介護支援における大きな課題「自分らしい暮らし」の実現
在宅での介護と施設での介護には、「経済面」という大きな課題に差があります。
首都圏やその近郊において、民間の運営する介護施設を全面的に利用する場合、月額15万円位のコストが必要だと考えるべきでしょう。
仮に年金だけで賄うとしても、国民年金を満額で受け取ってもそのコストを補うことができないので、預貯金による蓄えや家族による支援、行政によるサポートなど、施設の利用が経済的も容易ではないことがわかります。
有料老人ホームへの入所が難しい場合、経済的な負担を抑えられる特別養護老人ホームの入所が理想ですが、そのためには要介護3(一人でトイレが難しいくらい)でないと入所条件をクリアすることはできません。
コスト的には、首都圏でも10万円前後で見つけられますが、希望者も多く「待ち」の状態になっています。
こみちが介護士として働いていた時も、割高でも入り易い施設を使いながら、順番を待って「特養」へと移動されるケースが多く、「今度、別の施設に引っ越します」という利用者との別れを幾度も経験しました。
月額数万円(都内にこだわると10万円前後)の違いにもなって、誰もが必要な時に利用できる施設とは言えません。
言い方を変えると、そこで働くスタッフの給料が異業種と比較して控え目になってしまうのは、そのまま利用料金に反映してしまうという問題にも繋がります。
では在宅介護ではどうでしょうか。
介護士経験から言えるのは、在宅介護で「オムツ交換」まで担うのはかなり負担が大きいと思います。
作業そのものは、三日もすれば慣れると思いますが、運動不足になると出るものも出なくなり、下剤などを使うと量のコントロールが難しくなったりして、最悪ではそのまま全身を洗うくらいの作業になることも否定できません。
仮にそうなった時に自宅で入浴できるのかがポイントですが、先に「自力でトイレ」と言ったのも、立って移動できるか否かは在宅介護をする上で負担度合いが大きく変わります。
もちろん、できるかできないかで考えると「できます」。
しかし負担が大きくないかというと、小さいとは思えません。
例えばこみちが両親を在宅で介護することになり、しかもオムツを利用するとなれば、先ず仕事で外に出掛けることは難しく、買い物は日中にデイサービスなどを利用し、両親がいない時に済ませるしかありません。
さらにシーツなどの交換や介護用品の補充などまで考えると、自身のキャリアアップは一度諦めることになるでしょう。
加えて、食事面で食べ易い介護食まで考える場合、三食全てを家族で賄うのは手間ですし、栄養学や嚥下のメカニズムなど、介護士の経験や料理の経験などがないと大変です。
いずれにしても、頑張ればできてしまう(本当の意味で「その人らしい暮らし」かは別として)から逆に厄介です。
子育てとは違い、成長するまでという期間が明確ではないので、時に10年、20年と介護が続いた時に、支える側の人生も軽視されるべきではなく、「家族としてどうあるべきか?」をまだ介護が必要ではない時から話合っておきたいものです。
こみち家の場合も10年以上前に「考えよう」と切り出したこともありますが、「負担は掛けない!」とはっきり言った両親が、今では生活のいろんなところで怪しくなっています。
「負担は掛けない!」「自分たちで頑張る」という言葉も、介護や老化を根本的に理解して言ったのではなく、まだ体が動く60代や70代の前半で出した答え。
つまり、「迷惑掛けないと言ったよね!?」と言ったところで、老いてしまったらトイレに行くのと、ご飯を食べるだけの生活になって来ます。
暮らし方という意味での介護施設や在宅での介護はそんな感じですが、例えば終活に向けた準備まで含めると、もっと範囲は広くて、時間もコストも掛かります。
実家の片付けで、庭木の手入れや処分を検討し始めましたが、既にその費用を親が当てにしていて、自分たちで準備し支払いまでしてくれたらいいのですが、場合によっては10万単位の出費も覚悟しなければいけません。
父親は、「ありがとう」とも言いませんし、そもそも頼んでもいないと言い出すでしょう。
でもしなければしないで、実家周辺の方にも迷惑だと思うし、「状況を理解できない」ようになると、プライドだけが残るのでストレスも増します。
「自分らしい暮らし」は、本人の意思と周りへの心遣いがあるかないかで、大きく変わります。
さらに避けることができない家族の負担増もあるので、我々中高年世代は、生涯働ける仕事を見つけて、健康的な暮らしを目指したいものです。