介護施設にとっての崩壊とは?
こみちが思う崩壊の定義は、「介護施設の役割」を果たしているかに尽きます。
では、どんな役割があるのでしょうか。
高齢者と言っても、同じ扱いで考えることはできません。
中高年の我々の頃から、最期を迎えるまでには流れがあるからです。
心身の状況からみた変化の流れは、認知機能低下がまだ見られない状況なら、トイレが一人でできるのかに掛かっています。
なぜなら、トイレを済ませるには、歩行、立位と座位、行為の手順、腹圧を高めるなど、生活を継続させる複合的な行動が見られるからです。
歩けない人は、車イスでトイレまで移動しますし、立ち上がることや手順が分からない人には、手すりを持つように勧めたり、身体の一部を支えるなどするでしょう。
認知機能低下とも関連しますが、脳障害が理由で麻痺などがある人は、行為の順番や視界の不良から手間取ったりします。
そんな人にも必要となる支援が欠かせません。
これらから分かるように、人は段階的に老いていきます。
ではトイレが行けなくなるとどうなるでしょう。
多くはトイレサポートできないことから、オムツ着用に切り替わります。
しかし、まだ尿意や便意が残っているので、「オムツ着用」でもトイレに行きたいと繰り返します。
考えてもみてください。
人が大勢いるところで、用足しできるでしょうか?
オムツ着用者だとしても、「トイレに行きたい」は正常な反応です。
しかし、ある時点からその訴えも減り、いつしか言わなくなります。
こみちが思うには、その時に自宅で家族が介護しているならどうなっただろうかということ。
なぜなら、その時に人はワンステップ「最期」に近づいたと感じるからです。
オムツになり、立ち上がることもさせてもらえない状況が続くと、今度は食事量の低下が見られます。
嚥下の低下が起こるからでしょう。
感覚的には、半年くらい掛けて段々と食事で摂取する量が減っていき、「食べたくない」という反応が増えてきます。
常食だった食事が、刻み、ペーストと嚥下低下につれて変化します。
顎を動かす。食事もそうですが、話す時間が減ってしまうと、認知機能低下に繋がっていると感じます。
つまり、一人暮らしの人は、それだけ誰かと話す機会が減ります。
我々の年代なら、仕事場などでも話すことがありますが、高齢者になると一日中家にいて、誰とも話さないという日もあるはずです。
実際、そのような暮らしは、「老い」につながります。
実は介護施設でも、利用者に話しかけた方が表情が明るくなります。
それは実際に行って分かりますが、こみちが勤務している日、多くの利用者が話しかけてくれるのも、そんな理由があるからでしょう。
言い換えれば、業務だけを淡々とこなす介護士ばかりの施設ほど、利用者の老いを加担しています。
少なくとも、そんな流れを理解しない施設は、結果として利用者を早く老いさせています。
ここ数日で数名から質問されるのは、「なんでこんなに苦しいのに、私は生きているの?」というようなものでした。
さらに気になるのは、スタッフの体調不良が拡大していること。
急な休みや体調悪化で早退することが多く、結果的に残ったスタッフにも負担が増し、全体として段々と疲弊しているのです。
そんな状況なので、利用者もまた「老い」やすく、施設としての役割が果たせていません。
それこそが「施設の崩壊」の実態です。