妻が「仕事を辞めたい」と言っている話

 こみち家の大黒柱の妻!?

こみち自身も社会との繋がりを維持したくて、仕事をしています。

しかし、それだけの収入で夫婦二人、さらに老いた両親の介護などを将来的に賄うことはできません。

妻が働いてくれる代わりに、こみちが朝食や夕食、掃除洗濯などの一切を担当し、特に妻が家事をすることで時間を無駄にしないように、その時間で好きな余暇に使えるように割り振っています。

しかし、やっぱり外で働くと人間関係や仕事上のことでストレスがありますし、時に自身のキャパを超えてしまうでしょう。

誰がどれだけ頑張れるのかという話は、均等に割り振ることも、能力で割り振ることも合いません。

疲れたと感じた時には、負担を軽減し、頑張れるの時には少し多く頑張ることでしか解決しないからです。

とは言え、妻が仕事を辞めると言い出して、じゃあこみちが本格的に働き出せるのかと考えると、正直なところ、そう簡単には行動できません。

ただ、こみちが動けないと思う気持ち以上に、妻が拒絶しているなら、それは無理を強いることもできないでしょう。

どこでどう折り合いをつけるか。

家にいることが多く、そんなこみちを自由で気ままだと感じるかもしれませんが、こみち自身としては家事をどんなにしても報酬にはなりませんし、何かを買う時も妻に相談するのは、収入源の大部分を妻が担っているからで、無許可で勝手に使う(自身のお金でも)ことはできません。

そんな苦労や気遣いをするのは、働いてくれる妻に対しての感謝があるからです。

一方で、外でも働き、家事も項目を減らしても完全にはフリーではなくなる時に、例えばこみち自身は趣味にしているイラスト書きをずっと将来には何らかの仕事へと展開したい思惑もあります。

今は描くことを試行錯誤中ですが、完全に止めてしまうことはしたくありません。

確かに描くことを仕事にできるのは、選ばれた才能豊かな人だけで、大半の人は生きるために仕事を選ぶのが普通です。

ただ、老いた両親の介護をするためだけに生まれたとは思いたくありません。

なぜなら、もしもそうだとしたら、10年位前から両親の生き方を相談したかったですし、テレビばかり観ている父親を受け入れることはしませんでした。

動かないから動けないという悪循環をもっと早く改善していたら、それこそ今の生活はまた異なっていたと思います。

しかし、自由を尊重し、将来的にも両親が二人で頑張るからこそ、テレビを観ている父親に何も言わなかったと思うのです。

それを今になって、おんぶに抱っこと言われても、それこそこみちが生きる意味を奪われてしまいます。

具体的に家族で今後を相談することも出来ず、父親には何も強いることをせず、周りばかりが負担をし続ける生活にどこかで見切りをつけなければいけません。

一般労働者に戻れるのか?

ジョギングを始めて、身体を積極的に動かすようになって、メンタル的な回復を感じます。

ただ、1%という部分で、心が記憶しているものがあって、それは一度でも壊してしまうと完全には記憶から排除することができません。

つまり、言いようにない不安感が、この先も消えることはないでしょう。

ストレスが極度に掛かると、今でも不安感から平常心を失って、落ち着かなくなることがあります。

仕事中に発症した時に、自分で対処出来なかったらという不安感が消えません。

実際、今の仕事でも稀に起こるのですが、マイペースな黙々とした作業なので、少し休憩を取り、落ち着けるまで時間を割くことができます。

その意味では、今の仕事は都合が良いと感じます。

一方で、収入源としてはやはり心もとない部分もあって、できるなら別の仕事に変えた方が効率的です。

「どうする?」と自問自答していますが、答えはまだ出ていません。