今日は父親が病院に行く日
以前、母親に頼んだら、看護師さんとちょっとしたトラブルがあって、それ以降母親は病院に行きたがりません。
それ以来、こみちか妻が父親を連れて行くことになりました。
いつもの決まった時間に「用意は?」と聞くと、「足が痛いから行きたくない!」とごねています。
母親が心配そうに見守り、「頑張れる? 連れて行ってくれるんだから」と父親に話しかけています。
「足が痛いのも分かるけど、血液検査の結果も聞けるし、薬も切れるから今日行きたいなぁ。来週だといろいろと手間が増えてしまう」と告げました。
「ロキソニンを飲んでみる?」
処方されている痛み止めも、害があるからと飲みたがりません。
こみちにすれば生き方なので、父親のそんな考え方も否定はしないのですが、「なぜ痛くなるのか?」から逃げていても話は同じです。
「じゃあ、今日はいいよ。でも、最近は散歩もしていないし、アイスクリームも食べているでしょう? 動かないことに慣れて歩けなくなったら寝た切りになるからね」と。
それがキッカケで介護度を上げてしまうことを伝えました。
でも父親はナルシスト。
先がどうなるのかを言われても、理解しようとはしません。
常に苦痛から逃げていたい人なんです。
薬が効いたのか、母親から電話が掛かって来て「少し楽になったって言っている」と。
ここが父親から自主的に連絡できないのも問題なんです。
「ああそう。降りて行くよ」
そして父親に状況を聞き、「どうにか頑張れると」。
自分の通院なのに、できることが家族全員の夢でもあるかのような雰囲気にしたがります。
「あっそ。車、回して来るよ」
車を玄関前に停めて、車内もエアコンをつけて家の中で待つ父親に声掛けようとしました。
「よく頑張ったね。アイスクリーム、買ってあげるから。部屋の掃除もしておくし、布団も干しておくからね!」そう母親が父親に話しています。
「行くよ!」
父親がヨロヨロと玄関に歩いて来ました。
「こみち、よろしくね。お父さん、頑張ってね」
そんな母親もナルシストでフライングモンキーです。
ナルシストな父親に合わせて、その考えに逆らえず、しかももう行くと決まってから、更に与え続ける行為。
それ、必要なの?
そんな感じです。
世話をすることを良い妻の象徴と信じこみ、糖尿病の父親にアイスクリームを与え続ける。
「糖尿病だからね!?」
もうそれだけ聞いても、何を指摘されているのか母親には分かっていません。
「糖尿病の人が甘いものを食べ過ぎて良いことはないんだよ」でも、「ええ、そうなの?」とか「お腹が空いているかもしれないし」と。
こみちが少しでも健康でいて欲しいと思って心配していても、父親も母親も結局は自分が思うようにしか行動できません。
母親はアイスクリームを買い与え、父親は糖尿病で足が痛いと言う原因にもなっている糖分を当たり前に口にする。
最近はもうそこで悩んだりしませんが、そこを諦めるまでは本当に苦しかったです。
今、母親が掃除を使っています。
その掃除機、こみちが自分たち用に買ったものですが、以前から両親が使っているのは吸引力が弱く、母親は当たり前のように黙って使うんです。
しかも、掃除したらそのまま返す。
ゴミを取り除くこともしないんです。
便利なものをサラッと使ってしまう。
母親は日常的にそんな気質で、継続とか後々を考えることができません。
悪口を言いたいんのではなくて、「母親や父親は同じようにはできない」んです。
これがあると便利だなぁと思っても、それができない状況を作るので、いつも制限がある中でしかことが進みません。
掃除機は、いくら掃除するための道具だとしても、ほとんど掃除もしない父親の部屋を掃除するんです。
しかも使いっぱなしで戻されるのだから、それで自分の部屋を掃除したくないですよね。
こみちがゴミを取り除いたりしている所を母親が見ても、全く気負いがありません。
「ごめんね。ありがとう」って言われたことがないんです。
母親の考えでは、「自分は少ししか使っていない。きっとたくさん使ってゴミが溜まったから取り出しているんだろう」くらいに思っているのでしょう。
ナルシストの気質の人は、そんな風に考えられます。
血液検査の結果で、今の生活を改善するとなっても、やはり両親は変わらないでしょう。
食事の栄養バランスを考えても、やはり母親は父親が好むものを与え続けるでしょうし、それを断ることも父親はしないので、運動もしないし甘いものも食べるを続けて暮らすでしょう。
それで良いとも思うんです。
でも「痛い」と言う父親には、「そうでしょうね!」としか言ってあげられませんが。