在宅介護の難しさはどこにあるのか?と言う話

 入浴が困難になった父親!?

一日中、テレビを寝転んで観ているだけの父親。

以前、家族で決めた家事もサボりだし、よちよちと歩く姿を見てもそれなりに活動レベルが低下しているのかとも思っていました。

ただ、あるタイミングでそれが演技で、父親は家族に心配されて注目されることが幸せに感じるタイプだと気づきました。

こみちはもう気づいていたのですが、母親も妻も父親が一人で入浴し、そこで転倒などがあれば危険だと心配していて、手すりの接地や浴槽の出入りで使うボード、滑り止めシートなどを準備しました。

ところが、今日、入浴した父親が、「オレ、コレ(ボード)なくても入れるぞ!」と言って、浴槽を上手に跨ぐことができました。

母親も妻もそれを見て驚いたのですが、父親は二人を見てどこか嬉しそうです。

とは言え、一連の準備や打合せ、手間などが休日を割いてやりくりして実現したのに、その大変さを父親は一切理解しません。

と言うか、理解できないのではなく、注目される快感の方が上回っていて、まわりの苦労に注目が行って欲しくないのです。

結局、8000円くらいしたボードは一回も使われずに撤去され、場合によっては浴槽に浸かるのに少し高さのあるイスを接地した方がいいのではないかとまで話が進んでいたのも白紙に戻り。

こみちとしては、在宅介護にこだわってなくて、一人で入れない時点で、デイサービスで入浴すればと思っています。

母親に入浴時の見守りを頼んでも、肝心な時にどこかに行って介助していなかったりで、介護の必要性を全く分かっていません。

これは、転倒で頭部の損傷や大腿骨の骨折が起こると、入院になってしまうので、今の状況を考えても退院して在宅に戻るのではなく、老健のような施設に入ってもらうこともあって、それはつまりそのまま特養ホームへと進み、もう在宅には戻れないルートも十分に起こり得ます。

それを望んでいないのが分かるので、予防策として手すりやボードなのですが、父親は「オレ、できるだろ!」と用意された環境下で、自慢アピールすることに喜びを感じます。

ところが、以前から分担を決めた家事は、注目もされないし義務になっているので、父親はしたがりません。

「スゴいね!」

と家族に言われてならできると言う面倒な人なんです。

一方で、ボードの扱い方や入浴の方法を事前に母親に説明したのですが、説明が始まるとため息ばかりついて「難しい」とか「ムリだよ」と繰り返します。

「でも入れないとデイサービスだよ」と言うと、また大きなため息で無理難題を押し付けられた被害者になってしまいます。

自分たちではできない。

助けて欲しい。

そして、自分たちが頭を下げるのもしたくない。

そんな雰囲気ばかりアピールするから、厄介なんです。

体裁ばかり気にしているのに、それに見合う努力や工夫は全くしない。

よちよちと今だって父親は歩いていますが、もうそれで心配しても仕方がありません。

見ていない時にはもっと普通に歩けるので、「歩けないのに頑張っているオレ」をアピールしているだけでした。

こみちには気づかれているのが分かっているので、父親は母親や妻に言う時と反応が違います。

世話されることが好きで、でもそれを誰かに恩返ししたいとも思わない。

父親は、そんなタイプのナルシストさんなんです。

転倒して在宅が困難にならないと、結局は何も変わらないので、あれこれと心配しても意味がありません。

なぜって、父親は努力しないので。

そう割り切らないと、こみちのメンタルの方が先に病んでしまいます。