「金運」はどうやれば上がるのか?という話

 初詣でおみくじを…

初詣に行きました。

実はその時にいつもとはちょっと違う感覚になりました。

というのも、今までなら「〇〇になりたい!」と願望ばかりを願っていました。

でも今年になって、「去年も元気に生きられてよかった」と思ったんです。

なぜって、自然災害も多いですし、年齢を考えれば病気やケガになる可能性も高くなっていて、ある意味で中高年は「生かされている」という意識がないといけないからです。

思い切り遊ぶなら悔いなく遊ぶ。働くなら真剣に仕事と向き合う。

そんな事を感じながら、時を過ごしたいと思いました。

おみくじで「大吉が出ること」以上に、初詣をして手を合わせられるという「今」にとても感謝しています。

「金運」を上げるには

ではなぜ「金運」を上げたいのでしょうか。

例えば10億円のお金を手にして、今まで我慢していた物欲を一気に解放させたら、もうそれ以上の暮らしはやってきません。

何なら、もう「努力する」という気持ちさえ失せてしまうでしょう。

お金を使い果たした時に、もう人格すら変わってしまっているので、そこからコツコツと働く生活に戻れるでしょうか。

そう考えると、安易に「金運」って上がらないようになっていると思うんです。

ではどんな時に「金運」が上がるのでしょうか。

それはきっと、「役に立つ」というキーワードに結びついた時でしょう。

「これができたら、みんなが喜んでくれる」ということなら、「お金」は最終的な目的ではなく、夢が叶う手段になります。

手に入れて使って終わりではなく、そこから夢が始まります。

きっとそんな流れができたら、「金運」も上がって来ると思うんです。

つまり、「金運」以外の努力をし尽くせば、あとは「金運」アップを願うだけ。

そこまで来たら、手を合わせてお願いしてもきっと話を聞いてくれると思うんです。

おみくじを引いて、例えば「凶」だったとしても、そこに「努力を尽くせ」と書かれてあれば、あと何が足りないのかも気づけます。

でもそんな過程もないままに「大吉」が出ても、それは「いい感じだよ」とやっぱり漠然と言われているに過ぎません。

何がどういい感じで、何が変わるのか?

まだまだそんな段階ではないので、きっとそんな風に声を掛けてくれたのでしょう。

夢を叶えて前に進みたいと思うなら、「多分ここを避けてはいけない」と思う面倒なことに気づくはずで、もしかすると今回は特に心配していることにならなかったとしても、それはまだ今の自分には荷が重くて回避してくれたのかもしれません。

何が起こっても、自身が納得できるくらい努力をし尽くしたら、あとはもう結果を待つだけです。

その時になって、初めて本当の結果が見えて、時にまだまだと跳ね除けられてしまうかもしれませんが、そのチャレンジを繰り返すことで先に進めるとも思います。

やはり、限られた「金運」を自分にも預けていいと思われるようにならないと、金運はやって来ません。

もう準備は万端ですか?

こみちはもう少し自分と向き合い、努力を重ねたいと思います。

昨年もいろんな意味でチャンスを与えてもらえ、少しずつですが成果を感じているので、今後も慢心しないで頑張りたいです。