中高年の闇 「思いやり」はどこから生まれるのか?

 それって「発達障害」なの?

「発達障害」とは、身体的な側面よりも精神的な側面での「成長」が滞っている状況を指します。

介護士の視点から説明すると、脳の成長が通常の成長と比較して異なる状態があり、例えば年齢から判断して想定される注意力や学習姿勢、言葉の発し方などに「差」が見られます。

具体的には、「この場面でそれをするの?」と周りが感じてしまう状況は、本人にとっては特別なことではなくても、周りからは少し違和感に感じてしまったということで、その言動の理由や根底を探すと「発達障害」という心理的な要因が疑われるという話です。

この記事を書きながら、実はこみち自身、「あいみょん」さんの「マリーゴールド」という曲を聴いたいました。

その歌詞に「もう離れないでと泣きそうなキミが…」という部分があるのですが、介護士的には「依存性」が思いつきます。

これは「発達障害」と診断されない人でも、程度問題として持っている特徴でもあって、「惚れやすい」とか「すぐに相手を好きになってしまう」とか、「いつもそばにいて欲しい」とか、恋愛では情熱的なフレーズですが、それが起こってしまう要因は「脳の性質」と大きく関わっているとも言えます。

「思いやり」がどこから生まれるのか?

子ども時代、親や周囲の人から「優しさ」をしっかりと与えられていない人は、大人になって「思いやり」が持てないのでしょうか。

「優しさ」も学習なのだと考えれば、それを教わっていないのなら、できなくても仕方ないでしょう。

しかし、実家にいる時にはなかった習慣や生活スタイルが社会人になって一人暮らしを始めて身についたという経験があるように、「学習」は子どもの時だけのものではありません。

大人になっても、一般的に想定される行動が取れない場合、それは「発達障害」が関わっているのではないかと疑うことができます。

誰かに料理を作る。

普段なら、それを受け取った人は「1」嬉しく思います。

一方で、何か特別な状況、例えば誕生日とか、疲れている日とか、頑張ったと褒めて欲しい時など、受け取る側の心理状態が普段と異なる時に、同じ「優しさ」だったとしても受け取り方が変化します。

つまり、「転びそうになった相手にそっと手を伸ばして支えた」という行為は、思いやりを感じやすい状況なのです。

意図的にそんな場面で、あざとく「優しさ」を演出するのもどうかと思いますが、疲れているから「お風呂を沸かして用意する」というような行動には「思いやり」があるでしょう。

一方で、発達障害が見られる人の場合、誰かが誰かのために用意した料理を、勝手に食べていたりします。

「どうして食べたの?」と責めても、「一口だけだ」というような返答があるでしょう。

「思いやり」は行動から発生した「心理的なもの」なので、「一口」かどうかではなく、相手のために用意したものなのです。

しかし、理解が不足していると、「まだ残っている」という物質的な面で理解され、時に指摘された意図がわかりません。

時々、「なぜそれを?」という状況を目にしますが、その人にとってはわざとではなく、「状況」を察することができないだけかもしれません。