時代は変化している
昭和から平成、令和と年号が変わったことは知っていても、「時代」が変化したことで何が変わったのか気づいていませんでした。
例えば、「走ることが好き」という人がいて、毎朝欠かさずランニングをしていたとします。
「趣味」と理解することはできても、今の状態で「仕事」と理解することはできないでしょう。
ここで「昭和」を生きて来たこみちのような中高年は、どうしても今までの「時代」に沿って考えてしまいます。
つまり、「ランニング」は趣味で、仕事は別にあるもの。
時代の変化で少し考え方を変えるポイントがあるとするなら、「役に立つ」という遠くのテーマを決めて、その流れから「ランニング」を手段として捉えます。
具体的に言えば、中高年向けなら「健康」という視点でランニングの役割を自分なりに理解し、それによって同じ世代の健康に関心がある方向けに「ランニングの良さ」を伝えることを仕事にするのです。
というのも、「昭和」の時代には、本を出版するのも大変でしたし、増して「映像」を発信することなどテレビ番組でもなければできなかったでしょう。
しかし、今の時代、youtube やブログは比較的誰にでも手を出せるツールです。
言ってしまえば、「医者が病院で患者を診察する」という仕事は昭和からあったのですが、「医師になるための情報」というテーマであっても令和の時代には「仕事」にできる可能性があります。
つまり、「資格取得」ということも、「資格を持って仕事を探す」という昭和からあった流れの他に、「資格取得までの試行錯誤」さえも必要な人には有益な情報になり得るので、成功談以外に失敗談もまた必要とされることなのです。
そんな風に「仕事」を考えると、これから「陶芸」を始める人向けとか、「料理」や「掃除」のような家事でも、テーマの決め方や情報の集め方次第で、十分に趣味を仕事にすることができます。
現代における「専門性」の役割
こみちは介護福祉士の有資格者です。
介護現場を実際に3年以上経験すると受験資格が得られ、国家試験をパスすると有資格者になれます。
もちろん、介護系の学校で学ぶこともできます。
しかし、介護における「専門性」を考えると、理屈がどんなに正しくても、それが常に選択されるとは限らない現状に直面します。
つまり、老いは誰にでもやって来るものですが、その向き合い方は本当に人それぞれで、どれが正解ということではありません。
専門性を持つことで、逆に介護の奥深さも知るので、「絶対的な正しい」ではなく「選べる選択肢」が増えるに過ぎません。
これは命や健康、財産に直結するようなことでない限り、どんな資格であっても同じようなことが言えるはずです。
資格取得の大きな目的は、命や健康、財産を適切に取り扱う知識や技術を得ることだと思っていて、介護であれば利用者の事故などを防止するために知っていなければいけない知識を現場で活かすことです。
明らかに健康を害することを利用者の生き方だからと放置するのは介護士として適切ではありません。
全てを自分で解決できることではなく、他の専門職に声を掛けることも含めて、それが介護士が専門性を活かすことになります。
これから「生涯続けられる仕事」を見つけるために
時代の変化という視点では、既存のルート(資格取得をして仕事を探す)以外にもたくさん選択肢があるということ。
例えば、介護の資格などないけれど、今親の介護をされているなら、きっとその情報や苦労も必然とされている人がいて、「仕事」として提供できる可能性があります。
つまり、「生涯続けられる仕事」というと、何だか難しく聞こえますが、自身がこれまで当たり前に続けて来たことで、それを誰かが知りたいと思ってくれているなら、形の整え方次第で「自分だけの仕事」にできるでしょう。
言ってしまえば、国家資格である「介護福祉士」も、試験は対策さえ立てて臨めば十分に合格できるはずです。
それよりも、介護施設でそれまで経験したことがないような出来事に3年以上向き合うことの方が中高年には大変かもしれません。
今日、資格を取ろうと思っても「3年後」になるわけですから。
つまり、試験対策という切り口も必要とされていますが、3年間介護職で頑張って働く姿も同じくらい有益な情報ということです。
介護以外の分野であっても、今の時代に合わせた切り口を見つけられたら、それを「生涯の仕事」にできるかもしれないという話でした。