「時間」に逆らうと人間はどうなるのだろう?という話

 「時間」は一定方向に流れるものなのか?

過去があって、今があって、未来がある。

タイムマシンがあったら面白いと考えた子どもも頃、ふと思ったのは過去に行った自分が何歳になるのかということ。

というのも、平面(二次元)の世界で生きていると、立体(三次元)の世界は見る部分と見えない部分があります。

つまり、三次元でジャンプした時、高さという感覚を持たない二次元の人は「消えた」とか「停滞」して見えるはずで、でも三次元の人は当たり前にジャンプしているに過ぎません。

そこから連想すると、我々は時間に対して過去から未来へと一方向に進む中で生きていて、仮に過去に行けたとしても肉体も過去に戻り、生まれた時よりも過去になるとそもそも存在しない可能性があります。

一方で、過去に戻っても今の時間軸のままであるなら、急に老けた人は今とは異なる世界を旅していたのかもしれません。

メルヘンな世界では、寝ている時の夢はそんな異次元への旅だったら面白い話です。

いずれにしても、人間が時間軸に縛られていて、自由な選択権がない以上、未来にも過去にもジャンプ移動することは不可能になります。

ただ、冷凍保存のような技を使って、肉体の老化を低下させることができれば、一般的な老化よりも遅らせることができるので、10年後や30年後に解凍すると肉体はそのままで未来に移動することはできるでしょう。

とは言え、「ああ、未来ってこうなんだ」とわかっても、もう過去(本当なら今)に戻る術はありませんが。

また、現時点で思う過去に戻れた時、それはもう未来の今も変わっているので、今思う時の過去には戻れません。

例えば、日本ではなくアメリカで暮らしている過去を思うということは、未来である今、アメリカでの暮らしを思い出にできているはずなので、思い出にできない時点で過去にアメリカには行かなかった未来を辿っての今だというとことです。

言い換えれば、アメリカで暮らし、今アメリカでの思い出を感じられる自分がパラレルワールドにいて、でも自分と今の自分は会わないので、やはりそんな過去があっても今の自分では感じられません。

この感じられないという感覚は、最初の二次元と三次元の違いみたいなもので、そこにいる限りは認識できない領域の話をしているということで、でも全く存在しないのかというとそうでもなくて、言えば未来にも過去にも行けるけれど、今の自分には認識できないということでしょう。

つまり、こうだっだらと思う人生を生きている自分が別の世界線にはいて、今の自分はそんな幾つもある世界線の1つを辿る人生だったということ。

そしてこの先も選択によってさらに異なる世界線があって、どれを選ぶかは未来を決めることでもあります。

残念ながら人間は時間に逆らえない存在で(厳密には逆らえても認識できない)、未来を選ぶことしか許されていません。

「過去のあの時に!」という世界線を生きている自分もいるのですが、もう今の自分には戻ることができないだけです。

そんな風に過去や未来をイメージしたら面白いですよね。