妻の実家でも…
昨夜、妻の兄から連絡がありました。
簡単に話すと、妻にも両親がいて「介護」が必要になる年代です。
義理の兄は、「親と暮らす覚悟があるし、呼び寄せてもいい」と言ったそうです。
ただ電話で話を聞く限り、両親から言われたのではなく、生活が不便になっているから面倒を見なければという内容でした。
生み育ててくれた両親に感謝していない子どもなどいないでしょう。
でも「感謝」だって個人で異なりますし、「同居」を「幸福」だと考えるのかも個人でも認識がかなり違います。
兄のいう「不便」も同様で、何事も一から十まで取り上げてしまうことができないから「介護」は難しくなるのです。
何ができなくて、何にはこだわりがあって。
だからこそ、どんな支援が今の段階で好ましいのかを親の立場、子どもの立場、住まいを管轄する行政との関係など、一人では支えられない介護を継続させるためにも欠かせないポイントです。
例えば介護施設で働く介護スタッフの立場では、予め決められたスケジュールに沿って介護を提供します。
そのスケジュールを立てるのは、ケアプランを作るケアマネが本人や家族、医療スタッフなどの調整をして決まります。
それが、家庭での介護のように、現場でその都度状況が変わってしまうと、介護は一気に難しくなります。
介護施設での介護は、いい意味でも「制約」を作ることで、介護される人とする人の負担を抑える工夫が施されています。
これが在宅介護になると、「家族」という関係が「制約」を曖昧にし、それがより親密な介護にもなりますが、見方によっては負担が増して継続が困難にもなります。
「できない」から始まるのが「介護」
こみち家で話すと、父親は今でも家族の誰よりも仕事ができると思っているはずです。
でも実際にはそうではありません。
とは言え、それを父親が客観的に把握できるのであれば、介護はとても簡単です。
「できない」から、難しいのです。
「できないでしょう?」と言った所で、「バカにしている」と怒り出します。
「じゃあやってみて!」と突き放しても、何も変わらないまま放置されてしまいます。
取り上げるのは簡単ですが、できることを探して、できないことをさりげなくフォローして本人のやる気を損なわないように生き甲斐を持ってもらうことが介護です。
時に5分で終わることを、30分も準備することも。
つまり、いい介護ほど、時間も労力も掛かるので、在宅介護は限界があります。
頑張り過ぎて、介護する家族がメンタルを壊しては意味がありません。
「できない」という気持ちを出すことで、例えば行政の介護サービスや支援も始まります。
なので、頑張り過ぎないことが必要です。
介護は、経験的に一人を三人で支える必要があり、一対一ではとても支えられません。
今はできたとしてもできなくなる時が来るので、その時のためにも「できない」を覚えるべきです。