信頼されやすい人
ぱっと見、信頼されやすい人がいる。
その逆で、やる気無さそうに思われてしまう人もいる。
しばらく接していると、その人がどんな人なのかは分かるものだが、ファーストインプレッションが高評価だと、良いスタートが切れるだろう。
サラリーマンにもある社内の派閥
フリーランスになると、取引先の会社とはいい意味でも距離ができる。
出入りしていると、職場の人間関係もなんと無く感じられて、「ふむふむ」と思いながらも気づかないふりをしている。
流れとしてどちらかに非がないのに、一方的に優劣が付いてしまうのも、社内での派閥や立場が影響することもあるだろう。
それだって、言うなれば倒れたドミノを反対側に倒し返せるのかということと同様で、世間的には状況を覆すことはできない。
自分のスタイル
こんな自分でありたいと思うことは悪いことではない。
でも、倒れたドミノを無視して描いた「スタイル」は、到底実現できないことも知っておくべきだろう。
つまりそれが、自己分析であり、自己プロデュースへと繋がってくるからだ。
言うなれば、学生時代というのは、倒れたドミノを一度排除して、「学問」という独立した領域で考えることができる。
社会人になって「資格取得」が楽しく思えるのも、生きることがそれだけ複雑で、簡単ではないことに埋め尽くされているからだろう。
「競取り(せどり)」というビジネス
例えば、脱サラして何か商売を始める時に、「せどり」を思い浮かべることがある。
仕入れ値と売り値の差額から利益を出す、仲買業とも言える。
お金は数値に過ぎず、札束になると案外、嵩張るものだ。
商品を仕入れて、それが最終的に売れるとしても、半年、一年を要するとなれば、その「置き場所」が問題になることもある。
嘘か本当か、知っている大型倉庫の月額賃料が500万円だと聞き、確かに大型のトラックが何台も行き来できる大きさではあるが、「置き場所」もコストとして考えると軽視できるものではない。
差額分がそのまま利益になるのではなく、置き場所のコストなどを差引くと、「売れる」「売れない」だけではない目利きが大切なのかと知るだろう。
例えば、クリエイターのような働き方は、センスや経験など、そこに行き着くまでに時間と努力が必要だ。
でも、小説家になると、自宅の書斎はもちろん、コーヒーショップのテーブルでも仕事ができる。
さらに言えば、「在庫」もない。
しかし、そこに行き着くまでの道のりが困難で、例えば脱サラしてすぐに「小説家」になれる人は稀だろう。
ある意味、だからこそ脱サラして始める仕事の中で、競取りが注目されるのは、価値ある商品を見つけて、そこから利益を出せるからで、自身によって価値を生み出すクリエイターとは働き方が違う。
どんな仕事にも言えることだが、相場の変化でニーズが変われば、クリエイターは仕事を失うし、競取りは在庫を抱えてしまう。
その時も、クリエイターが方向転換するだけなのに対し、競取りは置き場所代も考えて、在庫処分に迫られる。
アパレル産業などでは、デザインや色合いなど、世間からのニーズに外れた商品が半値どころか、「キロ幾ら?」という扱いで取引されることもあるそうだ。
逆境をどう跳ね返せばいいのか?
今の時代、楽して儲けられる仕事などないだろう。
つまり、簡単にできてしまうとしたら、どこかで大きな課題を忘れている。
そう「ドミノは既に倒されている」からだ。
あとは、自分でどう跳ね返すのかに掛かっている。
「楽しく働けること」はそんな条件にあっていて、跳ね返すことはできなくても、そんな状況でも堪えることができるから意味がある。
職業の良し悪しをあまり分析し過ぎると、動けなくなってしまうのは、ドミノが倒されていることに目が向いてしまうからだろう。
でも、もう倒されていないドミノは見つからないから、焦らずにそれを楽しむしか無い。
そう考えると、あまり深刻になり過ぎないこともポイントだろう。