「バカ」と「ちょっと賢い」の違いを勝手に語るだけ

 「バカ」の定義

「バカ」は絶対的評価ではなく、相対的なもの。

つまり、「バカ」ばかりの集団があると、そこに「バカ」ができて、そうではない人ができる。

ではそんな相対的な「バカ」はどうして「バカ」なのか。

「バカ」になる要因は、成熟度の違いだと思う。

成熟度決めるのは、領域とその達成度。

だから、「バカ」と呼ばれる人が「器用」だったりすることも珍しくない。

なぜなら、「器用」はある動作を得意とすることだから。

狭い領域で解決できることは、それこそ「バカ」だからできないものではなく、逆に「賢い」人が不得手なことも多い。

単純にいろんな領域を知っていて、さらにその達成度が高くても、ピンポイントで問われてできるとは限らないからだ。

「バカ」と「ちょっと賢い」の反応の違い

そもそも「バカ」は、相対的に反応する領域が狭い。

興味や関心のあるエリアが少ない。

天才とバカが紙一重だと言われるが、天才もエリアが広い訳ではなく、単純に達成度が高いだけだから、「バカ」と構造的に変わるものではない。

つまり、そのものヒットする領域が少ないのだから、「バカ」は温厚な一面がある。

では「ちょっと賢い」場合はどうか。

「賢い」の定義も、相対的で、もっと賢い人が現れると「バカ」になってしまう曖昧さがある。

さらに「ちょっと」だから、「賢い」と言えるほど、領域が広い訳ではなく、言うなれば「バカ」が無反応だった時に何か感じ取ってピクンと動くようなものだ。

例えば天才のように、他を圧倒するくらいその分野の達人になれる人は別だが、多くは気づいても解決できるとは限らない。

だから「ちょっと賢い」というのも、違和感には思うけれど、その問題点を解決できないことも多い。

意外とストレスを感じるタイプは、「ちょっと賢い」人ではないだろうか。