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介護職で年収1000万円超えは可能なのか?という話

 介護職は儲からない!?

年収1000万円以上稼ぐには、サラリーマンなら月収70万円超えが目安になると思う。

ざっくりとした計算をすると、日当で3万円以上稼ぐことが課題だろう。

時間給で3000円以上。

そう考えると、介護職の求人募集で時間給3000円以上を提示する企業は簡単には見つからないだろう。

というのも、介護職の場合、介護士は利用者と対面しながらサービスを提供することが多い。

身体介護などでは一対一になる。

つまり、介護士の報酬を利用者一人分から捻出することになるのだから、介護報酬を考えても思うように給料を上げることが難しい。

儲かる職業

例えば会社の社長というポジションは、従業員を何人も雇う。

つまり、従業員それぞれが個別に顧客の対応をすると考えると、結果的に社長は同時に複数の顧客から利益を受けることができる。

単純に言えば、10人を雇う社長が100人を雇えば、受け取れる報酬額も10倍にできるということだ。

介護職では儲からないのか?

介護職と言っても、介護業界の何をサービスとして提供するのかがポイントだろう。

例えば、介護用品を扱う店を経験するなら、それこそ社長というポジションが儲かるという話になって、いかに従業員にサービスを提供してもらえるのかを工夫することが大切になる。

つまりは、介護施設の施設長でもいい。

ただ、施設運営で介護報酬だけが利益になっている場合、基本的に他の施設長と大きな利益の差が生じないだろう。

言うなれば、介護報酬とは別の部分でどれだけ利益を上乗せできるのかが経営手腕となる。

介護職を経験してみると、利用者にどれだけ多くの時間を割けるのかはとても難しいもので、サービスをきめ細やかに行うほど、どうしても人件費がかさむ。

サービスを画一化し、ある意味で介護職の担う業務を制限しなければ、利益はなかなか捻出できない。

例えば、レクリエーションである介護職が1時間を担当した。

その際に参加費を利用者から別途受け取れる仕組みを作り、いわゆる社内起業のような仕組みができたらどうだろうか。

レクリエーションだけではなく、おやつ作りやその他のイベントを介護職が主担当になり、クラブ活動のような仕組みで参加してもらうというものだ。

極端に言えば、日帰り旅行など、週一で参加者をいろんな場所に連れ出すという計画を介護職が主体となって担うのだ。

その時は、その担当者が社長で、仲間の介護職を雇う形になる。

参加者たちの参加費を受け取って、経費を差し引き分配する。

ここまで話していると、薄々気づくかもしれないが、介護職だから儲からないのではなく、決められた仕事がそもそも稼げない仕組みなら稼ぐことは難しい。

逆に儲けられるような仕組みを作れば、そこにアジャストできる人は稼ぐことができる。

そう考えると、介護職に従事し、利用者と対面でサービスを提供している限りは介護報酬から割り出された利益が給料に反映される。

だったら、例えば理美容師の資格を取り、介護施設をいくつかまわりながら、利用者の頭髪を整える仕事の方が稼げるように思う。

さらにいえば、数名の有資格者を従業員として雇い、自分が社長となって彼らに施設をまわってもらえれば、一人では稼ぐことができない以上の収入が期待できる。

どうしても介護職にこだわるなら、料理などで強みを見出し、富裕層向けの介護サービスを提供する方が稼げるだろう。

というのも、介護サービスの料金はとても算出が難しい。

同じことをしても嬉しいと思ってもらえるサービスなのかは、手順やサービスの質だけでは決まらないからだ。

豊かである暮らしが満足度を決めるのではないのと同じで、同じ時をどんな人と過ごしたのかで幸福度が決まると思う。

でもそれを個々の介護職に求めることは難しく、施設運営でサービスを向上させることが難しい一因にもなっている。

系列の同じ介護施設でも、雰囲気が異なって感じるのは、介護サービスの質を簡単には画一化できないからだろう。

都会的なさっぱりとした触れ合いを好む人もいれば、もう少し距離感が近い郊外型の触れ合いが好みということもある。

より利用者のニーズに寄り添うからこそ、介護サービスの提供は簡単には行えない。

つまり、施設側にとって理想的な介護士が増えればいいけれど、介護報酬という範囲で運営する以上は報酬額だけを上げることは難しい。

かと言って、見習いの介護士よりもベテラン介護士の方が仕事に慣れているとしても、そのベテラン介護士が2倍働いて、2倍の報酬を受けられるものではない。

実際に介護士として働いて気づくのは、現場のスタッフだけで話し合って仕事をより頑張る方向に押し進めないことだ。

そうなると、サービス残業が当たり前になり、一回の勤務で30分から1時間が無給の奉仕になってしまう。

そうではなく、施設としてどんなサービスを提供するのかを先に決めて、そこから末端の介護職が担うべきサービスを明確に理解するという流れが必要だと思う。

サービス残業しなければできないサービスは、基本的にカットするべきだと思う。

当たり前のように定刻よりも先に出勤し、定刻よりも遅くまで働く流れは、結果的に成り手を減らしてしまう。

機械で任せられる部分は人の関与をなくし、効率の上がる道具や備品は介護士のためにも積極的に導入して欲しい。

忙しい介護職のスケジュールの中で、さらに環境整備の整っていない職場は最悪で、何かしたい時にも時間ばかり掛かってしまう。

そうなるか否かは、施設長の介護サービスに対する理解と経営手腕だと言える。

制度上、現場で働く介護職で1000万円以上を稼ぐのは難しい。

ただ、介護の仕事でしか味わえない経験や発見も多い。

それは異業種では味わえないことだから、それを金銭としてではなく、自身の人生経験としてどこまで価値あるものと捉えられるのかだろう。

それこそ、全てにおいて高級な施設でも、人の温もりに欠けていると寂しいものである。

金額だけでは分からないことも多いから、人は様々な働き方を望んでいる。

より多くの利益を得たいのであれば、それに適した職を探すべきだし、介護職でしか味わえない良さもある。

介護職で1000万円以上を稼げないとは思わないけれど、仕事の性質上、稼ぐことを優先しても結果的に中途半端なサービスになってしまうようにも思える。

介護予防の段階で、健康や生き甲斐に関するサービスの提供を促すような事業であれば、介護を含めたもっと大きな視点でサービスの提供が可能になると思う。


「いつまでも自分らしい暮らし」をどう実現させるのかという話

 介護支援における大きな課題「自分らしい暮らし」の実現

在宅での介護と施設での介護には、「経済面」という大きな課題に差があります。

首都圏やその近郊において、民間の運営する介護施設を全面的に利用する場合、月額15万円位のコストが必要だと考えるべきでしょう。

仮に年金だけで賄うとしても、国民年金を満額で受け取ってもそのコストを補うことができないので、預貯金による蓄えや家族による支援、行政によるサポートなど、施設の利用が経済的も容易ではないことがわかります。

有料老人ホームへの入所が難しい場合、経済的な負担を抑えられる特別養護老人ホームの入所が理想ですが、そのためには要介護3(一人でトイレが難しいくらい)でないと入所条件をクリアすることはできません。

コスト的には、首都圏でも10万円前後で見つけられますが、希望者も多く「待ち」の状態になっています。

こみちが介護士として働いていた時も、割高でも入り易い施設を使いながら、順番を待って「特養」へと移動されるケースが多く、「今度、別の施設に引っ越します」という利用者との別れを幾度も経験しました。

月額数万円(都内にこだわると10万円前後)の違いにもなって、誰もが必要な時に利用できる施設とは言えません。

言い方を変えると、そこで働くスタッフの給料が異業種と比較して控え目になってしまうのは、そのまま利用料金に反映してしまうという問題にも繋がります。

では在宅介護ではどうでしょうか。

介護士経験から言えるのは、在宅介護で「オムツ交換」まで担うのはかなり負担が大きいと思います。

作業そのものは、三日もすれば慣れると思いますが、運動不足になると出るものも出なくなり、下剤などを使うと量のコントロールが難しくなったりして、最悪ではそのまま全身を洗うくらいの作業になることも否定できません。

仮にそうなった時に自宅で入浴できるのかがポイントですが、先に「自力でトイレ」と言ったのも、立って移動できるか否かは在宅介護をする上で負担度合いが大きく変わります。

もちろん、できるかできないかで考えると「できます」。

しかし負担が大きくないかというと、小さいとは思えません。

例えばこみちが両親を在宅で介護することになり、しかもオムツを利用するとなれば、先ず仕事で外に出掛けることは難しく、買い物は日中にデイサービスなどを利用し、両親がいない時に済ませるしかありません。

さらにシーツなどの交換や介護用品の補充などまで考えると、自身のキャリアアップは一度諦めることになるでしょう。

加えて、食事面で食べ易い介護食まで考える場合、三食全てを家族で賄うのは手間ですし、栄養学や嚥下のメカニズムなど、介護士の経験や料理の経験などがないと大変です。

いずれにしても、頑張ればできてしまう(本当の意味で「その人らしい暮らし」かは別として)から逆に厄介です。

子育てとは違い、成長するまでという期間が明確ではないので、時に10年、20年と介護が続いた時に、支える側の人生も軽視されるべきではなく、「家族としてどうあるべきか?」をまだ介護が必要ではない時から話合っておきたいものです。

こみち家の場合も10年以上前に「考えよう」と切り出したこともありますが、「負担は掛けない!」とはっきり言った両親が、今では生活のいろんなところで怪しくなっています。

「負担は掛けない!」「自分たちで頑張る」という言葉も、介護や老化を根本的に理解して言ったのではなく、まだ体が動く60代や70代の前半で出した答え。

つまり、「迷惑掛けないと言ったよね!?」と言ったところで、老いてしまったらトイレに行くのと、ご飯を食べるだけの生活になって来ます。

暮らし方という意味での介護施設や在宅での介護はそんな感じですが、例えば終活に向けた準備まで含めると、もっと範囲は広くて、時間もコストも掛かります。

実家の片付けで、庭木の手入れや処分を検討し始めましたが、既にその費用を親が当てにしていて、自分たちで準備し支払いまでしてくれたらいいのですが、場合によっては10万単位の出費も覚悟しなければいけません。

父親は、「ありがとう」とも言いませんし、そもそも頼んでもいないと言い出すでしょう。

でもしなければしないで、実家周辺の方にも迷惑だと思うし、「状況を理解できない」ようになると、プライドだけが残るのでストレスも増します。

「自分らしい暮らし」は、本人の意思と周りへの心遣いがあるかないかで、大きく変わります。

さらに避けることができない家族の負担増もあるので、我々中高年世代は、生涯働ける仕事を見つけて、健康的な暮らしを目指したいものです。


「介護福祉士」になった後の未来計画を立てる話

 「介護福祉士」になって

若い人の中には、福祉系の学校で経験を重ねて「介護福祉士」になる方もいるでしょう。

しかし、中高年の多くは介護施設などで実際に3年以上勤務して受験資格を満たし、「介護福祉士」の有資格者になるパターンではないでしょうか。

こみちの場合、最初に実務者研修という福祉系の学校に通って認定資格をいただきました。

そこを卒業した後、介護施設に勤務して国家試験に合格し有資格者になっています。

例えば、30代、40代、50代の方で、何か健康不安を感じるような出来事に遭遇した場合、若い頃とは異なる人生観になることがあります。

昨日、今日の次に「明日」ということが当たり前ではないと気づくからです。

こみちのように幸いにして大きな病いになっていない方の中には、まだまだ無理をしても健康でいられると思われる方もいるでしょう。

しかし、例えば介護施設を利用される高齢者との関わりは、自身にもいつか訪れる未来を教えてくれます。

老けることは「これまで欲張ったね」ということ。

だから「悔い」だけは残さない生き方をしなければいけないことを気付かされます。

あと20年とか30年とか。

若い人が考える将来とはまた異なり、中高年の我々は「今世」で「何をしたかったのか?」を考えるタイミングを迎えています。

もちろん絶対に考える必要があるということではありませんが、介護施設でお世話させてももらうと、それぞれの方に人生があって、ここに来るまでもいろんなことがあったはずで、彼らが同じ「おじさん」「おばあさん」ではありません。

つまり、個々には全く異なる人生ですが、時の流れによって迎えることになるステージには共通点もあって、我々中高年が自身の人生を振り返るタイミングだとするなら、彼らはもう少し先を進んでいます。

施設内で「お迎え」が来る方もいれば、家庭の事情で別の施設へと移られる方もいたりして、実際にこみちの担当ではなかった利用者の方が、わざわざ挨拶に来て「今までお世話なりました。これからもお元気で」と握手させていただいたことは強く印象に残る出来事です。

「ケアマネ」だけが選択肢ではない?

介護スタッフとして勤務してみると、施設を利用される高齢者と実際に対面し、お世話が始まります。

その方の性格や健康状態、何より「どう生きたいのか?」を踏まえて作られる「ケアプラン」は、我々スタッフにとって彼らとの接し方を決める手引きです。

そんな計画書を作成するのがケアマネで、現行の規定では介護福祉士取得後5年以上の経験を経て受験できます。

現時点で介護業界未経験の方であれば、最短でもケアマネになるまで8年掛かり、最初からケアマネを最終的な仕事と考えにはなかなか先の長い話かも知れません。

こみちの場合も、3年で取得できる介護福祉士と、それから5年が必要になるケアマネでは、目指す意欲に差がありました。

時は前後しますが、初めて介護の仕事を知る機会になった実務者研修を受講していた時に、講師を勤めていた方々は偶然にもみんな元ケアマネで、そこから施設運営側に回ったり、保育士、理美容士、看護士などへと進まれたり、様々な経緯を経て「講師」をなられています。

ケアマネとして勤務されなかった理由は様々だと思いますが、例えば在宅で通いながら施設を利用される高齢者のケアプランを一人のケアマネが担当するのは最大で35名で、毎日、一人の利用者宅を回っても1ヶ月では回り切れないことになります。

それだけ体力も気も使う仕事だということが想像できるでしょう。

さらに、施設内でケアマネとして働く場合は、100名まで担当でき、しかもこみちが勤務していた時のケアマネはケアマネ業務の他に、介護スタッフとしても現場に立ち、夜勤までされています。

通常業務の他、スタッフ間のトラブルなどにも関わることがある施設ケアマネもまた、体力も気力も求められる仕事でしょう。

介護業界では人材を求めている?

未経験の方も、介護福祉士の方も介護業界では人材を求めています。

それだけ利用される方が増えて、今いるスタッフだけでは大変だからです。

年齢や経験不問で仕事を始められることが多く、中高年の方にとって仕事探しで検討して欲しい業界でもあります。

また、単に仕事探しという視点ではなく、自身の未来を考えるためにも介護スタッフとして働くことが意義あるものになると思うからです。

在宅復帰を目指す利用者と介護施設の関係性を考えた話

「食べること」と「出すこと」

家族との同居を見据えた介護計画の立案では、「食べること」と「出すこと」についてどれだけ家族の負担なく回復させられるのかがポイントになるだろう。

もちろん、全ての食事で介助し、出すことに関してはオムツによる支援で補えることもある。

しかし、それらを最初から見据えた在宅復帰は、介護する家族の負担が大き過ぎ、時に家族の人生までも変えてしまうことになる。

介護計画を立案する時に、利用者本人の希望が重視されるとしても、そこに家族の負担が含まれるのであれば、十分な配慮をしなければいけないだろう。

「〇〇でいいですか?」

ではなく、「〇〇をするのは容易ではないですが、それでも希望されますか?」と。

つまり、在宅介護が始まると、利用者の健康状態によって特定の家族の時間が奪われてしまう。

しかも、「食べること」や「出すこと」に問題を抱えたままの在宅復帰では、回復の目処すら立たず、時に10年単位の介護にもなり得る。

昨今の社会情勢を考えると、10年のブランクは誰にとっても軽いものではなく、介護によって失ったキャリアを埋めるにしても、在宅介護とは異なる負担が続くことを意味する。

そうしないためにも、介護施設をどう利用するべきか、利用者本人、その家族を含め、介護施設やケアマネの配慮も求められるだろう。

親との同居で感じる老い

端的に言えば、老いてくると状況判断が難しくなる。

視野が狭まったり、ある状況だけ強く反応したりと、時に理解に苦しむようなことをしていたりする。

片付けが苦手な母親の場合、キッチンに野菜を出したまま出掛けることがある。

調理スペースに新聞を敷き、そこにナスを5本くらい置いてあるのだ。

夜に調理するつもりだったとしても、まだ朝の話だ。

家族の誰かが昼食を作る時やちょっとした時にキッチンで何かしようにも片付けからしなければいけない。

「何で放置してあるの?」

母親はこう答えた。

「晩御飯で使うから」

だから朝、ナスを出したままで出掛けることになった。

つまり、母親の目線では「準備」なのだ。

でも家族から見れば、「迷惑」でしかない。

車を運転していて、先に譲ってくれたら何の問題にもならない時に、高齢ドライバーが狭い道に向かい側から突っ込んで来ることがある。

先に行けば十分にすれ違える広いスペースがある時でも。

つまり、「対向車だ!」と気づくタイミングやどうすれ違えばスムーズなのかを判断できない。

簡単なことがいつも大事で面倒なことになってしまう。

それが老いを伴う同居の苦労だ。

在宅介護で最も大変なのは、「口だけは元気」ということだろう。

「あんまり美味しくないね」

「ちょっと塩っぱい」

黙って食べてくれたらいいのに、気持ちをすぐに口に出してしまう。

かと言って、本人では作れないからさらに厄介だ。

つまり、在宅介護になると、三度の料理を作るということも、その度に小言を言われて、作るのが当たり前で批判されるという状況にもなり得る。

優しさから在宅介護に踏み切ったような場合、そんな状況に陥れば介護を始めたことを悔いるだろう。

つまり、在宅介護を叶えるには、介護される人の健康状態だけでなく、生活やそれまでの生活歴なども深く関係し、こみち家で言えば家事をほとんどできない父親の在宅介護は容易に始めるべきではない。

では家事ができる母親の場合はどうか。

先ほどのナスの件で言えば、「夜、使うんだよ!」と当たり前のように言う。

「でも昼は使わないでしょう? 邪魔になるとは思わない?」と続ければ、「だって使うのに?」と続けて来る。

母親の場合、自身の都合を考えることはできる。

でも相手の立場になって、邪魔になるとか、迷惑していないかということを考えるのが苦手なようだ。

もちろん、「ナスって邪魔でしょ?」と具体的に言えば考えるかもしれない。

でも普段の生活の中で、玄関に大きな荷物を置いたままにできるのは、「何でここに?」と思う人のことをイメージできないからだ。

お見せすることはできないが、冷蔵庫の中がとにかく汚い。

整理整頓しないから。

なのに、ドレッシングの瓶は2本は言っていて、さらにマヨネーズ2本、ケチャップも2本、ワサビかカラシのチューブなども7、8本出してある。

それを全てサイドボックスに入れてあるから、ぐちゃぐちゃになってしまうのも無理はない。

ドレッシングを次々に開けてしまうのは、食事の時に気分で選べる楽しみを作りたいから。

実際、食事どきには、ドレッシングなどがたくさんテーブルに出されている。

「まだこのケチャップは使わないでしょう?」

他にまだ十分に入っているケチャップがあるのに、それを開封してしまうのは、使いたい時にすぐに使えるようにしたいから。

そんな感じで、常に新しいものが開封され、冷蔵庫に詰め込まれて行く。

時に新しいものを使い出し、古いものが奥から出て来ることもある。

在宅介護とは、視野が狭くなってしまう親との暮らしだ。

住み慣れた家で暮らしたという気持ちと、それを周りでどう支えて行くのかをどう叶えるのかになって来る。


親しい知人を失ったという経験から学ぶこと

 中高年と呼ばれる年代になったからこそ

結論から言ってしまえば、「悔いなく生きよう」ということです。

親しい方を失い、「今日はもういないんだなぁ」と思ってしまいます。

介護施設で働いていた時も、年間で考えると何度か同じような経験があって、こみちの人生観においても大きな影響を与えてくれました。

親子以上に歳の離れた方々のお世話をさせてもらい、その中で彼らの人柄にも触れることができて、例えば当時の思い出話を聞かせてもらったときは、今の暮らしがそんな過去の頑張りがあっての話なのだと思いながら、でも当時の生き生きと活躍されていた頃にも触れられた気がして、もしも世代を超えて出会うことができたなら、もっと早く巡り会えたらとも思いました。

ある男性利用者の場合は特にそうで、大正や昭和の初期に生まれた彼は、貿易の仕事をするために海外を渡航されたと言います。

「外国語は話せたんですか?」

「いや、全く。でも行こうと思ったんだ」

「大変でしたか?」

「アハハ。どうだったかなぁ。思い出はたくさんあるよ」

「また聞かせてくださいね」

その後、彼とは約3年、こみちがその施設で働いている間、ずっと担当になり、話を聞かせてもらいながら、でも少しずつ体も表情も少なくなっている現実にも気付かされます。

介護施設にも医師や看護師がいたりしますが、本格的な治療ができる体制ではありません。

生命や健康を著しく損なうような時は、施設を出て提携された病院などへ運ばれます。

中には、手続きや家族など、いろんな事情で介護施設を退所されてしまい、その後のことは一介護士には分からないことも多いのですが、中には再び介護施設に戻って来られる方もいて、懐かしい表情に触れられて嬉しく感じることもありました。

そんな経験をさせてくれたのが、こみちの介護士時代の話です。

そして、今回は知り合いの方が旅たちました。

出会った頃から既にデイサービスを利用されていた方で、コロナの影響もあったみたいであまり体調が良かったという感じではなかったそうです。

約3年という時間は、それだけ人と会うことも遠ざけていましたから。

「実はウチの父親が…」

そんな話を聞いた時、「そうだったんですね」と言うのが精一杯でした。

タイミングは別ですが、やっぱりお迎えは誰にもでも訪れるもので、その時までに気になっていることは行動に起こしておきたいもの。

我慢や計画もありますが、特に中高年にもなるといきなり何もできなくなることだって起こり得ます。

介護施設でいつも話を聞かせてくれた方は、「まだ若いんだ。何でもできる」といつも励ましてくれました。

「もうオッサンです」

「人生を楽しめ」

「嗚呼、ハイ」

もう目があまり開かなくて、話し掛ける時に習慣で肩や腕に触れさせてもらっていたのですが、少し俯いたままそう優しく声を掛けてくれることにどれだけ救われたでしょうか。

中高年の方で、仕事探しを考えている人がいたら、いろんな条件もあるとは思いますが、介護士という仕事をぜひ体験して欲しいと思います。

それはお金で手に入る経験ではなく、自分がやがて迎える遠い未来に向かって生きて行く道しるべになるからです。

彼との出会いはもちろん、女性の中にもいろいろと話すことができた人はたくさんいて、こみちにとって介護士時代は大きな財産になっています。

そして冒頭でも触れましたが、「悔いなく生きる」ということです。


元介護職員が介護業界に戻りたいと思うのかって話

 これでも介護福祉士なんです!?

まず介護福祉士が国家資格なのを知っているでしょうか。

国内にはいろんな資格と名のつくものがありますが、「国家資格」に属するものは、多くが命や健康、財産などに大きく影響を与える役割を担うものに課せられています。

医師や弁護士などを筆頭に、国家資格はあるんです。

もう一つ別の見方をすると、その資格が試験に「合格すること」以上に、一定期間の「専門教育を受けること」を追加していたりします。

医師になるには、大学の医学部を卒業すると言う条件もそうでしょう。

弁護士はどうでしょうか。

昔は、一次試験が学力テストで、大卒者などは免除されて、二次試験からでした。

そんな風に、大卒や専門学校などに在籍していなければ、試験だけ合格しても資格がもらえないですね。

じゃあ、介護福祉士ってどうなのか。

よく試験の難易度を偏差値などで紹介しているサイトってありますよね。

「簡単」とか「普通に対策すれば合格できる」とか。

でも、もっと大切なことが、その「受験資格」です。

介護福祉士の場合、以前は専門学校などを卒業すると「もらえる資格」でした。

なぜなら、卒業するくらい学習していたら、間違いなく試験に合格できたからでしょう。

しかしある時から、「卒業」は「実務経験」と言う尺度に変わり、卒業していない人は介護施設で3年以上勤務することで受験資格を得られます。

言い換えると、「介護福祉士です!」と名乗る人は、どこかの専門学校を出たか、施設で3年以上働いていた人ということです。

試験の難易度については、若い人や記憶力に不安がない人であれば、集中すれば1ヶ月でも十分に合格できるでしょう。

一方で、こみちが来年の試験でも確実に合格できると思えるには、半年くらいの期間が欲しいです。

というのも、試験を終えて、結果的に合格していたというレベルならもう少し期間は短くても大丈夫だと思います。

でも100回受けて100回合格できるくらい確実となると、それくらい準備しておきたいということです。

介護職員という仕事

まだ一回も介護職員として働いたことがないという人は、介護の仕事がどのようなものかイメージできないかもしれません。

事実、こみち自身がそうでした。

とは言え、こみちは仕事に就く前に、実務者研修という介護福祉士を受験するために必須の講習を済ませていて、主に知識として介護業界がどう進もうとしているのかを学んでいました。

少し言えば、ケアマネがケアプランと呼ばれる計画書を作り、そこには医師や看護師の意見、もちろん本人や家族の思いなども聞き、今後の活動を計画書として作ります。

例えば、介護施設でお世話になっても「のんびりと暮らしたい」と思いを託すこともできるのです。

一方で、リハビリを頑張って家に戻れる生活を目指すということもケアプランに盛り込めます。

ということは、現場で働く介護職員は、個々の方のケアプランを理解し、それ沿ってスタッフとして動かなければいけません。

「今日はお風呂に入りたくない」と言った人にどう接すればいいのでしょうか。

「ダメです!」なのか、「やめておきますか? 次回は二日後ですけど…」なのか。

施設にもいろんなタイプがあって、計画通りに利用者がメニューをこなすことを重視する場合もあれば、利用者の心地よさを尊重して一歩下がって接する場合もあります。

その違いはどこにあるのかというと、もちろん施設長の考えもありますが、こみちが経験として思うのはスタッフの人数と利用者の人数の割合が大きく影響しています。

当然ながら、利益を考えるとスタッフの人数は多過ぎないことが重要です。

夜間、スタッフ一人で利用者20人から30人くらいを担当することも珍しくありません。

一人の体調が急変した場合は、まだマニュアルに沿って対応可能ですが、二人三人となれば、お手上げです。

そんな場合、いくつかのグループがあって、応援を頼んでしのぐのですが、夜間勤務が回ってくると別グループの夜勤担当者が誰なのか気になるのも事実です。

場合によれば、助けを求められないことも起こり得るからです。

つまり、スタッフとしては個々の意向に応じる余裕がそもそもありません。

朝、別のスタッフが出勤するまで、どうかみんな無事でいてくださいと思うのが本音です。

では日中の時間帯はどうでしょうか。

朝昼晩と提供される食事の時間を、利用者の好みで選べたら嬉しいですが、あっちでは食事でこっちでは別のことをしているという状況にスタッフの手が回るのかということ。

もちろん人件費を高く設定し、利用者に請求される金額をアップすれば、それこそ自由気ままでも十分に対応できます。

ざっくりとした目安を挙げるなら、施設選びは利用金額の他、提供される食事の内容、さらにそこで働くスタッフの人数もポイントになります。

3度の食事を弁当形式にすれば、弁当を配るだけで仕事は済みます。

一方で、食事をスタッフが担当するなら、調理の技量も必要ですし、大人数の食事を作る経験も問われます。

味付けも同様で、塩分濃度が高いのは避けたいなど、いろんな制約の中で対応するのはまた経験を要します。

弁当形式なら一人でもできますが、やっぱり調理までとなると簡単な味噌汁だけという場合でも調理開始から後片付けまで含めて15分で作るのはかなりの慣れが必要でしょう。

はっきりと言ってしまえば、弁当形式でも調理形式でも、介護スタッフの受け取る単価給はほとんど変わりません。

やりがいを求めて、それこそいろんな経験ができる施設で働くのもありなら、決まった作業だけをする働き方も同じ介護職員です。

こみちの場合は、限られた人数の利用者により細やかなサービスを提供する部署で、一般的な介護サービスはもちろんですが、少人数ゆえに個々の性格も熟知できて、家族に近い感覚で持て成すことができました。

3年の勤務期間中に、何人かとのお別れもしましたが、その意味では家族にもしっかりと報告できるだけの仕事を全うできたと思います。

現場仕事が多忙すぎると、気になっていてもスケジュールによって組み込まれた業務があるので、様子を見に行くことも簡単にはできない施設もあるでしょう。

その意味では、スタッフが連携し、しっかりと役割を果たせるだけのやりがいもありました。

しかし、異業種の相場と比較すれば、介護職員の給料はまだまだ十分とは言えません。

年末年始も大型連休も、自由に取れたりはしないので、スタッフ間でやりくりして休みをもらうというのが本音です。

年末年始で言えば、正月を休みにするなら、大晦日は出勤でしょうし、その二日を休むなら、前後は連勤しなければバランスが取れません。

しかも大晦日に夜勤担当し、よく正月の午前中まで働く人が毎年何人かいます。

去年役目を果たせば、今年は外れ、来年はまた担当が回ってくるという感じで、介護スタッフとして働くと、一般的な仕事以上にプライベートが他人と合わせ難くなりなります。

また同じ職場で働く人と時間を合わせるのも大変で、日勤だけというような働き方をするなら不可能ではありませんが、早番から遅番、夜勤までを担当すると、誰かと出掛ける約束をしたいなら翌月分で合わせるくらいでないと難しいのが本音です。

年齢不問という募集要項

中高年の方々で、これまでいろんな社会経験をしている方は、年齢不問の介護職員などいかがでしょうか。

正社員(常勤スタッフ)以外にもパート勤務などを設定している施設も多く、何より年齢や経験を問わないことも多いので、介護スタッフとして働くことは割とできるでしょう。

さらに、友だちと遊びに行くというような予定が頻繁ではないなら、時間帯が勤務ごとに変わっても対応できるのはポイントです。

未経験で働き始めると、国家資格ではありませんが初任者研修という研修を無料で受講できたりもするので、介護福祉士同様の知識までは問われませんが、方向性が掴めるので3年頑張って介護福祉士まで取得を目指してみるのも目標としてありです。

今だから介護業界に戻りたい!?

現役の時に担当させていただいた利用者を思い出すと、貴重な時間を過ごさせてもらえたと改めて思います。

しかし、そんな方々の多くを送り出して、また介護業界に戻り、時には当時とは異なる方法で介護サービスを行う職場に入りたいかと自問すると、もう一度とは簡単に言い出せません。

週に一回、しかも日勤帯の長くない勤務ならまだしもですが、たくさんあるスケジュールを漏れなく処理するのは簡単ではありません。

いい施設に巡り会えれば、スタッフ同士も仲良くできますし、利用者との関係も友好的です。

個人的な働きたいという段階では、そこまでの巡り合わせが分からないので、とにかく施設見学をして、雰囲気を実際に確かめてみることです。

こみちも当時、何軒か施設を回りいろんな比較をして決めました。

中にはスタッフ同士の派閥で、殺伐としている施設もあったりで、見学して通り一遍のことを話して断ったケースもあります。

自身の老後を考える意味でも、介護スタッフとして働いてみるのはとても有益な経験にもなります。

興味はあるけど、未経験でも大丈夫かなぁと思っている人は、一度施設見学をしてみるといいですよ。

今日は介護業界に戻りたいのかというテーマで好き勝手なことを話してみました。

介護士の仕事を理解していますか?

 中高年におすすめしたい介護士の仕事

介護士と言っても、勤務する介護施設によってかなり仕事内容が異なります。

初めて介護士として働くのであれば、特養ホームや老健、デイサービスなどがおすすめです。

その理由は、先輩介護士と一緒に働けるので、初任者研修などでは学ぶことが難しい「現場力」が身につくからです。

先ずは、現場で3年以上勤務し、国家資格でもある介護福祉士の資格取得を目指しましょう。

介護福祉士の資格試験は毎年1月末の日曜日に実施されます。

その合格の目安は、全125問の出題に6割以上の正解が求められますが、心配は必要ありません。

現場経験を3年以上積み重ねれば、それだけで既に5割前後の問題に正解できるからです。

つまり、残り1割から2割分をどう上乗せできるかがポイントになります。

例えば、特養ホームなどに勤務すると、日常の勤務で医師や看護師と密に仕事をする機会は多くないかもしれません。

つまり、利用者に対して医療従事者が何をどう関わるのか知ることも少ないでしょう。

一方で、病院内の介護スタッフとして働くような場合、日頃から医師、看護師の仕事を見聞きできるので、医療と介護の連携や役割の違いをより実感しやすいでしょう。

介護福祉士の試験に関しては、一部医療に関する内容が問われます。

しかしながら、医師や看護師に求められる知識を追ってしまうと、知識量が膨大なのでそれこそ学習効率が低下します。

試験で求められる意図を理解し、介護サービスの前提として問われる「医療」なのだと考えましょう。

このように、勤務した介護施設によっては、問われる試験内容と重ならない部分もあるので、そこを重点的に補うだけでも、残り1割から2割を賄えるはずです。

介護福祉士になると、そこからさらに経験を重ねて、ケアマネジャーという資格にも挑戦できます。

ケアマネとも言われますが、介護スタッフが利用者と関わりさまざまなサービスを提供しますが、そのサービス内容を「計画(ケアプラン)」としてまとめるのが主な役割です。

その人の性格や心身状態、家族の支援など、実際には施設入所された方々もいろんな背景を持っていて、それは機会的に判断できるものではありません。

そこで、先ずは現場経験を重ねて介護福祉士となり、さらに今度はどのような介護サービスが求められるのかを意識し、ケアマネになることで、今度は利用者とその周辺の事情を踏まえた役割へと移行します。

中には、ケアマネだけを業務とする人もいれば、ケアマネを続けながら現場スタッフとしても働く人がいます。

未経験からスタートし、ケアマネになるまでは最低でも8年以上の時間を要します。

介護福祉士になるのに3年、そこからケアマネの任命資格を得るのに5年が必要だからです。

親の介護を経験して

こみちは今後のためにも両親との同居を始めました。

実際に同居すると、互いの生活スピードがあまりに違っていて、ストレスが溜まります。

日に何度も「なぜ?」と思うようなことが起こり、それは子どもに対する感覚とは異なります。

できなくても仕方ないと思うことがなかなか難しいからです。

育ててくれた「親」を、「できなくても仕方ない」と見切れない部分があります。

例えば、父親は時々トイレの便座を濡らしてしまいます。

母親は同じ物を何度も買って来たり、間違いでも繰り返してしまいます。

それを指摘しても、一方的に言い訳が始まるので、本当に必要なこと以外は自由に任せます。

そうしなければ、こちらの精神が参ってしまうからです。

ある意味では、介護士として働く時以上に、こだわりが出てしまうので、程よい距離感が保てません。

中高年の人には

ぜひ、介護士として働いて欲しいと思います。

どっぷりと関わらないにしても、介護施設の業務を知ることで、自身が老いた時のイメージができるからです。

やはり健康が大切だと感じるでしょうし、仕事を続けることの効果にも理解ができるはずです。

そんな意識で、介護スタッフという働き方を候補に入れてはいかがでしょうか。



それ卑屈!?でも「人間の真理」でしょう?

 介護士に向いている人材とは?

どんな職業であっても、しっかりニーズを見出せば需要は見つかります。

ただ現実的に、モデルや歌手になれるのは、業界にあまり関心がない我々が想像するような条件があって、それを満たしていると夢が叶いやすいのも事実でしょう。

クリエイターの中にも、適正や条件があって、トップクリエイターになれるのは「大衆性」に目を向けることができた人だったりします。

これも日ごろからクリエイターになりたいと思わない人は感じ難いことですが、「自身の世界観」とか「独自性」が強すぎると「プロ」にはなれますが「トップ」にはなれないのです。

実際に、ミュージシャンの音楽性がメジャーになって変化し、熱烈なファンの中には初期の音楽性が好きだという人がいたりするのも、「大衆性」が関係していると思います。

では、介護士に向いている人ってどんな人でしょうか。

こみち自身、考え方や人生のステージの違いで、双方にメリットが見出せる関係が存在することを理解しているつもりですが、総じてプラマイ「0」という認識です。

意識として、苦労や面倒を感じていなくても、肉体的精神的に「負荷」をかけないと、「うま味」を作ることはできません。

つまり、3分で作れる料理には3分の価値があって、2時間の料理には2時間分の価値があるということです。

もう少し触れると、プロの料理人は2時間掛けた価値を見出せますが、こみちのような素人が作る場合、時間と出来が一致せず、掛けた労力の大半を無駄にします。

世間ではこの段階を「見習い」とか「半人前」と呼びますが、「一人前」になってから初めて価値観見出せる段階になることも理解するべきでしょう。

3分の料理をイメージした時に、「レンチンで作れる料理」を想像する人もいれば、既に下ごしらえしてある食材が準備されていて、それを使ってどう仕上げるのかを3分で済ませるのとでは結果が異なります。

この違いが見習いと一人前の差でもあります。

つまり、介護士向いている人とは、業務で行う一連の作業を人並みにできるところから判断されるということです。

「一週間で大体の作業ができる」ということで、適正など分かりません。

理解が遅いから早いかよりも、他人から見て「一人前」と認められた後に、どんな信念で介護業界と関わるのかの内容で「適正の有無」が分かるのです。

こみちは介護福祉士の有資格者です。

介護福祉士は国家資格の一つで、医師や看護師などと比較すると取得は簡単ですが、実務経験から取得を目指す場合、3年以上の在籍と540日以上の勤務実績が必須になります。

つまり、有能な人でも3年を費やさないと取得できない点で、介護福祉士の資格は人を選びます。

初任者研修のように早ければ2ヶ月で取得できる「研修」と異なる部分でしょう。

心が優しいから介護士向いているという前に、3年間介護施設で働ける資質がなければ、「適正」を判断する段階にもならないということです。

介護業界の利益は介護報酬である税金がベースです。

制度上、頑張ってから増額されるというものではありません。

つまり、「良い介護」を掲げた時に、時間や手間を費やしても、その大半が「サービス精神」の範疇です。

だとしたら、一回で済むことは一回で済ませないと、それを二度と三度に分けては余分なコストになってしまいます。

芋洗いのように、高齢者を次々に入浴させる介護を見て、「もっとゆっくり入浴させてあげたい」と考えることが経験者の中にいないのは、その分の人件費を捻出できないからです。

言い換えれば、より良い介護サービスを考える人は、介護の方法ではなく、異業種でもいいので介護事業に充てられる「資金源」を見つけることです。

ある意味、異業種で得た利益の中から、社会福祉事業として介護事業を運営するような人でなければ、そもそも介護サービスを向上させられる立場にはいません。

では、こみちのような一般人に限ったとして、どんな人が介護士に向いているでしょうか。

それはズバリ、「相手の自尊心」を大切にできる人です。

自分がした方が早くてキレイでも、相手に説明し時間を費やしてでも「達成感」や「満足感」を満たせるようにサブに回れる人です。

何度も同じことをしてしまう高齢者も少なくありません。

でもそこで怒ってしまう気持ちも理解できますが、それでは介護にはなりません。

自身の仕事を半分の時間で終えて、その空き時間でそんな高齢者にどれだけ「満足感」を与えられるかが介護だと思います。

それはつまり、自身の能力をフルパワーで発揮しなければいけないことでもあり、介護士が疲労してしまう原因でもあります。

つまり、そうしても精神的に疲れを解消できるメンタルが必須です。

介護業界が難しい業務だと思う理由として、異業種での利益確保や人材育成のコストが大きいことも挙げられます。

なぜなら、本当に介護士ができる人は、異業種でもっと稼げるポテンシャルがあるからです。

相手に満足感を与えられるので、営業職などでその能力が活かせるでしょう。

また、介護業務では歌やダンスなどもあり、少し意識を変えればYouTube などもできるはずです。

でもあえて「介護士」という選択をするのは、誰かに「役立つ仕事」として考えるからでしょう。


5年後を予測して働き方を変えてみる!?

 もう国内情勢だけでは決められない!?

昭和時代に生まれ育ったこみちや、同世代の中高年の方は、そろそろ人生の終盤も感じはじめ、でもこの先の老後や暮らし方に不安を感じていませんか。

こみち自身も両親との同居で、親の介護もあり、既に不安な気持ちでいっぱいです。

介護士としての経験と実際に高齢者の両親を間にあたりにして言えるのは、加齢によって機能低下が起こっても、本人にその自覚や意識は薄いということ。

つまり、「できていないよ!」と指摘されて、「ごめん。気をつけるね!」という答えはかなり後からのことです。

なぜなら、加齢によって目や耳が衰えるということは、感覚や思考力も同様に低下して、本人としてはいつも通りのつもりでも、よく見ると至るところでミスが出るからです。

こみち家で言えば、ほど父親が朝から晩までテレビを観て何もしないのですが、もう少し説明すると「何もしない」のではなく、「していることにメリットが少ない」のです。

思いつきで掃除機をかけるのもその前に家族の誰かがしていたり、何度もよいしょをしてゴミ出ししてもらったり、とにかく、「お願いする手間」がとても大変です。

食器洗いもしてくれますが、家族全員分だと嫌がり、せいぜい自分の食器だけという有様なのです。

実際、高齢の介護施設でも、入所者に決まったノルマを設けることはありません。

洗濯ものを畳んでもらうなど、仕事を手伝うという意味ではなく、その人の機能維持を目的に家事によるリハビリをしているという感じです。

その意味では、もう家にこそいますが、父親も入所者と変わらない状況で、「どうしてできないの?」と強く責めても、思うような反応も期待できません。

さらに言えば、今後も日本国内の高齢者がより増加するということは、そんな介護業界に多くの人材が必要になります。

また、若い世代、次世代の労働者が減っていることもあって、今の日本で当たり前のサービスやビジネスが維持されない可能性は十分にあるでしょう。

もう少し触れると、今後は来日外国人との関わりが増し、本格的にグローバルな社会の中で我々も生きることになります。

具体的には、日本人特有の態度や言い回しが誤解やトラブルを生み、もっとはっきりと意識表情することが求められるでしょう。

当然ですが、柔らかい言い回しで伝わっていた場面でも、「できません」「無理です」というような言葉が増えて、感覚がより明瞭になります。

「そんな風に言わなくても…」

慣れない人には、冷たく、きつく感じることが増えますが、ある意味では日本の文化や言語の良さがさらに見直される時代になってきるでしょう。

5年後の日本国内は

近年の円安傾向が与える5年後の日本国内は、経済的な勢いが見越せないままインフレ状態が続きます。

海外からの原材料が値上がりすると、やがて100%国内生産の商品も値上がりしていきます。

日用品のような身近なものが高くなり、生活費を圧迫するでしょう。

その意味では、「稼ぐ」ということがよりシビアになり、でもインフレを加速させないために金利が上昇すると、さらに雇用や設備投資、新規事業が鈍化するので、賃金上昇はさらに期待できないことになります。

未来は悪いことばかりなのか?

ここからがポイントです。

絶対に意識して欲しいのは、自分のしていることがより効果的になる方法を模索することです。

ありがちな例を挙げると「副業」とか「起業」などですが、ポイントは段階を踏んで理想の形を目指すことです。

例えば、今は何も得意なものがない人は、介護業界で3年を費やし、介護福祉士の国家資格を取得しましょう。

その後、あるあるはケアマネを目指すなど介護業界でのステップアップですが、その選択肢の前に、今後も「高齢者介護の国内需要が増える」という状況で、介護経験をどう活かせるのかを考えます。

実際に介護スタッフとして働いてみると、もちろんその仕事を担う人がいることで、支援を必要としている高齢者は助かります。

しかし、自身もまた高齢になる我々が今の高齢者福祉同様のサービスを受けられるとは限りません。

なぜなら、若い世代が圧倒的に少なるなるので、つまり今の介護業界はさらに人出不足や効率的なサービスになり、介護施設に入ったとしても、満足できる老後が待っているとは言い切れません。

だからこそ、3年の介護経験を活かして、そのまま介護業界に残るという選択ばかりではなく、介護予防やシニア世代の健康管理など、介護業界の少し外側で何か活動するという模索もあって良いはずです。

しかしながら、全く介護現場を知らずに、介護ビジネスとして参入しても、昔のように利益にはなりません。

もちろん、経験があっても利益率が高いとは言い切れません。

でも、中高年という我々が今後も末永く健康的な働ける環境づくりをするたまにも、まずは初期投資として介護現場で働いてみることが一歩になります。

介護はどうもなじまいという人は、別の業界でも構いません。

しかし、それを考える時に今後の人材不足や景気の悪化などを条件に入れると、インバウンドを見据えた「外国人向けの観光」などになるでしょう。

つまり、「観光」や「エンターテイメント」に精通し、さらに外国語の習得や文化の理解と、介護以上に学ぶことが多くなり、それこそ個人の資質が問われることになりそうです。


「いい人生」かどうかは最後まで分からない!?

 高齢者介護を通じて

介護施設内でも、フロアごとに担当者が異なったりします。

こみちの場合、他部署のスタッフとあいさつをすることがあっても、それぞれの対応を注意することはありません。

車イスに乗った利用者をどれくらいの速度で押すのかを見ても、結構違います。

でもそこには理由があって、少ないスタッフで多くの利用者を担当しなければいけない時は、安全面を最優先し、必要なポイントを押さえた介護支援に成りがちです。

一方で余裕があると、利用者とたわいないことでも会話をし、最初と最後にも時間を掛けて、できる限り温かい対応を目指せます。

そもそもスタッフにそんな気持ちがなければできませんが、施設側のスケジュール管理や人材の配置によっても大きく影響する部分です。

つまり、利用料金や施設の豪華さでは判断できない「心地よさ」は、実際に生活してみないと分からないこともたくさんあります。

70代後半にもなると…

加齢の影響が現れて、例えば歩行に困るということもあるでしょう。

特に歩行能力は自宅での生活を決定するもので、立ち上がれなくなると家族の負担が一気に増します。

そこで、介護施設の利用が必要になれば、介護認定というその人の介護度合いを調べます。

それはお住まいの自治体(市区町村役場の福祉課など)に申す出ると、後日担当者が家に来て認定が開始されます。

在宅で行うのは、住んでいる環境も重要だからで、急な階段があるとか、広いトイレや浴室があると、家での介護がしやすいなど、確認するためです。

場合によっては、ヘルパーを家に招いて介護してもらうことが良いかもしれませんし、安全性を考えて施設利用を勧められるかもしれません。

人生は最後まで分からない!?

70代まで順調な人生だとしても、介護が必要になった時に思うような支援が受けられないと本人も家族も苦労します。

担当する相談員、ケアマネ、実際に支援してくれる介護士など、いろんなタイプの方々が関わるので、どこかで思うようにならないこともあるでしょう。

やはり自分の事を自分で決められることが、人間は大切だと気づくでしょうし、介護とは段々と受け身になり相手に任せて従うしかなくなります。

介護士などは、自立支援という考え方を学び、できる限り利用者目線を目指していますが、それでも考え方や意識に差が生まれますし、勤務する介護施設の方針によっても違います。



高齢者介護で「リハビリ」とは何か?

 入所3ヶ月を超えた利用者で…

介護施設では高齢者向けのリハビリを実施しています。

介護スタッフによる生活リハビリと、理学・作業療法士のよるリハビリがあります。

まだ介護スタッフになったばかりの頃、理学療法士でもあった施設長に質問したことがありました。

「高齢者のリハビリで、どれくらいの方が以前の生活を取り戻せるのでしょうか?」と。

その時の答えは、リハビリの目的は回復ばかりではなく、残存機能の維持でもあるというもの。

「そうなんですね」と話を理解したものの、実際に現状を知ったのは介護スタッフとして半年が経過した頃でした。

その理由は、入所して3ヶ月が過ぎた利用者の中に、施設を移転した人はいても、自宅に戻った人は少数派です。

特に戻れるか否かの部分では、利用者の健康状態よりも家族の受け入れや住宅改修などが原因です。

つまり、家族構成的に在宅復帰できない場合、リハビリの回復状況とは別に施設での生活が続くのです。

結果として、3ヶ月以上施設で生活しているケースでは、様々な理由から自宅に戻る可能性は少なく、自宅に戻れる前提での入所ではリハビリもより生活に則した内容で行われます。

理学療法士などの機能回復訓練士となっても…

介護スタッフを経験し、看護師や理学療法士などの学校に通い直す方がいました。

同じ高齢者介護に関わる仕事でも、役割が異なります。

特に機能回復訓練士と呼ばれる方々は、介護職よりも高待遇ですし、夜勤などもありませんから、働きやすいと思います。

一方で、先に紹介したように、リハビリを介して目標として掲げていた独歩ができたとしても、利用者が在宅復帰できる訳ではありません。

つまり、目標を達成しても、そこから何かが始まる訳ではないので、それこそ入所する段階で家族の受け入れ意思を確認しておかないと訓練士の役割は半減してしまうでしょう。

ケアマネや社会福祉士の有資格者が、施設では家族との連絡を担うので、担当者が明確に流れを確認していないと、利用者はリハビリの成果とは無関係に施設での生活が続きます。

それこそ、最終的な住処として考える特別養護老人ホームであれば、リハビリでの成果よりも、自分らしく暮らすことを目標にするべきでしょう。

一方で、リハビリを通じて在宅復帰を目指す介護老人保健施設のような施設では、ケアプランの在り方次第で訓練士のやりがいを損なわせてしまいます。

目安として、自力でのトイレができるレベルとなる要介護3くらいでは、家族による支援ではどうしても苦労が多く、その意味では「歩ける」だけでなく、日常生活動作ができないと在宅復帰は一時的になってしまうでしょう。

実際、介護予防がどれだけ大切なのかが分かるのですが、加齢による生活の不便を感じた段階からリハビリを開始することが重要で、完全に支障が生じた段階になると、もうリハビリの目的がかなり薄れてしまいます。

しかし、こみちの家でもそうですが、足腰が弱くなった父親などは、家事を頑張ろうとしません。

年代もあると思いますが、同じように老いた母親が苦労していても、手伝おうとせずに夕方から夕飯ができるまで仮眠をし、食事を済ませて眠くなるまでテレビを鑑賞する生活を続けてしまいます。

足腰のためにダイエットを勧めたこともありましたが、結局は実行されないまま太ってお腹だけ大きくなってしまいました。

もちろんそんな生活から、本当にリハビリが必要になっても、もう在宅で介護はできないと思いますし、もしも重い父親の介護を母親が担って腰でも痛めたら、両親揃って施設になってしまいます。

理想もありますが、生きるのは本人なので、その意味では今を自由に生きることで、人生を悔なく生きてもらうしかありません。

介護士が感じる「理想的な介護施設」を作れないだろうか?

 介護現場で感じること

利用者主体の「自立支援」を掲げつつも、現実は効率的な介護サービスになっています。

その理由は、介護現場における人員の人数でしょう。

しかし、今の倍に増やせば、単純に人件費も2倍になります。

そして介護サービスの大半が税金であることを考えると、一般国民に求める税金を増やすことにも繋がります。

高齢者にとってより良い環境と、現役世代の負担を考えた時に、簡単に納税額を上げられないのも無理はありません。

ということは、現場で働く介護士の人員を増やすのも容易ではなくなります。

例えば、介護士のサービス残業(出勤時間前の労働も含む)を厳密に申告すると、月に10時間を超える人もいるでしょう。

夜勤帯勤務者が、予定時刻の2時間前には職場に顔を出し、まだ実質的な勤務には入っていないものの、日報などに目を通すなど準備を始めることはざらにあります。

〇〇時から勤務となっていて、その5分前に来るスタッフがほとんどいないように、自然とサービス残業があるのも介護業界では当たり前かも知れません。

目処がつくまで、退勤予定者が手伝うということもあります。

食事など、スタッフが必要となる時間帯に定められた人数だけでは大きな負担となることがあります。

想像してみてください。

食事の支援をしなければいけない利用者が3名いて、服薬の提供、食事の片付け、記録、歯磨きやベッドへの寝かしつけを複数名、全てを1時間で終えるスピードではアウトです。

食べたがらない利用者を同時に食べてもらい、食べ終えた人には薬を準備して、泡たたしくスタッフは一人でこなします。

そして、トイレにも誘導しますし、もちろん食後なので歯磨きもありますし、中にはオムツが臭うこともあるあるです。

そんな時に、介護士なら「もっとじっくりと向き合うような介護サービスはできないだろうか?」と思うものです。

中には自分で理由的な介護施設を運営したいとも思うでしょう。

しかし、冒頭でも触れましたが、介護サービスを税金で賄う以上は、今の介護施設でできるサービスはどうしても同じくらいになってしまいます。

もちろん、スーパーマンのような介護スタッフがいると、その人が勤務している時間帯はとても快適になるかも知れません。

しかし、利用者にとってはいるといないで差を感じる故に、不満やストレスの原因にもなり得ます。

組織として快適な介護施設でなければ、本来の意味を成していません。

理想的な介護施設を作りには

多くの介護経験者は、介護のあり方を工夫するでしょう。

いかに利用者と向き合った介護ができるかを課題として考えるはずです。

しかし、例えば現在の介護施設でも、採用できる介護スタッフを3倍にすれば、かなり雰囲気も変わるでしょう。

しかし、現在の介護施設も利用者を一人預かれば約30万円くらいの報酬を受け取ると仮定しましょう。

そこから、住まいと食事、介護サービスを提供し、残った金額がスタッフへの人件費と考えた時に、最終的な施設の儲けをどれくらいに設定するべきでしょうか。

セオリーに従えば、30万円の内、10万円を施設経営者の利益と考えます。

その中には資金繰りなどでできた利息や予備費なども含まれます。

では残り20万円で、部屋代と三食の食事、清掃代や介護サービス費、もちろんスタッフの人件費を賄います。

よく目にする利用者とスタッフの比率を示す指標で、3対1とか2.5対1という数字がありますが、8時間勤務に換算した時のスタッフの配置人数を示したもので、つまり3対1とは利用者3名を8時間当たりスタッフ1名が担当している計算です。

人件費としては利用者1名部の利益で介護士1名分の費用を賄うことになるので、介護士の給料を月額20万円にすることは不可能だと分かるでしょう。

なぜなら、そこまで人件費に割り当てると、部屋代も食事も提供できなくなってしまうからです。

そこで部屋代も食事も介護施設での料金設定を確認すると、介護サービスから除外されていて、実費を利用者側に請求することになっています。

4名で利用する大部屋なら月額費用が安く、個室でしかも広くて設備も整っていればそれだけ部屋代が割増される計算です。

サービス付き高齢者住宅の場合、月額利用料とは、部屋代や光熱費など、介護サービス以外を指すことが多く、つまり介護支援が増えるとトータルでの代金も増していく計算です。

そんな風に逆算すると、介護士が週に5日働いて、月額15万円から20万円という金額はそれなりに意味ある落とし所だと思います。

介護の程度が高い要介護5の利用者とほとんど自立している要支援1の利用者とでは、施設が受けられる報酬も6倍くらい違うので、その意味では運営として考えた時にスタッフの人件費も担当するべき人数も変わってきます。

手間が掛からずに、より報酬を受けられる利用者を受け入れられれば、施設もスタッフもより儲けられるのですが、介護度が低く目が離せない利用者が増えると経営は成り立ちません。

つまり、理想的な介護施設を運営したいなら、より介護報酬が見込めて、大人しい利用者ばかりならスタッフも負担が減ります。

そして、介護サービスをより手厚くする余裕も生まれるでしょう。

しかし、根底から見直すなら、介護保険制度から受ける報酬に頼らない運営方法を見つけることでしょう。

例えば入居者には一時的として300万円を預かり、施設で資産運用を行い資金を増やすのです。

またアパート経営、コインランドリー経営など、手間が掛からずに収益化しやすい事業と並列させるなど、不足するコストを別の方法で回収することも選択肢となります。

我々現役世代にも通ずることとは!?

やはり、限られた税収の中で、きめ細やかな介護をするには、国民からの理解が不可欠です。

しかし子育て世代には彼らの悩みもあって、老人対策ばかりにコストを割り振ることは難しいでしょう。

その中で介護施設の運営は、やり方を絞れば儲かりますが、間口を広げた介護サービスを目指すと、経営は不安定になります。

家族では面倒が見られない高齢者で、自立度合いが高いと、予算も少ないので現場スタッフの負担は増します。

異業種と同じ時給でも、不満を持たずに働けるスタッフは、老人介護が巡り巡って自身の老後支援につながっていることを理解しているからでしょう。

しかし高齢者になると、自己肯定感が強く、融通が利かないことも増えます。

食事を食べてもらうのは利用者のためなのですが、それを支援したい介護士がその利用者から暴力を振るわれることもあります。

「食べないと言ったら食べない!」

そう言われて、「ハイ、そうですか」と言えれば良いのですが、それでも声掛けをし、機嫌を取ってでも食べてもらうように努めるのは、多くが利用者自身が「食べる意義」さえ理解できていないからです。

本当に自立していて、自分で料理を作り食べられるなら、何も施設にくる必要もありません。

しかし、放っておくと白米に梅干しの組み合わせで毎回の食事を済ませてしまうようになるからこそ、介護支援が必要となります。

「自立支援」という大きな命題に、利用者が理解し取り組んでくれれば良いのですが、現実的には自身が作った枠内でしか行動できなくなってしまうのが「加齢」の特徴なので、放置するにもできない事情があります。

寝たきりで、食事は胃ろうで行うというなら、介護士は決められた手順でスケジュール通り作業でできるでしょう。

しかし、まだ足腰が健康で徘徊してしまう人なら、常に居場所に気遣っていないと急に外に飛び出してしまうこともあります。

でも介護報酬の面では必ずしも手間とコストが見合ってはいません。

頑固で言っても従わない相手には、ある意味、彼らの意思を尊重することが介護支援ともいえます。

無理やり強制しても、その人にとっては不快そのままだからです。

ただ介護士として働いていると、「ダメです!」と言わなければいけない決められた指針もあるので、理想と現実の狭間が広くなるほど、現場スタッフの苦労も増します。

衣食住として貯金が必要という考え方よりも、老後も資金繰りできるために運用費を作っておくという考え方は不可欠です。

そして一人の高齢者を支えるとしたら、介護報酬に加えて月額10万円上乗せできたら、スタッフも介護サービスもかなり異なってくるでしょう。

副業で10万円を稼ぐことを考える意味は、より老後を快適に迎えるために考えるべき項目です。

70代でも仕事は続けるべきですし、80代でも続けられる仕事はあるでしょう。

肉体労働100%の仕事よりも、知識や経験を活かして稼ぐ方が高齢者には合っているので、そこも踏まえてしっかりと準備しておけば、老後に対する不安は減ります。



たまたま観た「テレビ番組で」 高齢者たちの老後計画って?

 「子どもに迷惑を掛けたくない!」という意見

番組の中で街頭インタビューに答えていた人の中に、「子どもに迷惑を…」と話す人もいました。

これは実際に介護施設に入居された方からも教えられた理由と重なります。

火の不始末など、高齢者の中には日常生活に不安を感じる方もいて、「もしも火事になってしまったら…」と考えた時に家族に迷惑が掛かると思ったのでしょう。

もちろん可能性の話で、起きないかも知れません。

ただポイントは、「1%の失敗」をどう理解するのかという部分です。

同じく街頭インタビューを受けた方から、介護施設は3度の食事とおやつ、あとは寝るだけらしいと話す人や、今の住まいを終の住処(最後まで住む場所)だという人もいます。

健康面での低下はゆっくりですが、転倒や認知症の発症などが重なるとその低下速度はまちまちです。

例えば、料理や洗濯ができる人でも、目の前にあるものが何か分からないということも認知症では起こり得ます。

つまり、可能性としては低いはずの自分では避けられない事態に対して、どこまで対処策を考えるのかがポイントで、それこそ何もなく自宅で楽しい老後を迎えられる人もいるはずです。

介護施設は入居金の金額よりも日々の食事を見るべき!?

以前から思うことですが、施設が好立地で豪華な場合、当然ですが入居金も高額です。

中には一時金が1億円以上という施設もあります。

館内には図書館や映画館、娯楽室やカラオケルームなどもあって、楽しく老後生活を迎える工夫が特徴でしょう。

一方で、介護支援のレベルには、要支援と要介護があり、注意喚起の要支援に対し、要介護は軽度のレベルから寝たきりレベルの5まで、5段階に振り分けて支援されます。

目安として、歩けないレベルが要介護3で、自宅での介護が難しくなって来る境目でしょう。

歩けない高齢者を車イスでトイレの前まで移動させ、便座に何らかの方法で移乗できるか、ベッド上でオムツ交換をするなら、まだ在宅も不可能ではありません。

しかし、介助者が腰でも痛めてしまえば、その人が今度は介護支援を受ける側になるので、どこまで介助者に無理をさせるべきかは検討するべきでしょう。

そうなると、要介護3はそろそろ施設利用を検討するべき段階だということです。

街頭インタビューの意見として、3度の食事におやつという生活を不便だと言う人がいましたが、介護士の立場になると、自力でトイレにも行けないレベルになって、趣味を謳歌したいと強く望む人は少なく、むしろ楽しく無理のない生活を望まれるケースが多かったと思います。

つまり、まだ在宅で暮らせる時とは求めることが変わっていて、それだけ「介護支援」される度合いも違います。

公的な介護施設は、民間の介護施設と変わらずに毎回の食事に栄養士のサポートがあります。

なので、安い施設では栄養管理もしてくれない訳ではなく、むしろ食事代の金額に着目するべきでしょう。

例えば、家で一人分の食事を朝昼晩作るとして、米や調味料、水光熱費まで含めて1日辺り1000円以内という制限は意外とギリギリではないでしょうか。

もちろん、安価な料理を作ればクリアできる金額ですが、時には刺身やステーキなどを口にしたいからです。

介護施設でも金額に差がありますが、通常の食事で三食分1500円前後が一般的だと思います。

一定水準以下の所得者には、さらに減額できる制度もあって、数百円で食べることもできます。

一方で、入居金が億超えの高価な施設だとしても、食事代は1日1500円前後だったりします。

つまり、出てくる料理にそれほど差がないということです。

思い出して欲しいのですが、要介護3を超えると、個人的な趣味よりも、のんびりした日常を求めるようになります。

そう考えると、大切なのは食事の味の他、噛みづらくなったら軟食を出してくれるのか、苦手な食材を別のものに変えてくれるのかなど、気になるチェックポイントは別にあります。

〇〇ホテルのシェフが作るというと、何か美味しい料理をイメージします。

しかし、介護施設は旅館やホテルではありません。

大切なのは、老後生活が住みやすいかどうか。

つまり、シェフが在中しているので、いつでも好きな煮物や好物をオーダーできるというなら選ぶメリットがあるでしょう。

というのも、「食べること」そのものを拒む利用者には、介護士が側に付いて、食事のサポートもします。

時にはスプーンを介護士が手に取り、「〇〇さん、お魚ですよ。味はどうでしょう?」などと声掛けしながら食事をします。

現場の状況を話すと、一人の介護士が20名くらいを担当し、時には誰かの食事支援をしつつ、食べ終わった利用者には歯磨きを案内し、各人の食事量を記録します。

また、食事後に服薬があると、その準備もするので、介護士は同時に何役もこなすのが通常です。

つまり、食事のメニューそのものよりも、食べられなくなったらどんな支援になるのかとか、そもそも施設にいることができるのか前もって確認しておかないと、それこそ1億円出しても、十分な支援を受けられないなら、立地代として出資したのだと割り切るべきでしょう。

とは言え、介護施設では利用者のパーソナルスペースをどう確保するのかが重要で、安全管理の面では介護士が確認しやすいことも重要ですし、個人のスペースも尊重されないと監視されているように感じるかもしれません。

つまり、信頼関係がどこまでできて、介護士がいることで安心できるという状況を作ることが介護施設としてはとても難しいのです。

一等地に建てる施設は、土地の購入さえできれば見通しが立ちます。

しかし、利用者から受け入れられる介護士を見つけるのは簡単ではありません。

各業務は確かにできる。でも何だか話しかけ難いスタッフに見える。

そんな介護士もいるでしょう。

なぜなら、介護士も人の人間で、勤務外では様々な個人的な問題を抱えて生きています。

利用者に仕えることで、身分や家族を守ってはもらえません。

それこそ、お金持ちの個人的介護士になれるなら別ですが、施設に勤務している以上、月給制だったり、時間給で報酬を受けているに過ぎません。

言葉として「ありがとうございました」と言っても、そこに感情がこもっているのか、そもそも介護士にそれを求めているのかも個人で異なります。

孤独感から不安定になる高齢者もいて、中には介護士が「〇〇さん、困ります」とある程度声掛けすると放置してしまうこともあります。

なぜなら、介護士もその人以外に多くの担当を持っていて、5分という時間さえかなり貴重だからです。

しかし落ち込んだ利用者の立場になれば、「なぜ生きているのか?」「なぜ施設に来ることになったのか?」と、理由や背景は理解できていても、段々と老いていく自分を感じて不安になることもあります。

そんな時には誰かの温もりが欲しくなりますし、介護士だって側にいたいのも事実です。

しかしそれができないのも現実で、それだけみんなもギリギリのスケジュールで動いています。

思い出してください。

公的な介護施設が、三食1500円前後だとして、高価な施設でも似たような金額だとしたら。

つまり、介護士がもらっている給料や人員数も同じなら、できる介護サービスも差がありません。

あるとすれば、介護士個人の力量と支えたいと思う信念だけです。

だからこそ、介護士の中には疲弊して離職される人も多いのです。

どこにお金を使っているのか?

実は掛けやすい土地建物とは違い、手間が継続的になるものほど、ポイントになります。

呼べば介護士がすぐに来てくれる施設でしょうか。

どうしても余裕がないと「お待ちください」と言われて30分も待たされることになります。

でも介護士としては、5分を作るために、30分間急いで業務を済ませています。

この余裕の無さの中で、もう少しお金の使い方を工夫できたら、より快適な介護施設になると思うのは、施設を利用してみたり、介護士になって働いてみたりして分かることでしょう。


介護における「自立支援」とは何か?

 「自立支援」とは何か?

心も身体も、機能的にも意識的にも不自由を感じることなく自在に使える状況なら、その人は自分の意思で生活環境を選択できるでしょう。

しかし、例えばこみちのように心を壊した経験があると、強くストレスが掛かりそうなタイミングを察した時に頭が混乱し冷静な判断ができなくなってしまいます。

感覚的には、時間の経過が段々と早くなって決断を迫られる状況の中で、焦らずに最後まで判断し続けるというようなストレスが起こります。

「もうできない!」と一瞬でも思って判断を怠れば、次々と迫るストレスに負けてしまい、落ち着けるまで機能停止になってしまいます。

厄介なのは、一度でも「破綻」を経験すると、その時の状況が意識下に残っているので、強くストレスが掛かる状況で判断をし続けていても、「もうダメだろう」「自分は失敗したんだ」と足を引っ張るような感覚が加わり、以前よりも遥かに「破綻」しやすくなってしまうことです。

潜在的な「感覚」や「意識」「記憶」を拭う方法があれば、それこそ破綻した体験を封印できるかも知れませんが、それができなければ以前よりもマージンをとって強いストレスを避けた生活が必要になります。

でも日常生活は普通におくれるので、周りから見れば遊んでいるだけとか、楽なことしかしないとか、そんな印象を受けるかも知れません。

しかし、逆を言えば、そんな生活環境をあえて作り出し、これ以上心を壊さないように生きているというのが実情です。

これは精神的な「不具合」の話ですが、手足にマヒなどがあったりして自由に動かせないというストレスを抱えて生きている方もいるでしょう。

それこそ、完全に自由自在な人を探す方が難しく、誰もが程度こそ違いますが何らかの不便と付き合いながら生きています。

つまり、「自立支援」という考え方は、右手がダメなら左手で、他の指は動かないけれど親指は動くというように、その人が自由にコントロールできることをベースに、何をどう環境や人の支援を受けて、より自由自在に生きられるのかを考えることになるでしょうか。

介護における「自立支援」とは何か?

介護における場合、多くは老化現象を発端とした機能低下によって従来の生活が維持できないことで問題となります。

これまでの介護士経験を含めると、「熟考する」「細かなことを続ける」「時間に合わせて行動する」など、心に強いストレスを伴う行動が苦手になります。

ある意味、認知症も脳の機能障害を伴うとは言え同様な症状で、「忘れること」で自分の負担を軽くしたいと身体が行っているとも言えるからです。

しかし、「時計を見ても時間が分からない」や「ご飯を食べたことも覚えていない」となると、その人だけでは生活を維持することは難しいでしょう。

そうなると「介護」が必要になります。

そして問題となるのは「自立支援」の考え方をどう反映させるべきかなのですが、「自分らしく」という意味で、その人に選択してもらったり、方法を尋ねたりすることで、実現したいと考えます。

しかし、そもそもそれぞれの選択肢の違いや質問内容に答えられない状況になっていた場合、どんな方法で「自立支援」を実現すればいいでしょうか。

現役の介護士時代、研修や勉強会という形で専門家や大先輩からの経験を聞いてきましたが、「高齢者とは〇〇なので」というようなストーリーが根底にあるケースが多く、未だに理解できない高齢者の意識を「どう汲み取るべきか?」と方法について語った人に出会ったことがありません。

概念的なことは言えても、人はそれぞれの人生観を持っていて、それこそ豪華な食事を何よりの生き甲斐にしていた人と、裕福故に豪華な食事が当たり前だった人とでは同じ「豪華な食事」でも意味が違うでしょう。

つまり、個人のこだわりを聞き出す役割を介護では「ケアマネ」や「社会福祉士」などの有資格者が行いますが、彼らだって社長経験や職人経験、主婦や子育て経験など、人生全てを知っている訳ではありません。

資格取得に伴い、各項目を指針に沿って学んだに過ぎないからです。

逆を言えば、そうすることでしか、「介護」を現実的に始められないとも言えます。

もしもその部分を行程すると、その流れから「自立支援」も定義するしかなくなります。

「高齢者の暮らしとは〇〇だ」という指針を決めることです。

現場の介護士は、そんな指針に沿って介護サービスを提供しています。

朝になると「起きる時間ですよ」と声を掛けて回るのも、時間の認識が低下した利用者にはありがたいサービスでしょう。

一方で、もう少し寝ていたいという生活をして来た人にも起きるように声掛けします。

有料老人ホームのような施設を除けば、「もう少し」に対する融通が限定的なのも介護施設という指針に沿って機能している故に避けられないのは仕方ありません。

介護士として働いていると、「自立支援」に取り組もうという働き方がありますが、そもそもルールありきで始まった自立支援の矛盾に現場は割り切らなければなりません。

介護士の中にその矛盾を過剰な労働で補おうとして疲れてしまう人がいますが、そもそもルールありきで始まったことを考えると、介護士としては100%を意識し過ぎないことも大切で、その時どきでできることをすれば十分だと思うべきなのです。

中高年の未来 「老後の資金」を心配している人へ

 2000万円とも3000万円とも言われる老後の資金

中高年の方々で、例えばまだ住宅ローンを返済中という方もいるでしょう。

まとまった預貯金が100万円以下という方もいるでしょう。

そこで、介護福祉士となったこみちがどう考えているのかを紹介したいと思います。

これが唯一という話ではなく、あくまでもこみち個人の考えであることをお伝えした上で、先ずは生涯現役で働ける「仕事」を見つけることです。

なぜなら、加齢によって身体的変化が起こりますが、同時に社会との繋がりも変化し、それが認知機能とも深く関わるために、想像以上に生活そのものが困難になります。

そうなってしまうと、自身では「いつも通り」の生活が、周囲からは奇行に見えたりします。

テレビなどで高速道路を逆走してしまう高齢者がいますが、わざとしている人はほとんどいません。

多くは、何かしなければ、行かなけれいけない場所があって、でもこそがどこなのか、どう行けば良いのか分からなくなって、気づいたら「逆走」していたという思考が働いています。

介護を知らない人は嘘と思うかもしれませんが、トイレに入ってズボンを脱ぐことができない高齢者もいるのです。

なので介護士は、「〇〇さん、ズボンを脱ぎましょう」と声掛けします。

それでできる人もいれば、実際に少しだけズボンを下げてあげることで方法を思い出せる場合もあって、認知機能の低下度合いによって介助するべき量も変化します。

先に言っておくと、地頭の良さや学歴、社会的地位などとは無関係なので、誰が認知症になるのかは、それこそ予測できません。

その意味では現役時代に健康的な生活を送るように心がけるしかないのです。

つまり、介護が必要になってしまうと、それこそ「お金」がどんなにたくさんあっても、このサービスが良いとか、悪いとか、本人では判断できないでしょう。

それこそ、家族がどこまで介護に時間を割いて、自分の時間を使ってくれるかにかかっています。

現役世代にとって、「週に一度の休日」も予定は埋まっているでしょう。

そんな中で、時間をかけて介護施設に出向き、そこの担当者から親の様子を聞き、また洗濯物の受け渡しなどをするだけでも、案外大変なことです。

もしもこの負担を全面的介護施設で行うなら、それだけ割り増し料金になる訳です。

洗濯物だけなら月額でおおよそ4000円くらいの増加でしょうか。

年間で約5万。10年なら50万円という計算です。

それとは別に、介護施設を利用する場合、いろんな種類の介護施設があるのですが、先ずは月額15万円を基準にしましょう。

都内なら地価も高く、利用料金もできれば20万円くらい欲しいところです。

一方で、関東の場合、群馬県や栃木県まで移動すれば、利用料金も10万円に近づきます。

多くの試算では、月額利用料金を12倍して年間コストを出すのですが、話はもう少し複雑です。

というのも、すべての人が、年金を月額15万円以上も貰えていませんし、我々中高年の世代や、さらに若い世代となれば、それを現役時代の内に貯めるためには住宅購入や出産などをセーブして、老後の資金を貯めるしかないように思うでしょう。

タイトルにあるように、一人あたり2000万円の資金が必要だとしても、早い段階で介護施設に入る場合や、入退院を繰り返し、医療費が嵩むなど、一概にどれくらいあれば十分なのかはあまりに幅が広過ぎる話です。

同様に、住宅を所有している人と借家住まいとでもコストは違いますし、定年後の仕事があるかないかでも預貯金の持ち出しは大きく変わります。

割と質素で倹約した生活を夫婦で送る場合に、月額で約20万円くらいを目安にするなら、年間で240万円くらいは必要です。

それこそ10年、20年を預貯金から賄うつもりなら、生活費だけでも一人あたり数千万円になるでしょう。

一方で、生涯現役で働ければ、その分だけ出費も抑えられますし、何より健康的に働けるので介護施設の世話にもならないでしょう。

つまり、仮に10億円の預貯金があってもお金を使うだけの自由気ままな生活をしていればそれだけ健康を損ねる可能性があり、ある程度のストレスを感じながら生きられることが大切です。

趣味や生きがいを見つけることも、健康的に生活する上で欠かせません。

趣味を見つけられない人ほど、負担にならない楽しめる仕事があると、収入にもなって健康的に生きられるので、一石二鳥なのです。

個人的には数年くらい生活できる預貯金があるなら、生涯現役を続けられる仕事を手に入れることです。

さらに言えば、介護保険制度や高額医療制度、各種保険の利点をある程度学ぶことでしょう。

すべてを人任せにしたいなら、それこそ2000万円の預貯金でも心もとない金額ですが、健康的に生きることができたらそれだけ預貯金の金額ばかりが重要ではありません。

何より、見ず知らずの介護士に「ズボンを脱ぎましょう」と言われてトイレに行きたいでしょうか。

正直、介護士も人それぞれです。

いい介護士もいれば、そうではない介護士もいます。

それは社会でいる時と同じで、避けることができません。

できる限り自分のことは自分でする生き方にしないとダメなのです。

配偶者任せもダメですし、お節介に世話を焼きすぎてもいけません。



現役介護士の皆さん 「常識」を正面から考えたことがありますか?

 「介護」の原点を考えるために

介護福祉士になったこみちが思う「介護」の姿は、「特別」なことではありません。

だからこそ、「「当たり前」や「常識」が同じなのか?」が問われるのです。

現場スタッフの担うべきスケジュールは、ほとんどぼんやりしている時間はありません。

むしろ、追われながらこなさなければいけないストレスを抱えて働いています。

その中で、わざわざ利用者の要望に応える「一歩」は、スタッフの自己責任的な扱いになります。

責任負いたくない。ダメだと評価されたくない。

そんな介護士は、「一歩」を踏み出すことはありません。

言い換えれば、施設側で設定したスケジュールに従い、任務を果たすことが「介護」なっているのです。

介護の仕事を始めると、寄り添いや自立支援など、本来なら基本的な介護知識が前提となることを飛び越えて、「理想」を先に教えられます。

事実、経験の浅いスタッフの中には、利用者と雑談することを「介護」と勘違いして、スケジュールに書かれた業務を放棄している人も見かけます。

ある意味、それをするために「ノルマ」を素早くこなせる技術力を介護士として身につけなければいけないのです。

「ノルマ」とは、安全性や不快感など、人と人が関わる仕事なので、「介護とは何か?」を何度も考えてみることがベースになります。

例えば、移乗や体位変換をとっても、利用者側の気持ちになってみると、ただテクニック的なことだけでは「上手い」とは言えません。

「何となく苦手だなぁ」と感じている介護士が担当になったら、利用者としては少し気分もよくはないでしょう。

例えばその時、介護士側も「してあげている」という気持ちがあれば、一瞬、利用者の不快な表情に寄り添うことはせず、「いい身分だ」と利用者のことを否定的に捉えたりしないでしょうか。

理想を言えば、介護士になる人は、「介護をしたいと思っている人」がするべきです。

しかし、中高年から仕事を探してみると、採用される仕事はどうしても限られてしまい、介護の他、いくつかの業務になることが定番です。

そんな経験を経たとしても、働き始めた介護士の中には「働かせてもらっている」という意識よりも先に「してあげている」という感情になります。

なぜか?

理由は簡単で、人は「同類」とか「自分が少し上」ということに敏感な生き物だからです。

料理人が、客に出せる料理を作れたら、それこそ自分の意識に反して謙らなくても、仕事として収入を得られるでしょう。

それが「一人前」になるということで、人生のより豊かにしたいなら20代の中盤くらいには到達したい心境です。

思うに、日本には「目上の人を立てる」という習慣があります。

一方で中高年になると年下の上司も珍しいことではありません。

扱いとしては年齢から優遇されることも増えますが、反面、年齢を問わず「一人前」が当たり前になるのも事実です。

介護士の給料が上がらない要因は、介護が「日常」を扱うからでしょう。

特別な技術には報酬も出す根拠が見つかりますが、誰にでもできることなのにそこに対価を払うのはどうしてもスッキリとはしません。

しかし冒頭にも触れましたが、介護士の常識や当たり前と利用者のそれは同じではありません。

つまり、その擦り合わせは「特別なこと」なのです。

事実、人によって心地よいテンポは異なります。

気になることと気にならないことも違います。

それこそ最大公約数で作業をすると、スケジュールをこなすことはできません。

どこまでを重視し、どこを省くのかとその時々で判断するには、全てを知っていなければできないことなのです。

それができる人を介護の「一人前」と呼ぶとするなら、誰もがしていることだとしても「当たり前」と考えるべきではありません。

しかし、介護士に限らず、「なぜ生まれたのか?」や「なぜ寿命があるのか?」と正面から考える人は少数派でしょう。

考えたことはあっても、自身の考えを構築することに過ぎず、生きる中で他人を理解し、「人」そのものを観察して、答えを導き出した人となると、さらに限られます。

しかし、介護をするには、その擦り合わせが大切で、介護福祉士になったからこそ言えますが、異業種で一人前になる方が考えるべき項目が限定されているのでおすすめです。

にも関わらず介護の仕事が、年齢や経験を問わないのでしょうか。

実は、採用こそされても辞めてしまう人も多く、言い換えれば、事前にどんなに意欲を確かめても現場で本当に動けるかはやってみないと分からないからです。


「在宅介護」が始まるタイミング

 介護福祉士の試験に合格した「こみち」が考える介護のタイミング

生きていれば、必ず人は「老い」ます。

中高年になると、体力や気力の衰えから始まるでしょう。

さらに、記憶力も低下し、仕事でも凡ミスや確認の大切さを実感するはずです。

それは同時に、それまで「未来」が発展的なものから「現状維持」へと変化することでもあります。

一年ごとに進歩しているという実感よりも、何となく身体のどこかが不調になったと感じることが多くなり、健康に関心がなかった人でも運動を始めるという人が増えてきます。

介護士のこみちが考える「介護」とは、日常生活の「サポート」を意味します。

非効率でも、質素でも、豪華でも構いません。

その生活を自身の判断で賄えているなら「介護」ではないでしょう。

しかし、10の内9までできるけれど、どこか抜けてしまうことが増え、それが段々と明確な蓄積になってしまうと、それは「介護のタイミング」です。

よくあるパターンとしては、家の中が乱雑になってきた時でしょう。

元々、整理整頓ができないタイプの人では気付きにくい部分ですが、段々と使ったものを片付けられないことが増え、物をその辺に置いてしまうという習慣が身に付きます。

理由は簡単で、「面倒」になるからです。

それまでなら気力も体力もありますから、その面倒も習慣によって覆すことができました。

また、記憶力の低下は、同じ商品を続けて購入したり、複数の作業になると極端に時間が掛かったり、手付かずの作業が残ったりします。

覚えていることはできても、どうしてもいくつかは忘れてしまうのです。

例えばそれが火の始末やお金の管理に関わることなら、それこそ「介護」が必要なタイミングです。

「介護」が必要なタイミングは本人には分からない!?

生活の不便さは初期の頃なら違和感として認識できるでしょう。

しかし、在宅介護の段階では「抜けていること」はそもそもその時に覚えていないので、家族からサポートされても気付きません。

また、サポートしていることを指摘された時に、「あなただって!」と対等な関係であることを誇示するかもしれません。

なぜなら、「できなくなっている」という事実をもう認識できないからです。

家族も最初は「ここが抜けていた」と指摘するかもしれませんが、段々とそれが難しいことと気づき、やがて言わなくなるでしょう。

もしもそのまま言い続けてしまえば、家族の関係性さえ崩壊しかねません。

そんな時は、介護認定を検討しましょう。

初期段階から始めることで、健康的な生活が将来的に継続できます。

「資格」を持っているという価値

 「介護福祉士」を取得して

中高年の仕事探しで、例えばこみちの場合、採用を最優先するなら求人情報の中から選ぶスタイルになります。

「この仕事ならできそうだ」

「この仕事は年齢制限がありそうだ」

そんな感じで、まずは採用してくれそうかどうかを判断して、勤務地や時間、給料などを検討していきます。

なので、結果的に「この求人情報に応募しようか!?」となるのは、必ずしも同じ職種とは限りません。

工場や清掃、調理、警備に介護を、本当にまちまちです。

また、それらの職種に振り分けられない求人も多く、軽作業や草刈り、荷下ろし、洗車などもあるからです。

都内の単価では、それでも時給1000円くらいを提示していることが多く、一昔前と比較すれば100円くらい高くなっているでしょう。

とは言え「稼ぐ」という意味では、率が良いのかというとその辺は少し微妙で、月額に換算すると働き方にもよりますが、週3回程度では10万円前後となるので、税金を差し引き残りだけでは節約しないと暮らしていけません。

一方、先月に取得できた「介護福祉士」という資格があると、勤務した時に「資格手当て」というような形で、同じ作業をしても時給が上乗せされたり、採用段階で優先されたり、また働き方の希望条件を言いやすいなどもあります。

実際に無資格の場合と比較すると時間給で「100円以上」差を設けている介護施設もあるので、中高年の仕事探しで「資格」を持っている有難さを体感できるでしょう。

未経験者と経験者 即戦力という期待感

介護施設で働く場合、未経験で初日を迎えたら、それこそ指導員の人から「仕事の説明」を受けて、「作業を理解する」ことになります。

一方で経験者の場合になると、「言われた作業」だけで良いとは限りません。

これは経験したからこそ分かるのですが、介護施設で理想の介護サービスを「100」とするなら、実際には「50」とか「60」という満足度ではないでしょうか。

その不足分は、スタッフの数や設備など、介護施設の実情を理解するほど「やむを得ない」部分にも気付きます。

つまり、「経験者」という立場になると、「省かれた部分」を最初から除外していいのか戸惑います。

その職場では「当たり前」になっていても、もっと効率的な方法や経済的な方法など、改善するべきポイントにどれだけ踏み込むべきかと思ってしまいます。

特に介護業界の大変さは目に見えない部分が多く、手間を掛けていることが数値化ではわかりません。

しかし、手間こそが介護と言えるので、同じ作業でも経験値によって大きな差になります。

経営者の立場になると、「手が回らない部分」を補って欲しいと思うのは当然でしょう。

つまり、未経験者を雇うことと経験者を雇うことの違いもそこにあるからです。

「きっと、ここを期待しているのだろう」と感じるからこそ、「経験者」という期待も負担になってしまいます。

ただ、あまり「重く考える」と、経験者であることがデメリットに感じるので、そこは割り切りも大切です。

「知っていることなら出し惜しみしない」という気持ちでいいはずです。



介護福祉士試験に合格すると送られてくる「郵便物」の中身

 「合格証書」の他にも

成績表が同封されていました。

第34回介護福祉士試験の合格最低点は「78点」でした。

例年が「75点」なので、受験生の得点が良かったのでしょう。

ちなみに、こみちの成績はピッタリ「100点」でした。

自己採点では「99点」だったので、キリが良くて安心しました。

そこまでは良いとして、「試験に合格」=「介護福祉士」ではありません。

なぜなら試験に合格しても、「介護福祉士に登録できる」に過ぎないからです。

そして、その登録にも「お金」が必要で、センターへの申請費と郵送代を含めると約1万3000円になります。

調べてみると、この申請には明確な期限はなさそうで、申請すると「介護福祉士」の証明書がもらえて、就職する時に「私は介護福祉士です」と名乗れます。

ただ、今になって1万円以上と思うと安くはありません。

こみちの場合は塾や予備校、問題集なども購入していないのですが、それでもこの「介護福祉士」の資格を得るまでに、トータルで3万円以上使っているはずです。

常勤スタッフになれば、資格手当ての上乗せ分で半年で回収できる計算ですが、楽に取れる資格ではありませんね。

「介護福祉士」の資格は半永久的!?

資格によっては、一定期間毎に「更新」が設定されていたりします。

宅建士や行政書士など、取得が困難な資格ほど、その傾向にあります。

「更新」の目的は、取得時点では問題視されなかった社会の変動や制度の改正などがあるからだと考えられます。

その意味では原則更新が無い「介護福祉士」の資格は、介護の「基本スキル」を扱う位置づけなのでしょう。

また、その後に取得可能となる「ケアマネ」では5年毎の更新なので、それだけ福祉の新しい情報にも精通していないといけません。

とは言え、中高年が年を重ねて仕事を探す時に、福祉系は比較的採用されやすく、さらに言えば「介護福祉士」の有資格者であれば、現場の最前線は無理でも、利用者の対応やリネン交換などに関わる仕事も見つかりそうです。

今後、60代とか70代になって自身の健康維持も兼ね、介護スタッフとして復帰することもできるでしょう。

今回の合格で、こみちにとって働き口が見つかりやすくなったのなら、それはとても嬉しいことです。

こみちの場合、3年間頑張って合格もできたので良かったです。

第34回介護福祉士合格発表のその後

 2022年3月25日に「合格」が発表されましたが

念願だった国家資格「介護福祉士」の取得ですが、こみちも達成することができました。

みなさん、ありがとう。

ちなみに、合格発表は公式「公益財団法人 社会福祉振興・試験センター」のホームページにて確認できます。

そして、実際に合格していると、数日後に「介護福祉士」として登録するための申請書などが郵送されます。

ちなみに、こみちの場合は3月28日に届いていたようです。

このブログでも何度か触れていますが、「介護福祉士」の資格はいわゆる業務独占を可能にする資格ではなく、名称独占の資格です。

つまり、「こみちは介護福祉士です!」と言えるようになったに過ぎません。

これまでは(介護福祉士の)資格が無いので、「介護士」とか「介護職員」、「介護スタッフ」など、初任者研修や実務者研修を修了した時に使えるだろう名称でした。

介護現場でも、仕事の役割が大きく変化するということはなく、ただ介護福祉士となってさらに「5年以上」の経験を積んで、ケアマネになることができます。

ケアマネの資格は現時点で、国家資格ではなく、各自治体ごとの公的資格に分類されます。

明確な違いは、「東京都」で採用されると「東京地区で」、「北海道」なら「北海道地区で」という具合に、一般的な国家資格のように全国統一の合格基準ではなく、それぞれの自治体によるので、もしかすると難易度に差が生じることもあるでしょう。

また、東京で採用されて引っ越しなどをした時に、新天地では再度申請することで「資格」を活かせるみたいです。

実際、東京都でケアマネされている人と埼玉、千葉でされている方では、ケアマネに対する業務も微妙に異なると聞きます。

理由は、各自治体の福祉の取り組み方が異なるからです。

厳密には都内の場合、特別区によっても担当者の対応が異なりました。

ケアマネになると利用者やその家族、さらには福祉施設、各自治体など、いろいろな人同士を繋ぐので、介護スタッフとして働いている時とはまた異なるやり甲斐が見つかりそうです。

このように、「介護福祉士」になることで拓ける未来もあります。