『悪習』は治らない!?のかという話

 『悪習』は治らない!?

実は昨晩、母親が「腰でも痛めたら寝た切りになってしまう」と言い出しました。

脊柱管狭窄という背骨の病気を持つ母親なので、重い荷物を持つことに心配があるのかと耳を傾けたのです。

するとどうやら明日、灯油を20リットル、2本分父親が買って来るのですが、それを車から自宅の庭まで運ぶ段取りの話でした。

もしも父親が重い灯油の入ったポリタンクを運んで、腰でも痛めたら寝た切りになると心配する母親は、そんな大変な作業をさせたくないと家族の前で言ったのです。

重い灯油を買うのは大変だという話は数年前にもあって、それで首振りもできるスタンド式の電気ストーブを購入し、その年はリビングでも使っていました。

いつからかそのストーブは使われなくなり、いつからか石油ファンヒーターに戻ったのです。

その頃から多分、父親が灯油を買いに行って、タンクに無くなると補充してくれていたのでしょう。

こみちも使う時に空になったら、自動で止まるポンプを使ってタンクに灯油を入れています。

リビングにはエアコンもあるし、石油ファンヒーターでなければいけない理由はありません。

コストという面で比較すると、石油ファンヒーターの方が得なのかもしれませんが、週に一回でも車の給油ついでに灯油を買って来るのはなかなか大変です。

だからこそ、すぐに温まりたい時は電気ストーブを使い、長い時間はエアコンで補うということを話合って決めたのでした。

でも両親の理解は、トータルで継続しやすい方法ではなく、実際の出費を比べて『灯油』という選択肢を選んでいます。

そこまではこみちも自主性だと思うので、今まで何も言って来ませんでした。

「寝た切りになってしまう!」のは誰?

寝た切りになるかもしれないと心配しているのは、てっきり母親のことだと思って来ました。

しかし、どうやら父親のことだったみたいです。

両親にとって「灯油を買う」ということが、唯一の選択肢になっていて、例えば20リットルではなく18リットルにすれば、少しでも運ぶ時の重さが減らせます。

ところが、父親に言われせれば非効率だというのです。

でもできないならできる方法で考えるしかないし、そもそも灯油を買うことが無理なら、家の前まで専用車で回っている業者もいます。

もちろん少し割高ですが、家の庭先まで運んでくれるので、「灯油を買う」という目的は果たせます。

でも「損」はしたくない。

両親の目的は、こみちか妻に灯油を担当させたいのです。

そうすれば、父親は腰を痛めることもなく寝た切りにならないと。

じゃあ、女性である妻が重いタンクを運んで腰を痛めたら誰が責任を取ってくれるのでしょうか。

その辺りは両親もしたたかで、「こみち」を担当にしたいのでしょう。

そうだとしても、父親の場合、水仕事は赤切れになるからと基本的にNGで、どうにか自分の茶碗だけは洗っているようです。

米さえ研ぎません。

風呂場の掃除担当でしたが、それだって守っていなくて、妻や母親が時々しているのを見ます。

こみちにすれば、できるかどうかが問題ではなく、一方的に自分たちの主張だけは譲ろうとしない両親のやり方に不満があります。

その後、父親が灯油の担当を継続することになりました。

というか、こみちとしては譲れないですし、それこそ全面的な介護になった時を考えると、一方的な希望が叶わないことを今から理解しておくべきです。

そして、希望しても叶わないことに対して、自分たちが何をどう準備して行って行くのかを夫婦で話し合うことでしょう。

そんな手間を一切省いて、全て依存して来るから、こみちも簡単に承諾したくありません。

よく見れば見るほど、両親が先送りにしてことが見つかります。

灯油の件で派生したリビングのエアコンも、両親は一度も掃除したことがなく、使おうと思っても本体がホコリで汚れていました。

一年中、リビングを陣取り、朝から晩までテレビを観ている父親ですが、じゃあ自身のためにとエアコンの掃除をしているのかというとそうではありません。

介護がそれだけ始まっているというとそうなのですが、現実はどんなに歳を重ねても自分はまだまだ大丈夫という意識が抜けません。

それは、できるかどうかということだけではなく、事前にしっかりと予定を立てて準備するという習慣を持つことが問われているのですが、両親の場合はやはり気づかない間に制限された生き方の中で生きていて、でも以前までの暮らしから意識を変えることもできなくなっています。

正直、年金生活者になった父親は、どこかのタイミングで寝た切りになったとしても、それは家族としてどうすることも出来ません。

自宅で誰かがオムツ交換するのか、施設に行くのかという選択肢はあっても、生活の大半を父親は母親に依存している状況で、逆に母親に何か問題が起こった時の方が家族としては大変です。

現実として父親が母親の世話をすることは難しく、でも今の生活でもいろいろとすることでそんな状況にも対応できるようになるのですが、母親の考えは「父親が寝た切りになってしまう」ということを心配するあまり、父親に重いものを持たせたくないし、水仕事であかぎれしてしまうのも心配しているようです。

繰り返しになりますが、夫婦間で心配して寄り添うことは悪いことではないと思います。

互いに補って生きることも夫婦の目的だと思うからです。

でも、夫婦の理想を追うために、子どものその負担を負わせるとなると、ちょっとそれはよく考えるべきで、本当にどうしても避けられないことなのかという疑問が残ります。

アレもダメ。コレもダメ。

そう言い出せば、何事も危険や心配ごとはあります。

だからと言って、それを避けて生きることはできません。

まして、希望を貫こうとするあまり、家族での話し合いもしないで、一方的に義務化するのは親であってもちょっと違うのではないかと思うのです。