令和版「13歳のハローワーク」とは?

 「13歳のハローワーク」をご存知だろうか?

作家「村上龍」によって生み出された書籍。

タイトルに示されたように、「13歳の時に将来の職業を考える」意義を問うた本とも言える。

初版は2003年だから約20年前のことで、当時13歳だった人は33歳くらいになっているだろう。

つまり、33歳といえば、社会的にも職場で中心的な役割を担う人となり、「13歳のハローワーク」との出会いが現実的に評価されることにもなる。

令和版「13歳のハローワーク」を考える意義

書籍「13歳のハローワーク」が誕生した2003年というと、介護業界では行政主体の措置制度から民間主体の介護保険制度に移行され、その大きな変化に現場も対応し始めた頃と重なる。

つまり、介護制度が大幅に見直された主な理由は、加速的に増加する高齢者の医療費を食い止めることにあった。

つまり、国として、行政として、高齢者を公的な社会保障の枠組みで運用することが困難になり、民間による効率的な介護サービスとして変更することに迫られた時代となる。

もっと言えば、日本国民の人数に対する高齢者の割合が増えているということ。

それだけ、現役の労働者やこれから労働者となる学生の人数が減少しているとも言える。

つまり、「僕は私は将来、どんな仕事就きたいだろう?」という自問自答ができたのはそれこそ「13歳のハローワーク」が出版された2000年代の話である。

なぜなら、コロナ禍が長期化し、様々な職業が苦戦を強いられている。

少なくとも、これから飲食業界に進出したいと考える人は限られているだろう。

なぜなら集客が見込めない以上、デリバリーサービスが主体になるから、そこで勝算が見込めるビジネスモデルでなければ厳しいのは当然だ。

つまり、「13歳のハローワーク」的に考えることは、不特定多数の客を接客する業界は、感染リスクとの戦いとも言える。

もしも全く真っ白な状態から仕事を選択できるなら、感染リスクというポイントも見逃せない。

もう一つがこれから30年後には到来しているだろう「AI」の本格的なビジネス進出だろう。

こみち個人が思うポイントは、「ビッグデータ」と「繰り返し」に関連性の高い職業ほど、AIがビジネスに参入してくることだ。

つまり、買い物済のカゴを置くだけで、自動的にレジ業務が完了することを踏まえれば、請求書や明細書などをランダムに読み込ませていくだけで、会社の経理業務の一部を簡素化することは可能だろう。

場合によっては、税理士の業務の一部とも重なり、場合によっては税理士同士の潰し合いが問題になる。

そこが起こり得るなら、多くの「士業」で、以前までの特権が見直されることにも通ずる。

なぜ、医者になると大金持ちになれるのか。

しかし現実的には大学病院に勤務している医者は、高給取りではあるがサラリーマンでもある。

医学部を卒業するまでに必要な学費の総額を考えると、サラリーマン医者が一般のサラリーマンと同額では成り手も減少してしまう。

私立大学などを経て医者になる場合、1億円以上掛かることもあり得るのだから、年収でプラス300万円以上ないと採算が合わない。

大卒で大手に入ると初任給こそそこそこでも30歳くらいで800万円は狙えるし、35歳では1000万円も超えることができる。

つまり医者の年収が1000万円を超えるとしても、実際には2000万円以上貰えないと高給取りとは呼ばれないだろう。

例えば、デザイナーという職業の場合、美大芸大を出て、どこかの企業でデザイナーとして様々なプロジェクトに関わり、単純な商品のパッケージデザインではなく、例えば歌手や車、建築物などの様々な世界で生きる人たちとの関わりが増えてくる。

その中で「色彩や造形」という視点で強みを見出せるのが「デザイナー」という仕事だろう。

つまり、絵は好きで上手いけれど、勉強が苦手というタイプの人もデザイナーにはなれるが、例えば国立大学で美術系大学のトップ「東京藝術大学」は、一般的な地方の国立大学に合格できる学力も要求される。

それゆえに、一般的な私立系美大とは担うポジションが異なるのだろう。

もちろん、あくまでも入試の科目的な意味で、先を見越した私立系美大の学生も絵だけを学ぶのではなく、多方面の知識や技術にも強みを広げていく必要がある。

しかし現実的な話をすると、以前とは異なり誰でも簡単に絵を描くことができるようになった。

必要であれば様々なスタイルの絵がアプリケーションでできてしまう。

では高度な美術を学ぶ利点とはなんだろうか。

思うに美大などに残って「美術」を教え、自身も研究できる立場に就ければ価値も出る。

または、企業に入り、他職種との関係の中で「美術」を武器に活躍することもできる。

ただ、一般向けに美術を展開する場合、特に今後はそのギャップに苦労させられるかも知れない。

というのも、端的に言えば「デッサン」などできなくてもいいからだ。

見たままを描くことをデッサンの本質とするなら、「高性能なカメラ」と「トレース」技術で、習得された以上の精度が見込まれる。

つまり、「描ける」という立ち位置では、何も無いに等しい。

もっと言えば、美術に限らず、ある水準のポジションにならないと、急に趣味みたいな扱いになってしまうのだ。

令和版「13歳のハローワーク」で大切になることは、「人を深掘りする能力」ではないだろうか。

もちろん、医学や経済、農業や建築など、大学で学ぶそれぞれの専門知識は、「人を深掘りする」きっかけを与えてくれる。

こみち的には大卒と高卒の差があるとしたら、その手法身につけているかという点だと考える。

つまり、大卒でも大学に行った意味や意義を感じられないなら、その専門教育の価値を活かせなかったことになる。

また、大学に残ることを選んだ人材が、「大学教育」の意義を取り違えていたら、単純な知識だけを教えるだろう。

そんな大学に行ってしまうと、高卒者が自立や社会から学ぶように、同じように自分でどうにかしないと結果が選らない。

良い大学と評価されるポイントは、卒業した先輩がどれだけ社会的に活躍できているかだろう。

というのも、知識だけを集めても仕事にはならないから、どう変換させていけば良いのかまで早い段階で学べれば、自分の将来に必要な知識や技術に気づける。

そのために大学を選ぶという選択肢もあれば、あとは知識だけだからよりピンポイントで学べる専門学校が合っているという人もいるだろう。

もしも13歳に戻れるなら

インプットと同時にアウトプットの環境も意識しただろう。

ここでいうインプットとは、知識である。

そして、アウトプットとは、蓄えた知識を効率的に発揮できる環境である。

例えば、今ならサラリーマンや個人事業主となって仕事を貰うことがアウトプットにつながる。

また、YouTubeなどもその環境となるだろう。

ただYouTubeの場合、特別な専門性を深掘りするよりも、俗っぽい方が効率的にも思える。

例えばF1クラスのメンテナンス技術よりも、車好きが求める話題をいち早く扱った方が効率的だと思うのだ。

つまり、集まってもらえる分野で、そこに集まる人をイメージしたアウトプットに変換したい。

そこで予測し間違えると、思ったように結果が出ないことになる。

最後に爆弾発言をするなら、もう「職業」という概念そのものが成立しない時代でもある。

つまり、プログラミングが必要なら1年独学して思えてしめばいいし、学び方すら分からない分野ならSNSなどでその専門家にコンタクトを取ればいい。

彼らが使う基本ワードさえマスターすれば、深掘りは彼らをツールとして使えばいいのだ。

つまり、自分は目的を見つけることが仕事。

そのための手段を、13歳から20代の間に学ぶのだろう。