介護施設で働くということ
こみちを含む中高年の方々は、これからビジネスの感覚を持つべきです。
そのために必要となることはたくさんありますが、それ以前に知っておくべきこともあります。
小学生の頃に遊んだ友人が、中学時代には別々になり、さらに高校や大学となれば、もうその学校に旧友は一人もいないかもしれません。
仮にいたとしても、学部や学年、キャンパスが違うなどして、気づかないこともあるはずです。
何が言いたいのかというと、「進学」とはより自分の感覚に近い仲間と出会う手段だったということ。
特に中学時代、高校時代、大学や社会人になってからと、その時々に出会う人って少しずつ変化していて、もちろん同じ趣味や思考をしている訳ではなくても、相手のこだわりや価値観に気づくことができます。
つまり、その経験が「他人を尊重する」という背景なのでしょう。
ここからは少し愚痴になるのですが、「もう本当に介護士になるのは辛い!」のひと言です。
今日、中堅層のスタッフがたくさんいて、シフト上はとても楽になりそうな予感もしていました。
ところが、フタを開けると、みんなの仕事ぶりが止まっているのかと思うほど、ゆっくりなのです。
つまり、「目の前の仕事をしていればいい」という雰囲気で、誰もスケジュールのことなど気にしていませんし、優先順位も仕事の困難さも度外視で、楽な仕事をダラダラとしているのです。
動けば動くほど、仕事が集まってきて、正直、みんな正気なのかと思ってしまいました。
イメージとして二人では厳しいけれど、三人ならエキスパートばかりでなくても終えられる分量。
なのに五人とか、それ以上いても、ほとんど終わっていないのです。
そして、あるスタッフが自身の「介護理念」を語り出し、上司と言い合いを始めて、さらに仕事が増えました。
「介護理念」とは何か?
介護の仕事をしていると、精神的に不安定な時がきます。
こみち自身も、何のためにしているのかと落ち込んだ時がありました。
ここでいう「介護理念」とは、何も崇高な話ではなく、実は一般のサラリーマンにもあって然るべき心構えです。
例えば、トイレ誘導を行うスケジュールが、午前10時と正午、午後2時と決められていた時に、それ以外の時間帯に「トイレに行きたい」と利用者から訴えがあったらどう対応するのかという話です。
こみちは、急な仕事が無い限りは、できる限り訴えに応じるようにしています。
しかし、それこそ個々の介護理念によっては、一切時間外は対応しないと貫くスタッフもいます。
なぜなら尿漏れパットを装着しているから、ことは足りているというのです。
その人の話を掘り下げても何も出てこないので、この辺で話をやめますが、自身の信念を貫くのもいいけれど、それで残った仕事は誰が処理するのかも考えて欲しいのです。
行くところ行くところ、仕事が未完成で、予定時間をなど過ぎているのに動いてくれない。
何が「介護理念」なのかとも思ってしまいました。
実は、これって「進学」の時に体験したことを遡っているようなものではないでしょうか。
学生時代の時は段々と自分の考え方や好みに近い人が同じ学校に集まっていて、特に友人ではなくても、話みて違和感は無いし、むしろそんな考え方をするのかと興味すら持てた。
ところが、年齢はもちろん、これまでの社会人経験もほとんど問われない「介護士」の仕事は、ある意味でこれまで直接的に巡り会うことがなかったタイプとたくさん会います。
きっとみんなも「こみちって変な奴だ」と思っているでしょうが、こみちもその意味では「大変な所に来てしまった」とつくづく思います。
ダブルワークにして、距離を持つことで騙し騙し働き続けているつまりですが、本当に介護士として働き続ける自信を失いました。
今日の仕事、二人分とか三人分くらいしている感覚です。
何より、以前の職場のように、どんなに頑張っても個人の実績として残らないので、基本給に資格手当ての給料は変わりません。
つまり、上司と口論して時間を過ごしたスタッフも、一日の稼ぎとしては横並びのほぼ同額です。
モチベーションにもなりませんし、スキルを向上させても、結局は仕事が増えるだけで、将来性があると思えません。
本当の意味での「介護理念」とは?
介護の仕事をして来て感じるのは、利用者から見た介護士には暗黙の好みがあります。
明示的なると「拒絶反応」になるのですが、大切なことは「暗黙の」方です。
利用者の中には、この介護士なら良いけど、他の人は拒絶ということも珍しくありません。
つまり、なぜそんなことが起こるのかが「本当の介護理念」の意味する部分です。
拒絶をされた時に、その背景に何があるのかを考えられる介護士は有望です。
しかし多くの場合、「対応できる人がすれば良い」と思うだけで、自身のスタイルを見直すことにはなりません。
多くは、自身のスタイルには自分なりの理想があって、悪いものと思っていないことも特徴です。
つまり、「拒絶反応」を改善のきっかけと感じよりも、「合う合わない」の問題として捉えるのです。
いずれにしても、介護士の仕事ができる人なら、ほぼ間違いなく営業マンとして実績が残せると思います。
しかし、それは「本当の意味での介護」に気づいた人に限られます。
正直なところ、その部分に注目し、スタッフの育成が行える施設は優秀でしょう。
先にも触れましたが、その領域の介護ができる人材なら、異業種で500万円以上稼ぐでしょうし、営業マンなら1000万円だって狙えるはずです。
では、そんな向上心のある人材に、介護のどこにやりがいを感じさせるかが課題です。
加算によって改善されて来たとは言え、施設勤務の介護士で500万円はかなり高い壁だと思います。
チームリーダーなどの肩書きを持ち、管理者としての加算が無いと難しいはずです。
しかし、未経験の介護士を含めて、「介護とは何か?」をどう説明し、それを納得してもらいその仕事にやりがいを持ってもらうのはそう簡単とは思えません。
というのも、そんな考え方は現状の「介護保険制度」とは合わないので、それこそ今後の介護サービスの課題になるはずです。
おまけの話
ちょうど、晩飯を食べている時間帯に、どこのテレビ局なのか、海外の難事件を解決していくという番組が放送されていました。
怪奇事件の犯人像に、プロファイルしていくものですが、その展開をBGMとして食事をしている時に「それって特別なことなのか?」と思っていました。
というのも、一見して奇怪に思える行動も、その背景が分かれば決して奇妙なことではありません。
我々は「普通」とか「常識的に」と、既に知っていることだけで判断してしまうので、どうして理解できないことを「特別」とか「異例」と呼んでしまいます。
これは認知症の利用者の対応にも言えるのですが、彼らの行動も「結果的」であって、特別なことではありません。
でも、「なぜなんだろう?」と視点を変えて、これまでの常識を一旦取っ払ってみることができるかどうかがポイントなのです。
刑事的な仕事には興味がありませんが、その意味ではなぜ事件が起こったのかを調べて、予測し、犯人像に迫るというような仕事もまた、介護の仕事ととてもよく似ていることに気付かされました。
それにしても、仕事をしていない父親は、本当にテレビが好きみたいです。
介護で疲れて帰宅していると、刑事ものの物騒な話など聞きたくないのですが、父親にすれば平凡で代わり映えしない日常に刺激を感じるのはそんな番組なのでしょう。
父親の気持ちも分かっているつもりですが、ミスをして犯人になってしまった人の生い立ちを解説されても疲労したこみちの脳みそはもう受け付けてくれません。