ラベル 介護業界 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 介護業界 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

高額な有料老人ホームでも提供できないサービスとは何か?

 なぜ、有料老人ホームは高額なのか?

入居金1億円超えもある介護付き有料老人ホームの世界ですが、改めてその内訳に目を向けると、有料老人ホームの本質が見えてきます。

こみちは現役の介護士ですが、勤務中にできないことや限界を感じるポイントがあって、その多くはスタッフ不足や連携不足などから生じるサービスの制限です。

言い換えれば、介護サービスに上限を設けない施設運営が可能な有料老人ホームでは、その「限界」までもサポートですでしょう。

介護サービスの本質

介護サービスを必要とする利用者は、医療的、精神的、肉体的など様々な理由から支援を求めています。

つまり、「これだけで良い」というサービスは存在せず、多方面の知識や経験、技術力を施設として系統的に提供できるかがポイントになってきます。

しかし、実際に働くスタッフの立場になると、いくら介護現場で求められるからと言っても、勤務外に多くのレポートや勉強を強いられれば、それは彼らの生活を困窮させることにもなるでしょう。

中には月給〇〇円以上という金額を条件に困難を乗り越えられる人もいるかもしれませんが、現実的な話をするとこれまで見てきた介護士の中で「お金」を理由にした人は個人的に見たことがありません。

もちろん、稼げるということも大切ですし、介護士だからすべて奉仕とはいきません。

それだけに介護士として働く人の心理は異業種に比べて少し独特で、時に「してあげている」という感覚が働くモチベーション以上に高まってしまうこともあり得ます。

不思議なもので、「してあげている」という感情は、利用者にも伝わります。

そして、利用者の反応が冴えない時に「折角」という押し付けがさらにスタッフとの距離を作ってしまうのです。

言い換えれば、「介護とは何か?」を本気で学ぼうとする場合、これまで生きてきた人生観を根本的に見直す必要があり、中高年の方であれば両親や配偶者、又は自分自身の健康などが変化したことをきっかけにして考えることができるでしょう。

しかし、これがまだ30代までの若い世代であるなら、人生観を見直すきっかけはそうそうなく、むしろ自身の人生観を築いている段階とも言えます。

つまり、「介護とはこうだ!」と決めつけてしまえば、それが彼らの介護に対する理解ともなり得るので、その意味では施設として「介護」を正しく認識し伝える難しさがあります。

なぜ有料老人ホームという形態なのか?

有料老人ホームの月額利用料金が30万円だとして、又入居金として1000万円が必要というケースを考えた時に、在宅介護を手厚く行うことはできないでしょうか。

もちろん、一人の介護スタッフでそのすべてを補うのは能力的にも難しいことですが、入浴の日や必要な介護食はそれぞれの専門スタッフを活用したりして、チーム連携をしながら月額30万円ではなく40万円で賄えないかということです。

住宅費が掛からないなどの条件を踏まえれば、有料老人ホームで問題となる高額な住居費を0円にできますし、その分だけ個別のサービスに割り当てることで上質な介護サービスを実現するのです。

しかし、どのような切り口から介護サービスの話を始めても、行き着くのは「スタッフ育成の難しさ」だったりします。

それこそ、有料老人ホームでも多くの割合を占める「住宅費」は、住んでいる限り支払う料金で、施設としては箱を作れば収益として目算しやすい項目です。

というのも、割と高額な有料老人ホームでも月額の食事代が6万円くらいで、この金額はある程度の収入がある一般の施設を利用した時の食事代と大きく変わりません。

つまり、有料老人ホームだからと言って、一般的な介護施設以上に手の込んだ食事が提供されるとは限らず、むしろそれは各施設のスタッフによって変化する部分とも言えます。

こみちは富裕層の食事を知りませんが、例えば料理上手な料理人を招き入れることができたなら、金額では補えない以上の「食べる喜び」と提供できることは間違いありません。

そんな風に考えると、在宅介護だから難しいのではなく、施設介護とすることである程度の上限を決め、そこから有料老人ホームとして魅力や存在意義を見つける手法で成り立っているのかもしれません。

施設介護の限界と高齢者介護の問題点

現役介護士のこみちが思うのは、施設の設備よりもスタッフの質で介護は変わるということです。

その効率を向上させるために施設の設備が必要ですが、設備さえあれば介護サービスを提供できるというものではありません。

それだけに施設にとってスタッフの育成は重要ですし、スタッフにすれば介護士として頑張る理由やモチベーションも又不可欠です。

介護業界を横断的に提供するサービスを

例えば、個々の介護施設では補えない様なサービスを一括して担うセクションがあってもいいでしょう。

具体的には、都市部の施設の利用者向けに、家族同伴でも参加可能な温泉旅を提供するという企画です。

通常の旅行費が一泊二日で5万円だとして、それが10万円で提供できるとなった時に、高額と感じるでしょうか。

介護現場を知っている人で有れば、そもそも利用者を旅行に連れ出すには様々な条件が伴い、それを家族だけでカバーするのは難しいでしょう。

そこで、専任のスタッフが同行して、家族での思い出を作るためにひと役買って出るようなイベントを開催するのです。

もちろん、観光地をめぐるということも可能ですし、企画次第でイベントは無限に広がります。

実際、こみちが担当した利用者の中には、「行きつけの寿司屋に行こう」とか、「生まれた故郷を見に行こう」というような話を何度もしてくれて、でも施設介護の限界とコロナ禍もあって叶えることはできませんでした。

「介護施設として何ができるか」と考えた時には、当たり前のアイデアしか浮かびません。

しかし、「高齢者の生き方」という立場で考えると、家族と思い出の場所にもう一度行ってみたいという気持ちにもなるでしょう。


有料老人ホームとは何か?

 有料老人ホームとは何か?

今さら、老健や特養との比較をするつもりはありません。

ただ、例えばこみちが勤務している介護施設で考えると、「居室」に居られる時間帯はそう長くありません。

例えば、「夕食後から朝食まで」の他は、入浴や食事、レクリエーションやリハビリでかなりの時間が埋まっているからです。

そんなことを考えると、有料老人ホームの「居室」に求める条件とは何かと思ってしまいます。

居心地の良さを最大限に活かすなら、入浴も食事も「居室」を使うスタイルにするべきで、さらにはレクリエーションやリハビリに関しても曜日や時間帯で好みのコースを選択できると便利でしょう。

一般的な介護施設には無いものとして、有料老人ホームの利用者は「自立」状態の方も利用できたりします。

つまり、仕事をリタイアし、時間を自身の老後に使えるようになった65歳以上の人なので、それこそ一般的な介護施設に多い要介護3以上の生活とはまだまだ異なります。

例えば、レンタルビデオ店のようなサービスを施設内に設置し、利用者は散歩感覚でその設置場所を訪れて、気になる映画や音楽映像を借りて楽しむこともリハビリやレクリエーションとなるでしょう。

また、簡易的な「一坪」サイズの庭を完備し、そこで家庭菜園を気ままに楽しめたら、生活に張りが生まれます。

それこそ、スタッフも利用できるコンビニを館内に作り、利用者も買い物に来るというのも、有料老人ホームらしい「介護サービス」となるでしょう。

このように、特養や老健との違いは無限にあって、そもそも「介護」に対する認識さえ異なってきます。

有料老人ホームで働くメリットとは?

大手の有料老人ホームなどでは月額料金が30万円とか50万円とか、それ以上に百万円単位の敷金を求められるのは、先に紹介したような多彩なサービスを低価格のオプションとして提供できるでしょう。

例えば音楽レクとして、参加者が介護職を取り囲むように並んで、一緒にカラオケを歌うというのも方法です。

しかし、介護職がピアノを演奏できて、参加希望者にピアノの弾き方を教えるというような介護サービスにまで提供できるようになりたいです。

つまり、介護職として目指すべき道は、しっかりとオムツ交換や食事の介助などをマスターすることでしょう。

その中には、オムツ着用を嫌ってトイレを使いたいと思う利用者も少なくありません。

そこで、リハパンからオムツの変更を介護職の働きやすさだけで行うことは避けるべきです。

特にADL低下に貢献する取り組みとして、介護職の得意な技を持って講義の主体者としてレクリエーションを開催し、そのコマ数で介護職は給与のアップも可能にするのです。

つまり、介護職といえど、自身でビジネスを立ち上げるような取り組みを有料老人ホームとしても容認しサポート支援を行います。

そうすることで、定番の介護ケアだけしかできない介護職から、得意なレクリエーションで臨時ボーナスを稼げることも有料老人ホームらしいスタイルでしょう。

その意味では、自立状態はもちろん、要介護状態になっても「自分らしい暮らし」を少しでも維持継続できるための取り組みがあることです。

何もできないから介護職ではなく、得意なスキルを活かすために介護職となって叶えていくということが環境として整えば、そこには従来型の介護ケアでは補えない介護サービスが見えてきます。

夜勤手当で稼ぐスタイルのままでいいの?

多くの介護職は、定期的に回って来る夜勤をこなし手当を増やします。

しかし、それでも月収で20万円前半という金額も珍しくありません。

激務の割に稼げる方法が閉ざされてしては、介護職の志願者がどうしても閉鎖的になります。

それこそ、資格取得や投資、簿記、占いなど、高齢者になっても楽しめる知識やスキルを活かして評価できる評価基準ができたら、稼ぐ=夜勤にはなりません。

しかし、そのようなプラスアルファも、利用者の介護度が進めば厳しくなるので、いかに要支援の段階からサービスを受けられる環境作りができるのかもポイントです。

そうなれば、介護職も稼ぎ方が増えて、関わり方にも合う合わないの好みが出てくるでしょう。


現役介護士が紹介する効率的な「介護施設」の探し方

先ずは条件を整理するところから

介護施設選びで困る理由は、考えるや事前に知っておくべきことがたくさんあること。

そこで、初めてでも簡単に介護施設を探すポイントを紹介します。

とは言っても、先ずは条件の確認として「介護認定を受けていること」とその判定で「要介護1から5」のいずれに該当していることが必須です。

また、預貯金や年金の支給額から、月額10万円程度をねん出できるかも調べておきましょう。

介護施設で最も大切なこととは?

例えば、まだまだ自宅での生活が可能なレベルなら、要介護も要支援を含めて1または2くらいではないでしょうか。

これは個人的な目安ですが、要介護3以上になったら施設入所を検討するべきです。

感覚としては、移動手段が車いすになる健康状態で、トイレが一人で使えるかどうかのラインです。

というのも、高齢者が転倒して怖いのは、足の骨を折り、完治までベッドで寝たきりが続くこと。

そうなってしまうと筋力低下も重なり、殆どが車いす生活でオムツ着用になるからです。

オムツを使う理由は、ある程度介護者の負担を考えての部分も多く、特にトイレを使っていた人がオムツになって多いのは「トイレに行きたい」ということでしょう。

在宅でも施設でも、そんな要望を受けて、トイレに誘導して用を足すことが続くと介護者の負担はかなり厳しいものです。

しかし、オムツ慣れしてもらおうとするあまり、トイレに連れて行かない習慣が続ければ、確実に認知は進みます。

オムツになれば、自ずと食事意欲も軽減し、自然と体力や意欲が低下していくという傾向になります。

その時には要介護も4や5の段階で、健康寿命という意味では厳しい状況です。

つまり、オムツにしないことがとてもポイントで、車いすでもしっかりとトイレは使うという生活を長く維持するべきです。

しかしながら、施設の外観や設備を見るだけでは、トイレ誘導をしてくれることまで分かりません。

つまり、施設選びはどれだけオムツを使わずに外れるかが重要です。

特に夜間帯だけで、日中はリハパンを使うなど、生活の中で少しでもADLやQOLを向上させる手間をかけているかに尽きます。

現役介護士のこみちがおすすめしたい介護施設

在宅での生活を送っている人で、少し足腰に不安を感じ始めたなら、デイサービスではなく、デイケアに分類されるリハビリにも積極的に対応してくれる施設を探すこと。

また、入所を希望される方なら、老人介護保健施設(老健)と呼ばれる施設から探しましょう。

一般的には老健は3ヶ月しか入れないとか、在宅復帰を目指した施設と考えられていますが、現状としては2年以上も施設で継続して入所されている方も少なくありません。

それは同じ老健でも、それぞれの施設が目指す介護スタイルがあって、ある施設では3ヶ月以内に在宅復帰を掲げたり、また特養待ちのニーズに合わせた施設になっていたりします。

というのも、特養はどこも100名近くが入所を待っているような状況で、長く施設では3年以上も待たされることだってあります。

その理由は、同じようなサービスを提供する有料老人ホームが特養と比べて高額な傾向にあるからです。

それこそ、有料老人ホームの場合、月額20万円以上のところもあって、収入面で問題ない世帯ならそれだけ手厚いサービスが受けられます。

先に紹介したオムツ慣れの部分でも、できる限りトイレ誘導にも応じてくれるでしょう。

その点で言えば、特養はずっと住めることがウリとなり、在宅復帰を目指したリハビリやトイレ誘導をこまめに行うことよりも、安全安心に暮らせる日常を提供してくれます。

そのように考えと、一般的には介護が必要となったら、探すべきは老健なのです。

希望したい老健を絞り込むためには?

サービス内容にある程度の好感を持てたなら、居室のタイプに着目します。

月額の利用代金を10万円から15万円くらい掛けられるなら、ユニットの料金を調べてみても良いはずです。

介護の形態から、4人部屋などの複数名で利用する居室に比べて高額ですが、利用者が気さくに声かけしやすいのもユニットです。

一方で、四人部屋などの居室なら、月額利用代金が10万円以下というケースもあって、厳しい予算でねん出する場合には、相部屋を申し込みましょう。

少し古い施設の場合には従来型個室というタイプもありますが、ユニットととの違いは介護スタイルです。

ユニットが10名くらいの利用者をチームとして支えるのに対し、従来型個室ではあくまでも部屋が一人部屋というだけで、介護スタイルとしては四人部屋と変わりません。

大切な家族を施設に預けることになるので、どこまで予算を掛けられるかがポイントですし、家族の健康状態や認知度の進み具合とを踏まえて、どこまでの手厚さが必要なのかを検討しましょう。

それこそ、3度の食事や週数回の入浴、オムツ交換など最低限の介護で十分なら、四人部屋などの複数名で利用する居室を完備した老健がおすすめです。

例えば、ナースコールを自身で押せないとか、寝返りやベッドから車いすへの乗り移りが困難な状況で割り切れるなら、金額が抑えられる複数人部屋でも十分です。

しかし、プライベートな空間やテレビなどの趣味を誰にも邪魔されずに楽しみたいと思えるくらいなら、ユニット介護を提供している施設が便利です。

ユニット型の老健でも、中には月額利用代金20万円以上の施設もあります。

そして、意外なポイントが継続して入所している期間の確認でしょう。

というのも、老健は在宅復帰を目指したケアを得意とし、早い段階で在宅復帰に進む施設もあれば、数年以上も在籍できる施設もあるからです。

施設を直接見学する際に、案内してくれるスタッフに入所期間を確認してもいいでしょう。

というのも、長く施設生活が続けば、どうして介護度は上がってしまいます。

そこで、リハビリを通じて在宅復帰し、また様子を見て施設へと戻るという行き来を通じた介護スタイルを行う老健も多いからです。

一方で、特養待ちの施設として位置づけられ、老健ながら多くの利用者が年単位で利用しているような施設もあります。

在宅復帰して世話できるかどうかで、施設の方針と合っているか検討しましょう。



最近の介護現場で気づくこと

 凶暴化する女性利用者

最近、我々が担当するエリアに新たな女性利用者が加わりました。

入院数日は、慣れない環境もあって、殆どの利用者が大人しく控えめです。

今回、入所された女性利用者もその例にもれず、施設での生活や手順を伝えると素直に頷いたり、「分かったわ」と答えたり、他の利用者と大きく変わるところはありませんでした。

異変を感じたのは、入所して一週間くらい経過した頃。

具体的には二日前に、離床をしてもらうために居室を訪れた時でした。

「これからオヤツの時間ですので、起こることはできませんか?」

布団を頭まで被った女性が、「何?」と布団の中から面倒くさそうに答えます。

「オヤツの準備ができましたので、お誘いに伺いました」

「オヤツ? もう行っていいの?」

「はい、準備できています」

ここまではいろんな利用者がいましたが、他の利用者と大きく異なることはありません。

「起きられますか?」

「触らないでよ!」

「すいません。起きられますか?」

「靴に触れないで! 触っていいって言った?」

「すいません。起きられますか?」

「靴!!」

「はい、どうぞ!」

「ゴミを捨てて!」

「ゴミ?」

靴には触るなと言われて、でも準備を促され、さらには靴の中に入っているかもしれない靴の中のゴミを履く前に確認しよとというのです。

「何回言わせるの! いい加減にして!」

ここで、プライバシーに触れない程度に女性利用者の説明をすると、彼女は現役時代に会社を経営し、たくさんの従業員を抱えていました。

当たり前ですが、経営に関わる決断は彼女自身がしていたはずで、彼女に対して一方的に支持する人などいなかったのでしょう。

そんな環境で10年、20年と過ごしていたら、本来の性格とは異なり、後天的に身についてしまった振る舞いが加わるはずです。

しかし、彼女自身には認知機能の低下が見られ、環境の変化や自身の立場、入所した目的などを正確に理解することは困難になっています。

つまり、どこかで認識が途切れて、なぜか会社とは異なる場所にいて、時間が来るといろいろな人が声掛けて、自分に話し掛けて来ると状況から理解しているのです。

そんな風に背景から「今」を振り返ることで、彼女自身が発する言葉や態度の根拠も理解できます。

介護とは何か?

ここにいて、「介護とは何か?」を理解するとき、多くの現役介護士でも想像していないポイントがあることに気づきます。

それは、介護士の持つ「当たり前」は必要ないことなのです。

介護福祉士の勉強を始めると、「マズローの五段階」という有名な方法を学びます。

つまりは、人間が他人から認めてもらうことで幸福や安心を得るというものです。

しかしながら、例えば会社経営者になれば、「認められること」よりも「利益を出すこと」が意識に芽生えて来るでしょう。

それは従業員を雇い入れた責任を全うする意味でも、経営者として問われるべき意識です。

一方で介護士の場合、「誰かの役に立ちたい」という気持ちで仕事を始めたのなら、自身の立場や考え方は個人としては持っていていいとしても、利用者からすればそれほど重要なことではありません。

むしろ、現代の介護現場ではケアプランが根底にあって、その契約に基づき利用者は施設からサービスを受け取ります。

そして介護士は施設にサービス提供者として雇われています。

つまり、介護士は頻繁に利用者と接する立場ではありますが、実際には介護施設やケアプランを介した関係で、利用者にとっては介護士の想いや常識さえも求めているとは限りません。

今、こみちが勤務している施設では、「サービスを提供してあげている」という雰囲気が介護士たちに根強く残っています。

例えば、無言でいきなり上着を着せたり、車イスを押し始めたりする行為が頻繁に見受けられます。

もちろん、寒いだろうとか、定時のトイレ誘導とか、その行為にも理由があるのですが、多くは介護士と施設との間で決めた内容ですが、利用者には改めて説明するべきことに変わりありません。

「寒くはありませんか?」

「トイレに行きませんか?」

本来、介護士として働くとは、利用者のそのような声掛けをして当然です。

しかし、できない高齢者を施設で預かり、その世話を我々介護士が代行しているという意識のままだと、無言でいきなり始めても不思議には思わないのです。

女性利用者はなぜに暴力を振るうようになったのか?

語気を強める行動が見られましたが、こみちは暴力を振るわれたことはありません。

しかし、こみちが勤務していなかった日に、数名の介護士が叩かれたり、暴言を吐かれたり、蹴飛ばされたりと被害にあっています。

結果として、エリアマネージャー耳にも入り、今後の対応が検討されています。

すでに利用者の家族からは許可をもらい、興奮気味になってしまう気分を抑える薬を服薬するか否か担当医師を交えて話あわれているところですが、こみちはとても残念な対応だという認識です。

過去にも認知機能が急に低下した利用者が、暴れてしまったことがありました。

その時も服薬指導があり、暴力行動は収まりましたが、明らかに利用者の様子が一変しました。

薬の影響で、日中もフワフラとした表情で、声掛けにもほとんど反応しません。

辛うじて食べることはできましたが、トイレからオムツへと変わり、短期間で歩行さえ行えない状態になってしまったからです。

その時に感じたのは、攻撃性の見られる利用者をプロである介護施設でも預かり切れないことが出てしまうことが、不思議なことなのかという部分。

あまりに扱い切れない状況が見られた時に、それを専門に扱える施設は存在しないのでしょうか。

とても難しい話ですし、「介護」という言葉に含まれる本当の意味は、我々介護士が日常的に見ている世界だけとは限りません。

ある意味、暴れる女性利用者も、無差別に感情的になったりはいません。

こみちが感じる範囲では、彼女なりの理由があります。

ある意味でそれを探り、時には一般の利用者以上に時間や人件費を費やして担当すれば、一般的介護施設でも十分に対応できます。

その手間や回避策を考えることや精神を安定させる薬の投与には、簡単には説明できない問題が多く含まれています。

こみち自身、「精神医学」を専門に学んだ経験はありません。

それだけに実情も知りませんし、その対応についても分からないところがたくさんあります。

そもそもの認識として、何らかの理由で認知機能が低下し、暴力的になってしまった人を穏やかに生活させることはできないものでしょうか。

少なくとも、暴力的になってしまう女性利用者に関しては、精神医学に頼る要域とは思いませんし、薬を使う療法しかないとも思えません。

しかし、こみち自身がそう感じていても、出勤していない日は誰か対応しているのでしょうし、その度に叩かれて蹴飛ばされているのだとしたら、介護士として働いている人もいい気分ではないでしょう。

なので、「こうあるべきだ」と結論づけるつまりはありませんが、現状のようなケースは100人中、又は200人中に1人には見られるような状態なので、一般的な介護施設でもその対応を根底から検討するべきだとは思います。


中高年から「社会福祉士」を目指す価値はあるのか?

 介護福祉士との違い

介護未経験の方で、介護福祉士と社会福祉士の違いを気にされたことがあるだろうか。

こみちが実務者研修を受けている時に、社会福祉士の有資格者が生徒にいて、講師の方から「なぜ、介護福祉士に?」と訊ねられていました。

結果的に何か自己都合でその人は退校されたのです。

今になって思えば、社会福祉士の有資格者が介護現場をもっと知りたいという理由で、介護福祉士を目指すとしても、やはり少し違和感のある行動に思えます。

つまり、介護現場で一定の対人支援スキルを証明できるものが介護福祉士だとするなら、社会福祉士の役割はもっと幅広く、医療や介護の現場でソーシャルワーカーとして活躍できます。

具体的イメージするなら、高齢者が生活面で困りごとが起きた時に、相談窓口になるのも社会福祉士の役割の一つです。

一方で、介護福祉士の場合は、相談ではなく具体的な生活支援となり、例えば洗濯や料理、買い物の代行から、身体的には入浴や排せつなどの介助となります。

その意味では、とても名前が似ている資格ではありますが、両者の役割はかなり異なります。

介護福祉士との共通点

社会福祉士と介護福祉士の役割は全く異なりますが、共通点もあります。

その一つが、それぞれの資格が「名称独占資格」と呼ばれるもので、その資格が無いと業務できないものではありません。

つまり、介護福祉士ではなくても、初任者研修を済ませていれば、ほとんど同じ業務を担うことができます。

初任者研修のままではなく介護福祉士を目指すべき理由

介護現場の仕事は、初任者研修だけでも多くの範囲をカバーすることが可能です。

それでも、介護福祉士の資格を取得しておく価値は、その後の展開や可能性が異なるからです。

介護現場で働いている人で、例えば腰痛持ちだったり、現場仕事が体力的にもきつくなったりした時に、初任者研修のままでは異業種への転職か、残って頑張るしかありません。

そんな時も、介護福祉士を持っていると、一つには相談援助業務でもあるケアマネとして活躍したり、講師となって介護を仕事にしたい人へこれまでの経験を含めて伝えることもできます。

中高年の場合、体力や健康は絶対的なものではありませんから、どんなことが起こっても活かせる状態が理想です。

つまり、介護現場を経験しているなら介護福祉士を目指す方がより心強い資格になります。

社会福祉士とケアマネの違い

そもそも、ケアマネの資格は国家資格ではありません。

試験問題こそ同じですが、試験は各都道府県によって実施されるもので、東京都内勤務又は在住の人が東京都のケアマネ試験を受けられることになっていて、それこそ千葉県民で埼玉県内の施設で働いていた人は、東京都内を管轄とするケアマネにはなれないのです。

ケアマネの資格を持っていても、そのまま全国各地で使えるというものではありません。

一方で社会福祉士の資格は国家資格なので、全国各地で社会福祉士名乗ることができます。

そして、社会福祉士の仕事が、高齢者に限られたものではありませんが、ケアマネの仕事は高齢者が利用する介護サービスの計画を立てることで、その点でも担当する範囲も内容も異なります。

介護福祉士からなれるケアマネですが、社会福祉士からも目指すことが可能です。

ただ、現実的な意味合いしては、社会福祉士を持っていれば、もうケアマネでなくても十分に活躍できますし、ケアマネとなってケアプランの作成もできると便利ですが、それだけ作業量が増加することを考えると、社会福祉士からケアマネを目指す価値は少ないかもしれません。

介護スタッフが社会福祉士を目指す価値は?

未経験からでも始められる介護スタッフ。

そして、一定の条件を満たせば、介護福祉士になることは可能です。

しかし社会福祉士になるためには、介護施設で働いていてもなれません。

未経験からの場合、例えば大学資格がある人は、一般養成施設を1年以上、又は福祉系の通信大学を卒業し直すということになりそうです。

それでも学費や最低でもプラス2年が必要で、中高年のキャリアアップとして価値が見出せるのかが気になります。

そもそも論

なぜ、介護スタッフであるこみちが、社会福祉士の資格に興味を持ったのかというと、同じ福祉系の仕事の中で、介護スタッフとは異なる展望を望んだからです。

中高年の場合、その門戸の広さから介護スタッフという選択に可能性を感じます。

そして実際に介護施設で働いてみて、やりがいもありますし、改善や工夫できる部分も無限に見つけられるでしょう。

一方で、根本的な解決策となると、実は介護スタッフではカバーできない部分が多く、もしももっと踏み込んだ役割を目指したいと思うと、延長線上のキャリアで言えばケアマネですし、相談業務になれば社会福祉士で、さらには地域包括支援センターや社協のような場所の方が、より幅広い高齢者の支援に関われるでしょう。

実際、ある大学の福祉系科目の中では、資産運用(FP)の資格を目指せたりするのも、単なる資産を増やすだけでなく、高齢者が安心して老後を暮らせるために不可欠な知識だったりします。

つまり、全面的に介護スタッフの支援が必要な段階になってしまうと、それはもう介護サービス一択になりますが、もう少し前段階に目を向ければ、考えられる選択肢も増えて来ます。

その意味では、社会福祉士の関われるタイミングは介護スタッフよりもかなり前で、老後が気になり始めた初期の段階でしょう。

いずれにしても、現場仕事の大変さとさらなるやりがいを求めると、社会福祉士という資格に興味が湧きました。


介護福祉士を取得した後の話

 第34回介護福祉士国家試験に挑戦する予定ですが

こうすれば、施設の利用者を満足させられるのではないかと思うプランがいくつかあります。

何より入職して約3年近くが経過し、施設内でのポジションができたのかもしれません。

ただし、今思う改善策も簡単に導入できると言う話でもなく、むしろできている施設は「評価もいい」と思います。

でも、その「あと少し」に届かないと言うのが職場の悩みでしょう。

こみちも正直な話、介護福祉士の受験後、今の施設で働き続けるのか、別の施設に移るのか、異業種で活路を見出すのかで悩んでいます。

介護現場との相性で言えば、仕事内容が分かるので戸惑うことはありませんが、「自分は何をそんなに頑張っているのだろう?」と思うほど、仕事を抱えてしまっています。

周りのスタッフも、彼らは彼らで個々の目的があって働いていると思うのですが、こみちが20分で終える仕事を1時間掛けて行うのを見ると、むしろこみちが場違いなのかもと感じます。

スタッフの中には、「そんなに急いで意味がない」とか、「手を抜かないと早くできない」とか言っています。

ただ、こみち的に思うのは、効果が現れやすい時間というものがあって、「まぁまぁこれくらいで」と言うラインが20分なら、まずはそこでその仕事をまとめてしまうことも必要でしょう。

と言うのも、それこそ「完璧」を貫けば、介護現場の仕事は半分も終えられません。

手付かずになった仕事を誰が処理するのかと考えたら、やはり「完璧」が馴染まない方法だと気づくでしょう。

しかし、それだって気づくのは少数派で、多くは懲りずに「完璧」を続けます。

今日も感じたことですが、始める前は一人で終えるのは大変そうだと思いながら覚悟して取り掛かり、半分を過ぎてそろそろゴールまでの時間も見えて来た頃、決まって助っ人が加わります。

「手伝いますよ!」

こみちの勤務する介護現場は、個人評価が実績ではなく雇用形態によって決まり、介護現場の仕事をほとんどしないスタッフのボーナス額がこみちよりも高額だったと知った時は愕然としました。

しかも、その金額が2倍近い差で、耳を疑いました。

少しサラリーマン時代の話をすると、こみちは20代の頃から段々と自身で課題を決めてクリアしながら業務実績を築き、最終的には会社から評価され、賞与などでの評価も割と良かったのです。

その甲斐あって、一人の作業員から、サポートスタッフを付けてもらい、その人数が増えていき、こみちを含めて5名ほどの小グループではありますが、「こみち組」を作ることができました。

「〇〇みたいなことはできないか?」

クライアントや上司、他部署から依頼されると、分担して調査を開始します。

そして、プランニングをして、こみちなりの結論を伝えるのが最初の取っ掛かりです。

反響があれば、実際に予算を立て、制作へと意向されます。

売り上げを出すための仕事もあれば、興味や好奇心から受ける仕事もありました。

当時は若かったですし、仲間たちと残業しても楽しかったです。

給料も、年齢の数字以上でしたし、仕事に活かせるなら数万円くらいの金額は躊躇しないで購入していた頃です。

なぜなら、それがまた利益になって行くので、無駄遣いにはならないのです。

そんな過去の経験を思い出すと、介護現場で感じる課題もみんなで協力して乗り越えたら達成感を得られるのは分かっています。

でもですよ。

どんなに残業しても、今の施設は許可を得ていないとサービス残業になります。

つまり、成果や実績になる前段階は、サービス残業になってしまいます。

「じゃあ、誰のための向上なのか?」

と言う疑問を感じ、正直なところ頑張る意味を感じられません。

その意味では、効率的に仕事しても、完璧を目指して周りの仕事には見向きもしないのも、時間単位の報酬に差がありません。

その時点で、こみちは介護の仕事が合わないなぁと思いました。

介護士として、例えば夜勤も積極的にこなし、家族とのすれ違いも覚悟して働いて、月収は30万円に届きません。

特に、夜勤明けなどは、長いと2時間くらいサービス残業が待っています。

この2時間の正体は、日勤帯のスタッフがめいめいで仕事を進めるからです。

終わらないから残るしかないの関係で、でもみんながそうしているから、サービス残業が当たり前になっていました。

そして、賞与で少しおまけがあると、本来ならサービス残業を回収しただけですが、「今回はよかった」と素直に喜んでいる自分がいます。

結論を言えば、介護士の仕事は面白くありません。

面白くするには、プライベートをさらに潰します。

本音を言えば、介護保険制度の介護報酬で運営する介護施設には、経営上の制限があって、どうしても異業種のような面白味と報酬の両方を狙うことができません。

時にはその両方ともが手に入らないことも珍しくないでしょう。

今の勤務している施設は、やりがいは個人的に見つけ、報酬額は期待していません。

だからこそ続けられるのでしょう。

そんな風に考えた時に、別の施設に移動したら解決できるのかもわかりません。

手っ取り早く稼ぐなら、夜勤専従と言う方法もありますが、夕方から翌朝までの16時間超えの勤務で2万円稼げるのは嬉しいですが、日勤換算では1万円程度なので、そう高額報酬とも言えません。

まして、中高年の身体で、これから何年そんな激務を続けられるでしょうか。

ケアマネと言うステップアップは?

受験資格が改変されて、介護福祉士になって5年以上の勤務実績が必要です。

そこまで頑張って、平均年収は350万円から400万円。

ケアマネの専業ではなく、介護スタッフとの兼務も多く、それはつまりケアマネになると報酬のダウンもあると言うこと。

ケアマネになる目的は、報酬アップではなく、介護士としてより利用者やその家族と身近な関わりにやりがいを得られると言うものでした。

介護の仕事を始める前は、ケアマネまで行けば安泰だろうと思っていましたが、元ケアマネの方々に聞いてやりがいがあったと答えた人がいなかったのは残念です。

こみち自身としても、これからさらに5年を費やして、ケアマネを目指す理由が見つかりません。

もう仕事に慣れたし、このままでもいいやと働いていたら結果的に5年以上で、それならケアマネも目指せると言う話です。

最初から意図的に目指すくらいなら、個人的には作業療法士などになった方がいろんな意味でいいと思います。

介護士の仕事も難しいけれど、ケアマネの仕事もバックアップがないと思うようにはいきません。



現役介護士が考える理想の「介護業界」とは?

 老後、そして最期の日

施設利用者の立場を考えると、「老後、そして最後の日」をどう迎えるかが課題です。

介護の仕事としてではなく、中高年の方が40代から60代までを過ごし、そして段々と老後を迎える中で、どのように生きたのかを自身で考えることが不可欠です。

時折、ニュースなどで、「老後の資金は〇〇万円だ!」などと報道されますが、正直なところ介護施設でのサービスには限界があります。

つまり、健康でアクティブな生活が難しくなっていく高齢者の暮らしでは、単純に高級な食材や高額な設備だけでは「満足な暮らし」は手に入りません。

もっと言うなら、介護士がどれだけ親身になって支えてくれるかで、孤独感や老いへの不安にも少しは和やかに迎えることでしょう。

なぜ、現役介護士は介護士という仕事を選んだのか?

こみちの場合、前職を辞めて生きる目的を見失いました。

これという仕事も無いし、でも生きなければいけないので、何か目的を作って働かなければいけませんでした。

そして、当時はライターの仕事もあって、それだけで生きて行こうとも考えていました。

しかし、ライターという仕事も、単純に文章を書けば良いものではありません。

クライアントから求められる文章の修正を受けて、その表現でこみちが感じている内容を伝えられているのだろうかと葛藤もありました。

稼ぐためには、巧みな表現でのテクニックも必要です。

それは読み手にすれば意図的なトリックでもあり、正直、うんざりとしていたのも事実です。

そんなこんなで、主なクライアントだった会社と距離を取り、それこそ何か見つけなければということで、介護職にたどりつきました。

実際に働いている介護士の中には、祖父母の存在から高齢者介護に入った人もいます。

また中高年の中には、こみち同様に仕事探しの延長で入職したという人もいるでしょう。

いずれにしても、冒頭に書いたような自身の今後と介護士の職業意識にはギャップがあって、その溝をどう埋めるかが介護業界の課題です。

これは現場経験からの話ですが、仕事内容が決まっているという意味では、看護師や機能訓練士として働く方が現段階ではやりがいもその対価も選べるはずです。

というのも、介護士の仕事は求人が多いものの、地方都市では時給1000円にも届かない金額で募集されています。

異業種のアルバイトと変わらない金額で、先に紹介した老後生活を支える介護士を育成できるでしょうか。

事実、面倒な仕事を避け、時間から時間までという働き方を望むスタッフが増えている施設では、利用者の満足度は下がってしまうでしょう。

そして、こみちの勤務先にも言えるのですが、近隣に似た機能を謳う施設が立ち、段々と評価されない施設には利用者が集まりません。

そして、スタッフへの待遇改善も困難になれば、負のスパイラルが始まり、施設運営は満足度向上の前に倒産回避の運営になるでしょう。

なぜ、大量の介護士や看護師が短期間で離職してしまうのでしょうか。

そこに目を向けることは、決して介護施設特有の話ではなく、経営者なら当然のことだったりします。

例えば、自身の生活費を稼ぐためだったとしても、入職して介護士として働き、その中でやりがいを見つけてさらに仕事に誇りを持てたら幸せな毎日です。

しかし、介護施設には何段階か「壁」があって、例えば直近の先輩次第で介護の仕事が決まってしまうこともあります。

こみちの場合、その点では恵まれていました。

今は異動されてしまいましたが、当時の先輩がとても面倒見が良くて、介護の基本的な仕事を面倒に思わず教えてくれたからです。

その後、こみちも仕事を後輩に伝えることがありますが、「メモを取らない」「自分からは練習しない」という人もいて、その内に「家庭の事情」を理由に退職された方もいます。

職種によって合う合わないがあると思いますが、それでも今までの経験を踏まえて自身が仕事を学ぶための方法があるはずです。

でも、意外なほど、受け身の人が多く、そして「介護の仕事は大変」となってしまうことに残念を感じます。

介護の仕事は「0か100」?

お茶を提供する時、乱暴にコップを差し出せば、利用者は嬉しい気持ちにはなりません。

ではどう出せばいいのか。

レストランのウエイトレスとして勤務していれば、その答えがすぐに思いつきます。

レクリエーションで利用者を前に何かする時、芸人のように「持ちネタ」があると与えられた時間も苦になりません。

不安そうな利用者にどう寄り添いべきかも同じことで、カウセリングとかコーディネーター、営業マンの経験を持っていたら、その答えに早く辿り着くでしょう。

つまり、介護士に求められるスキルは多岐に渡り、何かの専門家というよりも万能で器用な人でなければ務まりません。

例えば、事務的作業と考えて、スピードに価値を求める介護士もいますが、利用者の立場になって嬉しいとは思わないし、こみちならその応対に切なくもなります。

でも、モノのように扱わない欲しいと言えるでしょうか。

少なくとも、笑顔もない利用者を見かけると、そんな気持ちになっていないかと気になります。

というのも、これまで担当させてもらった利用者に笑顔を見せてもらいました。

毎回ということではありませんが、どうすれば「心地よい」と感じてくれるのかを常に気にしながら働いています。

それだけに介護士の仕事は、精神的にも肉体的にも疲労半端なく、現状だけで判断するなら労働に報酬が見合っているとは思えません。

現実的な話をするなら、施設で常勤スタッフ(週に5日以上勤務するスタッフ)を多く抱えるよりも、ある一定のスキルを持つパートスタッフ(例えば朝だけ。夜勤だけ。お風呂だけ)の雇用を作り、隙間時間でも働ける労働環境に移行できないかと思うのです。

そして、その全体管理を30代の若い常勤スタッフが担い、彼らの処遇を大幅に改善することで、介護士の年収を異業種並みに向上させるのです。

もちろん、それだけに彼ら中核となるスタッフには、幅広い知識や経験を課し、でも承認されることで将来の約束し、介護業界で長く働こうと思ってもらいたいのです。

実作業面の資格として「介護福祉士」があるなら、管理者としての資格として例えば「介護管理者」のような制度を作ることで、ケアプランと現場の乖離を解消します。

そして、介護施設に「格付け」を導入し、ホームページやパンフレットにもその格付けを集客の訴求に利用させます。

判定基準はケアプランの達成率で決定します。

介護福祉士の人数やスタッフの多い少ないという見かけのスペックではなく、実作業での判断によって評価されます。

施設自身の自己評価と、公的機関、もちろん利用者やその家族からの評価も交えます。

特に、その評価が施設の格付けに繋がり、そして働くスタッフの報酬にも反映していることをスタッフにも承知してもらうのがポイントでしょう。

どんな対応を求められているのかを個々のスタッフが理解し、その達成によって昇給もあれば、より高待遇にも繋がることで、労働意欲も高まります。

始めるだけなら…

介護士として働くためには初任者研修のみでも十分でしょう。

しかし、介護管理者のような立場になるには「介護福祉士」の資格を必須とするべきで、ケアプランのような立案作業にも慣れる必要があります。

「エキスパート」というような位置付けで、介護の現場業務の他、コスト管理や経理のことまで理解した人をケアマネとは別の位置付けで採用してもいいはずです。

そのように入職してから自身がどのようなスタッフとして進んで行くのかが理解できると、頑張れば報酬にも繋がり、初任者研修のみでは現状のままとほぼ変わらないという仕組みにして、スタッフの意欲を引き出す工夫が不可欠でしょう。

例えば勤続10年の間に、10から20くらいの課題を作り、それができることでスタッフも格付けされていくという制度を創設し、未経験で時給900円からスタートして、MAXで4倍の3600円まで狙えたら希望者も随分と違うでしょう。

特に一定の水準からは部下を抱え、チーム編成にして、個人スキルだけでは達成できない仕組みも必要にします。

MAX時給3600円の介護士とは?

売上額から言えば、異業種なら利益で200万円以上を出せたら十分に捻出できる時給でしょう。

ただ介護の仕事では、売上という概念はあまり馴染みがなく、それだけに走ってしまうのも想定と異なる結果を生みそうです。

そこで結論として、MAXのランクになる条件の一つとして、管理者レベルの部下を数名抱えていることを含めます。

つまり、個人だけの頑張りでは到達できず、現場での仕事ぶりを部下からも支持される模範的な立場でなければいけません。

そのためには、部下をアゴで使うような上司ではなく、一緒に成長するという感覚を持っていなければいけません。

つまり、人望を得られることで、個人スキルの向上から始まる格付けも、後半を迎えて到達できるようにします。

存在感とか安心感のような人格者になることで、MAXの時給になれるとすれば、それぞれのスタッフみ今後何を身につけるべきか理解できるはずです。


今日はシフトが厚い日なのに…

 介護施設で働くということ

こみちを含む中高年の方々は、これからビジネスの感覚を持つべきです。

そのために必要となることはたくさんありますが、それ以前に知っておくべきこともあります。

小学生の頃に遊んだ友人が、中学時代には別々になり、さらに高校や大学となれば、もうその学校に旧友は一人もいないかもしれません。

仮にいたとしても、学部や学年、キャンパスが違うなどして、気づかないこともあるはずです。

何が言いたいのかというと、「進学」とはより自分の感覚に近い仲間と出会う手段だったということ。

特に中学時代、高校時代、大学や社会人になってからと、その時々に出会う人って少しずつ変化していて、もちろん同じ趣味や思考をしている訳ではなくても、相手のこだわりや価値観に気づくことができます。

つまり、その経験が「他人を尊重する」という背景なのでしょう。

ここからは少し愚痴になるのですが、「もう本当に介護士になるのは辛い!」のひと言です。

今日、中堅層のスタッフがたくさんいて、シフト上はとても楽になりそうな予感もしていました。

ところが、フタを開けると、みんなの仕事ぶりが止まっているのかと思うほど、ゆっくりなのです。

つまり、「目の前の仕事をしていればいい」という雰囲気で、誰もスケジュールのことなど気にしていませんし、優先順位も仕事の困難さも度外視で、楽な仕事をダラダラとしているのです。

動けば動くほど、仕事が集まってきて、正直、みんな正気なのかと思ってしまいました。

イメージとして二人では厳しいけれど、三人ならエキスパートばかりでなくても終えられる分量。

なのに五人とか、それ以上いても、ほとんど終わっていないのです。

そして、あるスタッフが自身の「介護理念」を語り出し、上司と言い合いを始めて、さらに仕事が増えました。

「介護理念」とは何か?

介護の仕事をしていると、精神的に不安定な時がきます。

こみち自身も、何のためにしているのかと落ち込んだ時がありました。

ここでいう「介護理念」とは、何も崇高な話ではなく、実は一般のサラリーマンにもあって然るべき心構えです。

例えば、トイレ誘導を行うスケジュールが、午前10時と正午、午後2時と決められていた時に、それ以外の時間帯に「トイレに行きたい」と利用者から訴えがあったらどう対応するのかという話です。

こみちは、急な仕事が無い限りは、できる限り訴えに応じるようにしています。

しかし、それこそ個々の介護理念によっては、一切時間外は対応しないと貫くスタッフもいます。

なぜなら尿漏れパットを装着しているから、ことは足りているというのです。

その人の話を掘り下げても何も出てこないので、この辺で話をやめますが、自身の信念を貫くのもいいけれど、それで残った仕事は誰が処理するのかも考えて欲しいのです。

行くところ行くところ、仕事が未完成で、予定時間をなど過ぎているのに動いてくれない。

何が「介護理念」なのかとも思ってしまいました。

実は、これって「進学」の時に体験したことを遡っているようなものではないでしょうか。

学生時代の時は段々と自分の考え方や好みに近い人が同じ学校に集まっていて、特に友人ではなくても、話みて違和感は無いし、むしろそんな考え方をするのかと興味すら持てた。

ところが、年齢はもちろん、これまでの社会人経験もほとんど問われない「介護士」の仕事は、ある意味でこれまで直接的に巡り会うことがなかったタイプとたくさん会います。

きっとみんなも「こみちって変な奴だ」と思っているでしょうが、こみちもその意味では「大変な所に来てしまった」とつくづく思います。

ダブルワークにして、距離を持つことで騙し騙し働き続けているつまりですが、本当に介護士として働き続ける自信を失いました。

今日の仕事、二人分とか三人分くらいしている感覚です。

何より、以前の職場のように、どんなに頑張っても個人の実績として残らないので、基本給に資格手当ての給料は変わりません。

つまり、上司と口論して時間を過ごしたスタッフも、一日の稼ぎとしては横並びのほぼ同額です。

モチベーションにもなりませんし、スキルを向上させても、結局は仕事が増えるだけで、将来性があると思えません。

本当の意味での「介護理念」とは?

介護の仕事をして来て感じるのは、利用者から見た介護士には暗黙の好みがあります。

明示的なると「拒絶反応」になるのですが、大切なことは「暗黙の」方です。

利用者の中には、この介護士なら良いけど、他の人は拒絶ということも珍しくありません。

つまり、なぜそんなことが起こるのかが「本当の介護理念」の意味する部分です。

拒絶をされた時に、その背景に何があるのかを考えられる介護士は有望です。

しかし多くの場合、「対応できる人がすれば良い」と思うだけで、自身のスタイルを見直すことにはなりません。

多くは、自身のスタイルには自分なりの理想があって、悪いものと思っていないことも特徴です。

つまり、「拒絶反応」を改善のきっかけと感じよりも、「合う合わない」の問題として捉えるのです。

いずれにしても、介護士の仕事ができる人なら、ほぼ間違いなく営業マンとして実績が残せると思います。

しかし、それは「本当の意味での介護」に気づいた人に限られます。

正直なところ、その部分に注目し、スタッフの育成が行える施設は優秀でしょう。

先にも触れましたが、その領域の介護ができる人材なら、異業種で500万円以上稼ぐでしょうし、営業マンなら1000万円だって狙えるはずです。

では、そんな向上心のある人材に、介護のどこにやりがいを感じさせるかが課題です。

加算によって改善されて来たとは言え、施設勤務の介護士で500万円はかなり高い壁だと思います。

チームリーダーなどの肩書きを持ち、管理者としての加算が無いと難しいはずです。

しかし、未経験の介護士を含めて、「介護とは何か?」をどう説明し、それを納得してもらいその仕事にやりがいを持ってもらうのはそう簡単とは思えません。

というのも、そんな考え方は現状の「介護保険制度」とは合わないので、それこそ今後の介護サービスの課題になるはずです。

おまけの話

ちょうど、晩飯を食べている時間帯に、どこのテレビ局なのか、海外の難事件を解決していくという番組が放送されていました。

怪奇事件の犯人像に、プロファイルしていくものですが、その展開をBGMとして食事をしている時に「それって特別なことなのか?」と思っていました。

というのも、一見して奇怪に思える行動も、その背景が分かれば決して奇妙なことではありません。

我々は「普通」とか「常識的に」と、既に知っていることだけで判断してしまうので、どうして理解できないことを「特別」とか「異例」と呼んでしまいます。

これは認知症の利用者の対応にも言えるのですが、彼らの行動も「結果的」であって、特別なことではありません。

でも、「なぜなんだろう?」と視点を変えて、これまでの常識を一旦取っ払ってみることができるかどうかがポイントなのです。

刑事的な仕事には興味がありませんが、その意味ではなぜ事件が起こったのかを調べて、予測し、犯人像に迫るというような仕事もまた、介護の仕事ととてもよく似ていることに気付かされました。

それにしても、仕事をしていない父親は、本当にテレビが好きみたいです。

介護で疲れて帰宅していると、刑事ものの物騒な話など聞きたくないのですが、父親にすれば平凡で代わり映えしない日常に刺激を感じるのはそんな番組なのでしょう。

父親の気持ちも分かっているつもりですが、ミスをして犯人になってしまった人の生い立ちを解説されても疲労したこみちの脳みそはもう受け付けてくれません。

介護職経験の活かし方

 介護職を続けるのも良いけれど…

中高年になって、介護職に転職した経験からすれば、介護の仕事を20代や30代で始めるよりも、まだ若い年代を活かして、医療系なら看護師、理学療法士、作業療法士などの資格を取得してからでも十分に思います。

言い方を変えるなら、中高年の人で1日も早く仕事を見つけたいという場合には、比較的採用されやすい介護職という選択肢もあります。

しかし、実際に仕事を経験し、さらに向上したいと思うほど、介護職の資格「介護福祉士」よりも、看護師や作業療法士などの方が働きがいを感じることができます。

ただし、資格を取得しても、40代も半ばを過ぎると看護師や作業療法士として採用されないことも考えられます。

なぜなら、40代クラスの人材は、既に現場経験が豊富な管理職で、全くの未経験から採用されるには相当のやる気や志望動機に工夫が必要です。

それだけに、中高年で介護職として働くと、3年後に介護福祉士を取り、そのまた5年後にケアマネという流れが資格上のステップアップですが、ケアマネになっても感覚的には施設内でも看護師や作業療法士の中堅クラスと同等のポジションです。

それゆえに、「こんな風に介護して行きたい!」と積極的に発言できなくはありませんが、一般的には関係者の意見を踏まえた「妥当な線」で仕事を進めるしかありません。

ある意味、介護職を続けた先に待っているイメージとは、上位資格や格上の肩書きを持った人を上手く取り持ちながら、仕事を進めていくというのが一般的なラインです。

役職付きになって約年収600万円くらい。

役職無しなら、夜勤手当を含めて400〜500万円くらいでしょうか。

介護用品の販売に関わる仕事

これは今にして思えばのことですが、かつてこみちが広告制作の仕事をしている時に、ある介護通販メーカーの総合カタログを担当したことがありました。

当時は、その商品がどのような物なのか詳しく知らなかったりして、クライアントの担当者から現物を見せてもらったり、商品紹介の記事を確認してもらうなど、大変お世話になったことを覚えています。

その際に担当者として働いていたのは、多くが元看護師や元介護士などの医療福祉系出身者です。

杖一つにしても、適切な物を使うかどうかで、その後の健康維持は大きく変化しますから、できるならしっかりと知識を持った人に見立ててもらいたいはずです。

つまり、介護用品の販売店で知識を活かすこともできれば、介護系出版社や、介護通販サイトなどもその先の就職候補になります。

介護体操の先生やレクリエーションマスターになる

介護福祉士の資格を取得すると、初任者研修の講師を目指すこともできるみたいです。

また、介護予防などの体操は高いニーズが期待できるので、その方面に才能を発揮してもいいでしょう。

さらには認知症サポーターなどの資格から、ユマニチュードなどの知識へと繋げるなどして、得意分野のある介護職を目指すのも方法です。

自宅介護で悩む人は多いはずで、それこそ介護サービスや、資産運用、住宅の改修など、さまざまな方面との融合で、さらなる魅力を目指すこともできます。

知名度によっても異なりますが、ある介護系の講師が講演会で一席を設けると、数万円とかそれ以上を受け取ることもあるそうです。


コロナ禍 緊急事態宣言が解除される!? 介護業界の変化

 介護施設での変化とは?

コロナ禍の影響もあるのでしょう。

数ヶ月前から、こみちの勤務する介護施設でも離職者がジワジワと増えていました。

別の所属のスタッフとは、委員会活動で一緒にならないと、会釈するくらいで名前さえも分からないことも少なくありません。

何となく「顔」は知っているけれど。

そんなスタッフも全体の従業員の数割に及び、割と仕事で接点がある看護士やその他の専門職でも、「あの人って勤務している? 最近、会っていないなぁ」などと同僚に尋ねたら「〇月で辞めたよ!」と聞き、驚くこともありました。

一方で、タイムカードを押す一角を見れば、スタッフの増減もカードの置き場で分かります。

つい最近までは、空きスペースが増えていると思っていたら、今後はどんどんとスペースが少なくなっていて、こみちの知らないところで新規採用者が増えているのでしょう。

中高年の方にとって、介護系の仕事は採用されやすいこともありおすすめです。

しかし、世間的には仕事がキツいとか、報酬が安いという印象もあるでしょう。

ただ、平均賃金と賃金の「中央値」では、少し印象も異なります。

両者の違いを簡単に紹介すると、平均とは相場以上に高収入の人材が多い職種ほど、平均額は自ずと上昇します。

一方で、介護系の仕事の場合、多くは勤務年数と資格、夜勤回数などで決定され、サラリーマンのように平均額の2倍3倍稼ぐというのは稀なことです。

それだけに平均額に近い収入の人が大半の業界とも言えるでしょう。

そして、中央値とは、高額な人から低額な人の中央になる「基準値」なので、介護系ではそれほど変わらない場合でも、営業職のように稼げる人とそうでない人の差が生じる業界や、学歴によって基本給が明確に異なる業界などでは、どうしても中央値と平均額に開いきが生じるのです。

つまり、業務の改善によって稼げる業界と介護のようにスキルの違いをあまり評価対象としない業界では、どうしても「平均年収」にも差が出ます。

こみち的な感覚としては、異業種で同じ仕事をすれば、時間給1200円では安いと感じ、1300円くらいが妥当、1500円なら高待遇という感覚です。

もちろん厳密には、交通費の扱いや都市と地方などでも変化しますから、その意味では金額がそのまま適応されるとは思いません。

とは言え、緊急事態宣言の解除を機に、転職を本格的に検討している人にとっては、ようやく訪れたチャンスでしょう。

介護系の仕事というと、介護施設をイメージしますが、実際には様々な働き方があります。

つまり、「介護」という今後も現代社会で欠かせないスキルを身につければ、中高年になっても働き続けられるでしょう。

事実、こみちの勤務している施設なら、70代のスタッフもたくさん働いていますし、それこそ年齢やその人に合わせた仕事も得られます。

また、異業種並みに稼ぎたいなら、基本の介護スキルに合わせて「経営」を学ぶことで、施設長を目指すことが可能でしょう。

こみち自身で言えば、介護系就活フェアーの時に、学研ココファン等の企業案内に参加した際、キャリアパスに対する企業からの提案も聞かせてもらうことができました。

その時に感じたのは、介護施設としても「施設内で働くスタッフ」ばかりを求めているのでは無いこと。

もっと踏み込むなら、介護施設を「会社」と考えて、社会からの信頼を得られるように運営することも大切です。

そのような展開や展望もあると気づけば、介護施設で数年のスキルアップも無駄にはなりません。

むしろ、中高年にとってはこれまで職歴と合わせることで、施設運営に加わることもできるでしょう。

実務者研修を受けていた時に、授業を担当してくれたのはある介護施設の事務長で、介護スタッフから昇格し、年収もやりがいも増えたと話してくれました。

現場スタッフとして働くこともできますし、やり方次第ではさらに経営や人事の方にも進めるのも介護業界ならではです。

特に小規模な介護施設を得意としている事業所に入れば、5年後、10年後に「施設長」「事務長」という肩書きを得ることもできます。

下積み期間中に感じたことや教えてもらいたかったことをしっかりと記憶し、自身が施設を動かす側になった時に、その経験を活かすことができれば、今までにはなかった施設運営ができるかもしれません。

そんな気持ちで働くことができれば、単に職場問題点も、マイナスに捉えることはなくなります。

なぜ、そんな風になってしまったのか。

何が足りなかったのか。

全てのことが次に活かせる経験になるはずです。

崩壊し始めた?「こみちの介護施設」

 介護施設にとっての崩壊とは?

こみちが思う崩壊の定義は、「介護施設の役割」を果たしているかに尽きます。

では、どんな役割があるのでしょうか。

高齢者と言っても、同じ扱いで考えることはできません。

中高年の我々の頃から、最期を迎えるまでには流れがあるからです。

心身の状況からみた変化の流れは、認知機能低下がまだ見られない状況なら、トイレが一人でできるのかに掛かっています。

なぜなら、トイレを済ませるには、歩行、立位と座位、行為の手順、腹圧を高めるなど、生活を継続させる複合的な行動が見られるからです。

歩けない人は、車イスでトイレまで移動しますし、立ち上がることや手順が分からない人には、手すりを持つように勧めたり、身体の一部を支えるなどするでしょう。

認知機能低下とも関連しますが、脳障害が理由で麻痺などがある人は、行為の順番や視界の不良から手間取ったりします。

そんな人にも必要となる支援が欠かせません。

これらから分かるように、人は段階的に老いていきます。

ではトイレが行けなくなるとどうなるでしょう。

多くはトイレサポートできないことから、オムツ着用に切り替わります。

しかし、まだ尿意や便意が残っているので、「オムツ着用」でもトイレに行きたいと繰り返します。

考えてもみてください。

人が大勢いるところで、用足しできるでしょうか?

オムツ着用者だとしても、「トイレに行きたい」は正常な反応です。

しかし、ある時点からその訴えも減り、いつしか言わなくなります。

こみちが思うには、その時に自宅で家族が介護しているならどうなっただろうかということ。

なぜなら、その時に人はワンステップ「最期」に近づいたと感じるからです。

オムツになり、立ち上がることもさせてもらえない状況が続くと、今度は食事量の低下が見られます。

嚥下の低下が起こるからでしょう。

感覚的には、半年くらい掛けて段々と食事で摂取する量が減っていき、「食べたくない」という反応が増えてきます。

常食だった食事が、刻み、ペーストと嚥下低下につれて変化します。

顎を動かす。食事もそうですが、話す時間が減ってしまうと、認知機能低下に繋がっていると感じます。

つまり、一人暮らしの人は、それだけ誰かと話す機会が減ります。

我々の年代なら、仕事場などでも話すことがありますが、高齢者になると一日中家にいて、誰とも話さないという日もあるはずです。

実際、そのような暮らしは、「老い」につながります。

実は介護施設でも、利用者に話しかけた方が表情が明るくなります。

それは実際に行って分かりますが、こみちが勤務している日、多くの利用者が話しかけてくれるのも、そんな理由があるからでしょう。

言い換えれば、業務だけを淡々とこなす介護士ばかりの施設ほど、利用者の老いを加担しています。

少なくとも、そんな流れを理解しない施設は、結果として利用者を早く老いさせています。

ここ数日で数名から質問されるのは、「なんでこんなに苦しいのに、私は生きているの?」というようなものでした。

さらに気になるのは、スタッフの体調不良が拡大していること。

急な休みや体調悪化で早退することが多く、結果的に残ったスタッフにも負担が増し、全体として段々と疲弊しているのです。

そんな状況なので、利用者もまた「老い」やすく、施設としての役割が果たせていません。

それこそが「施設の崩壊」の実態です。

利用者の目的を絞ることができれば…

 理想的な老健を作るために…

介護施設の多くは、介護保険制度の介護報酬を当てにして経営しています。

そのような経営で起こってしまうのが、「利益」ありきの運営方法です。

例えば、電気屋さんで値切る場合、「少し値切ってくれませんか?」というのが初歩だとしたら、中級者はネット通販サイトの最安値を出して、「この価格はできませんか?」と決済権限のある店長を相手に交渉するでしょう。

しかし、上級者になるとどこで「得をするか?」を考えます。

例えば、同じ価格で購入したとしても、より手厚い保証期間やポイントの上乗せに目をつけるかもしれません。

また、1個ではなく、100個とか500個まとめて買うと伝えるかもしれません。

というのも、販売店の立場になれば、原価割れして販売はできません。

一般的には、営業コストを乗せることは避けられないでしょう。

しかし、例えば1万個まとめて購入してくれるとなると、販売店も考え方が変わります。

つまり、1個あたりの利益を計算するのではなく、1万個まとめてどれだけ利益になるかで考えます。

それはつまり、営業コストも最小限にできるので、結果的に1個当たりの価格は、それなりに底値となっているでしょう。

ここで言いたいことは、個人ユーザーとしてできることと、ビジネスとして利益を出す時は手法が全く異なるということ。

思うに介護保険制度に沿った経営は、ここでいう個人ユーザーの手法なのです。

これでは目的に対して早く限界を迎えてしまいます。

先例では「値切り」ですが、介護施設では「効率的な経営」が相当します。

老健施設で多い要望とは?

それはつまり「在宅復帰」に尽きるでしょう。

その時に、意外に思うかもしれませんが、家族が自宅で引き取ることを望んでいるとは限りません。

つまり、受け入れた利用者をどんなにリハビリしても、家族が受け入れを拒めば、在宅復帰はできないのです。

思うに、そもそも施設に預けたいのが目的の受け入れは最初から施設として拒めばなければいけません。

そうでないと、ずるずると施設にいる期間が延びてしまい、老健の「特養化」が進みます。

実際、こみちの施設でも3年以上も継続して入所している利用者の割合が高くなっています。

だからこそ利用者の「目的」を絞り込む!

実際に介護現場に立つと、8割の仕事でもノルマとしてはかなりの達成率です。

それが人によっては5割でも十分だと思うかもしれません。

でも本当に利用者に効果が現れるのは、10割の時だけです。

だとすれば、8割でも5割でも、利用者は段々とADLを低下させていき、言うならその減少度合いに差があるだけです。

だからこそ、10割にどう到達するかを介護施設は考えなければいけません。

思うに、あれこそできる何でも屋ほど器用貧乏になりやすく、一点主義くらいのつもりであれこそとは手を出さないスタイルに徹するべきなのです。

事実、老健が在宅復帰を支援する施設ですが、通所型のパワーリハビリを実践している施設の方がより絞り込みに特化しています。

つまり、「在宅復帰」という最終目的に対して、そこに向けた支援策を考える方が、より効率的なのは頷けることでしょう。

認知症からパーキンソン、寝たきりに半身不随と、全く異なる状況の利用者を一斉に預かって、その個々に応じた支援ができるのならいいですが、それこそ8割や5割となってしまうと、遅かれ早かれ在宅復帰が遠退く支援に終わってしまいます。

介護士の育成にしても、ありとあらゆる技術を無作為に学ばせても、使える介護士には成長しません。

そうだとしたら、できる限り同じような問題点を抱えた利用者を預かることで、高い実績に裏付けされたサービスが提供できるはずです。

その意味では、こみちの勤務する老健の多様さに現場スタッフが追いついていないのでしょう。

プロとしてこだわるポイント

例えば、「座位」に対する介護施設の支援で、利用者の快適さは異なります。

この「快適さ」は、空調による快適さとは異なり、上質な食事によって得られるものとも違います。

我々でも、寝具や椅子を健康的な側面から選んでいる人はまだまだ少ないでしょう。

生活に密接なはずの椅子やテーブルを、身長や座り方の癖を無視して選んでしまうと、当然ですが腰などに痛みを感じたりします。

まして、一日中車椅子に座らせている施設などは、介護として論外でしょう。

でも、きっとそれを当たり前に思っていた人は、違和感に疎く、「この支援策ではいけない」と感じ難いタイプです。

そんな介護士は、しっかりと支援方法を具体的に指示されなければ、5割や8割の介護を10割と思い込んでしまいます。

だからこそ、10割を実践できる介護士を作ることが、施設側の当面の課題です。

いきなり全部ではなく、ポイント別にひとつずつ、10割にこだわることで、行く行くはいろんな場面でも10割になる介護士が誕生します。



介護系の講師に感じる「特有の傾向」とは?

 介護系セミナーが苦手!?

現役の介護士として働く方で、定期的に介護系セミナーを受講されている方がどれくらいいるでしょうか。

こみち自身が介護業界に興味を持った時、「介護サービスがどう提供されるのか?」はとても大きな関心ごとでした。

なぜなら、「衣食住」こそ同じでも、人はそれぞれ異なるライフスタイルを持っているのに、それを踏まえてどう対応するのか気になったからです。

それこそ、一流ホテルマン同等とはいかなくても、アルバイトなどで自然に身につけた「応対」では賄い切れないと思っていたこともありました。

しかし、結果的に言えば、そもそも「接遇マナー」が根底にあるとは思えない状況です。

それは、介護保険制度が導入された2000年以前の処置制度の名残りを今でも残しているからでしょう。

過去に誰かが言った言葉が、ずっと受け継がれて行く。

そんな風潮が色濃く残っているのも、介護業界です。

例えば、こみちがある介護系セミナーを受講した際、講師として現れた人はほとんど表現を変えることもなく軽い挨拶だけで話を始めました。

それだけセミナーの内容に入りたかったと言えばそうなのですが、教壇の台に片腕をつくような立ち方をしているので、両肩が水平ではなく、少しもたれかかるような姿勢です。

しかも無表情。

ある意味で、これが業界を牽引する講師の意識なのかと感じました。

しかし、この講師だけではありません。

これまで何度かセミナーを受けて来ましたが、一般企業のプレゼンに慣れているこみちにすると、「待った」が掛からないことに違和感を覚えます。

介護現場では対応を変えられる!?

面白いもので、セミナー講師も以前は介護スタッフとして働いていたり、二足の草鞋で兼務されていたりするでしょう。

しかしながら、今、声のトーンがどうなっているのか、聞いている相手がどんな表情なのかを感じ取ることに意識が向いていなければ、「自分は正しい」というスタンスから抜け出せません。

こみち自身はこちらが100%正解の時以外は、相手の話に先ず耳を傾けて聞くことを選びます。

中には、確かに意味不明に思える言動もあるでしょう。

しかしそれでも、相手、特に利用者は本気でそう感じているのですから、頭ごなしに否定しても受け入れられるはずはありません。

つまり、この状況でどちらに「分がある」のか、ではなく、「自立支援の精神」から相手を優先した思考が求められます。

だとしたら、講師が聴取者の前に立った時に、「よろしくお願いします。〇〇についてお話ししますので、今後の参考になればと思います」などと言っても不思議はありません。

業界では先輩後輩になるのですが、聴取者はこの場合、料金を支払っている「お客様」だからです。

もう一つ、気になるのは、誰々が唱えた「〇〇」ですが、という事実前提での論法です。

これは個人差があるのかもしれませんが、言葉をよく断定的に用いて、それ以外の解釈を否定して聞こえます。

「介護スタッフは〇〇と意識して対応するべき」というようなフレーズは、そもそも使用するべきではありません。

なぜなら、利用者の状況や介護スタッフの立場によって、アプローチは無数にあるからです。

実際、あるスタッフが先人を切り、その後のスタッフが現れて丸く収まるということが多々あります。

つまり、どんなに信頼関係があっても、気分によっては別のスタッフが心地よい時はあります。

むしろ、例外を挟まないようなフレーズがあるならぜひ聞かせて欲しいものです。

きっとそれは高校までの学習と大学等で行う講義の違いでもあって、公式や法則については余談を挟まないとしても、そこからさらに話を展開する時には、特に大学の授業では学生に意見を求めたり、さらにそこを掘り下げることで、条件の違いによる有効性を学びます。

きっとこれが医学や看護学の世界なら、これまでの論文が証拠としてあり、導けた背景を辿ることができます。

ところが、介護に関しては往々にして、根拠が語られることなく、既成事実として一方的に話が展開します。

「利用者を無条件に受け入れてみてください」

そんな無責任な言葉ってあるでしょうか。

人が一人の人を助けることさえ簡単ではありません。

どこかで限界があって、それを理解し、されながら、でも介護士としてできる限りのことをしたいと悪戦苦闘している状況です。

だからこそ、「ケアプランは適切なのか」「利用者家族との関係性は進んでいるのか」など、介護現場だけでは補えない部分をケアマネや施設、相談員に我々介護スタッフは委ねているのです。

しかし、不思議な行動や理解に苦しむ言動を見ると、我々の「苦労とは何なのか?」と感じます。

それは「寿命です」「既往歴からも明らかです」などと説明されて、いい施設に預けたとは思わないでしょう。

スタッフとして試行錯誤や達成感を得たくても、それを評価してくれるシステムもなければ、ほど全てが奉仕として扱われます。

当然ですが、スタッフ間の考え方にも差が生じますし、結局のところは変化無しで終わることの方が大半です。

だからといって、無理と思いサービスの内容を限定的にするかは、介護士としての葛藤です。

そんな思いでセミナーを聞き、何か工夫するきっかけにならないかと思って聞いていても、抑揚のない平坦な話し方をする講師から、何を学べばいいのか戸惑います。

この講師がどんな経歴で、どんな介護現場で、どんな成果を上げて、教壇に立っているのか気になります。

特にセミナーで、「何を伝えたいと思っているのか?」そして、そのためにどんな個人的なエピソードや体験を持っているのか知りたいです。

実は実務者研修を受けていた時にも、いろいろな講師から授業を受けました。

その時には全く感じなかった感覚が、今になると強く感じます。

「ケアマネは、家族との関係性で苦労も多い」

それは実際にある講師から聞いた話で、ケアプランを作ることがケアマネの仕事ではなく、むしろ家族間に調整に苦労することも事実だからでしょう。

その時に、どう信頼されるのかがケアマネの実力ですし、これまでの実績が今後の仕事ぶりにも影響します。

個人的には一方的な営業の方が楽ですし、報酬もいいでしょう。

しかしそれだけで働く訳ではないので、ケアマネとして頑張る人がいるのでしょう。

ただ、例えばデザイン業のように個人の努力でカバーできるならいいですが、結果は施設の実力によってケアプランも限界があります。

そう考えると、ケアマネとしてのやりがいは、幾つもの条件が重ならないとできません。

こみちが、ケアマネを目指さない理由の一つです。


「介護士」を経験したから思いつく「介護予防」の新提案とは!?

 例えば健康寿命を伸ばす体操ですか?

いいえ、全然違います。

コロナ禍でなければ、介護施設の見学ツアーを60代の夫婦を対象に提案したいのです。

介護施設内の様子は、YouTube で検索すると雰囲気は掴めるコンテンツもあるでしょう。

でも、介護士をしているだけに、そこで公開される内容のほとんどは「元気に楽しく過ごしています」と印象付けるものが多いでしょう。

実際、コロナ禍で自粛もありますが、定期的に行われるカラオケのレクリエーションでは、歌好きはもちろん、こみちのような音痴さんも一緒に楽しめるような時間を過ごしています。

特に認知症の利用者でも昔に聴いていた歌は、どこか思い出すようで、歌おうとしたり耳をそば立てたりしてくれます。

途中でリクエストなどを募れば、それぞれの方が懐かしく感じる歌があって、順番にその曲を楽しむようにしています。

中高年のこみちでも、美空ひばりさんの曲は知っていても、今まで耳にしたことがない曲も少なくありません。

「この曲は有名ですか?」と参加している利用者に聞いてみると、当時の思い出などを教えてくれます。

一緒に楽しめるようなレクリエーションができたら、たとえひとときだとしても、時間を忘れて懐かしい思い出に浸りながら、みんなと騒ぐことができます。

もしも、プライバシーなどの制限が許されるなら、言葉ではなく実際に見て「介護士」って面白い仕事だと未経験の方にも感じてもらえると思います。

ただ、音痴のこみちみたいに、歌が好きではなかったり、人まで歌うことに抵抗があると、「カラオケ」と聞いただけで尻込みしてしまうかもしれません。

でも利用者の大半は本当に大人で、音痴を指差して笑うような人はいませんし、照れながら歌うこみちにも「少し歌えるようになった」と励ましてくれたりします。

他の施設ではどうしているのか気になりますが、毎回、最後のようになると結構声を出してくれる人が増えて、室内に歌声が響きます。

もっと「音楽」を楽しめるようにもできますが、気軽に参加できることを忘れないで、レクリエーションは行っています。

でも、そこを見てほしいのはこれから介護士になりたいと思う人であって、多くの60代の方々にはそれこそもう少しディープな施設の「姿」です。

言い換えれば、介護施設の限界や得意としている部分と、抱える課題面を知って欲しいのです。

みんなで楽しめる「カラオケ」にも、心肺機能の維持や向上の他、リズム感や姿勢の保持、さらには感情をコントロールする自制心まで身につけられます。

伴奏をよく聞いて、それに合わせて歌うことは、健康維持に有益なのです。

とは言え、「カラオケなどくだらない」とか、「歌は嫌いだ」と拒絶反応を示される利用者は必ずいます。

しかし、介護士のサポートによって、会の半分だけ参加できるようになったり、懐かしい曲を一緒に聴きながら思い出話をしてくれるなど、「歌」の力はとても人を豊かにしてくれます。

別の言い方をすると、若い頃にしていた全てのことを高齢者になっても続けることはできません。

できるものの一つが「歌」だったということです。

つまり、60代になった時に施設を見学し、自身の今後の何が起こり、だからこそ介護予防がどれだけ有効なもので、何のために行っているのかを知って欲しいのです。

その上で、自宅での生活が困難になった時に、例えば生活の一部を訪問介護士が補ったり、施設に住まいを移し、全面的に介護士によるサポートを受けたりと状況に応じた選択をします。

なぜそんなことを思いついたのかというと、定年後に仕事を失ってしまったら、人は急に老けてしまいます。

それだって自然の流れと言えばそうなのですが、70代はまだまだ元気ですし、80代90代になっても自分らしく生活されている方はたくさんいらっしゃいます。

介護士の仕事は、介護施設でサービスを提供することばかりではありません。

つまり、介護予防についても携わることができます。

半日体験とか一泊二日体験などをしてみると、それによって施設の役割や良いところも見えてきるでしょう。

老後に同じく施設を使うとしても、どんなサービスが必要になるのかや、実は気づいていないけれど大切なサービスなどが分かります。

そうして施設の役割を明確にできれば、そこで働く介護士の苦労ややりがいにも光が当たり、業界全体の底上げにもつながるはずです。



改めて「介護老人保健施設」の役割を掘り下げる!?

 介護老人保健施設とは

介護施設と言っても、その目的によっていくつかに分類されます。

その中でも介護老人保健施設が担うのは、医療に関する処置を受けた高齢者が自宅に戻る際に生じた機能低下を回復させる機関と言えるでしょう。

実際、施設に入所される利用者の多くはリハビリを高頻度で提供されますが、それは急性期を過ぎて回復期に入るからです。

この時期には改善の見込みが高いこともあって、理学療法士や作業療法士の資格を有する機能回復を担う専門家が対応します。

ざっくりと調べたところ、これらの資格を取得するには500万円程度の学費に加えて、三年以上の通学などが必要で、実際に勤務する施設で採用に関する調査をしたところ、40代で未経験からの採用はそれなりに厳しいと教えてくれました。

もちろん不可能ではありませんが、中高年の場合は将来的な意味で進むメリットをどう個人として考えるか問われそうです。

つまり、機能回復の専門家がやり甲斐感じられるのは、この回復期でどれだけしっかりと機能回復させられるかで、病状にもよりますが概ね60日から180日の期間が対象となります。

介護士として入所者を観察する限りでは、3ヶ月超えると在宅復帰率はかなり低下し、入所前から既に退所時期を予め想定しているようなケースでなければ、老健施設の主目的である機能回復は機能維持に変わり、特別養護老人ホームと役割が被ります。

つまり、施設を終の住処と考えて、いかに心地よく暮らせるかが重視され、在宅復帰しても家族の支援が得られない場合には仮に施設を退所されてもそのまま特養ホームなどで移動されるケースも少なくありません。

中には、老健で数年を過ごされる方もいますが、多くは特養ホームに行って馴染めずに戻ってきたようなケースなどで、長期化した利用者の機能が在宅復帰レベルに回復したという話はかなりレアでしょう。

そうなると、改めて老健の役割を機能回復型のリハビリに位置付ける再確認が必要です。

介護老人保健施設の特養化している!?

特別養護老人ホームや有料老人ホームは、入所にさまざまな条件が含まれます。

その意味では介護老人保健施設を利用することは比較的容易にできるでしょう。

そんなことも関係しているのか、コロナ禍という状況もあるからなのか、老健の役割はとても幅広く、本来の在宅復帰がとても難しい利用者が入所されるケースが目立ちます。

特に問題視されるのは、利用者家族との打ち合わせでしょう。

実際、高齢者が自宅に住むとなれば、それまでよりも家族の負担が増加します。

介護施設を丸ひと月利用した場合に、月額で10万円程度の費用が必要ですが、それ以上の金額を稼ぐことができる家族であれば、「在宅復帰」が進まないこともあるでしょう。

実際に介護士として働いて感じるのは、高齢者特有のリズムで、それに合わせるのは精神的な疲労も少なくありません。

しかも介護士は一回の勤務が8時間程度ですが、在宅になると24時間になるので、その辺の問題も施設が入所に応じる際に取り決めるべきことでしょう。

ただ、施設としては対応に慣れた利用者を長期継続させる方が手間も減ることから、在宅復帰とは言いつつも、長期化してしまう状況は無くなりません。

初めて介護士になる人へ

こみちが数ある介護施設の中から老健を最初に選んだ理由は、さまざまな事情で施設を利用することになった高齢者に接することができると考えたからです。

もっとも、こみちの場合は介護士そのものを生涯の仕事としたいのではなく、今のように記事を書かせてもらい、介護業界やこれから介護サービスを利用したい高齢者などを対象に情報発信できたらと考えているからでした。

しかし、実際に働いて感じることは、老健でさえ在宅復帰できるケースは少なく、利用者を長期的に預かることが増えています。

つまり、老健が特養化しているのです。

そのために、例えばこみちのような理由で老健を仕事先に選んでも、大半の利用者が半年を超えている事実や数年を超えているケースも少なくありません。

まして、在宅復帰への取り組みに積極的でなければ、老健を初めての勤務先に選ぶメリットは看護師などの専門職の仕事ぶりを見ることができるくらいになります。

とは言え、医療的な知識を有している看護師も、看護師となってどのような経歴を経ているかがポイントで、一般的には大学病院で専門的な医療ケアに触れ、その後はもう少し小規模な病院に移るなどして、年齢に合わせた勤務を選択しているようです。

その後、老健などの介護施設を選ぶ看護師となるのがよく見かけるパターンです。

中には大学で資格を取得し、そのまま老健に来ている看護師もしましたが、現場経験がほとんど無いので、言われた業務をこなすことしかできません。

何より多くの患者に触れていなければ、看護師も介護士と考えることはそう違わないのでしょう。

それでも、看護師などの他職種を知ることで、「介護」の現実を知ることができます。

もしも最初にグループホームなどで働く場合、認知症の利用者と触れる機会が増えるはずですが、介護士の仕事が家族の代行にならないようにしなければいけません。

というのは、タイプによって異なりますが、認知症の利用者は目が離せません。

座っていると思えば、急に歩き出したり、他人に絡んでいったりして、医療的なケアが必要な高齢者の介護とは異なります。

もちろん、老健には認知症の利用者もいますから、グループホームで働くことに向いているのかも分かるでしょう。

身勝手な言い方をするなら、一年くらい老健で働くと、自分がどんな介護士に向いているかも理解できるので、その時点で老健に残ってもいいし、グループホームや特養、さらには病院の介護部門という選択肢も出てきます。

中には、看護師の学校や機能回復士などを目指して、学校に通う人もいるくらいです。

個人的には、中高年ならまずは仕事をひと通り覚えて、本業又は副業として、どちらが理想的か考えましょう。

というのも、介護士の仕事はとても体力を求められるので、一般的なサラリーマンで週5回勤務する以上に疲労感を覚えるからです。

特にシフト制勤務なので、早朝や深夜勤務もある職場なら、生活リズムさえまちまちになります。

そこで、介護経験を活かした仕事として、介護タクシーや施設専属のドライバーなどもその後の仕事先として考えてもいいはずです。


ある利用者の入所が決まって

 介護業界の常識!?

まだ介護業界に携わったことがない人で、こみちのように「介護施設って何をするの?」と疑問に感じている人なら、「ケアプラン」という支援計画書を知ったとしても「なるほど!」とは思わないでしょう。

多くの人は、すでに「ケアプラン」というものを知っていると思いますが、あえて未経験の方に向けて簡単に説明したいと思います。

人は誰でも加齢や病気、事故などで今まで暮らしを維持することが難しくなってしまいます。

人によっては生命保険などを利用して万が一の助けに準備しているでしょう。

こみち自身が「介護施設って何するところ?」と思った原因にも通じるのですが、それこそ保険金でお金は貰えても、それを使ってどう困難となった生活をカバーできるのかと考えます。

特に高齢者になると認知症など、食べ物とそうでないものの区別がつかず、紙でも食べてしまうことがあります。

そんな状況になると、家族や「介護士」がその人の側にいて生活を始終見守る必要が出てきます。

その際に使われる支援の方法や内容を決めるのが「ケアプラン」の役目の1つです。

そんな風に考えると「ケアプラン」の内容がどれだけ大切なのか分かるでしょう。

ある計画者(ケアマネ)の人生経験が豊富で、表面的な問題を支える計画書ではなく、その人の性格やこだわりに合った計画書を作ったとしましょう。

一方で、ある計画者はどんな介護士でも支援できるケアしやすい計画書を立てました。

どちらの計画書がよりいいものかは、簡単に判断することはできません。

介護施設に何を求めるのか?

「少し利用料金は高くなりますが、ユニットケアなら手厚い介護サービスが期待できますよ!」そんな説明をある介護相談員が施設を探している高齢者やその家族に説明したとしましょう。

「手厚い介護を受けられるなら…」

こみちにすると、とても不適切で誤解を招く言葉を相談員が使っていると感じます。

ケアプランを立てる時もそうですが、単純に利用者やその周辺環境だけを調べて、計画を立てても実践できる介護施設が存在しなければ、予定された介護サービスは受けられません。

つまり、どれだけ地域の施設が柔軟で高度な介護サービスを備えているのか知らなければ、机上で計画書を作っても予定通りには成果が現れません。

場合によっては、入所を決めた利用者や家族から説明と異なるとして「民事訴訟」に発展することもあります。

なぜなら、もしも適切な説明を受けていれば、別の施設を選んだということもあるからです。

どのようなサービスが提供されているのかを、利用者に正しく伝えることも相談員の大切な役割です。

それはつまり、施設内のスキルアップをどう維持向上させるべきかにも発展し、介護士にとってはより今度な知識や技術を身につけて、労働単価にも反映されれば全体として上向き状態になります。

ところが、未熟な介護士が多く、勤務年数長くとも固執した介護しか知らない人ばかりでは、幅広い介護サービスを提供することはできません。

つまり、基本として「合理的な説明ができる最大限のサービス」をいかに提供できるかが介護施設に求められることでしょう。

魔法のような介護などありませんから、何でもできるような誤解を招く説明は避け、どのような支援によってどれくらいの回復が期待できるのかまで説明できる相談員がいなければ、選んでいい介護施設ではないでしょう。

相談員として知識が豊富なことは、相談員としての評価に過ぎず、利用する人からすればどうでもいいことです。

しかし、個人スキルを向上させることに比べて、施設全体を押し上げることは遥かに難しく、そこに取り組める施設運営者や相談員がいなければ、そもそも施設として選ぶべき施設ではないのです。

民事訴訟にも発展することも

信頼して預けた家族が、想像できない状況で、変わり果てた姿になってしまったら、利用者家族はどう感じるでしょうか。

当然ですが「施設で何があったのか?」と思うでしょう。

そんな時に施設から医学的な説明ばかりされたとしても、心理的に納得できるものではありません。

なぜなら、聞きたいのは医療的な症状ではなく、介護施設としてのサービスにあるからです。

「もう少し早い段階で状況を説明できなかったのか?」とも感じるでしょう。

事実、食事量が低下すると、数日から一週間も経過すると高齢者の様子は大きく変化します。

そこの判断を誤れば、利用者やその家族にすると想像していない結果になってしまうのです。

場合によっては「民事訴訟」「損害賠償」という法的話になることもあります。

しかしそれは、元を正せば、入所前の説明にあったとも言えるのです。

設備やスタッフ育成に力を注いでいない施設というのは、それだけリスクも増しているので、例えばこれから勤務する施設選びとしても注意しなければいけません。

介護士として施設で働く場合に施設見学をしますが、こみちも最初はどこを見て判断すれば良いのか分かりませんでした。

しかし難しい話ではなく、単純に「この施設に自分の両親を預けたいか?」と思って職場を観察してみましょう。

トイレが汚いとか、床が汚れている。

介護士が笑顔もなく、身なりも整っていないと感じたら、その施設で働く価値はありません。

介護だからという特別なことなど一切なく、異業種で経験した疑問や違和感が介護施設で感じるなら、それはその職場が気づかずに続けている悪習です。

今回のテーマ

正直なところ、ある利用者の入所が決まって、その説明があまりに我々の施設では対応が厳しいと感じるケースでした。

それでも巧みに説明をして入所させてしまう相談員の役割に甚だ嫌気をさしてしまいます。

施設のどこを見て、そんなサービスができると思ったのでしょうか。

確かに粗末な事情を説明するのは相談員として言いにくいことも分かります。

しかし、それを踏まえて口先を巧みにするのではなく、施設全体の向上に何が足りないかを考えるべきなのです。

人件費削減なのか、辞職願いが続くのか、ここ数ヶ月で人員の配分がまた削られました。

しかもスタッフの平均年齢は上がり、多くの仕事を手際よくこなすことができません。

当然ですが、抜けや取りこぼしが増えて、ギリギリの運営が続いています。

そんな中での「何でもできます」的な入所なので、ある意味でこみちとしてはそれだけ経営が圧迫されていると感じます。

その先には施設閉鎖や経営権の譲渡だってあり得るでしょう。



介護現場の現実「検視」を求める利用者家族の気持ち

 「介護施設」とは何か?

介護士として働く人の中には、20代や30代のまだ若い世代も少なくありません。

こみち自身も介護士として働いてみて、「介護士は肉体労働者だ」と感じる一面もあるからです。

中高年になると、後からいろいろ思いつくけれど、その瞬間に的確な判断は段々と苦手になってしまいます。

まして、フロアの隅々まで歩き通す仕事ですから、ステーションのイスに座って一日中日報を書いてはいられません。

中には鈍感な人や勘違いした人がいて、後輩たちばかりに働かせて動こうとしない介護士はいることは内緒話です。

それだけいろいろな業務を次から次にこなしている中で、「ミス」は起こります。

小さなミスでは、誰かの名前を呼び間違えたとかでしょうか。

大きなミスになると、やり直しがきかないこともあります。

幸いなことにこみちはまだ「致命的なミス」はありません。

致命的なミスの部類になると、介護士を辞めた後でもずっと心にシコリとなって残ってしまうこともあります。

介護施設といっても、提供しているサービスには違いがありますが、いずれにしても利用料金を支払えばサービスを受けられます。

そこで働く我々介護士は、客を選ぶことはできず、施設から支持された利用者を精一杯もてなすしかできません。

歌手ではないので、一緒に歌っても魅了するような歌声では歌えませんし、料理を作ってもコックやパテシエではありませんから、多少は物好きくらいの料理ができたとしても、高々知れているレベルです。

それでも、いろんな想いを持って介護士として働き、一期一会を大切にしたいと持てる能力を発揮します。

こみち自身が想像する介護士という仕事は、客観的に時間給で1300円くらい貰えないと、楽しい仕事でも異業種を選んでしまう人がいそうです。

なぜなら、四六時中緊張しっぱなしというハードな職業ではありませんが、求められるスキルは非常に高度で難易度が高いと思うからです。

ただ、その高度な要求に応じられない場合は、多くの場合で利用者の生活スタイルを損なう形で現れます。

しかし、一見しただけでは分からない部分もあって、時に適切な介護サービスが提供されていたのかが問われます。

客となる利用者は、施設が提示した金額さえ支払えば利用できるのですが、実際に利用者をもてなす介護士は施設からの提示金額納得さえしたら、もうどんな利用者にも精一杯接するしかありません。

例えばこんなケースでも

ある利用者は自宅で家族が支援できないほど認知機能が低下し、徘徊や暴力行為も多発する状況でした。

そこで利用者家族は自宅での生活を諦めて、ある介護施設を利用することにしました。

「ウチの人はとても扱い難いところがあります」

そんな家族からの説明を聞き取ったうえで、介護施設への入所が決定しました。

ところが初日こそニコニコしていた利用者様子が次第に変化し、同じ部屋に寝泊まりしている別の利用者へ暴力行為を行ったのです。

そして、それを目撃した介護士にも殴りかかって向かって来たというのです。

もちろん、介護士は利用者に対して手を出すことも口で非難することも施設から強く止められていて、殴りかかる利用者を制するしかできません。

このような利用者も、施設が認めて受け入れたなら、介護士は黙ってもてなすことが業務です。

言い換えれば、なぜ暴力行為に及ぶのかをリサーチすることも介護士に求められる業務に含まれます。

介護士もミスをしたいとは思っていません。

しかし、時間の無い中で一瞬の判断を誤ったことで取り返しのつかない事故招いてしまうことはあり得ます。

例えば、そんな利用者の暴力が別の利用者に及びそうになり、瞬間的に介護士が手で制したという状況で、その弾みで問題の利用者が転倒、骨折という事故に遭遇したような場合、偶発的な事故とは判断されず、介護士は事故報告書を作り、その経緯から予防策まで施設へと提出します。

介護士には、安全配慮義務が課せられていて、それこそ一般人なら防げなかったようなケースでも民事賠償の対象になり得ます。

つまり、たとえ咄嗟だったとしても、利用者を転倒させてしまえば、賠償責任を負うことがあります。

老衰なのか事故死なのか?

利用者が永眠された時、利用者家族の中には「死因」を求めることがあります。

もちろん、医師による死亡診断書はありますが、そこに書かれている死因や経緯が誰によって示されたものか争点になることもあり得ます。

つまり、老衰と事故死では民事訴訟での扱いも異なるからです。

例えば、最近、むせこみが多くなったという利用者に対して、介護士は食事介助というサービスを提供しまう。

簡単に言えば、利用者に食事を促すことですが、介護士に課せられたハードルは高く、トータルでも一人の利用者に付き添える時間は「10分」程度です。

この時間内で食事を終えないと、その後のスケジュールに響きます。

本来なら、時間の掛かる利用者を見越し、他の介護士がフォローできる職場なら理想ですが、例えば時間給1000円以下で採用された介護士は、異業種のアルバイトと同じ感覚で働いてしまうかもしれません。

もっとも1300円以上なら仕方ないのかというと難しい話で、ただ介護士は給料に関わらず、とても責任の重い仕事を担っています。

現場で働く介護士とすれば、「事故死」なのか「老衰」なのかとても微妙なケースはあり得ると思います。

と言うのも、利用者の顔にアザができていて、夜間中に転倒した時にできたと言う話を施設からの連絡で聞きます。

しかし、利用者と接している時に、「介護士Aさんに車いすのブレーキを外されていた」と聞いて、利用者に認知低下や妄想癖があるような場合に、事実はどこにあるのかわからないからです。

こみち自身は、施設内の至るところにカメラを設置して欲しいと思います。

それは介護士の潔白を証明してくれる証拠になるからです。

転倒事故で終われば不幸中の幸いですが、そのまま帰らぬ人になってしまうと介護士としても自責の念に問われるでしょう。

正直、人は二面性を持っている動物です。

その両面を知って、なおさら惚れ込むことも有れば、関わりたくないと思うこともあるでしょう。

利用者家族が「検視」を強く希望する根底には介護施設やそこで働く介護士に対する不信感も関係しまう。

介護士が利用者ととても親しく接していても、利用者家族にとってはそこに「人為的ミス」があったかに尽きるからです。

でもこれが介護業界に起こる現実でもあります。

そう思うと、時間給が安いままでは、なかなか働きたくとも踏み込めない職種と言えそうです。

コロナ禍における「ターミナルケア」の問題点

 「ターミナルケア」とは?

介護士として施設で働く場合、行う介護サービスには「ケアプラン」に基づいた「目的」があります。

通常の場合、利用者の今後を見据えたケアプランが立案され、例えば在宅復帰や利用者の望む暮らしに近づけるケアが盛り込まれます。

しかし、ターミナルケアになると未来的なケアではなく、「今」を大切にしたケアに移行され、苦痛を回避する対策が行われます。

「ターミナルケア」のもう一つの側面

「ターミナルケア」が実施される状況とは、なんらかの理由からその人の健康や生命に回復の見込みがなく、「未来」ではなく「今」をより優先した生き方が必要になっているとも言えます。

それだけ、寿命という観点では一般人以上に真摯に向き合う必要があります。

だからといって、利用者とその家族の仲が良いとは限りません。

少なからず家庭に問題を抱え、例えば施設に入った利用者のもとにほとんど訪れることがない家族もいます。

例えば遠方の場合もあれば、それぞれが望む暮らしを尊重するあまり、交わることが減ったり無くなったりすることは十分にあり得る話です。

ただ訪問頻度に表れるばかりではなく、ターミナルケアになった利用者のケア方針でも個々で意見に相違が生じたりします。

これまでの特徴としては、利用者家族からは「できる限りの治療をお願いしたい」というもので、逆に利用者自身は「特に大掛かりな治療を望まない」というようなケースも見かけます。

これはあくまでも憶測ですが、利用者の中には家族に会いたいと考えている方も多く、施設でどれだけ介護士がサポートをしても、家族から受けられる生きる喜びに代わることはできません。

その意味では、施設で孤独に暮らしていると、どうしても生きる喜びを感じ難くなってしまうことはあります。

その結果、治療についても多くは望まず、延命措置には消極的な利用者も多くなります。

一方で、あまり施設を訪れることがない利用者家族は、どこかで自身が介護できていない後ろめたさを感じるようです。

しかし、なんらかの理由もあってそれを改善できないことも加わり、「できる限りの治療」という言葉で気持ちを示そうとするのかもしれません。

特に経管栄養と呼ばれる処置が始まると、利用者は自身で食事もできないまま、栄養素だけを体内に取り込み、その結果として延命が可能となります。

中には利用者から「生きているのが辛い」というような訴えもあって、その度に介護士としては前向きな希望を見つけて気持ちを支えています。

コロナ禍に起こる「ターミナルケア」の問題

一般的に介護施設の多くは外部の人が頻繁に館内を訪れることを望んでいません。

それだけコロナ感性のリスクは大きな問題だからです。

一方で、ターミナルケアが開始された利用者の場合、家族との面会が一部制限されることがあります。

そうなると、危篤状態は例外的だとしても、終末期に家族や親しい親戚と顔を合わせたいでしょう。

例えば一時的に「外泊」という選択を選び、利用者が自宅に戻ることも希望として出るでしょう。

施設としても、ターミナルケアの方針としても、希望に応じたい一方で、感性リスクや施設戻った後の受け入れ方も十分に検討しなければいけません。

事実、コロナワクチン2回接種済みのケースでも、家族の感性により自宅待機となることも十分にあって、まして施設内でのクラスターとなれば影響は小さくありません。

このような問題をいくつも抱えながら、コロナ禍の時代に施設は厳しい判断にせまられながら、ターミナルケアにも対応しています。


介護崩壊が起きている!? 介護士が見た介護施設の現場

 コロナ禍で介護施設に何が起こったのか?

昨年の2020年春から、多くの利用者が施設を卒業し仲間となりました。

その中には、今世での役割を終え、本当の意味で「ゆったりとした時間」を手に入れた人もいます。

しかし、頭と精神が一体ではないので、理解しているつもりでも「家族に会えない」という現実は利用者の精神に何らかの影響を与えてきました。

利用者の声

その日、こみちはある利用者がいる居室へと向かいました。

別件の用で訪ねたのですが、「お願いしたいことがある」と切り出されて「何でしょうか?」と答えながらある利用者の脇にしゃがみ込んだのです。

「これからきっと、私も知らない私になると思うの…」

「はい…」

「でもね。どんな私になっても、私らしく生きていたいの!」

「分かります」

「だから、こみちさんの力を貸して欲しいの」

「私にできることなら頑張りますよ。でも、全てに応えることは難しいかもしれません」

「いいの。その気持ちが聞けただけで」

「でもね。まだまだ元気が回復してきますよ。笑顔も増えた。また一緒に中庭を散歩したいですね」

そんな会話が、5分くらいの間で起こりました。

皆さんはそれを聞いてどう思うでしょうか。

こみちは、その方の認知機能が低下傾向にあり、最近は表情も少なくなったことを気にしていました。

しかしながら、まさかそんな話をされるとは思っていません。

認知機能が低下し、段々と今まで通りにはできなくなってしまい、いつかはそれさえも分からないほど脳の機能が低下してしまうかもしれない。

確かに、認知機能が低下された利用者を何人も見てきましたが、レビー小体型認知症やアルツハイマー型認知症など、それぞれに特徴的な症状を見せてくれました。

そして、どちらかというと既に兆候が見られた段階から入所されるケースがほとんどで、それまでの人格を知らないまま応対してきたというのが本音です。

しかし、今回のケースでは、既にどんな人格の人なのか知っている利用者で、そんな人があるきっかけから脳機能の低下が顕著になったのです。

ただ、その方の話を聞き始めた時に、「これが介護の世界」だとも感じました。

当たり前の大原則ですが、認知機能が低下しても、そもそもの人格や誇りまで失ったのではありません。

介護士はどうしても「利用者」として相手を見てしまいます。

しかしながら、そんな利用者もついこの前までは我々のように自宅で我々と同じように暮らしていました。

別の利用者の声

この方はとてもしっかりとされていて、在宅復帰の可能性が高い利用者の一人です。

しかし、脳性麻痺の後遺症から、歩行が少し不自由です。

ある日、この方の居室を訪れた時、室内で歩行器を使って歩行練習をされていました。

実は以前までは、交代で介護士が歩行練習のお供をさせていただいていたのですが、ある時期から行われないことになり、室内練習を見て驚きました。

「いつも練習されていたのですか?」

「無理できないので、1日おきに10分だけ」

分かってもらえるでしょうか。

この利用者が自身の居室で目立たないように自主練されていたのは、忙しい介護士への配慮からです。

でも本来なら、それをカバーできることが施設の評価ですし、存在意義ではないでしょうか。

何もかっこいいことを言うつもりはありませんが、介護士の仕事は本来ならそんなサービスに向けられるべきだと思います。

そして、大広間ではもちろん何度も話していますが、居室で二人きりでの雑談を兼ねた会話は初めてかもしれません。

「まだこみちさんは若いから想像もできないかもしれないけど、老いていくのは怖いことよ」

と教えられ、さらに「できれば息子夫婦と暮らしたいの。でも私が行くと迷惑になる。分かっているのよ」と言うのです。

実際、心身機能としては在宅復帰できる場合でも、家族からの支援が得られないことも珍しくありません。

この方の場合はどういう理由で入所が継続されているのか、こみちには詳しくは分かりません。

ただ、人目を避けて歩行練習を続ける姿を見て、「これが介護の世界」と感じました。

崩壊の危機を迎えた施設では?

スタッフ間でのマウント行為や、事務的で表面的な思惑で行動することが目立つようになった施設内の雰囲気に、こみちはもううんざりしています。

そして、とても残念なことですが、利用者は全ての介護士に同じ話をするのは限りません。

つもり、どんな気持ちで毎日を過ごしているのかを知らないままの介護士もいます。

なぜ、こみちに話を聞かせてくれたのかと思います。

こみちが本当に役に立てるとは断言できませんが、介護士として働く時に忘れてはいけない感覚だと思うのです。

介護施設が崩壊するとしたら、そこには利用者目線が失われて、私利私欲だけの介護士が自身の保身に走ってしまった時でしょう。

でも、意外とそんなスタッフが増えました。そして、退職もされました。

その結果、慢性的な人員不足で、踏み込んだサービスまで手が回りません。

そして、サービスが低下減少したことで、退所を決意された利用者もいます。

ズルズルと評価が下がり続ければ、やがて施設の閉鎖や売却まで起こるでしょう。


中高年求職者にとっての「介護職員」とは?

 介護業界における「やりがい」とは?

ビジネスの基本型は、「誰かに役立つこと」を仕事にする。

では、介護業界の「やりがい」とは何だろう。

大きな流れとして、加齢により人は段々と心身ともに弱ってしまう。

それはどんな人も避けることができない使命でしょう。

つまり、「生まれたら人は皆、いつかはこの世を去る」ということ。

そこで、介護業界が担っているのは、自宅で自分らしく暮らしていた人が、何か心身の衰弱によって不便を感じた時にサポートすることを生業としている。

介護保険制度になって、繰り返し研修でも指導されるのが「自立支援」「個人の尊重」ということ。

つまり、「サポートしてあげる」ではなく「サポートさせてもらう」という意識改革が行われた。

しかし残念ながら、経験豊富なベテラン介護士に限って「してあげる」感覚が抜けていません。

利用者に「ありがとう」という言葉を言わせてしまうのです。

勘違いする人は、「いいですよ!」と少し得意げに答えるかもしれんが、利用者の本音は「単純な介護士だ」という評価でしょう。

それでも自分たちの世話をしてくれるので、利用者が下手に出ているだけで、それを勘違いし続けるベテラン介護ほど痛い存在はいません。

つまり、「介護させてもらう」というスタンスで、介護士は利用者の意思決定を最大限に尊重しながら仕事を行います。

感覚としては、例えば「オムツ交換してあげた」ではなく「交換させてもらえた」なので、作業中の声掛けや身体の負担が少ない手順を実行するのは「いい介護士」ではなく「最低限のサービス」を提供しているに過ぎません。

ある意味、介護業界に課せられた使命はそれほど壮大なものなのです。

しかし、現実的な話をすると、時間給では一般のアルバイトと待遇面では変わりません。

介護業界のやりがいを本当に理解したら、アルバイト同等の待遇で厳しいノルマに答えるのはそれなりの覚悟が必要です。

介護士はなぜ病むのか?

まず、介護施設の方針、介護現場の方針、個別の介護士同士にある方針が異なります。

そもそも、介護業界のやりがいさえ理解していない介護士が先輩にいると、それだけで価値観や方針が180度変わってしまいます。

「利用者の言葉に耳を傾けろ」と施設全体でスローガンを抱えても、「そんなことまでやってられない」と考える先輩がいると、もう現場は混乱し、どこか曖昧な仕事になっていきます。

全体で100個の仕事を5人の介護士が分担する時、各20個ずつ担当できれば問題は起こりません。

しかし、中には「リーダーをする!」という先輩が現れ、後輩の4人で100個を分担する羽目になります。

さらに、全ての介護士が同じスキルではないので、25個ずつに分けたくても、それができないこともあります。

しかも、1人目が50個、2人目が30個、3人目が15個、そして4人目が5個。リーダー役は0個という分配になることも。

そして報酬額ではリーダーが時給1500円。2人目が1300円。1人目と3人目、4人目が同額の1000円。

1人目の介護士にとって「やりがい」ってなんでしょうか。

さらに面白いのは、最終的な分配では先に紹介したようなものでも、ある担当に限れば3人目が大半の業務を担ったように見えたりします。

そして、アピールが上手い介護士ほど、トータルでは15個でも、一番仕事をしたという態度で、他の介護士がカバーしていることに目を向けません。

また、内部の派閥によっては、少数派がやり込められてしまうことも起こります。

「指示したからやりやすかったでしょう!?」

そんなことを本気で言うベテラン介護士は存在します。

中高年にとっての「介護職員」という仕事

これまで数年間、介護施設で働いて思うのは、地方都市に多い中小企業の社長が抱える問題と似ています。

大企業の本社勤務ができる人は、その大半が名の通った大学の出身者でしょう。

つまり、共通した知識を有し、そ個に優劣をつけることができ、仕事上での指示に対してもその根拠を理解できます。

しかし、これが可能になるのは、組織としてかなり優秀だからで、一般企業ではそれを目指した運営に日々知恵とアイデア、工夫を凝らしているのが実情です。

つまり、大手企業を退社し、中小企業に身を置いて感じるのは「上司からの指示に根拠が見えない」というジレンマです。

それよりも数段効率的な方法があるのに、でもそうではなく上司の指示通りにしなければいけないのはなぜか。

そんな些細なことで度々、違和感を感じてしまいます。

中には「こんな方法ではいけませんか?」とか、「その指示ってどんな理由からですか?」と聞いてしまった時には、周囲は凍りつくことでしょう。

介護業界でも最大手と言える「Benesse」などではどうなのかわかりませんが、かなり有名な介護系大手であっても、職員の声を聴くと中小企業特有の現象が起こっています。

まして、地方都市にある中小規模の介護施設では、どうしても避けられない問題となっているでしょう。

特に「してあげている」系の意識で働く介護士が一定数を占めていると、残りが改善に前向きでも現場の雰囲気は変えられません。

なぜなら、「私がリーダー役ね!」と言われて、納得できないからです。

リーダー気取りの介護士を支えるために、必死で働くのがバカらしく思えてしまうでしょう。

でもリーダー気取りの介護士の内情を補足するなら、「気取っている」つもりはなかったりします。

ただ、組織づくりの経験もないし、どんな組織が必要なのかも知らないので、自分が中心になって指示をすれば現場が回ると思っているのです。

「現場が回る」とは、「利用者にしてあげている」という意識の延長にある考え方。

つまり、仮にそれで回ったとしても、利用者も不快なら他に介護士も不満です。

だからこそ、ゆっくりではありますが、介護業界も底上げが始まったのです。

ただ、大手企業のような組織化には、まだまだ遠く、これまで働いて来た中高年ほど、働いて違和感があるかもしれません。

「郷に入れば郷に従え」ではありませんが、全く意識を変えて働くくらいの覚悟が必要です。