「ナルシスト」なタイプの人との付き合いが大変な理由

 「ナルシスト」=「自分基準な人」

ナルシストなタイプの人は、自分の基準がとても強く言動に表れます。

別の言い方をすると、「周囲の状況」も都合よく解釈して自分の言動を正当化しやすいと言えます。

例えば、借り物を壊したという時、普通なら「壊してしまった。ごめんなさい」という感情になるところでも「借りた時から壊れそうだった」と最初に言ってしまいます。

確かに違和感を覚えたのが正直な感想かもしれません。

でも、借りた時に「これ大丈夫かなぁ?」と保険をかけたなら話も分かります。

しかし壊した後になって、「壊れそうだった」という感想はもう重要ではなくて、最初は「ごめんね。壊すつもりじゃなかったんだけど」となるでしょう。

何も壊されてもの凄く怒りたいという話でもなくて、それこそサラッと「ごめんね」でいい話です。

そこを他の何かの理由にしてしまう態度だと、「え?」となってしまいます。

保険の見直し

昨日、家に保険屋が来ました。

今まで両親が入っていた保険の更新と、見直しを兼ねて相談したかったからです。

何社かバラバラに入っている保険の見直しをしておきたくて、事前に母親に証書などを探してもらいました。

そこでも面倒なことはありましたが、どうにか書類も揃って、重複したものは整理し、今後必要になるものは新たに相談したいと思ったからです。

こみちも几帳面な性格ではありませんが、両親もそうで、せっかく加入していても自分たちがどんな保険に入っているのか、あまりよく理解していませんでした。

「生命保険に入っている」

それだけではあまりに漠然としていて、少なくともどんな時にどれくらいのお金が貰えるのかくらいは知らないと、必要になっても請求することさえできません。

ナルシストとの付き合いが面倒なのは、保険の見直しのように手間なことって、自分の分でも億劫です。

でもしないと入っている意味がなくなるので、自分なりにファイルにして、何かあればまずそれを見て考えられるようにしておきたいものです。

整理整頓ができないというのは、棚の中をキレイすることだけでなく、そんな書類をまとめて保管することも含まれます。

ところが、両親はそれを全くしていません。

そして何より、その手伝いをした時に「ありがとう」とも感じません。

なぜか当たり前に思って、好意を受け取るような感覚です。

家族だとしても「本当に助かった。時間を割いてもらって悪かったね」くらいの言葉が出ないものでしょうか。

書類を探して、保険の営業マンに質問できる程度に調べて、実際に話を進めて両親の意向を聞きながらまとめる。

できるかできないかではなく、できないなりに誠意の見せ方があるように思います。

「これで買って来い!」

父親がかつてお金を投げて渡したことがあって、ケンカになりました。

親子だとしても、お金を拾わせるのはどういうことかと。

そんな態度って忘れたりしないもので、やはり腹立たしさは今でも消えません。

そして今回の見直しでも、受け身を全面に出して愛想笑いしているだけです。

一方で、ことが済むと態度が変わり、保険の見直しで時間がずれ込んだから「弁当を買ってくるね」と伝えた時に、「ご飯、まだたくさん余っているよ」っと。

弁当代を出してくれる訳でもなく、買ってくる訳でもなく、でもお米が残っていると指摘する。

いつも残ったご飯は翌日の朝、こみちが食べています。

みんなには朝に炊いたご飯を食べてもらっているのに。

「残ったご飯、食べたことある?」

そんなこと質問しませんが、物を壊した時の反応と同じで、指摘するポイントがいつも違います。

言わなくてもいい話か言うべき話かが区別できずに、肝心な時は笑っているだけで、言わなくてもいい時に限ってイラッとさせることを口にします。

それだけ状況を把握していないからなのですが、年老いてしまうとできないことが増えるし迷惑も掛けるからせめて「感謝」をしようとでも思ってくれたらいいのですが、「当たり前」にしてしまいます。

負い目を感じたくないからかもしれませんが、老いるとはその負い目を感じて、優しさを再実感することだと思うんです。

「感謝。感謝」という高齢者がいましたが、その気持ち、よく分かるんです。

できるとかできないではなく、わざわざ自分のために時間を割いてくれたことを当たり前に思ってはいけません。

「ありがとう」

それだけ言えたら、もっと人間関係は良くなるはずです。

でもそれを言いたがらないのがナルシストな人の特徴です。