『正しさ』を求めるには準備が必要!?
何を持って「正しい」とするのかは別にして、「正しさ」が次の一歩に繋がることは信じていたい。
例えば、カレーを作る時に「カレールー」がないとそもそもカレーにはならない。
同じようなことが世間にもいっぱいあって、「次のステップ」に気づいているからこそ、現状の打破に焦ったりもする。
しかしながら、焦りとは裏腹に改善の見えないことも多く、そこにストレスを感じたり、自暴自棄になったりと信念を貫くことが難しいことに気づく。
今までを振り返って言えるのは、いきなり「正しさ」を求めないことだ。
つまり、理想だけを肯定しても、多くの場合は理想と現実が乖離してしまう。
そして、愚痴や投げやりな行動になってしまい、結局は自身も身動きが取れないまま停滞してしまう。
どうせダメになるのなら、「正しい」を追う前に「環境の改善」「準備」に目を向けてみよう。
完璧な球体のような理想ではなく、少し歪で尖った部分もある現状で、補われていない部分を準備に時間を掛けてフォローするのだ。
いい所はそのままでも評価されるし、結果にも繋がるから、焦って強みを誇示しなくても大丈夫。
つまり、「〇〇でなければ!」という考えは今は要らない。
「準備」が整えば
弱い部分、まだ十分に満たされていない部分に手を加えることは、いろんな意味で大変だ。
何より、旨味だけを摂取する人が出てくる。
でもそれを完全否定したら、自身が思う準備さえ整わないだろう。
極論を言えば、自身の一歩を求めるなら、その一方で納得できないことを丸ごと受け入れるしか方法はない。
それに「準備」さえ整えば、思っている理想に一気に近づけるし、夢が叶うということも起こる。
環境が変化したという実感を得て、さらに次の準備へと取り掛かろう。
周囲の環境が変われば、以前気になっていたいろんなことから解放されて、別の状況に変わっているだろう。
不満を我慢するだけではなく、かと言って不満を全面的に否定してもいけない。
「準備」さえできれば、次に進めると思って、理想のような「正しさ」よりも、目の前のことに目を向けて動いてみよう。