高齢者介護「家庭崩壊」の兆し

 父親が暴れてました!

元々、入院するまで父親は車の運転をして来ました。

しかし、幸いにも後遺症は少ないですが、退院後は明らかに「老いた」印象があります。

家族としては、そんな状況で運転を続けることに不安があり、医者から診断結果が出るまでという口実で、運転を控えてもらっていました。

とは言え、父親も父なりに今の暮らしに未来を感じられなくて、「こんな暮らしなら…」と声を荒げました。

こみちとしては、父親は恵まれた存在で、例えば経済的な自由を家族の支えから受けられ、三度の食事に関しても特に何の用意しなくても当たり前に食べられます。

言ってしまえば、父親にとって車の運転が制限されているだけで、それ以外は心配しなくても助けてもらえているのです。

母親の悲鳴でこみちもリビングに降りて行ったのですが、父親は母親の前に立ち、怒りの矛先をどこに向ければいいのか分からなくなっていました。

こみちの存在に気づいて、こみちが「どうしたの?」と尋ねても、「ふざけやがって」と取り合ってくれそうにありません。

こみちなりの分析

期待や希望のない未来を想像してしまうと、誰もが絶望感に浸ります。

こみち自身もそうですが、父親も同じような心境だったのでしょう。

しかし、二人にはいくつか違う部分があって、例えば経済的な配慮からこみちはいろんな挑戦も計画を練り直して負担を最小限にするようにしています。

つまり、試しに購入すればすぐに答えが出ることも、下調べに時間を割き、経済的負担を抑える努力を怠りません。

一方で、父親の場合、先日も母親からの打診で、高額な商品を購入したいと言われました。

それに関して父親は、ある意味で当たり前なことだと思っていて、こみちが日頃から節約している暮らしが何だったのかと本当に落胆してしまいます。

例えばそれを購入して成果や変化が期待できるのであればまだしも、努力もないままにそれだけ得ても効果はほとんど期待できないのに、経費だけは必要になるという話です。

そして、家族のそれぞれがそんなことを節約して成り立つ今の暮らしにため息をつきながらも、未来を信じて毎日を生きています。

なのに、「運転ができない」という制限をどうしても許せない父親は、そこに怒りをぶつけます。

こみちにすれば、「何をわがまま言っているだよ!」と言ってしまえばそれまでの話です。

しかし、在宅介護とはそこからどうするのかということ。

なので、必要なのは正論ではありません。

地域包括支援センターの存在

そんな時こそ、住まいを管轄する地域包括支援センターに相談しましょう。

何も全てを委ねる必要はなく、悩んでいることや不安に思うことを聞いてもらい、専門家としてのアドバイスや手段を紹介してもらいます。

例えば、認定調査を受けて、その結果が出るまで一般的には1カ月程度掛かる場合も、方法によっては「暫定」という形で早めにケアプランを作成し、介護サービスを受けるという方法もあります。

ネットで調べれば分かることではありますが、個々の状況に沿って話せるので、介護の方法や家族としての向き合い方など、地域包括支援センターの存在はありがたいはずです。