そもそも仕事って何だ?
引きこもりしている人の中にも、才能豊かな人は多い。
一方で働いている人の中にも、職場で問題視されている人もいる。
この事実は今に始まったことではなくて、昔からあったし未来にも変わらないだろう。
ずっと勘違いしていたことの1つが、「才能」と「仕事」がとても近い関係だと思っていたこと。
でも実際は、ほとんど無関係で、もっと言えば段階が違う。
才能があって、それを活かせる仕事もあるし、才能とは関係ないことを提供して働くこともあるからだ。
これは資格にも言えるけれど、例えば宅建の資格を取れば仕事が見つかるのではなく、資格を活かせる職場が見つかりやすいということ。
なので、結局は仕事探しも一歩を踏み出すことができるかどうかで決まる。
中高年の世代になれば、それなりに職場も多く見ていただろうし、キーパーソンとなる人やそのサブ、または関わるべきではない人も分かるだろう。
時には上司が仕事のできない人で、職場がパートで回っていたりすることも珍しくない。
しかし、パートが見ているのは日々の作業であって、上司が見るべきは会社の未来なので、その状況が長く続いていることに疑問を持つことも必要な時がある。
とは言え、まだ若い正社員が上司で、パートとして働く人の方が経験豊かなことも増えて、どうしても経験値でパートの意見が採用されてしまうケースも増えてしまう。
ただ、経験が浅いだけで正社員が目指すのは、もっと先の未来なので、日々の作業を終えることだけで満足してはいけない。
ここで言う「未来」とは何か?
これから時代を生き抜くためには、キャラクターという個性が求められる。
それは会社に対し、人に対し、商品に対し、至るところで求められる。
目の前に同業他社が作った商品が並んでいて、そこからどれかを購入したい時に、それぞれの商品が同じ割合で売れて行くとは限らない。
時には価格に差があって、安いと売れるとも言えず、高いから売れないとも言えないことに気づくと、どんな商品が求められているのかを見極めることが欠かせない。
つまり、正社員に求められるのは、この部分で、日々の作業でも「なぜそうするのか?」の答えに従っていなければいけない。
では個人的な意味での「未来」とは何だろう。
例えば英会話ができるとか資格がたくさんあるとか、それがあると未来が明るくなりそうなスキルを連想してしまう。
それも間違いとは思わないが、「一歩を踏み出す」ことよりも重要度は低い。
一方で、あの人に任せればきっと上手くやってくれるという期待感をどう相手に認識してもらうのかを意識することも忘れてはいけない。
それこそ日々の業務はどんな会社でもある程度は固定化されていて、その会社の総資産を2倍にすることを求められてはいないだろう。
でも個人という視点では、自身のキャラクターを作り、それを上手く活かして仕事を探すことになる。
「丁寧でミスがない」というキャラクターなら、そう思われるような仕事を続けることだ。
「斬新で面白い企画を出してくれる」というキャラクターなら、誰もがしていること以外に何が強みなのか考えることだろう。
そんな中で、初めて英会話や資格が出て来て、活かし方の幅を広げてくれる。
つまり「どんなことに応じられるキャラクターを作りたいのか?」ということ。
それが仕事探しの大前提になる大切なことではないだろうか。