両親との同居
価値観も生きて来た時代も違う親世代との同居は、日常生活のちょっとしたことでも異なる習慣だったりします。
そこではなく、こっちに置いて欲しいのに。
でもそれ、実は老いも含まれます。
親との同居で、例えば最近だと灯油を使うファンヒーターとエアコン。
直ぐに手軽に温まるファンヒーターですが、火の始末や最近の高騰もあって、できればどうしても寒い時だけにして欲しい。
わざわざ買いに行く手間を考えると、エアコンも使って欲しいと思います。
ですがこれ、この判断って当たり前のようでできないものだったりします。
両親って、「コレはしてね」も「コレはしないでね」も守れないんです。
使ったコップはシンクに置きっぱなしにしないでね。
そう言うと大抵、「あとで洗うつもりだったのに」と言われます。
時間無制限なら最終結果だけで判断すればいいですが、実際はこみちが洗い物をする時に両親のコップまで洗うことになるです。
で洗うとまた、使いぱなしで置いて置く。
先日、トイレットペーパーを買って来たからと母親に言われました。
「ありがとう」なんですが、ここで些細な疑問。
母親、自分がトイレットペーパーをいつも買っていると思っているようです。
在庫を見て少なかったからと。
でも、もう少しでトイレットペーパーもこみちが買って来る予定になっていたですよね。
これはトイレットペーパーだけではなく、料理に使う醤油や味噌などと同じで。
今でも母親、買い物はできます。
できなくなったのは、買って来た方がいい物を買って来ることなんです。
例えばまたトイレットペーパーが少なくなった頃に「買って来たよ!」なら本当に助かります。
でも次回は忘れていたりするですね。
で無くなりそうだからこみちが買って来る。
そしてそれを見てまた母親も買って来る。
そんなことが増えました。
以前は、「足りなくなったものを買って来てよ」なんて言ったりもしたですが今は全く言いません。
「ありがとう」だけ。
これ、ちゃんと介護なんです。
在庫管理ができないなら、買い物の手順は忘れないようにして欲しい。
そう目標を今の状態に合わせるです。
例えば父親、しっかりしているとまともなことも言います。
でも何か頼めるかと言うと、もう成し遂げる根気がありません。
いい意味で言われてそれがやり甲斐になるならいいですが、単にストレスで、できないとこみちも不満になるくらいなら、そこはもうそろそろ除外するしかないです。
朝起きた父親は、一人でもご飯を口に運べる。
そんな感じの1日を過ごしています。
洗い物をして欲しいではなく、一人で少しでも食べられるように頑張って欲しい。
目標が段々と変化したんです。
その意味では、以前よりも両親に不満を訴えることはしなくなりました。
今は、母親が父親の介護を完全に放棄したら、父親はそろそろ施設入所を考える時期なんだと言うこと。
「頑張らないと家で暮らせないようになるよ!」
例えば今の父親にそう伝えても、もう努力目標ではなく、ストレスや不安にしかなりません。
母親に対しても、だから父親をどう介護するべきかを考えることももう難しいと思うんです。
最近、寒くなって風呂も湯船に浸かりたい季節ですが、家のお風呂に父親が入る時、やっぱり母親だけでは危なく感じます。
こみちも手伝うですが、すると母親はスッとその場から居なくなってしまいます。
もう母親も介護を避けているです。
でこみちが毎回風呂担当になると、いずれはオムツ交換まで背負うことになるでしょう。
結局、両親だけでは生活を維持できない状況になってしまうので、そこはやっぱり施設入所なんだと思うです。
もちろん、段階として、デイサービスで入浴してもらうこともできますけど。
今はそんな感じです。