「天然気質」な人を介護することになったら

 「天然気質」とは?

例えば、「大きな動物は?」と質問されて「象」や「クジラ」を答えたとしたら、その質問だけで判断すると「天然気質」ではなさそうです。

でも「海坊主」と答えたらどうでしょうか?

海坊主がどのようなものかを全く知らない人にとっては、そんな返答に驚くでしょうし、あまりの想定外に笑ってしまうかもしれません。

でも、海坊主は海で漁をしている漁師が沖の大波をそう呼んでいたとも聞きます。

子ども頃に絵本などで「海坊主」の存在を読み聞かされていたら、大きな動物?と聞いてそう答えることもゼロではないでしょう。

もちろん、「それが動物なのか?」「多くの人が共感するか?」と判断したら、やはり「象」や「クジラ」と答える人が多いでしょう。

つまり「天然気質」とは、「(貴方が思う)大きな動物は?」と考えたことで、「みんなも思う」というフィルターを気にしない素直さがあるとも言えます。

言葉にしない部分を暗黙の了解として補うかどうか。

そこに天然気質の本質があるとこみちは思うのです。

こみちの母親は天然気質?

今までの長い習慣で、マヨネーズなどの食品は、母親が買っていました。

でも最近、味噌などが無くなってもなかなか買わないので、こみちが買うことが増えました。

そして、まだ完全になくなってはいないので、買って来た味噌は食品棚に置いて起きます。

でもふとした時に、母親が自分で買った味噌を冷蔵庫の中に置いたりします。

いつも思うのは、なぜ食品棚のストックを見ないのか。そして買ったら冷蔵庫に置いてしまうのか。

管理という意味でも、買う人が複数人で、めいめいが好きなタイミングで買えば食材が余ってしまいます。

例えば母親の買った味噌をそのまま冷蔵庫に入れていたら、残り少なくなった味噌を使い切り、母親の買った方を開けて使うかもしれません。

それが減って来たら、どうなるでしょうか?

また母親が新しい味噌を冷蔵庫に置くでしょう。

すると最初に買った味噌は永遠に開封されないことになります。

思うに母親の思考は単純に「無いから買った」だけかもしれません。

常に見えている範囲が限られているので、昨日のことや食品棚のことなど気にせずに「冷蔵庫の味噌が少ない」だから買ったのでしょう。

もう一つ気になることで、父親が使うリハパンをネットで購入しても代金を支払うとは言いわないこと。

灯油代やトイレットペーパーもそうなのですが、生活する上で欠かせない備品を全く支払ってくれなくなりました。

代金もそうですが、買って来ることも実は時間も使うのでなかなか手間だったりします。

一方で、昨日がお雛様だったので、母親が寿司とケーキをスーパーで買って来ました。

こみちにすれば、「買ってくれてありがとう」よりも「そこでお金を使うなら、いろいろな代金を支払って欲しい」と思うのです。

毎月、当たり前に1万円以上の出費が確定しているので、ケーキや寿司を出されても、それでなかったことにはできません。

金額が合わないからではなく、決して多く無い世帯収入を考えても、メリハリある暮らしがしたいからです。

母親にお金を使わせると、あまり意味のない物を買ってしまう。

正直、そんな印象が強くなりました。

それを買うなら、こっちの少ない食材を買って欲しかった。

ピーマンが何袋もあったり、レタスと混ぜて作れるサラダの素も、レタスを買っていませんし、そもそもそれ、あまり家族内での評判は良くありません。

無理して作る。でも美味しくはない。

それを忘れて買ってしまうのか、母親だけは美味しいと思っているのか。

とても難しい部分ですが、天然気質故にどこを基準にして買っているのかが分かりません。

こみち家は詰んでいます!

実はこみち、以前よりも外で働く時間が増えました。

メンタルの回復をいい感じで、以前よりも外で働く方が好きです。

何よりお金がもらえますし、それで何を買おうと思えることに未来の希望を感じます。

とは言え、家庭に目を向けると母親は食材や出来合いの弁当などは買って来ますが、本格的に料理はもうしません。

思いつきで何か買っても、魚一つ焼かなくなってしまいました。

こみちが家を空けると誰も料理をしない。

だからますます弁当などで済ます。

稼いでも出費が増えるので、現実には稼いで貯金できるとも言えないんです。

かと言って、父親は何も変えようとしませんし、母親も天然気質で、自分が役に立っていると思っています。

「これがあると良いかも!」

母親がそう思う物を買うのが買い物で、家になくなって来た食材を補う買い物ではありません。

「大きな動物は?」の質問に戻れば、母親は誰も想像しない答えを真顔で答えて来ます。

なぜそう答えたのかを聞けば、納得できるのかもしれませんが、でも必要な物や欲しいと思う物ではないので、結局は中途半端な選択肢が増えるだけでその場を解決できません。

食費がイメージよりも倍近く高いです。

そして、その余分な部分が、何かしたいことを諦めることに繋がっています。

この生活、いつまで続くのでしょうか?

両親の介護がさらに重くなれば、無駄な買い物も母親はしなくなりますが、父親同様に何か役割を任せられるとは思えないので、居た堪れない気持ちが続くんでしょうね。

結局、今日も元気で働けた。稼いだお金で何買おう?そんなことにはなりません。

「何でお金が無くなるんだろう?」

介護って、簡単に希望まで失わせるから油断なりません。