意外と「要支援」は活かされていない!?

 介護グレード

正しいかはわかりませんが、全く基準がないのもイメージしづらいので、こみちは勝手に「自分でトイレが使えない段階」を「要介護3」と自己基準を設けていました。

実際には病気などによる機能低下と加齢による機能低下でも状況も異なります。

同じトイレに行けないとしても、身体的に問題があって、例えばトイレまで歩くことができないのもトイレを自由に使うことができません。

また脳に何らかのダメージがあり、例えば「トイレ?」となってしまってもトイレを上手く活用できないでしょう。

個人的な見解として、在宅介護を続ける場合、この「要介護3」が大きな分岐点で、家のトイレが一人で使えない場合、比較的軽度だとしても家族が一日中関われる環境が強いられます。

「そろそろ、トイレどう?」

時間帯を見て、サポートが必要になるので、家族の負担が大きくなるのです。

そこで「オムツの着用」が検討されるのですが、家族が交換する負担や汚れたオムツの処理、そしてどうしても消えない臭いなど、家族による介護はかなり様変わりします。

つまり、「要介護3」が特養の入所要件になっていて、家で介護を続けるのか、介護施設を積極的に理由するのかを迫られます。

要支援とは?

介護グレードは要支援1、2と要介護1〜5の全部で7段階があって、最も軽度が要支援1で最も重いのが要介護5になります。

ここでいう軽い重いとは、本人の自由意識がどれだけ行えるか?と言う目安で、介護負担としては寝た切りの要介護5だから大変とは限りません。

むしろ、要介護1、2で、いろんなことができるものの、全体をとしてはどこかミスをしてしまうくらいの方が介護する側としては手が掛かったりもします。

軽い認知低下で、要介護1や2で、まだ買い物もそれっぽくできる。

でも買って来るのは、生活に全く必要ではないものと言うような場合、商品をレジに運んでお金を払うことはできても、肝心な「買い物」と言う意味では用を足せていません。

そうなってしまうと、機能として十分でも、結局は誰かのサポートが必要なので、介護支援が欠かせません。

それよりも軽度の要支援1や2の場合、一見して介護が必要には思えないくらい普通と変わりません。

でも、長く接していると不思議な行動があり、食べたばかりなのに、また食事の準備をしたりします。

「ご飯食べたよね!?」

「嗚呼、そうだったね。間違えた!」

まぁ、それくらい勘違いにも見えるのですが、ある瞬間の記憶が薄れて、ちょっと不思議な行動になったりします。

「メガネがないんだよ」

「手に持っているのは?」

「嗚呼、持っていたか」

つまり、勘違いにも見える程度のミスが要支援では起こり始めます。

一方で、その段階での対処次第で、要介護のさらに悪化した状況に移行する時期を遅らせることは可能です。

ポイントは、運動習慣とコミュニケーションだと思いますが、散歩などで足腰を使い、人と話したりすることで程度な緊張感が生まれて、認知機能の低下を抑えたり、回復が見込めるからです。

しかし、誰もが意欲を持って行動できるものではないので、特に傾向として仕事を辞めた後の男性の社会性は狭くなりやすいと感じます。

家で家族としか話さないような環境では、運動習慣も身につきませんし、コミュニケーション能力も低下しやすいからです。

そこで、早い段階から認定調査を受けて、公的な介護サービスを利用し、運動やコミュニケーションの機会を設けるのがおすすめですが、本人が嫌がったり、要支援向けのサービスがなかなか見つからなかったりで、ハードルが地域によってかなり違います。

例えば要支援1の方はほぼ一般的な高齢者と変わりません。

しかもまだサービスにもなれていないので、丸一日よりも半日だけのようなサービスの方が理由しやすいのですが、それが利用できなかったりすると、「丸一日は長くて疲れる」と嫌になってしまいます。

また、要支援の場合、相談する相手は管轄の地域包括支援センターになるので、要介護の時のケアマネとはまた違います。

より多くの要支援の方を少ないスタッフで担当していれば、それだけ個別相談も応じ切れないでしょう。

実は先日、管轄の福祉課に父親のことで相談に行きました。

相談したかったのは、意欲低下で運動習慣もない父親に外出や運動の機会が提供するサービスがないかと言うもの。

結果を言えば、かなり相談で粘って父親の健康状態を理学療法士による確認をしてみようと言う流れになりましたが、多分介護に詳しくない家族が相談してもそうはならなかった気がします。

パンフレットに掲載されていた訪問リハビリや歩行器の貸し出しサービス(有料)などが利用できないかと言う流れを考えていましたが、かなり渋い感じで、「もう少し段階が進まないと…」とまさかの話もありました。

つまり、要支援から要介護になり、家庭ではサポートできなくなって、初めて公的サービスの理由が検討されるような感じです。

自分たちでできる内は、自分たちで。

そんな感じでした。

なので、普通ならサービスを断念し、「ありがとうございます」で帰ってしまうことになるでしょう。

それだけ高齢者に掛かる経費は膨らむばかりなので、行政も経費を抑えたいのは分かるのですが、要支援から要介護に進むと、それこそ家族ではサポートできないことも増えますし、施設理由になればコストも増します。

介護は事務的に処理すると簡単なのですが、寄り添いながら意欲を引き出すような介護は経験も必要で、簡単ではありません。

つまり、歩きたい人に機械を使ってもらうのは簡単で、声掛けをしてサポートするのは簡単ではありません。

なぜなら、サービス提供側も人材育成をしなければならないので、コストが増すからです。

しかも要支援ならかなり動けるので、サポートも距離感が難しくもあります。

いろんな立場の状況も理解できますが、家族の立場としてはなかなか思うようには進まないと感じます。