叔母の入所する介護施設から
先日、叔母の入所している介護施設から連絡を受けた。
施設内を歩行中に転倒し、腕を骨折したという知らせだった。
その電話を父親が聞いたらしく、母親を通してこみちも知った。
介護士経験もあるこみちからすると、利用者の転倒を完全に防止することは残念ながら不可能だと思う。
幸いにして、こみちが勤務している時に転倒させて骨折させたという事故は起こさなかった。
でも、勤務中に転倒事故が起きたという話は何度か耳にしたことがある。
特にまだ自由に歩くことができる利用者の場合、その場でじっとしているのではないから、片時も目を離さないということは難しい。
高齢者の場合、転倒によって歩行が制限され日常的に車いすを使うことになると、そこに大きな問題が生じる。
早めに歩けるように促すことをしないと、そのまま歩行力が低下し、その後は歩けないことが起きる。
歩けなくなるとトイレにも行けなくなるから、オムツを使って介護を受けることになる。
行動範囲が狭まると、それに応じて記憶力や思考力も変化して、段階と活動力が落ちて行く。
実際、日常的に歩いていた利用者が、何かのタイミングで転倒し、骨折もして、ベッドでの生活が増えたケースで、そのまま寝たきりになってしまったということがあって、食事量も減り約1ヶ月程度の早さで亡くなってしまった。
それくらい、転倒事故というのは、骨折の有無だけでなく、それまでの生活を一変させてしまうきっかけになり得る。
無理だと思ってしまっているのか?
最近、両親を見ていて、以前と変わらないと思う部分と、ちょっと変わってしまったと感じる部分が見られる。
「思い込み」が行動を制限してしまうことがあって、例えば「油は体に悪い」と思っている母親は、冷凍のポテトを全く揚げなくなった。
その代わり、スーパーでフライを買って来る頻度が増していて、また自宅でも油を何度も使い回ししている。
先日も、皿に盛られたポテトが料理として出されて、一本食べたけれど「ん?」と思ってしまった。
母親から料理を全て奪うことはできない。
でも、折角作ってくれるなら、もう少し食べられるものであって欲しい。
事実、母親の手料理が食卓に出されて、そのまま何日も冷蔵庫に入ってしまうことは増えた。
母親だけのことではなくて、もっと範囲を広げると、父親は基本的に以前と変わらずテレビを見ているだけで、たまに思いついたように掃除機を掛けたりしている。
週に一回というペースでもないようで、やりたい時にやりたい場所だけ掃除しているような感じに見える。
例えば、父親がカレーライスを作れたら、週に一回でも夕飯を任せられる。
家族四人の4皿分だから、じゃがいも2、3個とにんじん、玉ねぎを適当に切って煮てしまえばあとはルーを溶かせばいい。
作業としては15分、煮る時間を合わせても1時間は掛からないだろう。
しかし、できるかどうかを考える以前に、父親は面倒だと思っているだろうし、何なら食べないと言い出すだろう。
でも全く食べないを貫くならいいけれど、その発言の根拠は「他にも食べものが冷蔵庫にある」という意識がそうさせている。
今さら、父親に料理しても欲しいと思っている訳ではなくて、むしろ家族関係がこれ以上に悪化しないように個々でも考えて欲しい。
しかし、両親にすれば「こみちは怒っている」とか、「理解してくれない」とか、自己肯定があって、そこから話が始まる。
ちょっと気になったのは、叔母の件で連絡を受けても、施設に面会しようという話がないことだ。
母親に至っては、「骨折しただけみたいで、手術は必要ないから良かった」で自己解決してしまっている。
コロナ禍という事情もあって、控えていたはずなのに、いざそれが落ち着いても行動する気配は見られない。
確かに、完全に治まっているとは言えないし、自身も介護施設を訪ねることを避けたい場所なのだろう。
三度の食事をする以外、特に役割も持たない父親などにしては、介護施設で暮らしても生活に何も違いは起こらない。
でも、母親から離れて暮らしたくはないだろうし、どんな状況であっても家族といたいと思っているのだろう。
もう12月も中盤で、これからクリスマスがあって大晦日、お正月と続く。
確かに叔母とは日ごろから関わっていた関係ではないけれど、父親にとっては大切な妹に変わりない。
自身が暖かい場所で、ケーキやお餅を食べている時に、妹の顔を思い出したりしないのだろうか。
こみちに相談し難いとしても、母親には本音を打ち明けることはできるだろうし、妻を通じて家族でスケジュールを立てることもできる。
車を出すことを気にする気持ちがあるなら、食事の一回くらい作って欲しいし、後悔するくらいなら頭を下げることになっても叔母の顔を見に行く人でいて欲しい。
「連れて行こうか?」
そんな段取りをこちらから提供しない限り、自分からは何も行動しない両親。
叔母に対してということではなく、その振る舞いが自身のこの先の介護にもなると分からないのだろうか。
「自分だけ」という部分ばかりが増えて、不満を言うか黙り込むことの繰り返しになっている両親といると、やはり気持ちは萎えてしまう。