それでも何もしない父親に
仕事から帰った母親ですが、疲れもあって夕飯の支度をなかなか始めません。
様子を見ようとキッチンに行けば、テレビの前で横になっている父親がいます。
テーブルの上には、今さっき買い物したであろう出来合いの品が放置されたままです。
しばらくして戻って来た母親に「これを適当に盛れば良いの?」と聞いたのですが、それこそ「手伝わなくてもいい」と言ってくれたら何も手出ししたくはありません。
なぜなら、夕飯の食器洗いや米とぎ、明日の朝にはまた朝食と弁当作りが待っているからです。
でも決まってそんな時に母親は「大丈夫だ」とは言わずに、一緒にしたがります。
メインがこみちで、サブとして母親が心地よいのでしょう。
しかし、料理を作る上では母親がいると邪魔でしかありません。
こだわりが強くて、あれこれと上乗せしてくるからです。
実際、今日もそんな感じで、盛り始めたこみちをそのままに、冷蔵庫から食材を出して「何を作ろうか?」と言い出します。
「作る元気があるなら、任せたいんだけど!」というと、ダンマリして作業を一旦止めます。
でも、持ち場から離れようとはしないで、何かまた別のことに手が伸びるのです。
調理しなくてもできている料理ばかりなので、それこそ作業時間は10分ほど。
実際、父親だってできない内容ではありません。
しかし、そうやって母親がちょこちょこと手を出すので、父親も「しなくてもいいのではないか?」と勘違いしてしまうのでしょう。
もちろん、大人であれば、自分の立場や家族としての将来を考えないはずはありません。
しかし、父親はテレビを見て用意されたご飯を食べることが自分の役割だと思っているのでしょう。
以前もそんな内容を家族会議しましたが、何も意見を言えない父親で、ある意味でもうその点では「介護」が始まっています。
母親の気持ち
仕事から疲れて帰った時に、居眠りしている父親を見ると気持ちが萎えるようです。
しかも、出迎える訳でもなく、買って来た買い物袋を運ぶ訳でもない父親に、怒りすら感じるでしょう。
どうやらこみちがキッチンに行った時も、両親で既に何かトラブルがあったようです。
それでも寝転んでいる父親に向かって、「ご飯くらい盛りなさいよ!」と怒りをぶつけていました。
その言葉を耳にして、母親もストレスを溜めていると感じました。
こみち家の今後
こんなことがあって、父親が何かを感じることができたなら、少しは違うでしょう。
しかし、何もしないでノラリクラリと暮らして来たのは今に始まった話ではありません。
結局、10分で用意された夕飯を当たり前のように食べて、またテレビを観て明日を迎えるのです。
これで「明日の朝はオレが作るから」とでも言えたら見直すのですが、そんな改心などあるはずもないでしょう。
正直なところ、母親が潰れたら、真っ先に父親の世話が頭を悩ませます。
介護施設に入れるにも、そのコストをどう工面するのか、親の家をどうするのか、一気に悩みが押し寄せるからです。