請負の仕事をして来たけれど
実は最近、生活費を稼ぐためにしていた請負の仕事から手を引きたいと思っていました。
もちろん、どうやって生活して行くのかということ大切な問題はありますが…。
そんな中、取引先の社長に声を掛けられ、新たな仕事を受け持てないかと打診がありました。
作業内容も報酬も明かされない探りのような会話だったのですが、前向き考えてくれるのなら時期を改めてもう少し深い話をしたいというのです。
どうすれば良いかなぁと思いながら家に帰ったのですが、買ったばかりのフライパンの中に、古いフライパンが重ねられているのを見て、何か切なさしか感じませんでした。
最近のフライパンはフッ素加工などが施されてあって、表面の状態何よりも大切です。
にも関わらず、買って早々に重ねてしまうという状況は、ちょっと残念というか、今日の職場で担当したクズみたいな仕事を思い出させます。
クズみたいな仕事
我々は生きて行くために稼がなければいけません。
時に意味や価値の乏しい仕事もあります。
しかし、理想を言えば、たとえ儲けが薄くても、自分らしく生きられたり、誰かの役に立てていたりできる仕事は、決してクズなどではありません。
ところが、価値の乏しい仕事、発展しない仕事はクズな仕事です。
なぜなら頑張りようのない仕事は、それこそ人生の残り時間が少なくなった中高年、こみちのような人間は避けなければいけません。
それこそ報酬がいいと言うなら違いますが…。
勝負に出たいと決断を迫られる!?
何ができるのかという段階ではなく、何かで結果を残すことに期限が切られた感じです。
社会から話をもらえたことはありがたいことですが、じゃあそこで頑張るべきかというと、それは生活費を稼ぐため以外には選択する価値は感じません。
というのも、その会社の業績が落ちているのも、何となくですが分かります。
こみちが個人で何かしたいと思う時に必須となることと同じ感じだからです。
だから、その会社で頑張り結果を出せるなら、個人でしても同じことで、結局はやるべきことに変わりはありません。
ただ、妻の負担を解消するためという理由を最優先にするなら、社長の話次第では考える余地もありそうです。