ミスをしない『AI』の強さ
医療現場はもちろん、エンターテイメントの分野までも『AI』が我々の常識を覆すことでしょう。
その要因は、ミスをしないこと。
人間の場合、疲れや気の緩いで、小さなミスをしてしまいます。
しかしながら、精度が上がってしまえば、もうミスをしないAIの特性は、医療のような現場で欠かせないものです。
一方で、エンターテイメントに関しても、例えば視聴者が望むような「結末」を理解してしまえば、そこに行き着くまでの展開をさらに深掘りすることで、人間が苦労して考えるストーリーとは視点の異なる斬新な物語ができるかもしれません。
ちょっと想像すると、そんなAIに人間が対抗しても勝ち目はありません。
法的トラブルに関しても
何かトラブルが起こった時に、その内容をAIに判断してもらうと、勝算から賠償額まで、すぐに答えてくれることでしょう。
根拠となる法令や、それに関わる判例などをもとに、訴状の書き方から裁判の進め方までAIが明確に示してくれるとするなら、何年も苦労して取得したであろう「弁護士資格」もその立場が危ぶまれます。
弁護士資格にそれがあり得る訳ですから、司法書士や行政書士などの資格にも影響があるでしょう。
というのも、例えば司法書士が得意とする土地建物の登記についても、単なる手順を示してくれるだけではなく、具体的に仕事の細かな進め方まで提案し、さらに実際の進捗状況を報告すれば、その後の展開や、訴訟上の戦略の変更まで判断してくれるかもしれません。
なぜこのようなことが起こるのかというと、自由に生きられる人間も社会的な立場の中で暮らしているので、社会を構成する法律や慣習などからは影響を受け続けます。
つまり、「法律なんて関係ない!」とはいかないので、どんな生き方を選んだとしても、要所ごとに「通過」するポイントがあります。
そのポイントをAIが牛耳ることになれば、人間が能力的にAIに敵わない時代になれば、もう社会構造でも覆さない限りAIの判断から逃れることはできません。
そんな時代に生きる我々が考えるべきこと
「人間の世話をする」ような仕事は、AIにとって変わることはないでしょう。
だからと言って、「介護」ということではありません。
というのも、介護の仕事で、入浴や排せつの支援は欠かせないものですが、それらも機械化で補える可能性があります。
AIの頭脳を持った人型ロボットのような登場で、人間にしかできない「温もり」のある関わり方さえ、もう人間以上に卒なくこなせるからです。
つまり、価値や将来性などで行動する必要がなくなり、場合によっては「考える」ことさえも必要なくなる時代になるかもしれません。
遠い未来には、人間の役割は今よりもずっと少なくなって、生まれた時から介護施設で暮らすような社会になるかもしれません。
その頃の人間は、それこそ利益からも無縁で、三度の食事と入浴、寝る場所が約束されています。
そんな時代になると、AIによって人間の人口もコントロールされて、種を保存させるに必要な人口になり、代わりに労働や勉強からも解放されるという訳です。
あながち、そんな未来図は妄想の話ではなく、起こり得る話だと思っています。
ということは、我々がこれから「何をするべきなのか?」という答えは、今の暮らしから未来の暮らしまでの過渡期をどう生きるのかということになります。
ある意味で、youtube で趣味を扱ったチャンネルがたくさん運営されていますが、まさにその活動は過渡期に適した経済活動です。
何も役立つことが必須ではなく、何となく理由はないけれど、気になって立ち寄ってもらえることなら、活動しては十分です。
いつも家庭菜園のことばかりとか、サンドイッチを色々作っているとか、何を扱っているのかよりも、ふと立ち寄る気持ちになってもらえたらいいのです。
過渡期を過ぎると社会構造が一変すると思うので、それまでの期間はそれこそ好きなことを全力で頑張ることでしょう。
上手いか下手かよりも、どんな生活でどんな気持ちになって暮らしているのかが重要になります。
なぜなら、「正解」はAIが担うからです。
我々はたとえくだらないことでも、何かの役に立たなかったとしても、人間同士が感じる「共感」になっていたらいいのです。
でもこの「普通」が意外と難しく、なぜなら人間は目的があると生きられますが、理由もなく生きることが得意ではないからです。
くだらない理由を考えることは簡単なのですが、くだらないことでも継続することは簡単ではありません。
自分にとって、何をしているならずっとできることなのか考えてみましょう。
そこから、これからの生きる方向性が見つかるかもしれません。