1%のミスと99%の成功!?

人間の評価はできない1%かできる99%かという話

いつものように、同居する父親を例に挙げると、仕事の帰りに買い物をした母親が帰宅して、珍しく父親が玄関まで出迎えました。

キッチンではこみちが夕飯を作っていて、盛り付け中の食器がテーブルに並んでいます。

冷凍食品を含め、買い物した品をテーブルに出し始めた父親ですが、全てを出し終えて立ち去ります。

どうしたのかというと、その後は誰かがするだろうと思ってしまうのです。

「ん?」って感じですよね。

野菜は野菜室に、冷凍食品は冷凍庫に。

その判断もできません。

失敗するくらいなら、誰かに任せた方がいいというのが、父親の考えなのでしょう。

結果的に、現状で父親ができるのは「自分で食べる」「自分で着替える」「自分でトイレに行く」くらいで、要支援1程度に該当するレベルでしょう。

できない1%を見ると、父親もう介護される人になります。

でもまだできることがあると考えれば、できる99%の部分を評価できるでしょう。

父親は自分でできる99%を自己評価し、できない1%は省きたいのかもしれません。

しかし、その結果として、できることが自分の身の回りばかりになって、誰かの役に立つことがなくなってきました。

「老いているから」と思うのか。

「やり方はないだろうか?」と思えるのか。

父親はその辺りで躓いているのでしょう。

勤務先の会社で人が辞めてしまう原因

こみち自身、仕事を始めた頃、頻繁に怒られていました。

その頃は、精神的に心を壊しかけて、ある意味で心のリハビリ中で、いかにストレスのない生活を保つかが課題でした。

職場で怒られることで、少なからず自己否定もしましたし、一方でなぜそこまで怒られてしまうのか疑問にも感じました。

なぜなら、同僚が怒られることはありませんし、指導されるとしても言い方が全く違っていたからです。

言うなれば、1%のミスをこみちは怒られていましたし、同僚は99%を尊重した上で指導されていたと感じます。

とは言え、そんな同僚を含めて、勤務先の会社では退職される人が少なくありません。

この一年くらいで、同期に当たる大半の人が辞めています。

その意味では、行き先がなくてしがみついたこみちと、あともう一人がいるだけで、人材が定着してしません。

会社の社員がまだまだ若く、平均年齢も20代後半から30代前半だと思いますし、それこそ中高年の人は管理職ばかりで、例外的に現場にいるのは嘱託社員の一名だけです。

ある意味で、こみちはどこかで仕事を舐めていて、怒られても自分だけが悪いとは思っていません。

と言うのも、高い品質で仕上げられるのは、素材があってこそだと分かっているからです。

低品質な素材で躓いていたこみちは、「上手くできない」と思っていた時期もありました。

でも、低品質な素材を仕上げ段階でカバーするのは限界があることも段々と分かって来たのです。

しかし、上司が考えるのは最終的な品質で、今までずっと「なぜこんなできなのか?」とこみちに怒っていたのです。

しかも低品質な素材だと知りながら。

今では、もう1%の部分で怒られることはほとんどなくて、でも今までの経緯もあって、上司の態度はちょっと「扱い難い奴」になってしまったかもしれません。

なぜなら、基準通りの素材は満足なレベルに仕上げることができているし、やはり低品質の場合には、その部分だけが最終的に欠陥として残っているからです。

とは言え、辞めていったほとんどの人は、こみちのように怒られているように見えませんでした。

もしかすると、こみちの知らないところで、同じような叱責を受けて来たのかもしれませんが。

「なぜ、できなのか?」

と結果だけを問うのは簡単です。

しかし、原因や改善策を検討するのは簡単ではありません。

きっと上司は99%完璧な自分を評価し、1%の苦手を些細なことと考えているのでしょう。

だからこそ、「なぜ、できなのか?」と簡単に相手を責められるのです。

これがもしも、適切な改善策を講じられたら、相手も歩み寄ることができたかもしれません。

もちろん、上司だって、さらに上司からのプレッシャーもあってだろうとは思いますが、どこに原因を求めるかで、結果も大きく変わることはあるはずです。