ナルシストな父親の本当の姿を見てしまった話

 ナルシスト(自己基準しか無い人)の行動を理解するために

加齢が原因で歩行力が低下し、玄関先で転倒した父親。

また日常生活でも「老いたなぁ」と感じさせる歩き方で、室内での移動でも杖を使い始めました。

そんな姿を見て、家族は家事を頼むこともなくなり、毎日自分らしく過ごしてもらえればと考えるまでになったのです。

とは言え、同じタイプの母親は、糖尿病の父親にも関わらず、甘いものやジュースなどを「お腹が空いてないの?」と聞いては与えます。

ある意味、ストイックに食事制限をしても、根本的に父親の糖尿病が治るとは考えられません。

しかし、寝た切りになったら母親が父親の世話を担えるのかというと、意外とあっさりした一面も見せます。

つまり、母親もナルシストなので、客観的にするべきことを察することが苦手です。

いつも母親の言動はその場で思いついたことをしているに過ぎません。

だから、「お腹空いてそう」と思えば、甘いものでもジュースでも求められれば応じるのです。

そんな母親の対応に慣れてしまった父親も、「自分は大変な立場」と言う悲劇のヒロインを演じて、周囲から温かい声を欲しがります。

でも、ルーティーンになってしまうと、できて当たり前で、できていないと責められます。

だからそんな立場になることをいつも嫌がります。

何もできないはずなのに、頑張ってしている父親。

そんな風に家族に思ってもらいたいのです。

生ゴミ用のバケツを庭まで取りに行くことが父親の家事でした。

でもしたりしなかったりで、最近はほとんどしていません。

とは言え、父親は歩くのも大変と家族が思うようになり、できていない時も怒ったり責めたりしなくなりました。

そんな状況になって、大人しくしているのかと思ったら、父親はスタスタと庭まで歩いて行きました。

軽快とは言いませんが、ふらつきがあるなら絶対にそんな大変なことはしません。

でも見てしまったんです。

玄関の段差も手を使わずに登って、こみちが振り返った時に歩き方がいつも通りになりました。

そう、演技しているんです。

もちろん、いつもいつもはそこまで動けないと思うのですが、まだ調子がいい時はそれくらい歩行力があるのです。

完全に誤認していました。

一方の母親は、朝用の食材を買うことができません。

と言うか、今朝も無くて、夕飯の用の食材を使いました。

そうすると母親は「買わなくてもどうにかしてくれる」と学習し、買いたい時に朝と夕方の食材を好き勝手に買い出します。

つまり、母親も義務を担うことが苦手で、誰かにサポートされつつ、気ままに行動したいのです。

朝食用の食材を入れるチルド室に納豆しか入っていません。

それをわざわざ確認して、「買い物は明日でも大丈夫だね」と何も気にしない父親に話しています。

これも母親の手口なのですが、父親に言っているのではなく、聞いているであろうこみちに促しているのです。

でもそれをクセづけると、本当に母親は自由気ままなことだけをして、尻拭いを放棄する人になってしまいます。

父親が演技かもしれないとしても、こみちや妻がいると困っている時でも意外なほど心配はしていません。

何なら黙って自分の部屋に戻ってしまうくらいです。

「誰ができるか?」ではなく、「お父さんは私の旦那さん」と言う立場を理解していないのです。

できなくても、最後まで心配するのが妻や夫のように思いますが、父親も母親もそこが全く感情として抜け落ちています。

父親は母親が大変でもテレビを観ていられる人ですし、母親も父親が大変でも自分の部屋に行ける人。

それにしても、あんなにも父親が普通に歩けるとは思いませんでした。

すっかり騙されていました。