父親が母親のことを話して来た…

昨日の 夕方

相変わらずテレビを観て過ごす父親。

帰宅したら母親の言葉はかなり言い方がキツい。

愛とか愛情とは別次元で、自分自身が段々と面倒になっていることに気づいていない。

「〇〇したの?」から「〇〇してよ!」に言い方が変わっている。

こみちがキッチンに立ち夕飯を作っている時に、リビングでは帰宅した母親の会話に意外と父親は気を使っていたりする。

見方を変えると、そのタイミングをいかにクリアするかを父親は頑張っているのだが…。

昨日、母親が立ち去ったタイミングで父親がこみちに話し掛けて来た。

「あのさぁ。ここの窓、開けっ放しで…」

つまり父親は、戸締りした母親のミスを話していた。

「ああ、うん」

何事かと少し思いつつも話に耳を傾ける。

「もう、オレが話しても(母親は)信用していないんだ」

そう言って話が終わる。

多分、何を言っても父親の意見は母親の中で変換されて、母親がどう思うかでことが進んでいると言う話なんだろう。

と言うのも、母親が小さめのトマトをヘタ付きで皿に盛り、それをテーブルに置いていた。

昔なら包丁でヘタくらいは取っていただろうし、食べやすいサイズに切っていたはずだ。

それをそのまま出してしまう母親に、もうここまで面倒くさいが迫っているのかと思ったら寂しくもあった。

しかもそのトマトを誰も食べず、また冷蔵庫にしまわれてしまう。

翌日、そう今朝どうしたかなと思ったけれど、冷蔵庫にしまったまま放置されている。

実はトマトだけではなくて、母親はとうもろこしも買っては来るけれど、自分で湯がいたりしなくなった。

数日、手をつけないで置いていたから、少し時間がある時に湯がいてあげると二人で食べている。

妻から「お母さんがあれこれ買って来て怒っていないかなぁ?」と聞いていたそうだ。

こみちに直接言わないのは、これまで母親が自分で啖呵を切り、意地を張ってしまったから。

でも今は、こみちの方が料理をしているし、母親も料理したくはないのだろう。

だから、メロンを切ったことでも驚いたほど、母親が包丁を使うことが減ってしまった。

枝豆を茹でてあげたり、ポテトを揚げたり、ありがとうとは頑なに言わないけれど、母親は母なりに遠回しに感謝しているのかもしれない。

そして、父親もまた自分のことを話す中で、孤独に陥っている状態を伝えたかったのかもしれない。

とは言え、両親の行動はいつも同じで、思いつきで始めて後がまとまらなくなってしまう。

楽しく遊ぶ友だちならいいけれど、やはり生活を共にする相手ではない。

悪い人ではないけれど、約束も守ってくれないし期待できない相手だから、たまに近況を話し合うくらいの仲だったら良かったのに…。