それは夕飯を作る時に気づいた話
「今日は何を作ろうか?」
人参のきんぴらと茄子、ミョウガの味噌汁、細切り豚肉に豆板醤やコチュジャン、ミリン、砂糖、醤油でタレを作り、それにしばらく浸してから片栗粉も加えて炒めてみました。
そんな料理中、冷凍庫を開ける機会があって、まずもう一つの冷凍庫から大きな保冷剤が移動されていました。
多分母親がしたものですが、元々あったはずの場所には父親が食べるアイスクリームが大量に増えていて、保冷剤が収まらなくなったので移動して来ました。
持ちつ持たれつなのはよく理解しているのですが、糖尿病の父親になぜそんなにアイスクリームなのかと素朴に思うのです。
以前にも紹介したことですが、こみちは健康で長生きには賛成ですが、それ以外の生き方も寛容に認めてあげたいと思っています。
ただ、糖尿病の性質上、糖を過剰に摂取すると病状の悪化にもつながるので、生き方と健康のバランスを理解して選んで欲しいとは思っています。
ただ、糖尿病の性質を今までも繰り返し伝えましたが、両親は理解していないと言うか、自分たちの生き方を変えようとはしません。
なので忠告するよりも「自分らしく生きている」と認めることが幸せなのかもと思うようなりました。
一方で、冷凍庫でふと気になるものはありました。
モノは冷凍ピラフなのですが、既に開封済みで、しかも口を止めることもしないでただ二つ折りにしてしまわれていました。
こみち、たまたまそれが何かと思ってそっと手に取ったので、切り口からこぼしてしまうこともなかったのですが、逆さまに持ち上げていたら、切り口から全部溢れてしまっていたでしょう。
「エエ、たまたま?」
父親の不可解な行動は既に理解していますが、まだ母親には認知低下して欲しくありません。
両親共々、日常生活が基礎から困難になると介護負担が一気に増えるからです。
袋の口を閉じるって、何か別のことをしていたら忘れてしまうものでしょうか。
時々、なぜ?と言うことが増えているのは気づいていますが、以前から朝食用に食材は買って来てねと言うことも今はできていません。
何かお願いしても、それが両親しか使わないことでも、やはりできないのです。
できるのは、自分たちがしたいと思うことだけ。
先に食事をして、余ったご飯もラップなどしないで放置してしまいます。
「ラップしないと乾燥して食べられないよ!」
そんな指摘にも「オカズはしないのに?」と、天然気質なのか、状況が理解できないのか、ちょっと理解に苦しむ反応を示します。
要冷蔵をテーブルに置きっぱなしにしたり、菓子パンを冷凍庫に入れていたり、何をしまっているのかを分かっていないように思うんです。