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中高年の転職組が心得る「若い世代」との関わり方

 割と年齢層が高いのが「介護業界」!?

こみちが勤務している介護施設にも、10代の若い介護士が働いています。

しかし、全体としては30代までが「若手」という感じで、中高年に入る60歳までや、さらに70代の高齢者スタッフも人数としては少なくありません。

特に介護士ではなく、清掃スタッフには若手の人はいませんし、雰囲気的には60代が中心のように感じます。

また、介護施設には「リネン」と呼ばれる利用者のベッドで使用するシーンなどを交換する専任スタッフがいますが、彼らも中高年以上という雰囲気です。

その中では、看護士と機能回復訓練士たちが比較的若いスタッフで構成されています。

特に、作業療法士や理学療法士の資格持つ訓練士たちは、20代と30代が大半です。

例えば中高年が介護士から転身した場合

こみちの施設を参考に考えれば、中高年で作業療法士の資格を取得した場合、未経験の状況では採用枠が多いとは言えないでしょう。

これは介護業界だけではありませんが、採用面接の際に「年齢」がポイントになるのは上司となる既存スタッフとの年齢差だったりするからです。

何らかの理由で、若返りも兼ねて上司に若いスタッフを抜擢したような時は、その下につくスタッフは若手組が基本です。

ただ、運営を潤滑にする意味で、中高年のスタッフを立てることもありますが、その時の条件は「経験者」であることでしょう。

つまり、中高年が将来の展望を見据えて資格取得を検討する場合、実は取得そのものよりも採用枠の方が重要かもしれません。

その意味では、実年齢はともかく、雰囲気や興味の持ち方などが若手組からも受け入れられる人柄であることを意識するべきでしょう。

打算的なことを言えば3年は我慢する?

介護士、看護士、作業療法士などは未経験者から原則3年を経て有資格へとなることができます。

しかし、それは資格取得までの期間に過ぎません。

ここで言う「3年の我慢」とは、有資格者となって働き始めてからの期間を指します。

具体的には、「問われたことの範囲内で自分の気持ちを伝える」ことを強く意識しましょう。

つい、親しくなると、年下の上司に対して、タメ口で話してしまうような態度に出てしまいます。

特に中高年になると、若い世代よりもその傾向が強く、何か許されるという誤認があるようです。

実際に、そんな態度に出たからと言って、不遇が待っているという話ではありません。

ただ、転職組の中高年が先に業界入りしている若手組を敵に回して得することは全くありません。

あるとすれば、「役職」をもらえた後でしょう。

こみちとしては、それでもまだしっかりと若手を尊重した物腰を続けた方が上手くいくと思います。

自分の方が詳しいとか、仕事ができるとか、何か張り合う気持ちになってしまうと、若手組とはすぐに溝ができて、でもその溝さえ曖昧で、気づかないのは自分だけということもあります。

発した言葉を弁解できる時間や関係ならまだ改善の余地はありますが、若手組はとても押しが強くない分、一度引かれてしまうともう乗って来てくれません。

昔、年上の社員が「〇〇のやり方知っている?」と、ある意味、それくらい調べてば分かるだろうと思うようなことを聞きに来ていました。

「そうなんだ。よく分かったよ。ありがとう」

説明した内容とは少しアンバランスなほど、喜んでくれたのを見て、「いつでもどうぞ」と思ったものです。

でも、本当は疑問を解決したかったのではなく、若手組とのコミュニケーションだったということ。

確かに、職場でも若手組を捕まえて、LINEの使い方を教えてもらっているベテラン勢が少なくありません。

飲み会で親睦を深めることが得意ではない若手組との接点を、中高年はしっかりと理解して付き合う必要があります。

意外と年上のベテラン勢よりも、若手組の多い職場の方が転職組には気を使うかもしれないでしょう。

介護士には「天才肌」と「職人気質」がいる!?

 あなたはどっちのタイプ!?

介護士は高齢者や障がい者、障がい児など、さまざまな意味で支援を必要としている人を支えることが仕事です。

しかし、「支える」と言っても、誰にでもお願いできるわけではありません。

なぜなら、貴方が誰かに相談したいと思った時に、誰でもいいでしょうか。

また、「全く相談などしない!」と思う人でも、相談することで心が楽になったり、問題解決の糸口が見えたりするなら、相談してみたいと思うかもしれません。

いずれにしても、無意識のうちに人は相談できる相手を選び、その人だからと話をするのです。

そして、「この人なら!」と決めるポイントが2つあって、そのポイントこそが介護士のタイプと合致します。

1つ目のタイプは、ズバリフィーリングが合う人。

一緒にいると楽しくなれたり、自然と笑えたり、時には何もしない時でも安心できる相手を指します。

もう1つのタイプが、ロジカルにテクニックがある人。

例えば「癒す技術」とか、「会話の心得」など、必要なシーンで使うテクニックを個別に掘り下げることで、論理的に「癒し」を会得する方法です。

野球で言えば生まれ持った高い感性が魅力的な人は、4番バッターで、アイドルグループなら間違いなく「センター」に立つ人です。

一方のロジカルに技術を身につけた人は、ドラマでは「名脇役」、舞台で言えば「照明や音声」さんでしょう。

最終的な目的は同じ!?

いずれのタイプでも、介護士として働く場合には目的は変わりません。

ただそこに行き着くポイントやルートに違いがあります。

天才肌で、知らず知らずに魅力を振りまけるタイプは、接客業が向いています。

なぜなら、相手は拒んでいない状況なので、しっかりと手順を踏めばことがスムーズに進むからです。

一方の職場肌の人は、テクニックを習得できるまで、多くの苦労をするでしょう。

なぜなら、天才肌のように相手がウエルカムとは限らないので、時には話ことも受け入れられません。

介護士としては、とても切ない状況でしょう。

しかし、天才肌にも弱点が合って、気分や体調によって思うような状況にならないことがあります。

というのも、介護士と利用者との人間関係によって成り立つ関係なので、ちょっとした表情や声色、仕草によって印象が変わるからです。

その意味では、初期段階では「天才肌」で、仕事をする中で「職人気質」を見つけることができれば、体調に左右されない介護士になるでしょう。

しかし、資質として「天才肌」になれるのは、ある意味で生まれ持った特質なので、後天的には技術で補うしかありません。

実際、介護士として入職すると、話好きな利用者グループに混じって、談笑することがあります。

上司は、その時の対応の仕方やタイプを見極めているでしょうし、自身としても自分がどちらのタイプなのかを見極める機会となるでしょう。

その時に大切なのは、巧みな話術ではなく、親しみやすい表情だと気づくことです。

何より、利用者が話しかけやすい介護士になることで、不慣れな介護でも好意的に協力してもらえ、作業しやすくなります。


なぜ、介護士を続けるのか? 「介護士を継続するメリット」を考える

 介護士になるには?

中高年の方で、これから介護士として働きたいなら、年齢や前職の経歴を問わずに応募できるのが魅力でしょう。

しかし、最近になって、例えばホームページなどから面接の予約を行う方式を採用する介護士施設も増えていて、「介護士だから中高年でも応募しやすい」とは言えない状況になってきました。

介護業界に身を置く者として深読みするなら、介護士と言っても実にその戦力は幅広く、採用しても期待通りに成長しないことも少なくありません。

教育係を付けても、結果が芳しくないということを繰り返す度に、「誰でも受け入れる」というスタンスから「ある一定の条件に合う」を事前の選考にするのでしょう。

では、応募する我々の立場からすると、正直に言えば「施設選びは相性」です。

きっちりした職場が合う人もいれば、ある程度アットホームで自由な雰囲気が好みという人もいて、それは職場を見て判断するしかありません。

ただ言えることは、介護業界は異業種に比べてどこかまだまだ発展途上の部分があります。

それはつまり、同じ施設長く勤務した時に仕事として好ましいと言えるかがポイントです。

というのも、介護士の評価は仕事内容ではなく、資格手当や夜勤手当など、条件的な部分で加算されるシステムが基本だからです。

例えば、基本給は15万円。そこに介護福祉士なら資格手当が2万円。でも初任者研修だけなら5千円という感じで差が付きます。

また、夜勤手当として一回勤務すると別途1万円が加算されるとして、でもこの手当は労働基準法に定められている「夜間時の法定割増」なので、その金額次第では「お得」というよりも「当たり前」だったりするのです。

実際に介護士として働いてみて思うのは、現場でのやり取りや配慮もほとんどが評価されることがないことです。

その結果として、介護士としてある程度の期間を過ごすと、「手を抜く」ことを覚えます。

つまり、これまでできた施設としてのサービスが頭打ちとなり、そこで限界を迎えます。

その背景には、介護福祉士の試験でも重視されている「介護保険制度」の狙いにあって、「定めたサービスごとに報酬を得る」というスタイルが、それ以上の収益を得られない理由にもなっています。

別の言い方をするなら、介護保険制度に明記されていないサービスはしてもしなくても収益には繋がらず、それが介護現場にも影響し、結果的に利用者のためだけでは動けないのです。

だからこその「介護士」としての働き方を考えるべき!?

例えば、積極的に夜勤帯の仕事を覚えて、夕方から翌朝までの勤務を月に10回こなしたとしたら、それで20万円から25万円くらいの月収を狙えるでしょう。

もちろん、地域差もあるので目安に過ぎませんが、「あれこれと仕事を覚える」よりも、「稼ぐための仕事」と割り切るのも方法です。

例えば、介護士の働き方は時間帯別に早朝からや、日勤、遅番、そして夜勤とバラバラです。

つまり、すべての時間帯をこなすとなれば、それぞれの時間帯に家をでなければいけません。

ライフスタイルが日によって変わるのは、中高年には思いの外大変です。

しかも、確認が必要ですが、早出や遅番には「手当」がありません。

つまり夜勤帯をしないなら、どんな時間帯で働こうともライフスタイルが変動するだけなのです。

施設の都合ではありますが、介護士の立場としては「デメリット」の部分でしょう。

4週7日休みに注意!?

介護施設の選び方として、まずは「年収」で考えるべきです。

都心部なら350万円以上、できれば400万円以上を狙いたいところ。

地方なら300万円以上、できれば350万円を狙いたいところです。

さらに注意したいポイントは、年間の休日日数とベースアップの実績です。

中にはベースアップをほとんどしない職場もあるので、「最初が肝心」と言えます。

例えば、4週間に休日が7日という場合、3週間に関しては3日勤務で休みが来るというタイミングですが、残りは6日の連続勤務になるのです。

実際には与えられた有給を消費して、「8休」にすることになるでしょう。

しかし、この「7休」と「8休」の差は働いてみると違いを強く実感します。

長く続ける意味では、年収以外にも休みの日数にも注意しなければいけません。

仕事として介護士を継続するメリット

はっきりと言ってしまえば、これまでに異業種での経験があるなら、改めて「未経験から始める」メリットはほとんどありません。

頑張れば、後々に高収入が約束されるわけではありませんし、経験を重ねても現場仕事は楽になるとも限りません。

また、勤続年数に応じて増える報酬も、選んだ施設次第というところが多く、「介護士だから」のメリットは「年齢不問」「未経験可」という部分でしょう。

何らかの理由で、新たに仕事を探すことになった中高年が、正社員として採用を目指す場合や、なかなか採用されないので働ける所を決めたいという場合に、介護士を選ぶのが本音かもしれません。

仕事としては面白い部分や異業種では経験できないことも多くありますが、それが「求めている職場」の条件ではないでしょう。

ヘトヘトになるまで働いて、確かにやりがいや達成感はあるけれど、月収では20万円に届かないとなれば、将来的にちょっと考えてしまいます。

その辺りは若い年代が選ぶ時とはポイントが異なるでしょう。

また、一通り介護の仕事ができるようになってしまえば、それこそ困った時に「いつでも働き口」を見つけられます。

介護以外にも清掃や警備などは比較的中高年の採用に積極的ですが、冒頭でも触れた通り、段々と業界としても「年齢不問」が継続されるとは限りません。

無資格でも採用される職場から、しっかりと準備して目指す職場に変わるとしたら、実際に仕事を経験していると、困った時にも採用されやすいはずです。



「どう生きたいのか?」と向き合うために

介護施設が問われる「延命治療」の話


「生きる」を満たすには、栄養摂取が不可欠になります。

もしも、何らか理由で口や食堂が使えない場合には、「栄養摂取」ができません。

そこで、「経管栄養」という手法を用い、例えば鼻の穴からチューブを通し、又は喉のあたりに穴を設け、さらには「胃」の外側に直接経路を作るなどして、栄養摂取できる環境を作ることもできます。

こみちの勤務している施設にも、そのような手法を用いて栄養摂取を行い、今までと変わらない生活を継続される人もいるのです。

本人と家族の思い


「生きていて欲しい」と願う気持ちは、誰にでもあるでしょう。

しかし、中高年になると健康診断の結果や、普段の違和感など、生活の中で以前とは異なる状況を感じるものです。

まして、自分の足腰が弱りトイレに行くことも難しくなった時に、「これからどう生きたいのか?」が段々と目の前に迫ってきます。

これは具体的な話ですが、家族にすれば自宅での介護を知りたいと思う人や、介護施設を検討したい人などが現れてくるのでしょう。

その延長線上の話として、「食べることができなくなったら」という問題があります。

実際には、「排せつできない」という問題もあって、医療的な手法を用いて解決することになります。

その意味では、本人から「延命を希望する意思」があるなら、医療や介護の立場は簡単です。

しかし、本人が望んでいない、もしくは決断できない状況で、家族が希望する場合の対応です。

口から食べることができない場合、食べ物は「栄養摂取」となるでしょう。

つまり、ご飯やおかずがあって、何から食べようと考えるような食事ではなく、その人が生きるために必要な栄養を液体をチューブを使って投入するだけです。

「自分らしい生き方」を見つけるきっかけも、食事ではなくなることもあり、本人が望まない場合にはとてもデリケートな判断が伴います。

まして、施設で暮らし、時々家族が訪れるような場合には、日々の生活を直視することが少なく、本人の負担を察してあげる機会が減ります。

介護士として「自分が老いた時を想像しているか?」


施設側が提案するマニュアルを熟知することが介護士の仕事ではありません。

また、研修などで学んだ内容に従っていても、利用者本人が不満に感じていたら、介護士としては何かできることがないのかと思うでしょう。

しかしながら、介護士の仕事は分刻みであって、ゆっくりと利用者に向き合えない職場も少なくありません。

その理由は、介護士の社会的な信用や役割をどう理解しているのかにも関わります。

つまり、個々に異なる利用者の気持ちに寄り添うことができなければ、そもそも介護士が時間を掛けて歩みよっても利用者は心を開いてはくれません。

「笑顔になる」という表情が心を開いた証拠ではなく、むしろ不満を口にしてくれることが心を開いた証拠だったりするからです。

「〇〇ちゃんは、可愛いなぁ〜」

ある介護士が、利用者の頭を撫でながら、そんな風に話し掛けています。

仕草や表情から出た言葉だと思うのですが、自分の孫くらい年の離れた相手に頭を撫でられる行為を受け止める利用者の気持ちになると、こみちとしては胸が痛くなります。

それを違和感に感じないのならそれはそれなのですが、どういう状況だとしても目上の人の頭を撫でるという行為は考えられません。

逆に自分が同じようなことをされたら、「へへへ」と笑っていられるかと思うのです。

依存しなければいけないという弱みを利用者は感じ、多少の無礼にも我慢しているのではないかと思うと、個人的には完璧とは言わないまでもできる限り不快なく過ごして欲しいという気持ちが強いからです。

それは利用者のことを考えてというよりも、自分自身がそうされた時に情けない気持ちになるでしょうし、「なぜ生きているのか?」を考えてしまいます。

でも、介護士も様々な理由で働きに来ていて、利用者のことをどこまで想定しているかはわかりません。

ただ、自分が老いた時にして欲しくない行為をしないことは、介護士でもできるのではないかと思ったりします。

職場は心持ちで変えられる!?

 今日の介護現場は

今の職場では「後輩」になるけれど、介護業界で長く働いて来たベテランスタッフがいます。

本当に介護のどんな場面でも頼れる存在で、噂ではケアマネ資格も持っているとか聞きます。

ケアマネ資格を持っているとなれば、介護現場で場当たり的なケアを担うのではなく、利用者と向き合いながら、その人に合ったケアプランを立案することができる人ということになり、同じ介護スタッフだとしても、その役割はまるで異なります。

でも、いろいろな理由があって、その後輩ながらベテランスタッフと、今日は同じシフトでした。

介護スタッフならマスターしたいオムツ交換も、手順を覚えるだけなら難しくありません。

しかし、相手の認知機能が低下していたり、身体に麻痺や拘縮などがあったりすれば、身体の向きを変えるだけでも容易ではありません。

また、失禁などの傾向にあれば、交換中にトラブルが起こることもしばしばです。

ある意味で、教科書では学べないばかりか、一般的な介護研修や勉強会でも、そこまでの実践的なケースはないでしょう。

それは個別のケースを実際に担当し、苦労して工夫して、段々と覚えていくものだと思います。

「好きこそものの上手なれ」という諺がありますが、失敗を恐れずに回数をこなした人は何でも上手になります。

まぁ、センスや器用不器用はありますが、毎日のように担当していればある程度はできるようになるはずです。

それでも上手くできないことって起こり得ます。

そんな時に、「これってどうしているの?」と相談できる相手がいると俄然理解力が異なります。

コミュ障な一面もありながら、でもするすると相手の懐に入って質問したりもできるので、頼れる後輩と同じ勤務になった時には、さりげなく仕事ぶりを観察させてもらい、またそれでも足りない時には直接質問させてもらうこともあります。

体調不良のスタッフが復帰

今日はしばらく休職していたスタッフが復帰されました。

この人もとても頑張り屋なところがあって、少し頑張り過ぎでは心配していたら、「心を壊して」しまいました。

顔色や表情を見た限りでは、まだ完全に復活したとは言えませんが、それでも随分と表情に明るさが戻って来たので一安心です。

そうは言っても、あまりこちらからあれこれと話し掛けることはしないので、普段なら挨拶や仕事上の関わりがある時に少し言葉を掛けるくらいです。

ただ、今日に限っては、「無理しないでくださいね!」とこみちから声を掛け、しばらくですが当たり障りない会話をさせてもらいました。

ただ、笑顔に見えても、どこかまだ疲れているような表情があって、ここしばらくの過ごし方がポイントなのかもしれません。

ダブルワークをして

少し職場との距離を置いて感じるのは、スタッフとのコミュニケーションもこちらの関わり方次第なのかもしれません。

今日はできるだけ朗らかに接するように努めたことで、いつも以上に話し掛けてくれたり、笑い声などもあって、久しぶりに有意義な時間となりました。

利用者の最期を介護士はどう向き合うべきか?

 介護士の仕事

介護士の仕事は、60代を超えた高齢者との向き合いから始まる。

実際に介護士の仕事を始めて、たまたま街中で歩く高齢者を見ると、「元気で何より」と微笑ましく思う。

当たり前の話だが、全ての家庭が幸福ではなく、また個々には様々な問題やトラブルを抱えてながら今を生きている。

それは他人が想像するよりも意外なもので、「まさか本当に!?」と思うようなことがあったりするから話は難しい。

例えば、それら全てが100だとして、介護士が関わることができることは10〜30くらいではないかと思う。

残りは、介護士にも想像できないことで、利用者自身が胸に秘めたことだろう。

こみちは学生時代に、医学部進学を目指すクラスメートをどこか不思議に思っていた。

なぜなら、「命」や「健康」を守ることを仕事する自信など持てなかったからだ。

当時からこみちはその地に深く根をおろして生きることを恐れていて、だからこそ田舎を出て都会暮らしに憧れた。

でも、中高年になり、またこうして人の命や健康に関わる仕事をして、当時から恐れていた、疑問に思っていたことが、すべて介護士としての「壁」として現れた。

コロナ禍対策として始まったワクチン接種。

少なくとも、感染予防策としての期待は相当なものだ。

しかし接種に向けて気になることもある。

十分な検体が行われていない緊急事態もあって、例えば施設を利用している世間との接触が極めて限られた高齢者に、ワクチン接種は必要なのだろうか。

有効な手段という意味では、接種に期待もある。

一方で、ワクチン接種後の僅かな異変が確認できないわけでもない。

因果関係を検証する立場にいないから、不用意な発言は控えるが、それでも一定割合で利用者の体調不良は起きているように思う。

もしも、接種が原因でその寿命が尽きてしまったら。

大きなリスクを回避するということは、それだけ注意も必要になる。

ワクチン接種を唯一の解決策とする前に、ワクチン接種に耐えうる健康状態の指針は作れなかったのだろうか。

「先ずは打ってみる」それによって、健康を崩した時、高齢の利用者はとても脆い存在だ。

ワクチン接種をしなければ…。

認知症の利用者が、ワクチン接種時に大暴れをして、結果的に接種が中断された。

でも、接種を受け入れるまでのプロセスとして、我々を含む多くの人は、「ワクチン接種」を受け入れるべきものと理解している。

でも、その根拠はどこになるのか。

もしも、接種後に急変した場合には、因果関係を医療機関で調査し、その結果によっては国からの給付金を受けられるようにする必要はないのだろうか。

たまたま、大半の人には大きな問題にはならなかったのかもしれないが、だから万が一の対策が無くてもいいことにはならない。

何より、ワクチンとの因果関係どころか、老衰として処理されてしまったら、利用者もその家族も施設を相手に裁判を起こすこともしないだろう。

異変を確認し、最期を迎えるまでの期間中の対応に問題はなかったのだろうか。

未知の経験を理由に、正当な対応だったと結論づけることもあるだろう。

しかし、自身の未熟さに疑問を持つこともない医療従事者ほど怖い存在はない。

介護士になって、限界値を強く理解する。

一方で、医師ならどうしただろうかという想像もする。

急変した利用者を数日間も様子観察にしてしまうだろうか。

その時点で、医療従事者としては疑問が残る。

もしも医師になれば、そんな過ちを指摘し、速やかに信頼できる医療施設で診察してもらえるなら、医師であることの意味は大きい。

コロナ禍になり、人が生きるということを考える機会も増え、悔いの残らない介護を行うには、介護士の知識や経験だけではどうしても不足してしまう。

かと言って、ミスや間違いを見抜くこともできずに、何かおかしいことが起こって人が寿命を尽きて行く姿に触れると、自身の未熟さや医療、介護などの業界で働く重みにも苦しむ。

どこか他人に無頓着な態度を取る介護士や看護師を見るたび、こみちは介護士として働くことに本当の辛さに直面する。

みなさんはどうだろうか。

なかなか奥が深いテーマだと思う。


介護職の疲れは「不公平感」にある!?

 介護職の仕事とは?

介護職として働いている人でも、利用者ごとのケアプランを熟読しているだろうか。

利用者となった高齢者が、どのような目的を描いて入所を決断したのかが計画として表記されている。

そんな介護のマップのような存在なのに、施設特有のスケジュールが優先され、個々のケアを実践する機会は少ない。

同じシフトになった先輩たちが、事務仕事や個別案件を始める。

大抵は内容さえ教えてくれないから、どれくらいで完了できるのかも伝わってこない。

つまり、同じ時間帯にスタッフが10名いても、その時点で数名が除外されてしまう形だ。

残ったのは、同期や入職期間が近いメンバー。

介護職と年齢もそうだが、経験値も個々でかなり違う。

日常業務を100として、100を熟るスタッフもいれば、50とか30とかで成長が止まってしまったスタッフもいる。

上手とか手際がいいと言う話ではない。

例えば、オムツ交換ができないとか、レクリエーションの司会役を熟せないとか、シフトに組み込まれていても、そのスタッフでは担当できない業務があるのだ。

大体、入職して2、3年前後のスタッフは、現場を回す第一線に駆り出される。

面白いもので、今の施設ではまだ1年くらいでも、実はトータルで10年を超えるベテランだったりする人もいて、実は簡単に「若手」とひとくくりにはできない。

同じオムツ交換でも、実は状況によって難易度には差がある。

通常5分で終えられる人でも、一瞬、怯んでしまうようなことは稀に起こる。

特に伸びないスタッフの中には、まだ始めたばかりの頃にハードな状況を押し付けられて肝を冷やし、それ以降避けてしまっていると言うことも少ないないだろう。

確かに何度かどうすればいいのかと困惑したことがあるし、まだ未熟な時は先輩からサポートが受けられたし、その後は躊躇いながらもどうにか乗り越えて今に至る。

でもここまでくるのでさえ、個人差があるし、もっと短期間で先に進んでいる人だってたくさんいるはずだ。

できるからたくさん仕事をするの!?

介護現場には妙な雰囲気がある。

レベルが似ていると、若手が前に出る。

レベルが違うと、なぜかできる人が多く仕事をする。

そして、介護現場に新人が入るのは本当に稀で、派遣を除くと数ヶ月は新人が入っていない。

つまり、若手で仕事を覚えると、いつもたくさん仕事が回ってくる。

シフトによってメンバーが変わっても、仕事の割り振りは変わらないから、なぜか仕事が多い。

それで同じ単価給なのか?

時給で10円とか20円違ったとしても、利用者と世間話しているだけのスタッフは勝ち組に見える。

春先の報酬額を改定する時でも、自分の仕事を施設から評価されているのかと気になってしまう。

上手くのらりくらりとしているスタッフが、むしろ高い報酬だったと知って、愕然としたこともある。

介護職の実績はその瞬間よりも、対応力や貢献力で現れる。

同じ時間帯に入れば、それは同じ仕事をしたとなり、休日や休み返上で出勤に応じれば、それは加点になる。

助っ人として来たスタッフが、本当に見守りしかしてくれないと言うこともある。

相変わらず忙しい現場で、それなら居なくても良かったと思うところだが、施設にすれば「わざわざ、休みを返上して出てくれた」とその人を加点する。

ある意味で、一般的なサラリーマンよりも仕事の境界線が曖昧だから、立ち回りが上手い先輩と一緒になると、本当に疲れ果ててしまう。

急に先輩たちが働き出したと思ったら、本部スタッフが顔を出したからだったりする。


コロナ禍のような不況にも強い!?「介護士の求人」

 求人サイトを検索すると…

中高年呼ばれる年代になると、正社員として採用される機会が減ってしまいます。

それは採用する企業からの期待を考えれば、「即戦力」や「経験者」と言うこれまでの実績が望むからでしょう。

試しに「東京都」内の求人を調べてみると、専門性を問うような職種の他、派遣会社からの案件、軽作業や短期・単発の求人が大半でした。

これが近隣の地方都市なると、全体的に報酬額が下がり、派遣会社からの案件、軽作業などがさらに増加する印象です。

改めて、仕事探すと言うのは大変なことで、中高年になると目安の期間が「半年〜1年」と言われるのもあながち嘘ではないのでしょう。

これまで経験を活かしたいとか、希望する職種がはっきりしているなど、特にこだわりがない場合には、早く就職先を確保する方法として派遣会社を使うのもありかもしれません。

こみち自身も、もう10年以上昔になりますが、大手派遣会社に登録し、何度かお仕事を紹介してもらった経験があります。

デザイン関係の仕事も経験しましたが、短期や単発の仕事も受けたことがあって、ポスティングや配達員、試験監督なども紹介していただきました。

意外と言うのも変ですが、短期・単発の仕事は面白い案件が多く、繋ぎのつもりで考えれば経験してみるのも悪くありません。

試験監督のお仕事は、回数が増えると「次回もできませんか?」と誘われたりもするので、気分転換兼ねた「副業」としては条件のいい話でした。

でもコロナ禍では試験中止と言うことも多く、同じような求人募集を見つけることはできません。

改めてコロナ禍の影響が経済界にも大きな影を落としているのだと感じます。

「介護士」として働くなら

そんな中でも「介護士」の求人は一定数を見つけられました。

年齢不問や経験不問と言うことも多く、中高年の方で仕事を探している人にも心強い案件でしょう。

こみち自身も介護関する知識ゼロで、「自分にもできるだろうか?」と言う気持ちでした。

結論から言えば、「介護職員初任者研修」と呼ばれる未経験向けの研修を受講しておくと、実際に施設で働く場合も基礎知識が身につくので心強いでしょう。

ただ、この「介護職員初任者研修」も無料で受講できるものではなく、スクールなどに通うと5万円〜10万円くらい掛かります。

しかし、各スクールの助成金制度を活かせば割引きを受けられることもあって、申し込み時期や方法をしっかりと調べておくことがポイントです。

また、これまで何処かで働きていた人で「雇用保険」に加入していたなら、ハローワークで相談してみるのもおすすめです。

お住まいの地域から通えるスクールなどを紹介してくれるでしょう。

また、ハローワークを通じて紹介された場合には、受講料が無料になるだけでなく、交通費の支援の他、研修期間中は雇用保険が継続され、技能習得手当が受け取れたりもします。

この制度を上手く活用できれば、技術を学びながらも、その期間の収入源にもなるので、条件を満たす人は確認してみましょう。

介護士を続けるのも限界なのかも…

 介護方針が曖昧な施設で起こった事例

高次脳機能障害と言う症状をご存知でしょうか。

介護士など医療や介護などに関わったことがある人なら詳しく知っていると思いますが、未経験者のために簡単な紹介をさせてもらうと、脳卒中や事故などで脳にダメージを受けたことで、それまで出来ていた動作が困難になってしまう症状です。

動作の中には、行動はもちろん、記憶力や感情まで含まれ、人によってはトイレに行ってもどうしていいのか分からないというようなことが起こります。

また、感情も含むので、第三者からは理解し難い理由で怒り出したり、それが発展すれば暴れてしまうなどの問題行動にも繋がりかねません。

高次脳機能障害を抱える利用者が、こみちの勤務している老人介護保健施設に入所されました。

老人介護保健施設と言う場所は、特別養護老人ホームや有料老人ホームなどと同じ「介護施設」ですが、主たる目的が異なります。

通称、老健ともいわれ、主に病院などで治療を受けた高齢者が、入院期間を過ぎてそのままでは自宅での生活に不便が多い時に受け皿となり、リハビリなどを通じて心身機能の回復に努める所です。

その利用者は、とても歴史などにも興味があり、どことなく知的な一面を有しています。

ただ性格的に少しマイペースで自分勝手な一面もあって、介護施設でもケアには神経を使う相手でした。

しかし、だからと言って自分以外知り合いもいない施設で寝泊まりすると言う生活で、介護士からどこか事務的な接し方をされたらどんな気持ちになるでしょうか。

先ず老健としての役割は、自宅での生活が継続できる心身状態を目指すこと。

ケアプランと呼ばれる計画書でも、在宅生活に向けた取り組みが盛り込まれます。

そこには、家族による受け入れや、在宅ケアを行える環境整備も含まれるでしょう。

いつかの記事でも触れましたが、いわゆる「ケアマネ」ではそこまでを担うのは荷が重すぎます。

しかしながら、利用者自身が在宅生活を行える最低条件をクリアしていても、そこに向けた準備がなければ、施設で暮らすしかありません。

先にも触れましたが、老健は在宅復帰を目指す施設。

そもそも家族や自宅環境の原因から在宅復帰が困難な場合、特別養護老人ホームなどの方が施設の目的にも符号します。

そして、十分に在宅復帰できると心身状態になったと判断されたにも関わらず、結局は家族との折り合いからまた老健に戻ってきました。

現場リーダーとこみちの衝突!?

現場リーダーはケアマネでもあります。

つまり、受け持つ個々の利用者のケアプランを作成する業務も担っていて、それはつまり「利用者がどんな風に暮らして行くのか?」を本人や家族、また医師や機能回復訓練士などから意見を取りまとめて、計画書としてまとめます。

「老健に戻った理由は?」

少なくとも、心身機能の面では、不十分な部分も見られるものの、一度は在宅復帰が可能と判断されました。

完全復活が10だとして、5や7くらいでも不便はありつつも工夫次第で在宅生活が可能となるでしょう。

言い方を変えれば、10ではないので、生活面の一部では困難さも見られるのは仕方ないこと。

それこそ、10以外は在宅復帰を望まないと言う家族の意向なら、もう老健ではそもそも預かれる案件では無いはずです。

そんな中、現場リーダーからの方針は、こみちの介護が高次脳機能障害を助長させていると言うものでした。

つまりその言葉そのものを言われた訳ではありませんが、「利用者の言いなりになっている」それでは「利用者本人がつけあがるだけだ」と言うのです。

一方でリーダーの示す介護は、あくまで主導権は介護士にあって、スケジュールに沿って行動し、場合によっては利用者を待たせることも介護だというのです。

言葉によるニュアンスではとても表現が難しく、ともすれば誤解を招くことにもつながりかねません。

ただ、最近のスタッフの行動は、利用者に対して時に「それが介護なのか?」と感じさせる行為があります。

自由に行動できないと分かっていながら、介護士がそれを逆手に取っているのではないかと感じさせる言動が証拠は無いものの、例えば利用者から「意地悪させれた」と言うような話は耳にします。

完全に入所者の精神的なストレスを取り去ることはできませんが、ケアプランに示された目的でも無いなら、あえて苦痛を感じさせる言動を使う必要はないはずです。

その意味では、その利用者は本当に機能が回復し、晴れて在宅復帰まで漕ぎつけたと思っていました。

にも関わらず、また老健で、リハビリを行いつつ、家族から受け入れても構わない人となることを目指しています。

「待って」ができる人。「こっちでしょう!」と言ったら従う人。

例えばそんな人にならないともう自宅に帰れないとしたら、その利用者は何のために生きているのでしょうか?

ましてこの問題は利用者本人と家族で考えることで、もう少し範囲を広げるとしても、ケアマネが老健に再入所させるべきか、それとも別の施設を紹介するべきかが含まれてきます。

そんな中、現場リーダーからは「こみちはどんな介護をするつもりなの? 言われるまま、振り回されたいの?」と迫ってきました。

正直言って、以前から勤務する老健の介護力には疑問もあります。

確かに前回の入所中、その利用者をかなりの面でサポートしたのは事実です。

しかしながら、同じ時間帯になったスタッフが、別の仕事と理由をつけて、関わることを拒絶していたのも事実。

精神的にも抑えが利かずに、感情の起伏が激しい時もありました。

でも、リハビリには熱心で、在宅復帰を強く望んでいることもあって、スケジュールを空けては介護リハビリをして、随分と改善されたはずです。

「介護しないんじゃない。でも、相手に合わせるのはダメだ」

正直言って、もうどうしていいのか分かりません。

「ケアプランって何?」って感じで、今回の再入所した目的が、高次脳機能障害を抱えた利用者の性格を改善させることだとしたら…。

そのために、「指導」と言う名のサービスを取り入れて、頼まれてもすぐには応対しないことを目指す方針が理解できません。

忙しいスタッフと忙しくないスタッフがいて、それは「今するべき仕事」を意識できているかどうか。

気づかないスタッフはどこかゆったりと仕事をし、スケジュールを理解したスタッフは慌ただしく動き回る。

そして、動くスタッフに利用者から声も掛かり、さらに仕事が忙しくなってしまう。

かと言って、ゆったりとしたスタッフは、利用者とトラブルを起こし、場合によってはその仲裁に入る始末。

別に事務的な介護を否定しているつもりはありません。

ただ、心細い利用者が施設暮らしで孤独を感じ、それに耐えきれずに精神的なダメージを受けないようにして欲しいのです。

抜け殻のようになった利用者を扱いやすい利用者と呼ぶことはしたくありません。



初めて「介護士」になったら感じるであろうこと

 介護施設に初めて行くと…

こみちがそうだったのですが、とにかく廊下が広く、ドアがたくさん並んでいると思うでしょう。

多くは利用者の使う部屋だったりするのですが、施設柄車いすでも通りやすいように、一般住宅と比べてドアそのものが大きく、しかも引き戸が多いことに気づきます。

ドアノブのある押したり引いたりして開閉するドアは、ドア付近に人や物があると開け閉めできなくなってしまいます。

それは万が一、トイレ使用中に利用者がその場にしゃがみ込んだような時に、対応できなくなる可能性があって、通常、介護施設のドアは引き戸が多くなります。

また、廊下などには手すりを設置していることから、車イスでのすれ違いに十分な横幅にプラスして手すり設置分も確保してあるので、初めて施設を訪れると「廊下が広く」と感じるでしょう。

いざ、仕事が始まると…

自宅などで「介護」を見た経験があれば、ある程度のイメージはできるかもしれません。

しかし、こみちのように全く「介護」に触れたことがなければ、仕事と言われても具体的なイメージができないでしょう。

そして、実際には利用者の名前を覚えることから始めり、勤務時間帯のタイムスケジュールに沿った業務が紹介されると、「仕事量」の多さに少し怯むかもしれません。

例えばこみちが先輩となって新しく入ったスタッフに仕事を覚えてもらうなら、とにかく一本線でも良いので、その勤務時間帯にするべき「基本形」を伝えたいと思います。

実際には、同じ時間帯に複数の仕事があって、例えばスイッチだけ入れたら別の仕事に取り掛かるというような組み合わせが求められるのですが、慣れないうちはあまり同時進行してしまうと、作業項目があっちにこっちにと飛び回り、「もう自分にはできない!」と思われてしまうからです。

つまり、教える側にすれば、少しでも早く覚えて欲しいと言う気持ちから、「見るだけでいいから」とか、「また何度も説明するから」と前置きして、いろんな業務を見てもらおうと思う先輩もいるでしょう。

できることなら全体マップのような作業リストを事前に作成し、そのマップと比較しながら、そして必要に応じて気づいたことをメモしてもらいながら、職場を巡ると分かりやすいはずです。

こみちの場合には、午前中に教えられたことを初めての昼食時間にメモ紙を使い自分なりのタイムスケジュールを作成しました。

さらに利用者の氏名を覚えるために座席表をもらい、そこに簡単な記号でエプロンやトロミ剤の有無、トイレ誘導の可否などを書き加えて行きました。

指導してくれた先輩が入れ替わることもあって、急に説明の内容が変わってしまうことに戸惑うかもしれません。

なぜ、そんなことが起こるのかと言うと、施設が定めた公式マニュアルが無いか不足しているからです。

個人的には未経験者ほど、しっかり手順を定めたマニュアルがあった方が仕事はしやすいでしょう。

と言うのも、自己流で仕事を覚えて行くと、あるタイミングで確認したいと思うからです。

介護士の仕事を始めるなら、学生時代に接客業を経験しているといいでしょう。

お茶を配ったり、テーブルを拭いたり、そんな時に座っている利用者へ声掛けもするからです。

こみちの勤務する施設では、同じ飲み物を提供する場合でも、お茶に差し替えることは珍しくありません。

というのも、ジュースや甘酒、ココアなどの中で、利用者が好まないものもあるからです。

また、提供する際に冷たい方がいい場合や、温かい方がいいと言う場合にも対応するので、「冷たい飲み物をお持ちしました」とか、「温かいのでやけどにご注意ください」など、ひと言添えることもあります。

作業としては「お茶を配る」と書かれているだけなので、初めての時は「お茶を配ればいいのか!」と言葉通りに理解すればいいでしょう。

介護スキルとは、特別な項目ということもありますが、多くは誰もがしていることをより的確に細やかに応じられることだと考えています。

つまり、オムツ交換と言う作業も、「手順」は概ね同じです。

しかし、どこまで配慮するかは大きく異なりますし、利用者の反応もまるで違います。

ある利用者の場合、あるスタッフなら何事もなく終わるのに、別のスタッフには「今は嫌だ!」と言って布団を捲ることさえ拒絶されたりします。

仕事だからと無理に推し進めようとすると、場合によっては大声を発したり、掴みかかってくることも珍しくありません。

なぜなら、オムツ交換はとてもデリケートな行為で、見ず知らずの人に触れて欲しいものではないからです。

つまり、「スタッフの〇〇です」から、「体調はいかがですか?」「交換するので、身体に触れますがいいでしょうか?」と、信頼関係が薄い時ほど丁寧な声掛けが重要です。

直ぐに受け入れてくれる利用者もいれば、1か月くらい掛かることや、どんなに日数が経過しても「拒否」が続く場合もあります。

でもそれは仕方ないことで、誰もが自分を受け入れてくれるとは限りません。

実際、こみちの場合も、ある利用者の目薬をさすことをずっと拒否されていました。

他の行為は比較的早く許可されたのに、目薬だけは「ごめんね。他の人にお願い」と言われ続けたほどです。

しかし、今では目薬だけでなく、何かと声を掛けてくれるようになり、少し信頼される存在になれたのかもしれません。

介護の仕事はここまでできれば十分ということはありません。

しかし目安として3ヶ月から半年くらいは、初めてのことに出会う機会もあるでしょう。

その時期は、無駄に気負う必要もありませんし、できないことや分からないことをそのままにするのではなく、「これってどうすればいいのでしょうか?」と先輩に質問しましょう。

覚えた知識や技術は、この先も自分を助けてくれるので、できる風介護士になるよりも、しっかりと基本を覚えたいものです。


介護士に向いている人が優しい人とは限らない!?

 「優しい人」や「人と接することが好きな人」は介護士には向いていない!?

一般的に介護士が接客業と言うことから、人と接することや親切にすることが好きな人にむいていると言われます。

ある意味では間違えていないとも思いますが、中高年からの転職と言う視点で考えるともう一歩踏み込んだ話も必要です。

老化によって健康を失うことはイメージできるでしょう。

それによって家族の支援が必要になり、子どもたちが仕事や辞めて親の介護をするということも起こり得ます。

もちろんそれは強制される話ではありませんし、介護施設に入れて暮らしてもらうことだって選択肢の1つです。

「ウチに親をよろしくお願いします」

そう言って施設で迎える介護スタッフに頼んだ時に、どこまで親身になってケアしてくれると思いますか。

そもそもの話として、そのスタッフが介護士になった本当の理由を考えたことがあるでしょうか。

例えば、自身の私生活など顧みず、入所された利用者の世話をするために誠心誠意を込めて働く人が何割いるでしょう。

もしもそんな貴重な人がいたとしても、施設のスタッフ全員が同じ気持ちで働いているとは考え難いことです。

つまり、あるタイミングで自分の親が面倒なお願いをした時に、笑顔で話を聞いてくれると言う対応さえ、そうそうできるものではありません。

「お待ち下さい!」

時に発せられた言葉の語気が強く、聞いた利用者がどこか萎縮を感じてしまうことだって起こり得ます。

一方で介護士となった時に、どんなに順序を追って説明しても、利用者が理解を示さなかったらどうしますか。

「今はできません。あとでいきましょう!」

そこまで説明しても、「トイレ!!」と騒ぎ立てる利用者は少なからずいます。

問題なのはその騒いでいる利用者を中心に、周辺の利用者まで落ち着きを失い、なんだかおかしな雰囲気になってしまうことが起こります。

そうなってしまうと、もう一人の介護士ではどうすることもできません。

つまり、「優しい人」や「親切な人」も相手の理解があってこその話。

実は利用者自身も理解できない状況になった時こそが、介護士の仕事です。

介護士に向いている人

こみちが考える介護士に向いているのは、瞬発力があって、ポイントを掴むのが得意な人です。

優しくなくてもいいので、必要なことをしっかりと提供できる人です。

どんな場面でも「70点」を取れる人で、逆に「30点」を捨てられる人でもあります。

もちろん90点のクオリティーで回せるならそれに越したことはありません。

しかし、より高い品質だったとしても、そこに評価を得られるものではなく、あくまでも自分自身の満足やプライドを満たすものと割り切れることも大切です。

ポイントは70点の内容をどう設定するか?

介護士の仕事を良くするにも悪くするのも、勤務している施設の方針です。

ある介護士にとっての70点と、別の介護士の70点が明らかに異なっている場合、より負担が大きい介護士は「なんでいつも自分ばかりが大変なんだ?」と感じるでしょう。

と言うのも、その介護士も「30点」の部分を泣く泣く見ないようにしているからです。

もしも、別の介護士が自分と同じくらい仕事ができたら、その30点さえ賄えたと感じたでしょう。

しかし、できない状況を渋々納得し、自分なりの70点に集中したとしても、スタッフ全員の目的意識を変えたいとか、向上させられないかと思うかもしれません。

しかしながら、全ての人が介護士に憧れてその仕事を始めた訳ではないように、できることなら60点や50点でもいいと思う人だっているかもしれません。

「どうしてもっと動かないの?」

そう言いたくなる気持ちがあっても、それを言ってヤル気を出してくれるとは思えないでしょう。

「年齢も過去の経歴も問わない」と言うことは、メリットにもなりますがデメリットにもなり得ます。

いろんな目的で働く人がいて、70点を設定するのでさえ容易では無いのです。

優しい人が介護士になったら…

介護現場で面倒な仕事や成果が現れない仕事をやらされるかもしれません。

それでも利用者にいい影響があれば納得もできますが、多くはスタッフ間の話で終わります。

これは何も介護現場を非難しているのではなく、理念や理想を掲げた介護施設が、どうやってその実現に取り組むのかが問われると言いたいのです。

とても残念な話ですが、介護施設の収益性だけを考えると、あれこれと工夫できる範囲は限られています。

「自立支援に向けた介護サービスを!」

とても理想的な目標ですが、どうしても時間が掛かってしまう利用者を相手に、勤務中の介護士が待っていられる余裕はありません。

もしもあるとすれば、そのロスした時間を、介護士が物凄い手際でリカバリーできる時です。

標準時間5分の作業を1分で回すには、どれだけの技術と経験が必要になるでしょうか。

大切なのは優しくできることではなく、そのための時間を確保できる人なのです。

多くの介護士は、丁寧な口調を意識して作業するだけでも大変だと思うでしょう。

そこからさらに、相手に合わせて持ち時間を切り分けられるには、よほど深い介護への理解が求められます。

異業種なら月収50万円、70万円。年収で1000万円を超えるような知識や技術に踏み込める段階を迎えているのに、介護士だから朝も夜もお構いなしで勤務して、でも大卒初任給と変わらない金額となれば、特別な理由でもなければ続けられません。

実際、介護士として施設で働く人は、新卒で介護業界に入った人か中高年からの転職組です。

稀に仲間同士で施設を立ち上げる人もいますが、彼らは報酬ではなく理想の介護があるからでしょう。

その時も100点としての理想を追い求めると新規採用したスタッフは与えられた理想について行けなくて逃げ出してしまいます。

継続可能なライン、つまり70点くらいの介護で、どんな風に方針を定めていくのかがポイントです。

機械的でも淡々と熟る人なら、介護士の仕事を割り切って考えられるかもしれません。

思いが強いと、それだけ感情も揺さぶられるので、利用者想いな人は心を痛めてしまうこともあります。

つまり、介護士に向くか向かないかの差は、ストレスを受け流せるかどうかではないでしょうか。

その意味では、少しズルい部分もないと、できていないことにストレスが蓄積され、また利用者とその家族との折り合いが悪いと言うような現実に切なさを感じるでしょう。

できないことはできないと断ることも、介護士を続けるには大切なポイントです。

介護士の仕事に興味を失ってしまった!?

 仕事ではなくボランティアでいい!?

その原因はどこにあるのだろう。

こみちが過去に感じていた「介護」の根本は、触れ合いにあった。

昔から、いやもっと子ども時代は、いろんな人と仲良くなれることが多かった。

それは人気者と言うことではなく、悩んでいる人や困っている人から「助けて」といってもらいやい雰囲気だったのだろう。

しかしいつからか、彼らだけでなくもっと別の人に対しても拒絶反応が強くなり、こうして欲しいのだろう」と感じることを避けてしまうようになっていた。

介護の仕事を始める時、一番に思ったのは「できない」だった。

現場の具体的な仕事をイメージしてと言うよりも、「人に優しくする」ことは容易ではなく、それを仕事にして自分に務まるのかと思ったからだ。

介護の仕事をして、例えば「在宅復帰」と言う目的に向かって支援するのはアリでも、「家族との事情で自宅には戻れない」と分かった利用者の生活支援を「老健」が担うのはどこか腑に落ちない。

確かに、人がひとり自宅に戻った時の家族の負担は、「1」ではなく「1000」や「1万」くらいになることもある。

「家族なのだから」「自分の親でしょう」だけでは支えきれない感情も理解できる。

もしも、そんなしがらみを支えるのが介護士なら、それには納得できる。

しかしイメージとしては「特養」や「有料」を職場に選んだ時ではないかと言うのがホンネだ。

老人介護であっても、老健はリハビリや医療的ケアを通じて在宅復帰を支援するのが目的だと信じたい。

でも、実際にはそんなケースは数えるほどに過ぎず、大半は介護方針とは無縁なルーティーンになっている。

困った利用者を見ても、すぐに駆けつけない姿を目の当たりにして、そんなために「介護士」をするのかと思うと、仕事のやる気が失せてしまう。

正直なところ、介護士の現場仕事に興味は感じていない。

報酬と言う意味で反映される可能性は薄いし、そもそも人材が集まらないから改善策も限られている。

見ていてそこに気持ちを注ぐくらいなら、別の場所にと思ってしまうのだ。

ただ、利用者との触れ合いが嫌いになったのではない。

だからタイムスケジュールに追われた介護士ではなく、ボランティアとして関わるくらいが理想なのかもしれない。

しかし今はコロナ禍もあって、行動が制限されることも少なくない。

その意味では、葛藤しつつも介護士を続けるしかないのかもと感じる。

もっとこうしたいと思うことはあるのに、でもそれをしないから、自分自身も行き場を失っているのだろう。

介護士はたくさんの経験ができる。

老いてどうなるのかを知ることは大切だ。

でも仕事として考えると、そこには拭えない矛盾もある。

介護に対する志を話そうとする人も少ないが、そのために何か一歩を踏み出せる人はもっと少ない。

介護がビジネスのセオリーとは相反していて、介護報酬からの収益に依存してしまうのは無理もない。

どうしても、目の前にある範囲で済ませるしかないから、どんなに焦ったくても変えられないもどかしさがつきまとう。



移乗と格闘技は似ている!?

 介護士として働く時に

介護の仕事では、利用者の生活行動をサポートすることも珍しくありません。

「立つ」「起きる」「歩く」「座る」など、頻繁に起こる動作は、何度も行われます。

それだけに間違えた手段で介助を行う介護士も少なくなく、「腰痛」に悩む人を頻繁に遭遇します。

しかしながら、利用者の動作を支援する「介助」は、言葉や目で見ただけでは分からないことも多く、施設によっては新人教育の場面や3年程度継続勤務した介護士を対象に、「介護技術」の勉強会を取り入れたりしています。

格闘技の練習に似ている!?

空手や柔道、レスリングなど、介護技術につながるようなテクニックを用いる格闘技も少なくありません。

ポイントは自分と利用者の重心位置を把握し、これから行うべき行動のためにはどんな現象に誘導するべきかを繰り返し練習しなければいけません。

割に男性介護士はもともと腕力に優れていることもあり、介護技術も力に頼る場面も出てきてしまうでしょう。

しかし、連続して10人、20人と起き上がり支援をしなければならないような場面では、適切な方法をマスターしておくことが大切です。

不適切な方法で行うと、自身の腰を痛めたり、相手の利用者に負担を掛けてしまったりするでしょう。

腰痛予防の意味で、ウエストベルトを着用するのは問題ありませんが、だからといって適切な介助方法を学ばないのは残念な行動です。

重心の位置を常に考えることが近道かも!?

例えば、ベッド上に側臥位で横たわる利用者がいたとしましょう。

そんな状況で、端座位から車イスへと移動まで行いたい時、何よりも利用者を起こすことが必要です。

試しに誰かの片足を持ち上げてみましょう。

きっと想像以上に重いと感じはずです。

つまり、もともと体はとても重い存在なのだと理解しましょう。

そんな中で寝転んだ人を起こしたい場合、その瞬間の重心位置を意識しながらも利用者の身体をコンパクトにします。

両腕は両肘を抱え込むように胸の前で組んでもらいます。

さらに両足を共に膝立してもらえば、お尻に重心があると考えて頭と足を少し持ち上げます。

そこでポイントとなるのは、臀部を支点にしたユラユラを体感すること。

実際に行ってみると、ほとんど力を加えなくても身体が簡単に動くことを体感できるはずです。

つまり、どう使えば身体は簡単に動かせるのか、柔道などでは動かされない方法として学びますが、介護では「逆」で動かす方法として学習していきます。

しっかりとコツを掴むことで腰痛予防に繋がる他、非力でも安全に介助できる方法が身につけられます。

施設選びをする際、入職後の研修の有無や、その際の内容についてもしっかりと説明してもらえると、技術が身につくので仕事にやりがいを感じられるでしょう。


働きやすい仕事場を見つけるには?

 介護士として働く場合

初めて介護施設で働くために就活しているのであれば、「施設見学」をたくさんしましょう。

明らかに希望とは異なる場合を除いたとしても、同時期に複数の施設を回った方が良いくらいです。

と言うのも、自分が理想とするような完璧な施設はどこにもありません。

おすすめしたい施設とは「優先したい条件を満たしている」と言う場所だと思います。

特に働くうえで根幹となる部分が自分のイメージと合っていなければ、それだけ大変に感じますし、長く働くことにも苦労するからです。

「施設見学」をする時のポイント

いろいろなポイントがあります。

特に利用者として選ぶ場合と、職員として働く場合でも異なります。

今回は職員としてのポイントを考えていますが、「その職場で働いている自分を想像できるか?」と言う点でしょう。

初めて介護士として働く場合、そうは言っても戸惑いや不安もあって、簡単にイメージできないこともあります。

しかしそんな意味ではなくて、例えば職場を見学した時に職員同士、職員と利用者が程よい関係で談笑しているような場面を見られれば、初心者の自分が働けるイメージを持てるかも知れません。

スタッフが慌しい雰囲気で、表情もどこか硬く、例えばそこに自分がいると考えた時に質問や確認がし辛いと感じたら、楽しく働くイメージは浮かばないでしょう。

介護施設の場合、見学を案内してくれるのが、現場スタッフとは限りません。

介護服ではなく、スーツや事務服だったりすれば、確かに施設の関係者ではありますが、日常的に現場作業に関わらない人と言うこともあります。

そんな人が担当すると、意図的では無いにしても現場のトラブルや問題点を事前に説明してくれることはありません。

むしろ、形式的に伝えてくれるので、実は知りたいと思うことを詳しく知らなかったりもします。

そんな時に、ちょっとしたタイミングがあれば、現場スタッフに「楽しいですか?」と聞いてみましょう。

たまたま聞いた介護士の経験値や性格、その職場での立場などでも、答えの信ぴょう性が異なりますが、少なくとも実際に働いている人からの「生の声」を聞くことができます。

先に紹介させてもらうと、人の様子や態度を見て、その人の気持ちや心理状態を掴むことは介護士が重要視しなければいけないスキルの一つです。

つまり、これから介護士として働くことが向いているかいないかのポイントは、短時間だとしても「ここなら頑張れそうだ!」と思えるかどうかが分かる人でないと、働き始めてから苦労するでしょう。

しかし、完璧に理想となる施設はなく、誰もが不便や不満を抱えて仕事をしていることに変わりはありません。

そこで、「働いているイメージができる」と言うことがとても大切なのです。

「スタッフは不足していますか?」と聞いてみましょう

特にふとした時にそんな質問を投げ掛けてみましょう。

「そうですね。もう少し募集したいです」

どんな答えが返ってくるのかは分かりませんが、スタッフ不足が顕著な場面、どうしても入職者を早く育てたいと思っています。

それはつまり、即戦力とは言わないにしても、1日でも早く仕事を覚えて欲しいと思っているのかも知れません。

分からないことは、しっかりと確認できるような性格なら問題ありませんが、どこか聞きにくいとか、初めてだからゆっくりと仕事を覚えたいと考えているなら、その職場が理想なのかもう一度考えてみることです。

そんな場合でも研修制度などが確保されていれば、また状況が異なります。

ただ、OJT(現場で作業しながら仕事を覚えるスタイル)のような場合、どうしても基本から説明することは難しく、本当に全くの未経験者では少し苦労するかも知れません。

こみちの場合もOJTでした。

一つずつを覚えるのではなく、いろんなことを同時進行するスタイルなので、覚えることが増えてしまい、後から説明をまとめ直したりしないと、混乱し全く身に付かないと言う結果も起こり得ます。

3日でも1週間でも、現場仕事を徹底的に学べる時間を設けている施設の方が大変に感じるかも知れませんが、後々を考えると働きやすいはずです。

報酬額や勤務時間も大切だけれど

例えば「介護福祉士の人はたくさんいますか?」そんな質問をしましょう。

そして、「この施設で働いて資格取得された人ですか?」と。

この質問には2つの意図があって、その1つが資格取得に前向きか否かということが分かります。

介護施設は初任者研修だけでも働けるので、それ以上資格取得を目指さない人も一定数います。

また、施設で資格手当てを明確に分けていないと、スタッフも必要性を感じなかったりするからです。

もう1つは、長く勤務する人が多いかどうか。

それはつまり職場への不満が多いか否かを間接的に聞く質問です。

「資格取得」に関わる質問を受けた時、そこに力を注いでいる施設なら、受験対策や受験実績などをしっかりと説明してくれるはずです。

なぜなら、それはスタッフとして働く人も知りたいと思うからです。

しかし、「そうですね。そんな人もいますよ」と言うぐらいで話題を変えてしまうような場合、もしかすると資格取得を重視していない、またはそこまで環境が整っていないと考えられます。

このように、施設見学を積極的に増やし、現場スタッフとの接点を持ち、そこで働けるイメージが湧けば、その時に労働条件で納得できるか検討しましょう。

報酬が高くても、イメージと相違が大きすぎると、働き出してから苦労します。


コレに気づくと求職の意識が変わります!

 現役の介護士だから言えること

現役の介護士だから、少し無責任な話をします。

中高年の方々で、何らかの事情があって仕事を探している人は、少し耳を貸してください。

結論を言ってしまえば、「介護士ができるなら、どんな仕事でもできる!」です。

それくらい、「介護士」の仕事は大変です。

実は最近、知り合いが求職活動をしていて、「介護士ってどうなの?」と訊かれました。

こみちとしては「他の当てがあるならそれからでも遅くないよ」と答えたのですが、ある施設の採用面接を受けて働くことになったと言うのです。

しかも、すでに初出勤も済ませて、「「遅くない」の意味が分かった」と言っていました。

つまり、それくらい覚えること、身につけること、中高年だからと言う年齢の差がないだけに、若い人と同じペースで覚えるのは容易ではありません。

しかも、来週には「夜勤」まで始まると言うのですから、シフト勤務特有の体調管理も必要になってきます。

外国人労働者が介護士を担うとどうなるのか?

外国人労働者が介護業界に入ってくると、中高年の採用枠が減らされて求職活動が大変になると考えたことはありませんか。

しかし間違いなく、異国から日本に来て、育った環境も全く異なるこれまでの生活歴も分からない高齢者を介護してくれるのは容易ではないでしょう。

少しくらい賃金面で優遇されたとしても、まだまだ介護士の社会的地位はこれからで、いわゆるキャリアパスが始まったばかりとも言えます。

これから介護業界で活躍するには、「介護福祉士」の国家資格が必須でしょう。

もちろん、初任者研修等でも現場で働くことはできますが、介護士の仕事が大変な理由は「接客業」であり「現場仕事」だからです。

自分のペースで仕事を進めるのではなく、利用者の様子に合わせて仕事しなければいけないので、どうしてもスピードやタイミングには敏感でなければいけません。

中高年のこみちは、割に体力には自信があったのですが、それでも毎勤務の終了近くになるとヘトヘトです。

それくらい精神的にも肉体的にも疲労してしまうのは、相手に合わせて仕事をしなければいけないもどかしさがあるからです。

今年は大丈夫でも、来年、再来年も大丈夫かと考えると、働き方を見直さないといけない時期が必ず来ます。

そう考えると、介護士として慣れない仕事を始めても、そのまま70歳までしっかりと働き続けられるかは分かりません。

つまり、外国人の方が日本で働いてくれるなら本当にありがたいことだと思います。

そして、我々が介護経験を積むことができたら、まだ若く元気な彼らに助けてもらいながら、1日でも長く働けるようにしたいものです。

介護系の学校を卒業し、そのまま介護業界で働き始めた若い人は、もしかすると「仕事は大変なもの」とは思っていないかも知れません。

なぜって、介護士の仕事で仕事を覚えて行くので、それが当然で当たり前だと感じるからです。

しかし、異業種での経験があると、高齢者の健康や生命を預かる仕事は「ミスしました」では済まされない緊張感があります。

こみちはまだ大きな事故を招いていませんが、別の施設では利用者が転倒し骨折したことで、歩行レベルを大きく低下させてしまったと言う話でした。

でも、ずっと利用者一人と見ている余裕はありません。

気をつけていても、一瞬の間ができてしまいますし、その時に起こった事故によっては「自分は介護士に向いていない」と思うほど落胆してしまう人もいます。

介護士の仕事はすべてをコントロールすることができないので、とても大変なのです。

ましてスピードや体力に余裕があれば、超えられることも、中高年になると無理がきかないので余計にもどかしく感じるでしょう。

その意味では、介護士として勤まるくらい頑張れるなら、別の業界や仕事でも、十分に成果を挙げられるはずです。

それくらい介護士として働くことは、責任も感じますし、不甲斐なくて凹んだりもします。

そこまで聞けば、求職活動も楽になる!?

なぜって、求職は自分の頑張り次第で結果につながりますし、タイミングもある程度は自分で決められます。

もちろん、介護士として仲間になってくれたら嬉しいことですが、たとえ働いて1日しか持たなかったとしても仕方ないとしか思いません。

3ヶ月くらいは本当に必死でしたし、家に帰ってからも仕事のポイントを練習したりして、職場のことがずっと頭から離れないほどでした。

そこまで努力できるなら、別のことでも上手くいくはずです。

こみち場合、ノマドワーカーを続けたかった一方で、仕事量の安定を考えて介護士へと転職しました。

コロナ禍になっても仕事ができる意味では本当に助かっていますし、介護を通じて本当に多くのことを学ばせてもらったとも感謝です。

でも、もう一度、最初からできるかと言われたら、やはり入職してしばらくは大変だったとしか思いません。

求職活動は不安もあって、焦ることもあると思いますが、だからといって「介護士」を逃げの手段に使うのはやめた方がいいですよ。

びっくりするくらい仕事もあって、逃げ出したくなるからです。

この仕事しか無い。逃げたら振り出しだ。

そんな意地みたいもので、またみんなに助けられて、どうにかここまで来られたと言う感じです。

知り合いが介護士を始めたと聞いて、楽しくなってくれたらと思いつつ、無理はして欲しくないとも感じます。

介護現場で「自立支援」を実現するには?

 「自立支援」とは何か?

普通、人はものぐさになります。

手を伸ばした所に使う物を置き、ほとんど移動しなくても済んでしまうようにしてしまうのです。

介護を必要とするまでは、そんな生活も取り立てて指摘されることはないでしょう。

というのも、それが「その人のライフスタイル」だからです。

一方で介護支援が必要になると「自立支援」という考え方に変わります。

なぜなら、介護スタッフが全面的にサポートし過ぎると、利用者のADL、つまり生活力が確実に低下するからです。

具体的には歩けなくなり、立てなくなり、会話も成立しなくなっていきます。

そうなるとトイレ誘導が困難と判断され、オムツを着用します。

定期的に交換し、その度に清潔を保持しますが、本人としても気分が良いものではないでしょう。

会話が成立しなくなるとテレビも見なくなります。

歌を聴いたり、口ずさんだりはできますが、ドラマを見入ることはありません。

それだけ状況判断に乏しくなり、目の前ことにしか関心を持てなくなってしまいます。

驚くかも知れませんが、車イス生活が始まって、表情や態度が一変するまで半年も掛からないケースも珍しくありません。

つまり、介護施設に入所したら、その一年後にはすっかりと変わってしまったということも珍しくないのです。

それほど人は変化してしまいますし、「自立支援」が大切になってきます。

具体的に「自立支援」で何をすれば良いのでしょうか。

利用者本人には「今までしていたことを継続してもらう」。

スタッフは「それを急かさずに見守る」ことです。

しかし、介護現場の仕事は本当に細々とあって、時間に追われながら黙々とこなしていかないと終わりません。

そんな状況でも利用者がコップを倒してしまったり、行ったはずのトイレにまた行きたいと言い出したり、何かといろんな用事が増えてしまいます。

感覚的には、通常の作業スピードを「1」だとしたら、「3」くらいのハイスピードで30分くらいはダッシュしないと予定通りに戻って来れない時があります。

そんな中で「自立支援」のために利用者が終わるまで待つというのは、簡単なようで簡単ではありません。

なぜなら、スタッフがすべてを手助けする方が短時間で終わるからです。

しかし、予定をこなすために手を出し過ぎてしまうと、利用者のADLは確実に低下しますし、遅かれ早かれ「寝たきり」状態に近づきます。

感覚的にはADLも段々と低下していくのではなく、波のような軌跡をたどりながら下降していく感じです。

つまり、最近出来なくなったことがまたできるようになり、それを喜んでいたらいきなりグッと低下するという感じでしょうか。

中には低下した時に意識を失って、救命処置が行われたり、提携する病院へと緊急搬送されたりも起こり得ます。

その後、しばらくして再入所される方もいますし、その後の再入所もないままになってしまうこともあります。

会話こそ大切

自立支援の中でも、利用者との「会話」がとても大切です。

話題など何でもよくて、何よりも利用者と向き合う時間が必要です。

自宅で生活している高齢者世帯でも、地域住民が「おはようございます」と声掛けすることが大切で、それが刺激となり「自立支援」を促す結果となります。

介護現場では、「美味しいですか?」とか、「お茶でも飲みますか?」、「良い天気ですね!」など、たわいの無い話でもいいので、時間の許す限り利用者との接点を保持しましょう。

少し遠い距離なら、笑顔で手を振るだけでも利用者の刺激につながります。

その気配りをするかしないかで、介護現場の雰囲気は全く異なります。



「ケアプラン」は利用者のためだけのもの!?

 「ケアプラン」とはない何か?

「ケアプラン」を理解するには、介護保険制度の誕生を知っておく必要があります。

2000年よりも前、老化による心身の変化も「医療」の担当でした。

つまり、生活に何か支障を感じたら「病院に行こう!」という発想です。

しかしそうなると高齢化が進む日本では病院の業務が膨大になり、まして自宅での生活が難しい場合に病室で預かることにも限界があるでしょう。

どうにか医療的処置を望む人と、老化に伴う支援を求める人を区別し、病院の負担を軽減する必要がありました。

当時も行政による「措置制度」として高齢者を支える取り組みが実施されていました。

一方で伝統的には何世帯も一緒に住む家族があって、高齢となったおじいちゃん、おばあちゃんもいるのが特別ではありません。

実際にはここにもいろいろな問題や苦労があるのですが、それは別の機会として、高齢者支援は個々の家庭で支えられていたのです。

それ故に「措置制度」による支援は特別なもので、「介護してくれる人がいない」ような場合にお世話になる場所とも言えたのでしょう。

いずれにしても、介護保険制度の誕生は、医療機関の負担を軽減し、膨らみ続ける「医療費」に何らかの修正が求められたのです。

つまり、機能的な役割を担う介護施設を設置することで、医療機関の負担軽減だけでなく、家庭による介護、また高齢者の健康維持に目を向けることとなりました。

さて、ここで「ケアプラン」が登場します。

「ケアプラン」は公的な介護サービスの中からどんなサービスをどのような形で受けたいかを示すもの。

つまり、これからサービスを受けたい高齢者のために考えるものでもあります。

しかしながら、高齢者一人で自分の「ケアプラン」を立てるのは難しいことですし、どのような公的サービスがあるのかも分からないでしょう。

そこで「ケアマネジャー」と呼ばれる立案のプロが無料でサポートしてくれます。

ここでもこの「無料」が様々な立場から論点となっていますが、それについてもまた次回ということで。

「自分にとってどんな未来を望むのか?」

やはり考えるスタートはここからでしょう。

家族と暮らし続けたい人、趣味がある人、ボランティアや地域社会と繋がりがある人、それ以外にもその人の環境はそれぞれに異なります。

「何をしたいと言われても…」

一方で、特に希望らしいものもなく、今の生活に何かの支障はあるが、それが改善されるならそれでいいという人もいます。

ただ、「今の生活を維持できたら」が難しくなってしまうのが「加齢による変化」とも言えます。

だからこそ、健康管理や社会とのつながり、自分や家族との関係や生きがいなどをどう作り維持して行くのかを考えなければいけません。

しかし、ケアマネジャーはプロの立案者ですが、多くの利用者を担当していて、しかも中には介護スタッフとしても就労していたりで、とても忙しいのが実情です。

感覚的なことを言えば、新規でケアプランを立てるにあたり、対象となる高齢者と過ごせる時間は三日とありません。

高齢者とその家族を交えて話をし、今の暮らしぶりを確認したら、軽くそれぞれの意向を聞き、先ずは「在宅介護」なのか「施設介護」なのかを決定します。

お気づきの人もいるかもしれませんが、在宅で行える公的サービス、施設で行える公的サービスというものが決まっていて、その中から「選ぶ」に過ぎません。

では施設を選んだとしたら、次はいくつかある施設の中から好みを「選ぶ」ことになります。

自宅の場合には、リハビリや入浴でデイサービスを使ったり、自宅にヘルパーを招き、料理や洗濯、さらに買い物、掃除の他、病院への見送りなども「選ぶ」ことになります。

ここで今回の記事で取り上げるテーマなのですが、「ケアプラン」は利用者のためだけなのかということ。

表向き、ケアプランはサービスの利用者を考えて決められるものです。

しかし、家族支援の状況によってもケアプランの内容が変化するのは当然ですし、家族から「変更」を求められることも起こり得る話です。

介護保険制度を熟知しているケアマネジャーだとしても、支援の前提となると話し合いに深く関わることは立場的にも時間的にも困難でしょう。

その際に起こり得るのは「パターン化したケアプラン」の登場です。

例えば「デイサービスは週に3回利用する」と、具体的に示すことで、本人の意向が具現化されていきます。

さらに、デイサービスやその施設で働くスタッフとしては、多くの利用者が毎日訪れてきます。

「こんにちは!」

そんな挨拶もそこそこに、施設毎で定めたスケジュールをベースに個々の利用者に合わせた支援が実施されます。

例えばスタッフとして利用者が訪れた理由や目的を十分に理解できていれば、それに合わせた支援が実施されるでしょう。

一方で、スタッフの経験が浅いと、十分に目的を理解できずに、今までの流れやパターンでサービスを提供してしまうでしょう。

このような場合も、どこまでスタッフが利用者に寄り添い、目標や目的に合わせた支援が行えるかがポイントです。

というのも、施設ではある程度の業務スケジュールが定めてあって、それに合わせてスタッフも働きます。

良い施設、良いスタッフがいるとは、その対応に柔軟さがあり、幅広い視点から利用者を支えることができます。

しかしながら、介護保険による報酬は十分とは言えず、どうしても考慮的に業務を行う場面があり、スタッフとしても全てに応じるられない現状があります。

また、時には急変によってサービスを一時中断せざるを得ない場合に、再開後の利用者のADLが大きく変化してしまったということは珍しくありません。

やむを得ないことだとしても、一回の事故や危険を境にこれまでの健康維持や生活環境の変化が起こってしまいます。

いわゆる「介護事故」などです。

介護現場の戸惑いは、どんなスタッフにでもあることでしょう。

というのも、「ケアプラン」に示された支援内容と現状のサービスに隔たりが生じていて、その見直しがいろいろな要因から手付かずになってしまうことが多分に起こっているからです。

入所当時、「自宅復帰」を目指していた利用者であっても、家族の諸事情で復帰を支えられなくなれば、目標は叶うことがありません。

場合によっては支援内容を見直し、それに応じた施設を再検討する必要もあります。

しかしながら、例えば在宅復帰を目指す「老健」から終の住処とも言われる「特養ホーム」に移ることは、利用者自身もそれなりに覚悟や理解が伴います。

当然、ケアプラン自体も内容が変更となり、もう「自宅に帰る」という発想はなく、いかに快適に施設での生活を送っていくかになります。

しかし、日常的な支援として、老健と特養で大きな違いがないこともあり、ほとんど目標の達成見込みがなくても老健での生活を継続してしまうケースは少なくありません。

家族の受け入れ体制が整うまでの機関というような配慮によって、時に数年を超える入所継続が続いてしまうことも現場では起こります。

しかし「ケアプラン」に従うならスタッフは、「頑張りましょう。もう少しで自宅に帰れますね」とは言わないものの、そのような気持ちを保ちつつ、支援を続けています。

時には「スタッフさん。もう戻れないんだろう?」と不安そうに聞いている利用者も少なくありません。

当然にして起こり得る話ですが、ケアプラン一つ取ってみても、なかなか奥が深い問題が隠れています。

踏み込めないことを理解すれば、スタッフも事務的に働かざる得ません。

冷たく感じる関わり方にも思えますが、ケアプラン通りには進んでいない現実と理想の狭間で、やりがいも目的も失いながら働くスタッフも多いのです。




ココが踏ん張りどころ!? 介護の仕事が辛くなったら

 介護の仕事は

介護の仕事をして感じるのは、「天然気質」があるかどうか。

ここでいう「天然」とは、自分のやり方に強いこだわりを持っていて、周囲からの評判など気にしないかどうか。

当然ですが、介護士にこだわりが強いと、様々な利用者に対応することはできません。

思っているやり方を拒否されることもあるでしょうし、場合によってはトラブルに発展し兼ねないからです。

最悪の状況にならないためには、利用者のペースやタイミングを確認することが求められるのですが、マイペースなタイプほど、そう簡単に切り替えられるものではありません。

ただ、天然気質の人は、自分を崩さない分、心を壊してしまうことも少ないでしょう。

では「感受性豊か」なタイプはどうでしょうか。

感受性が豊かな人は、周囲にある些細な変化や特徴にも気づきます。

それ故に芸術的な才能を発揮したり、デザインなどの分野で活躍できるのでしょう。

そんなタイプの人が、いろんな利用者と向き合うと、それだけ気づかない時でも「心は疲弊」してしまいます。

時には表情を失い、自分の感情をコントロールすることもできなくなってしまうでしょう。

それは、仕事ができないとか、辛いという感覚ではなく、単純に心で受け止めるキャパを超えた情報が押し寄せて、処理不能な状態になってしまうのです。

割に介護士の離職理由として、職場の人間関係の他、仕事に向き合えなくなってしまうということも挙げられます。

上司に相談してみるのもアリ!?

無理を押し通せるならそれも方法ですが、心が折れてしまうなら早めに状況だけは上司に伝えておきましょう。

特に、仕事自体には明確な悩みがなく、人間関係でもそれなりという場合、でもため息が増えたり、体が動かないと感じる時は、「心の疲れ」を疑ってみましよう。

自分では分からないだけに、「心を壊してしまう」前に対処することが大切です。

時には一定期間、休息をもらい、仕事から離れてみるのもアリです。

結果的にそうした方が、仕事を長く継続できたりします。

無理を押し通して、完全に壊してしまうと、その回復までに年単位の休暇が必要になることも珍しくありません。

特に春先は心に疲れを溜めやすいので、しっかりと休む工夫をしましょう。

介護士を辞めたくなる瞬間

 中高年男性が介護士になった時に

中高年男性には、本人は気づいていない傾向があります。

と言うのも、介護施設は女性が多い職場なので、一般的な会社には無い独特な雰囲気もあるからです。

その一つが、「曖昧な指示」に対する反応です。

女性同士であれば違和感のないこの「曖昧な指示」も、男性にとっては少し物足りなさを感じやすく、「一体、どうすれば良いのだろう?」と疑問に思ってしまうのです。

特に上司が女性の介護士と言う場合、その指示は外向きで、指示の範囲が不明瞭に思えるのです。

その際、男性としては、可能な限り対応することをスタンスとし、指示された内容に従おうと考えます。

そのような行動が、男性にとっては大きな負担ですし、ストレスにもなってしまいます。

「どこまですればいいのかわからない!」

上手く流れているように見えて、実は男性スタッフは不満を抱えています。

一方で、女性スタッフ同士は十分なコミュニケーションをはかれているので、疑問に感じることはありません。

つまり、指示の出し方そのものに疑問を持つことはなく、だからこそ部下として男性スタッフは困惑したままになってしまうのでしょう。

ラインを明確にして欲しい!?

男性にとっては、基本的に思考が内向きに進みます。

つまり、ある目標を定めるところから始まり、そのために必要なプロセスも決定されると言う流れです。

では女性スタッフはどうかと言うと、「まず始めてみよう」と言うスタンスがあります。

もちろん全ての人がそう考えると訳ではありませんが、実際に仕事をしてみて感じる傾向には、少なからず男性とは異なっています。

つまり、思考が外向きで、物事が進展されるに従ってゴールが決まっていきます。

仮に男性スタッフが、女性の上司に「指示を明確に出して欲しい」と訴えたとしたら、反応は二つに分かれるでしょう。

過去に男性スタッフとの関係に慣れていて、男性の思考を理解していれば、欲しい項目を先に伝えてくれるようになるはずです。

一方で男性スタッフに慣れていない場合、対応に困惑し、場合によっては少し関係に距離が生じてしまうかもしれません。

感覚的に判断することに長けた女性は、事前にあれもこれもと決めるのが好きではなく、時にそんな行為を煩わしく感じるでしょう。

つまり、事前に明確な指示が欲しいと訴える男性スタッフをどこか扱い難いと感じてしまうのです。

そして、その態度に男性スタッフも気づくことがあり、訴えた指示の改善をむしろしなかった方が良かったと後悔してしまうでしょう。

そうなると、急に男性スタッフの働き方に変化がみられ、どこか無難な作業を優先しているように見えてきます。

積極性に欠け、仕事に意欲を見せなくも思えてしまうでしょう。

その意味では、男性が多かった職場で感じなかった働きにくさも介護施設にはあるかもしれません。

一方で、未経験の介護士になることで、心機一転し、新たな意欲を得られる可能性も十二分にあるでしょう。

結局のところ、双方が歩み寄る気持ちを持てるかに掛かっているので、中高年の男性が介護士として働く場合には、利用者に対する寄り添いだけでなく、女性スタッフに対する関わり方にも工夫が必要です。

こみちの場合どうしているか?

こみちはあまり相手のプライベートを聞いたりしません。

深く知ることは相手を理解する一歩ではありますが、知ることで関わりにくさも出てしまうからです。

つまり割と淡々と対応していて、感情的にならないように心掛けています。

それでも時に指示の目的がわからずに、「こうしておけば良いの?」と最終的な状態を確認したい時は出てきます。

と言うのも、気になる部分を全て行うには時間が必要ですし、そこまで掛けるつもりもないとしたら、「範囲」を確認したいからです。

このような思考はまさに男性特有で、言い方を変えれば、女性は感覚的に判断が分かり合えることになります。

ただ、最近、こみちとしては働き難さを感じます。

と言うのは、介護士としてどうすればいいのかと考えるほど、それが男性的な思考と助長させ、時に職場の雰囲気と合わないからです。

前回、夜間帯の介護と言うものを紹介しました。

簡単に言えば、時間帯や人員によって行える介護が異なってくると言う話です。

それは男性と女性スタッフにもあって、時にそれでは仕事を満たしていないと思う時も、別の相手はそう感じていないということもあり、介護方針で齟齬が生じるのです。

時にそれは介護士として働く根底にもなりますから、中高年男性はある意味で深く考え過ぎないことが大切です。

こみち自身、求められる介護サービスをどう提供できるかと思案してきましたが、それ故に職場では少し異端児になっているように思えます。

自身が思う介護サービスを貫こうとすれば、余計に働き難さを感じますし、長く続けるには工夫も割り切りも必要です。

「介護職」として有意義に過ごすには

 介護経験3年が節目!?

腰掛けではなく、本職とするなら「実務者研修」から入るのが理想です。

「実務者研修」以外に、「初任者研修」という研修制度も選べるのですが、ステップアップするには現行制度では「実務者研修」がマストです。

つまり、「実務者研修」と「3年以上の現場経験」の両方をクリアし、国家資格「介護福祉士」の受験が可能になります。

ホンネとしては、介護福祉士という資格は、社会福祉士や理学療法士などと比較して、「現場の何でも屋」的なところがあって、世話好きな人でもないと雑務が多い職種です。

それは、介護福祉士になれば変わるというものではなく、働き方としては幅広く何でもできる人ほど活躍できる傾向にあります。

そこで、「何でも」とは具体的どんなことを指すのかというと、ざっくり「施設経営」「レクリエーション」「身体介護」「家事全般」「機械施設のメンテナンス」などで、言い方を変えれば、そのどれかがずば抜けてできればその分野でも十分にプロとして生計を立てられるはずです。

コンサルタントやエンターテイナー、プロの家政婦、エンジニアなどなど。

つまり、介護士としてレベルが本当の意味で上がったのなら、もうよほど現場が好きという人でもない限り、別の分野で「稼ぐ」ことはできるはずです。

実際、ある大手介護事業所の面接で言われたことは、「ステップアップ」を見据えた介護でした。

施設運営や人事部に異動し、活躍の幅を広げられるという提案です。

そして、別の施設では学歴によって入社後のコースに違いを設けていて、その上で「介護現場」を経験するべきだとも指摘されました。

すでにご存知の方も多いとは思いますが、介護業界には社会福祉法人と株式会社という全く設立目的が異なる組織によって施設運営が行われています。

当然ですが、株式会社は利益を出すために運営されているので、施設の利用者は「お客様」ですし、「利益をもたらす主体者」でもあります。

一方で、社会福祉法人は、広く公共の福祉に貢献する立場で、言えば利益を追い求めて活動している訳ではありません。

端的に言えば、「合理性の欠いたルール」も職場にあるということです。

こみちが介護士になるに当たって、社会福祉法人を選んだ理由は、これまで株式会社で働いたので、ある意味、利益を追うことがどういうことなのか肌で知っていたからです。

実際、社会福祉法人の施設で働いて感じる違和感は、株式会社では当たり前に感じる「合理性」とのズレですが、株式会社ならきっとこうなっているだろうという想像もできます。

少なくとも、株式会社で社会福祉法人のような経営はできませんし、そもそも同じであることに価値も見出せません。

そして、介護士として「現場で3年以上働く」ことは、基本を知るために必要なのです。

先にも触れましたが、質の高い介護士になるには、介護の知識や技術を得るだけでは不十分です。

なぜなら、そもそもその利用者に合った寄り添いをしたいなら、「本質に向き合う」必要があるからです。

ここでいう「本質」とは、介護現場で感じられる内容ではなく、利用者家族との関係や利用者の性格やこれまでの生き方、さらには地域に基づく支援策など、日ごろ介護士として働くだけでは意識しない内容に方が多いくらいです。

もちろん、適切にオムツ交換できるというように基礎力も必要です。

しかし、時に5分が標準でも現場の状況次第で2分で回すこともあります。

「そんなの到底無理だ!」

そう、無理な話です。

でも回すしかない状況になった時に、回せることがポイントです。

質の高い介護士というと、知識や経験が豊富な人を連想するかもしれません。

しかし、本当に必要な人は、知識や経験をベースに「判断し見極められる」人なのです。

でもそれができる人は、介護士などしなくても良く、資金さえあれば投資家や経営者になっているでしょう。

未経験が選ぶべき「働きやすい」施設

基本的な経験をたくさんさせてもらえる施設を選びましょう。

中高年の場合、最初から週5日でなくても良いですし、最初の半年くらいは何度も反復させてもらいましょう。

例えばオムツ交換をマスターしたいなら、基本の手順だけでなく、キレイにまとめるためのポイントや、最低限のポイントを知ることで、いざという時に役立ちます。

ある意味で、「できる」ではなく「回せる」という意識で技術をマスターしていきましょう。

失敗したら、どうリカバリーすれば良いのかも分かれば、ミスも怖くはありません。

言い換えれば、どこまで省けるかも分かります。

時間があれば、ゆっくり丁寧に作業すれば良いだけなので、その訓練をするつもりで半年くらいは自分から面倒な作業に手を挙げましょう。

なぜって、覚えてしまえば、次のステップに進めるからです。

いやいや関わってしまうと、いつまでもその状況から抜け出せないのは介護現場だけの話ではないでしょう。

結局のところ、介護士だって最後は「経営」に向かって進みます。

コストと利益を比較し、時にはスタッフのモチベーションをどう満たせるかも考えながら仕事運びを考えます。

仕事が多いという介護現場特有の悩みも、解決策はいくつもあります。

でも、経営に意識がない上司しかいなければ、改善されることもなく現場は疲弊します。

受け身のままでは改善しませし、本気になったら「介護士である必要って?」となるでしょう。

いずれにしても、介護士として必要な知識や技術を3年を目処に身につけましょう。

そうすれば、介護士という経験をベースに、新たな展開方法が見えて来て、ぐんと働きやすく、そしてやりがいも感じられます。

最も避けたいのは、何も覚えない状況になること。

半年くらいは熱心だったのに、その後は「どうせ介護士って…」と見切った感覚になって進歩が滞ってしまうことです。

「オムツ交換が誰でも速い!」

そんな狭い意味でのスキルは、目指す意味がありません。

発展性のある視点で成長しなければ、一週間でも分かった気になれます。

そうならないように、基本を学ばせてくれる施設で、じっくりと必要なことを学びましょう。