結局「お米はいくらなの?」と言う話

 お米はいくら?

ふと思ったのが、最近備蓄米をスーパーでも見かけるようになったこと。

5キロが2000円くらい。

で、こみちは「あ、安い!」と家にある米の量を考えて、手に取るかどうか悩みました。

その時はまだ大丈夫だと判断して買うのをやめたのですが、その間に行き交う人の中で米を手にした人がいなかったんです。

意外と、みんな足りているのかも…。

高いから買えない。安いけど買わない。

値段は安い方が嬉しいですが、欲しいかどうか、必要かどうかで考えた時に、その時に必要で買おうと思った人には出会わなかったんです。

一方で、経済の面では、物価がいつまでも同じ値段で販売されていることはあり得ません。

緩やかには上昇するもので、昭和の頃の値段と比較するのはちょっと無理があります。

問題は、長い期間「安くて当たり前」が続いたこと。

「100円で買える」に慣れると、作り手は「100円」で売れるように考えてしまいます。

すると、経済的な発展も限られて、ある面では衰退し、マーケットには魅力ある商品が減ってしまいます。

確かに値段は安いけれど、安全性は?美味しさは?

そんな事が不透明になっても、それで良かったのかなと。

こみちはお金持ちではないので、高価な物など買えません。

そもそも高級な車を頑張って買っても、手間を描けて大切にしてあげられません。

以前、車が好きな同僚が高い車を買って、「これ、高いんじゃないの?」などと聞いて「凄いね!」とただただ感心していました。

でも、金額ではなくて、彼は本当に車が好きで、大切にしていて、こみちにはできない手間を惜しみなく注げる人なんです。

ここ、凄いポイントで、それがそれぞれの幸せなんだと思うんです。

100円のものを手軽に扱うことも、100万円のものを長く愛着を持って扱うのも、それぞれの幸せなんです。

そして、愛着を持って長く使い続けたいと思う人が、欲しいと思えるものがないマーケットも、買いたいけれど高くて買えないと思う人がいても、不健全な環境なんです。

つまり、「ものは安ければいい」が正解ではなくて、「欲しいものが買える環境をどう作れるか?」ではないかと思うんです。

米作りに話戻すと、田植え機って車くらいの値段だとして、でも使うのは年に一回だけ。

それを各農家が所有すると、やっぱり小規模なほど利益に繋がり難いはずです。

しかも秋口に台風が来れば、稲も倒れて米の品質が落ちるかもしれません。

そう言った非効率さをビジネスとして考えた時に、そのリスクを誰が負うのかが問題です。

米は作れ。でも安くしろ。

そうなると、作りたくても作れない人も出て来るでしょう。

自由経済と言う意味では、強制ではないので作りたくない人が退き、作りたい人が参入するのが自然。

でも、どうしても必要なコストがある以上、個々の農家の工夫だけでは解決できないこともあるでしょう。

ただ農地って何代も続く大切なものと言う考えもあるので、効率的を理由に大規模農家を優遇するのがいいのかも悩みどころ。

全部を守ることはできないので、時代の流れや市場の変化も考慮して、「米はいくらだったら食べたいか?」も決まるのでしょう。

そもそも、物価高に賃金が追いついて、欲しいものなら買うことができる人が増えれば、マーケットとしては安定するはずです。

欲しいものがなくて、欲しくても高くて買えないのは、誰も得しませんからね。

こみちは、備蓄米があって本当に助かっています。

ブランド米との差も感じませんし。

でも来年ってもう備蓄米は出ませんよね?

米の価格って、今後はどうなるんでしょうか。