「介護施設」や「地域包括支援センター」に頼れるのか?

 介護福祉士の有資格者として

こみちは介護施設に勤務して、介護福祉士の資格も取得しました。

また、親戚の介護施設を探したり、今は両親と同居して介護が段々と始まっていたりします。

例えば、今後両親のどちらかが認知症になって、特に前頭葉を起因するような障害の場合、かつての人格さえ失われてしまうことがありえます。

具体的には、暴言や暴力ですが、大荒れした利用者の対応は介護スタッフとしてもストレスですし、苦労する業務です。

例えば、介護施設の役割として、ある一定の介護サービスを代行すると言う考えなのか、そんな問題ある利用者でも受け入れてサポートするのか、介護施設の考えも様々ですが、そこで働くスタッフの意識も問われます。

絶対にスタッフから手を出せない状況で、利用者から暴力を受けてしまうと、もう介護ではなく、スタッフ自身の精神的な負担も考慮しなければいけません。

例えば同じ時間給で働くにしても、明るく楽しい職場と苦労が絶えない深刻な職場のどちらが希望でしょうか。

でもこれは避けられない問題で、スタッフなら配置換えや退職と言う方法もありますが、家族の場合はまた深刻です。

と言うのも、介護は浅くもできれば、深くもできるものです。

ちょうど未経験の方なら「食事」がイメージしやすいでしょうか。

つまり、レンチンだけでも今は美味しい食事を食べられます。

しかし出汁から取って、昔ながらの方法で手間を掛けることもできます。

時間や手間だけで考えれば選択肢は明らかでも、「その人らしさ」をどこまで配慮するかで介護負担の広さも深さも無限に広げられます。

暴力を振るう利用者をいかに穏やかに接するかも介護スタッフの力量と言うこともできますし、ストレスを溜め込んでスタッフが深刻な精神疾患を患っても本末転倒です。

つまり、どこまで支援するのかがとても線引きし難いことが介護支援では最も大変な部分ではないかと感じます。

なので、どんな状況の高齢者でも必ず受け入れてくれる介護施設があるとも言えませんし、地域包括支援センターのスタッフでも全員が介護負担を熟知しているとも言えません。

「〇〇なことで相談したいのですが」

と相談した時に、欲しいのは慰めの言葉ではなく、具体的な計画や支援だとするなら、尚更、それはタイミング次第で変わるものです。

こみちが勤務していた施設では、いい意味で利用者を最後までサポートしていました。

こみちを含めて良いスタッフだったかは分かりませんが、たくさん大変なこともあって、「老いる」と言うことの意味を幅広く学ばせてもらえた気がします。

また、実際に親との同居をして、1ミリも譲ってくれないことを感じます。

つまり話をしても、それを明日には忘れてしまうので、同じミスは永遠に続きます。

毎日、冷凍庫を開けて、整理整頓する母親ですが、何のためにしているのか最近ではよく分かりません。

こみちが考えて置いてあるものでも勝手に触ってまとめたり、バラバラにしたり、手間を増やしていると言えば確かにそうで、でも母親にとっては「自分らしく暮らし」です。

それが日常生活の至るところで起こり、時に理解できない行為もあったりして、それでストレスを溜めていたこともありましたが、そうやって時間が流れて両親も老いていきます。

その時に、もしかしたら暴力行為があるかもしれませんし、思う以上に大人しくなるかもしれません。

施設入所を考える時が来るかもしれませんし、最後まで在宅介護できるかもしれません。

言ってしまえば、オムツ交換も始めてしまえばできることもわかっています。

問題はあるにしても、やり方次第です。

ただ安全性を考えると、一人でトイレに行けるレベルであって欲しいと思いますし、それが困難になる頃は要介護3くらいで、特養ホーム入所条件も満たせるでしょう。

とは言え、特養ホームに入りたい希望は多く、数年待ちになることもあるので、希望してから受け入れが叶うまでの数年間をどう過ごすのかも家族の重大な悩みになるでしょう。

病気などで入院でもあれば、老健を経て特養と言う流れもありますが、少しずつ老いて行く場合には在宅介護をメインにデイサービスを使うことになります。

自分で料理も洗濯も掃除もできない高齢者で、さらに人との交流を避けるタイプだと、デイサービスの利用も嫌がったりします。

とは言え、家事が何もできないので、そこまで負担の範囲を広げると、親の所持金まで把握しなければいけないことも出て来て、場合によっては介護負担の範囲が一気に広がります。

「デイサービスには行きたくない!」

そんなことを言われたら、もう好き嫌いの話ではないのに、その負担範囲を両親が理解できないので、家族が生き方を考えるしかありません。

嫌でも行ってもらうしかないのか、それも含めて介護するのか。

言うのは簡単ですが、実際に直面すると「またそれやっているの?」が続きます。

できることはできるだけ任せたいのですが、例えばこみち家の場合、両親が少し困難な問題を自分たちで解決できたことはありません。

できるのは、個人的な買い物などで、それさえ量を間違えてしまいます。

でもそこまで首を突っ込んでも仕方ないので、ある程度は放置して、それこそ生命や財産の根幹が揺らぐような場合まで後ろで様子見です。

ですが、見えないことも多くて、蓋を開けるといつの間にか始まっていたと言うこともあったりで、それまでの説明さえもあやふやになっている両親から話を聞き、相手がいれば連絡して状況を説明しなければいけないことも起こりえます。

でも、解決するとその大変さを両親は全く覚えていないこともあって、「あの件だよ?」と言う質問に「知らない」と真顔で言われて凹んだりします。

これが介護です。

踏ん張れれば良いのですが、踏ん張りきれないと家族ごと崩壊します。

なので、単に状況説明をしても地域包括支援センターの担当者も何をして良いのか分からないので、家族は何をどうしたいのかまでイメージして、「〇〇することはできませんか?」「〇〇に近い方法を教えてもらえませんか?」と、施設の役割を理解した上で相談した方がいいかもしれません。

「〇〇だと難しいですね」

条件が違うと、できないしか返って来ないので、何が足りないのか、どうすればクリアになるのかまで踏み込まないと、思うような答えは返って来ません。

するしない別にして、家族も介護技術的な経験があると、また介護に対する意識も変わるかもしれません。

難しく考え過ぎないことも、高齢者と家族を守る大切な意識です。