コーヒーを淹れると降りて行って
まぁ、そう言って下で両親と話していたり、スマホも持って行きそこで動画でも観ていたということも普通にあるので、30分や1時間、戻って来なくても心配することはありません。
こみちも絵を描いていて、「もう少しココをこうしようか?」そんなことをしていたし、時計を見て遅いことを気にしているつもりはありませんでした。
「コーヒー」
ふとこみちもそう思い、先に降りて行った妻を思い出しました。
階段を降りてみるとトイレの前に妻が立っていて、「どうしたの?」とドアが開いたままになったトイレの中に視線を注ぎました。
トイレを言えば、父親が失禁してトイレカバーを濡らしてしまうということが増えました。
カバーを自分で交換してくれたらいいのですが、まぁ父親は何もしません。
「トイレのカバー?」
返事がないので、また聞きました。
「詰まったみたい。流れなくて」
「今も?全然?」
すると状況を妻が話し始めます。
ようやくすると、父親がトイレを使い、排せつをした。
高齢者に多い便秘が続いた後の排せつで、大量だった。
しかもトイレットペーパーも使って流したから上手く流れずに便器内ギリギリまで水が溜まり、危うく床まで濡れてしまいそうだったと。
簡単に言えば、小まめに流すとか、解決策はいろいろある訳です。
でも問題は、「父親はいつも通り」というスタンス。
いつも通りした結果のトラブルを家族に任せる人ということが先ず大きなポイントです。
そして、実は妻がトイレ前で悩んでいたのは、流れなかったことではなく、「流れないから様子を見て」と母親に言われてしまったこと。
母親はさっさと出掛けてしまい、トイレの問題をたまたま通りがかった妻に押し付けたんです。
在宅介護で一番苦しいのは、ルーディーンではありません。
自身の予定と突発的なトラブルが何度も重なり、その度にまるでダッシュするようなしんどさが繰り返されること。
母親も逃げ癖が付いていて、自分の分担でも平気で妻に押し付けることが増えました。
昨日も妻が父親の爪を切っていたんです。
そこに母親がいるのに。
例えば目が見えにくいということもありますよね。
それも分かるんです。
でもポイントは「ありがとう」という気持ちか、「私、できないし」と当然に思うかなんです。
母親は妻が父親の爪を切っていても、全く気にならないんですよね。
普通、自分の旦那さんなら、自分でしたいと思うでしょうし、できないなら仕方ないですが、心のどこかでは父親に対してもごめんね切ってあげられなくてと感じないものでしょうか?
相変わらず、両親は他人にしてもらうことを当たり前に思う人で、だから家族は疲弊します。
やっているつもり。
でもできていないから、そのほとんどをやり直す。
でも本人は出来ているつもりだから、カバーされていることに何も感じないんです。
風呂嫌いな父親に「風呂、入るの?」と怒った口調で母親が言いました。
「入らないよ」という父親。
そりゃそうなりますよね?
昨日は金曜日。家族で決めた父親入浴日は木曜日と日曜日。
「明日、入るね?」
「嗚呼…」
でも土曜日に入って、また日曜日にも入ります?
入らないですよね。
結局はそうなんです。
両親だけですると、なんでも決めた通りではなく、少な目になって中途半端なんです。
「お風呂」か「洗い物」どっちならする?
それくらいの聞き方をしないと父親なんて動くはずありません。
母親みたいに「入るの?」って言ったら、「入らない」になりますよね。
食事前にバナナを食べさせる。
トイレの詰まりは妻に押し付ける。
面倒なことはスッと人に押し付けるのに、調子のいい所はしゃしゃり出る。
母親のそんな身勝手さが、こみちには合わないですよねぇ。