「食べること」と「出すこと」
家族との同居を見据えた介護計画の立案では、「食べること」と「出すこと」についてどれだけ家族の負担なく回復させられるのかがポイントになるだろう。
もちろん、全ての食事で介助し、出すことに関してはオムツによる支援で補えることもある。
しかし、それらを最初から見据えた在宅復帰は、介護する家族の負担が大き過ぎ、時に家族の人生までも変えてしまうことになる。
介護計画を立案する時に、利用者本人の希望が重視されるとしても、そこに家族の負担が含まれるのであれば、十分な配慮をしなければいけないだろう。
「〇〇でいいですか?」
ではなく、「〇〇をするのは容易ではないですが、それでも希望されますか?」と。
つまり、在宅介護が始まると、利用者の健康状態によって特定の家族の時間が奪われてしまう。
しかも、「食べること」や「出すこと」に問題を抱えたままの在宅復帰では、回復の目処すら立たず、時に10年単位の介護にもなり得る。
昨今の社会情勢を考えると、10年のブランクは誰にとっても軽いものではなく、介護によって失ったキャリアを埋めるにしても、在宅介護とは異なる負担が続くことを意味する。
そうしないためにも、介護施設をどう利用するべきか、利用者本人、その家族を含め、介護施設やケアマネの配慮も求められるだろう。
親との同居で感じる老い
端的に言えば、老いてくると状況判断が難しくなる。
視野が狭まったり、ある状況だけ強く反応したりと、時に理解に苦しむようなことをしていたりする。
片付けが苦手な母親の場合、キッチンに野菜を出したまま出掛けることがある。
調理スペースに新聞を敷き、そこにナスを5本くらい置いてあるのだ。
夜に調理するつもりだったとしても、まだ朝の話だ。
家族の誰かが昼食を作る時やちょっとした時にキッチンで何かしようにも片付けからしなければいけない。
「何で放置してあるの?」
母親はこう答えた。
「晩御飯で使うから」
だから朝、ナスを出したままで出掛けることになった。
つまり、母親の目線では「準備」なのだ。
でも家族から見れば、「迷惑」でしかない。
車を運転していて、先に譲ってくれたら何の問題にもならない時に、高齢ドライバーが狭い道に向かい側から突っ込んで来ることがある。
先に行けば十分にすれ違える広いスペースがある時でも。
つまり、「対向車だ!」と気づくタイミングやどうすれ違えばスムーズなのかを判断できない。
簡単なことがいつも大事で面倒なことになってしまう。
それが老いを伴う同居の苦労だ。
在宅介護で最も大変なのは、「口だけは元気」ということだろう。
「あんまり美味しくないね」
「ちょっと塩っぱい」
黙って食べてくれたらいいのに、気持ちをすぐに口に出してしまう。
かと言って、本人では作れないからさらに厄介だ。
つまり、在宅介護になると、三度の料理を作るということも、その度に小言を言われて、作るのが当たり前で批判されるという状況にもなり得る。
優しさから在宅介護に踏み切ったような場合、そんな状況に陥れば介護を始めたことを悔いるだろう。
つまり、在宅介護を叶えるには、介護される人の健康状態だけでなく、生活やそれまでの生活歴なども深く関係し、こみち家で言えば家事をほとんどできない父親の在宅介護は容易に始めるべきではない。
では家事ができる母親の場合はどうか。
先ほどのナスの件で言えば、「夜、使うんだよ!」と当たり前のように言う。
「でも昼は使わないでしょう? 邪魔になるとは思わない?」と続ければ、「だって使うのに?」と続けて来る。
母親の場合、自身の都合を考えることはできる。
でも相手の立場になって、邪魔になるとか、迷惑していないかということを考えるのが苦手なようだ。
もちろん、「ナスって邪魔でしょ?」と具体的に言えば考えるかもしれない。
でも普段の生活の中で、玄関に大きな荷物を置いたままにできるのは、「何でここに?」と思う人のことをイメージできないからだ。
お見せすることはできないが、冷蔵庫の中がとにかく汚い。
整理整頓しないから。
なのに、ドレッシングの瓶は2本は言っていて、さらにマヨネーズ2本、ケチャップも2本、ワサビかカラシのチューブなども7、8本出してある。
それを全てサイドボックスに入れてあるから、ぐちゃぐちゃになってしまうのも無理はない。
ドレッシングを次々に開けてしまうのは、食事の時に気分で選べる楽しみを作りたいから。
実際、食事どきには、ドレッシングなどがたくさんテーブルに出されている。
「まだこのケチャップは使わないでしょう?」
他にまだ十分に入っているケチャップがあるのに、それを開封してしまうのは、使いたい時にすぐに使えるようにしたいから。
そんな感じで、常に新しいものが開封され、冷蔵庫に詰め込まれて行く。
時に新しいものを使い出し、古いものが奥から出て来ることもある。
在宅介護とは、視野が狭くなってしまう親との暮らしだ。
住み慣れた家で暮らしたという気持ちと、それを周りでどう支えて行くのかをどう叶えるのかになって来る。