丘から見える海
自然豊かな丘に小さな家を建てました。
窓を開ければ、そこには水平線まで見渡せる海が広がり、すぐに自然を感じられます。
私は三脚を立てて、いつものようにカメラを海に向かってセットし、ライブ配信を始めます。
ライブと言っても私は何も話しません。
カメラには映らない脇にいて、ウクレレを奏でているだけです。
ライブ配信は15分程度。
正確に時間を決めている訳ではありませんが、お気に入りを何曲か演奏して、「また明日」と書いたボードをカメラに差し出して配信を終えます。
誰が見ているのか、どれくらい見ているのか。
それを期待して始めた訳ではありません。
都会を抜け出し、仕事も家族も失って、ここに一人でやって来たので、少し寂しかったからです。
ロケーションが気に入り丘の上を選んだのですが、実は意外と風が強かったりします。
カメラの映像では伝わりませんが、洗濯物を干せない時も多いのです。
しかも自然を求めて人里離れた場所を選んだので、電気を通す工事費も思ったより掛かりました。
ゴミ出しの時は車で運ばないととても歩いては出せません。
買い物だって車を使いますし、嵐が来ればずっと窓がガタガタと大きな音を立てています。
でもそんな苦労をカメラでは伝えません。
なぜなら、時時来るコメント欄に「癒されます」とか「羨ましいです」と書いてくれるからです。
実際、私は窓を開けて、ウッドデッキの端に腰掛け、そこから夕日を眺めるのが好きです。
美しいのはもちろんですが、自然に包まれている感覚を全身で受けられるからです。
時々、勤めていた会社の同僚たちを思い出して、今もパソコンに向かってキーボードを叩いているのかと想像します。
サラリーマンって何だ。
社内の歪な構造が嫌でした。
なぜアイツが昇進し、別のアイツが異動になったのか。
一部始終を話せたら、きっと立場は逆だったはずです。
でも、今更そんな話をしても誰も聞きたくないでしょうし、地方に飛ばされたアイツだって望んではいないでしょう。
この丘に立つ家に住み、真実などあまり重要ではないと思うようになりました。
全部を知って落胆するくらいなら、良いところだけを見て癒されればいいからです。
その方がずっと幸せですし、現実に戻ってまた頑張ろうと思えるでしょう?
結局はどこにいても不幸。
そう思うよりはずっとマシです。
演奏を終わりました。
「また明日」のテロップをカメラに差し出します。
ライブ配信を切り、コメント欄に目を向けました。
「いつも癒されます」
時々コメントを寄せてくれる人。
感謝です。
今、海風を感じました。
これから朝食を作ります。