中高年の気づき「認知症」を疑う!?
最近、物忘れが酷くなったと感じることはないだろうか。
こみち自身は、「戸締まりしただろうか?」「火の元は閉めただろうか?」と、不安になって再確認することが増えた。
考え事をして家に入り、「車の鍵って閉めたか?」とまた戻ることもある。
確かに記憶力が低下し、特に高齢者の特徴でもある「両立」が段々と不得手になっていると感じるが、それはまだ「加齢」の段階だろう。
40代くらいから感じ始める加齢の特徴は、精神的なストレスに弱くなることだろう。
いわゆる精神障害だけでなく、感情をコントロールしたり、集中力をキープしたりと、気持ちを目的や目標に合わせて保つことが辛いと感じ始める。
例えばこみち自身、好きな絵を描く時でも、集中力を維持する時間が長くなると、身体に強いストレスが掛かる。
爪を噛んだり、手で身体を摩ったり、髪を触ったりする。
以前はそんなことをしなかったし、割と集中力はあった方だ。
でも、そこはもう中高年。
「したいこと」が分かっていても、そこに意識を集中させることが苦しいと感じる。
「認知症」を知っていますか?
介護福祉士のこみちが知る限りで言うと、「認知症」は脳の機能障害だ。
つまり、「心」という部分が変化したわけではなくて、「脳」と介して伝わる情報が別のものになってしまうこと。
だから「今は何時?」と思って時計を見た時、まず「時計」そのものがどこにあるのかから始まる。
さらに言えば、「時計」は見つけたとしても、「時刻を読める」かはまた別問題。
アナログの時計なら、長針と短針の位置で時刻を読み取る。
でも、その読み取り方を忘れたり、数字が理解できなくなっていると、残念ながら時刻は分からない。
きっと最初の頃は、「私には時刻が読めない」というよりも、「あの時計、何だか変だ」と思うだろう。
実際、認知症の高齢者は、トイレの場所が分からなくなるし、トイレに入ってもズボンを脱ぐことができない。
理由はとてもシンプルで、「何をすれば良いのか?」の答えに戸惑ってしまうからだ。
壁に向かって用を足してしまう。ゴミ箱に跨ってしてしまうということもあったが、本人としては少し疑問を感じつつも、「トイレってここだったか?」という認識なのだろう。
「それはティッシュの箱です。ケーキじゃないですよ!」
「エエ!? 違うの?」
嘘みたいに思うかもしれませんが、「箱に入ったケーキ」がかつての暮らしと密接だった人は、ティッシュの箱をケーキの箱と誤認することがありました。
「違いますよ」と伝えれば、「間違えた」と笑ってくれる人もいれば、「嘘だ! 独り占めするつもりでしょ!」と疑う人もいます。
笑ってくれたら、なぜ間違えたのかを根掘り葉掘り質問するより、こみちは軽く流してしまいます。
ただ疑われた時には、実際にティッシュの箱の中を確認してもらい、「ケーキ、入ってないでしょう?」と見てもらいます。
「本当に無いね」と状況を理解してもらえれば、笑ってくれた人と同じで、もう流して次に移ります。
でも「じゃ、ケーキはどこなの?」という話になったら、改めてケーキについて質問します。
「ケーキは何個あったの?」「誰かにもらったの?」
そもそもあるはず無いケーキですが、「ケーキなんてありません」と伝えても、そこにズレがあるのが認知症なので、どんな風に理解しているのかを確認する意味でも、雑談の中で質問を折り込みます。
記憶している認識が曖昧だと感じた時は、「もしかして、これから持って来るんじゃない?」という流れもあります。
つまり、現時点では「ここには無い」と納得できますし、本人としても情報に整理ができるからです。
認知症の種類によっては…
被害妄想に結びつきやすい場合、少しの対応のミスをきっかけに本人を激しく怒らせてしまいます。
「おはよう」と伝えたとしても、「いつまで寝ているの!」と聞こえたら誰だって嫌な気分になるでしょう。
「いい天気ですね!」とカーテンを開けようものなら、「勝手にしないで!」とさらに怒らせてしまうのです。
暴言や暴力行為が激しく、家族では応じきれない時は介護施設を利用するといいでしょう。
介護施設にはいろんな経緯で認知症になった方々がいて、介護士はそんな彼らといつも一緒にいます。
「もう帰る」と言い出す人には「あれ木曜日ですよ。息子さんの塾は休みの日じゃないですか?」と本人が帰ると言い出した原因を踏まえた問い掛けから始めます。
それでも落ち着かないので、「そうだ! 息子さん、会社の帰りに顔を出すから待っていてって言ってました。来るまで待ってましょう」
とさらにここに居る理由を共有します。
このように、認知症になると、情報のくみ取り方が変わってしまいます。
しかし本人の性格や感情の反応が変わる訳ではありません。
つまり、本人にすれば「今はどんな状況なんだ?」という感じになるのです。
なので接するときは、何より本人目線で接することが大切。
興味深い経験としては、こちらが心から伝えた気持ちが届き、「危ないでしょ!」と言った時に「ごめん」と真剣に言ってくれたりします。
その時、本人の頭の中では何が危ないのかを理解したのではなく、「助けてくれた」という状況を察して言ったのでしょう。