「本当に頭が良い」ってどんな感じですか?と言う話

 「処理能力」

例えば1分間で、英単語を1000個記憶できたら、頭が良いと思いますか。

10桁の数字を瞬時に計算できたら…どうでしょう。

それらはつまり学校のテストで高得点が取れるようなタイプの頭の良さを指しています。

でも、社会人になって思うのは、学校での成績と社会人としての能力って少し評価が違う気がしませんか。

高校までの能力はいわゆる学校のテストの成績で、大学になると人脈なども上手く活用して収集する能力も問われます。

さらに社会人になれば、立場や利害関係も加わり、その中で正解を導き出さなければいけません。

つまり、「脳」も処理能力だけではなくなります。

最も難しい問題

例えば、切迫した状況下で、同時に行うことができない場合に、何をするべきかを決断しなければいけない時、それが人間として最も難しい問題でしょう。

つまり、「正解」だとしてもどこかでは切り捨てた部分があって、またその切り捨てた部分の量が多いか少ないかでも正解の決め手とはならないような場面に直面した時です。

例えば、能力的に100キロの距離を走れるランナーがいて、今から100キロを走れますか?と言う問題なら、きっと答えが出せるでしょう。

それが200キロになったとしても、走り方を工夫すれば克服できるかもしれません。

では、「この人と一緒に」っと、全く走ったこともない人とペアを組ませたらどうでしょうか?

もう100キロを走れる能力はどこかに行き、「この人」をどう走らせるかが問題になってしまいます。

もっと言えば、「雨濡れながら」と言う条件まで加えたら、人間が天候を決められない以上、自分だけでは解決できない問題になってしまいます。

つまり、「頭が良い」と言う話も、記憶や計算のようなコントロールできる範囲内では意味がありますが、それを超えた部分ではあまり意味がありません。

社会人に問われることって、超えた領域がほとんどで、電卓やメモすることで計算や記憶はカバーできたりします。

部下を持ち、その中から誰かを地方に異動させることになって、それを誰にするかを決めなければいけないとして、自分ならどう考えて「答え」を出すでしょうか。

例えばAIに相談して、「この人です」と言われて、その理由も聞けたとして、そこで納得できるかがポイントです。

「それっぽい」ことなら、情報や経験で導き出せますが、もっと深い話になると、個別に判断し、時には犠牲もありますし、悪者になることも覚悟しなければいけません。

苦渋の選択だったとしても、その苦渋を受けることになった相手は、その時の判断を忘れることはありません。

それだけ重い決断を迫られた時に、「頭の良さ」で克服できる部分がどれだけあるでしょうか。

そう考えると、本当に頭が良いとは何か分からなくなりました。

とは言え、「頭が良い」と言う認識ではなく、「最も大変な決断をされている」と思う人がたくさんいて、彼らの存在に心強さを覚えて、勇気づけられています。

「っぽい」が多くて、でもよくよく知ると大きな部分を完全にすっぽかしていたりして、「それじゃ意味ないでしょ?」と思うことがあります。

みなさんはどうでしょうか?