「中高年の仕事探し」とは何だったのかという話

 「生涯続けられる仕事」とは?

今の時代、技術やスキル、知識は段々とさま変わりするものです。

つまり、「〇〇さえあればイイ」と明確に言い切れる「職種」もありません。

例えば、「絵を描く技術」。

昭和時代であれば、画材はいろいろあるにしても、基本は全てアナログで、手作業だったはずです。

今ではパソコンなどを使って制作出来ますし、作業の時間帯や場所という概念がなくなりました。

作業工程に関しても、何度でもやり直し出来ますし、サイズの変更や複製も一瞬でできてしまいます。

そして、そのような変化と同時に、AIによって「絵を描く」ことそのものが機械化されようとしています。

見方によれば、もう人間がデッサンをして絵を描くことさえ否定されたという言えるのですが、別の見方をするとだからこそ「人間が作る」意味も見直されました。

端的に言えば「絵」そのものに価値があるのではなく、「何で描いたのか?」とか「誰が描いたのか?」という理由や動機の部分がより大切になったのです。

結局のところ、仕事を金儲けという視点で見れば、需要と供給のバランスに他なりません。

ある作業をして、それが一般的な相場として判断される間は平均的な金額しか稼げないということ。

しかし、例えば店員として働く時でも、自身が売り場担当者になり、売上高に対してインセンティブを受けられるような場合、稼いだだけ儲けも増えることになります。

つまり「労働力」として相手任せで働いてしまうと「相場」から儲けられる金額も決まり、自身の考えやアイデアを活かして働けると「相場」ではない別の尺度で稼げます。

また、求人をいろいろと眺めれていると、仕事量はそう多くないのにほどほどに稼げるという仕事も見つけられ、やりがいを発揮して沢山稼ぐことはできないけれど、のんびりマイペースで働けるような職場もあります。

仕事探しは「楽に稼げること」が求められますが、その「楽」にもいろいろと種類があって、「何もしないこと」を良しとする場合や「自身を活かして」という場合もあり、結局は本人がどんな風に働きたいのかということでしょう。

カメラマンは楽な仕事でしょうか?

カメラを持って、いろんな場所に足を運んで撮影することを仕事としているカメラマン。

例えば自然の風景を撮影する場合、狙っている天候が来るまで「待つ」ことが仕事です。

シャッターを押すのは一瞬ですが、それ以外は極端な話「その準備」で「待ち」とも言えます。

しかもその一瞬で撮影した「結果」によって、カメラマンとしての価値が評価されるのですから、こみちなどからすると「楽な仕事」には見えません。

カメラが好きで、撮影が好きで、「待ち」さえも楽しめる人でなければ、カメラマンになりたいとは思わないでしょう。

でもこの発想は、他の職業にも言えて、サラリーマンなら「楽」という発想もよくよくその仕事ぶりを調べてみると、「決まった時間に決まったことをする」という難しさは拭えません。

結局のところ「楽な仕事」というのはなくて、自分がどんな種類のことなら我慢できるのかということでしょう。

エプロン姿で品出しをして時給で働くことと、スーツ姿で電車に揺られて日々の業務に追われて働くのを比べてもあまり意味がないように思います。

ポイントはその働き方で需要を拡大させられる可能性があるのかという部分。

たとえ時間給という出発点だったとしても、売り場の担当者になりインセンティブが得られるようになれば、一般的なサラリーマン以上に稼ぐことだって不可能ではないでしょう。

しかも、自身が調べて取り寄せた商品が沢山売れたりしたら、やはりやりがいもあるはずです。

一方で、待遇面はよくても、自身の受け持つ仕事が断片的過ぎて、顧客からの反応さえ分からずに行っていたのなら、やりがいを明確に感じることはできません。

「給料がいい」ということで不満がなければそれはそれでいいのですが、例えば時代が変わってその業務を機械化できるようになったら、ポジションを失ってしまう危険性は避けられません。

その意味では、「どんな資格を持っているのか?」よりも「何をすればいいのか?」という手応えを知っていることが大切な時代なのかもしれません。

例えば「料理」というカテゴリーで、人が作れない料理をつくことが守るべきことではなく、作り方のコツやアレンジなど、誰かの役にたつ(需要)を知ることで仕事になってくるのでしょう。

その意味では、中高年の世代こそ、何かを始めるなら結果が見えるところまで頑張ってみるべきです。

例えば、「自動車の免許を取得する」こと自体は特に珍しい経験ではありません。

しかし、そこからさらに「大型自動車免許」や実際にバスを運転してみるというところまで経験が広がれば、他の人にはないような視点が見つかるかもしれません。

「免許」という括りから派生できる価値観をいろいろと探してみたら、それは何かの役に立つかもしれないからです。

つまり、「難しいこと」ではなく「当たり前」から始めてもよくて、例えば「散歩」や「睡眠」だとしても、そこから何をどう広げて行けるのかが大切です。