「中高年はどう生きるべきか?」を考える話

 社会との繋がり 仕事を失わないために

正社員かパートタイマーか、という働き方の違い以上に、50歳を過ぎて来ると「仕事」から縁を失うキッカケは至るところにあります。

例えば、昨今、レジでの支払いは「現金」とは限りません。

クレジットカードはもちろん、電子マネーなどによる支払いが普及しています。

ということは、自身では現金で支払っているという人でも、お金を扱う職種に就けば、今まで縁遠いと思っていたシステムにも知識が必要です。

スマホなどを普段から使っている人でも、内部のシステムや設定まで問われると少し戸惑う人もいるでしょう。

レジ業務で決済できない客に「どうしてできないのでしょか?」と迫られて、「知りません」というだけでは厳しい一面もあります。

つまり、それだけ時代は変化していて、過去の経験だけではどうにもならないことがたくさんあって、時代の移ろいに疎くなると、仕事から数年も離れてしまうと分からないこともたくさん出てしまいます。

「仕事が欲しい」と望んでも、今の時代に当たり前に求められる知識がなければ、働くいて欲しいと会社や店舗から望まれたとしても、知らないことばかりで、それでも頭を下げて一から学ぶくらいの決意がなければ務まらないのかもしれません。

その意味でも、中高年になると安易に職を失うべきではなくて、働かせてもらえるなら少しくらい待遇面で不満があっても「無職」になって仕事探しをするよりも焦りがありません。

なぜ人はウォーキングを始めるのか?

こみちは趣味でランニングをしています。

ほぼ毎日、5キロから7キロくらいの距離を走るのですが、同年代やそれ以上の年代の方とも遭遇します。

中にはシルバーカーを押してウォーキングされる年配者もいて、なぜ彼らは歩いたりするのでしょうか。

介護の世界で言えば、「トイレが一人で使える」という行為ができるか否かは大きなポイントです。

使えない場合、一般的には「オムツ」を使用し、1日に数回、誰かに交換してもらわなければいけません。

家での交換になれば、どうしても部屋に臭いが充満しますし、しばらく続けていると交換しない時でさえ特有の臭いが残ります。

それも慣れてしまえば気になりませんが、臭いが残ることには変わりありません。

つまり、在宅介護でも「トイレ」は大きな意味を持っていて、それはつまり自分で歩いて移動できることができなければ始まりません。

買い物などにしても歩けるというができるからこそで、車椅子でもバリアフリーの店舗などは不便もないかもしれませんが、事前に調べたり、店舗が限られてしまうなどの不便さはどうしても起こります。

その意味でも現時点での運動機能を少しでも長く保つことが重要で、その一環として「ウォーキング」もあると思います。

意外と、高齢者になって運動を始めて、転倒をキッカケに介護施設入所されたというケースは少なくありません。

転倒し足を骨折すると、それがキッカケで足の筋力が低下し、歩行を不自由になるという流れは少なくないからです。

そんな時代をどう生きればいいのか?

結論を言ってしまえば、「役に立つ人」になることでしょう。

どんな風に、どんな形でという部分は人それぞれで、資格がなければできない分野やちょっと手間で面倒なことを代行するなどそれが中年の間に見つけ「仕事」ではないでしょうか。

20代、30代のチャレンジが、その時に失敗だったとしても、その経験を糧にして中年時代に方向性を見つけるキッカケにできます。

そして高齢者になった時に、ビジネスという形に捉われなくとも、仕事を持っていることが人生を豊かにし、他人とも同じ目線で向き合えます。

誰しもが「何もできない人」に向かっていくのですが、その存在が無価値になる訳ではありません。

成功者だけが求められるのではなく、失敗ばかりの人生でも役に立つことはできます。

そこに工夫やチャレンジ、思いなどがあって、どんな形でも若い世代に参考にしてもらうことはできるからです。