「助けてくれない」と知って

 今日、料理中に指を切りました

切ったのはわずかで、縫うような事故ではありません。

でも気が緩んでいたのか、ふとしたタイミングで切りました。

もう数年、そんなことはなかったので、本当に久しぶりのことです。

「痛い!」

野菜を切ろうとして、ケガしたのですが、リビングにいた両親がこみちを心配してはくれませんでした。

父親はうたた寝し、テレビを観ている。

母親は自分のことに夢中で、こみちの様子など気にしていません。

あまり仲が良いとも思わないので、そんな態度も仕方ないなぁとも思います。

でもここでふと思うのは、これからもっと大変になるだろう介護も、両親のために頑張っても「ありがとう」もないでしょうし、逆にこみちの方が何かトラブっても彼らが助けてくれることも限られています。

結局は、自分は自分。

先ずは自分が生き残れることを考えて、両親のことにしないと、先に両親のことを心配して自分の生活を後回しにしても、二人居なくなったら自分のことを後回しにしたこみちだけが残されます。

ふとね、数年前に戻った時に、もう少し良好な関係を作れなかったのかぁとは思いますよ。

でも、両親はこみちとそもそも価値観が違う。

こみちから見ると、小さな喜びは与えてくれるけれど、そのためにはドカンと大きな物を奪われてしまいます。

菓子パン買ったよ!

嬉しく思いますよね。

でも、毎月のオムツ代、スマホの設定、見えないところで当たり前のように頼られて、少しは自分でも努力して欲しい時でも、それがいつの間にか当たり前で、振り返ると損していることが多いです。

損っていうのは、例えば冷凍食品が5個残っていて、それは来週のお弁当用。

でも母親は1個使う。

残り4個あるでしょと。

でも、1個の価値がいくらか?ではなく、その1個がなくなることで、その代わりを探して、また時に店まで買い物に行く。

それはもう1個の価格ではありません。

だから、一緒に生活すると、自分と両親の価値の違いを頻繁に感じます。

ちょっとだけ。でもそのちょっとが実は大きな意味を持つ。

両親を救おうと思うと、自分だけの時よりも数倍のパワーがないと共倒れします。

だから、プレゼントするのは問題ないです。

あげた物を失うだけで、それ以上は影響しないので。

でも一緒に何かすると、時間も労力もどんどん奪われる。

最初ということが変わり、煮詰まって焦らされることになるからです。

すっかり楽しくなくなって、完成。

なんか、幸せ感じないなぁ。そう思って時間が過ぎる。

自分は親想いではないし、冷たい人間だなぁとも思います。

でも、近づいて良い人と近づいていけない人がいるとしたら、こみちには両親が近づくべき人ではありません。

指を切って、改めてそんなことを思いました。