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「人生をやり直す」と意気込んでみてもって話

 夢を叶えるのは10年計画!?

努力とか心構えという話だけなら、10年をひとくくりにすれば、誰でも夢を叶える一歩手前まで到達できるだろう。

しかし、例えば芸能界には美男美女が当たり前のように集まっていて、地元では評判だったというレベルでは平均的で、売り出すポイントとは言えない。

そこで考えるのが、キャラクターの設定なのだろう。

おバカキャラを設定するにしても、単純に問われた状況で、脈略のない立ち振る舞いは演出としても活かせない。

ある意味で「そっち?」という意外性を、正当的な回答とは全く異なるアプローチで見つけることが求められる。

ある芸能人が質問を受け、「月に何度行きましたか?」と聞かれて、「いいえ。月には一度も行ったことがありません」と答えたというシーンがあった。

「月」という言葉の誤解から出たエピソードではあるが、一瞬、moonの月を連想した人でも、相手が自分を宇宙飛行士では無いことを理解しているなら、そんな質問などしないと想像できる。

ところが、その芸能人は本気でそう答えたのか、笑いを取りに行ったのかは分からないけれど、「行ったことがない」と答えて質問者から笑顔を引き出した。

「そうじゃないですよ〜」と。

つまり、おバカキャラとか天然キャラのような設定は、1から始まり8まで進んだ次の一手で、それは9になるための一歩ではなく、逆に7.8あたりを狙っている。

7でもなく、7.5でもない微妙さがキャラクターになるからだ。

もちろん、正統派を狙うなら、9や10を目指すべきではあるけれど、たとえそこに到達できたとしても、まだまだそこには数多くの夢人たちでひしめき合っている。

音程を外さないで歌える特技

カラオケの採点システムを使い、ほぼ音程を外さないで歌える特技を披露している人を見かける。

こみちは音痴だから、そんな人を凄いと思ってしまう。

ただ、芸能界に目を向けると、「歌が歌える」という特技で売り出していない人でも、結構、歌が上手かったりする。

ポイントは「音程を外さないこと」ではなく、「人に聴かせられる」か否か。

つまり、音程の取り方以前に、外見や声質など、いくつもの条件が整っていなければ、「歌が上手い」という売り出し方では注目を集められない。

というのも、そもそもは音程を外さないで歌える特技は凄いことだ。

でも、それは多くの才能豊かな人の中では、「8」まで到達した人に過ぎない。

9や10、さらにもっと先へと進んだ人がたくさんいるから、「8」のままでは泣かず飛ばずになってしまうだろう。

10年という年月を費やせば、「8」までなら多くの人が何らかの分野で到達できる。

しかし、さらに進むのは大変だし、そこにはまだまだ多くの人でひしめき合っている。

「8」からの対処を先に考える意味

つまり、人生を楽しくするためには、「8」からの対処に尽きるのではないだろうか。

地頭が良かったり、美男美女として生まれたりすれば、それだけで1つ目の「8」を掴んだことになる。

しかし、それらの良さを活かせなければ、「昔は頭が良くて、東大にも行けるって評判だったんだよ」という昔話で終わる。

思うに、何かの資格を取得することは、結局のところ新たな「8」を手に入れることでもある。

美男美女の人が、地頭の良さを活かして、気象予報士の資格を取れば、それぞれは「8」だったとしても、掛け合わせることで「10」になることもあるだろう。

欠点やコンプレックスを個性に変える!?

多分、身長が3メートルもあったら、本人は気にしていなくても、外に出るだけで目立ってしまう。

それに電車に乗るにも入り口は狭いだろうし、不便なことも多いはずだ。

安易な例えではあるけれど、バスケットボールやバレーボールのようなスポーツでは身長の高さが活躍する。

選択肢として一択ではないけれど、本人が活かそうと思えば「8」になるポイントを持っていることになる。

「〇〇が不得手」ということも、欠点やコンプレックスになり得るけれど、それだって同じように悩んでいる人はいるだろう。

そうだとするなら、そんな彼らにとって行動できれば、「8」に変えることもできる。

興味深いのは、特技ばかりが「8」になるのではなく、どんなことでも「8」にできる可能性はある。

言い換えると、欠点やコンプレックスをマイナスと考える必要は皆無だ。

こみちも試行錯誤中です!

自身の好きなことを思い出せば、いくつか何か思いつくのではないだろうか。

例えば「読書が好き」という個性も、「これまでに1000冊以上、読みました」と話したら、きっと「読書家だね」と言ってもらえる。

でもそのままでは「8」に過ぎない。

例えばある作家について深掘りしてみるとか、滅多に本を読まない人にオススメできる一冊を見つけるとか、漠然と蓄積された読書経験を整理し直して、「8」からどう変化させられるのかを考えたらいい。

売れるコツが分かったなら、自身が作家になるということもできるだろう。

人の寿命を逆算したら、トライできるのは約40年くらいではないかと思う。

つまり、夢を描いて10年を費やして「8」になったら、もう残りは30年しかないことになる。

その意味では、高校生くらいの時に憧れる夢ほど、失敗せずに花咲かせたいのが本音だ。

だからこそ、すでに実績のある業界や評価がしっかりした中で頑張ることが大切で、その世界観まで自分で作り出そうとすると10年ではなく40年を掛ける大プロジェクトになってしまう。

自分は自分でも良いけれど、何か一つだけは「8」から変化させたい。

それが生涯続けられる仕事になるのだろう。


そろそろ「やめ時」なのかもしれないって話

 仕事をもらえる有り難さは分かってつもりだけど

給料をもらっている人は、割と「ウチの会社、給料が安いんだ」って話を言えたりできますよね。

でも、「請負」で働くと、分のいい仕事と悪い仕事があって、そのバランスで今後も末長く付き合いたいお得意先ができます。

もっと言えば、フリーランスになって、初めて営業を掛けている段階は、とにかく一件でも仕事を紹介してもらえると嬉しかったりするものです。

ただ最近、こみちが取引させていただいている会社、かなり人員の入れ替えがあって、会社の雰囲気も一変したんです。

変わった直後は、活気が出たと喜んでいたんですが、ここのところの印象は、新しい管理者が下請けになるこみちのような相手に、結構厳しい条件をつけているんです。

以前の基準が100店満点の60点だとしたら、今は70点以上って感じです。

当然ですが、それに到達しない下請けが取引を失い、自ずと70点以上、80点や90点という感じになっています。

こみち自身、納品物としては基準値をクリアしている自負があるのですが、ただ以前よりも上がったことで、「いつも丁寧でありがとう」という雰囲気が「これくらいは欲しいよね」という感じで、頑張って当然という印象が増しました。

それでも仕事をさせてもらえるのは嬉しいのですが、将来的に考えて、その会社と長く付き合うメリットは薄いことも分かっていたりします。

精神的に他人と話すのが苦手で、黙々とできることが良かった仕事ですが、もしかするともう少し異なる仕事でもできるように感じるのです。

しかも、今以上に稼ぐことができる条件で。


人生を再生するために必要となるものを掘り下げる

 これだけしてダメなら仕方ない!?

誰の人生も浮き沈みがあるものです。

特に沈んだ時に人が離れてしまい、「それまでは何だったのか?」というセリフも定番でしょうか。

しかし、それだけ他の誰かにとっても、浮き沈みが読めなくて、沈まないようにと思うからこそ上手く舵取りしたいのでしょう。

逆を言えば、相手の状況に左右されずに生きている人は、それだけ信念が強い人でもあります。

結果として儲かっているか否かは別問題ですが、人生の再生させる「条件」を整えない人は、歳を重ねる毎に浮上する可能性も減ってしまうはずです。

実は一昨日、両親が夫婦ゲンカを起こし、父親が1日、自室に篭るということがありました。

さらには、頭痛持ちで、それが理由で一日中寝ているということも多かった人です。

ケンカの原因は、一日中テレビばかり観ている父親に母親が愚痴ったからだと言われています。

例えば母親は仕事から帰宅して、「おかえり」と言われても、お茶を一杯出してもらえるわけではありません。

夕飯を作るのはやっぱり母親で、父親はリビングで寝転んでテレビを観ていることに変わりません。

常々思うのは、母親が「いつもテレビばかり観て!」と父親に怒ることです。

一回二回は分かるのですが、もう何回も言っているのに、父親はその生活習慣を直せません。

もっと言えば、直し方が分からないのでしょう。

つまり、人生を再生したいと思うことがあっても、「再生」方法が分からなければ、努力することもできません。

母親は父親がそれを分からないことに気づかないので、いつも「テレビばかり見て!」と目の前の状況を否定します。

そして、父親も母親に「再生方法が分からないんだ!」とも言えず、自室に篭って時が過ぎるまで待つしかありません。

じゃあ、「こみちはどれだけ凄いんだ?」と質問されるかもしれません。

今、特に頑張っているのは、「ジョギング」と「イラストを描く」ことでしょう。

ただ、この二つは全く別のものではなくて、さらにこれからいくつかを組み合わせて、こみちが再生のきっかけにしたい指針になるものだと思って大切にしています。

絵に関しては子どもの頃から続けたことで、ジョギングに関してもクロスカントリーの大会に出た小学生の頃を考えると、好きなことの1つでした。

つまり、「人生を再生したい」と思った時に、「今は何が流行っているのか?」と考えても、それで結果を出せるのはある一定のレベルを持った人です。

こみちのように底辺で彷徨う場合、勢いだけで再浮上できるのは若い頃だけです。

つまり、中高年という年代になって人生を振り返れば、その人がこれから何を語ろうと、その人のこれまでの生き方が全てだと言ってもいいでしょう。

「これからオレは歌手になる!」と言ったところで、人は「なぜ、今まで挑戦しなかったの?」と思うのが自然です。

少し厳しい話をすると、中高年にとって平穏に生きてしまった人は、再生したくてもそのきっかけになる「趣味」のようなものが見つかりません。

雇用が約束された正社員として働くなら、中高年で辞めることはおすすめできません。

大変かもしれませんが、途中で就活する方が数倍大変なので、定年までのらりくらりでも勤めあげるべきでしょう。

問題は既にドロップアウトしたこみちのような人です。

フリーランスというと体裁はいいですが、一歩間違えると「無職」と変わりません。

仕事を受けられるからこそ収益になるので、取引先を失ったら死活問題です。

「ジョギング」で稼げるのか?

みなさんは、「走る」ということを仕事にできると考えたことがありますか。

仕事は求人募集から始まると思うと、「走る」など仕事になるはずありません。

まだ「車を運転する」方が仕事にできると想像しやすいでしょう。

例えばyoutube では、ジョギングに使うランニング用のスマートウォッチを紹介しているチャンネルがたくさんあります。

レースの話や技術解説なども盛んに行われています。

勝手な想像を言えば、月の利益は10万円以下ではないでしょう。

例えば、ある大会が開催され、地元民がボランティアとしてレースの運営に手を貸してくれたとしましょう。

「無料で手伝って得なのか?」と考える人もいます。

しかし、例えば純粋に楽しそうというきっかけの人もいれば、地域活性化の手助けとして考える人もいるでしょう。

つまり、地元を宣伝したくても、そこに映像的なこだわりや見せ方の演出をしても、注目度は上がりません。

そんな時に「〇〇マラソン大会」というイベントが開催されて、地元をアピールできるタイミングがあるなら、そこに乗っかるといういうのは間違いではないでしょう。

言い換えるとその大会が定着し、スポンサーや協賛を得られるまでになったら、それこそ数万円のスマートウォッチを運営者に無償で提供されるということも起こり得ます。

買えば数万円もするのに、それをプレゼントしてくれるという出来事が起こるのです。

ポイントは「大きな流れ」で、資金のある人や人脈を持つ人などは、その流れも簡単に作り出せます。

つまり、結果的にいろんな人や物が集まってくれるようになるのです。

冒頭部分で、人生の浮き沈みを経験すると、人が離れてしまうという話をしました。

しかし、一時期が沈んだとしても、長く見ればまだまだ再生できる人なら、人は離れても行かないし、力を貸してくれるのではないかと思うのです。

youtube で収益化するには、登録者1000人以上という条件がありますが、動画の内容以前に「1000人の支援してくれる人がいる」意味を理解することなのでしょう。

つまり、黙々と絵を描くことだけをしても、1000人の支援者は簡単に見つかりません。

しかし、イベントを企画し参加者を募るなど、「大きな動き」を作れると、何もしない時よりずっと支援者を集めやすいはずです。

でも人生はそういうことなのでしょう。

自分ができることだけをしていても、そこから何も始まりません。

どうすれば小さくても「動き」を生み出せるのかと考えて、行動してみることです。

絵を描くこと、ジョギングすること、そこから何が作り出せるかなぁと想像し、試行錯誤してみることがスタートだと思っています。

そんな想いが広まってくれたら、こみちが再生できる日もあるでしょう。

いつもの職場にて「ちょっと異変がありました」って話

 不定期に働いている職場で

請負という形で、会社とは距離がある働き方をしています。

分かりやすく言えば、「webライター」みたいなもので、「これをしたら100円あげる」ということを何個するかの働き方。

精神的回復を兼ねたこみちにも気楽なスタンスなのです。

一方で、一定の距離を置いているので職場内のことにも疎いのですが、でも変化に気づくことはあります。

実は先月辺りから、少し嫌味が多かったこみちの直接的な担当者が、一時的に職場を異動していました。

その時に聞いた話では「別の部署の助っ人に行く」ということで、どんな事情かは知りませんが、そういうことなのだろうと疑うこともなく耳に挟んでいました。

実際に、一時期別の部署で働いている姿を見かけたこともありましたが、それは職場を訪れた時の数回で、最近は姿さえ見かけなくなっていました。

そして、昨日、久しぶりに働きに行ってみると、職場内の雰囲気が明らかな変わっていて、その一つがその方の処遇に変化があったことを何となく耳にしたからです。

具体的な話を直接的に聞いたのではありませんが、「一時期」と思っていた異動が「不定期」となり、異動先の部署でも姿を見なくなったのです。

つまり、「辞めた」可能性があります。

何となく知っている話では、年齢が40代だったと思うので、どんな理由だとしても「中高年」の仕事探しは簡単ではありません。

一つには、その仕事での経験を活かしてフリーランスへと進むことはできませんし、汎用性がある要素も少ないので、就活で職歴を活かせない可能性もあるからです。

20代の時から独立やフリーランスを視野に入れていたこみちにとって、その職場で働くまだ若いスタッフたちを見て、「定年までこの会社で働くつもりなのだろう」と思わせます。

その理由は、個人的なスキルアップを目指す環境としては、決して環境が整っているとは思えないからです。

それにしても、辞めたかもしれないあの人が、本当に40代で妻も子どももいて辞職しているなら、この先の人生がかなり厳しいことになるでしょう。

何より捉え方によっては、「人生を踏み外した」みたいな形で、職場から外されたことでプライドに傷ついたと思うからです。

自業自得とも言える結果ですが、本当に退職されたということなら、それをこみち自身のこととして考えると「煮詰まって」しまいそうです。

まさかの40代から介護職だとしても

例えば、そんな人が未経験で介護職に進んだ場合、これまでの働き方との違いに驚くでしょう。

「正論」の正当性を見直すことから始まると、そんな理由で退職した人には精神的にも寄りどころがなくなりそうです。

作業としての手順の他、利用者の精神的なサポートまでを同時に修得できたならは、その会社でも軌道修正できたはずだからです。

まだ小学生くらいのお子さんを育てていたなら、何とか働き口を見つけたい所でしょう。

かと言って、中高年の男性が介護職に進む場合、一度プライドを捨てて、その環境に身を投じるくらいの決心は必要です。

事実、介護職として入職したら、最初の半年間が本当に大切で、仕事の奥深さを楽しめるかがポイントにもなります。

介護福祉士の資格まで取得して思うのは、介護職は接客業の中でも一二を争うくらい難しい仕事だということ。

もちろん、適当にもできてしまうのですが、一つひとつのことをエビデンス(理由や根拠)を考えて行う時、異業種であればもっと簡単にできることが多いからです。

例えば、レストランで食事を運ぶウエイトレスやウエイター。

もしも客がその食事に手を伸ばさなかったら、どうしますか?

退店後は、ゴミ箱へと運んで解決です。

しかし介護職の場合、栄養管理の点から声掛けをします。

時には料理の説明や食事に関する話題を持ち出し、食事する雰囲気を高めることも仕事です。

さらには、介護職が箸やスプーンを持ち、利用者の口元まで料理を運ぶことまでします。

飲み込みに適した姿勢になっているか、しっかりと咀嚼や嚥下ができているかを確認することも含まれます。

生活面すべての行動を、そうやって観察し、またフォローするという意味では、介護職は接客業としても究極と言えるでしょう。

それこそ、有名なホテルのスタッフたちのように、高い接客技術や知識を備えることで、高いサービスを提供し、それに見合った報酬が得られる仕事になれば、介護業界も様変わりするはずです。

これは清掃業にも通じる話ですが、健康管理や衛生管理をミスなく熟すことって、誰にでもできる仕事ではありません。

60点くらいまでならできたとしても、70点80点とより高い精度を目指す時、介護職って奥深い仕事だと気付かされます。

資源の少ない日本が、海外向けの富裕層に究極の介護施設を作り、そこで最高の介護サービスを展開したら、それこそ介護業界内で大きな変化が生まれるでしょう。

スタッフには、容姿や素養はもちろん、語学力やコミュニケーション、もてなしの心など、より高いレベルの介護技術を身につけてもらう必要があります。

しかしながら、報酬額も月給では50万円からスタート。

指名され専属契約になれば、数千万円の報酬だって夢ではありません。

なぜなら、お金を持っていて、介護サービスが必要になった時に、お金以上に快適でストレスのない環境を求めるからです。

とは言え、言いなり召使いなら良いのかというと、そうではありません。

ライフプランに合わせて、何が最も尊重されるべきかを判断し、人生という答えの見つからないことに向き合う必要があるからです。

そこまで行けば、介護職も稼げる仕事になるでしょうね。

日本の文化しか知らず、日本語しか話せない。

それで海外向けのサービスは無理があります。

「メイドインジャパン」のブランドがあるなら、これから目指してもいい業界になると思うのですが…。

仕事ぶりが評価されたという話

 久しぶりの外仕事で

副業のつもりが、ある意味で本業となっている請負の仕事。

黙々とできる作業なので、音楽でも聴きながらできるから馴染みもある。

そんな仕事で、上司から誉められた。

嬉しい反面、実は自身でもかなり手応えを感じていた。

元々器用なタイプではなく、段々と上手くなって行くタイプだった。

この仕事でも結果的に評価されたが、過去を振り返ると前半苦労して後半は評価されるという流れが多い。

しかも、評価されることには自分から別の道へと進路を変えて、また下積みになるという繰り返しだった。

介護士の時も、本当に散々で、同期だった主婦の方には出来なさすぎて笑われたこともよく覚えている。

もう既にいい年齢だったし、プライドはそれほどだが、恥ずかしさはあった。

でも、結果的には笑われた介護の仕事も、一通りできるようになったし、気づけば笑っていた同業他社に転職したその主婦の方が仕事に合わなくて辞めてしまったくらいだ。

個人的な成長という意味では、失敗はどんなにしてもいいと思う。

できるようになれば、過去の失敗など思い出でしかない。

でも、できないままにしていると、それがトラウマになって、その後の人生をあれこれと制限してしまう。

手応えを感じていたけれど、あの難癖をつける上司から誉められたのは嬉しい成長だ。

頑張ってよかった。

そんな出来事があったという話。

オモロウマい店「珉珉」のご夫婦から学ぶ話

 残念ながら閉店された「珉珉」ですが

「騒ぐんじゃないよ」というセリフがトレードマークにもなった鈴子さんは、珉珉という中華料理屋を夫の宏と55年に渡り茨城県の日立市で営んできた。

オモロウマい店の一つとして何回かに放送されたのだが、回を追うごとに料理人の宏さんとの夫婦仲睦まじい関係に考えることが多かった。

放送で見る限り、その中華料理屋は広い店ではない。

しかし、近所の方々から愛されて来た店で、客が支払う時に鈴子ママが「騒ぐんじゃないよ」といつもの決めゼリフを呟き、少し多めのお釣りを握らせる。

金額が多いと知り、客は一瞬困惑するのだが、そんなことお構いなしで鈴子ママはそのお釣りを手渡すのだ。

一見すると、「オマケ」が好きな鈴子ママにも見える。

しかし、長く仕事を続けて来た夫の宏さんの体調不良もあって店を閉めることに決めたのは、昨年のことで、それから完全な閉店までの経緯も放映されていた、

テレビ放送の反響も重なり、店には多くの人が詰めかけている。

町の小さな中華店は、どんな場所にもだいたいはあって、こみちも幼い頃、実家に住んでいた時に近所の店でよく中華ラーメンの配達をお願いしたものだ。

都内にある人気店のラーメンとどちらが美味いのかという話ではない。

ラップで汁がこぼれないようにし、岡持で運ばれるラーメンはそれこそお袋の味に似ている。

しかし、珉珉はテレビ放送されて、どこにでもある町の中華料理屋ではなくなった。

誤解なく言っておくと、テレビで放送されたからではない。

鈴子ママと宏さんの誠実な人柄が、多くの方々に感動を与えたからだ。

特に最終日、店を閉めた後の夫婦が、これまでの思い出を語る場面で、「明日、店を開けないのが不思議だね」と話す。

55年という長い期間、いろんなことがあっただろう二人には、閉店となってもまだどこか実感できないような、それでいて何かから解放されたような時間がある。

なぜ、珉珉はこんなにも長く愛された店だったのだろう?

個人事業主を目指したら、やはり売上が気になるし、利益率や客単価を考えて、店の経営をするだろう。

そのためには、マーケティングやコスパ、客に飽きられない戦略が欲しくなる。

しかし、55年のいう長い期間、愛され続けた店は、もちろん客を満足させる料理もあったとは思うが、それと同じくらい鈴子ママの気立の良さがあったからに違いない。

そして、そんな鈴子ママでいられたのは、厨房で仕事をしている宏さんの存在があったからだ。

店を閉めた夜、宏さんが急に鈴子ママのことを労い、そしていつも頑張ってくれたことを感謝する。

そんな話をいきなり聞かされた鈴子ママだが、夫の宏さんが居たからだといい、どちらもが相手を思いやっている。

例えば、腹を空かせて店に入り、まぁまぁ美味いラーメンが出されて、それを誰かが付けたテレビでも観ながら啜ったとしても、そのラーメンや店主のことを改めて意識したりはいないだろう。

まぁ、値段の割に美味かったと思うかもしれないが、店はだいたいがそんなものだ。

でも何度か通っていると、どんな人が作っているのか、運んでくれるのかが分かって来る。

気づけば、店でラーメンを啜っている間、日常を忘れて、ひと時の癒しを感じていることに気づく。

そう感じると、もう他の店の料理と比べてはいなくて、あの雰囲気を感じたくてまた店へと足を運んでしまう。

そんな風に書くと、なんだか簡単に聞こえてしまうが、会社を5年、10年と維持させるのは誰にでもできることではない。

その間にはいろんなことが起きて、店を続けられないことだって起こる。

そんなトラブルがあった時に、店は意外と脆く潰れてしまう。

でも珉珉は、そんなトラブルにも屈することなく、55年続いてきた。

とても穏やかで、笑顔が素敵なお二人だが、この55年という時間はとても重く、偉大なことだ。

なのにそんな素振りを一切見せることなく、宏さんも鈴子ママも普段通り笑顔を見せる。

こみちはなぜ成功者に成れないのか?

二人を見て思う。

数ヶ月や数年で、成功するかしないかを判断するには、まだまだ努力した時間が短い。

きっと口にはしないけれど、泣きたくなるほどの出来事だってあったはずだ。

努力もたくさんされただろう。

そんな風に思えると、結果を求めるのはいいけれど、焦りすぎてはいけないと気付かされる。

それだけの努力や想いを込めて来たのか。

笑っている人と悩んでいる人。

両者は全く異なる人生だったわけではない。

途中までほとんど同じで、ある時に差が現れる。

そのある時こそ、「継続」していたからこそ巡って来た分岐点だろう。

誰かと比べるのではなく、自分に正直に向き合って、その一歩ずつの歩みを知ってもらえたら、いつかは少しずつでも興味や関心を持って、声を掛けてくれる人ができるだろう。

ご夫婦の姿を見て、本当に大切なことを教えられたように思う。

できることに少しプラスしながら、その誠実さを続けることで、珉珉のような笑いに包まれた空間が築かれるのだろう。

お疲れ様でした。

そして、いつまでも末長くお元気で。

機会があれば、オモロウマい店で放送された「珉珉」という店のお二人をyoutube などで探してご覧いただきたい。

「仕事がしたい!と思うこみち」ですという話

 理想的な仕事って?

経済活動としての「仕事」は、誰かにとって役立ち、対価を支払えるものでなければいけません。

つまり「美味い」料理の、「美味い」はお客さまが来店してくれる期待感を高めるもので、対価ではないのかもしれません。

どういうことかというと、確かに「美味い」料理だったとしても、それが1万円だったら食べることを躊躇い人もいるでしょう。

同時にマーケティングの戦略としては、高級店という評判がより利益率を高めることにも繋がりますが、やはりその「美味い」は行ってみたいと思わせる期待感なのかもしれません。

稀に、この料理をこの価格で出していて大丈夫だろうかと心配になる店があります。

大満足して、数ヶ月後、その店が様変わりしていたり、潰れてしまったということも珍しくありません。

これらのことから学ぶのは、「相場観」でしょう。

店員や工員として働く場合、その職種の相場があって、例えば「100」という相場に、「110」を出したり「90」しか出してくれないこともあるでしょう。

私たちが仕事を探す時に、例えば「90」だとしても、急な休みにも対応してくれるとか、家事との兼ね合いで勤務時間を調整してくれるなら、その職場はメリットがあります。

一方で、「110」の評価ですが、休出を強制され、残業も当たり前で、働いていて楽しくない職場なら、割り切りでもしなければメリットは報酬だけになるでしょう。

そもそも、「200」という破格はあり得ないし、きっと長持ちしない経営になってしまうはずです。

昨今、youtuber が儲かる仕事だと言われたのは、そのサービス形態にあったからです。

youtuber は動画を提供し、いわばどれだけの視聴者に支持されたのかが全てでした。

一本の動画に、1回しか視聴されない人もいれば、100万回を超える人もいて、その目的達成度は、通常の仕事で起こる数倍という差ではない違いが起こります。

そして、その普通の人では到達できない視聴数を集められる人に高い報酬が支払われていたのでしょう。

そこで人は、目立つことを思いつき、世間ではタブーなことを始めます。

なぜなら、普通の人が普通の人では到達できない視聴率を稼ぐ方法が、それしか思いつかなかったからでしょう。

昨今の芸能人の進出を見て思うのですが、芸能人はまず例外なく、動画がどうやって作られるのかを理解しています。

黙って座っていても、それだけではダメで、そうなった時に何をどうすることが基本なのかを知っていて、それを全く知らないこみちがyoutuber になっても、そもそも勝ち目などありません。

しかし、芸能人の中にも、2つのタイプがいて、売れている人と売れていない人。

彼らの違いを端的に言えば、「見たい」と思う人が多いか少ないか。

容姿がそのきっかけになったり、トーク力や演者たちの回し方が上手いなど、「見たい」に繋がる理由は多種多様です。

当然ですが、長く一線で活躍する芸能人は、複合的な魅力や市場の動向に応じたプロデュースが的確なのでしょう。

youtuber の中で、かつて人気だった人が段々と加工してしまうのは、市場の変化を読み間違えたり、一過性の「合致」に基づくものだったのかもしれません。

ところが、youtuber は芸能人のように養成所などを経験していなかったりします。

つまり、ベースとなる技術があるのかさえ分かりません。

その状況で、再ブレイクするのは、それこそ芸能人以上に難しく、今の人気を得ることができた奇跡と同じ奇跡を待つしかありません。

なぜなら、本当に売れた理由が明確でなかったり、当時だからできたことだったりで、今再現することができない可能性があるからです。

人に真似ができないこと。

例えばピアノがめちゃくちゃ上手いとか、ピカソ並みに絵が上手いというレベルは、人が求める様々なことを放棄して、それだけに没頭しても到達できるのは限られた人です。

みなさんは、芸大を出た芸術家を何人知っているでしょうか。

日本国内言えば、芸大を卒業された人はエリートでしょう。

行きたいと思っても行けない人が大勢いるからです。

でも、残念ながら、こみちのような一般人にとってはそんな芸大で学んだエリートでさえ、100名も名前を思い浮かべることはできません。

つまり、名前や出身大学だけで、売れたりはしないのです。

どこかのタイミングで、世間的な注目が集まり、そのチャンスに結果を残して、少しずつ知名度は上がります。

既に知名度のある業界に入ることも同じで、個人を知らなくても「〇〇に居ます」と言えることで、相手からの評価も変わるでしょう。

上手いから売れるという世界ではないってこと。

逆を言えば、上手いだけの人は世間にたくさんいて、そこからしっかりと自己プロデュースするために動いた人だけが、世間で名前を覚えてもらえる存在になるのでしょう。

それこそ、「勉強しろ!」と親が言うのも一理あって、勉強ほど成果を裏切らないことって少ないと思いませんか。

勉強したことで、実際に何かできるとは限りません。

でも、勉強すれば、誰もが知っている大学に入れますし、「〇〇大学に通っています」と自分の紹介に使えます。

それで全てが変わる訳ではありませんが、最も簡単に説明するなら、使えるワードでもあります。

「僕は、〇〇年に何処どこで生まれて、中学を出てからは〇〇をして、20代になって…」と自分の歴史を語っても、面接官でもなければ、あまり興味を持ってくれないでしょう。

つまり、大学というワードは、あれこれと説明しても関心を持ってもらいない経歴とは異なり、「〇〇大学の? 凄いね!」と相手に伝わります。

この「伝わる」がポイントで、価値なのです。

「勉強だけが全てではない」のは百も承知です。

しかし、市場、世間がそうである限り、「伝わる」ことをしなければ、評価には繋がりません。

今の職場の愚痴と不満

今の職場、最近、レベルが下がっています。

製品管理が曖昧で、品質にバラつきが出てきました。

当然、こみちの業務でも、「これで良いのか?」と不安になるケースが増えました。

もちろん、通常の作業時間を超えて、一から手直しすれば、品質を改善できるでしょう。

しかし、それではこみちの採算も合いません。

良いトスを上げてくれないと、良いスパイクは打てません。

広い視点で言えば、その会社の業績が大きく上がることは期待できません。

なぜなら、品質管理ができていないからです。

どうすれば品質を管理できるのかって、実は大変で、それこそ寝ずに頑張って経験を重ねないとできません。

だからこそ、会社の業績って凄いことで、素人が参入しても簡単にシェアを奪うことができないのです。

ところが、急成長した会社や、人材育成に弱い会社は、一時的にいい業績でも、ベースがしっかりしていない(安定した品質を維持できない)ので、タイミング次第で顧客を失ったり、参入した別の企業に食われてしまいます。

自分自身伸び悩みを感じるこみちには、会社の現状が気になって仕方ありません。

このままでは、会社が潰れたり、潰れなくても職場を失ったりすると思うからです。

つまり、どこでも悩みがあって、その多くは似たようなポイントが解決できていないと気づきます。

みなさんはどう感じるでしょうか。


「今後の生き方」を妻と少しだけ話しました。

 ここ数日の傾向

気持ちに余裕がなくて、上手く物事に対処できません。

毎日が辛いことを妻に話しました!

いつもは忙しい妻ですが、帰宅後の貴重な時間を割いてくれて、久しぶりに面と向かってそれこそいろんなことを話したように感じます。

感受性豊かなと言えば、聞こえがいいですが、物事に影響を受けやすく、喜怒哀楽が環境によって変わりやすい性質は、出会った頃から変わっていないと教えられました。

楽しいことには没頭し、辛いことには泣き言を言う。

それこそ、こみちという人間は昔から何一つ変わっていないと言うのです。

東国三社参り

昨年、心の不調で気持ちが沈んだ時に、千葉県と茨城県の県境にある鹿島神宮、香取神宮、息栖神社を巡りました。

三角柱の形をした御守りを頂き、いつも持ち歩く鞄に付けて心を落ち着かせて来ました。

当時、引かせていただいたおみくじにも、「待て」という言葉があって、何事も結論を急いではいけないという意味の言葉が書いてありました。

夢が叶う、叶わないということではなく、しばらくの間は何も考えずに時に身を任せてみるという風に言葉を理解したように思います。

今でも、そんな言葉を思い出して、自分に理解できないことが起こった時に、その場で全てを解決しようとはしなくなりました。

心の不調と病むということの違い

気持ちが落ち着いて穏やかな時もあれば、何か不安でソワソワとした気持ちになることがあるでしょう。

こみちにとって、心の不調とは、それこそ気持ちの浮き沈みを指します。

一方で心が病むというのは、浮き沈みとは全く異なる状況で、言えば心に別の人格が現れて、時に今まで存在していた人格がコントロールを失ってしまうことです。

「どうして良いのか分からない」と心が感じるのは同じなのですが、単純に「楽しくないなぁ」とか思う気持ちなのと、その場に居ることさえできない疎外感とで異なります。

それこそ、心が完全に病んでしまうと、きっともう自分の気持ちではコントロールすることはできないでしょう。

絶対に運動を日常生活に取り入れるべき

ジョギングをできる限り毎日するようになって、少し気分転換になっています。

2キロくらいの距離ですが、20分くらい掛けて走ることで、体調管理にも役立ちます。

正直なところ、どうすれば良いのかという明確な答えが見つかっていなくて、手探りのまま生きている感じに変わりはありません。

でも、慌てて結論を出そうとせずに、自分を追い込み過ぎないようにしたいです。

そろそろ、朝食を作ることにします。

こみちは「状況判断ができない」って話

 妻から「就活はどうなったの?」と言われて

絵ばかり描いてるこみちに、妻は呆れ顔です。

家族それぞれに溝があって、思うような関係には戻れなくなっているようです。

今、妻には時間がありません。

仕事が忙しくて、なかなか休みも取れないという感じで働いています。

なので休日の日を迎えると、こみち自身は緊張感を増します。

そんな中で、妻が怒り出しました。

「仕事探しはどうしたのか?」と。

妻は絵を描くこみちが好きではありません!

確かに、絵を描いても、それを仕事にできるのは一部の人たちです。

画力の無いこみちが、このまま絵を描いても、それは趣味やメンタルの逃げ場に過ぎません。

なので、妻は一般的な人と同等とは言わないにしても、やはり当たり前に仕事をして働く男性を好きでいたいのでしょう。

しかし、それが分かっていても、だから就活して働き出せないから、こみちはメンタルを壊していると思うのです。

妻は昨夜に起こった母親のスマホが無くなったハプニングで、探そうともしないこみちや父親の態度にキレて、ダイニングテーブルを目が覚めるくらいの強さで叩き、「何、ぼうっとしているのよ!」と怒り出しました。

物忘れや物の管理ができない母親は、同じ物を何度も買って来たり、大事な物を無くしたりします。

母親にすれば、日中も忙しく働き、疲労感もあって、何をどこに置いたのかも分からなくてしまったのでしょう。

いつも母親は、できる範囲で頑張っています。

ただ、こみちが家事をする時にも、手を出したがったりして、面倒見がいい反面、お節介な性格で、役割分担という手の抜き方が苦手です。

何もしないのに、邪魔をしてその場にいることが多く、こみちが母親と揉める時はそんな内容が大半です。

一方で父親に対しては、もう修復の余地はありません。

今後、どんなきっかけで二人の距離が近くなっても、信頼関係を取り戻すことはできないでしょう。

そして、妻に対しては、もう好きとか嫌いで考えるよりも、長く連れ添った間柄で、居るのが当たり前です。

しかし、妻からもしも離婚を迫られたら、それを止めることはできませんし、むしろこれまで人として良くしてくれたことを感謝するでしょう。

ここだけの話、メンタルを壊すとどんなに普通に暮らしていても、どこかの領域で踏み込めない場所ができて、こみちであれば、絵や家事はできても、他人と流暢に接することは苦手です。

機嫌の悪そうな人や、見知らぬ人と接することに臆病で、些細なことで心拍数が跳ね上がるこみちなので、簡単に150くらいまで上がり、心臓はバクバク状態になってしまうでしょう。

それが長く続くと、何度も深呼吸する様にもなって、外見的にもため息ばかりしている人になってしまうのです。


「働きたくない!」で良いじゃかという話

 なぜ働くのか?

正社員として働くことができれば、収入の安定の他に、自身のアイデンティティが保てます。

というのも、例えばこみちのように請負業で働くと、仕事をもらうために担当者に気を使わなければいけません。

社会人としてのマナーという意味でもちろんですが、相手に不快な印象を与えないようにするという意味で、言葉使いや態度、表情にも注意を払います。

大きな仕事でも、そんなに大きくない仕事でも、取引を失わないためには相手が求める品質以上で提供しなければいけません。

時に、相場が「60点」の時に相手から「80点」や「90点」を求められることもあります。

高い品質を維持するためには、本来以上の集中力や労力を出さなければならず、稼ぐという意味では非効率に働きます。

そんな意味では、正社員の報酬は年収や月収という形で、評価されながら金額が上がります。

しかし、請負業の場合、相手側から報酬額を上げることは珍しく、どうしても労力と報酬のバランスが崩れがちです。

つまり、若い時は正社員として働く、より多様な仕事を安定した環境で経験するべきです。

早い段階で、起業や請負、フリーランスにしてしまうと、試行錯誤の部分まで自己責任になり、場合によっては稼げない期間が長くなってしまいます。

「働きたくない!」時は?

ここでいう「働く」とは、誰かに雇用されて、自分の時間を労力として提供することを指します。

眠いのに、遊びたいのに、と思う時に働きに行くのは簡単なことではありません。

しかし、収入源がなければ、家にテレビを観ているだけで、出掛けても何も買うことができません。

何より、気をつけたいのは、自身の行動範囲が狭くなってしまうことでしょう。

これまでにも失敗を繰り返して来たこみちが思うのは、努力や行動範囲の量が「稼ぐ」に比例しないことです。

つまり、段階的に広がるもので、それこそ「下積み期間」は経験を重ねるための時期で稼ぐことを急いでも上手くはいきません。

仕事を探すと、どうしても給料ばかりに目が行き、「仕事をすれば報酬が得られる」という感覚から抜け出せません。

言い換えると「働きたくない!」と思った時は、「下積み期間」を始めてみてはいかがでしょう。

例えば、ゲームが大好きで、誰よりも詳しいレベルなら、ゲーム配信などでも仕事にできます。

読書が好きなら、流行りの書籍から定番まで、読書した経験を記事にすれば、仕事にできます。

DIYでモノづくりをしても、それだって仕事に転換できるので、それこそ求人募集の要項に応じて働くだけが唯一ではありません。

ただ、自分で仕事を見つけて働くには、「下積み期間」が必要で、その期間をどうやりくりできるかがポイントです。

誰かに求められることを理解して、仕事に変換したいなら、正社員として働く人がどんなことを感じているのかを知っていた方がいいのは当然です。

そんな意味でも、最初はどこかで雇われて経験を積み、その後に下積みを経て独立するのが正しい流れでしょう。

興味や趣味だとしても、下積み期間にすることができます。

ただ、どんな人が興味や関心を持ってくれるのかを知り、そこに見出せるニーズを意識して下積み期間にするべきです。

働きたくない人は、ぜひ、そんな下積み期間として過ごしてみてはいかがでしょう。

妻が「仕事を辞めたい」と言っている話

 こみち家の大黒柱の妻!?

こみち自身も社会との繋がりを維持したくて、仕事をしています。

しかし、それだけの収入で夫婦二人、さらに老いた両親の介護などを将来的に賄うことはできません。

妻が働いてくれる代わりに、こみちが朝食や夕食、掃除洗濯などの一切を担当し、特に妻が家事をすることで時間を無駄にしないように、その時間で好きな余暇に使えるように割り振っています。

しかし、やっぱり外で働くと人間関係や仕事上のことでストレスがありますし、時に自身のキャパを超えてしまうでしょう。

誰がどれだけ頑張れるのかという話は、均等に割り振ることも、能力で割り振ることも合いません。

疲れたと感じた時には、負担を軽減し、頑張れるの時には少し多く頑張ることでしか解決しないからです。

とは言え、妻が仕事を辞めると言い出して、じゃあこみちが本格的に働き出せるのかと考えると、正直なところ、そう簡単には行動できません。

ただ、こみちが動けないと思う気持ち以上に、妻が拒絶しているなら、それは無理を強いることもできないでしょう。

どこでどう折り合いをつけるか。

家にいることが多く、そんなこみちを自由で気ままだと感じるかもしれませんが、こみち自身としては家事をどんなにしても報酬にはなりませんし、何かを買う時も妻に相談するのは、収入源の大部分を妻が担っているからで、無許可で勝手に使う(自身のお金でも)ことはできません。

そんな苦労や気遣いをするのは、働いてくれる妻に対しての感謝があるからです。

一方で、外でも働き、家事も項目を減らしても完全にはフリーではなくなる時に、例えばこみち自身は趣味にしているイラスト書きをずっと将来には何らかの仕事へと展開したい思惑もあります。

今は描くことを試行錯誤中ですが、完全に止めてしまうことはしたくありません。

確かに描くことを仕事にできるのは、選ばれた才能豊かな人だけで、大半の人は生きるために仕事を選ぶのが普通です。

ただ、老いた両親の介護をするためだけに生まれたとは思いたくありません。

なぜなら、もしもそうだとしたら、10年位前から両親の生き方を相談したかったですし、テレビばかり観ている父親を受け入れることはしませんでした。

動かないから動けないという悪循環をもっと早く改善していたら、それこそ今の生活はまた異なっていたと思います。

しかし、自由を尊重し、将来的にも両親が二人で頑張るからこそ、テレビを観ている父親に何も言わなかったと思うのです。

それを今になって、おんぶに抱っこと言われても、それこそこみちが生きる意味を奪われてしまいます。

具体的に家族で今後を相談することも出来ず、父親には何も強いることをせず、周りばかりが負担をし続ける生活にどこかで見切りをつけなければいけません。

一般労働者に戻れるのか?

ジョギングを始めて、身体を積極的に動かすようになって、メンタル的な回復を感じます。

ただ、1%という部分で、心が記憶しているものがあって、それは一度でも壊してしまうと完全には記憶から排除することができません。

つまり、言いようにない不安感が、この先も消えることはないでしょう。

ストレスが極度に掛かると、今でも不安感から平常心を失って、落ち着かなくなることがあります。

仕事中に発症した時に、自分で対処出来なかったらという不安感が消えません。

実際、今の仕事でも稀に起こるのですが、マイペースな黙々とした作業なので、少し休憩を取り、落ち着けるまで時間を割くことができます。

その意味では、今の仕事は都合が良いと感じます。

一方で、収入源としてはやはり心もとない部分もあって、できるなら別の仕事に変えた方が効率的です。

「どうする?」と自問自答していますが、答えはまだ出ていません。



なぜ「努力が報われないのか?」を浅く掘り下げてみた!

 我慢をして「努力している」のに

自分だけが不幸に思えることがないだろうか。

個人的な意見を言うなら、必要不可欠なことを全て行うと、「幸せ」を感じることはほとんどできない。

分かりやすくお金で説明すると、例えば月収30万円の人でも、社会保険などで数万円、家賃や食費でも数万円、家族がいれば教育費などでも出費がある。

でもこれらの金額は毎月必要なもので、普通は省くことができない。

残った金額が10万円で、そのお金をどう使うのか次第で、1年後の自分が決まる。

時代が資格取得だと思って、人気の高い資格の勉強にテキストなどを購入することもあるだろう。

子どもには、将来を考えて学習塾や習い事も経験させたいと思うだろう。

趣味にも使いたいし、家族旅行や外食もしたい。

じゃ、貯金に幾ら回せるだろうか。

余暇を切り捨てて、必要不可欠な経費以外は何もしないで、ひたすら貯金をしてもいい。

家族に何かあったら、その蓄えが役に立つ。

車がなくても、マイホームがなくても、それを自身で選択したと思れば、意外と気持ちは落ち込まないものだ。

むしろ、できると分かっているのに、できない時の方がストレスになってしまう。

結婚し、子育てをしていると、ちょっとした出費はつきものだ。

お菓子を食べたいと言うし、欲しいものができたと言い出す。

買うも買わないも個人の選択ではあるが、それこそストイックに生きることの意味や価値に迷いが出ると、家族の関係もギクシャクしてしまう。

例えば、こみち家の場合、母親が気を利かせて惣菜をいつも買ってくる。

一個数百円。月に1万円の食費が消えてしまう。

既に冷えて硬くなったポテトとウインナーのマスタード炒め。

ジャガイモとウインナーがあれば、15分でできる簡単な料理だ。

しかも作り立ては、熱々で美味い。

数百円の出費と得られる幸福感のバランスが取れているだろうか。

母親にすれば、少しでも料理しないで済むと思い、惣菜を買ってしまう。

でも料理するこみちにすれば、汚れたパックを洗って、リサイクル用に準備する方が煩わしい。

お互いにわざわざ我慢してしていることが、誰にとってのメリットにもなっていない典型例だ。

100%の1%

先に挙げた月収30万円の話を続けると、人生を決めるのはその中の数万円の使い方だろう。

例えばFXを始めるとして、資金を1万円からにすると、実際の運用で設定できる損切りの幅は狭い。

為替の変動が大きいと、一瞬で決済されてしまう。

つまり、物事には適正な流れがあって、最低でもこれくらいの余裕がないとできないというがある。

経験則だが、FXで儲けるなら今は少額では難しい。

無理して捻出した数万円で頑張るなら、もっと別の方法があるはずだ。

資格取得という流れなら、無職から始めるなら危険物取扱者の資格でガソリンスタンドの店員になり、その間に大型免許も取得しよう。

そして、両方が取れたら、ガソリンなどの危険物を運搬する配送車の運転士になる。

ガソリンスタンドのスタッフが時間給1000円なら、運転手で1200円を目指そう。

火気厳禁という危険性はあるけれど、他の運転手に比べて、長距離でもなく、荷下ろしも無いので(ホースに繋いだりはあるけれど)、資格を有効に活用しているだろう。

牽引免許まで広げれば、さらに活躍できる場所を増やせる。

無職から始めても、早ければ3年でタンクローリーの運転手になれるのではないだろうか。

ちなみにざっくりと検索したら、月給30万円くらいは狙えて、1日に数件の納品先を巡る流れらしい。

研究所などの大型施設を巡るルートもあって、適正量を納めてサインをもらうだけなので、コツコツタイプには向いている仕事だと思った。

仕事が見つからないとか、努力が報われないと思う時に、例えば一例としてタンクローリーの運転手という目標を掲げて数年間を生きたとしたら、案外と安定した収入とやりがいを感じられるかもしれない。

言い換えると、別に運転手ではなくても良いけれど、努力が適切に評価されて、自身の身の回りを豊かにしてくれるなら、何でも方法がいいだろう。

つまり、こみちのように「イラストを描くのが好きだ!」と言っても、その努力は簡単に評価されたりはしない。

なぜなら、「トレースでしょう?」と勘違いされたら、それまでどんなにデッサンをして画力向上に努めて来たのかも伝わらない。

見てもらえたら分かることでも、大体は人などそこまで注意を払わない。

払うのは、資格試験のような正式の場ばかりだ。

面接時も含まれるだろう。

つまり、評価されたいなら、それに見合った方法を選ばないと努力だけでは前に進めない。

目的や手法が違うからだ。

大卒って何だ?

大企業の本社勤務、医師や薬剤師のような資格を目指す時だ。

医学部や薬学部を卒業していないと国家試験を受けることができないからだ。

弁護士や公認会計士などは、試験ができれば高卒者でも合格できてしまう。

社会保険労務士、税理士などは、実務経験が必要だったり、大卒や単位数の設定があったりする。

それこそFランクと言われる大学だったとしても、そこで人脈を作り、在学中に難関資格に合格できたら、卒業後の活躍は一気に変化するだろう。

ガソリンスタンドのスタッフからタンクローリーの運転手に進むように、税理士の有資格者で事務所に入り、事務所経営者になることもできるが、そこからいろんな展開ができる。

そう考えると、大卒資格を得るために4年の学生時代をどう価値あるものと考えるかは、案外、自分次第かもしれない。



結局のところ「庶民」と「社長」は何が違うのか?を浅く掘り下げる

 中高年になって分かった結論

こみちは会社の社長になったことがありません。

あるのは、フリーランスという個人での働き方です。

しかし、個人事業主と社長業は似ていますが、全く異なります。

つまり、「社長」とは何か?を知ることができたら、こみちのような庶民がこれから働く上で知っておくべきことがあるはずです。

違うのは「一点」だけ!

結論を言えば、社長と一般庶民の違いは、「ビジネス」を立案しているかにつきます。

ビジネスの立案とは、例えば料理が得意な人が、誰よりも美味しい「料理を作れること」ではなく、その「料理で稼ぐ」ことです。

別の言い方をすると、資格取得も強みを活かすことも、「料理を作れること」であって、「料理で稼ぐ」ことにはなっていません。

私たちが間違ってしまうのは、スキルを身につけることを目標としてしまい、少なくとも「社長業」で問われる条件には届いていません。

だからどんなに頑張っても社長になれないんです。

社長業を始めるために

そのためには「稼ぐ」ことをビジネス化しなければいけません。

料理で言えば、作ることは手段なので、作った料理でどう収益を確保するのかを考えることです。

実際に料理そのものを販売するのも方法なら、作り方を動画にし、それを視聴してもらうことで収益に結びつけるという方法もあるでしょう。

つまり、何かできることを探す一方で、それをどう収益化に転換するかが大切なのです。

言い方変えれば、それが見つかって収益化を目指して起業できたら、もうビジネスモデルを構築できたので、それこそ自分が考える社長業を実現させて行くだけです。

いつもビシッとスーツを着ている社長もいれば、カジュアルな格好で働く社長もいるでしょう。

つまり、そのあとは好きにすればいいのです。

ビジネスモデルを立案さえできれば。

ビジネスモデルをどう立案させるか?

ビジネスモデルを立案させることは、ある意味で難しく感じるかも知れません。

しかし、日常生活の中で不便さやこうだったらと思うことがあれば、それはビジネスモデルの種になります。

「車の運転って面倒だ」と思うなら、自動運転できる車を作れば売れるかもしれません。

もうビジネスモデルが一つできました。

しかし、何の知識も無いところから自動運転できる車を作るまでは時間もコストもかかりそうです。

そう思うと、今すぐ始めるビジネスモデルではないでしょう。

コストを掛けずに、でも日頃からあったら良いなぁと思うことを見つけることが、こみちを始めとした一般庶民の目標です。

具体的に言えば、こみちの場合、介護士という経験を活かしたいと思った一方で、イラストや文章を書くことが好きなので、それをどう活かせばビジネスモデル化できるのか試行錯誤している段階です。

例えば、イラストに自信があれば、依頼者を募って一枚1000円で請け負えばビジネスになります。

しかし、実際問題として、一枚を1時間で描くことはできません。

つまり、時給換算で1000円を得られないのです。

だとしたら、稼ぐ目的という意味では起業する理由が薄れてしまいます。

じゃ、3000円なら採算が取れるのか、5000円なのかと考えてもあまり話は好転しません。

はっきり言えば、その方法ではいずれ稼げないからです。

実際、こみちよりも絵が上手い人は多くて、でもプロとして活躍されている人を何人ご存知でしょうか。

日本全国で考えても、有名な人は少数で、それこそ従業員として絵を描く仕事をしている人の方が圧倒的に多いでしょう。

それだけ、「絵を描くこと」からビジネスモデル化は簡単ではなくて、それ以外のスキルを幾つも結びつけないと難しいのが実状です。

その意味では、「管理者」という意味合いの資格は有望で、例えば電験三種のように電気の設備管理を担える資格は、どんなに人工知能が進んでも人の管理が無くなることはありません。

一方で、料理はレンチンでも良いという時代になれば、作ることそのものではなく、衛生管理や栄養価の管理などの分野は有望です。

つまり、AIと対抗する職種は大変ですが、AIを管理する側に回れば、仕事は今後も失いません。

最近思うのは、例えば自動運転を自身で開発することが大切なのではなくて、そんな事業に挑戦している人に資金援助をする方法で収益化を狙うことです。

つまり、「コスト」という部分で管理者側になるのです。

単純に株価の上下で投資を考えるのではなく、その会社がどこまで勢いがあって、次世代に対応していけるのかを考えて援助できたら、それは紛れもなく「管理者側」で、別の言い方をすると「社長業」と同じことになります。

ある意味、今の時代に求められるのは、「何でもできる万能さ」ではなく、「管理者側」に立つプロセスを理解することでしょう。

こみちの活動

例えばこみちの場合、時間を使ってイラストを描きます。

右のバイクも描いたものですが、これにどれくらいの価値があるのかを目指してもビジネス化はできません。

「絵を描くこと」自体はビジネスにならないからです。

そこで、何をどう加えて、意味あるものにできるかを考えるのが最近の課題となっています。

中高年の仕事探し「3年後の近い未来」を深掘りしよう!

 少子化と高齢化社会の狭間で

今、「シンギュラリティ」という出来事が近い未来に起こるとも言われています。

「シンギュラリティ」とは技術的特異点とも言われていて、簡単に言えば「人工知能が人類の知能を超えるタイミング」を指します。

計算力や暗記力という個別の能力というものではなく、問題の発見や解決という視点で人工知能が人間の能力を起こした時に、「ホモサピエンス」と呼ばれていた我々人間が別の名称になってしまうでしょう。

というのも、「ホモサピエンス」とはその生き物が自身の感情や感性で考えて行動するという特徴があって、知的欲求を持ち、好奇心に動かされて、さまざまな出来事を理解しながら取り組むと考えるからです。

例えば、ここ数年の間にコロナウイルスの発生を受けて、我々は生活様式や人生観まで変えることになりました。

自らの意思で変更するのは問題ないとしても、変えることでしか解決できない、又は変えても解決できないという状況は、ある意味でコロナ禍の影響を人間の英知では克服できないとは言えないかと考えます。

つまり、人工知能を用いることで、人間では解決できないレベルの問題を克服できると分かった時に、本当の意味で「シンギュラリティ」が起こると言えるでしょう。

少子化が進む日本国内では、年々人口減少が続いています。

今の社会で配置された人材を今後も維持できない時が来るのは時間の問題です。

また、高齢者福祉は介護現場を見ても分かりますが、まだまだ機械化できないことが多く、むしろ人の手が必要となる場面の多い職場です。

中高年の方で仕事を探す場合に、介護士という選択肢が候補になるのも、人材不足が顕著になる業界からです。

今の社会構造をできる限り維持しようとするなら、人工知能で賄える領域を積極的に取り入れて、補えない部分を人間がカバーするという構図もあって、やはり「シンギュラリティ」という状況が近未来に起こるのは想像できるでしょう。

中高年の仕事探しはどう変わるのか?

シンギュラリティが起こるという前提で考えるなら、今後約10年から40年くらい残された人生をどう生きるべきかですが、少なくとも今までの経験則では解決できない問題が出てくるでしょう。

例えば自動車業界では、エンジンの稼働で発生する二酸化炭素の排出を危機と捉え、電気自動車によるクリーンな環境を目指しています。

一方で、現時点では電気自動車を動かすためにはバッテリーが不可欠で、その製造や廃棄には二酸化炭素の発生が避けられないとも聞きます。

つまり、「自動車で走る」ということだけを見れば、二酸化炭素の軽減になっているのですが、自然全体で考えると今は問題視していないことを人間が見逃していないのか分かりません。

数年くらい前から、今後無くなるであろう仕事が話題でしたが、機械化によって失われるというものではなく、人類による決断で人工知能にサポートを受け入れた時に、機械化やプログラミングで再現しやすい分野ほど、その役割を失うでしょう。

つまりその過渡期に立つ現代では、既存の社会があとどれくらい継続されるのかが問題です。

例えば先に紹介しましたが、介護士の仕事を今すぐに人工知能で補うことはできません。

今中高年の方々が現役として働く間は仕事として存在するでしょう。

しかし、現時点でパソコンで完結するような書類作成などの作業は、今後さらに自動化が進み、1時間の作業を1分で終えて、あとは別の仕事をするということが当たり前になるでしょう。

これも聞いた話ではありますが、ショップ店員が昨今の値上げを懸念し、賃金アップを要求したところ、これまでの業務の一部に機械化が取り入れられて、作業そのものが機械に奪われてしまうという事例もあるそうです。

これだけ身近に迫った時代の変化は、便利を求めた我々の目指す世界観でもありました。

困難なことを仕事として考える!?

結論的なことを言えば、人工知能ではまだ補えない領域や機械に向かない領域などは、まだまだ仕事として残るでしょう。

例えば人間は人工知能ではないので、食糧を求め、ゴミを出して暮らしています。

酸素を吸って二酸化炭素を出すように、人間として生きる限りは避けられません。

つまり、介護の仕事のような人と関わることは代替できない部分でしょう。

もちろん、テクノロジーは「癒し」の部分でも開発を進めていて、撫でると生き物のように反応するぬいぐるみなどが作られていて、介護の領域でも介護士の役割はより限定的になるかもしれません。

とは言え、社会構造が段々と変化しているので、それこそ配送業務をドローンで補うようなこともあるでしょう。

変えられる業務は機械化し、人間でなければ難しいことだけが最後まで残ると思います。

意外な部分ではYouTuber のような仕事も残るのではないかと思っていて、その理由は人間が人間らしく生きるために必要不可欠な娯楽になり得るからです。


「ジョブ型雇用」とは何か?を掘り下げる

 例えばデザイナー採用の場合

デザイナーやイラストレーターなど、クリエイティブな職種に就職すると、最初はアシスタントとして業務の一部やサポートを担うでしょう。

その後、仕事を覚えるにつれて、「ジョブ」毎に割り振られ、それをこなすことで仕事が進みます。

人によっても違うと思いますが、早い人なら初年度から、遅い人でも3年後くらいには、クライアントとの直接交渉が始まり、「ニーズ」や「作業意図」を会話によって聞き出すことが不可欠になります。

もちろん、作業には納期が設定されているので、それまでにどのようなスケジュールで進めるのかも基本的には自己管理しなければいけません。

つまり、一連の作業が担えるようになると、デザイナーやイラストレーターは独立を考えることになります。

もちろん、管理者として会社に残ることを選ぶ人もいますが、仕事内容は長く勤めても基本的に変わりません。

つまり、このような働き方を「ジョブ型雇用」と呼ぶのでしょう。

メリットもデメリットとも言えるのが、3年くらい勤務するとその先の成長は自己責任だということ。

作業に慣れたら、経理や予算管理にまで知識を広げて、独立することも考えないと仕事マンネリ化してしまいます。

例えば工場勤務でジョブ型雇用されたら!?

工場のような製造業で、ジョブ型雇用された場合、基本的に仕事は生産ラインになったり、資材管理になったり、採用段階で交わした業務内容で行います。

もしもそこに、予算管理や経理が含まれていなければ、正社員採用だったとしても、パート採用だったとしても、業務内容に大きな差はないでしょうし、今後も他分野の知識や経験を得るチャンスはなかなか巡って来ません。

このような採用での経験は、転職するときの職務経歴でも明らかにされ、しっかりとプランニングしなければ断片的な経験ばかり増えてしまうこともあるでしょう。

中高年の方々が転職する場合、年齢の壁と職歴の壁があって、年齢の壁は実際に働いて示すしかありませんが、職歴の壁は変えることができません。

つまり、一連の作業を熟知していないまま年を重ねてしまうと、「言われた作業をする」という働き方しかできなくなってしまい、その作業の単価は〇〇円と決められたら、それが限界になってしまいます。

また、若いこれからの労働者にとっても、幅広い知識を得るチャンスが失われ、中高年の管理者が旨味を吸い取るような構図にもなり兼ねません。

長く職場に定着しない風潮が進めば、さらに「日本製品」というブランド力も薄れ、長期的に見ても手放しで喜べる流れではないでしょう。

「仕事」が単なる「作業」ではなく、「市場からのニーズ」や「予算管理」「人材育成」にあるとするなら、ジョブ型雇用はこの先に二極化された働き方を生み出すでしょう。

さらに言えば、正社員、パートを問わず、自身で仕事を生み出すことがずっと求められ、全ての人が起業し、その中でジョブ型雇用者として一時的に働きというスタイルが一般化します。

成果給になれば、一部の人は今以上に儲けることができますが、それ以外の人は収益を落とします。

落とした収益を挽回するのは副業で、二足三足といくつもの働き口を見つけなければ、かつての収入にも届かないでしょう。

これの仕事探し

常々感じて来たことですが、何らかの方法で稼げる手段を手に入れた人はセールです。

しかしまだこみちのようにもがいている中高年の方々は、かなり焦った方が良さそうです。

なぜなら、ジョブ型雇用が浸透すれば、時間給ではなく成果給というケースも増えるかもしれません。

休むのも自由ですが有給休暇はなく、昇給も賞与もありません。

おまけに労働中の事故や怪我も自身で保険に加入するなど、会社からのサポートが薄まります。

つまり、「雇用」ではなく「委託」になって、会社は人件費を抑えるでしょうし、我々はさらに不安定な形で働かなければいけません。

目標とする次の展開でもある「自身で稼ぐ」というステージに到達できない可能性が高まります。

理由はこれまでの金額を稼ぐには拘束時間が長くなり、又は短時間で雇用をぶつ切りにされて思うように稼ぐことが出来ず、食べるので精一杯になるからです。

それでは次の展開も考えられず、経験不足のまま、年齢ばかり重ねてしまいます。


社会から求められる「自分」になるために

 社会から求められること『ニーズを探す』

いわゆる「求人」とは、企業から求められた「ニーズ」です。

つまり応募するとは、そんなニーズに応えたとも言えるのです。

では、社会から求められるニーズは他にないのでしょうか。

実はそんなことなど無くて、探せば幾つもあります。

例えば女性が外出する時、男性以上に身支度に時間が掛かったりします。

ちょっとコンビニで「おにぎりを2つ欲しいだけ」ということであっても、外出までの準備を考えると、時間も労力も使います。

そこで、もしもおにぎりを配達してくれるサービスがあったら…。

そこで問題になるのが、世の中にはたくさんのニーズがあって、それを叶えることがビジネスとして成立するかという部分です。

人口が密集している都心部なら、配達をサービス化できるでしょう。

一方で隣人宅まで距離が離れた地方になるほど、配達に要するコストが嵩張り、どうしても配達料に上乗せされます。

その反面、資金豊かな企業が採算の取れる都市部を攻めても、収益性面で地方を避けているとしたら、場合によってはビジネスとして成り立つのか試算してみる余地はあるはずです。

「スキルアップ」の目的を見直してみよう

こみちは介護福祉士の有資格者です。

福祉系の学校で学ぶ方法や、介護施設で3年以上勤務するなど、国家資格でもある介護福祉士の資格試験を受ける条件をクリアしなければいけません。

中高年の方であれば、働きながらスキルアップするコースが多いのではないでしょうか。

つまり、「介護福祉士の有資格者になろう!」と思っても、3年以上の期間が必要で、限られた人生の時間を費やすことになります。

ここで言いたいのは、若い頃に取得した資格を活かすことがまず基本となります。

こみちで言えば、広告制作で経験したイラスト書きや文章書き、カメラ撮影などのスキルになるのですが、改めて企業に採用してもらうことができるのかは微妙でしょう。

と言うのも、広告制作を含めたクリエイティブな仕事の多くは、どうしても激務です。

時間に追われ、品質に追われ、体力がなければとても務まりません。

作業としてできたとしても、それだけでは業界に戻ることは厳しいでしょう。

そんなこともあって、介護福祉士の資格を目指したのですが、今はその資格も活かせていないのが現実です。

これも同じ理由で、介護の仕事もベースは体力勝負で、その時間に穴を空けずに勤められる責任感が必須だからです。

長く勤めていると、悪天候や通行止めなど、いつもとは異なる状況が起こることもあります。

実際、介護士として働いていた時も、電車が止まり帰ることができなかったり、逆に止まることを想定して早めに施設に出て来るなど、台風の時に前後含めて丸3日間施設の控え室で寝泊まりしたというスタッフもいたほどです。

つまり、社会からのニーズも、単純に技術や知識ばかりではなく、その時間に来られるということも重要なことだったりします。

「やったらできる」という評価は、それだけ軽く見られるのも事実でしょう。

2023年に身につけたいスキル

目安として100万円以上の資金を確保できるなら、何らかの投資に挑戦してみるのもありだと思います。

そこまで資金がないという時は、真面目に「YouTube 」を考えてみてはどうでしょうか。

確かに収益化までの道のりは険しいのですが、ポイントは「社会からのニーズ」を実感できることです。

ニーズから外れたことをすれば、全く評価されないでしょうし、関心あることを扱えば共感してくれる方がコメントを寄せてくれるかもしれません。

おすすめは料理、編み物で、特に男性の方に始めて欲しいテーマです。

特に料理はお洒落な動画がたくさんあって、今からそれを真似ても厳しいでしょう。

だとしたら、フライパン1つとか、レンチンだけというチャンネルの特徴を設けてみるのがポイントです。

例えば、「スタートからいただきますまでキッチリ10分」という内容で、動画内に時間のテロップを導入し、単なる料理動画ではなく、ちょっとエンタメ性も盛り込んだら面白いかもしれません。

このように、何を加えたら社会からのニーズを集めることができるのかを考えるベースとしてYouTube を始める価値があります。

ディスカバーチャンネル「90日で1億円稼ぐ億万長者企画」を知っていますか?

YouTube のオススメで見つけた「面白そうなコンテンツ」を紹介します!

その動画とは、ディスカバーチャンネルのコンテンツで、「90日で1億円稼ぐ」というもの。

既に億万長者となった人が、元手100ドルと、携帯電話、中古ドラックを与えてもらい、そこから90日で1億円を稼ぐまでを記録した動画でした。

コネも使わず、身分も隠し、さらには身につけている洋服もカジュアルで言うなれば、どこにでもいる人と何ら変わりません。

チャンスはみんなに平等だということでしょう。

土地勘のない街に来た彼は、まずその町の生活水準を携帯電話で調べました。

企画が90日ということで、3ヶ月を暮らすのにどれだけの予算が必要なのかを確認したかったからです。

すると、1ヶ月で1100ドル、3ヶ月では3300ドル程度と分かり、まず最初の7日間でその3300ドルを稼ぐプランを立てています。

とは言え、住まいも食材も無いところからのスタートなので、食事とトイレを済ませるために町のスーパーに立ち寄って、セール品を探すことにしました。

初日は、求人募集で出来そうなことを幅広く挙げて登録し、宿泊費を抑えるために車中泊をして朝を待ちました。

すると、早速連絡が来て、そこで最初の仕事を受けることにします。

6時間働いて60ドルの報酬を受け取りました。

しかしこの時はまだ、7日間で3300ドルの目標に到達できるま目処は立っていません。

ただここで初めてのポイントがありました。

その町で何か大きなイベントが企画されていて、その告知ポスターが街の至る所に貼っていて、彼もそのことに気づいて何かできないかと考えたのです。

そして重要なのはココで、最初に働いた仕事で知り合った人と連絡先を交換していて、彼にそのイベントがどんな内容であるのか聞いたのです。

さらに、イベントでは緑色に関するアイテムがビジネスになると知り、一人ではなくその知り合いとタッグを組んで一緒に儲けないかと誘いました。

相手も興味を持ってくれて、まだ二日目ながら、地元をよく知る人を一人味方にできたのです。

イベントは祭りのような盛り上がりで、用意したのはキラキラと光るアイテム。

それを地元で人気のバーを二人で潜入し、酔っ払い客たち相手に商売を始めます。

気分がいい客たちは、キラキラアイテムを喜んで買ってくれました。

ここで一気に414ドルに増やせました。

動画は約85分の長編ですが、ここまで観ただけでも儲ける人の行動には明らかな特徴があると思いませんか。

自分のできることを頑なに追求したりせず、市場のニーズをいつも考えて行動に移しています。

しかも、しっかりと頼れる参謀を作り、仲間を増やしています。

ここから何を学んだのか?

億万長者も最初はできることを選択し、仕事を探しました。

しかし、仕事に慣れることを最終目標とするのではなく、丁寧な仕事ぶりをモットーに信頼できる人材であることを示しました。

その結果、職場での出会いをきっかけに、仲間を見つけ、相互に頼り合える存在になっていきます。

そうすることで、「これはビジネスにならないだろうか?」と気づきに対する対策が講じられます。

つまり人脈作りをしたのです。

そのすべてを真似ることができないとしても、これから仕事探しする時に心掛けたいポイントにはなったでしょう。

中高年の場合、たとえ雇われる側だとしても、従業員のまま働けるとは限りません。

自分の体力や事情に合わせて働ける環境を作りには、信頼される人材となり、また信頼できる人材と繋がることで、始まることもあるはずです。

こみちの場合、今の仕事をその場限りの関係に留めていて、例えば「何か手伝えることはありませんか?」とか、「こんなことができるけど、活かせる仕事はないですか?」と聞けるだけでも、新たな展開に繋がるかもしれません。

億万長者の彼も言っていましたが、できることを売るのは失敗しやすく、先に買ってくれる相手を探し、そのニーズにどう合わせられるかを考えます。

折角の努力も無駄になってしまうかもしれませんから。

今回、ちょっと意識して行動したいと思いました。

「努力しても報われない」と感じる人は正常です!

 今という時代に何が起こっているのか?

昭和時代、努力や我慢が求められました。

なぜなら、成功できる方法がいくつか存在し、その列に並ぶことが大切だったからです。

一方で、終始雇用のようなシステムが減って、個人が個人として自己プロデュースしなければいけない時代になり、本業だけではあやしくて副業もしなければいけなくなりました。

その時に、多くの人は自分のできることを振り返り、本業と同じ流れで副業も考えてしまいます。

しかし、それでは不十分で、今という時代の変化に対応できていないかもしれません。

努力をする前に「努力する状況」かを考える!?

昭和時代には、儲ける方法が確立されていました。

料理人は上手に料理が作れたら儲けられたということです。

しかし、そんな料理の修行をしなくても、料理業界で儲けられてしまう事態があちこちで起こっています。

例えば、冷凍食品による調理方法の簡略化は、相当なものだからです。

長く修行しても、そんな冷凍食品の品質を上回ることができなければ、市場では評価されないこともあります。

つまり、努力したことがしっかりと報われる場所も見つけなければ、無駄になってしまいます。

「資格取得」そのものには意味がない!?

実際に働けている時は、資格の有無は問われたりはしません。

しかし、これから評価されたい時には、一定の知識を証明するのに資格取得は効果的です。

とは言え、取得したら勝手に評価される時代ではありません。

なぜなら、同じことを考えて多くの人も資格取得しているからです。

つまり、資格を使って「どう活かせるのか?」こそがポイントということです。



介護士の仕事を理解していますか?

 中高年におすすめしたい介護士の仕事

介護士と言っても、勤務する介護施設によってかなり仕事内容が異なります。

初めて介護士として働くのであれば、特養ホームや老健、デイサービスなどがおすすめです。

その理由は、先輩介護士と一緒に働けるので、初任者研修などでは学ぶことが難しい「現場力」が身につくからです。

先ずは、現場で3年以上勤務し、国家資格でもある介護福祉士の資格取得を目指しましょう。

介護福祉士の資格試験は毎年1月末の日曜日に実施されます。

その合格の目安は、全125問の出題に6割以上の正解が求められますが、心配は必要ありません。

現場経験を3年以上積み重ねれば、それだけで既に5割前後の問題に正解できるからです。

つまり、残り1割から2割分をどう上乗せできるかがポイントになります。

例えば、特養ホームなどに勤務すると、日常の勤務で医師や看護師と密に仕事をする機会は多くないかもしれません。

つまり、利用者に対して医療従事者が何をどう関わるのか知ることも少ないでしょう。

一方で、病院内の介護スタッフとして働くような場合、日頃から医師、看護師の仕事を見聞きできるので、医療と介護の連携や役割の違いをより実感しやすいでしょう。

介護福祉士の試験に関しては、一部医療に関する内容が問われます。

しかしながら、医師や看護師に求められる知識を追ってしまうと、知識量が膨大なのでそれこそ学習効率が低下します。

試験で求められる意図を理解し、介護サービスの前提として問われる「医療」なのだと考えましょう。

このように、勤務した介護施設によっては、問われる試験内容と重ならない部分もあるので、そこを重点的に補うだけでも、残り1割から2割を賄えるはずです。

介護福祉士になると、そこからさらに経験を重ねて、ケアマネジャーという資格にも挑戦できます。

ケアマネとも言われますが、介護スタッフが利用者と関わりさまざまなサービスを提供しますが、そのサービス内容を「計画(ケアプラン)」としてまとめるのが主な役割です。

その人の性格や心身状態、家族の支援など、実際には施設入所された方々もいろんな背景を持っていて、それは機会的に判断できるものではありません。

そこで、先ずは現場経験を重ねて介護福祉士となり、さらに今度はどのような介護サービスが求められるのかを意識し、ケアマネになることで、今度は利用者とその周辺の事情を踏まえた役割へと移行します。

中には、ケアマネだけを業務とする人もいれば、ケアマネを続けながら現場スタッフとしても働く人がいます。

未経験からスタートし、ケアマネになるまでは最低でも8年以上の時間を要します。

介護福祉士になるのに3年、そこからケアマネの任命資格を得るのに5年が必要だからです。

親の介護を経験して

こみちは今後のためにも両親との同居を始めました。

実際に同居すると、互いの生活スピードがあまりに違っていて、ストレスが溜まります。

日に何度も「なぜ?」と思うようなことが起こり、それは子どもに対する感覚とは異なります。

できなくても仕方ないと思うことがなかなか難しいからです。

育ててくれた「親」を、「できなくても仕方ない」と見切れない部分があります。

例えば、父親は時々トイレの便座を濡らしてしまいます。

母親は同じ物を何度も買って来たり、間違いでも繰り返してしまいます。

それを指摘しても、一方的に言い訳が始まるので、本当に必要なこと以外は自由に任せます。

そうしなければ、こちらの精神が参ってしまうからです。

ある意味では、介護士として働く時以上に、こだわりが出てしまうので、程よい距離感が保てません。

中高年の人には

ぜひ、介護士として働いて欲しいと思います。

どっぷりと関わらないにしても、介護施設の業務を知ることで、自身が老いた時のイメージができるからです。

やはり健康が大切だと感じるでしょうし、仕事を続けることの効果にも理解ができるはずです。

そんな意識で、介護スタッフという働き方を候補に入れてはいかがでしょうか。



人生の逆転は「倒れたドミノを倒し返す」みたいなもの!?

 信頼されやすい人

ぱっと見、信頼されやすい人がいる。

その逆で、やる気無さそうに思われてしまう人もいる。

しばらく接していると、その人がどんな人なのかは分かるものだが、ファーストインプレッションが高評価だと、良いスタートが切れるだろう。

サラリーマンにもある社内の派閥

フリーランスになると、取引先の会社とはいい意味でも距離ができる。

出入りしていると、職場の人間関係もなんと無く感じられて、「ふむふむ」と思いながらも気づかないふりをしている。

流れとしてどちらかに非がないのに、一方的に優劣が付いてしまうのも、社内での派閥や立場が影響することもあるだろう。

それだって、言うなれば倒れたドミノを反対側に倒し返せるのかということと同様で、世間的には状況を覆すことはできない。

自分のスタイル

こんな自分でありたいと思うことは悪いことではない。

でも、倒れたドミノを無視して描いた「スタイル」は、到底実現できないことも知っておくべきだろう。

つまりそれが、自己分析であり、自己プロデュースへと繋がってくるからだ。

言うなれば、学生時代というのは、倒れたドミノを一度排除して、「学問」という独立した領域で考えることができる。

社会人になって「資格取得」が楽しく思えるのも、生きることがそれだけ複雑で、簡単ではないことに埋め尽くされているからだろう。

「競取り(せどり)」というビジネス

例えば、脱サラして何か商売を始める時に、「せどり」を思い浮かべることがある。

仕入れ値と売り値の差額から利益を出す、仲買業とも言える。

お金は数値に過ぎず、札束になると案外、嵩張るものだ。

商品を仕入れて、それが最終的に売れるとしても、半年、一年を要するとなれば、その「置き場所」が問題になることもある。

嘘か本当か、知っている大型倉庫の月額賃料が500万円だと聞き、確かに大型のトラックが何台も行き来できる大きさではあるが、「置き場所」もコストとして考えると軽視できるものではない。

差額分がそのまま利益になるのではなく、置き場所のコストなどを差引くと、「売れる」「売れない」だけではない目利きが大切なのかと知るだろう。

例えば、クリエイターのような働き方は、センスや経験など、そこに行き着くまでに時間と努力が必要だ。

でも、小説家になると、自宅の書斎はもちろん、コーヒーショップのテーブルでも仕事ができる。

さらに言えば、「在庫」もない。

しかし、そこに行き着くまでの道のりが困難で、例えば脱サラしてすぐに「小説家」になれる人は稀だろう。

ある意味、だからこそ脱サラして始める仕事の中で、競取りが注目されるのは、価値ある商品を見つけて、そこから利益を出せるからで、自身によって価値を生み出すクリエイターとは働き方が違う。

どんな仕事にも言えることだが、相場の変化でニーズが変われば、クリエイターは仕事を失うし、競取りは在庫を抱えてしまう。

その時も、クリエイターが方向転換するだけなのに対し、競取りは置き場所代も考えて、在庫処分に迫られる。

アパレル産業などでは、デザインや色合いなど、世間からのニーズに外れた商品が半値どころか、「キロ幾ら?」という扱いで取引されることもあるそうだ。

逆境をどう跳ね返せばいいのか?

今の時代、楽して儲けられる仕事などないだろう。

つまり、簡単にできてしまうとしたら、どこかで大きな課題を忘れている。

そう「ドミノは既に倒されている」からだ。

あとは、自分でどう跳ね返すのかに掛かっている。

「楽しく働けること」はそんな条件にあっていて、跳ね返すことはできなくても、そんな状況でも堪えることができるから意味がある。

職業の良し悪しをあまり分析し過ぎると、動けなくなってしまうのは、ドミノが倒されていることに目が向いてしまうからだろう。

でも、もう倒されていないドミノは見つからないから、焦らずにそれを楽しむしか無い。

そう考えると、あまり深刻になり過ぎないこともポイントだろう。