飯炊きジジイになっていく!?

 中高年の末路

中高年のこみちは、新しく何かを学ぶことが苦手だ。

新しい職場で、初めての作業を簡単にクリアできないだろう。

副業という目的で始めた今の仕事も、慣れた部分は大いにあるが、同期や後輩になる若手組は遥かに仕事ができる。

感覚的には、こみちが「10」ならば、若手組は「1000」という感じで、ちょっと頑張って追いつける差ではない。

こみちもこみちなりに工夫をして、少しでも追いつけたらと思う時はあった。

とは言え、そんな工夫で向上した結果が「8」から「10」という感じだ。

親の介護

心身的なケアという介護ではなく、それが「同居」ということだとしても、親の介護は思っている以上にストレスが掛かる。

迷惑掛けていないと思っているのか、一度それに慣れてしまったら慢性化してしまうのか、父親は本当に何もしない。

この前、珍しくお湯を沸かすことがあった。

しかし、その時はこみちが食器を洗っている時で、「水を入れたい」と言って、わざわざシンク前に立つこみちの作業を止めさせて、割り込んで来た。

「あとにして!」とはっきり言えればいいのだが、心を壊して以来、誰かに強く「言う」ことができなくない。

オタオタしている間に、父親に場所を奪われてしまった形だ。

ご飯を作り、食器を洗う一連の作業に対し、父親は一回のお湯を沸かすことで、対等だと感じられる人だ。

しかも、毎回沸かすのではなく、思い立った時に沸かせば、それで対等になっていると思えるのだから、ある意味で凄い感覚だろう。

つまり、庭仕事をするとなっても、父親は顔を出すだけでも対等に思える人だから、少しでも手を出せば平気な顔でいられる強さがある。

母親仕事が忙しく、この時期は朝だけでなく夕飯もこみちが担当する。

それを見かねて母親が昨晩は弁当にしようと言った。

でも、父親が買って来ることもないし、じゃあとお金を出すこともない。

周りでフォローして、そんな流れを維持している。

買って来た弁当が遅いと父親は一人で早々に食べ始めた。

疲れているのに、わざわざ店に寄って帰った母親に、「ありがとう」ということもない。

母親は影では「何様?」とは言うが、父親の態度に怒りながらも放置している状況だ。

何気ないことに、ストレスを感じるのが、親との同居であり、介護だったりする。