「タイパが悪いという発想」と向き合う話

 「3分クッキング」は3分の放送ではないけれど…

実際、3分という調理時間で完結できる料理は、そう多くありません。

3分で食べられるカップ麺でも、お湯を沸かすところからでは「3分」は絶望的です。

言い換えると、「準備」、つまり事前に「お湯を用意する」ような、段取りをスムーズにするための策が求められているのでしょう。

タイムパフォーマンス(時間に対する満足度)が悪いこととして、例えば「会議」が挙げられます。

あるテーマについて話し合うためには、出席者それぞれがどれだけ事前に準備しているかが重要で、司会役がテーマを告げ、そこから経緯を紹介していたのでは参加者は十分な考えをまとめることもできません。

にも関わらず、とりあえずテーマに関する話題を順番に触れて、そこからさらに一歩二歩と踏み込んで行こうと思っても、参加者それぞれの関心度や問題解決能力によっては全く成果らしいものが見つからずに終わってしまうこともあり得ます。

つまり、会議が始まってから終わるまで、時間を掛けた割には成果に乏しい「タイパの悪い」ことになるのです。

「会議」というものが悪いのか?

会議で成果を上げるには、テーマに対する理解と情報が事前に収集されていなければいけません。

しかも、さまざまな点から現段階での落とし所を数パターンにそれぞれが絞り込み、会議では前置き部分を短くして、落とし所の相談だけに絞り込むくらいの準備が不可欠です。

そうしないと、集中力の持続が続きませんし、肝心な落とし所を検討する頃には会議全体がだれてしまうからです。

一方で、そんな会議はそもそも開催を取りやめてしまうとどうなるでしょうか。

結論を言えば、「正社員の仕事」と「パートやアルバイトの仕事」の違いが良い例だと思うのですが、「目の前の仕事をする」という部分は同じように見えますが、「その先に何を目指しているのか?」を当事者として理解しているかどうかではないかと思うのです。

中には、仕事ができるパートやアルバイトの人がいて、仕事の目的や今後の経営方針にも精通しているかもしれません。

しかし、残念ながらパートやアルバイトとして働いている状況では、会社側としてより経験を必要とする仕事を任せ難く、またパートやアルバイトの方にすれば、それだけ厳しい状況を乗り越える業務を今までと同じ報酬で担うことに抵抗を感じるでしょう。

言い換えると、プレーヤーとなる正社員という立場が、責任と成果のバランスを得られるポジションで、ある意味で仕事ができるか否か以前に「準備」として整っていないと、より高度な仕事は始められません。

これは先に挙げた「会議」と似た構造で、立場という準備がなければ、実際の仕事ぶりを正確に判断し評価することもできません。

会議では、話し合いたいポイントにできるだけ早く参加者全員が行きつき、何がどう問題になっていて、その解決策は何が思いついて、その成果や問題点を相互に理解した中で、それぞれの立場から意見交換したいはずです。

なので、「そもそも会議を行わない」や「正社員もパートもアルバイトも同じ」という括りにしてしまうと、結果的に今の仕事さえ失ってしまいかねません。

ある日突然、雇用が打ち切られてしまうということは、どんな労働者にとっても避けたいこと。

でも、現場の仕事を覚えて、繰り返すだけの業務になってしまうと、その方法が不適切な場合でも、改善策を検討することが難しいこともあります。

そして、何も出来なかった結果、「雇用打ち切り」という流れに陥ってしまうのは何とも納得できないでしょう。

「タイパが悪い」ということだけでは、世の中のことは分からなくて、無駄という経験をどう活かせるのかが良い結果にも通じます。

そして何より、それを実践できるポジションでなければいけません。

現状を分析し、予測するだけではなく、集団を誘導する仕掛けにも着目することで、「タイパが悪い」という結論を「タイパが良い」に変えられるかもしれません。

しかしそれも、先ずはそのポジションにいるということがスタートだと言えます。