得意になれなくてもいい
両親との同居を始めて、どれくらいの年月が経つだろうか。
理解したいと思った時期もあったけれど、もうそんな気持ちはなくなった。
今は距離をおいて、できるだけ関わらないで、それぞれが生きられたらと思うようになった。
「これだけはやめてほしい」
そんな願いさえ、1つも守ってくれない。
「なんでなの?」
関わりたくないと思ってからでも、嫌なことをされた時には、そんな風に理由を聞いたこともあった。
でも返って来るのは、いつも同じ。
母親はど天然だ。
こみちも天然だと人に言われるけれど、それが嫌で仕方ない。
なぜって、状況や立場を無視した行動をする母親を見て、本当に合わないから。
嫌なことだと教えても、母親なりの理由で全て行動する。
「使わないでと言ったよね!?」
「だってあるんだもん」
問いに対する答えになっていない。
こみちの問い掛けが何だったとしても、母親の返事は「あるんだもん」なのだ。
見えるところにある限り、手に取った限りは好きにする。
つまり、こちらの気持ちやお願いは受け入れてもらえない。
父親は短気な性格で、でも根っこは我慢強い。
忍耐力があるということではなく、誰かが嫌なことでも「やり遂げるしかない」という状況で、絶対に手を挙げられないタイプだ。
誰だって嫌に決まっているけれど、それをしないともっと後で面倒なことになると思うから、みんな渋々でも腰を上げる。
でもそんな時に、父親が助けてくれたという記憶は一切ない。
本当に苦しい時も、心の底から助けて欲しかった時も、父親は一度も動いてはくれなかった。
妻が両手いっぱいの荷物を提げて、家の玄関でつまづいて転んだことがあったらしい。
膝を擦りむいて、大きな声も出して、それはとても大変なことだったという。
何事かと父親が来て、たおれてた時に散乱した荷物が地面に散らばっていたのに、そのまま家に戻って行ったと。
妻は「大丈夫?」というひと言が欲しかったと振り返る。
転倒してそうだから、もっと必要な時だって父親は行動しないだろう。
こみち、そんな父親の行動を否定しているわけじゃない。
「人は一人なんだ」という考え方だってあると思うから。
でも、父親とは上手く寄り添えないと思うのは、「優しくされること」も断ろうとしないこと。
みんながそこに居て、一人食べるものがなくて、そんな状況で何か可哀想と食べ物を分けたとして、その後にお返しすることもしなければ、みんなから見える場所にいない努力もしない。
みんなも頑張って少ない食べ物を持っている時でさえ、何も持たずにそこでジッと座っている。
そんな時に母親は「可哀想でしょ!」といい、自分の食べ物ではなく、こみちたちの分さえ勝手に分け与えてしまう。
辛さはこみちたちも背負うのに、「良かったね」と父親に言うのは母親だ。
一日中テレビを見て、誰かが作った食事を当たり前のように食べる。
しかも遠慮する訳でもなく、時に一番先に食べ始めるのだから理解に苦しむ。