ヒアリング」した後の話です。

依頼主が複数人いて、イラストレーターが一人で出向き、彼らの雑談のような話を聞きながら、隠れたイメージを形にする方向性を導くことも重要なことです。

言ってしまえば、ほぼ社内で製作だけするイラストレーターもいますが、社外でヒアリングをして、方向性を形にするイラストレーターもいます。

彼らを「アートディレクター」と呼んだりもしますが、イラストレーターであることに変わりありません。

AI生成の手順

例えば、未来の車を創造する案件を請けたとして、AI生成を使えば、簡単にそれっぽいデザインを描いてくれるでしょう。

そこで、問題があるとするなら、描いたイラストの制作意図を「どう説明するか?」の部分。

「未来っぽい車」を描いたイラストが、なぜそうなったのかを依頼主に説明しなければいけません。

その時に「未来っぽい」と言うワードで描いたとしても、求められるのは「未来」をどう解釈し、そこからどう活かしてイメージを起こしたのかと言う部分。

もうガソリンエンジンは使われていないのか。

電気自動車が抱える問題点を未来的にどう解決し予測したのか。

そこまでを考えられる「思考」をAIが再現するのは、事実関係を根底から理解し、人間社会の構造や仕組みまでも認識しなければ難しいと思います。

つまり、「未来っぽい車」をそれっぽく描くこととは全く意味が異なります。

とするなら、「イラストレーター」と言う職業が今とは違う形になったとしても、「ヒヤリング」を経て製作へと進むプロセスは変わらないので、様々なニーズを汲み取り、提案するスタイルが消滅するとは考え難いでしょう。

ただ懸念があるとするなら、AI社会が主体化されて、AIありきで人間の暮らしや経済活動が行われるように慣れてしまうことでしょう。

かつてこんな話がありました。

プロとアマチュアの違いは、完成度ではなく、信頼度とも言われます。

つまり、困難な条件や状況でも、納品物を一定の完成度に保つ技術で、「できなかった」で終わらせない配慮がプロの仕事です。

ところで、現時点のAIって、自身が描いた根拠を文字に起こせるのでしょうか。

成果物を見て、その感想を答えるには、感情表現を理解する必要があるので、とても難しいことに思えます。

よくあることとして、チーム作業でAIが他のイラストレーターたちの作った成果物を依頼主のニーズと照らして、融合するのではなく、良いところを取捨選択することができるのかと言う部分。

「なぜ、そう考えたのか?」

自分のこととして答えるのではなく、様々な立場で意見する人がいて、しかもそのどれが正解とも言えない時に、「今回はこれにしよう。なぜなら、こういう方針が求められているから」と判断できる時代が来れば、それはもう人間との共同ができる人工知能だと言えないでしょうか。

どこかで見たような絵や映像は現時点でもAI生成で高品質に制作できるようになりましたが、今後、AI自身が方針を提案し、目標や意図まで語るようになったら、イラストレーターと言う仕事も概ね代行できる時代が到来したと考えて良さそうです。

そこまで人間の考えや思考を広げてしまうと、善悪や不正、弱さや脆さなど、人間にしかない感情をどう理解するのか、教えるのか興味深い話です。

だからこそ、イラストレーターや絵師は、何かをただ模写するだけではなく、「存在感」や「雰囲気」にはこだわって描写するべきだと思うのです。

いい役者の笑みが、大袈裟過ぎないちょうどいい感じなのも、場を察して演ずることができるからです。

爆笑も笑いではありますが、絶妙さってあるでしょう。

プロやプロを目指すなら、その表現にはこだわっていたいですよね。


例えば「ゲームをして」稼げたとしたら

 「家事」も仕事!?

仕事として働いている感覚と、自宅で家族に食事を作る家事とに違いはあるでしょうか?

こみちは介護福祉士の有資格者で、例えば他人の在宅介護サービスの一環として、料理の代行も仕事になり得ます。

その時の違いは、自分の家で家事をしても仕事にはなりませんが、他人宅であれば仕事になると言うこと。

これは発想を変えれば、「家事」以外でも、例えば「ゲーム」で一回プレイするとそれが仕事になる仕組みを思いつけば、稼ぐことができるようになります。

何を夢のようなと思われるかもしれませんが、考えてみると「仕事」とは「勤務を伴うこと」とは限りません。

重要なのは「誰かにメリットをもたらせること」です。

とは言え、初心者のゲームする様子をただ見ていても飽きてしまいます。

一方で、上級者の場合なら、飽きない人もいると思いますが、ただ見せられてもそれで満足できるのかは疑問です。

これは「家事」で考えると、出来上がった「料理」が一級品であることだけが価値基準ではなく、家族が食べたい料理を、その人の好みの味で仕上げることも価値になり得ます。

仕事、ビジネスを考えると、既に出来合ったシステムに使用料を支払うことで、簡単に仕事にできるメリットを考えがちですが、発想を変えれば「価値」を幅広く見返すことができれば、十分に仕事になると思うのです。

問題は「合理化」されたサービスや商品、そして価値観

こみちが年を取ったからか、本当にワクワクするような商品って無いんですよね。

子どもや学生時代なら、欲しいバイクのパンフレットをもらい、それが買えるまで毎日でも眺めてワクワクして待っていたような商品。

良いなぁとか、楽しいかもと言う商品はあっても、待ち侘びるまではいきません。

問題は、合理化された商品やサービスで溢れると、確かにコスパもいいだろうし環境への配慮も十分かもしれませんが、心底欲しい物とは違ってしまいます。

しかも学生時代はバイクも中免しかなくて、欲しいバイクは400ccまででした。

海外を含めて、憧れるような大型バイクはあっても、免許が条件を満たしていなくて乗ることができませんでした。

限定解除して、どんなバイクでも乗れるようになって、じゃあ何に乗りたいかと考えても、全く思いつきません。

眺めてそれで満足できてしまうくらいの熱量です。

つまり、こみちにはこれが欲しいと言う物がなくて、言い換えるとこれなら語れると言う商品やサービスも見つかりません。

これは、価値観を見つけて仕事にすると言う意味でも問題で、便利だけど熱くはなれないことが悩みです。

「ゲーム」で稼ぐとしても、それをどう伝えたら価値ある物になるのかが分からないようでは、とてもビジネス化はできないでしょう。

そこそこで満足してしまうから仕事にもできない訳で、本当に好きと思えるものを見つけることが何よりもスタートでしょう。



便利になる「AI」の時代に中高年はどう働くのか?

 「AI」ができないことを探す

どんなに有能な「AI」になっても、「私」本人にはなれません。

「AI」に任せれば、返信や文章作成、作曲にプログラミング、翻訳なんかもできるでしょう。

サラリーマンにとって、もっと言えば税理士や弁護士、さらには小説家やシナリオ作家、作詞家まで従来の業務と被る可能性があります。

3日の仕事を掛ければ人間の方がより高度な回答を出せるかもしれませんが、一瞬、または数分で直ぐに回答が欲しい時にAIはそれに応えてくれるでしょう。

ポイントは、熟考しなければいけない程のことが、どれだけ今の日常生活にあるのかということ。

それなりの解決でも十分なら、AIで事足りてしまいます。

そこはもう否定できません。

ただ、例えば不動産投資などにAIが使えるのかを考えた時に、分析できる結果を瞬時に欲しいのかと想像すると、それこそ少しくらい考える時間設けても困ることはなさそうです。

それよりも、「情報」や「データ」で従来の予測を超えることがAIにできるものか分かりません。

と言うのも、一般的に流通する商品とは異なり、不動産は同じ状況のものがいくつもあるのではなく、その場所にあるのはその建物だけです。

そうなると、立地や築年数、内外装の傷み具合や間取りなど、不動産として一般的に考慮するべきポイントを外しては考えられません。

それはつまり、ある集団の中から一番有能な人をAIが選べるか似ていて、「有能」をどう理解するのか、「有能」なら本当に成果を上げられるのかなど、さまざまな疑問が浮かびます。

つまり、感覚的な部分というのは、データでは解決できないものです。

AIがどれだけ有能になっても、そのような判断を正確に行うのは将来的にも難しいでしょう。

と言うのも、人間はそんな判断をどう解決しているのか考えると、実は有能ではない人を選ぶこともあるはずです。

でも実際にコミュニケーションを通して、互いが協力することで成果を上げる方法に近づきます。

これは判断した時で全てを決定しているのではなく、その後によって目標や目的が達成できるようにするのです。

つまり、唯一無二の作業は替えが利きませんが、一般的な業務は人が変わっても大きく変化するものではありません。

そう考えると、有能であることが最も大切なことではなく、職場馴染める人柄であることの方がよほど重視されます。

仮に将来、AIが現場リーダーで全ても指揮をAIが行うようになって、AIがメンバーを選ぶ時代になれば、また選考基準も今とは異なります。

海外で始まっている物価高の波

アメリカなどでは、急激な物価高で賃料も数倍になり、住まいを奪われてしまう人もいるそうです。

かと言って働いていない訳ではなく、日本以上に平均の報酬は高くても、それ以上に物価が高騰しているということのようです。

これはこみちが思うことですが、ある一定の資産家が増えると、彼らは「投資」で楽に稼ぐ方法を導きます。

商品やサービスだけではなく、我々の労働力も同様に、投資の利益を判断する材料になるのです。

例えば、我々の暮らしがあって、働き方があるのなら、物価高も生活を脅かすものにはなりません。

でも海外で起こっている今の物価高は、一般人の生活さえも奪う程のスピードです。

投資で利益を確保することが前提にあって、そこから我々の仕事も決定されていく。

そうなれば、労働賃金もその範囲内でしか考えられないので、高騰する物価を後追いするしかありません。

そうなってしまうと、30年の長期ローンなどは組みたくない人も多く、住宅を購入することに躊躇い、でも海外のように短期間で賃料が数倍になるということもあれば、最悪は住まいを失ってしまいます。

それらの現状を考えると、これからの仕事選びは、2つの柱で計画しなければいけません。

1つは今の生活のため。そしてもう1つが投資優先で展開される社会に乗るためです。

以前なら、中高年が選ぶ職業をどう考えるかが重要でした。

長く使える資格とか、稼ぎやすい職業とか。

でもそれではもう難しいのが見えています。

仕事や資格ではなく、膨らみ続ける市場に投資して、資産を増やす立場になることです。

大儲けするためではなく、生活水準が急速に上がる時代に乗り遅れない防衛策です。

定職を手放さない!

中高年の生き方として、定職を安易に手放しては挽回できなくなる可能性の方が高いでしょう。

例えば何か自分で経営したいと思っても、これだけ物価高の時代なので、考え方も見直しが必要です。

例えばラーメン屋を経営し、原材料や人件費などから一杯1000円では経営が難しく、1200円で採算が見込めたとして、問題はそれで客が集まるかと言うこと。

意外と美味しいも大切ですが、集客できなければ意味がありません。

そして、このポイントって上手い下手が顕著に現れます。

サラリーマンの場合、仕事が与えられて、それをこなすことで稼ぐことができます。

サラリーマン時代、「こんな仕事なんてやってられない」なんて不満も言えますが、独立すれば煩わしさもなくなりますが、仕事も当たり前にはもらえません。

だからこそ、定職があるなら、安易に手放さないことです。

働かせてくれるなら、その好意に甘えましょう。

その上で、市場に置き去りにされないポジションを得るために、波に乗るための資金を使いましょう。

そして、残された時間を使って、市場でどんな流れがあって、どこにニーズが集まっているのか徹底的に調べることでしょう。

それは多分、庶民感覚とは違うもので、投資家たちが好む場所を先に見つけることが求められるように思います。




人は「好きなこと」だけで生きられるのか?と言う話

 全否定はできないけれど

興味を持ち、ちょっと始めた時と言うのは、それこそまだ何も分からないので全てが新鮮で、1回目よりも2回目、さらに3回目と繰り返すほどに進歩するので楽しくて仕方ありません。

やがてそれが自分の「趣味」になり、まわりの人と同じ話題で盛り上がれたりもします。

「折角なら趣味ではなく仕事に…」

そんな風に考えるのも自然で、好きなことをして生きられるならそれは悪い選択では無いはずです。

ただ、趣味と仕事の違いは、マイペースにできるかと言う部分。

絵描きと言う仕事は、絵を描くことなので、楽に感じるかもしれません。

ですが、「半年後に作品を10個作ってください」と言われれば、何を描くかから始まり、どんなテーマにするか、スケジュールをどう立てればいいのかなど、実際には「描く」以外のことが仕事の大半だと気づきます。

つまり、「好きだから」と言うキッカケで始めても、求められる大半は別のことで、嫌いではない仕事と比べて、やりがいに大きな違いがあるとも言えません。

だとすると、好きなことは趣味のまま、嫌いではなく効率的に稼げる仕事を選んだ方がずっと自分にとって楽だったりします。

価値が認められている仕事

どうやら、儲かる仕事と儲からない仕事が世間にはあるようです。

儲かる仕事の特徴は、世間的に評価されている仕事です。

この「世間的」がポイントで、本当に価値があるかではなく、社会で評価されていたら儲かる仕事になることです。

医師になるには、大学の医学部に入らなければいけません。

学力の高さもそうですが、学費の高さも高いハードルです。

だからこそ、世間的に医師は高い評価を受けて、高い報酬へと繋がっています。

では介護士と言う職業はどうでしょうか。

医師や看護師とは異なり、介護士は働きながら経験を積み、国家資格を取得することができます。

それだけ間口が広く、誰もがなれる可能性があります。

つまり、「難しい」「選ばれた」人材だけに与えられる仕事ではありません。

それが実際の介護士の仕事を正確に評価したものでなくても、世間的にどう見られているかがポイントです。

例えば介護士の仕事も、医師や看護師同様に人の命と向き合い、様々面で他人の人生を支えることなので、奥が深い簡単な仕事ではありません。

つまり、医師だから凄いのではなく、介護士だから凄くないのではなく、世間的にどう評価されているのかで、報酬や待遇が大きく変化します。

例えば飲食店の経営を始めるとして、その地域の相場が1000円の時に、5000円の料理をメインした店だったとしましょう。

平均が1000円なので、5000円はかなり強気でしょう。

もしもそのままの価格帯で繁盛したら、それこそ新たな価値観を定着させたことになります。

ただ標準的には相場観が必要で、人気店の上限を参考にすればその経営で到達できる範囲が見えて来ます。

それが経営戦略になるのですが、既存にない価値観で勝負するのは、ライバルも少ないですが市場で評価を得られるかは簡単ではありません。

これは、ベンチャー企業と同じで、新たなビジネス故にやりがいや達成感も得られますが、評価が得られるかは未知数なことに似ています。

つまり、今まで誰も成し遂げていない分野を目指すのは大きな挑戦ですが、評価を受けられるかは努力や苦労が報われないこともあります。

一方で、評価基準のある分野なら、努力すると結果にも繋がりやすく、大きな価値の変化は期待できないかもしれませんが、堅実に生きられる最も幸せになれる確率が高い選択です。

学生では「勉強」と親が言うのも、社会に出てからの努力は、担当する業務に限られていて、努力しても経験につながらないことがあります。

だからこそ親は子供に勉強しなさいと繰り返すのでしょう。

効率的に見返りが期待できるこよなので。

好きなことを仕事にして生きるのは、他にもっとある効率的に稼げる方法を選ばないので、努力しても報われないことも想定しなければいけません。

それでもいいと言う覚悟でもなければ、わざわざ確率が低い仕事を選ぶのも賢い選択とは言えません。

努力を無駄にしないためには、世間から高く支持されている仕事を選ぶことでしょう。

そのためには、世間で評価されることに頑張るべきです。

良い大学が意味があるかではなく、努力が報われやすいのは良い大学に入ることなので、みんなと同じ時期に努力することでしょう。

実際には大学を選ばなくても、やり甲斐ある仕事はたくさんありますが、世間的な評価を受けられると努力も報われ、逆に本当は大変な仕事でも誰でもできると言う評価なら、報酬や待遇がなかなか改善されません。

業界によって評価が大きく異なるので、社内での努力だけではなかなかポジションも変わらないので、よく自分で選ぼうとしている仕事が世間にどう評価されているか確認することです。



稼いでいる人たちは「学びの期間」を経験している話

 最近youtube でよく見るコンテンツ

最近、ワンルーム投資のコンテンツを動画視聴しています。

ここでは、ワンルーム投資の是非をお伝えしたいのではありません。

お伝えしたのは、儲けている人は共通して「学びの期間」があったということです。

俄かの知識なので、そのままを鵜呑みにして欲しくありませんが、例えばこれから不動産投資で収益を上げたいと思ったら、「儲ける」という意味から考えるべきでした。

例えば、家賃収入で稼ぐ場合、当たり前ですが借りたい部屋を所有していなければ話になりません。

学校や会社まで行き来することを考えれば、家があまりにも遠いのでは話にならないでしょう。

つまり、立地という条件が希望から大きく離れてしまうと、それだけで借りてはもらえません。

部屋数や賃料も同じで、希望条件から逸脱すると候補から外されてしまいます。

新築マンションなら誰もが基本的に古臭いとは感じません。

しかし、5年10年と月日が経過すれば、経年劣化するのが当たり前です。

つまり物件の購入費とは別に、定期的にメンテナンス費用も必要で、更には税金や積立金なども加わるので、プラスアルファの費用もあります。

建物の購入費を支払えば、あとは管理会社が全て面倒見てくれると楽に感じますが、手間を省ける理由は、それだけ多くの費用を支払うから成立しています。

つまり、本来なら自分で考える部分を人任せにして楽をすると、儲けはそれだけ減ってしまいます。

儲けている人たちが揃って「学びの期間」を経験していたのは、彼らはそれぞれの分野で、手間を理解し、省くべきか自分でするべきかを判断したことで、しっかりと利益に繋げていたと分かりました。

どうやら不動産投資に限らず、何かで儲けたと思うなら、「儲かる」というパターンを調べて、それに行き着くために何が必要かを逆算して学ぶことです。

不動産投資で稼ぐと思うくらいの意気込みがあるなら、例えば宅建士や司法書士の資格を目指してもいいでしょう。

と言うのも、一般的な買い物とは異なり、不動産は買い手に対する法的な保護も少なくといいます。

つまり、「知らなかった」とか「初心者だから」という保護がありません。

自己責任で行うことも多くて、それだけにしっかりとした知識がないと儲けられない業界です。

と言うことは、自己資金額が少ないままで利益を生み出せるのか、また同じ金額なら別の投資先はないのかも同様に比較するべきでしょう。

やはり、儲けるのは、どんな分野でも簡単ではありません。

だからこそ、自分の興味などとも照らして、「学ぶの期間」が必要になるのでしょう。


なぜ年収1000万円が難しいのか?を考えた話

 老後になるほど「お金」が大切

最近、「時間」と「お金」が同じ軸に並んでいます。

つまり、あるお店で「100円」の商品が、別の店では「90円」だったとして、でも別の店まで移動すると「1時間」が余計に掛かるとしたら、自分にとってどちらが「お得」なのでしょうか?

その時の考え方っていろいろで、人によって違うと思います。

こみちは、「1時間」=「1000円」とか「500円」のように、時間もお金として換算して考えています。

と言うのも、足腰が悪くなるとそもそも長い移動が難しく、「あの店で売っている」と分かっていても、「移動」ができないと買うことができません。

「誰かの時間を使う」=「買い物をお願いする」は、何だかんだで「お金」が掛かります。

つまり、高齢になれば、現役時代のようには行動範囲が広くなくなるので、その低下分も上手くお金で解決するのも方法です。

年収1000万円とは?

年収1000万円とは、月収では約83万円です。

つまり、1日あたり2万8千円くらい稼がないと達成出来ません。

例えば1日の労働時間を10時間として、時給では2800円になります。

例えばここで、製造業を考えると、手作業で何かをして、完成品が1時間で30個、つまりは2分で1個作り続けることを10時間毎日続けたとしましょう。

1日に約3万円、時間あたり2800円の報酬なので、単純に作った商品1個あたり100円の利益を乗せられなければいけません。

1個2分で作れて、10時間毎日繰り返しても飽きない作業で、しかも100円の利益を乗せられる仕事って何でしょうか?

思いつくのは「アクセサリー製造」のような分野でしょうか。

間違えても一枚辺りの作業時間が長くなってしまう「イラスト制作」ではなさそうです。

趣味や実益を考えて、仕事を見つけるよりも、「2分で作れて100円の利益を乗せられる仕事」と言うように逆算で考えることで見つかるビジネスなら、年収を上げられるかもしれません。

繰り返すことで稼げるパターン

例えば、中華店を経営し、餃子でもラーメンでも、その店らしいメニューで評判になれば、そのレシピを繰り返していれば、しっかりと収入に繋がります。

これが、こっちかなあっちかなと迷いながらでは、繰り返しも曖昧で、思うようには稼げないからです。

「コレでいい」と確信が持てる仕事に巡り会えたら、それをしっかりと繰り返すことで稼げばいいのです。

ある意味で、そんな仕事こそ「天職」なのですが、それが簡単には見つからないので、人は悩んだりします。

1000万円も必要!?

結局のところ、思うのがお金の大切さは理解していても、多ければいいと言うか…。

稼げると言うことは、それだけ効率的でなければいけないので、手先が器用で数を熟すことでは限界があります。

つまり、希少性が伴って、「コレでなければ!」と言う違いが必要です。

動画コンテンツでも、観たくなる動画って「コレでなければ!」が実現されていて、だから人気もあるのでしょう。

先に挙げた、「アクセサリー製造」でも、「作ればいい」ではなく、「買いたくなるデザイン」をどう解決するかがポイントなのです。

自分で一から十まで担当することも大切ですが、考え方によってはそこで外注化してでも「繰り返し」の部分で利益を目指す柔軟さも必要です。

利益が半分になっても、繰り返すことで稼げるなら、そんな方法も否定される話ではありません。

言い換えれば、サラリーマンのように雇われて働くのも、報酬が決められていて、勤務すると稼げるパターンなので、それもまた堅実な方法です。

問題はどんな職場かと言うこと

雇われて働くことの良さは、確実に稼げると言うこと。

独立して軌道に乗るまでの不安や、軌道に乗ってもそれを維持させる努力は、サラリーマンとは違います。

その不安さを効率的に稼げるパターンにすることで解消するのが、雇われて働く(=労働者)になることです。

しかし、仕事である以上、職場も様々で、苦労しても楽しいと感じる仕事もあれば、暇なのに虚しさが増すような仕事もあるのが現実で、要するに自分に合っているかがポイントです。

仕事は嫌いじゃないけれど、人間関係が面倒な職場もありますから。

好みと言うことではなく、生き方や価値観があまりに違い過ぎると、やはり一緒にいるのも辛くなります。

例えば、何か資格を持っていると、勤め先でも自分らしく働くスペースを作り易かったりします。

社内なのに、仕事を受けたら、それを自分のペースで熟して行くと言う働き方ができるからです。

こみちもそんな方法が好きで、大勢での作業ではどうしても自分らしさは出せません。

なので、できれば細々でも個人でできるような仕事が好みです。

例えば、イラストレーターとして仕事を始めようと思ったとして、キャラクターを作ってもそれが価値になるのは簡単ではありません。

多くのイラストレーターがそれを目論んでいて、でも一般の方がキャラクターとして思い出せるのは数種類ではないでしょうか?

つまり、それができるとイラストレーターも繰り返しで稼げるパターンができるのですが、そう簡単ではなく、現実には依頼された絵をコツコツと描いて行くことになります。

一方で、AIが圧倒的なスピードと品質で絵を作る時代なので、イラストレーターがコツコツと描ける環境もこの先はかなり不透明です。

絵を描くことで稼ぐなら、もっと深く踏み込む必要があって、あっさりと済ませるならAIの自動生成の技術者や、プログラムとの連携に関わるなどのポジションも視野に入れた方が生き残れるでしょう。

「その絵の目的は?」

イラストレーターとして軌道に乗せるなら、コレは他の職種でも同じですが、「そこに何の意図があるか?」が明確でないと、生き残れない気がします。

よく言われる話ですが、ニーズから考えてみると言う発想をすると、今、何をしなければいけないのかも自然に分かります。

時代やニーズに合致して、売れているビジネスも、この先ずっと人気が続くかは誰にも分かりません。

だから、売れるのも大変ですが、売れてもなお未来に向けて努力しなければいけないので、やはり大変です。

サラリーマンなら言われた仕事だけで済むのかも、年齢を考えると正論だけでは判断できないことも増えるでしょう。

と言うのも、正論からこぼれた部分こそ、仕事の大切な部分で、そこのカバーができるとやはり重宝されます。

強み持ちのは、目につく派手な部分よりも、実は地味でもそれらをサラッと熟すことだったりするからです。

先を急ぐのも悪くはありませんが、段々と現実が分かってくると、「仕事がある」だけで幸せに思えます。

なので、「年収1000万円?」。

そこが唯一の目標ではなく、それ以上に自分らしく生きられることが大切だと思うからでしょう。




「AI時代」に生き抜く中高年の働き方とは?

 「AI」の脅威とは?

こみち、AIの本当の実力はほとんど知りません。

ですがいろいろと調べていると、まだしばらく網羅されない分野があることに気づきました。

それは、「私が私であること」なのですが、イマイチ意味が伝わらないと思うので、別の話から始めます。

あるAIの紹介コンテンツを視聴していたら、それこそ「文章と作る」とかもう当たり前で、言ってしまえば、かなり優秀な秘書が居るみたいで、パソコン経由でできること(話す、調べる、考えるなどなど)なら、間違えることもありますが、期待以上にこなしてくれます。

ここで言えるのは、例えば「東京観光のプランを計画して!」と言う内容に、それっぽい答えが出せると言うものではなく、「東京旅行は二人で2泊3日。予算は宿泊費と食事込みで15万円まで。二人の思い出になる旅にしたい」と言う具合に具体的に要望を挙げれば、さらにしっかりと回答してくれます。

そして、ここからがポイントですが、ビジネスの分野で例えば「ラーメン屋を開業したい。その方法は?」と、まるでインターネット検索するような質問ではなく、開業地や手持ち資金など、より具体的な個別の条件にもしっかりとフォローしてくること。

つまり、「このケースでの法的問題点は?」とか、「節税策として考えられることは?」とか、「健康上のリスク管理の方法は?」など、法律や税務、医療の専門家でなければ気づきにくいポイントにも、先ずはピックアップできる可能性です。

専門家の役割は変化する

例えば、AIが一次対応に強くなり、単にプランを立てるだけではなく、コストや安全面にも目を向けられるとしたら、ビジネスのパートナーとして頼もしい存在になるでしょう。

そうすると、逆の立場で、これから弁護士や税理士を目指して時間と労力を費やすなら、AIがカバーできない部分がどの辺にあるのかを知っていなければ将来的に苦戦するでしょう。

訴訟を起こす方法や裁判所に提出する書類も、AIが完璧にできるようになるはずで、それは専門性が高いか低いかではなく、「文章作成」と言う認識で行えます。

つまり、人間にとって「知識を身につけることが困難だった」と言う部分はAIがこの先乗り越えてしまうので、「当てはめる」になっている行為はパターン化されます。

そこでちょっと考えると、例えば「歌手」と言う職業。

歌手は歌を歌います。

では貴方がよく聞く曲を本人ではない別の人が歌っても聴きたいでしょうか。

「曲さえ同じならいい」と言う人はそれでもいいですが、「あの人の歌」と思う人には「モノマネ」では意味がありません。

どこまでそっくりなら…。

そんなことではなくて、意外と歌は曲で聴いているのではなくて、「歌手」で聴いていたりしないでしょうか。

つまり、冒頭に紹介した「私が私であること」です。

家でレンチンだけで完璧に同じ料理が食べられたとしても、大切なのは「あの店で食べる料理」だったりします。

そうなると、代行では意味がありません。

そこではどんなに優秀なAIも補えないのです。

つまり、AIがさらに進化した未来こそ、我々は個としてのキャラクターが大切になります。

心地よい雰囲気を自然に周囲に浸透できると、やはり人にも受け入れられるでしょう。

居るだけでそれができる美男美女はそのままでも十分ですが、不細工なこみちなどは「キッカケ」をいくつか用意しておけばいいことになります。

「信頼できる」「楽しい」「元気をもらえる」

そんな言葉は、AIがまだまだ不得意な分野ではないでしょうか。

知識が豊富で何でも知っていると言う分野はAIに任せて、「個人」を受け入れてもらえることが大切です。

とは言え、あまりに自由奔放では相手もついていけないので、常識的に理解できる領域を知り、そこで認めてもらうことがポイントになるでしょう。

「あの人に担当されて嬉しい」

そう言ってもらえるように働ければ、AI時代も恐ることはないはずです。


40代を迎えて「大切」にしたいこと

 40代になって「大切」にしたいこと

このブログ、生涯を楽しく生きるためにどうすればいいかを考えるために開設しました。

いろんな縁があって、介護福祉士にもなり、介護保険サービスの概要も理解できました。

また、老いることや終活、人生最期の時など、介護施設での勤務でたくさんの経験もしました。

それこそ、介護職を知らないまま、老いを考えても、今とは全く違うことをイメージしていたでしょう。

そこで、40代になって「大切」にしたいことを考えながら、人生をどう豊かにすればいいのかをこみちなりに綴ってみたいと思います。

何より「健康」

絶対に欠かせないことは「健康」です。

肉体的な意味でも精神的な意味でも、経済的な意味、家族間でも、健康でなければやはり厳しい面があります。

よほどの覚悟がなければ、現職を簡単に捨てるべきではありません。

40歳なら定年まで25年くらい。

ですが、50歳になって捨ててしまうと、定年まであと15年だと思ってもそう上手くはいかないからです。

例えば、1000万円くらいの資金が用意できて、コインランドリーやコンビニ店のオーナーになると言う選択を考えたとして、40代のイメージと50代、60代では全く違うでしょう。

大々的にビジネスを展開し、人を集めてさらに大きな収益を引き寄せるには、時間も必要ですし、根気ややり切る決意も半端ありません。

何より、現職として行う仕事以上に、先が見えない不安もあるので、夢として叶えたいとか、絶対にそれで食べて行くんだと、他の楽しみを削ってでも頑張るならいいのですが、そこまで切り詰めても簡単ではないのが独立してのビジネスです。

中間管理職にあたる年代になると、会社ではそれまでの経験を評価してくれます。

つまり、そのタイミングで離職し、転職することは、その経験を一度捨てることになります。

新しい職場で経験を活かせればいいですが、全く活かせない場合、それこそ新卒者以上に不利な立場にもなり得ます。

若い人は理解も記憶力も良くて、短期間でどんどん成長します。

同じペースでは到底立ち向かえないので、働き方そのものを見直さなければいけません。

給料も前職より下がるでしょうし、ポジションも不安定です。

かと言って、経験を活かして独立する気力もないとなれば、どうしても中途半端になります。

覚悟するなら、少しでも体力がある「今」頑張るべきで、逆にそれがキツイと思うなら、現職を簡単に捨てたりしないで、少しくらい不満でも定年まで続けることです。


「その努力は実るのか?」という話

 絵が上手くても…

例えば、どんなに絵が上手でも、プロとして稼げるとは限りません。

むしろ、腕はそこそこでも、決められた期日に納品できる実績には叶いません。

つまり、努力すればいい結果になるかは、最初の想定が大切で、努力の「量」で決まるものではなさそうです。

資格を取得する

こみちは介護福祉士の資格を持っていますが、持っているだけではお金を稼ぐことはできません。

つまり、難関資格の医師免許や弁護士だったとしても、それだけでは意味がないということです。

これから資格を取得して、人生を変えたいと決意したいなら、「取得」を最終目標にするのではなく、どう活かして稼ごうとするのかまで視野に入れておくことでしょう。

100万円のラーメンを作る

例えば、使う食材を厳選し、100万円のラーメンを作ったとします。

一般的なイメージでは、そんなに高いラーメンなど売れるはずがありません。

もっと安い金額で、もっと高そうな食材で作った料理があるからです。

そう聞いて、「確かに」と納得するのも自由ですが、「そうじゃない」と思うのも自由です。

というのも、人生を振り返った時に、「あんな時代があった」と思い出せるのは、相当に突飛な出来事です。

上手く行った時代よりも、苦労していた頃の方が印象深いかもしれません。

言ってしまえば、何もない平穏な人生もいいですが、振り返った時に何も思い出せないというのも少し寂しく思います。

多分「100万円のラーメン」は、これから先の人生で何度も繰り返し使える話題になるでしょう。

「やっぱり、味は美味しいの?」

そんな質問も繰り返し聞くかもしれません。

つまり、「食べた」で終わる食事代ではなく、自身の人生を彩るエピソードとしての価値として100万円をどう見るのかです。

経験したことがない分野を批判することは簡単です。

しかし、経験しなければ分からないことも多く、人生で経験できることには限りがあります。

つまり、何も起こらない人生は穏やかな暮らしですが、何か特別な経験だったのかというと、そんな暮らしこそ「特別の経験」と思うことでしょう。

一方で、いろんな経験を経て、たどり着いた「今」は、また異なる「明日」を呼ぶはずです。

そんな風に考えると「100万円のラーメン」が高いのか安いのか。

どんな風に考えるかで大きく変わるでしょう。

100万円のラーメンで起業するなら

逆に今度は「起業」する立場で、「100万円のラーメン」を考えます。

ラーメンの価格を高くても3000円くらいと思う人に、「100万円」はなかなかの金額です。

しかし、「特別な体験ができるかも!」っとそんな風にイメージできる人であれば、かなり商売になりそうです。

ということは、ただ単に厳選された食材という説明だけでは不十分で、それを今度もずっと語れるくらい特別な経験にどうしたら思ってもらえるのか、そこをしっかりと掘り下げるべきでしょう。

例えばこみちなら、大谷選手と同じテーブルで食べるラーメンなら、それだけで100万円の価値があると思ってしまいます。

つまり、「大谷選手と同じ時間を過ごすこと」が、それだけの価値だと思うからです。

特別な体験と言えるラーメンをどう考えられるかで、起業の成功もあり得るという話です。

その努力は実るのか?

今日のまとめですが、「努力」は意味がないと実りません。

頑張るなら、意味があるようにするべきです。

そのためには、資格取得ではなく、活用方法まで考えることで苦しい頑張りを意味あるものにするのです。

同じ苦しい時代だとしても、ただ歯を食いしばることではなく、未来に得られる評価を期待して頑張るのです。

そう意識できただけでも、努力の実り方が変わると思います。

要するに考え次第だと言うこと。

ある人にはダメでも、ある人には成功のチャンスなのです。

100人の内、1人しか成功しないことも、その1人に慣れればいいだけです。

逆に99人が成功する話も、残り1人になれば失敗します。

得意や強みも武器ですが、苦手やコンプレックスもまた個性になり、成功のチャンスに変えられます。

そうなるように進めばいいのです。

勉強ができる人も凄いですが、できない人が合格したら、それも凄い話です。

そして、ビジネスとしては当たり前よりも、話題性があるとチャンスなので、勉強嫌いな人が行った習慣や努力は気になります。

というのも、勉強が得意な人よりも、勉強が嫌いで苦手だった人の方が、ずっとこの話題に注目してくれそうです。

そこに注目できれば、中高年になってからでも、人生がつまらなくなることはありません。

できないことが問題なのではなく、できるように導くことの方がずっと大切だからです。


「働く」を理解しない中高年の方々へ

 「仕事」には2種類ある!

いろんな分け方があるとは思うのですが、ここでは2種類あることを紹介したいと思います。

1つ目が、「自身」が核になっている仕事。

もう1つが、「他人」が核になっている仕事。

それで完全に仕事を区別できるというではなく、ある傾向を紹介したいのでこの話を持ち出したというのがホンネです。

例えば、漫画家のような仕事の場合、「読者」がいます。

その意味では漫画家も「他人」が核で、そのために働くことになります。

ということは、「自身のこだわり」も作品のクオリティに良い影響を与えているのなら、是非取り入れるべきことでしょう。

一方で、「こうあるべき」という考えが強すぎて読者がそっちのけになってしまうと、「仕事」として成り立たないことになるのです。

とは言え、漫画家の場合、作風などでこだわりを見せられる職種で、そのような仕事はなりたくてもなれないことも多いのが特徴です。

というのも、絵を上手いとか、作品が斬新だからで人気漫画家になれるものではないからです。

一方のそもそも「他人」のためにある仕事とは、会社員などでしょうか。

正社員、パート、派遣、アルバイト、雇用関係を問わず、「会社」という存在が先にあって、その会社が提供しているサービスがあって、そのために彼らは雇用されて働くことになります。

開発部門などに配属された場合、技術者として知識や技術を駆使することになりますが、とは言え、漫画家に比べれば仕事の「核」は「他人」にあるでしょう。

なぜ、このような話を持ち出したのかというと、意外と中高年で社会人経験がある人でも、稀にどこに「核」があるのかを考えられないことがあるからです。

頑張る姿や汗をかいて働く姿だけを見ると、頑張っているなぁという評価なのですが、時間軸を1時間、1日前、1週間前と動かせば、準備や対策が十分にできた仕事で、むしろもっと質の高さを狙えたという場合も少なくありません。

でも、問題なのは、「他人」のために働くということが何をどうするべきことなのかが理解できないケースもあることです。

もちろん、こみち自身も仕事でミスしますし、思ったような反応が得られずに頑張りが無駄になることもあります。

それだけに改めて「仕事」ということを考えることが大切になって来ます。

時系列を読めない人

例えば、今から目玉焼きを3つ作るとしましょう。

なので生卵を3つフライパンに割って焼き始めました。

そんな中で、実は4つだったとなったらどうでしょうか。

また、そもそも目玉焼きではなかったら…。

時系列を読めない人は、作業を始める段階で完成形を想像しないようです。

なので、修正が面倒になってしまう段階で、思いつきの行動に出るのです。

それを頑張りと思ってしまうと、チームを組む人からすればとても扱い辛いでしょう。

過去に上司がそのタイプで、昨日と言っていることが違って、振り回されて経験がありました。

目先の仕事をこなすことで手がいっぱいになり、それこそ本来の「他人」を見据えた仕事ができません。

経験の浅い新人がそんな上司に当たってしまうと、「仕事」を誤解して働く意味や楽しさに気づけないこともあるでしょう。

また、中高年になって仕事を始めた時に、その会社の気になる部分が目についてしまうかもしれません。

中高年になればこそ

こみちが思う中高年の仕事探しでは、「他人」ファーストに徹して働くか、「自分」を核にできるような仕事を見つけることです。

例えば、時間から時間という絶対的な枠を決めて、その範囲でできることは惜しみなく提供するというような働き方です。

上司が間違えていてやり直しになっても、その無駄になった部分は気にしないで、「今」できることを考える働き方です。

一方で、機会やチャンスがあれば、「自分」を核に働ける方法も模索したいものです。

今の「気になること」も、誰かには役立つ話題で、そこにどっぷりと時間を使ってみることで、新しい働き方に繋がるかもしれません。


仕事探しを根底から考え直してみる!

 そもそも仕事って何だ?

引きこもりしている人の中にも、才能豊かな人は多い。

一方で働いている人の中にも、職場で問題視されている人もいる。

この事実は今に始まったことではなくて、昔からあったし未来にも変わらないだろう。

ずっと勘違いしていたことの1つが、「才能」と「仕事」がとても近い関係だと思っていたこと。

でも実際は、ほとんど無関係で、もっと言えば段階が違う。

才能があって、それを活かせる仕事もあるし、才能とは関係ないことを提供して働くこともあるからだ。

これは資格にも言えるけれど、例えば宅建の資格を取れば仕事が見つかるのではなく、資格を活かせる職場が見つかりやすいということ。

なので、結局は仕事探しも一歩を踏み出すことができるかどうかで決まる。

中高年の世代になれば、それなりに職場も多く見ていただろうし、キーパーソンとなる人やそのサブ、または関わるべきではない人も分かるだろう。

時には上司が仕事のできない人で、職場がパートで回っていたりすることも珍しくない。

しかし、パートが見ているのは日々の作業であって、上司が見るべきは会社の未来なので、その状況が長く続いていることに疑問を持つことも必要な時がある。

とは言え、まだ若い正社員が上司で、パートとして働く人の方が経験豊かなことも増えて、どうしても経験値でパートの意見が採用されてしまうケースも増えてしまう。

ただ、経験が浅いだけで正社員が目指すのは、もっと先の未来なので、日々の作業を終えることだけで満足してはいけない。

ここで言う「未来」とは何か?

これから時代を生き抜くためには、キャラクターという個性が求められる。

それは会社に対し、人に対し、商品に対し、至るところで求められる。

目の前に同業他社が作った商品が並んでいて、そこからどれかを購入したい時に、それぞれの商品が同じ割合で売れて行くとは限らない。

時には価格に差があって、安いと売れるとも言えず、高いから売れないとも言えないことに気づくと、どんな商品が求められているのかを見極めることが欠かせない。

つまり、正社員に求められるのは、この部分で、日々の作業でも「なぜそうするのか?」の答えに従っていなければいけない。

では個人的な意味での「未来」とは何だろう。

例えば英会話ができるとか資格がたくさんあるとか、それがあると未来が明るくなりそうなスキルを連想してしまう。

それも間違いとは思わないが、「一歩を踏み出す」ことよりも重要度は低い。

一方で、あの人に任せればきっと上手くやってくれるという期待感をどう相手に認識してもらうのかを意識することも忘れてはいけない。

それこそ日々の業務はどんな会社でもある程度は固定化されていて、その会社の総資産を2倍にすることを求められてはいないだろう。

でも個人という視点では、自身のキャラクターを作り、それを上手く活かして仕事を探すことになる。

「丁寧でミスがない」というキャラクターなら、そう思われるような仕事を続けることだ。

「斬新で面白い企画を出してくれる」というキャラクターなら、誰もがしていること以外に何が強みなのか考えることだろう。

そんな中で、初めて英会話や資格が出て来て、活かし方の幅を広げてくれる。

つまり「どんなことに応じられるキャラクターを作りたいのか?」ということ。

それが仕事探しの大前提になる大切なことではないだろうか。